セミ・ステージ形式の『フィガロの結婚』@コンセルトヘボウ

モーツァルトのダ・ポンテ三部作オペラを好みの順から並べると、『フィガロの結婚』は
『コジ・ファン・トゥッテ』に次いで二番手だ。
コンセルトヘボウを会場としてのオペラの場合、コンサート形式が通常であるが、今回はセミ・
ステージ形式だった。
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Mozart - Le nozze di Figaro, KV 492
2015年10月14日@Concertgebouw
Orkest van de Achttiende Eeuw
Cappella Amsterdam
Kenneth Montgomery (dirigent)
Jeroen Lopes Cardozo (regisseur)
Kelebogile Besong (sopraan)
Ilse Eerens (sopraan, Susanna)
Roberta Alexander (sopraan, Marcellina)
Amaryllis Dieltiens (sopraan, Barbarina)
Rosanne van Sandwijk (mezzosopraan, Cherubino)
Fabio Trümpy (tenor, Don Basilio)
Henk Neven (bariton, Il Conte d'Almaviva)
André Morsch (bariton, Figaro)
Hubert Claessens (bas, Antonio)

今回と同じく18世紀オーケストラとカペラ・アムステルダム、主にオランダ人とベルギー
人キャストによる『コジ』セミ・ステージ形式を鑑賞したのは、丁度2年前、ロッテルダム
のデ・ドゥルンであった。翌日朝の便で日本に里帰りする前夜だったため、なんだか慌ただ
しく、その後2週間ほぼオフ・ラインでもあり、その鑑賞記は書いていない。憶えている
のは中途半端なお寒い演出という印象のみ。実力派の若手で揃えた歌手陣は悪くはなかった
のだが。(当時フランス・ブリュッヘンは存命だったが、オランダではもう長いこと指揮は
していなかった)

今回の『フィガロ』も同じような出演陣だし、似たような演出になるんだろうな、と、さほど
期待を抱かずに臨んだ。
まず、びっくりしたのはコンセルトヘボウの比較的せせこましいステージ上に演技スペース
を確保するため、前から3列の客席が取り外され、ステージが拡張されていたこと。
これは初めての経験だ。それで、私の席は6列目なのだが、実際のところ3列目になった。
(ここのステージは異常に高く、1.5メートルはある。前から3列目までは絶対に座りたくない。
ステージを真下から見上げる形になり、首が痛くなるのみならず、音が頭上を通り抜ける感じ
で最悪。)
だから通常は、4列目からが視覚的・音響的に許容範囲ギリギリである。普通のホールでの
かぶりつき席がここでの5列目という感じなので、理想的な6列目ほぼ中央を確保するため
アボ発売開始と共に速攻で選んだ席なのだ。

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二つ目の嬉しいサプライズは、会場の飛び切りいい音響のせいもあり、2年前にロッテルダム
で鑑賞した『コジ』とは全く異なり、生き生きしたいかにもモーツァルトらしい楽しいオペラ
のコンサートになったことだ。
18世紀オケの演奏にはそつがなく、全体的に典雅ながら、控えめな色合いがところどころに
添えられ申し分ない。指揮のケネス・モンゴメリーは白髪のため高齢に見えるがなかなか闊達
な指揮で、手堅いオケからノーブルな音を引き出している。
しかし、なんといっても今回の『フィガロ』成功の鍵は、歌手陣の実力に負うところが大きい。

オランダ人バリトンのヘンク・ネーフェンは、DNOやモネには割とよく出ているが、今まで
脇役でしか聴いたことがなかった。それが、今回は伯爵役である。まだ若くどちらかというと
甘いルックスの彼だし、今回はフィガロ役なのだと思っていた。ところが、いつの間にか声に
もルックスにも渋さが加わり、黒の衣装が似合うシックでエレガントな立ち姿も相まって、
若きハンサムな伯爵の役どころにぴったいの堂々たる歌手に成長していたのだ。今まで密かに
彼を応援していた私としては、 万感胸に迫るものがあった。

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もう一人、成長が著しく感じられたのは、スザンナ役のベルギー人ソプラノ、イルゼ・エー
レンスだ。前回の『コジ』でのデスピーナも悪くはなかったが、エレガントさもあり可憐な
彼女の声とキャラがイマイチ役に合っていないという印象を持ったのだが、今回のスザンナ
は、うってつけ。彼女の清潔感漂うルックスもよく通る澄んだ声も、邪心がなく賢いスザンナ
の役にドンピシャはまる。また少し成長したら、彼女の伯爵夫人役も聴いてみたい。

伯爵夫人役は、寡聞にして今まで名前も知らなかった黒人歌手である。出だしはどうも声に
伸びもツヤもなくざらざらした歌唱だったのでちょっとがっかりしたのだが、彼女のレチの
ディクションの美しさには惚れ惚れした。しかし幕を追うごとにだんだんと喉も温まってきて
歌唱にベルベットのような張りが出てきてほっとしたのだが、他のソプラノと比べるとハス
キーな声なのでさほど私好みとはいえない。しかし、Dove sono i bei momenti にはさすが
にぐっときた。
スザンナと伯爵夫人とのデュエットになると、エーレンスの声の素直な伸びやかさと品のある
声がよく通るのと比べ、彼女はちょっと弱い印象だった。

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さて、今回のキャストにはロバータ・アレクサンダーがマルチェリーナ役でクレジットされて
いたのも個人的には楽しみであった。彼女を生で聴いたのは、もう、かれこれ20年近く前だ。
今年の夏前にロッテルダムのオペラ・デイに出演するはずだったがキャンセルしていたし、
後進の指導に専念しているようで生舞台にはずいぶん長いこと立っていないのではないだろう
か。(去年、デン・ボッスでの国際歌唱コンクールで見かけた。予選の審査員だったらしい。)
かわいいおばあちゃんという風情で、辺りをはらうような威厳と存在感があり、とうに盛りを
過ぎているが声にかわいらしさが残っているのが印象的だった。

二人の黒人ソプラノ歌手が舞台に立ち、また片方が伯爵夫人役となると、どうしても思い出す
人物がいる。先月のロンドン遠征で訪れたケンウッド・ハウスで彼女の肖像画を見て、あっと
叫んだ。彼女はダイドー・ベルという名で、黒人奴隷女性と白人貴族のハーフながら、18世紀
のイギリスで上流婦人として育てられ、ハムステッド・ヒースに残る貴族の館であるケンウッド
ハウスに住んでいたという。
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彼女の数奇な人生に関する本を読んでいる最中だから、丁度同じ時代に作曲された『フィガロ』
での伯爵夫人役が黒人歌手であることが偶然ではない符号のように思われ、二重に楽しめた。
(ダイドー・ベルの映画が夏頃公開されたのだが、迂闊にも見逃したのが悔やまれる。しかし、
本の内容の半分は、当時の奴隷貿易および解放運動に割かれている。)

モーツァルトの音楽を聴く楽しさは、有名なアリアや器楽演奏部分でもお馴染のメロディーが
満載で、しかも所属する合唱団のレパにもいくつか入っているのでついつい一緒に歌いだして
しまいたくなるような、サロン的親密感もある。
貴族の館を舞台にしたこのオペラは、ドアや木枠、植木鉢などを上手に配置し動かしたりしな
がら、適度な演技も交え、衣装もそれなりのセミ・ステージの演出がうるさくなく、音楽を損
ねることなく、今回は大成功だったと言える。(ケルビーノが逃げる場面では、たぶんそうする
だろうなと思った通り、高い舞台から飛び降りた。)

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若手歌手が多いおかげで舞台に華やかな躍動感があるのみならず、皆、実力派揃いであるため、
観客も余裕をもって楽しめたのだった。そしてもしかしたら『フィガロ』がダ・ポンテ三部作
の中で一番好きなオペラかもしれない、と思ったことだった。
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# by didoregina | 2015-10-17 00:23 | オペラ コンサート形式 | Comments(4)

ハーグの隠れた宝石箱 Galerij Prins Willem V

デン・ハーグのマウリッツハイス美術館は日本人にもお馴染だが、そこからほど遠からぬ
場所にひっそりと隠れた宝石箱のような小さな美術館があることは、あまり知られていない。
わたしも、実は今回ここでの展覧会に招待されるまではその存在を寡聞にして知らなかった。
マウリッツハイスの弟分というか分館のような美術館でウィレム5世のギャラリーという。

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Galerij Prins Willem V (ウィレム5世のギャラリー)の外観

マウリッツハイス美術館から、オランダの国会Het Binnenhofを通り抜け道路を渡った向かい
にあり、1774年にオラニエ公ウィレム5世が収集した美術品展示のために造ったギャラリーで、
美術品の公開目的という意味合いにおいてオランダで最初の美術館と言える。

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Binnenhof にあるオランダ国会議事堂 Ridderzaal (騎士の館)

この美術館の存在を知ったきっかけは、ここで10月1日から11月29日まで展示されている
ベラスケス作『ドン・ディエゴ・デ・アセードの肖像』のプレス・オープニング内覧会に
美術ブロガーとして招待されたからだ。
日本では展覧会開催前にブロガーを招待しての内覧会というのがしばしば行われるようだが、
マウリッツハイス美術館がSNSでブロガーを公募したのは初めての試みだそう。推薦制で
あったが自薦応募した。国内外のプレスや在オランダ・スペイン大使などの招待客に混じり、
3人のブロガーが招待された。私が選ばれたのは、多分に日本人ブロガーであるという理由が
大きいと思う。なにしろ、日本人のフェルメール好きという事実はマウリッツハイス美術館
関係者にはよく知られており、国別来館者数では日本人がダントツだし、日本でのフェルメ
メール関連展覧会の集客数は他を引き離す圧倒的なレベルである。

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ベラスケス作『ドン・ディエゴ・デ・アセードの肖像』(1638/40)とマウリッツハイス
美術館長エミリー・ゴーデンカー女史。

美術館としては非常に小さな建物の2階広間、いわゆるギャラリーがまさにギャラリーに
なっていて、その奥に特別展示されているのが、プラド美術館所蔵のベラスケス作『ドン・
ディエゴ・デ・アセードの肖像』だ。

この絵の前に立っての第一印象は、描かれた人物の頭に比して体のプロポーションの不可思
議さで、よくよく覗き込むと彼は小人であることがようやくわかる。
スペインの宮廷には当時、小人が沢山雇われていたことは、有名な『ラス・メニーナス』で
見てもわかるが、小人たちの職種といえば、道化というのがほとんどお約束だった。しかし、
このディエゴ・デ・アセードは分厚い本を開き、足元にはスタンプが置かれていることから
明らかなように、フェリポ4世の宮廷で公的文書に印を押すという重要な事務職を担っていた。
顔つきには小人らしさが見られないが、服装は小人のお約束である黒の織り出し格子。頭には
帽子を斜めに被り、事務職らしさが表されている。髭を蓄えた威厳のある顔つきには自信が
満ち、存在感も強い。
しっかりと自己を主張する顔つきを丁寧に描いているに対して、背景の山やテーブルの筆使い
はちょっとかすれたような雑さや、ささっとしたスピードが感じられ、静と動、黒と白、光と
影の対比がくっきりとして、躍動感すらある。
肩の周りを強調するような線や、背景の筆の汚れをぬぐった跡などが世紀を経て顕わになり、
見れば見るほど発見のある絵で飽きない。
じっくりと一枚の絵に付き合うという体験がここではできる。

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しかし、この美術館の神髄は何といってもギャラリー1室にぎっしりと展示された絵の数で
あろう。ネーデルランドの画家を中心に150点の作品が縦長の部屋の四方の壁にぎっしりと
ほとんど隙間なく天井まで展示されているのだ。

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窓の外、向いはオランダ国会。

この部屋に案内されてまず、口をあんぐりと開けて「うわあ」と思わず声を発したことを
美術館広報担当者や学芸員の方たち(少数の招待客と同じくらいの人数が配置されていて、
ほとんどマンツーマンのサービスで絵や美術館の説明をしてくれ、どんな質問にも応えて
くれるのが素晴らしい)に言うと、わが意を得たりと「その反応を期待してるんです」との
こと。いかにもバロックそのものという過剰さが売りとでもいうべき展示は、その当時の
ギャラリーを描いた絵などから見知ってはいたが、実際に150枚もの絵に取り囲まれた空
間に身を置いてみると、迫力は圧倒的だ。
その中にはルーベンスの絵もあり、やはり目を惹く。

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イケズそうな表情のこのお二方。

マウリッツハイス訪問したら、ぜひともこの小さな隠れた宝石箱のようなこの美術館も
続けて訪問して、新たな発見・体験をしてもらいたい。
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# by didoregina | 2015-10-02 22:16 | 美術 | Comments(2)

3 x Bach, 3 x Magnificat in Antwerp

ジョナサン・コーエン率いるArcangeloとソリストによる、バッハ父子3人3種の『マニ
フィカト』コンサート@アントワープのレポ。
3x17、3x Bach, 3x Magnificat @deSingel 2015年9月24日

Magnificat a 4 in C, E22 Johann Christian Bach
Magnificat in D, BWV243 Johann Sebastian Bach
Magnificat in D, Wq215 (H772) Carl Philipp Emanuel Bach

この組み合わせのコンサートはありそうでいてなかなかないので興味を持ち、目をつけていた。
バッハ・マニア向けかもしれない。とにかく、チケット発売日を心待ちにして最前列中央席を
ゲットした。

bass Thomas Bauer
tenor Thomas Walker
soprano Olivia Vermeulen , Joélle Harvey
countertenor Iestyn Davies
musical director Jonathan Cohen
music performance Koor & Orkest Arcangelo

演目以外にもソリストも気になる。贔屓歌手は言わずもがな、メゾ・ソプラノのオリヴィア・
ファームーレンちゃんは前々から一度生の声を聴いてみたい歌手だったのだ。

演奏順は、1760年ヨハン・クリスチャン・バッハ作曲、1733年ヨハン・ゼバスチャン作曲、
休憩後に1749年カール・フィリップ・エマヌエル作曲作品であった。

最初の曲は、3作品の中では一番時代的に新しく、またとても短い。1750年の父バッハの死を
一応バロック期終焉の年とするならば、それから10年後に作曲されたこの『マニフィカト』
には、すでにギャラントを経て古典派への移行が端的に感じられる。
特にわたしの耳を今回の演奏で欹てたのはソプラノ歌手ジョエル・ハーヴェイによる歌唱で、
微妙なうねりのようなヴィヴラートがかなり入っており、お、と思わされた。トランペットの
響きが最初から祝祭的なイメージを醸し出し、それに続くソプラノの声の明るい色あいかつ
いかにもギャラントという雰囲気のオペラチックな歌唱と相まって、バロックとは一味異なる
曲であることを否応なく示す。(そして、その後の大バッハでは、いかにもバッハらしい歌い
方で明瞭に対比を示していた。)
期待のオリヴィアちゃんのいかにもメゾらしいまろやかな声にも最初の一声から魅せられた。

あっという間に終わり序曲のような味わいの後に続く二曲目は、時代を遡って、大バッハ
作品だ。1723年に最初に作曲された最初の『マニフィカト』BWV243aを10年後に改訂
したBWV243が当夜の演奏曲である。
この曲は、なんとコンチェルト・コペンハーゲンにイエスティン君がソリストとして参加した
コンサートを6年前にエイントホーフェンで聴いている、ということを数年後に知ったという
いわくつき。その時のブログ記事を読み返すと、ソリストには印象に残る歌手がいなかったと
バッサリと切り捨てていて名前すら書いていない。それがイエスティン君の歌を生で聴いた
初めてのコンサートであったのに、知らないとはなんとも恐ろしや。というわけで、罪滅ぼし
の意味合いも込めて、今回改めてじっくり聴くつもりであった。
アルトのソリストが歌うのはたった3曲であるが、その中でソロで聴かせてくれるEsurientes
implevit bonisが白眉であろう。最初のソプラノ・アリアEt exsultavit spiritus meusと
呼応するかのような曲調のこの曲は、シンプルな木管の助奏と相まって、樹間から光差し込む
森の小路を小鳥のさえずりを道連れに歩くかのような清澄さと清々しい空気が感じられる。
思わず、大きく息を吸い込み、歌を胸いっぱいに取り込みたくなる。イエスティン君らしい
丁寧な発音で一言一言明瞭に説き聴かすかのように歌われると、その清浄効果は倍加する。

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休憩後は、また、時代が下り、長男カール・フィリップ・エマヌエル作曲の『マニフィカ
ト』。ダイナミックな華々しさ溢れるこの曲を最後に持ってくるのはプログラム構成上、
当然のことといえる。
しかし、なんとアルトが歌うのは2曲のみ。しかもそのうちイエスティン君が歌ったのは
ソロ1曲だけだから、彼君目当てで行くとかなりコスパが悪いかもしれないが、わたしには
オリヴィアちゃんという別の楽しみもあったのだ。Deposuit potentes de sedeは彼女と
テノール歌手とのデュエット。
オランダ人らしくすらりと長身で、今回はディーヴァ風なパープルの後ろにスリットが長く
入ったボディコン・ドレス姿の彼女は、聴衆の目も耳も逸らさない華がある。また、その
スタイルのよさから、ズボン役はさぞかし映えるだろうなと思わせる。声は、私の好みの
タイプのメゾで強いて言うならば、マレーナ様に近い感じ。若手で実力もルックスも兼ね
備えている彼女の今後には期待できる。ぜひオペラ舞台で見て・聴いてみたい。

この『マニフィカト』は、なんだかヘンデルのオラトリオを聴いているような気になる。
メロディーにもどこかところどころ聞き覚えのあるような、懐かしさがこみあげてくるので
あった。
ここでのアルト・ソロSuscepit Israel puerum suumは、私的にはこのコンサートのハイ
ライト。バスもテノールもソプラノも、ドラマチックで迫力ある歌唱を聞かせはくれたが、
切々と胸に響くのは耳になじんだイエスティン君の声だ。彼が歌うバッハをヘンデルのオペ
ラやオラトリオと同じかそれ以上に好きだと、改めて思った。
この3人のバッハによる3つの『マニフィカト』は、来月ロンドンとタトベリーでのコン
サートの後、CDレコーディングされるそうだ。合唱団もオケも、こうして何回かコンサート
を重ねて音楽が練られていくだろうからCD発売も楽しみだ。

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# by didoregina | 2015-09-29 19:35 | イエスティン・デイヴィス | Comments(4)

Bakkhai ベン・ウィショー主演の『バッコスの信女たち』

ロンドンのアルメイダ劇場でエウリピデス作、アン・カーソン版のBakkhai、即ち
『バッコスの信女たち』を鑑賞した。
c0188818_18275695.jpgBakkhai by Euripides @ Almeida Theatre
2015年9月15日

Bertie Carvel
Amiera Darwish
Aruhan Galieva
Eugenia Georgieva
Kaisa Hammarlund
Kevin Harvey
Helen Hobson
Hazel Holder
Melanie La Barrie
Elinor Lawless
Catherine May
Belinda Sykes
Ben Whishaw

Version Anne Carson
Direction James Macdonald
Design Antony McDonald
Composition Orlando Gough
Light Peter Mumford
Sound Paul Arditti
Choreography Jonathan Burrows
and Gillie Kleiman
Musical Direction
Lindy Tennent-Brown
Casting Anne McNulty CDG
Assistant Direction Jessica Edwards
Costume Supervision Ilona Karas

ロンドンの劇場でギリシア悲劇を鑑賞するのは、昨年11月のオールドヴィック座での
クリスティン・スコット=トマス主演の『エレクトラ』に次いで二度目だ。
今回のアルメイダ劇場は、劇場がひしめくウェストエンドからは離れたキングズクロス駅
北に位置しているのだが、その辺り、近年急速に開発が進んだようで、なかなかトレンディ
な繁華街になっているのに驚いた。
そして平日の公演であるが満席の盛況で、観客層はクラシックコンサートやオペラに比べ
非常に若いのも驚きである。ベン・ウィショー効果もあろうが、頼もしいことである。
(ロンドンの劇場での驚きはまだほかにもあって、コンサートホールや歌劇場と大きく異なる
のは写真撮影厳禁というのがかなり徹底していて、係員が目を光らせ、始まる前の舞台や客席
での撮影もカメラを取り出しただけで注意される。しかし、会場への飲み物持ち込みは当たり
前のようで、売店で売っているビールやソフトドリンク片手に皆さん観劇するのだ。)

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ベン・ウィショーは、イギリスの若手俳優の中では一番の贔屓で、表情での巧みな演技・
感情表現力が抜群で、ハリウッド映画に出るアメリカ人俳優などとは一線を画している。
英国の映画俳優には多いのだが、きちんと演劇学校で訓練を受けているから、映画出演の
かたわら舞台に立つのも安心して鑑賞できる実力を持つ。
彼がバッコス役を舞台で演じると知ったのは、開幕したばかりの7月下旬で、新聞評を
たまたま読み、これは!と急いで予約サイトに飛んだのだが、チケット購入しようと色々
記入しているうちにどんどん席が埋まっていき、希望の日時はなかなか取れないのだった。
彼の生舞台を一度見てみたいと長いこと思っていたので、贔屓のコンサートを振って、ベン・
ウィショーの方を選んだ。ギリシャ悲劇、しかもエウリピデスの『バッコスの信女たち』と
きては、バッコスの信女を自任している私としては見逃すわけにはいかない。

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さて、アン・カーソンによる新訳英語版のこの作品では、人間の姿で地上に降り立った
バッコス=ベンの朗々たるセリフ回しにまず安堵した。劇場は小規模で奥行きもあまりない
から大声で発声する必要はないが、聞き取りやすいゆったりとしたテンポというのがいかに
もギリシア悲劇の基礎を弁えていて、うれしくなった。現代的な衣装と現代英語であっても、
大時代的な発声・発音で古典の美しさを損ねない。
(素人芝居のギリシア悲劇を鑑賞すると、セリフがやたらと速くて、悲劇に浸れないことが
しばしばなのだ)

スリムでしなやかな体から発せられるとは思えないほど堂々とした声で、しかし、彼の得意
なある種狡そうな表情と、両性的なシナを作る所作とが、見事に現代のバッコスを体現して
いるのに思わず快哉を叫びたくなった。なるほど、こういうスーパースター的なバッコスに
女たちが我を忘れて熱狂するのは非常に納得できる。

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バッコスの信女たち、即ちギリシャ悲劇に欠かせないコロスたちだが、セリフの半分以上が
現代的に作曲された歌になっていて踊りもあるし、ちょっとミュージカル風演出で悪くない。
コロスの斉唱のようなセリフを聴くと、ああ、ギリシャ悲劇だなあ、という感慨をもつもの
だが、バッコスの信女たちである彼女らならば踊り歌うのが本領なのだから、ア・カペラで
歌わせるというのはギリシア劇の本来の姿に適ったものとも言える。

バッコスの信女たち=コロスは全員女性で、それ以外の登場人物は男優3人が演じ、入れ
替わり立ち代わりに衣装とメイクを変えて出てくる。その早変わりの妙。
ベンはバッコス、テーバイの盲目の老人、そして使者の役であった。それぞれ全く異なる
キャラクターであるため、声色も変えている。セクシーかつ狡賢く、人間を試すバッコス、
人間の老人そして若者それぞれの役柄を熱演したのだが、使者の役だけはおどおどと顔を
下に向け袖で顔を覆ったりしてセリフを言うので、聞き取りにくいのが残念であった。
しかし、彼の魅力の一つである、頼りなくイノセントで思わず抱きしめたくなるキャラは
ここに発揮されていた。

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新興宗教の教祖さながらのバッコスを捕らえるも、信女たちを取り締まるためには虎穴に入
らずんば虎児を得ずとバッコスからそそのかされ、女装して信女たちの狂騒の集いを覗きに
行ったテーバイの王ペンテウス(カドモスの孫でアガウエの子)だが、その母アガウエは狂乱
の果て真実を見る目を失い、わが子をライオンと思い込み狩りの獲物として仕留め八つ裂き
にして首を杖に刺して凱旋する幕が、悲劇の絶頂だ。
そのペンテウスとアガウエの両方の役を女装して演じる男優Bertie Carvelがなかなか上手い。
陶酔と覚醒そして悔悟が怒涛のように続けて押し寄せるさまを演じて圧巻。


中学二年の時『アンティゴネ』を舞台で見たのがギリシア悲劇との出会いで、それ以来、
蜷川幸雄演出『王女メディア』などの芝居や文学やオペラなど様々な形で身近にあるのだが、
こうして久しぶりに生舞台で役者によって演じられるのを鑑賞するのは、純粋に楽しい。
これからのロンドン遠征には観劇も加えようと決めたのだった。
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# by didoregina | 2015-09-23 19:58 | 演劇 | Comments(6)

佐藤俊介さんのロマン派・モダン・コンサート

2年前からオランダバッハ協会のコンサートマスターである佐藤俊介さんが、オランダ
南部丘陵地帯にあるウィッテムのヘラルドゥス修道院図書館で、ロマン派から20世紀の
レパートリーのコンサートを行うことを知ったのは、1か月前である。

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たまたま、私がコレクションしている画家の展覧会が同会場であって、そこで毎年9月に
開催されるKunstdagen Wittem(ウィッテム文化の日々)というコンサート・イヴェント
のブロシャーを貰ってきた。このコンサート・イヴェントでは数年前、エマ・カークビー・
リサイタルを聴いたことがある。今年の演目中、Shuann Chai & Shunske Satoによる
ロマン派プログラムというのに目を剥いた。佐藤さんがバロックとモダンの両刀使いとは
聞いていたが、モダン・プロでの彼の生演奏を聴く機会はオランダでは少ない。これは
聞き逃せないと、早速、チケットを予約した。
(余談だが、このコンサートの数日前に、同日同時に行われるユトレヒト古楽祭のファイ
ナル・コンサートのペア・チケットが今年も当選した。Gli Angeli Geneveによるタリス
のポリフォニーである。出演歌手メンツがはっきりしないが、もしやハナちゃんが出演
するのでは、と心が大いに動いたのだが、初心貫徹して、佐藤さんのコンサートを選び、
ユトレヒトには友人夫妻に代わりに行っていただいた。果たして、ハナちゃんが歌ったの
だった。。。。)

c0188818_18363110.jpgShuann Chai & Shunske Sato
@Kloosterbibliotheek Wittem
2015年9月6日

Johannes Brahms
4 Hungarian Dances (arr. J. Joachim)

Johannes Brahms
Sonata no.2 in A, op.100

[interval]

Frederic Chopin
Barcarolle in F-sharp minor, op.60

Henryk Winiawski
Polonaise brilliante no 2 in A, op.21

Maurice Ravel
Sonata in G for violin and piano


まず、コンサートの前に主催者が今回使用されるピアノについて説明。
ちょっと時代がかった荘重たる外見のこのスタインウェイ・コンサート・ピアノは、
なんと1873年にニューヨークで製造されたもので、アンティック・ピアノの現地コレク
ターが新しく修復したものという。会場であるウィッテムの修道院図書館も1880年建造
なので同時代インテリア的にぴったりと嵌まる。(まさか、それが理由でこのピアノを
選んだのではないだろうな。。。)
そしてまた、今回のプログラムにも時代的には合致する楽器である。(そういう凝った理由
であることを望むのだが。。。)

そして、出演者の簡単な紹介(コンサートに至るいきさつ)の後、ピアニストのショーンさん
(アメリカ人)が少々文法的に怪しいが愛嬌のあるオランダ語で演奏演目の説明をしてくれた。
2年前にショーンさんはここでフォルテ・ピアノのリサイタル(当然古楽)を行い、半年前
主催者に、興味深いレパートリーがあるから、パートナーのヴァイオリニストとコンサート
をしたいと売り込んだそうである。ヴァイオリニスト佐藤さんは、彼女のご主人なのである。
(二人とも外見は全くの東洋人だが、アメリカ育ち。)

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photo courtesy of Kunstdagen Wittem

まず、最初のブラームスのハンガリア舞曲(ホアヒム編曲版)から、佐藤さんは素晴らしい
冴えのある音色で聴衆の耳目を欹てた。
彼の演奏は、ヴァイオリンのソリストのステレオタイプ的なもの(自己中心的な立ち姿とか
大仰なジェスチャーとか、深刻ぶったり酔ったような表情になりがちで、ヴィブラートを
ビリビリ響かせたり、ヴィルチュオーゾらしさを下品なほど強調する)からは大きく外れて
いた。まず、服装も地味なグレーのごく普通のスーツであり、当日は眼鏡のせいもあって
なんだか新卒サラリーマンみたいなそっけない外見だが、彼の手元から流れてくる音楽は、
なんの衒いもない分ストレートに耳と心に届き、清冽。
大げさでないボーイングも指の運びも正確を期し、冷静かつ楽々と演奏しているように
目には写るが、重音やピッチカートなどが交差し次々と様々なテクニックが登場し、それを
いかにも軽々と弾き、そこから紡ぎだされる音色は緻密で目くるめくような多様性がある。
先日のコンサートでのバロック・リコーダー奏者テミングがど派手なアクションと超絶テク
ニックとで聴衆を魔法にかけたのとは丁度正反対のアプローチだが、結果的には、驚異的な
演奏で聴衆の度肝を抜いた点では同様。)
佐藤さんの全くケレンミのない演奏からは、大人の世界の穢れにまみれていないかのような
清潔感が漂い、それがいかにも古楽の人らしい安心感を与える。古楽オケのコンマスとして
身に付いた態度なのかどうかは不明だが、古楽っぽいストレートな演奏様式をロマン派レパ
ートリーにも適応して誠実な音作りなので、いかにもこの人の音楽には心を許せるという気
にさせるのである。

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photo courtesy of Kunstdagen Wittem


さて、休憩後は、まずショパンのピアノ・ソロ『バルカローレ』から。
比較的小規模な会場でのコンサートに相応しいインティメイトな選曲であるが、今日の
ピアノとの相性はいかに。
この1873年NY製スタインウェイは、重たそうな脚からも想像できるように、現代のスタ
インウェイとは全く音色も響きも異なるものであった。どちらかというとベーゼンドルファー
に近い重厚な感じの音で、鈴を転がすような音色の軽さが特徴のスタインウェイらしさが
全くない。
昔のエラールみたいな音色なのかもと期待したのだが、それとも異なり、だからショパンの
曲にはマッチしない。また、この木の内装の図書館の音響は悪くはないのだが、どうも情感に
乏しい演奏のためか、鈍重な音色のピアノそのもののためか、訴えかけてくるものがほとんど
なく印象に残らなかったのが残念だ。

ウィニヤスキーとくれば、ヴァイオリンのテクニック披露しまくりというイメージだが、
佐藤さんは相変わらず淡々と涼しい顔で軽々と、演奏している。さすがに、この後の拍手は
熱を帯びていた。
そして、最後はラヴェル。ジャジーなモダンな感覚が特徴のこの曲は、しかし、ラヴェル
らしい洒脱さも持ち味なのだが、いかんせん音色が重く切れ味のあまりよくないピアノの
せいか、四角四面になって遊びというか軽みが少々足りないのだけが物足りなかった。

しかし、今回、佐藤さんのモダン・ヴァイオリン演奏をこういう親密な雰囲気の会場で
聴くことができ、また佐藤さんが確固たる印象を聴衆に残したのはうれしかった。
(来月、オランダバッハ協会のコンサートで、彼はバッハのソナタを我がチャペルで演奏
してくれるので、今回のモダンとバロックとの聴き比べができるのがまた楽しみだ。)

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# by didoregina | 2015-09-08 20:18 | コンサート | Comments(6)

Orpheus Britannicus ドロテー・ミールズとシュテファン・テミングのコンサート@ユトレヒト古楽祭

今シーズンのコンサート始めは、ユトレヒト古楽祭のOrpheus Britannicusと銘打った
コンサートで、ソプラノのドロテー・ミールズとバロック・リコーダーのシュテファン・
テミングの共演であった。

c0188818_1845462.jpgDorothee Mields, Stefen Temmingh
@Geertekerk,
2015年9月3日

Anoniem
A tune in je mad lover (instrumental)

Henry Purcell (1659 - 1695)
'Tis women makes us love. A catch

Johan Christoph Pepush (1667 - 1752)
Corydon, Recittivo, Aria Vivace, Recitativo, Aria Allegro

Henry Purcell
A slow air by je late Mr. Purcell (instrumental)
The plaint: O let me weep (from The Fairy Queen)
Ye gentle spirits of the air (from The Fairy Queen)

Arcangelo Corelli (1653 - 1713)
Sonate no.10 in F "as played by Mr. Babell" (instrumental)
Preludio:Adagio, Allemanda:Allegro, Sarabanda:Largo, Giga:Allegro,
Gavotta:Allegro

Henry Purcell
Celia hath a Thousand charmes (from The Rival Sister)
Celia hath a Thousand chames by he late Mr. Purcell (instrumental)

Tradidional
John come kiss me now


ユトレヒト古楽祭のコンサート・チケットの人気演目は、一般発売時にはもういい席は
ほとんど残っていないというのが毎年通例である。おととしも去年も今年も、オープニ
ング・コンサートやラルッペッジャータのコンサートはそれで諦めた。
England, my Englandと題した今年は、大御所ヘンデル以外のイギリス古楽を縦横に
集めたちょっと捻りの効いたプログラミングで、中でもかなりレアで今回を逃したら今後
おそらく生で聴く機会はあるまいと思われるジョン・エクルズ作曲『セメレ』に絞ることに
した。平土間5列目というまあまあの席がなんとか取れた。
『セメレ』と同じ日のこのOrpheus Britannicusコンサートも、行こうかという気になっ
た時にはもう悲しくなるような席しか残っていなかったのだが、当日何気なくサイトを眺
めたら、5列目ほぼ中央の席が3つ並んで出てきている。天の啓示かと喜び、即ゲット。

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会場である教会のGeertekerkには、6月27日にユトレヒト室内音楽祭でのジャニーヌ・
ヤンセン他によるハイドン『十字架上の七つの言葉』コンサートを聴き行ったのだが、
2か月後に来てみると、夏休みに突貫工事を行ったと思しく、地下に新しいトイレが出来
ている。まだ漆喰は乾いていないし、階段も仮設だし、ペンキもこれから、という段階
だが、新しいトイレ個室が4つも完成しているのには驚いた。その機能性と清潔度も
ギリシャから戻ったばかりの私に感涙をもたらすに十分のすばらしさ。(冗談ではなく。
ギリシャのトイレの悲しさは、経験のある人にはわかってもらえるだろう)

今回のコンサートは、ドロテー・ミールズが目当てであったが、サイトやブロシャーを
見ると、バロック・リコーダーのテミングの写真が大きく、しかも「フランス・ブリュッ
ヘンの再来」とかの賞賛文字が躍る。
ふ~ん、という態度で、会場の多くの人たちも臨んだと思う。ブリュッヘンのお膝元の
オランダであるから眉唾にしくはないし、何しろ彼は今回がオランダデビューなのだから、
知名度は低い。

しかしである、チェンバロ、テオルボ、ソプラノ・リコーダーによる最初の器楽曲の
一小節を聴くや聴衆は膝を乗り出し、どちらかというとパパゲーノ的イメージ風貌の
テミングの派手なアクションの一挙一動に目を注ぎ、まるでハーメルンの笛吹男に踊らされ
そのあとに続く子供たちのようなたわいなさで、一曲目から彼の吹くリコーダーの音色の
マジックに乗せられてしまったのである。
千変万化の音色は、まるで魔笛。その魔力や凄まじく、唖然となったあと、こりゃすごい、
と我に返った。

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テミングがコンサートで使用した各種リコーダー。

それからミールズの歌との掛け合いになると、これがまた驚き。彼がリードする形で歌の
伴奏ではなく、助奏には違いないのだが、今まで私が抱いていたオブリガートの概念を全く
覆すような演奏なのだった。
歌に適した音域・音色のリコーダーをとっかえひっかえ選び使用しているため、非常に
人間の声に近いものとなり、まるで二人の歌手のデュエットを聴いているような感じを
覚えさせる。人間の歌声には多彩な色が付けられるのだが、それと対等の音色を彼は
リコーダーから引き出すのだった。
歌手の歌声と伍すリコーダーの競演とはなんとも楽しいものである。

そして、リコーダーが活躍のコレッリのソナタとなるともう超絶テクニックの連続技で
聴衆の度肝を抜き、またそれがいかにも軽々と演奏されているため、会場は拍手万雷。

ミールズ目当てで来た聴衆が多そうだが、皆なんとも愉快なリコーダーの魔術に罹って
大満足である。
そして、ミールズももちろん、清楚で可憐な歌声でイギリスの古楽歌曲らしい雰囲気を
盛り上げた。

丁度一か月前、ロンドンのグローブ座サム・ワナメイカー・プライハウスで、アナ・
プロハスカとアルカンジェロによるラクリマと題したイギリスとイタリアの古楽歌曲を
中心としたコンサート(パーセル、ダウランド、カヴァッリ、ストロッツィ、メルーラ)に
行ったのだが、今回のと聴き比べると、ソプラノ両者それぞれの個性が選曲にも歌唱
スタイルにも発揮されていたことがよくわかる。
プロハスカちゃんのは、メランコリックなイギリスものもイタリア・バロックの場合特に
その野趣性というか荒々しさを強調した、ちょっといがらっぽさをのあるような喉での
歌唱がよかったが、ミールズはそこまで汚れ役をしないタイプであろう、ふくよかで自制
心のある歌唱という印象。

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アンコールは『グリーン・スリーブス』で、ここでもリコーダーが大活躍。
(ちなにみ先月のプロハスカちゃんのアンコールは『スカボロ・フェア』で、蓮っ葉な感じ
の歌唱が彼女らしかった。)
『グリーン・スリーブス』は、ミールズの大人の女性らしい誠意を込めた丁寧な歌唱で、
リコーダーがそれに呼応しつれなき相手への思いをかき口説く。
この曲に合わせてミールズはグリーンのドレスを着ていたんだ、と今にして思う。
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# by didoregina | 2015-09-06 19:23 | コンサート | Comments(0)

Nico Muhly's "Sentences" reviewed

After the world premire at the Barbican 2 weeks ago, I attended the concert
again in Cologne to "review" Nico Muhrly's "Sentences".
One can hardly make a fair judgement of a new piece after listening to it only
once. I needed to ruminate and resume it before making the final verdict.

c0188818_18305597.jpg@ Kölner Philharmonie on 21 June 2015

Iestyn Davies Countertenor
Lawrence Power Viola
Britten Sinfonia
Nico Muhly Dirigent

Antonio Vivaldi
Stabat Mater f-Moll RV 621
für Alt und Streicher

Benjamin Britten
Lachrymae. Reflections on a song of John Dowland op. 48a (1976)
für Viola und Streicher

Igor Strawinsky
Concerto en Ré (1946)
für Streichorchester

Nico Muhly
Sentences (2015)


The concert programme at the Kölner Philharmonie was slightly different from
that at the Barbican: instead of Dowland's If my complaints could passions move,
it started with Vivaldi's Stabat Mater and ended before the interval with Stravinsky's Concerto.
I think this programme is a logical choice to make ultimate use of this particular
hall in Cologne, which is rather huge but the acoustics are marvellous, nearly the
most perfect for not only symphonic music but also vocal recitals.

From the very beginning of the note, Iestyn Davies' voice sounded smoother and
brighter than ever. He sang as if he was telling us the story of Holy Mother
convincingly with deep emotion but with some kind of coolness like an evangelist.
He must have been one of the eyewitnesses of the Crucifixion.

Britten's Lachrymae was chosen for the both concerts at the Barbican and in Cologne.
Although it has the subtitle "Reflections on a song of John Dowland", it went very
well without preceding Dowland's song. Lawrence Power was a powerful viola soloist
and together with the other strings it formed an excellent ensemble: graceful and
colourful performance.

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During the interval, Iestyn Davies came on the stage to prepare some equipment
for the next piece; he set and tested the microphone and the sound looping machine
carefully, but this time he seemed less nervous than 2 weeks ago.

Yes, I knew how the music of Sentences would sound and what it went about.
A sort of monologue opera about the life of Alan Turing, the father of computer,
who decoded the Enigma Code during the WW II. Earlier this year, I watched The Imitation Game, a suspense film based on historical facts and a fiction about him.
I enjoyed this very thrilling film and of course Cumberbatch was playing the role of Cumberbatchy person brilliantly.

Nico Muhrly's piece consists of 7 parts which all made out of kind of poems, narrated
by Turing telling his fragmented memories. The memories are such personal things
that they never tell the objective truth. The libretto by Adam Gopnik’s sounds to me
like a sad attempt to recall of visions lost in dreams and nightmares.
The music composed by Muhly, on the other hand, sounds easier to listen: no ugly dissonance nor unnecessary and irritating combination of chords, but clear-cut
lines.
Nico composed this piece for the voice type countertenor, especially for Iestyn.
That's so obvious that Nico knows the best part of Iestyn's voice range and how
it sounds most beautifully in some vowels. An ideal piece for Iestyn, and Iestyn
should be an ideal singer for Nico.

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It was a magical experience to hear this piece again in Cologe; it soudend like a
totally different one from that I had heard 2 weeks ago. Thanks to remarkable
acoustics of this hall, this time music was much more phenomenal.
The low string section sounded sublimely and the high notes of celesta played by
Nico himself sounded more crystal-like and sharp. Here in this hall every single
sound of instruments is as if almost visible and touchable.
This percetion and the resonance of estyn's voice aroused me blisfull feeling.
What a triumphant achieved by two boys, Nico and Iestyn!
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# by didoregina | 2015-06-23 20:33 | イエスティン・デイヴィス | Comments(0)

Woman in Gold

私にとって、この映画のキーワードは、ヘレン・ミレン、クリムト、ウィーン、ホロコースト、
ナチ、シェーンベルクである。

c0188818_18114644.jpgDirected by Simon Curtis
Produced by David M. Thompson Kris Thykier
Written by Alexi Kaye Campbell
Starring
Helen Mirren
Ryan Reynolds
Daniel Brühl
Katie Holmes
Tatiana Maslany
Max Irons
Charles Dance
Elizabeth McGovern
Jonathan Pryce
2015年 イギリス・USA

今年のベルリン映画祭に出品・上演されたこの映画の各紙・誌上での評はさんざんなもので
あった。二つ星からせいぜい三つ星止まり。予告編を見て、ヘレン・ミレンのわざとらしい
ドイツ語なまりの英語には笑えたが、ストーリー自体には興味を覚えた。しかし、本当に見に
行く価値があるのか、他の映画にしたほうがいいかな、と直前まで迷った。前日に、たまたま
家族が住んでいるのでウィーンにしょっちゅう行く知人が、市民大学でホロコースト講座を
聴講しているという話題になって、「それなら、この映画見なくちゃね。わたしは明日見に
行く予定だけど」と言うと、「もう見たよ。」とのことで、彼に背を押された形になった。

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実話に基づくこの映画の焦点は、今はニューヨークのNeue Galerieに常設展示されている
クリムトによるアデーレ・ブロッホ・バウワーの肖像画の法的に正当な保持権利者は誰かと
いう問題である。
ナチによって略奪された絵画の継承権の正当性を主張して、オーストリア当局やウィーンの
ベルデヴェーレ美術館と法廷で争うのが、アデーレの姪であるマリア・アルトマンという
ユダヤ人女性で、演じるのはヘレン・ミレン。50年以上前にナチ占領下のウィーンから辛くも
アメリカに逃れたこの女性は、当時のナチ支配下のウィーンでのアンチ・セミティズムを実
体験していることから、当時の思い出は心に封印してウィーンには戻りたくない気持ちと、
自分の身を救うために捨てざるを得なかった家族への愛と贖罪の気持ちという愛憎がないまぜ
になっている。
老け役だから皺だらけだが、ウィーン出身らしいエレガンスさをアメリカでの一人暮らしでも
失わず光のごとく放つマリアを演じるヘレン・ミレンは、ビッチぶりをひとかけらも見せずに
戦う女で、毎度ながらその巧さに唸らされる。

フラッシュバックで出てくる、華やかなウィーンでの豪奢な生活やパーティー場面が耽美的
である。過去のウィーンの場面にはレトロっぽく着色した絵葉書のような色を乗せている。
主人公が現在住むごちゃごちゃしたロス・アンジェルスとの対比で、それは一層鮮やかだ。

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マリアとペアを組むのは甥である駆け出しの弁護士で、彼は作曲家アルノルト・シェーン
ベルクの孫である。
肖像画の推定価格が驚異的な高額であることに目が眩んで、伯母の手助けしてみようという
気になったのだが、ウィーンで耳や目にするユダヤ人受難の話やホロコースト碑に刻まれて
いる先祖の名前を見て、彼の中のユダヤの血と正義感が目覚める。
そういう流れなので、ハリウッド映画的なスリリングな謎解きと法廷ドラマ仕立てになって、
正義は勝つ!という展開になっているのが、どうもヨーロッパの批評家たちには受けない要素
であると思える。しかし、結末を知らずに見たため予想外の展開が面白かったし、フラッシュ
バックで挿入されるウィーンからの脱出劇などにもハラハラさせられて、楽しめる映画である。

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現代のウィーンの風景が映し出され、クリムトの絵さながらの戦前の華やかな風俗が再現され
ているのだから、ウィーンの絵画や音楽好きには堪らない。

この映画を見たらウィーンに飛び立ちたくなる。
(しかし、ベルヴェデーレ美術館館長は悪役なのに、撮影場所は本物のベルヴェデーレ宮殿内
や庭であるように見受けられる。そうだとしたら、太っ腹である。)
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# by didoregina | 2015-06-18 19:17 | 映画 | Comments(0)

マレーナ様『セルセ』をヴェルサイユ宮殿劇場で鑑賞

憧れのヴェルサイユ宮殿劇場で、マレーナ・エルンマン主演のヘンデル『セルセ』の
千秋楽を鑑賞した。
更新を怠っていたこのブログであるが、この遠征は久しぶりに特筆に値する、というより、
ほとんど歴史的記録として残さねばならぬという使命感を煽るプロダクションなのだ。

c0188818_21264387.jpg@ Royal Opera of Versailles
2015年6月7日
Malena Ernman, Xerxès
Bengt Krantz, Elviro
David DQ Lee, Arsamene
Kerstin Avemo, Atalanta
Hanna Husahr, Romilda
Ivonne Fuchs, Amastre
Jakob Zethner, Ariodate
Lars Rudolfsson, direction

Sara Larsson Fryxell, choreography

Ensemble Matheus

Jean-Christophe Spinosi, conductor




このプロダクションは昨年9月から3か月近く、ストックホルムの特設劇場で、マレーナ様の
イニシアティブによって公的補助金に全く頼らず、30回以上もの回数をこなすことによって
チケット売上収益のみでの上演を行ったという点で、まず画期的である。
オペラというものはとにかく金食い虫であるから、通常、国立・公立の劇場ならば公の補助金、
企業および個人のスポンサー篤志によってそのコストの大部分が賄われている。
例えば、オランダの国立歌劇場であるDNOの場合、オペラ一晩の上演にかかる費用平均は、
チケット代金売上の4倍であるそうだ。つまり、例えば85ユーロの席のチケットであれば
実際には4倍の値段が必要な元手がかかっているのだが、公的補助金のおかげでチケット料金
は抑えられているのだ。
逆に言えば、各地の夏のオペラ・フェスティヴァルでのチケット料金が高いのも頷ける。公的
補助金の割合が低いためである。
それを、物価の高いストックホルムでありながらさほど高くない料金設定での上演に漕ぎ着
けることができたのは、地元スウェーデンでのマレーナ様人気と手腕のおかげである。お

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そのプロダクションが、ストックホルムとほとんど同じキャストで(アルサメーネ役のCTは
デヴィッド・ハンセンではなく、今回はデヴィッド・DQ・リー)ヴェルサイユで上演された。

しかも、ヴェルサイユ宮殿劇場は、歴史的なバロック劇場であるから、2重の意味で私は
興奮していた。ここでヘンデルのオペラを鑑賞することは私の夢の一つであったのだ。
しかしまた、実現してみれば、夢はまた幻想でもあったことがわかった。
この劇場は宮殿の中にあり、王のために作られ鑑賞するのも身内みたいな貴族ばかりだった
ろうから、非常に親密な雰囲気でこじんまりとしていて、びっくりするほど小さい。
バロックの劇場らしい姿を再現したロンドンのグローブ座の中にあるサム・ウォナマー・
プレイハウスのこじんまりした規模にも驚いたが、こちらはしかも古めかしさとある種の
安っぽさも漂っているのだった。それは、劇場の内装に如実に現れていて、椅子は升席の
ような木のベンチに布が貼ってあり、壁は一面大理石模様を描いた木張りなのだ。
当時の劇場って、そんなものだったのね。。。。
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さて、マレーナ様主演でスピノジ指揮による『セルセ』は4年前にウィーンで鑑賞している。
そのときもマレーナ様のはまり役だと思ったものだし、スピノジとはよく共演しているし
今回の『セルセ』はもう40回目になるほどだから、オケとも息がぴったりと合い危なげな
箇所などあろうはずもない。こちらもゆったりと鑑賞気分だった。

このプロダクションのとったコスト対策として、もうひとつ特記すべきなのは、合唱団を
採用していないことである。セルセの護衛としてコミカルかつアクロバティックな動作の
ダンサーが4人、舞台によく登場するのだが、彼らがまず合唱も担当。しかし、大がかりな
合唱の必要なシーンでは、なんとアンサンブル・マテウスのオケ団員たちが楽器を演奏しな
がら合唱も担当していたのには度肝を抜かれた。もちろん、指揮のスピノジも一緒になって
歌っていた。
なるほど、これはなかなか便利であるし、バロック・オケを雇う費用がないという理由で
バロック・オペラ上演をばっさりと切ってしまった某劇場もこれは真似てもいいのではない
だろうか。
小さな舞台上に合唱団が乗ると見た目がますます狭苦しくなることから、演出上、合唱団を
舞台に乗せないこともあるから、オケ団員に歌わせたら、費用対策上もよろしい。

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舞台の作りはシンプルで、波打ったような丘のような木の床に大道具としては木が一本立って
いるのみ。波打った床での演技は結構大変そうだが、視覚的に平面的でないという長所のみ
ならず、丘の上から、真ん中の低くなった丘の下からという具合に上手・下手がそれぞれ3通り
できるので、登場・退場の仕方に変化が出せる。

衣装は、コミカルさを強調したヴォードヴィル調というか煌びやかなウェスタン風の歌手
と『スター・トレック』もしくは『ブレード・ランナー』の登場人物を彷彿とさせる髪型・
メイク・衣装のダンサー4人組の対比も、遠めにもパッと見てわかりやすい。
歌手はいずれも大仰な表情と動作の演技なのだが、臭さがない。さすがのセンスと上演回数
を重ねた結果でもあろう。
特に演技も上手いなあ、と唸らされたのは、もちろんマレーナ様のほか、アルサメーネ役の
リー君とアタランタ役のケルスティン・アヴェモちゃんである。特に、アヴェモちゃんの
エキセントリックな表情と演技は堂に入ったもので素晴らしい。彼女は、嫌味や癖のない歌唱
で、アタランタ役としては今までの中で一番だ。
逆に、ロミルダ役とアマストレ役は、通常は得する役回りなのに、非常に舞台印象が薄いのは、
歌唱もごく普通レベルなのに加え、舞台プレゼンスに訴えるものが足りないせいだ。
舞台プレゼンスでは、マレーナ様と張り合えるほどだったのが、CTのリー君である。
彼はメゾに近い澄んだ美しく伸びのある声かつ声量もテクニックも余裕があり、押し出しの
強い、稀に見る逸材である。彼を生で聴くのは『スザンナ』でのダニエル役、『ポッペア』
でのオットーネ役以来3度目だが、どの役も自分のものにしていて、音程に不安定なところも
もちろんないし、アジリタもよく回って素晴らしい歌手だ。

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終演後、楽屋口で私服のリー君と。

マレーナ様は、千秋楽での疲れも感じさせず、最初の「オンブラ・マイ・フ」から出し惜しみ
なく、余裕のフル・パワーで歌ってくれた。
(後で、リー君に聞いたところによると、歌手の皆さんは全員、風邪をお互いに移しあって、
喉や体力のコンディションは万全ではなかったそうだが、それは客には気どらせなかった。)
バカ殿役をやらせたら、マレーナ様の右に出るものはいないであろう。ウィーンでのプロダク
ションよりも、思い通りに演技もできたのだろう、コミカル・パワーも炸裂していた。
後半にアクロバティックなテクニックを要求するアリアが続くのだが、フラメンコ風振付
と共に難なく歌っていた。

スピノジと言えば、私が見た舞台ではいつもヴァイオリンその他のソロ伴奏で歌手と掛け合う
場面がいつもあったのだが、今回もロミルダのアリアでは、ヴァイオリンを手に持ち丁々発止
の掛け合いで客席を沸かせた。


大団円の合唱をアンコールではサーヴィスしてくれ、長い長い上演の有終の美を飾る千秋楽と
なったのだった。

(おまけとして、出演者全員が私と同じホテルに偶然泊まっていた。しかも、マレーナ様は、
隣の部屋だった。3時からのマチネ公演のため、1時ごろ着物に着替えていた私の隣室から
マレーナ様の発声練習が聞こえてきて、ドキドキしたものだ。翌日の朝食では、スピノジと
おしゃべりができた。)
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# by didoregina | 2015-06-12 22:51 | オペラ実演 | Comments(4)

Ricercar Consort による初期バロック歌曲コンサート

わが合唱団の本拠地というか練習会場である16世紀のチャペルでのリチェルカール・
コンソートによる初期バロック歌曲中心のコンサートに行った。

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Ricercar Consort @ Cellebroederskapel, 10 April 2015
Philippe Pierlo (Director & Viola de Gamba)
Céline Scheen (Soprano)
Giovanna Pessi (Harp)

Diego Ortiz (1510 - 1570)
Recerdadas (basgamba & harp)

Luzzasco Luzzaschi (1545 - 1607)
Aura soave (soprano & harp)

Giovanni Giralamo Kapsberger (1580 - 1651)
Toccata ll arpeggiata (harp)

Stefano Landi (1587 - 1639)
Augellin (soprano & harp)

Giulio Caccini (1551 - 1618)
Torna, deh torna (soprano, basgamba & harp)

Bartolomeo Selma y Salaverde (1595 - 1638)
Susann passegiata (basgamba & harp)

Giulio Caccini (1551 - 1618)
Amarilli
Non ha il Chiel (soprano, basgamba & harp)

-pauze-

Giovanni Felice Sances (1600 - 1679)
Cantada a voce sola spra il Passacaglie (soprano, basgamba & harp)

Sonetto Passegiato: Fiume cháll onde
Arietta: Traditorella che credi (soprano, basgamba & harp)

Luigi Rossi (1597 - 1653)
Passacaille del Seigr. Luigi (harp)

Giovanni Felice Sances (1600 - 1679)
Fuggi pur tu
Sopra la Ciaccona (soprano, basgamba & harp)

-encore-
Claudio Monteverdi
Si Dolce e'l Tormento

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このチャペルには昨年1月から隔週一回合唱の練習で来ているが、ここでプロの古楽演奏家に
よるコンサートを聴くのはずいぶん久しぶりだ。
座席は自由席なので、教会でのコンサートの鉄則「とにかく前の方に座るべし」を守るため
早めに行き、二列目中央を確保した。
会場の入りは6割程度だろうか、寂しいものである。
しかし、演奏家の皆さんは、ご機嫌よろしくにこやか。
歌手のセリーヌ・シェーンのソロを生で聴くのは初めてだが、写真での印象と異なり、黒い
ロングドレスに金髪ロングのすらりとした実に私好みの北ヨーロッパ系の美人である。まるで
映画『ロード・オブ・ザ・リング』でのケイト・ブランシェットみたいでドキドキしてしまう。

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まずは、ガンバとハープによるオルティスの『リチェルカール』で腕慣らし、耳慣らし。
ピエルロのガンバは、気負いとか感情入れ込みなどには無縁の実にあっさりとした演奏で、
そこから流れだす音色は澄んでしかも何とも言われぬ深みがあり、実に洒落た味わいである。
豪快な波のようなうねりはなく、流れに体を任すと自然にたゆたう気分になり心地よい。

しかし、歌曲の最初の2曲では、こちらの耳が慣れないせいなのか、感情を込め過ぎるためか
ソプラノがどうも張り上げ気味に聞こえ、もう少し音量を絞ってもらいたいなあと思うことが
しばしばだった。
このチャペルはとても小さいし響きが良すぎるので、リハでその点を見極めるべきなのだ。

曲目が進むにしたがって、音量調節がうまくいったかような感じになり、休憩前に歌われた
カッチーニの3曲はシェーンの個性にもぴったり合い、満足であった。彼女の声は、教会系
ソプラノとは異なり中音域に独特の土臭さがあるためこういうバロック初期の歌にはとても
適しているのだが、私の好みからすると、そこをあまり押し出さないで抑えた方がもっと美
しく聞こえると思う。
歌う姿はラファエル前派の美女を彷彿とさせ、ハントやウォーターハウス描く『シャロット
の姫君』そっくりである。

↓は、シェーンの歌うカッチーニ Torna, deh torna


休憩後の最初の曲で、ピエルロさんが最初の曲の楽譜を探すのに手間取って、笑いを誘う。
これで会場の雰囲気もほころんだのと、曲目も明るい色調の民謡っぽいものが多くなり、
全体の空気が軽くなった感じだ。浮き立つとまではいかないが。

ハープというのは、特に古楽演奏では艶やかさがなくごつごつとした素朴さも相まって、
とても男性的な楽器だと思う。指ではじくという豪快さがあるため、弓を使う楽器の伸び
やかで流麗な優しさと聴き比べるとそれが顕著で、ガンバとハープとの組み合わせは互いを
補っていいものだなあ、と思わされる。

図らずも、マルコ・ビーズリーでおなじみの歌が多いプログラムであったが、シェーンの
声質にはモンテヴェルディがぴったりだから彼女の歌う『ポッペア』など聴いてみたいものだ
と、コンサート中ずっと思っていた。すると、それを察してくれたかのような絶妙さで、
アンコールは「クラウディオ・モンテヴェルディのシ・ドルチェ・エル・トルメント』と
ピエルロが言ったときには膝を打ち、思わず「やった」と声がでたほどだ。
↓の動画はビーズリーによる歌。

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# by didoregina | 2015-04-11 19:05 | コンサート | Comments(6)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


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プロフィール

名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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