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リセウでの『アグリッピーナ』に着物で  バルセロナ遠征記その5

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             バルセロナど真ん中のランブラス、そのまたど真ん中に建つリセウ歌劇場


世紀のオペラ・プロダクションを見るための遠征であるから、着物コーデは吟味に吟味を重ねた。
グルベ様リサイタル同様、『アグリッピーナ』鑑賞にも10代の時、お茶会用に誂えてもらった派手な
小紋で行くことにした。多分、手持ちの着物の中で一番華やかで若々しい色柄である。

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    慶長小袖風の柄行と色がゴージャスな歌劇場にはぴったり。
             

雑駁なランブラスからは想像もつかないくらい、リセウ歌劇場の中はエレガントでゴージャスな
雰囲気だから、いくらドレスアップしても浮きすぎるという心配はいらない。
着飾って来てくれてありがとうと、かえって、周りの人からも劇場からも感謝されるくらいである。


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                        フォアイエの天井


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             着物の地色が臙脂がかった赤や金なので、帯も格が合うように
             グリーンからパープルにグラデーションになって金粉も散らして
             ある綴りの袋帯。帯揚げと帯締めは紫。


劇場関係者や観劇に来ている人達にも予想以上に喜んでいただけたのは副産物であって、
主目的は、マレーナ様である。
着物を着て出待ちをしていれば、楽屋口から出てきたとたんに目につくので、向こうからすぐに
ハグしてくれるのだ。「また、会えてうれしいわ」と。

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              ゴージャス着物のわたしと、ランブラス仕様の格好のマレーナ様。
              すごくミスマッチだが、なんのその。「次はいつ会えるの?」と
              スターご本人から言われる至福!Cloud 9のわたし。


そのあと、ダニエルちゃんもやってきた。
彼女は、聞くところによると着物萌えタイプであるらしい。
とても愛想がよく、「どちらから?」とか「まあ、いつかウィーンにもいらしてたのね」とか、なかなか
離れない。
そこへ、ようやく最後にサラ様が楽屋口から登場。
しかし、なぜか立ち並ぶファンを避けるかのように、そそくさと夜の闇に消えて行きそうになった。
これは、まずい、とダニエルちゃんを振り切って、サラ様を追いかける。
ようやく後ろ姿に向かって、「素晴らしい舞台をありがとうございました」と声をかけることができ、
ちょっと振り向いてもらえた。ほとんど立ち止まらず、とてもお急ぎのご様子で、ツーショットなど
頼める雰囲気ではないのだった。

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                出待ち写真やツーショットは無理だったサラ様の
                アグリッピーナのカーテンコール写真。
                
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by didoregina | 2013-12-08 11:35 | 着物 | Comments(19)

バルセロナ遠征記その1 エディタ・グルベローヴァのリサイタル

3年越しの念願だったバルセロナ遠征から帰って来た。
主目的は、リセウ歌劇場でのヘンデル作曲のオペラ『アグリッピーナ』鑑賞だ。

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                        リセウ歌劇場

遠征とは言ってもヨーロッパ内であるから、飛行機に乗っている時間はせいぜい2時間くらい。
目的の演目を一回だけ鑑賞して1泊で帰って来るというのも可能である。
だが、出来る限りもう一つ別のコンサートやオペラはたまたバレエなどの鑑賞も組み込んで、
2泊はしたい。安い航空券を探したとはいえ往復100ユーロは下らないから、観光もしたい。
ありがたいことに、オペラの初日と2回目の公演との間に丁度お誂え向けの演目が見つかった。
エディタ・グルベローヴァのリサイタルである。

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リセウ歌劇場は、観光客と観光客の金目のものを鵜の目鷹の目で狙っているスリやかっぱらいや
観光客をカモにしようと虎視眈々のレストランやカフェで溢れる、雑駁なランブラスの真ん中あたりに
位置する。
一瞬たりとも気を抜いたら身ぐるみはがされそうな、生き馬の目を抜くようなランブラスから、歌劇場
の中に一歩足を踏み入れると、ゴージャスで洗練された別世界が広がる。文字通り、世間の俗塵
からは隔絶され眩いばかりの劇場は、天上の御殿に等しい。

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                     正面大階段前で。

遠征前、数週間前から、リセウには何を着て行こうかと悩んだ。
着物で行くことはお決まりであるが、劇場の豪華さはどの程度のもので、それに見合った格の着物と
コーディネートすなわちどれだけ派手にしたらいいのか、その匙加減に頭を悩ましたのである。
陽光溢れるスペインの豊かな都市、いやカタロニアの首都であるバルセロナの歌劇場という
ロケーションと、シーズン開幕演目および女王グルベ様のリサイタルに相応しい着物として選んだのは
お茶を習っていた10代の頃に初釜や特別なお茶会のために作ってもらった派手な小紋である。
35年以上前に多分1度か2度だけ袖を通したことのある着物であるが、手入れに抜かりはないから、
今でも十分着用可能である。
問題は、日本での常識である。つまり、50代の女性が10代の時の着物を着ることは、日本だったら、
世間が許してくれない。非難ごうごう、白眼視され、爪はじきの憂き目にあうことは必至であろう。

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     舞台上手寄り、横から見る位置のバルコン2階席に座った。

実際には、日本の常識は世界の非常識、という言葉があるがまさにその通りで、コンサートにご一緒
した現地のブログ友Aさんもびっくりするほど、派手な着物のおかげで歌劇場の大勢の観客から賞賛の
言葉やまなざし、そしてジェスチャーをいただいたのだ。つまり、選んだ着物は大正解だったのだ。

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        見知らぬ人からツーショット頼まれたり。。。


さて、肝心のグルベ様のリサイタル内容である。
前半のプログラムはシューベルトのリート。
これが、ちょっと痛かった。どうも、彼女のお年を召してもとてもキュートな容貌と声には、シューベルトの
悲壮で孤独の影の漂うキャラクターは相いれない。何を歌っても舌足らずな印象に聞こえるのだ。
そして、かなり危うい音程や、苦しい高音、艶が足りなくてパサついたような喉という、高齢の女性
であるからいたしかたない現在のグルベ様のコンディションが顕わになってしまう。
それを痛々しいと感じる人は、このコンサートには来ないのが望ましい。
その日の聴衆は心の暖かい人か往年の彼女を知るファンばかりのようで、登場した途端のブラーヴァ
から始まって、いつまでも鳴りやまぬ暖かい拍手その他に表される、熱狂の渦となったのだった。

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                      熱烈な拍手に笑顔で応えるグルベ様

前半は8曲だけで、30分もかからなかった。
後半のラフマニノフとリヒャルト・シュトラウスになってから、喉が温まったというか、潤いが少し出て
来たようだ。
いかにも正統的ドイツ・リートという端正でごまかしのききにくい曲目から、少しだけオペラチックな
ドラマ性で聴かせる曲に曲目が移ったということもいい方に作用したのだろう。歌唱から痛ましさは
減った。やはり、彼女はオペラ歌手なのだ。
そして、そのまま、第三部ともいうべき、熱狂のアンコールに突入するのだった。
これこそが、このリサイタルの白眉であった。すなわち、お得意のコロラチューラ・アリアを次から
次へと披露する。前半のシューベルトに比べて、アンコールは40分以上あった。5曲目くらいを聴き
終えてから、次の約束があるから出てきてしまったが、拍手とブラヴォーの掛け声は止まないのだった。

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                     アンコールは留まるところを知らない。

はがき大の様々な色のチラシのような紙ふぶきが天井桟敷から降ってくる。
舞台横に近いわたしの席にも5枚は降ってきた。それらは、グルベ様の写真をコピーしたもので、
熱烈なファンが降らせているのだろう。
また、反対側の舞台寄りの席には、大きな横断幕のような垂れ幕が。

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引退公演の趣であるコンサートのため、花束もどんどん舞台に投げられ、感極まったグルベ様は
またアンコール曲を歌う、という按配である。
女王の貫録というより、クィーンマザーのように愛らしい雰囲気で、ファンには笑顔で応えるのだ。
熱狂的ファンと歌手が作り出す親密な雰囲気に包まれた会場は、ほんわかとした空気が充満して
見知らぬ人同士も言葉ではなく、笑顔でお互いの満足感を示し合うのだった。
得難い体験ともいえるコンサートではあった。

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        カラフルなチラシ状の紙吹雪と花束で埋まった舞台。

外は酷い土砂降りで肌寒かったが、バルセロナの人たちの心優しさが胸に沁みる晩であった。
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by didoregina | 2013-11-21 22:01 | コンサート | Comments(20)

日本の色、オランダの秋色、スペインで映える色

バルセロナ遠征に向けて準備に余念がない。
すなわち、着物コーディネートのことである。

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       ヨットのカバーの上に散る黄葉した銀杏の葉。

テーマは「スペインの秋」。つまり、10代の頃に作ってもらってお茶会や初釜で着た、ド派手な
小紋を着てみよう、と決めたのだ。
外国遠征だし、同行者がいないから、気兼ねなく一人で好きなようにコーディネートできる。
宿泊場所は歌劇場に隣接しているから、繁華街の人目を気にすることもない。

などと、くどくどと弁解めいたことを書くのは、10代の着物を50代が着ることに、やはり
かなり引っかかる点があるのを承知しているからだ。

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                 葡萄棚の葡萄。今年のは、粒が大きく実った。

まず、10代の着物だから、八掛の色が橙色とか朱色である。なるべく裾が翻らないように歩こう。
一枚目は、白地に鮮やかなグリーンが基調の百花総柄小紋。
若向けの着物なので、花の色の中でも赤や朱色を襟元に持ってきて仕立てられている。
これが結構曲者である。
渋い色の帯で着物の派手さを緩和しようと思って、正倉院柄の明度の落ちるグリーンの渋めの
帯との組み合わせを考えた。着物の上に置いて平面で見ると一見パーフェクトなのだが、実際
着てみるとかなりイタイ。
帯が地味な分、かえって襟元の赤が目立つ。ほとんど許されないほど若作りに見える。
それで、帯もやっぱり派手な銀糸の入ったオレンジの菊柄を合わせると、バランスが取れるのだった。

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                    庭の紅葉も今が盛り。

このくらい赤い色でも、スペイン遠征だからよろしいのでは、と選んだもう一枚は、多分、手持ちの
着物の中では一番派手な慶長柄小紋である。
これには、思った通り、深緑から深い紫にグラデーションの金の砂子をまぶしたような綴帯を合わせて
問題なく落ち着く。
赤と言ってもこの着物の赤は日本的な臙脂に傾くので、歌劇場によくある赤の椅子やカーペットとは、
トーンが異なると思う。
また、だから、かえって赤の着物でも悪目立ちしないのではという、深謀遠慮も。

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鮮やかなグリーンから黄色へのグラデーションがきれいな銀杏。

なぜに、2日とも10代の着物にするのかというと、袖丈合わせの問題があるためだ。
若い時の着物の袖丈は長めに作ってある。それに合わせて誂えた長襦袢でないと、着物の袖の
振りから長襦袢の袖がぶらぶらと浮いて出てしまう。着物の袖丈よりも長襦袢の袖丈が短いのは、
非常にみっともないのだ。また、長襦袢の柄行も派手な着物に合うものであることが肝心だ。
それで、一枚の長襦袢に合わせられる着物2点を選んだのである。

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                   長襦袢に、秋草の刺繍入り半襟を付けた。


着物の色は、その日の天候や照明にも影響されるし、外光の下やホールに入ってみると、家で
コーディネートした時とは違って見える。
帯締めや帯揚げの色合わせによっても、全体の印象が異なってくる。
試行錯誤しつつ、とにかく着てみるのが楽しいのである。

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                すっかり葉が落ちて、実だけ残ったイチジクの木。
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by didoregina | 2013-11-14 10:37 | 着物 | Comments(6)

深まる秋には蔦葉模様の大島紬と縮緬の染帯

秋に入って、コンサート・シーズンたけなわというのに、そしてほぼ毎週コンサートには行っている
のに、着物を着る機会になかなか恵まれない。
なんと、9月中旬のロッテルダムでの『さまよえるオランダ人』で、Mさんとgさんと3人揃っての着物
姿でネゼ=セガンに突撃して以来、昨日が今シーズン二度目の着物でお出かけであった。

思い返せば、アムステルダムとロッテルダムの2都市のコンサートを一日で梯子するという日には、
その日の大半を電車やトラムで移動しなければならないので、着物は最初から諦めた。
また、コンセルトヘボウでの、友の会会員向けリハーサルというのもあったが、リハにまで着物で
行くわけにはいくまい。
そして、日本に飛ぶ前日の晩にも、万難を排して(アクシデントに見舞われたが、ぎりぎりまで諦め
なくてよかった、と強運を神に感謝したほどの)ロッテルダムでの18世紀オケによる『コジ・ファン・
トゥッテ』コンサート形式を鑑賞したのだが、もちろん着物どころではなかった。
しかし、日本でのクリスのリサイタルには着物で行くつもりで用意万端整えていた。ところが、またも
急用が入ってしまい、名古屋にはぎりぎり到着で、着物に着替える時間はなかった。コンサート開始
時間に間に合っただけでもよしとしなければ罰が当たる。

そして、先週末の金曜日には、丁度オーストラリアに行っているTの定期会員チケットが余っている
からと、Hから、地元オーケストラ(今シーズンより国による財政補助が減って合併を余儀なく
された地元オケLSOとブラバント・オケの新星オケによる最初の)コンサートに誘われた。自転車で
行く予定だったので着物は用意しなかった。
だが、日曜日のマルコ・ビーズリーのリサイタルには着物で行くつもりで、秋らしいコーデをじっくり
考えて準備していたのだが、なんと当日は大雨強風の天気予報。着物は避けるのが無難だろう。
ああ、残念無念。次に着物を着るのは11月中旬のバルセロナ遠征時か、と思っていたところ、昨晩
またもや、Hから、Tの分も買ってあったチケット発見の知らせが。モダン・ダンスのスカピーノ・バレエ
団の公演である。
マルコ・ビーズリーのリヴェンジのチャンス到来!
日曜日に準備したが着ることができなかった着物のコーデをそのまま流用して出かけた。

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         秋には必ず袖を通したくなる、蔦葉模様が縦に織り出された大島紬。


公演会場には、思ったよりも早く到着したので、開演前にお茶を飲むことにした。
普段行くコンサートとは異なり、若い人が目につくのがダンス公演のうれしさ。一階のカフェは熱気
むんむんで混み合っている。
相席にさせてもらった年配の女性が、「まあ、お着物が素敵ね。日本人?」と声をかけてきた。
着物を着てコンサートに行くと、見知らぬ人から褒められるというのは、オランダではよくあることだ。
だが、この人の場合、単に着物の美しさを褒めてくれたのではなく、彼女が日本へ行った時の思い出
話が続いた。
「1970年に初めて日本へ行ったのよ。万博の年でした。いえ、大阪だけでなく、3週間色々な
場所を回ったのよ。教育関連の視察旅行だったのでね、半分は学校などの仕事関係で、半分は
観光。その時、京都でだったかしら、生まれて初めて着物を着た女性を見たの。そのエレガントさ!
ヨーロッパ以外の外国への旅行は、それが初めてでしたし、何を見ても珍しくびっくりしたけど、
日本人の訓練の行き届いて全てがしっかり機能している社会に接して感嘆したものよ。新幹線や、
電車が時間通りに発着して、きちんとホームのドアの位置に停まるのにも。学校の生徒たちも折り目
正しくきちんとしていて。お店に入れば、下にも置かれないほど大事にされるし、包装の丁寧で美しい
こと!ヨーロッパの外でこんなに文化的にも社会的にも発展している国があることに驚きました。
本当にいい経験をさせていただいて、楽しく美しい思い出ばかり残っているのよ。」
という具合に、43年前の美しい日本の思い出を熱っぽく語るのだった。

1970年の大阪万博には、当時10歳だったわたしももちろん行った。そこで、初めて世界各国の
外国人を目にした。未知との遭遇に等しいものであった。
当時、日本は高度成長の頂点に達して、何の不安も見当たらず未来は明るく輝いて、日本は世界に
その繁栄を誇ることのできた時期である。ああ、過ぎ去った日本の美しい姿よ、いまいずこ。

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           渋い大島には、明るく甘めの珊瑚色のロウケツ染め縮緬帯を合わせた。
           帯揚げ以外は、すべて母の箪笥からだから、多分昭和のもの。
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by didoregina | 2013-11-02 20:40 | 着物 | Comments(2)

ブリテンの『ヴェニスに死す』@DNO

c0188818_207825.jpgDeath in Venice
Benjamin Britten (1913 - 1976)
gezelschap
ENO Chorus and Technical / Production team
muzikale leiding Edward Gardner
regie Deborah Warner
decor Tom Pye
kostuums Chloe Obolensky
licht Jean Kalman
choreografie Kim Brandstrup
video Finn Ross
een productie van English National Opera 2007
coproductie met De Munt/La Monnaie Brussel
orkest Rotterdams Philharmonisch Orkest


Gustav von Aschenbach John Graham-Hall
The Traveller / The Elderly Fop / The Old Gondolier / The Hotel Manager / The Hotel Barber / The Leader of the Players / The Voice of Dionysus Andrew Shore
The Voice of Apollo Tim Mead
The Polish Mother Laura Caldow
Tadzio, her son Sam Zaldivar
Her two daughters Mia Angelina Mather Xhuliana Shehu
Their governess Joyce Henderson
Jaschiu - Tadzio's friend Marcio Teixeira

2013年7月7日@Muziektheater Amsterdam

DNOの2012・2013年シーズン最後の演目は、ブリテンの『ヴェニスに死す』だった。
通常ならば、グランドオペラやヴェルディやワグナーなどの大作でシーズンの幕を下ろすの
だが、この静謐なオペラを最後に持ってきた。
というより、DNOプロダクションとしては、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が
最後の演目でこの『ヴェニスに死す』は、オーケストラ以外は、出演者はもちろん、指揮・
演出を始めとするプロダクションのテクニカルチームも完全にENOからの引っ越し公演だった。

そういうわけで、アムステルダム歌劇場の舞台の雰囲気は、完全にイギリス色に染まっていた。

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DNOサイトの写真は、ENOとモネ共同プロ初演のまま(主役はイアン・ボストリッジ)!あまりに手抜きだ。


作曲家がイギリス人でリブレットも英語だから、歌手はイギリス人で揃えるのが間違いがなく
てよろしい。指揮者も演出家ももちろんイギリス人である。

舞台デコールはシンプルで、ラグーンの遠浅の浜辺とオーガンジーのように風をはらむ透明な
カーテン、大道具はゴンドラ、船、ホテルやテラスの椅子などだけでスッキリとした空間が
美しい。
バックは、なかなか日の暮れない残照の浜辺や、ぎらぎらと残酷な太陽を表現する照明、
遠くに霞むヴェニスのシルエットなど、全体に淡くて透明感のある憂いに満ちている。
衣装も正統的ベル・エポックで、20世紀初頭の高級な避暑地の雰囲気そのもの。誰もが思い
浮かべる当時のヴェニスとリド島のイメージで、違和感を感じさせない。
舞台造形上、立体的な物はほとんど設置していないのに関わらず、平面的になっていない。
すなわち、ごちゃごちゃした大道具なしで、シンプルな装置が視覚的に奥行きを感じさせ、
観客のイマジネーションに訴えかけ、美的感覚を呼び起す、この舞台は大いに気に入った。
説明過剰で子ども扱いされているような気分になるような舞台とは正反対である。

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ブリテン作曲のこの音楽を聴いたのは、今回実演鑑賞した時が初めてなのだが、器楽にも歌
にもおやっと思うほど、ドビュッシーの音楽を思わせる箇所がとても多いのに驚いた。
作曲されたのが1973年というのが信じられないほど古めかしいというか、20世紀前半風の
響きに満ち溢れているのだ。
無調の歌や、ピアノの分散和音の響きや、ヴィヴラフォンの奏でる東洋的なペンタトニックの
旋律がドビュッシー(特にピアノ曲集『映像』と『版画』)に後期ウィーン楽派の音を混ぜた
ような具合で、初めて聴くのに懐かしささえ覚えたほどである。
物語の時代設定が20世紀初めなのだから、それで間違いはない。懐古趣味とも言えなくも
ないが、そこにぺダンチックな抒情性が感じられ、安心して聞いていられる。

とはいえ、歌手は3人のみで、特に主役フォン・アッシェンバッハはほぼ出ずっぱりでずっと
独唱(しかも無調)するのだから、歌う方はさぞかし大変だろう。主役歌手は、最後にはほと
んど絶唱という感じである。
歌手が3人というのと、東洋的な旋律、シンプルな舞台造形から、能を鑑賞しているような
気分にもなった。
かといって、シテ、ワキ、などの役割構成がそっくりそのまま『ヴェニスに死す』の登場人物
に当てはまるわけではないが、テノールのフォン・アッシェンバッハがシテ、複数の登場人物
を担当するバリトン歌手がワキ、カウンターテナーのアポロがツレ、タージオが子方と言え
ないこともないだろう。

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         ようやく夏らしくなった北のヴェニス、アムステルダムの運河は船で溢れる。
         歌劇場フォワイエ・ベランダからの眺め。

ゴンドラが能の作り物の舟のように使われているのが印象に残ったのだが、このゴンドラは、
ギリシャ神話に出てくる三途の川の渡し守カロンの漕ぐ舟に思えた。つまり、ヴェニスの運河の
水は現世とあの世を分かつ境界であり、その象徴性からフォン・アッシェンバッハの運命は最初
から明白だ。(タイトルからして死は暗示どころではないが)
その死の世界へ、スランプに陥った作家フォン・アッシェンバッハは、自らの意志でインスピ
レーションを求めて旅立つ。しかし、そのために蒸気船に乗り込むのが、私には少々腑に落ち
なかった。
というのは、最初彼が住んでいたのはミュンヘンで、そこからアルプスを越えて彼方の光溢れる
ヴェニスに行く、ということになっているから、地理上、船に乗る必要性はない。
しかし、ヴェニスには船で訪れることは、芸術家にとって美学上絶対にはずせないお約束だっ
たのだろう。どうやら、わざわざプーラから蒸気船に乗り込んでヴェニスに向かったようである。
アドリア海上から望むヴェニスこそ海の都の本来の姿であり、その姿を見るためには船で行く
ほかはない。

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さて、このオペラを実演鑑賞したかったのは、ウォーナー女史演出ということも大きかったが、
実はカウンターテナーのティム・ミード(アポロ役)の生の声を聴きたかったからだ。
数年前のモネ劇場ではボストリッジ博士が主役だった(チケット取れず無念)が、今回のテノ
ール歌手にはさほど期待していなかった。
しかし、ジョン・グレアム=ホールの役柄への没入はすさまじく、ほとんど鬼気迫るという感
じで、もうフォン・アッシェンバッハになりきっている。声も年齢や体格も役にふさわしい。
バリトンのアンドリュー・ショアも異なる役柄の歌い分けが上手くて唸らされたし、出番の少
ないCTティム・ミードも期待を裏切らない歌唱だった。というか、生の声が聴けただけで満足だ。
ミードの声は、いわゆる教会系というか、いかにもイギリス人CTの伝統を感じさせ、最近の若手
CTに付けたくなる形容詞、筋肉質だとかレーザー光線のようにシャープというのには当てはま
らない。
育ちのいい好青年というったルックスがいいし演技もなかなかだから、またオペラ舞台で見て
みたい。

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ルックスといえば、この作品では美少年タージオ役も重要である。歌はないからダンサーが
務める。
躍動感あふれる振付で、いかにも太陽神に好かれそうな少年タージオの存在が強調されていた。
すなわち、美と若さと生命そして無垢の象徴である。心を病んで、年を取り、外見的には美しい
とは言えないフォン・アッシェンバッハとは正反対の存在であり、それだからこそ彼が魅かれ
るのだ。
タージオを始めとする少年たちは、いかにもイギリス風訓練の行きとどいて均整の取れた踊り
を披露してくれた。彼らが踊ると、さわやかな涼風が吹き抜ける。それが、フォン・アッシェ
ンバッハがタージオに抱くプラトニックな恋愛感情を象徴していて、舞台および作品のストー
リー全体との統一感が壊されず好ましかった。


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              ワンピースのベルト代わりに、帯締め二本を結んだ。
              オペラ・ピンクの丸組と天使の肌と呼ばれる薄い珊瑚色の
              平組で、和のテイストを入れてみた。

アムステルダムのDNOへは通常電車で日帰り遠征するので、着物で行ったことはない。
当日も、保線工事プラス事故で大回り迂回乗換3回となり、片道4時間かかった。
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by didoregina | 2013-07-11 15:43 | オペラ実演 | Comments(6)

『ベアトリスとベネディクト』@アン・デア・ウィーン劇場

マレーナ様はすでにバーデン・バーデンでの『ドン・ジョヴァンニ』リハーサルに余念が
ない現在、ウィーンの『ベアトリスとベネディクト』レポなど、ほとんど今更の感があるが、
備忘録として一応残しておこう。
実演鑑賞したのは既に1週間半も前のことである。記憶はかなり薄れてしまっている。
記憶に残りにくいというのは、『ベアトリスとベネディクト』がオペラ作品としてかなり
特殊な部類に属するものであるということも大きな理由だと思う。

c0188818_533637.jpgBéatrice et Bénédict
Opéra-comique in zwei Akten (1862)
Musik und Libretto von Hector Berlioz
Nach der Komödie "Much ado about nothing" von William Shakespeare

Musikalische Leitung Leo Hussain
Inszenierung Kasper Holten
Bühne Es Devlin
Kostüme Moritz Junge
Licht Bruno Poet

Béatrice Malena Ernman
Bénédict Bernard Richter
Claudio Nikolay Borchev
Héro Christiane Karg
Ursule Ann-Beth Solvang
Somarone Miklós Sebestyén
Léonato Thomas Engel
Don Pedro Martin Snell
Une femme Madeline Ménager-Lefebvre
Orchester ORF Radio-Symphonieorchester Wien
Chor Arnold Schoenberg Chor (Ltg. Erwin Ortner)

2013年4月24日@アン・デア・ウィーン劇場

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ベルリオーズ作曲のこのオペラの予習としてCDを繰り返し聴いたのだが、ほとんど頭に
残らない。通常、仕事しながらとか家事をしながらのながら聴きでも、耳にたこが出来る
くらい聴いてるうちに序曲とか主要アリアとかのメロディーはいやでも耳に残り、追い
払っても頭の中を巡るものである。
しかし、このオペラは通して聴きにくいのだった。仕事とこの曲の両立は無理だった。
なぜかというと、各場面ごとに物語の説明のような語りの部分が入るからで、その語りの
部分は音楽とは切り離されていて器楽演奏もなくなるのだ。そしてそれがまた、聴くものを
イライラさせるような朗読調のフランス語で前後の音楽と全く相容れない。まるでTV番組
の途中に入るCMみたいな違和感があり、パブロフの犬的反応でトイレに行きたくなったり、
思わず別の局(曲)にリモコンを合わせたくなる。かなりうざったく、不快にさせるので
あった。

実演の方は、その点まだマシだった。ト書きみたいな台詞の朗読ではなく、舞台上で歌手が
台詞をしゃべるし、しかもかなり演技の上手い歌手ばかりだから思わず席を立ちたくなる
ことはない。しかし、音楽が途切れてしまうのはCDと同様だ。レチタティーヴォのように
音楽の一部というか続きのような風にはいかない。オペレッタ風と言えようが、台詞の部分が
かなり多くオペラというより芝居に近い。

歌手としては、こういう作品を歌い・演じるのはいかがなものだろうか。思うに、しゃべる
のと歌うのとでは相当喉の使い方が異なるから、台詞と歌唱とをスムーズに往復しつつ落差を
感じさせないというのは大変なことだ。喉への負担はいかがなものだろうか。そういう心配を
させるような作品なので聴く方も音楽にのめりこみにくい。また、音楽自体もぶちぶちと
途切れてしまうのだ。

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カスパー・ホルテンは、このオペラらしくないオペラを、割りとオーソドックスに芝居また
はオペレッタ風に演出した。それらしくかなりベタなオーヴァー・アクション満載である。
舞台の造りは、背景が半円状の劇場客席のようになっていて、中央に回り舞台。その中心に
回り舞台を半分に分割するミラー状の壁というか襖のようなものがあって、場面によって
高さが変わる。
それが、男女を分かつ壁になったり、テニスのネットになったりする。
舞台上の客席に上る階段とそして沢山の椅子。セットも機構の使い方も、アン・デア・
ウィーン劇場のこれまでのプロダクションで見たことがあるようなものばかりだ。う~む、
かなり予算をけちったのか。

ストーリー自体がたわいのないコメディなので、ストレートな演出だと、つける演技もオー
ヴァーになるのもやむを得まい。そういうコメディエンヌ的オーヴァー・アクションは、
マレーナ様の得意とする
ものではあり、演技はべらぼうに上手いのだが、どうも喜劇専門のワン・パターンに陥って
いるような気もする。ファンとしては、オペラ・セリアで深刻そうな表情のマレーナ様を久
しぶりに見たい。

前半はとにかく歌が少ないのが残念で、またオックス男爵みたいなキャラのソマローネが
ドイツ語の台詞をしゃべったりする場面が長くて退屈だった。ベアトリスとベネディクトの
テニスのシーンなどは見ていて楽しいのだが。
後半になって、待ちに待ったアリアやデュエットを続々聴くことが出来、前半のだれた雰囲
気から一気に舞台も締まった。歌が相対的に少ないオペラだから、マレーナ様は喉をセーブ
する必要がなく、演技しながら歌うシーンも最初から最後までパワフルだった。
しかし、ここぞと自慢の喉を披露できるソプラノは得である。特に贔屓でもないがクリス
ティアーネ・カルグは声を出し惜しみせず盛り上げたので、カーテン・コールでも一番拍手を
貰っていた。嫌味のない歌唱と声の持ち主なのだが、どこか意地悪そうで老けて見えるルック
スが好みではない。
ベネディクト役のベルナルド・リヒターは、背丈もルックス的にもマレーナ様とは美男美女の
組み合わせでヴィジュアル面では文句ない。歌はあまり印象に残っていないが、問題もない。

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         すらりと長身のマレーナ様は、また少し痩せたような気がする。

今回のオペラ鑑賞には、義母と義妹も同行した。前半は台詞が多いのに閉口していた二人だが、
後半の歌には堪能できたようだ。そして、コメディエンヌのマレーナ様には感嘆していた。
だから、終演後には二人も楽屋口での出待ちに誘った。
さほど待つこともなくマレーナ様が出てきた。平日ということもあり、出待ちしていたのは
私達三人の他は、スウェーデンから来た初老の女性2人組だけである。丁度、私達の前の座席
に座っていた。
外に出てきたマレーナ様に声をかけると、向こうからハグ。これで何度目?という回数の
おっかけと出待ちだから、御覚えめでたいのも当然。
マレーナ様は、翌早朝バーデン・バーデンへ飛んでリハーサル、そして翌々日にはまた
ウィーンに戻り舞台出演という忙しさだと言う。
義母と義妹もマレーナ様に紹介。翌朝早いから、皆でわいわいどこかに繰り出すというわけ
にもいかない。またハグして、次回はバルセロナでの再会を期して別れた。

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            桜の花びらの散る小紋に砂子で金を撒いた袋帯。
            花びらに合わせて、白地に桜の花びらの模様の
            帯揚げと白に近い象牙色の帯締め。草履も白。
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by didoregina | 2013-05-06 00:11 | オペラ実演 | Comments(6)

クリスのフォルテピアノ・リサイタル

チェンバロ・リサイタルから約一ヶ月後、今度はクリスのフォルテピアノ演奏会に行った。
場所は、ベルギーのハッセルト・カルチャー・センターのコンサート・ホールである。
曲目は、オール・モーツアルト。
ホールのサイトとレコード会社サイトのクリスのスケジュールの発表とでは、その日の曲目は全く
異なっていたので、一体どちらが正しいのか当日までわからない。どきどき。
いずれにせよ、モーツアルトのピアノ・ソナタを中心にした構成だ。
マーストリヒトの聖ヤン教会でのリサイタルにも来ていた友人のTとHを誘った。

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Kristian Bezuidenhout 2013年4月7日@Concertzaal CCHA

Mozart
Sonate in Es grote terts, KV 282
Adagio
Menuetto
Allegro

Praludium (Fantasie) und Fuge C-Dur KV 383a

Sonate in F grote terts, KV 332
Allegro
Adagio
Allegro assai

pauze

12 Variations in Ed grote terts, KV 354 Je Suis Lindor Theme
Allegretto
Variation I t.e.m. Variation XII
Allegretto

Sonate in c kleine terts, KV 457
Molto allegro
Adagio
Allegro assai


楽器は、エドウィン・ブウンク氏所有の1800年ローゼンベルガーだ。(今回はプログラム・ブック
に明記してある!)
2年前に2回聴いたクリスのモーツアルト演奏も同じ楽器だった。(そのときは、どこにも書いて
なかったので本人に直接訊いて確かめた)
ハッセルトで聴いた1回目のときの印象は、特に前半はこちらの耳が楽器に慣れないせいか、
音に硬さというか冷たさがあるようで耳にしっくり来ない感じだったのだが、今回はどうだろうか。

最初のソナタから、クリスの演奏はロマンチシズム溢れ、きらびやかさのある音が紡ぎ出されて
ゴージャスである。
耳に違和感を感じたのはほんの数秒だけで、前回とは打って変わって柔らかく温かみのある音が
心地よく響いてくる。楽器もよく鳴っている。
前回同様やはり最前列に座ったのだが、今回は舞台に向かって右寄り、フォルテピアノの蓋の正面
の位置であるので、デリケートな楽器の響きが直接届く。ステージの奥行きを二分する真ん中辺りに
設置された大掛かりな木製パネルの反響板のおかげで、とても好ましい音響だ。
このパネルは、前回にはなかったのだろうか。(2年前に撮ったステージの写真で確かめると、
全く同じパネルが設置されている)
このホールのステージは、膝ほどの高さで異常に低い。だから、平土間かぶりつき席に座っても、
音が頭上を通りすぎる感じにはならない。(それは、前回も同様のはず)

なぜ、このようにしつこく2年前と比べるのかというと、ソナタのうち一曲は、前回と同じなのに、
印象がまるで違っているからだ。
同じ楽器、同じ奏者、同じホール、同じ曲なのに、2年の歳月を間に挟んで、演奏がここまで
進化したのか、それとも、楽器がよく弾きこまれているのか、とにかく驚くばかり。
先月はチェンバロの音色のパレットのヴァリエーションに驚いたのだが、今回はじっくりと心に沁みる
とか癒されるとかいうのとは別の次元の、心が天空に飛翔するかのような快感を覚えるのだった。
長調の曲目が主なせいだろうか、降り注ぐ清冽な空気を胸いっぱいに吸い込んむような気持ちよさ
を演奏を聴きながらずっと味わった。

しかし、これはもしかしたら、クリスの演奏が異常に進化したせいではないだろうか。
軽々と飄々と、しかし手堅い演奏なのだが、全身がリラックスしているような自然な動きで、ちまちま
したところが全くなく音楽の懐がとても広くなっている。
顔芸にも苦悩のポーズとかシリアスを装う必要がなくなったようだ。
モーツアルトと一体化したような天真爛漫さで、自然に気持ちのいい音を作り出している。

曲目が進むにつれて、テンポも速まりドラマ性も増し、まさに疾風怒濤の趣である。
同行のHは、こういう速いテンポのモーツアルトはありか、とびっくりしていたので、ブリュッヘンの
モーツアルトだって疾風怒涛なんだからこれは古楽演奏の王道だよ、とわたしは応えたのだが。

爽快かつダイナミックなクリスの演奏で、一陣の風のごとく心の塵を吹き飛ばしてくれ、身も
天の高みにまで舞い上がるかのような気分の午後だった。

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コンサート後、ロビーに飾られたアートをじっくり見て回り出口に向かうと、楽屋からクリスが出てくるの
にぶち当たった。(ここのホールの楽屋口は一般出入り口の手前にあるので、以前、楽屋のドアを
開けて出てきたダミアン・ギヨンとぶつかりそうになったことがある)
チャンスを逃さず、クリスに近づいて握手。そしておしゃべり。
なによりも、2年前、震災後2ヶ月も経ずに日本公演を行ってくれたことに感謝の意を表したかったの
である。
今日はこのままロンドンに帰るのかとか、耳に絆創膏を張ってるのが舞台でも見えたのでそのことを
訊ねたり、反響パネルは2年前もあったかしらとか、日本では(というかわたしのブログでは)古楽界の
貴公子と呼ばれていることなど、なんだか延々と井戸端会議っぽく親しく会話していたので、同行の
TとHからは「以前からの知り合いみたい」とびっくりされた。
そうではなくて、折り目正しくて育ちのよさを感じさせるクリスには話しかけやすいし、ファンの話に
誠心誠意応えるという態度をとるのである。彼のしゃべり方には、ほとんどやんごとない雰囲気さえ
漂う。
しかし、「古楽界の貴公子」にはとてもウケて、高々と笑っていたのは喜んでる証拠だと思う。
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by didoregina | 2013-04-09 22:08 | コンサート | Comments(6)

内田光子さんのリサイタルに着物で

内田光子さんがオランダでいつもコンサートを行うのは、アムステルダムのコンセルトヘボウと
エイントホーフェンのフィリップス・ミュージックヘボウ(ミュージックセントルム)のみだと思う。
前者の場合は誰にも合点がいくだろうが、なぜ後者にも毎年来てくれるのか?
多分、昔からのフィリップス・レーベル繋がりではないかと思われる。

今回のプログラムは以下のとおりだった。

Mitsuko Uchida @Muziekgebouw Frits Philips Eindhoven 2013年2月13日

平均律クラヴィーア曲集第二巻より
Bach - Prelude and Fugue No1, BWV 870
Bach - Prelude and Fugue No14, BWV 883

Schoenberg - Sechs kleine Klavierstücke opus 19

Schumann - Waldszenen

(休憩)

Schumann - Sonate nr 2

Schumann - Gesänge der Frühe


当初のプログラムは、ベートーヴェンの『ディアベッリ変奏曲』とシューベルトのソナタの予定
だったのが変更された。
『ディアベッリ』は、特に聴きたい曲ではないが、内田さんの弾くシューベルトは魅力的だ。
対するに、バッハとシェーンベルクはぜひとも聴きたいが、シューマンはさほど好みではない。
というわけで、曲目変更されても、感情的には差し引きゼロの勘定である。

今回のコンサートには行こうかどうしようか迷っていた。というのは、その週には寒波が来る見込み
との予報だったからで、夜更けに1人で1時間も高速を飛ばすのはなんだかいやだなあ、と尻込み
していたのだ。あまりに荒天になった場合、市内の義妹の家に泊めてもらうという手もあるのだが、
その週はカーニヴァル休みのため家族揃ってスイスにスキーに行っていて留守だ。

そこへ助っ人登場。同行者が三人現れ、しかもわたしは車を運転する必要なし。
その3人とは来週のクリスによるバッハのチャンバロ・リサイタルに同行する人たちで、内田さんの
プログラムにもバッハの『プレリュードとフーガ』が加わったため、チェンバロとピアノとで聞き比べ
ようという訳だ。

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            母が結んだ糸で織ってもらった帯。

内田さんは、動きやすそうな黒のジャンプ・スーツみたいなのをお召しで、金色の幅広サッシュを
腰に巻いて左側でリボン結びにしている。ジャンプ・スーツは三宅一生か山本耀司のデザインの
ような感じで、機能的かつ内田さんのスレンダーな体型にマッチしている。金色のサッシュをしている
ところがいかにも彼女らしい。

バッハをモダン・ピアノの生演奏で聴くのは、本当に久しぶりだ。
内田さんによるバッハ演奏は、ペダルも多用したレガートで、しかもかなりの弱音から始まって、
強弱の付け方もモダン・ピアノらしい音作りである。
すなわち、消え入りそうに儚いタッチで揺らしつつ弾かれる前奏曲と、ごつごつしたところがなく
滑らかに流麗に弾かれる3声のフーガとの対比もロマン派風アプローチなのである。
バッハをピアノで弾くからといって、ノン・ペダルでいかにもぽつぽつしたチェンバロっぽい音を出そうと
する必要はないし、生真面目一本やりみたいな弾き方ではなく、洒落っ気があって耳に心地よい。

シェーンベルクの演奏前に、一旦席を立って内田さんは楽屋に戻った。それが結構長い時間席を
外していたので会場がざわざわとなって、また内田さんが戻ってきてもなかなかしーんとはならない
のだった。これは困る。シェーンベルクの曲はとても短いが、弾く方も聴くほうも集中力を要する
真剣勝負の趣であるのだ。
隣のおばあちゃんはバッハが始まったら爆睡していたし、短い曲間や弱音になると傍若無人に咳を
する人が多くて非常に耳障りである。音が大きくなるのにタイミングを合わせて咳もすべきである。
そのくらいの覚悟がなかったら、家で寝るなりコンサートはお休みしてもらいたいものだ。
シェーンベルクもウィーンの人であるから、内田さんのレパートリーには適っている。奇をてらわず
全くエキセントリックにならずにロマンチックに聴こえる演奏だった。

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            内田さんのイメージで選んだ着物は結城紬。
            真綿紬なのでほっこりと暖かく、冬にぴったり。
            鶯色の地にグリーンの細かい格子と横縞。
            母が手で結んだ糸を横糸にして織ってもらった帯。      
            光沢のあるオレンジの地にクリーム色系のグラデーションの
            パステル・カラーの結び糸が、ひげのように出ている。
            帯揚は、紺にクリーム色の菊模様。
            帯締は、クリーム色のごろっとした変わり組。
            (多分、叔母が組んでくれたもの)


わたしはシューマンのピアノ曲にはあまりそそられない。つまり、弾いてみたいと思わせる曲が
少ない。
前半最後の『森の情景』は、ピアノ師匠Pのレパートリーでもあるのでまだ聴く機会があるが、
ピアノ・ソナタ第二番なんて、その晩聴くのが初めてであった。

『森の情景』には『子供の情景』のような無邪気な面が少なくて大人っぽく、複雑さと奥深さも
秘めつつ、鳥のささやきや狩の馬や犬の駆ける様子などがリアルな情景として目に浮かんでくる。
内田さんのデリケートな演奏でしっかり聴くと、その複雑さがミクロコスモスのように有機的に絡まって、
森の樹間から湧いてくる霧のように神秘的に響き、いい曲だなあと思わせる。

最後の『暁の歌』では、情景としての叙情性が少なくなり、怪奇な暗さが増している。ロマンチシズム
の真骨頂ともいえる彩りの所々に耳を引掻くような不安感を募らせる音が混じる。しかも、ベートーヴェン
のように昇華するところがなく、閉塞感のある曲である。
この小さな不安を煽るような曲も、内田さんは繊細に魂を込めるかのように弾き聞かせてくれた。

アンコールは、モーツアルトのソナタの一部。(特定できなかった)
前半は爆睡していた隣のおばあちゃんも、休憩中にスイッチが入ったようで、最後には一部分いきなり
ピアノに合わせて口ずさんだりしていた。晩年のホロヴィッツみたいなとろけそうな顔の白髪の彼女は、
しかしかなりオシャレであり、多分ピアノ教師ではないかと思われた。

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休憩中や、トイレや、帰りの出口などでもわざわざ寄ってきては着物を褒めてくれる人がいるので、
同行者たちは、着物の威力にびっくりしていた。
内田さんのリサイタルに、彼女のイメージに合わせた着物で行ったのは大正解であった。

         
  
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by didoregina | 2013-02-18 09:34 | コンサート | Comments(10)

ウェストブルック主役の『マノン・レスコー』@モネ劇場

エファ=マリア・ウェストブルックは、オランダ人ソプラノであるが、本国オランダで
オペラの舞台に立つことは少ない。ショスタコーヴィッチの『ムツェンスク郡のマクベス
夫人』で大ブレークする前はドイツのシュトゥットガルト歌劇場専属だったのが、ブレーク
後は世界を股にかける売れっ子になり、ドイツの都市およびヨーロッパの首都や、ロンドン、
ニューヨークからのお誘いでスケジュールは満杯になってしまったのだ。
近年ナマの彼女を地元で聴く機会は、アムステルダム歌劇場での『西部の娘』と『トロイアの
人々』ブリュッセルのモネ劇場での『運命の力』と『エレクトラ』があったのだが、わたしの
都合のつく日のチケットは取れなかったり、里帰り中だったり、大雪で歌劇場まで辿りつけ
そうもなかったりしていずれも諦めた。

唯一至近距離でご本尊を拝むことが出来たのは、3年前のオランダ解放記念日のアムステル川上
コンサート。
しかし、マイクとPAを使っていてナマの声を聴いたとは言いがたいし、曲目もミュージカル
歌手とのデュエットも彼女らしさが生かせない酷いものだった。

  ルー・リード作詞・作曲のPerfect Dayをデュエットで歌うウェストブルック。しかし、
このミュージカル歌手の発音と音程の酷さには唖然。むやみとドラマチックなオーケス
トレーションにも聴いてる方は居心地の悪さを感じ、欲求不満がつのるばかりだ。



そういうわけで、彼女の艶と輝きある声とオーラに魅了されながら、オペラ映像で我慢しつつ、
じっと実演鑑賞の機会を待っていたのだった。
だから、ブリュッセルなのに一泊するなど遠征にもリキが入っていた。
だが、いつもの貧乏性が出て、座席はカテゴリー4の舞台下手側、オーケストラの真横という
位置を買ってしまった。舞台を横から観るわけだから見切れる部分もあるが、舞台にはとにかく
一番近い。値段が安めなのと、ビンビン響いてくるだろうナマの声に浸りたい、真近で表情の
変化もしっかりと見たい、という魂胆もあったのだった。

Manon Lescaut  Giacomo Puccini    2013年1月24日@モネ劇場

Muzikale leiding¦ Carlo Rizzi
Regie¦ Mariusz Trelinski
Decors¦ Boris Kudlicka
Kostuums¦ Magdalena Musial
Belichting¦ Felice Ross
Video & LED design¦ Bartek Macias
Dramaturgie¦ Krystian Lada
Choreografie¦ Tomasz Wygoda
Koorleiding¦ Martino Faggiani

Manon Lescaut¦ Eva-Maria Westbroek
Lescaut¦ Aris Argiris
Il Cavaliere Renato Des Grieux¦ Brandon Jovanovich
Geronte de Ravoir¦ Giovanni Furlanetto
Edmondo¦ Julien Dran
Il Maestro di Ballo & Un Lampionaio¦ Alexander Kravets
Un Sergente¦ Guillaume Antoine
Un Musico¦ Camille Merckx
L’Oste¦ Guillaume Antoine
Coro del Madrigale¦ Amalia Avilán
Anne-Fleur Inizian
Audrey Kessedjian
Julie Mossay

幕が上がると舞台は真っ暗なままで、音楽もすぐには始まらない。後方に映し出される映像と
共に特殊音が流れて、設定した状況を観客にわからせるという仕組みだった。ごくごく短い
プロローグみたいなものだ。場所は空港のようである。即物的でわかりやすく理解に苦しむ
要素はない。

威勢のよい序曲が始まると、1階のオーケストラ真横という席なので音が予想以上にビンビン
響いてきて、耳に痛いほど。モネのオケというといつもなんだか平板で薄い印象なのが、今回は
最初から張り切って爆音をガンガン出しているのだ。
この序曲には、ストーリー展開や結末を予兆させるような悲劇性が全くなく、明るくて屈託ない。

そこへ続けて、掃除人の格好をしたエドモンドの歌が始まるのだが、声が爆音のオーケストラ
にかき消されてほとんど聴こえてこないのでイライラした。これは座席を誤ったか、と後悔する。
デ・グリューが歌いだすと、ぎりぎりでオケに負けないほどの声量なのでほっとする。しかし、
ピッコロやフルートなど管楽器が高音を響かせると、声が届いてこない。う~ん、微妙である。

舞台セットは全幕通してほとんど変わらず、空港か駅構内の待合室のようになっている。
そこに、椅子やソファーやバー・カウンターやエレベーターの扉や電話などの小物が設置して
あるだけ。
背景に流れる映像は、町並みだったり、そこを通過する電車だったりで、電車が通るときには
音楽がストップして効果音が流される。映画っぽい作りといえば言えるだろう。

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     これは3幕目だが、最初の登場も金髪で赤いトレンチコート姿だった。
     田舎から出てきたにしては娼婦っぽい格好。しかも、飾り窓みたいな赤い
     ランプで囲まれてマノンとネオンサインのある枠の内側に立つ。    

プッチーニのオペラのマノンという女にはつかみ所がない。無邪気で可愛い田舎娘かと思えば、
美貌を武器に金持ちの囲われ者として豪奢な生活を楽しんだり、昔の恋人デ・グリューが再び
現れると金持ちとの愛のない生活には飽き飽きしていると言ってみたり、そうかといって貧乏は
イヤだし物欲に取りつかれている。男が惚れたり言い寄ってくれば、愛であろうと金であろうと
差し出された餌に釣られて、ほいほいと付いていくばかりでほとんど自我というものを見せない。
存在自体が蜃気楼のように曖昧である。

マノンはその時々の男の望むままの女の姿に変身する。男の欲望の対象としての理想の女の姿を
肉体で具現化するが、それは鏡に映された客体のようなもので、マノン自体には主体性がほと
んどない。
そういう悲劇性を背負わされたマノンの宿命に光明が見えるはずもなく、ほとんどSM的に
恋愛の相手も自分をも傷つけるのである。しかし、それはマノンの責任かというと、そういう
わけではない。
マノンの存在とは、男の欲望が姿を替えて投影されただけなのだから。

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        カーテンコール。黒のトレンチコート姿がマノン役のウェストブルック。

そういう実体のあやふやな悪女を演じ歌うのが、今回のエフェ=マリア・ウェストブルックの
役割だ。
歌手としての彼女自身には存在感がありあまるほどある。それだからこそ、逆説的ではあるが
つかみどころがなく、流転するヒロインとしてのマノンが説得力を持って迫ってくるのだった。

彼女の場合、オーケストラに声がかき消される心配はない。声と同じく演技も顔の表情も変化
に富み求心力が凄まじい。彼女を中心とした世界を造り出している。
プッチーニのオペラ・ヒロインには惚れこんでいる彼女である。マノンになりきりであるが、
芯の通った歌声にも演技にも気負いは感じられない。体当たりの熱烈演技とドラマチックな
歌唱であるが、ツボを心得ていて役柄への没入の仕方が自然なのだ。




        コンサートで『マノン・レスコー』の死ぬ間際の絶唱
        Sola, perduta, abbandonataを歌うウェストブルック。


迫真の演技と余裕の歌唱でマノン役を演じきったウェストブルックに対するブラヴォーの嵐で、
オペラ初日は幕を閉じた。
        

このオペラ・プロダクションは、2月12日20時から3月4日までモネ劇場のサイトからオン
ライン・ストリーミング配信がされ、世界中で無料で視聴できる。
見切れる部分が多い席だったので、舞台演出の全体像がつかみにくかった。もう一度、ストリー
ミングでしっかり鑑賞してから、また感想を書くつもりだ。


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           初日公演だったので、柔らか物の着物で。
           藤鼠色にスワトウ刺繍の付け下げ。抜きの一つ紋入り。
           パープルに銀糸の抽象柄の洒落袋帯。
           帯揚げはボルドー・カラーで草履の鼻緒の色に合わせた。
           実は雪を恐れて、履いたのは草履形の台の桐下駄。
           帯締めは象牙色の冠組。

初日公演だし泊まったアパートメントは劇場から至近距離なので、当初は訪問着を着て行く
つもりだった。
しかし、雪で足元がぬかるんでいるかもしれないので、高価な訪問着は止めて、裄が短いため
いつか直しに出すつもりのこの着物を選んだ。裾が汚れたらクリーニングも同時にしてもらえ
ばいい。
この白に近い淡い藤鼠色とレースのようなスワトウ刺繍の着物は、オペラ鑑賞にぴったり。
大概の歌劇場の椅子は深紅で金を使ったインテリアだから、白っぽい着物が映えるのだ。
そして、トイレから出てきたら、スタイリッシュな姿の20代前半と思しい女の子が、「オー
ララ!トレ・トレ・ビアン、セ・マニフィック」と賛嘆の言葉を浴びせてくれたので、この
着物選びは大成功と確信できた。
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by didoregina | 2013-01-29 12:28 | オペラ実演 | Comments(10)

オペラ・ザウドの『マノン』

オペラ・ザウドのプロダクションは当たり外れが激しいので、実演鑑賞には及び腰になる。
上演機会の多い有名な演目の場合は、かなりの覚悟で臨む。他の歌劇場の有名歌手の
歌ってるのと比べてしまうとその差は歴然だから、まあ、がっかりすることの方が多い。
だから、この『マノン』も、当初全く鑑賞する気がなかった。ところが、マーストリヒトでの
プレミエの評がNRCなどの全国紙でもかなりよいので気が変わった。
全国巡業してまた南部に戻ってくる、シッタルトでの公演を予約した。
もうすぐ帰国されるバービーさんとA子さんにも、オランダで最後のオペラだからごいっしょに
いかが、とお誘いして。

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Muziek  Jules Massenet
Libretto  Henri Meilhac en Philippe Gille naar de roman Histoire du Chevalier
des Grieux et de Manon Lescaut van Abbé Prévost
Regie  Lotte de Beer
Dirigent  Ivan Meylemans
Orkest  Limburgs Symfonie Orkest
Manon   Kim Savelsbergh,
Le Chavalier des Grieux  Rafael Vazquez Sanchis
Le Comte des Grieux  Marco Bakker,
Lescaut  Richard Morrison,
Monsieur De Bretigny  Martijn Sanders e.a

見たいという気にさせたのは、気鋭の新進演出家ロッテ・デ・ベア女史による読み替えが、かなり
好意的に評価されていたからだ。(デ・ベア女史は、今年のホランド・フェスティヴァル参加DNO
プロダクションの新作オペラWriting for Miss Monroeの演出担当)
すなわち舞台を現代に置き換えて、東欧かどこかからヨーロッパの都会に出てきた山出しの芋ネエ
ちゃんのサクセスおよび破滅のストーリーになっていて、アクチュアリティが抜群だという。

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     ヨーロッパの都会の空港に着いて、物品の質と量に圧倒されるマノン(右奥)

ハッピーな旅行者が行き交う空港は、きらきらと乙女の憧れを誘う高級品で一杯だが、田舎から
出てきた女の子を陥れる罠や悪の匂いも漂う。
金持ちのボンボン騎士デ・グリューは、バックパッカーの姿で空港に降り立ったばかり。喧騒の中、
マノンとお互い一目ぼれの恋に落ち、逃避行となる。

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          空港のブランド商店で愛を語る二人。

第一幕第一場、マノン役キム・サーベルスベルクの声は、ちょっと意外なほど精彩さを欠いていて、
これで主役はちょっと、と思ったのだが、どうやら芋ネエちゃんという役柄設定に忠実に、発声も
歌唱も押さえ気味にしていたらしい、と第二場になってわかった。

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          貧しい二人が暮らすのは、トレーラー・ハウス。

このトレーラー・ハウス(というかキャラバン)は、最初、空港でブランド商品としてリボンで包装
されていたのを破ると出てくるもので、巡業歌劇団の宿命で限られた舞台装置の有効な使い方に
感心した。

これ以降、マノンはちゃっかりと援助交際したり、美貌を武器にのし上がっていく。そうなると、第一
場でのおずおずとした少女とは別人のように、声にも艶と伸びやかさが加わり自信が覗えるのだ。
それに対して、世間知らずのボンボンのままであるデ・グリューは、親に金の無心することぐらいしか
出来ない。(パパへの頼みごとには携帯を使う)
デ・グリュー役はスペイン人歌手だが、テノール人材不足のオペラ・ザウドにしては、逸材を持って
きた。背丈こそ、他のオランダ人キャストより頭一つ低いが、いかにもラテン系の鼻にかかった甘い
声が二枚目役にぴったり。

第二幕は、金持ちド・ブレティニーの援助によってデザイナーとして成功したマノンのファション・
ショーから始まる。ココ・シャネルが成り上がったのと同様である。

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       ショーには、デ・グリュー父も現れて、息子が僧侶となったことを告げる。

面白いのは、デザイナーとして得意の絶頂にいるマノンに負けないほど、デ・グリューもTVタレント
神父として華々しい活躍をしていることだ。
カメラマンの注文に応えて様々なポーズをとる神父姿のデ・グリューは、セレブそのものでとても
笑える。彼は彼で傷心から立ち直り成功しているのだが、マノンが彼に遭いに行くことから破滅への
道のりが始まる。

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         再びいっしょになった二人は、博打で生活費を稼ぐ。

この『マノン』では、デ・グリューは完全に魔性の女マノンに切りきり舞させられる、憐れな若者だ。
小悪魔マノン、という従来どおりの解釈から抜け出ていない。
実生活の経験に乏しい世間知らずという点では、二人とも似たりよったりではあるが、女の武器で
のし上がるという体験をしているマノンの方が強いのだ。
        
カジノで不正の疑惑をかけられた二人のうち、デ・グリューは親の七光りと財力のおかげで、警察の
手から逃れるが、マノンは不法滞在者として強制退去させられる。
最後に二人がようやく出会えたのは、国境近くにある強制退去者の収容所だ。
監視員にワイロを渡して最後の別れをする二人だが、マノンは最後まで虚勢を張って、「これが
マノンという女のストーリーよ」と見得を切って終わるという幕切れであった。


歌手にも演出にも、自信とトータルの芯が貫かれていて、とても楽しめるプロダクションだった。
現代への読み替えということで、字幕ではフランのかわりにユーロと出たりしていたが、実際に
歌詞もユーロと変えて歌っていた。喧嘩シーンや言い争いでは、オランダ語字幕が、最近流行り
の言い回しそのもので、アクチュアリティとリアリティが高まっていた。

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         ホール入り口に立ってたマノンの実物大写真と。

また、オペラ・ザウドの強みは、音大オペラ科という新人供給源が近くにあることから、コーラス
その他の登場人物が皆若くてフレッシュ。これは、見ていて聴いていて清々しく、同じ巡回オペラ
であるナショナル・レイス・オペラの年寄りが多い合唱団のもさついた動きや演技と比べると、格段の
差だ。
若い出演者の多い華やかな現代的な舞台はミュージカルみたいな軽さが感じられ、主要歌手は、
しかし、しっかりとした聴かせる歌唱力を披露するので、その落差が心地よいプロダクションだった。

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           クリーム色の万筋の着物に、光るグリーンの洒落袋帯。
           帯には『富嶽三六景』から「駿州江尻」を写した刺繍。
           オレンジ色の帯揚げ、象牙色の冠組の帯締め。
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by didoregina | 2012-12-16 12:51 | オペラ実演 | Comments(6)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


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別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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