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Orlando, もしくは防人の歌


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Händel - Orlando, HWV 31 @ Conertgebouw, Amsterdam 2016年3月7日
The English Concert
Harry Bicket - harpsichord/conductor
Carolyn Sampson - Dorinda
Erin Morley - Angelica
Iestyn Davies - Orlando
Sasha Cooke - Medoro
Kyle Ketelsen - Zoroastro

オルランドというのは、ヘンデルのオペラの主人公の中でも特異さでは際立っている。
心変わりしたアンジェリカ姫をひたすら一方通行の片恋で慕った挙句の物狂いの様子は
ほとんどストーカーになる一歩手前だが、生まれや位の貴賤は関係なく人間ならだれでも
経験しうる人生の苦みがにじみ出ている。
恋する相手につれなくされた哀しみが狂気に変容・凝固した姿が、オルランドでは文字通り
”痛い”ほど晒される。観客はそこに己を投影し、痛みを共感するのである。

さて、イエスティン君オルランドはいかに?そして、オペラ『オルランド』全体としての出来
映えは?

アムステルダム公演に先駆けて、ウィーン、バーミンガム、ロンドンと時間をかけてツアー
しているのだが、一週間前のバービカンでの公演評には5つ星もいくつか出て、各紙こぞって
絶賛していた。こういう時、私の場合かえって眉唾で臨んでしまうのが常だ。なにしろ、
イギリス人指揮者と古楽アンサンブルによる演奏にイギリス人歌手2人(イエスティン君と
サンプソン)それにアメリカ人3人のキャストであるから、ほとんどアングロサクソンで固めたと
言ってよい陣容だから、英国人の好みにハマるだろうことは容易に想像がつく。

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蓋を開けて見ると、歌手陣には若手が揃い、しかも英語を母国語とする人たちという共通点
のみならず、歌唱様式も非常に似通っている。すなわち、一人だけ特出したり様式上異質
だったり、個性の強い歌手の集まりのため音楽表現が各人バラバラで寄せ集め感が漂うと
いうことがまずない。歌手同士そしてオケとも調和が取れ、全体としてのまとまりが抜群である
ため、コンサート形式でありながらしっかりオペラ鑑賞したという満足感を聴衆に与えたことは
特筆すべきだろう。
また、アムステルダム公演はツアーの後半でもあり、それまでの舞台での実地練習も経て、
各人もこなれ、コンディションは最高ということもよくわかるのだった。

このプロダクションでは、非常に狭い舞台という制約があるのに、歌手たちは少々の演技も
行っていた。
それから、ストーリーの流れをぶち壊すようなレチやアリアの大幅な省略もなかった。すなわち、
コンサート形式でのオペラ上演がしばしば陥る歌謡ショーのような形式にならずにすんだ。
そして、舞台上にはオランダ語字幕も出ていた。アムステルダム公演は一回こっきりなのに、
これはかなり上質なサービスだと言えよう。印刷されたリブレットや対訳を読みながら舞台も見る
というのは難しいことなのだ。

演技といえば、イエスティン君は上目づかいで額に青筋を立てたり、暗い狂気の色を目に
浮かべたり、はたまたうなだれたり放心して椅子や階段に座ったり、とエネルギッシュで
迫真の演技を見せ、オルランドになりきっていた。情熱の発散のしようがない片恋と実のない
任務という状況下で鬱屈した若者の姿を熱演し、拍手喝采であった。(他の歌手には歌って
いる時の表情以外では演技と言えるほどの演技はなかった。)

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ドリンダ役のキャロリン・サンプソンとアンジェリカ役のエリン・モーリー

お姫様と羊飼いという対照的な役ではあるが、2人のソプラノはどちらもナイーブでイノセントな
娘らしい清楚な品のよさが要求される点では共通している。魔女や悪女ではないのである。
ドリンダ役のサンプソンには、バッハやモーツアルトのミサ曲やカンタータよりも、ヘンデルの
オラトリオやオペラの方がずっと合っていると思う。明るさのある清澄な声質はとても上品で、
クライマックスでは余裕ある声量を響かせながら格調高さを失わない。大げさでない表情の
演技も悪くない。来季は、オランダ各地のホールにやたらと登場する彼女である。様々な面を
見せてくれるだろうから楽しみである。
また、アンジェリカ役のエリン・モーリーは初めて聴いたのだが、サンプソンと堂々と張り合える
実力で、しっかりとした土台の上に乗った安定した歌唱で驚かせてくれた。アングロサクソン系
歌手らしいストレートな癖のない声が、ヘンデルのお姫様役にぴったりである。

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ゾロアストロ役のカイル・ケテルセンとメドーロ役のサシャ・クック

メドーロ役には女声というのが伝統的配役で、このサシャ・クックという歌手も初めて聴いたの
だが、ルックスに似合わず実に堂々とした太い声のパワフルな歌唱である。
この3人の女声で歌われる三重唱は親和力抜群。彼女達のモーツアルトなど聴いてみたいな
と思わせる。

カイル・ケテルセンの歌声を生で聴くのを楽しみにしていた。溌剌とした若々しさのある好みの
声である。よくありがちな、太ったバスの歌手が体格に頼んで底太な声をビンビン響かせる
ようなのは下品で苦手だが、その正反対でほっとした。ノーブルな軽い味があるから、彼も
モーツアルトで聴いてみたい。

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何といっても、オペラ『オルランド』はオルランド一人で持つ、と言ってもいいほど物語の軸
の中心となる。
騎士オルランドの物語は、やるせなく悲しい。シャルルマーニュの時代に辺境警備をしていた
高貴な騎士の憤懣と無念の錯綜する思いに、律令制時代の日本で丁度同じ頃、九州での
警備任務を課せられた東国の防人の哀しさが私の中で二重写しになり、苛烈な状況下での
過酷なくびきの下に置かれた彼らに同情を禁じ得ない。

Fammi Conbattere、騎士として先走りと空回りの決意の歌は勇ましく、前半のハイライトだ。
手に汗握りつつ、イエスティン君のこの歌を聴いた。最初から最後までテクニック的に破たん
なく、緊張感も途切れず、力強い喉を惜しみなく使いアジリタも決めたので、まずはほっとした。
コンセルトヘボウの客は、総じてレベルが高いと思うのだが、前半はアリアごとの拍手などなく、
音楽の流れやストーリーを分断することなく緊張感が続いた。任務にも恋にも生真面目なあまり、
逃げ場のない袋小路に追いつめられたオルランドの心がピンと張った糸のようになっていく、
張り詰めた緊張感が前半はそうして客席との期待とともに高まっていった。

私にとってのハイライトは、後半のCielo! Se tu il contentiだった。絶望と怒りに心が支配
され、張り裂ける胸の痛みかれ救われるには死しかないという思い、狂気への兆しが見え隠れ
する絶唱である。ここでは高音から低音までの幅が広いのと高音で駆け抜けるアジリタ、
そして低音への跳躍もあるから気が抜けない。一か所だけ、コンテンティの低い音が上手く
聞えなかったのが残念だったが、それ以外は、強弱のメリハリ、声の明暗の変化などめくる
めく疾風のような歌唱を聴かせてくれた。連続発射装置の付いた機関銃のような正確さで
アジリタを飛ばすのだった。
声域的に比較的低めのオルランド役というのは、現在のイエスティン君の男性らしい歌声と
声域にぴったりだと確信できた。特に今シーズンは体調も絶好調、喉には今までにない艶と
深みが増してきている。
自身に咎はないのに誠実すぎることが罪であるかのように報われず、同情を惹くアンチ・ヒー
ローという役どころも甘い坊ちゃん的風貌の彼、にうってつけだ。

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後半から、客席にもオペラを楽しむ余裕が出たようで、アリアごとの拍手が多くなっていった。
このオペラ全体での頂点は、オルランド狂乱の場である。
上着を脱いで、(もともと下に着ているシャツには襟がなく胸ぐりが割と大きく取られている)
シャツの裾を出してしかも一番下のボタンを外し、野営のやつれと自棄自暴になった様を表し、
細かい点までけっこう凝った演技ぶりである。
狂と躁が交錯して、ころころと変わるオルランドの心を映し出すVaghe Pupilleは、調もテンポ
も一定しないかのように変化し、どこかモダンなところのあるのアリアだ。狂気と正気を行ったり
来たりで、ダカーポも破調で変化激しい。ああ、終わってくれるな、もっと繰り返してほしい、
と叶わぬ望みを願いつつ聴いていたのだった。

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コンサート形式のバロック・オペラ上演は、下手をすると歌合戦と化して、オペラとしてトータル
に楽しむことができず、隔靴掻痒というか鑑賞の充実感に欠けることがえてして多いものだが、
今回の『オルランド』は、全体のバランスがとてもよく取れていた。指揮のビケットは出すぎず、
イングリッシュ・コンサートの演奏も、イギリスの古楽オケにありがちな優等生的でまったりして
つまらないということはなく、適度に引き締まって、過剰な分はないが、上品な抑制が利いた
ものだった。特にコンミスがピッシリと演奏を引っ張っているのが印象に残った。
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by didoregina | 2016-03-09 22:29 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

Ariodante @ DNO  サラ様『アリオダンテ』は「小間使いの日記」風

サラ・コノリーが題名役、ポリネッソ役にソニア・プリーナ、そしてダリンダ役がサンドリーヌ・
ピオーというトリプルSが揃い踏みの期待の舞台『アリオダンテ』@DNO千秋楽公演を鑑賞
した。このプロダクションは、エクサンプロヴァンス音楽祭との共同制作で、かの地では2年前
のフェスティヴァルで上演され賛否両論かしましかった。全編がYTにアップされているが、
わたしは敢えてアムステルダムでの実演鑑賞までサラ様の歌う場面を除いては見ないように
して、ほぼ白紙の状態で臨んだ。

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2016年2月3日 De Nationale Opera & Ballet in Amsterdam
Muzikale leiding Andrea Marcon
Regie Richard Jones
Decor en kostuums Ultz
Licht Mimi Jordan Sherin
Choreografie Lucy Burge
Regie poppenspel Finn Caldwell
Ontwerp poppen Nick Barnes en Finn Caldwell
Orkest Concerto Köln
Koor van De Nationale Opera i.s.m. jonge zangers in het kader van De Nationale
Opera «talent»
Instudering Ching-Lien Wu

Re di Scozia Luca Tittoto
Ariodante Sarah Connolly
Ginevra Anett Fritsch
Lurcanio Andrew Tortise
Polinesso Sonia Prina
Dalinda Sandrine Piau
Odoardo Christopher Diffey
Poppenspelers Sam Clark, Kate Colebrook, Louise Kempton, Shaun McKee

舞台は、いかにもリチャード・ジョーンズ好みの例のあれ。と言うだけではピンとこないという
向きのために補足すると、質素な内装の家の天井・屋根と客席に向いた正面の壁一面を取り
払った造りで、下手から玄関、キッチン、ダイニングルーム、ジネーブラの部屋と一列に続き、
その中でホームドラマが演じられるという仕掛けである。
原作ではスコットランド王家の権力争いと愛憎が交錯するドラマだが、時代設定はインテリアや
衣装から察するに前世期後半あたりで、王家は寒村の人々の支持と忠心を受ける有力者の家系
もしくは因習に縛られた素封家に置き換えられていて、違和感はない。
登場人物には高貴な家柄らしき人はいず、アリオダンテは漁師、ポリネッソは牧師、ダリンダは
王女に仕える侍女ではなく、小間使いという趣。

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スコットランド辺境の寒風吹きすさぶ小さな漁村では、牧師の持つ権力・影響力には想像を絶
するものがあることは徐々に明らかにされるのだが、序曲の間、牧師ポリネッソが説教を行い、
聴こえないその言葉が字幕に出てくるという点にもまず強調されている。
そして、神の威光で人々を目くらましにして自らの欲望のおもむくまま、悪事を働くのである。
そのポリネッソ役のソニア・プリーナの演技の上手さ。憎まれ役ながら、役得とも言えるのだが
この村を裏から支配しているのは、村長(王)ではなく、因習・妄信を利用したポリネッソなのだ
ということを体現している。
彼女は小柄ながら、ヘアメイクと衣装と態度とドスの利いた低音の独特の声で、嫌な男ポリネッ
ソを堂々と好演。ただ、今回は、どうも声があまり飛ばず、難しい低音域でのアジリタの切れが
イマイチだったのだけが、残念だった。

そのポリネッソに横恋慕されるイノセントそのもののジネーブラ役は、アネット・フリッチュ。彼女の
実演は初めて聴くのだが、特に秀でた個性はないものの無難にこの役を務めた。牧師に凌辱され
無実の罪を着せられ、精神的に不安定になり、だれからも理解されずに墜ちて行くという、哀れを
極めるこのジネーブラは若い女性の存在がいかに簡単に悪漢の餌食となりうるかという弱者その
ものの存在を示すのだが、最後のシーンでは、弄ばれるだけだった弱い女が自らの意志を持って
家を出る強い決意の表れという風にも受け取られる。

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ジネーブラと相思相愛のアリオダンテは、若いためか人生経験が足りず、ちょっとした諫言を信じて
ジネーブラから去り、絶望のあまり自ら海に飛び込む。最初から最後まで一貫して弱々しい男という
難しい設定で、それをサラ様はどう演じて歌うのか、これがまず第一の見どころ・聴きどころである。
この辺りが予想以上に説得力あるドラマになっている演出の力、ジョーンズの目の付け所にまず
脱帽した。北欧映画のようにリアリスティックかつシリアスな芝居構成になっていて、それを粘っこ
いまでにスローテンポの音楽でこれでもかと悲劇性を上塗りしていくのである。
だから、アリオダンテの絶望の歌Scherza Infidaは、なんと13分にも及ぶ。前奏からしてもう
ヴァイオリンの演奏もタメを効かせた演歌調。これ以上スローにしたら歌えないのではないか、と
危ぶむほどのテンポをマルコンは破綻させずに最後まで持っていくのだった。演出に合致した演奏
とテンポであるが、マニエリスティックになるぎりぎりの線だ。
サラ様は、顔面蒼白でしかも呆然自失という態で、しかし歌い方は比較的淡々としていた。今まで
サラ様の歌うこのアリアは実演を2回聴いているのだが、今回のは非常に異質というか異常性を
前面にだしたものだった。
あまりに悠揚迫らずくどいほど粘液質の演奏であったためか、途中でフライング拍手が、多分若い
観客から起きてしまったほど。しかし、緊張感はそのまま二度の休憩を経ても続いたのだった。

このシリアスなホームドラマの最初から最後まで舞台にほぼ出ずっぱなしなのが、ダリンダである。
サンドリーヌ・ピオーのあっさりした存在感ある演技と、それに反して情熱ほとばしる歌唱とが全編
を引き締める。「あなたがジネーブラ役ではないのが残念」と丁度一年前『アルチーナ』に主演
した時、サイン会でピオーに言ったのだが、「いえ、歌は比較的少ないけど、重要な役で大変
なのよ」とか何とかの返事だったように思う。
小間使いの屈折した心理、クルクルとネズミのように健気に働き、主に尽くさなければならない
立場をわきまえてはいるものの、愛と人並みの幸せを得たいという儚い望みと裏腹の、主人に対
するジェラシーと意地悪な気持ちが抑えてはいても出てくる。そういう人物設定のダリンダ=ピオー
が、このプロダクションでは光る。

人形劇を挿入して、アリオダンテとジネーブラの未来(夢と現実)を予言し表現するという手法も
絶品。
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ありえねえ、と切って捨てられるような展開や場面がなく、悲劇が淡々と北海の荒い波のように
押し寄せ緊張感のあるドラマなのだが、最後にポリネッソが倒され悪事を告白、正義は勝つという
展開になった時はそれまでの流れに比較してご都合主義に感じられたのか、客席から笑いが出た。

Dopo Notteは通常、暗い夜の闇が去ったという歓喜のアリアなのだが、このプロダクションでは
手放しで喜べないエンディングになっているため、サラ様の歌にも感情はごくごく抑えられていた。
この歌でば~っと一気にカタルシスという具合には行かないのが残念だが、さすがサラ様、微妙
な状況と心情を、絶妙に歌っている。コンサート形式であったら、ここで一気に最高潮に登りつめ
るのだがなあ、とファンとしてはほんのちょっぴり心残りだが、それを望んではいけないのであった。

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by didoregina | 2016-02-06 20:13 | オペラ実演 | Comments(0)

Partenope @ Carre

この記事は本来ならばカテゴリー「オペラ・コンサート形式」に含まれるべきなのだが、
あえて、「カウンターテナー」に入れることにした。花形キャストであるフィリップ・ジャル
スキーのご家族に不幸があって、全公演出演をキャンセルすることになったといういわく
つきであるにも関わらず。
ツアー開始直前にPJのお父様の訃報が入り、その後の動向が心配になった。
結局、PJの代役としてヴェテラン・カウンターテナーのローレンス・ザッゾが全公演を歌う
ことになり、ファンの落胆と動転は大きかった。わたしもかなり暗い気持ちになり、ほとんど
気が進まなかった。
新譜CDでPJが歌うアルサーチェの声が耳の底にこびりついていて、彼以外は到底考
えられず、別の歌手によって歌われたら生理的拒否反応が起きそうな予感に慄いたのだ。
(カレ劇場正面に掲げられたポスターにも当然PJが大きく出ていた。)

c0188818_1873971.jpgPartenope (G.F. Händel)
17 januari 2016
Koninklijk Theater Carré, Amsterdam
Dirigent: Maxim Emelyanychev
Solisten: Karina Gauvin (Partenope),
Lawrence Zazzo (Arsace),
John Mark Ainsley (Emilio),
Emöke Barath (Armindo),
Kate Albrich (Rosmira),
Victor Sicard (Ormonte)












カレ劇場というのは、アムステルダム歌劇場(通称ストーペラ)から地下鉄で一駅先にあり、
アムステル川に面した19世紀の(新)古典主義様式の建物で、通常ここでは芝居やミュージ
カルはたまたサーカスなどが上演されていて、(コンサート形式)オペラ上演はほとんど行わ
れない。
この建物に入るのは初めてではなく、数年前、国家的イヴェントに招待された時、ここが
控え室として使われたため、内部の様子は知っていた。しかるに、コンサートやオペラを
ここで聴いたことはないので、音響的には一抹の不安を胸に抱いていた。
客席は平土間面積が広く、(半)円形に近い緩やかな雛壇のようなバルコンが数層取り囲む
造り。コンサート形式での上演のため、舞台後方は黒い幕で覆って面積を小さくしていた。
音響はデッドであるが、横幅のあるホールにしては隅の方でも全然問題なく聴こえたと友人は
言うし、こういうコンサート形式のバロックオペラの会場としては悪くないのではないかと思う。
コンセルトヘボウ以外に、ここにもっともっとバロックオペラを持ってきてもらいたい。

閉口したのは、椅子が2席ずつくっついていてしかもガタピシしていることで、隣に座ったフラ
ンス語話者巨漢オヤジがやたらと体を動かすたび、並んだ私の椅子も連動して不快な振動が
伝わるのである。(そいつもその連れの奥さんと思しき女性も相当非常識な輩で、割と後に
なって着席したのに同じ列の隣人への挨拶もなければ、終始落ち着きなく体を動かし、
奥さんは一幕目の最中なぜか外に出て行った。同じ列の人たちを立たせて。)
そのオヤジは、音楽に合わせて体を動かすのみならず、軽快なリズムのロスミラのアリアで
足拍子を始めてしまったのだ。し~っと手で押さえる仕草をするもそいつには通じず、私の
椅子もまた別隣の椅子も不快にギシギシと動き出し船酔い寸前。いくらなんでも無礼すぎると
頭にきて、「お願いですから、止めてくださいませんか?」と慇懃無礼に英語で言うまで
椅子は気持ち悪くグラグラ揺れ続け、音楽に専念できなかったのである。(ホールで傍若
無人に振る舞う輩ほどピシャリと叱ってたしなめると、青菜に塩のごとくしゅんと縮こまるのも
不思議だ。普段あまりに横柄で態度がでかいため非常識を注意する人が少なく、そういう
経験に乏しいのだろうか。)

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さて、肝心の音楽である。古楽オケのイル・ポモ・ドーロを、昨年末付けで指揮者のリッカルド・
ミナシが脱退していたというびっくりニュースが入ったのは年が明けてからで、CDは彼の
指揮で録音されていたのに、ツアーでは急遽、マキシム・エメリャニコフにバトンが渡された。
前回の『タメルラーノ』でも同様で、録音指揮ミナシ、実演指揮マキシム君というパターンが
続いた。
こういう場合、楽団員も歌手もCD録音のため練習を重ねているし、指揮者が急に代わっても
どうということなく上手くいくものなのだろうか。私には、前回も今回もマキシム君の指揮は
どうもなんだか空回りしているように見えた。彼の若さと情熱あふれる指揮と指示に楽団員は
さほど反応しないで演奏しているように思えるのである。齟齬とまでは言うまいが、熱が伝わ
らない感じだ。今後彼らの関係はどうなっていくのか、次回CD録音とツアーが待たれる。

歌手はCD録音時とは、パルテノーペ、アルミンド、エミリオ役以外は変わってしまった。
しかし、誰一人として質的に落ちるという印象は全く与えず、役柄になりきって堂々と歌って
いるので安堵し、満足した。
パルテノーペ役のカリーナ・ゴーヴァンはいかにも女王然とした貫録で、最初から最後までパワー
全開、満々たる声量を出し惜しみせず圧倒的。彼女の場合、ガタイが大きいから声も大きい
という単純な図式だけが当てはまるのではなく、しっかり歌心を掴んでの情緒の表現が巧み
である。
気高い女王でも隠せない女の性の哀しみとでもいうものをしみじみと歌ってほろりとさせる。
血の通った肉体の心情を歌に込めるのである。技術的にも軽々とトリルのころがせ方がまろ
やかな声質と相まって心地よく耳に響く。

もう一人のソプラノ、エメケ・バラートは、ゴーヴァンとは好対照である。すなわち、ルックス
的には細身で、映画『ブレード・ランナー』のレイチェル風のエキセントリックなキュートさの
あるズボン役。
声はといえば、少しメタリックな芯のある硬質さと若々しさを兼ね備え、以前聴いたときより
格段に上手くなっているのと声の変化しているのに驚いた。バロック系ソプラノでは他にちょっと
似た人が思い浮かばないタイプの少し男性的な張りのある声質である。今後ますますの活躍を
期待したい。

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エメちゃんと同じくCD録音時からのオリジナル・キャストであるジョン・マーク・エインズリーは、
私服で眼鏡掛けて歌うと特に年寄りっぽく見えるのだが、明るく気品のあるテノールの声には
外見とは裏腹に若々しい張りがある。テノールは大体悪役を演じなければならないヘンデルの
オペラでは、全体の格調を高めるめにかえって品格ある声と歌唱は欠かせないが、なかなか
いい人材は得難いのも事実である。エインズリーの天性の声の魅力がこの役によく生かされて
いた。

メゾもバリトンも録音とは別のキャストになったが、ケイト・アルドリッチもヴィクター・シカードも
堂に入ったもので、無理のないきれいな低音の魅力で全体を〆てくれた。

なんと言っても今回のツアーの最功労者は、カウンターテナーのローレンス・ザッゾである。
ポスターにもなっている花形PJの急きょ代役というプレッシャーは多分あったに違いなく、口は
真一文字に結び、まるで敵を迎え撃つ侍みたいに隙のない目つきで舞台に登場した。
最初の一声は、あのPJの甘く澄んだ声とはもちろん異なるし、聴く側も心構えができていたが、
やはり予想した通り違和感が大きかった。しかし、ザッゾにはザッゾの個性があるし、それは
それでなかなかいいものだ、という思いに段々変わり、ノーブルで男性的な声の魅力にいつの
間にか囚われて行った。アメリカ人なので、アングロサクソン系・教会系の直球型歌唱かと思い
きや、オペラチックな表現力に富み、ふくよかさと軽さの同居した声はすがすがしく、しかも余裕
とも言うべきテクニックをそこかしこに散りばめて、思わず聴きほれてしまう。

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ヴェテランらしく余裕のある歌唱は技術的に綻びを全く見せず、尻上りに声にも艶が出てきて、
また、この役を舞台で歌うのはその週が初めてとは思わせないほど、役になりきり、表情
のみならず演技も体当たりで、PJの代役などとは言わせないほどの威力を発揮していった
のである。
「PJが出ないんじゃ、行く気がしないわ」などと罰当たりなことを言っていたわたしでも、
ザッゾの実力を目の当たりにして、「ごめんなさい」と心から詫びを入れる気持ちになった。
それどころか、この公演の危機を救った救世主、いや思わぬ付加価値を付けてくれた、という
感謝の思いを強くした。

近年とみに若手カウンターテナーが活躍しているなか、声の賞味期限が短いというのが通説
になっている世界で、1970年生まれのザッゾがいまだ衰えも見せずに聴衆の息を呑ませると
いうのは実に有難いことだ。ブームに巻き込まれなかったせいで、売れっ子として仕事に
追われて喉を痛めるという落とし穴に陥らずにに済んだということもあろう。何はともあれ、
オペラ舞台にぴったりの声量と演技力を持ち、そして体や顔の造作が大きくて歌舞伎役者の
ように舞台映えするザッゾを見直し、これから応援していこうと心に決めたのだった。

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by didoregina | 2016-01-21 20:56 | カウンターテナー | Comments(4)

マレーナ様『セルセ』をヴェルサイユ宮殿劇場で鑑賞

憧れのヴェルサイユ宮殿劇場で、マレーナ・エルンマン主演のヘンデル『セルセ』の
千秋楽を鑑賞した。
更新を怠っていたこのブログであるが、この遠征は久しぶりに特筆に値する、というより、
ほとんど歴史的記録として残さねばならぬという使命感を煽るプロダクションなのだ。

c0188818_21264387.jpg@ Royal Opera of Versailles
2015年6月7日
Malena Ernman, Xerxès
Bengt Krantz, Elviro
David DQ Lee, Arsamene
Kerstin Avemo, Atalanta
Hanna Husahr, Romilda
Ivonne Fuchs, Amastre
Jakob Zethner, Ariodate
Lars Rudolfsson, direction

Sara Larsson Fryxell, choreography

Ensemble Matheus

Jean-Christophe Spinosi, conductor




このプロダクションは昨年9月から3か月近く、ストックホルムの特設劇場で、マレーナ様の
イニシアティブによって公的補助金に全く頼らず、30回以上もの回数をこなすことによって
チケット売上収益のみでの上演を行ったという点で、まず画期的である。
オペラというものはとにかく金食い虫であるから、通常、国立・公立の劇場ならば公の補助金、
企業および個人のスポンサー篤志によってそのコストの大部分が賄われている。
例えば、オランダの国立歌劇場であるDNOの場合、オペラ一晩の上演にかかる費用平均は、
チケット代金売上の4倍であるそうだ。つまり、例えば85ユーロの席のチケットであれば
実際には4倍の値段が必要な元手がかかっているのだが、公的補助金のおかげでチケット料金
は抑えられているのだ。
逆に言えば、各地の夏のオペラ・フェスティヴァルでのチケット料金が高いのも頷ける。公的
補助金の割合が低いためである。
それを、物価の高いストックホルムでありながらさほど高くない料金設定での上演に漕ぎ着
けることができたのは、地元スウェーデンでのマレーナ様人気と手腕のおかげである。お

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そのプロダクションが、ストックホルムとほとんど同じキャストで(アルサメーネ役のCTは
デヴィッド・ハンセンではなく、今回はデヴィッド・DQ・リー)ヴェルサイユで上演された。

しかも、ヴェルサイユ宮殿劇場は、歴史的なバロック劇場であるから、2重の意味で私は
興奮していた。ここでヘンデルのオペラを鑑賞することは私の夢の一つであったのだ。
しかしまた、実現してみれば、夢はまた幻想でもあったことがわかった。
この劇場は宮殿の中にあり、王のために作られ鑑賞するのも身内みたいな貴族ばかりだった
ろうから、非常に親密な雰囲気でこじんまりとしていて、びっくりするほど小さい。
バロックの劇場らしい姿を再現したロンドンのグローブ座の中にあるサム・ウォナマー・
プレイハウスのこじんまりした規模にも驚いたが、こちらはしかも古めかしさとある種の
安っぽさも漂っているのだった。それは、劇場の内装に如実に現れていて、椅子は升席の
ような木のベンチに布が貼ってあり、壁は一面大理石模様を描いた木張りなのだ。
当時の劇場って、そんなものだったのね。。。。
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さて、マレーナ様主演でスピノジ指揮による『セルセ』は4年前にウィーンで鑑賞している。
そのときもマレーナ様のはまり役だと思ったものだし、スピノジとはよく共演しているし
今回の『セルセ』はもう40回目になるほどだから、オケとも息がぴったりと合い危なげな
箇所などあろうはずもない。こちらもゆったりと鑑賞気分だった。

このプロダクションのとったコスト対策として、もうひとつ特記すべきなのは、合唱団を
採用していないことである。セルセの護衛としてコミカルかつアクロバティックな動作の
ダンサーが4人、舞台によく登場するのだが、彼らがまず合唱も担当。しかし、大がかりな
合唱の必要なシーンでは、なんとアンサンブル・マテウスのオケ団員たちが楽器を演奏しな
がら合唱も担当していたのには度肝を抜かれた。もちろん、指揮のスピノジも一緒になって
歌っていた。
なるほど、これはなかなか便利であるし、バロック・オケを雇う費用がないという理由で
バロック・オペラ上演をばっさりと切ってしまった某劇場もこれは真似てもいいのではない
だろうか。
小さな舞台上に合唱団が乗ると見た目がますます狭苦しくなることから、演出上、合唱団を
舞台に乗せないこともあるから、オケ団員に歌わせたら、費用対策上もよろしい。

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舞台の作りはシンプルで、波打ったような丘のような木の床に大道具としては木が一本立って
いるのみ。波打った床での演技は結構大変そうだが、視覚的に平面的でないという長所のみ
ならず、丘の上から、真ん中の低くなった丘の下からという具合に上手・下手がそれぞれ3通り
できるので、登場・退場の仕方に変化が出せる。

衣装は、コミカルさを強調したヴォードヴィル調というか煌びやかなウェスタン風の歌手
と『スター・トレック』もしくは『ブレード・ランナー』の登場人物を彷彿とさせる髪型・
メイク・衣装のダンサー4人組の対比も、遠めにもパッと見てわかりやすい。
歌手はいずれも大仰な表情と動作の演技なのだが、臭さがない。さすがのセンスと上演回数
を重ねた結果でもあろう。
特に演技も上手いなあ、と唸らされたのは、もちろんマレーナ様のほか、アルサメーネ役の
リー君とアタランタ役のケルスティン・アヴェモちゃんである。特に、アヴェモちゃんの
エキセントリックな表情と演技は堂に入ったもので素晴らしい。彼女は、嫌味や癖のない歌唱
で、アタランタ役としては今までの中で一番だ。
逆に、ロミルダ役とアマストレ役は、通常は得する役回りなのに、非常に舞台印象が薄いのは、
歌唱もごく普通レベルなのに加え、舞台プレゼンスに訴えるものが足りないせいだ。
舞台プレゼンスでは、マレーナ様と張り合えるほどだったのが、CTのリー君である。
彼はメゾに近い澄んだ美しく伸びのある声かつ声量もテクニックも余裕があり、押し出しの
強い、稀に見る逸材である。彼を生で聴くのは『スザンナ』でのダニエル役、『ポッペア』
でのオットーネ役以来3度目だが、どの役も自分のものにしていて、音程に不安定なところも
もちろんないし、アジリタもよく回って素晴らしい歌手だ。

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終演後、楽屋口で私服のリー君と。

マレーナ様は、千秋楽での疲れも感じさせず、最初の「オンブラ・マイ・フ」から出し惜しみ
なく、余裕のフル・パワーで歌ってくれた。
(後で、リー君に聞いたところによると、歌手の皆さんは全員、風邪をお互いに移しあって、
喉や体力のコンディションは万全ではなかったそうだが、それは客には気どらせなかった。)
バカ殿役をやらせたら、マレーナ様の右に出るものはいないであろう。ウィーンでのプロダク
ションよりも、思い通りに演技もできたのだろう、コミカル・パワーも炸裂していた。
後半にアクロバティックなテクニックを要求するアリアが続くのだが、フラメンコ風振付
と共に難なく歌っていた。

スピノジと言えば、私が見た舞台ではいつもヴァイオリンその他のソロ伴奏で歌手と掛け合う
場面がいつもあったのだが、今回もロミルダのアリアでは、ヴァイオリンを手に持ち丁々発止
の掛け合いで客席を沸かせた。


大団円の合唱をアンコールではサーヴィスしてくれ、長い長い上演の有終の美を飾る千秋楽と
なったのだった。

(おまけとして、出演者全員が私と同じホテルに偶然泊まっていた。しかも、マレーナ様は、
隣の部屋だった。3時からのマチネ公演のため、1時ごろ着物に着替えていた私の隣室から
マレーナ様の発声練習が聞こえてきて、ドキドキしたものだ。翌日の朝食では、スピノジと
おしゃべりができた。)
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by didoregina | 2015-06-12 22:51 | オペラ実演 | Comments(4)

Farinelli and the King or how I learned to stop worrying and love the castrato

2015年最初のハイライトは、グローブ座のサム・ワナメイカー・プレイハウスでの新作芝居
Farinelli and the Kingにイエスティン君がファリネッリ役で出演ということで、期待とある
種の胸騒ぎを覚えつつ、2月12日を心待ちにしていた。
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Farinelli and the King by Claire van Kampen @ Sam Wanamaker Playhouse
2015年2月12日
Directed by John Dove
Designed by Jonathan Fensom
Musical Director/Harpsichord: Robert Howarth

Sam Crane:Farinelli
Huss Garbiya: Doctor Jose Cervi
Melody Grove: Isabella Farnese
Colin Hurley: Metastasio
Mark Rylance:Philippe V
Edward Peel: De la Cuadra
Iestyn Davies: Castrato

新作であるし、私たちが行ったのは二日目公演なので、ほとんどまだ評も出ていないから、
ほぼ白紙状態で臨んだと言える。事前に知っていたことといえば、年末にイエスティン君が
ラジオ局と組んでファンとのインタラクティブ・インタビューを行った際訊き出したのだが、
ファリネッリ役は役者と歌手の2人が舞台に立ち、イエスティン君は歌のみの担当で、台詞は
ないだろうということ。
う~む、ファリネッリが2人か一体どういう芝居になるんだろう、どういう歌をどの場面で
歌うんだろう、そして、歌手ファリネッリ役のイエスティン君の立ち位置はどこだろう、
普段ならなにがなんでも最前列中央の座席を取るのだが、劇場内部の構造がよくわからない
まま取った座席からの眺めはどうなんだろう、と疑問と期待とが交差する毎日であった。

さて、当日は早めに劇場に行った。付近のカフェか劇場カフェで軽く食事でもしようという
わけである。出待ちのための楽屋出口下見という意味もあるのだが、それらしきドアは全く
見つからない。着物にコートとマントの重ね着をしていたが外は寒い。中に入って、切符
売り場の辺りに立って同行者とおしゃべりなどしていた。すると、なんとそこに楽屋入り前
私服のイエスティン君が現れたのである。よく見かけるグレーのセーター姿にピンときた。
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以前ここに来たことのあるロンドンの椿姫さんによると、この劇場は内部写真撮影厳禁で
その厳しさは徹底しているということなので、カーテンコール写真は撮れないだろうし、
楽屋口もわからないから出待ちもできないし、と思っていた矢先だったので、これ幸いと
パパラッチさながらに取り囲んでパチパチとイエスティン君の写真を撮らせてもらった。
(私服姿でもあり、他の人たちはイエスティン君には全く気づいていないようで、私たち
以外に彼の写真を撮る人はいないのであった。それとも、この劇場に来る人たちの大半は
CTとかオペラとかバロックとかにはあまり縁がないのかもしれない。)

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昨年建ったばかりのサム・ワナメイカー・プレイハウスの見取り図。
左下部分がこじんまりとした劇場で、それ以外の空間に、切符売り場(右)、
カフェ(左上)、階段などが見える。

劇場内部の写真撮影が不可ならば、撮れるところで撮っておかねばと、フォアイエで着物姿の
記念写真撮影もした。

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昨年1月にこけら落としをしたばかりの新しい劇場だが、外観はイギリス版北方ルネッサンス
のジャコビアン風の端正かつシンプルな煉瓦造りなのに対して、劇場内装は木材に黒と金の
彩色が施されてかなりバロックっぽい趣味の豪華さで、しかも照明は天井から下がるシャン
デリアもステージ壁も舞台床も本物の蝋燭のみという凝りようである。だから、内部はほの暗く、
いかにも時代劇を見るのに似つかわしい雰囲気で気分は嫌が応にも盛り上がる。
丁度、四国高松にある、江戸時代の芝居小屋を模して造られた金丸座のような具合で、その
時代の空気が味わえるこの空間に、芝居好きならば一度は身を置いて劇場体験すべきだ。

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トイレのある場所は2階奥で、一番上の写真にあるハーフティンバーのエリザベス一世時代の
チューダー風建物のグローブ座に壁を接して繋がっているようだ。

さて、ようやく開演時間が迫ってからドアが開き、客は座席に着くことが許される。
1階バルコニー右側の席で、びっくりするほど小さな芝居小屋ながら、柱が邪魔になる席も
あるので、値段は隣り合わせの席同士でもかなり幅のある設定になっている。私の席は45
ポンドだったと思うが、クッション付きベンチ席で余裕があり視界も悪くなかった。

ロンドンの歌劇場と芝居の劇場との違いで一番大きいのは、後者内部での写真撮影絶対禁止と
いう方針の徹底度だ。開演前に客席の様子を写すのすらきつく咎められるということは、
11月の遠征時に鑑賞したオールド・ヴィック座での『エレクトラ』で重々承知している。
狭い劇場に比して案内人の数が多いのと、客席数も少ないため係員一人ひとりが目を光らせて
いて、見つかれば遠くからでも叱責注意されるという現場を目撃しているから、カメラを取り
出すのさえ恐ろしくてできない。
そして、もう一つの驚きは、これもオールド・ヴィック座で経験すみなのだが、客席への
飲み物持ちこみが当たり前であることだ。皆、プラスチックのコップに入った水やビールや
ソフトドリンクを手にしている。(ラウンドハウスからのオペラ『オルフェオ』ライブ・スト
リーミング中継で映された客席でもリラックスして飲み物片手の人が目についたので、ロン
ドンの芝居小屋では当然のことであるらしい。)

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舞台奥の部屋や壁などはこの芝居のために作られたデコールではなく常設で、中央奥から
役者が舞台に登場する。舞台を客席から隔てるカーテンはない。また、芝居は舞台上だけで
なく平土間の客席通路や舞台の階上でも行われる。器楽演奏は、教会のパイプオルガンある
いは合唱団席さながらの舞台奥の階上にあるギャラリーが定位置である。

今回、イエスティン君の歌が目的で来ている客は少数派であるらしいことは、歌劇場やコン
サート・ホールとの客層が違うことから察せられた。そして、観客の目的は何よりも、今
飛ぶ鳥を落とす勢いの俳優、マーク・ライランス演じるスペイン王フェリペ役を見るためと
いうことは紛れもない事実だと実感した。それは、彼の一挙一動に会場の目が注がれ、意外
にも喜劇的要素の多い芝居なので、彼のセリフごとに笑いが起こる、という塩梅である
ことから知ったのである。なるほど、開演前に会ったイエスティン君が言っていた
「すっごくファニーで楽しく笑える芝居だから。」というのは、このことなのかと悟った。
ファリネッリと王様という芝居は喜劇とは最大の予想外であった。

それと同様に予想外で驚かされたのは、ファリネッリとスペイン王そしてイザベラ王妃との
三角関係が後半では重要な話の運びになっていることだった。
前半では主に、鬱で自分の世界に閉じこもり国政に興味を無くしている王の周りで起こる
悲喜劇と、そんな王をなんとか救いたいがために、音楽の力で病気や神経が和らげられるの
ないかと思い、ロンドンの劇場情勢に詳しいイザベラ王妃がファリネッリをスペインに招聘
し、王様専属歌手にしようとする、かなり状況説明的な筋で進んだ。

ウィーンのメタスタージオを仲介人にして人気絶頂のファリエッリをなんとかスペインまで
来てもらうことに成功。王の枕もとで歌う、Alto Gioveが前半のハイライトであろう。
ファリネッリといえば誰もがこの曲を思い浮かべるし、ポルポラ作曲で彼の音楽書法および
カストラートの喉やテクニックを聴かせる技巧など全てが凝縮したこの歌は、最近では若手
CTたちも何人かレパートリーとしている。
この歌なしではこの芝居もあり得ないだろうと思っていたが、イエスティン君がこの歌を
歌うのを聴くのは初めてなので、どんな具合なのか、しかし彼の得意とする唱法とはかなり
異なるテクニック、メッサ・デ・ヴォーチェやヴィヴラートなどのケレンミを必要とするから
なあ、と不安半分・期待半分であった。やはりと言うべきか、かなりあっさりと正攻法聖歌
隊的で、艶めかさや哀愁や甘美からはほど遠いものであった。しかるに例えるならば、夜空に
きっかりと輝く星の清澄さ、森の木立の間から地面に差し込む月光のごとくひたすらと清々
しいのである。
もしも超絶技巧を駆使した唱法でこの歌を歌われたら、王は興奮、ますます目が冴えてし
まって眠るどころではなくなるから、子守歌のような歌唱は本来の目的に適っているとも
言えよう。

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後半は、心の平安を取り戻した王と王妃とファリネッリとの楽しい田舎生活、そして王妃と
ファリネッリとの不倫が軸になる。
森の中の狩の場面では、景気づけのため勇ましいVenti Tribuniをファリネッリが歌う。
このアリアは、ヘンデルの『リナルド』での白眉であり、昨年グラインドボーンで題名役を
歌い演じたイエスティン君の十八番である。男っぽいこの歌は、だから、二重の意味で
テクニックも含めてばっちりと決まる。
だが、しかし、ここでまたいくつか疑問が湧く。
まず、この選曲は脚本家(作曲家としての方が有名なクレア・ファン・カンペンが初めて
脚本を書いた)によるものなのか、イエスティン君からのアドヴァイスなのか。
そして、イエスティン君が歌手ファリネッリとして舞台に登場するのはほぼ歌う時のみで
あるが、もう一人のファリネッリ役俳優とイエスティン君とはルックスがよく似ている。
歌が始まると2人のファリネッリが舞台上で入れ替わる時もあるし、2人がそのまま一緒に
いる場合もある。わざわざ、そっくりさんを選んだのだろうか。
そしてまた、イエスティン君はオペラ舞台経験も多く演技力もあるのだから、わざわざ
ファリネッリ役を2人にする必要はあったのだろうか。

第一の疑問に加えるに、後半の二番目のアリアにCara Sposaが使われたのは、王妃とファ
リネッリとの不倫の愛という場面にはぴったりであるが、逆に考えると、もしかしたらこの
歌を使いたいために不倫という設定を作ったのかもしれない。そんな疑問も湧くほど、
この歌もイエスティン君にお誂え向けの十八番で聴かせる歌なのだ。

第三の疑問にも加えると、オペラ歌手だから舞台で歌以外の台詞を覚えたりしゃべるのは
さほど苦になるとも思えないのだが、地の声がかなり低いイエスティン君の場合、しゃべる
のとファルセットの歌唱とを交互にというのは喉には負担になるからだろうか。
かなりの回数出演の舞台だから、出ずっぱりというのは重労働かもしれないが、イエスティ
ン君の演技や異なる表情をもっともっと見たかった。というのは、歌手ファリネッリとして
登場する彼は、人気と地位に恵まれた華やかな人生を象徴しているとは思えないほど沈痛な
表情で歌うことが多かったからだ。

王のもとを去るファリネッリが歌うのは、『私を泣かせてください』で、これとともに幕。
この曲は、『リナルド』では本来ソプラノが歌うのだが、今まで一度たりともソプラノが
歌うこの曲を聴いて満足したことがない。かなりスローテンポなのは己の境遇の辛さを切々
とかきくだき、悲劇のヒロインである自分に酔っているようなのが常道で、かえって聴く方は
白けてしまうことが多いのだ。それに対して、女々しいところの少ないメゾやCTが歌うと
この曲はいい曲だなあ、と思うことが多い。
イエスティン君がこの曲を歌うのを聴くのは今回が初めてだったが、『ファリネッリと王』
のラストでストレートに全くてらいなく歌われたこの曲がしみじみと心に響き、これほど
イエスティン君向けの曲だとは、と新たな発見に目を瞠らされたのだった。
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by didoregina | 2015-02-26 22:11 | イエスティン・デイヴィス | Comments(8)

England's Orpheus, or the festive finale of a year with.....Iestyn Davies

December the 5th is St. Nicholas’ Eve. In several parts of Europe, particularly
in the Netherlands and Belgium, it’s more important than Christmas, especially
for children who try to behave well to receive fancy presents from the Good Saint.
On that very evening, Iestyn Davies (countertenor) and Elizabeth Kenny (lutenist)
would give an intimate lute song concert at Shoreditch Church (St. Leonard’s) in London. Early music lovers might hardly imagine any better treat than this.
So I flew away from the warmth and cosiness of festive event in Holland to attend
the concert to celebrate the finale of an extraordinarily musically fruitful year.

c0188818_2045061.jpgEngland's Orpheus
5 December 2014, Shoreditch Church (St. Leonard's)
Iestyn Davies (countertenor), Elizabeth Kenny (lute)

Purcell: Music for a While,
Sweeter than Roses,
A Song Tune (lute solo),
RIgadoon (lute solo),
'Tis Nature's Voice.

Dowland: Come Again,
Flow My Tears,
Semper Dowland, Semper Dolens (lute solo),
Now, O Now I Needs Must Part

[interval]

Dowland: In Darkness Let Me Dwell,
King of Denmark's Galliard (lute solo),
Can She Excuse My Wrongs?,
Sorrow Stay

Handel: O Lord Whose Mercies Numberless,
Non può mia musa,
Può te, Orfeo, con dolce suono, Dunque maggio d'Orfeo,
Ogn'un canti e all'Armonia

Robert de Visée: Prelude and Chaconne (theorbo solo)

Purcell: By Beauteous Softness,
If Music Be The Food Of Love,
An Evening Hymn

Encores:
Handel: Cor Ingrato from Rinaldo
Thomas Morley: Will You Buy A Fine Dog?

I have a kind of tendency to avoid concerts held at churches, as I’m rather
critical and sceptical about the acoustics in churches in general; in most cases
the choir sounds too solemn to understand what they are singing because of
echoes and reverberations. In order to prevent that kind of disappointment,
you have to take a seat as close as possible to the musicians, where you can
hear the sounds directly. So my friends and I started standing in front of the
church door 30 minutes before it opened, and could successfully get the best
seats on the front row.
Another threat to a church concert is rather low temperature inside; in winter
you might regret, if you don’t dress like going out to watch a football game.
I remember a Bach concert at Our Lady’s Church in Maastricht a few years ago;
the audience jumped up soon after the last tune had faded (it took some time
before all became quiet, as the reverberation time of that church was extremely
long), clapped shortly and rushed outside, instead of giving a usual standing
ovation. Our patience reached nearly the limit, and it was too cold to behave
politely. I still wonder how musicians and their instruments survived in such
extreme circumstances…..

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(photo courtesy of Peraperaopera)

The fully packed Shoreditch Church looks quite cosy with candle lights here and
there on the stage. There are even some seats set on the stage just surrounding
the artists like a shield or a wall, which, in my view, would be aimed to create
better acoustics.

The opening number of the concert is Music for a while. During last 12 months I attended 9 concerts and 3 operas in which Iestyn was involved and this is my
5th time to hear his singing this song live. Music for a while is obviously and
absolutely my favourite song from Purcell, and this time it is accompanied with
the lute. This combination results in plain beauty. I am so touched by the music
played by two artists who look totally devoted to entertain us in such a sincere way. This is the best Music for a while rendition ever, bearing a touch of loneliness,
despair and hope. I first try to keep myself calm but soon surrender and let my
eyes filled with tears. Later Iestyn sings Flow My Tears suitably with full essence
of melancholy.

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(photo courtesy of Peraperaopera)

The second part after the interval starts with melancholic Dowland’s In Darkness
Let Me Dwell. It is impossible not to be blown away, by hearing England’s living
Orpheus singing this song. But he sings it without unnecessary pretension; yes,
which you can call the art of melancholy. I am particularly fond of the way he ends
the song suddenly with no display of sentiment, which is so effective, sensible and stylish.

Lutes and theorbo require tuning often, so Iestyn and Lizzy talk meanwhile about instruments, composers, their first collaboration some 20 years ago and so on.
(One of the CD booklets I brought to be signed is coincidentally the recording for
which they worked together when Iestyn was 13 years old. I asked them to sign
on it at the post-concert signing session. This is Iestyn’s autograph, mocking as if
a 13-year-old boy wrote it.)

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Lizzy plays some solo lute pieces, which also sound intimate and unpretentious.
Robert de Visee’s works are not familiar to me, but they recall me a same sort of
delight as Dutch art of 17th century. Perhaps it’s because of the composer’s name;
Vise is the nearest Begian town just across the border from my place. Might his
family have come from Vise, or he himself have been born there?

Handel is honourably nominated as an English Orpheus in this concert. I don’t
disagree, though he is totally different from the two former composers. I’m also
a Handelian and I always appreciate Iestyn’s performing roles in Handel’s operas
and oratorios, so it is more than welcome that Handel repertoire is included in
tonight’s programme. Iestyn sings Non puo mia musa, which, to my surprise, seamlessly matches the rest of the programme, even though it’s sung in Italian
with more vivid colours and lighter ornamentation than relatively monochrome
Dowland and Purcell songs.

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Purcell’s Evening Hymn is a perfect song to finish a lute song concert; I never call
this song a tearjerker, but this time I can’t help my lacrimal gland loosing. What a blessing.
There are two encore pieces: Handel’s Cor Igrato from Rinaldo, and Thomas Morly’s
Will you buy a fine dog? The contrast is huge:one is serious and the other is funny, which shows his versatility in wide repertoire. After attending this memorable, comprehensive and exquisite concert, I can’t help feeling like listening to Iestyn's performing on an opera stage soon again.
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by didoregina | 2014-12-09 21:38 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

マレーナ様のルッジェーロ動画、再び!

マレーナ・エルンマン・ファンクラブの皆様、いかがお過ごしでしょうか。
さて、マレーナ様主演の「セルセ」ストックホルム公演は全30回、9月からの長丁場も
11月2日に千秋楽を迎えました。

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この公演での「セルセ」動画はまだアップされていないようですが、2月のチューリッヒ公演
「アルチーナ」のルッジェーロの動画が、いったん削除されたもののまた出てきました。
とにかく、マレーナ様の素晴らしい演技力と運動神経抜群の切れのいい動きに圧倒され、
コミカルな洒脱さに爆笑間違いなし。ぜひご覧になってください。



オペラ対訳プロジェクトが訳してくださった、このアリアの歌詞と対訳を載せます。


Partir da te, mio ben, alma molesta. 愛しい人、君の元を離れるのはつらい。


Sta nell'Ircana pietrosa tana ヒルカニアの石造りの棲み家に
tigre sdegnosa, e incerta pende, 怒った雌虎がいて
se parte, o attende 猟師から逃げるかそれとも待ち受けるか
il cacciator. 決めかねている。
Dal teso strale つがえられた矢から逃げたいが
guardar si vuole; それでは子供を危険にさらしてしまう。
ma poi la prole 血への渇望と子供への心配に
lascia in periglio. 震え悩んでいる。
Freme e l'assale そして、愛が勝つ。
desio di sangue,
pietà del figlio;
poi vince amor.


(Parte in fretta.) (素早く退出)



来年1月・2月・3月には、オランダ・ナショナル・オペラ(DNO)とモネ劇場とのコープロで
ルセ指揮オーディ演出の「アルチーナ」が、アムステルダムとブリュッセルで上演されます。
そちらはドロットニングホルム版のため、チューリッヒのプロとは全く正反対と言ってもいい
舞台となることでしょう。マレーナ様は出演しませんが、期待のオペラです。
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by didoregina | 2014-11-05 17:47 | マレーナ・エルンマン | Comments(8)

グラインドボーンの『リナルド』2014年リバイバル版

2014年夏のグラインドボーンでのカーセン演出の『リナルド』上演は、2011年の夏フェスティ
ヴァルでの初演と秋のツアーに続いてのリバイバルだ。8月19日の公演を鑑賞した。

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Rinald. Glyndebourne Festival 2014. Photo: Robbie Jack

Conductor Ottavio Dantone
Director Robert Carsen
Revival Director Bruno Ravella
Designer Gideon Davey
Movement Director Philippe Gireaudeau
Lighting Designers Robert Carsen and Peter Van Praet

Rinaldo Iestyn Davies
Goffredo Tim Mead
Eustazio Anthony Roth Costanzo
Almirena Christina Landshamer
Armida Karina Gauvin
Argante Joshua Hopkins
A Christian Magician James Laing

Orchestra of the Age of Enlightenment

今回のキャストにはカウンターテナーが4人も入っているのが大きな特徴で、映像化された
3年前の舞台ではリナルドとゴッフレード役が女声だったのに比べて顕著な変化である。
特に現在イギリスを代表する若手実力ナンバーワンCTのイエスティン・デイヴィスともう
一人ティム・ミード、そしてアメリカ人CTアントニー・ロス・コスタンツォが同じ舞台に
立つから、その競演も見ものの一つだ。

まず、イエスティン・デイヴィスに関していえば、このプロダクションは彼を念頭に置いて
作られたとしか思えないほど、ヴィジュアル的にも適役で、最初から最後まで期待を全く
裏切らない出来だった。

カーセンの演出では設定を現代の寄宿学校として、いじめられっ子高校生のリナルドと
彼が恋い慕う清純なアルミレーナや十字軍総司令官ゴッフレードを含めた男子仲間(キリ
スト教徒)と、邪悪な異教徒である女子生徒からなる悪役組(寄宿学校の女教師・舎監が
魔女アルミーダと魔法使いアルガンテ)との戦争ごっこのような対立図式になっている。
そして、すべてはリナルドが頭に描くマンガチックな空想世界のお話ということにして、
破天荒なストーリーに信憑性・統一性を持たせているアイデアが素晴らしい。
そういう演出だから、童顔できりりとハンサムなイエスティン君はリナルド役にぴったり
なのだ。

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最初は男子生徒からもいじめられるひ弱なリナルド

いじめられて、窮屈な学校生活から空想世界に飛躍する際、リナルドは甲冑を身に着ける。
そうすると、女教師も校長も異教の魔法使いに化すのである。

ヘンデルの『リナルド』では、魔女アルミーダというのがとても重要な役で、彼女役の歌手
いかんで舞台の印象がかなり左右されると思う。
ケルンで実演鑑賞したことがあるプロでは、アルミーダ役はシモーネ・ケルメスだった。
普段のキャラからしてぶっ飛んだ魔女そのもののケルメス姐には、Furie terribili!の最初の
登場から幕が下りるまで観客の目も耳も釘付けで、リナルド役のパトリシア・バードンを
完全に食ってしまい、彼女の独り舞台の趣であった。そのくらい個性的な歌手でないと難しい
役なのだが、今回のカリーナ・ゴーヴァンはちょっとキャラ的に弱いように思えた。

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カーテンコールでのゴーヴァン

ゴーヴァンの歌唱に関しては文句をつける点はほとんど見つからないが、表情を含めた演技が
イマイチなのが残念。ベタなくらい悪役に徹したクサイと思えるほどの大げさな演技でないと、
魔女役としてのキャラが生きてこない。地の性格の善さが裏目に出ている感じだ。
女教師が若くてハンサムでかわいい高校生に横恋慕するという設定なんだから、もっと羽目を
外してほしかった。ヒステリックな年増女の秘めた恋心を歌うしっとりしたアリアAh Crudel!
(ああ、つれない人よ)は、ひたひたと胸に迫りよかった。
彼女の声質では清純なお姫様役も似合うし、バロック系ソプラノにしてはよく響く深みもある
声で声量も十分だから悪役もこなせるはずなのだ。今後の課題といえよう。

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十字軍総司令官ゴッフレード役のティム・ミードはひげ面。

もう一人注目のCT、ティム・ミードは、どうやらその日のコンディションがあまりよく
なかったようで、最初に登場した時の歌唱では声になんだか張りがないように感じられ、
精彩を欠いた。
これに関しては、アルミーダ登場の際のアリアFurie terribiliでも、あれっと感じたので、
舞台後方で歌うという演出でこの二人は損していたともいえる。客席まであまり声が届いて
こないのだった。
(でも、それに対してイエスティン君は舞台のどこで歌っても客席によく響かせられる、声の
プロジェクションが非常にいいのだ)
しかし、後半になるにつれ声に潤いと力強さが出てきたようで、最後のSorge nel petto
(胸に湧き上がる喜び)を、しっとりと聴かせ拍手喝采を得た。

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その日の出来が不本意だったのか、カーテンコールでもあまり晴れ晴れしていない表情のティム。
(この日と翌々日の2公演を鑑賞した方によると、やはりティムはこの日イマイチだったのだが
次の公演では持ち直していい出来だったそうだ)

これらしっとりとしたアリアでは、特に通奏低音が美しくリードする。
今回の古楽オケOAEの指揮はオッタヴィオ・ダントーネで、彼自身がかなり重要な場面で
指揮を執りつつチェンバロを弾くのだったが、オケピットにチェンバロは2台が入り、もう
一台はかなり隅の右手に置かれていたが、2台のチェンバロが絡み合って通低だけの伴奏の
場合でも美しさと奥行きを出していた。
帰りの電車でたまたまその2人目のチェンバロ奏者が隣に座ったので色々おしゃべりできた。
チェンバロは2台とも比較的新しいコピーなのだが(中央の指揮者が弾いたチェンバロには2008
年と銘が入っているのが読めた)、深みのある低音が美しく嫋々としたいい音であると感想を
述べたら、我が意を得たとばかり喜んでくれた。
また、リュート、テオルボやチェロなどの通奏弦楽器の溌剌とした音が、最前列の私の席には
よく響き、バロックらしい気分をかきたててくれ、いかにも楽しそうに演奏するオケのメン
バーを見ているだけでも幸福感に浸れるのだった。
ヴァイオリンも馥郁たる響きと溌剌とした演奏が好ましく、ああやっぱりOAEはいい古楽オケ
だなあ、とうれしくなった。トランペットも、木管楽器も外すことがなく皆べらぼうに上手い。

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アルミレーナ役のクリスティーナ・ランズハマー

アルミレーナ役というのは、このオペラのある意味で要になる重要で難しい役である。
単なるお姫様というのだけでは弱い。
このプロでは、眼鏡と金髪三つ編みのイケてないまじめな女の子で、いじめられっ子同志で
リナルドとは愛情で結ばれている。だから、キス・シーンが非常に多いのだった。
イエスティン君はどうも潔癖症なのか災いするのか、3月に鑑賞した『ロデリンダ』ではキス・
シーンが上手くなかったのだが、今回はかなりこなれていた。
アルミレーナの歌う『わたしを泣かせてください』は、誰でも知っていて口ずさめる名曲で
ある。だから、本当に胸に響いてくる歌唱というのは稀でもある。だから、はっきり言うと、
あんまり期待せずに聴くのがよろしい。
ランズハマーの歌唱は、悪くはなかったが、ここでクライマックスに達するというわけには
いかなかった。発音では「リーーベルタ」ではなくて「リベーーールタ」式だった。

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楽屋廊下で会えたアントニー君の日本で買ったというTシャツがキュート!

もう一人のCTアントニー君は、今回がヨーロッパデビューであるから、期待していた。
どちらかというとピンと張ったような若々しい声であるが、まろやかさに欠けるというか、
それほど好みの声質ではない。しかし、こういう風に個性の異なる若手CTがどんどん出て
来てくれるのは大歓迎である。声質には好き嫌いが顕著に表れるが、音程が不安定だとか
のテクック的に不安要素はないから、彼もいろんな舞台を踏めばもっと成長してどんどん
伸びていくだろう。

こうして見ると、全体的にイエスティン君のコンスタントに安定した歌唱は驚異的だ。
声量はいつもしっかりあるし、最初から最後まで歌唱にも発声にもコントロールが効いて
いる。体力があるのだろうしコンディション管理がしっかりしているのだろう、息切れなど
することもなく、どこにも無理が感じられないから安心して聴いていられる。
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このオペラの一番のクライマックスは、第二幕最後のリナルドのアリアVenti, turbini
(風よ、旋風よ)であることは間違いないのだが、アクロバティックなテクニックを要する
アリアの途中で、カーセンはとんでもない演出を入れたのだ。
十字軍が皆自転車に乗って異教徒との戦いに向かうのだが、リナルドの自転車はなんと、
映画E.T.の場面さながらに、大きな月を背景に宙乗りになって、舞台を横切るのである。
歌いながら宙乗りで自転車をこぐから笑いを取る演出であるが、軽々としてこなさないと
いけないから歌手としてはかなり大変な重労働でもあろう。
あまり装飾にや技巧に凝るタイプの歌手ではなくストレートな歌唱で勝負!というのが
イエスティン君の持ち味であるが、このアリアではアジリタも決めて聴かせてくれた。

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満面の笑みとガッツポーズで、本人も大満足気のカーテンコール!

というわけで、この『リナルド』プロダションは3年たってようやく真に適したリナルド役を
得て完成し、イエスティン君にとって当たり役の舞台となったことを確認したのだった。
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by didoregina | 2014-08-27 23:42 | オペラ実演 | Comments(2)

イエスティン君『リナルド』を鑑賞するためにグラインドボーンへ!

待ちに待ったイエスティン・デイヴィス主演の『リナルド』@グラインドボーンだ。

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3年前のグラインドボーン本家版初演の主演はメゾ・ソプラノだったため、さほど実演鑑賞
したいという気にはならなかったが、そのあとのツアーには、当時最も応援していたカウンター
テナーのクリストフ・デュモーがリナルド役に抜擢されたため、かなり本気で、行くべきか、
と悩んだものである。しかし当時、次男が高校の最終学年の、日本で言えば受験追い込みの
重要な時期であったため、オペラ鑑賞のためイギリス遠征など親として憚られたのであった。
無事に大学に入学した子供たちが親元を離れた今、ようやく大手を振って遠征ができるように
なった。そして、今年の主演は、現在最も贔屓にしているCTのイエスティン君である。3年間
待った甲斐があったというか、まるでわたしのために取っておいてくれたかのようにお誂え向
で、とにかく気合が入ったのも当然である。

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長年憧れていたグラインドボーン、しかも応援している歌手の檜舞台を観に行くからには、
座席ももちろん特等席に座りたい。チケット・ゲット方法を色々研究したが、結果として
上手い具合に最前列中央の席が取れた。一般発売前にテレグラフ紙購読者向け優先発売コード
というのを目ざとく見つけたロンドンの椿姫さんが参戦。すでにグラインドボーン友の会会員
向けには発売された後なのだが、なぜかぽつんと最前列中央の2席が残っていたのである。
しかも、比較的安い。指揮者が邪魔で舞台が見えにくいとか何か裏があるんだろうか。

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グラインドボーンには、ロンドンの椿姫さんと日本からのVさんと3人で電車で出かけた。
グラインドボーン付近の町か村のB&Bに泊まってタクシーで行くという案も当初あったが、
お勧めB&Bが満室だったのと、ロンドンから日帰り可能だから不便な田舎に宿泊するより
かえって楽、という椿姫さんのご意見に従ったのだ。
ヴィクトリア駅発イーストボーンなどイギリス南部の海岸行きの電車をルイスという町で
降りると、グラインドボーン・フェスティヴァル会場行きのシャトルバスが待っていた。
『リナルド』の開演時間は通常より早く午後5時なので、電車は1時47分ヴィクトリア発に
乗るようにとのフェスティヴァルからの指定である。主催者がチャーターしたバスには着物を
着ていたためか、優先的に誘導してくれすぐに乗れた。ダブルデッカーが狭い町の坂道を
上ったりするから、ちょっと怖い。

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バスが駐車場に着くと、そこから広い芝生の庭に直結している。囲いとか門みたいなものは
見えない。そして、皆、それぞれ好きな場所にピクニック道具を広げるのだ。
バスも電車も、皆さまが持ち込んだかさばるピクニック一式で大変な具合だ。
その辺の公園にピクニックに行くのではなく、天下のグラインドボーンであるから、道具も
凝っている。F&Mとかブランドもののレベルの付いた立派なバスケットはマストアイテム。
草地に直接座る人たちもいるが、ロングドレスの人たちはもちろん椅子とテーブル。だから、
テーブルクロスやキャンドルも必要アイテムだ。食器やカトラリー、グラスに至るまで、
プラスチックとか紙製などもってのほか。ブラックタイと釣り合いの取れないような安っぽい
ものが見当たらないのは当然である。

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開演前の1時間半くらいの時間、ピクニックを楽しむのがいい。そのあとの2度目の幕間も
食事やピクニックのため1時間半あるが、外での食事はもう暗くて寒いから楽しめないだろう。
着物で電車に乗って大荷物を運ぶのはみっともないのでピクニックの準備をしてこなかった
私たちは、敷地内を散策して開演前の前座さながらのエンタメとして皆さまの目を楽しませる
ことに専念(?)した。

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しゃなりしゃなりと練り歩きつつも、レストランや楽屋口のチェックは忘れなかった。
食事時間は短いし、最前列中央の席というのは非常に外に出るのに時間がかかるからだ。
どういう手筈でレストランに入るか、バスの時間に遅れないようどういうルートを通って
楽屋口まで行くか、外に出られた早い者から行ってご贔屓が出てきたら待っていてもらう
ように頼むとか、事前準備を怠ってはならない。
楽屋口に近づくと、発声練習するCTらしき声が建物の窓から聞こえてきた。窓の奥に人影が
見えたので椿姫さんが手を振ったら振り返してくれたのは、たぶんアントニー君であろう。

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敷地内にはご当主ご一家が住む。というより、敷地内にオペラハウスを建ててしまったという
方が正しいかもしれない。こちらは、本館マナーハウスに直結したサロンのオルガンルーム。
17世紀オランダ製のパイプオルガンの他、壁にはオランダ黄金時代の絵画が沢山飾られている。

さて、開演時間が近づくが、オペラハウスのホールにはなかなか入れてくれない。至近のドア
の前に立って開場を待つ。待つ人は少なく、皆のんびりしたものである。そしてそこで初めて
チケット・コントロールがある。つまり、そこまでは誰でも入ろうと思えば入れるのだ。
オペラを見ないで、ゴージャスな雰囲気とのどかなカントリーサイドの景色を楽しむだけに
ピクニックすることも可能なのだ。
とにかく、お客は悠揚迫らずのんびりゆったり過ごせる。運営側はそういうリッチな気分に
浸ってもらうための努力を惜しまず、すべてがスムーズに事が運ぶのだった。ドアやトイレの
数も多く、並んだりする必要はどこにもない。お見事、脱帽である。

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会場に入り、最前列中央の席に座ると、すぐ後ろの席にやはり着物をお召しになった若い女性
が。彼女の方から気が付いてくれたのだが、なんと数年前、東京の芸大での『アリオダンテ』
公演鑑賞をブログ仲間とご一緒したあとのオフ会に友人の友人として参加した方なのだった。
なんという奇遇!ヘンデル大好き仲間同志、開演前や幕間に大いに盛り上がったのだった。

オケピットはかなり深めだが、指揮者が立つとどうだろうか。舞台の邪魔になるだろうか。

長くなったので、その先は続き記事にしたい。
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by didoregina | 2014-08-27 16:50 | イエスティン・デイヴィス | Comments(6)

来週のグラインドボーンの天候が気になる!

グラインドボーンにオペラを見に行く!と言うと、反応はほとんど判に押したように一様で
「セレブ~」とか「スノッブ!」とか「すごいね」とか、返ってくる言葉はオランダ語でも
日本語でも英語でも似たような語感の単語である。
たしかにグラインドボーンでオペラ鑑賞というのは、ブラックタイというドレスコードや
幕間の芝生上でのピクニックなど、庶民感覚とは隔絶してなんとなくエリート・上流趣味っ
ぽいイメージがある。しかし、チケットの値段は非常にリーズナブルだし、現地に泊まらずに
ロンドンから電車で日帰りで行くのだから、普通の歌劇場へ行くのとは遠征費用的にさほど
変わらない。音楽祭のチケット価格だけ比べても、ザルツブルクやエクサンプロヴァンス、
はたまたバイロイトの方がよっぽど高い。

グラインドボーンは、わたしにとって長年の憧れだった。三年前に観たくて行きたくてたま
らなかった『リナルド』の再演、しかも、今度の主役は今一番贔屓にしている歌手のイエス
ティン・デイヴィスである。このチャンスを逃したら一生行くことはあるまい、と遠征を
決意したのは今年の初め頃だった。
また、ドレスコード的にも、着物でオペラを楽しむというわたしの趣味にドンピシャである。
何を着ていくか、コーデに悩むのも楽しみの一つなのだ。


c0188818_22401515.jpg
夏だから、やはり夏着物で行きたい、と思ってまず考えたのは、上の写真、白の夏大島で
ある。
ここぞというときには、白大島を着たくなるわたしにとって、順当な選択だ。
夏らしくふんわりと薄手で羽のように軽く、しかもシャッキリした肌触りは、まるで羽衣。
エレガントだし、本来の夏の気候であったなら、夏大島はぴったりだろう。

しかし、夏大島をベースにしたコーディネートを決めてから、日々、天気予報を見ている
のだが、どうやら、来週もかなり涼しそうで、降水確率も高い。そうなると、体感温度は
もっともっと低くなる。夏大島の上と下に重ね着するという方向で考えていたのだが、最高
気温が20度を切り、下手すると夜には10度位という予報なので、やせ我慢の限界を超える。

ということで、結局、六月中旬のロンドン遠征に着ようと思っていたが案に反して予想以
上に暑くなったので諦めた、ピンクの地に紫と白の芍薬が描かれた袷の訪問着を今回ようやく
着ることができそうだ。
十代後半にお茶会で着るために誂え、結局着たのは大学の卒業式一回のみだったというその
着物は、今現在手持ちの中で一番派手なものだ。グラインドボーンだからいくらゴージャスに
しすぎても浮くということはないだろうだから、この機会を逃したら今後一生袖を通すこと
はないかもしれない着物も、縁を得て喜んでくれるだろう。

一応、ロンドンには両方の着物とそれぞれのコーデ一式を持って行って、当日の天候次第で
最終的に着る物を決めるつもりである。念には念を入れて、手抜かりのないようにしたい。


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by didoregina | 2014-08-16 23:06 | 着物 | Comments(4)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


by didoregina

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プロフィール

名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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