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ヴィヴァルディ『ウティカのカトーネ』@ケルン

『ウティカのカトーネ』といえば、昨年夏ヴェルサイユ他の劇場でのCTが多数出演し、
男声のみで上演されたヴィンチ作曲版が話題になった。
半年後の今年2月にはヴィヴァルディ作曲版がコンセルトヘボウでもコンサート形式で
演奏され、こちらは女声がメインであった。
どちらも、残念ながらよんどころない用事と重なり見逃したのだった。(ラジオでは
聴いた。)
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ケルンでもヴィヴァルディ版コンサートがあることを知ったのは、8月である。
9月初めの遠征がやたらと続いた時期であるが、前日になって行くことに決め、行くのを
諦めざるをえなくなった友人からまたもや最前列中央の席を譲ってもらえた。
直前に決めたのは、金曜日と日曜日にあるケルン公演のチケット売れ行きが見るも
無残な有様で、これはバロック・オペラ・ファンとしては行かないと女が廃る!と発奮
したからだ。客席に穴をあけてはいけない、アーチストを応援しなければ、と。

Catone in Utica  2016年9月9日@Oper Köln Im Staatenhaus

MUSIKALISCHE LEITUNG: GIANLUCA CAPUANO

CESARE: KANGMIN JUSTIN KIM
CATONE: RICHARD CROFT
EMILIA: VIVICA GENAUX
ARBACE: CLAUDIA ROHRBACH
FULVIO: MARGARITA GRITSKOVA
MARZIA: ADRIANA BASTIDAS GAMBOA

ORCHESTER: CONCERTO KÖLN

目あては、ジュノー、キム、そしてコンチェルト・ケルンという順番だった。

ケルン歌劇場は、数年かかっている改修工事完了の見通しがまだ立たないままで、
今回の会場は、ライン川を挟んで大聖堂の反対側、見本市会場の近く(見本市会場の
一部かもしれない)Staatenhausという建物だった。駅裏のテントよりはまだ少しまし
と言う程度のいかにも仮設という感じで、ここはとにかく前々日の冷房の効きすぎた
ケルン・フィルハーモニーとは正反対で、冷房設備などないから暑いことこの上ない。
(その日も30度近くあったのだ。)

ステージらしきステージはなくて、雛壇上に幅の広い客席が造られているだけである。

コンチェルト・ケルンの演奏はいつも手堅くどのパートも万遍なく上手い。そして弦に
エッジが利いてきびきびして、いかにもヴィヴァルディらしい情熱がほとばしる感じが
好みである。だれるということがない。所謂濃い演奏なのだが、びしりとしまりがある。

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歌手では期待通りのジュノーが、とにかく機関銃のようなアジリタをビシバシと決めて、
小気味よいことこの上ない。彼女の少しだけ暗めの個性的な声がヴィヴァルディ独特の
ケレンミにぴったり合う。彼女の声と歌唱ほど、録音と生では印象が異なるのも珍しい。
余裕で自慢の喉を披露するという按配で、コンサート形式のバロックオペラ実演の醍醐
味と楽しさが溢れるのであった。

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もう一人のカンミン・ジャスティン・キム君には、期待以上の何かを持って臨んだ。
すなわち、キムチリアというあだ名の通り、バルトリの物まねで有名な彼だから
ちょっとキワモノ的なイメージがどうしてもあるから、偏見なしで聴くことが難しい。
ところが、最前列正面に座った私に自信たっぷりな視線を合わせて、反応を楽しみな
がら歌う彼には最初から度肝を抜かれた。
高音が無理なく美しく発声できるのはもちろん、低音にもなかなか魅力があり、声区の
移動も跳躍もスムーズである。派手なテクニックの披露も楽々とこなし、彼の歌唱を
例えるなら、男子新体操の筋肉質でかつ美しい動きを見るような快感があった。
キワモノ的イメージを自ら作り上げて名前を売る作戦も悪くない。実演を聴いて、その
実力に気持ちよくノックアウトされるという楽しみを作ってくれた彼に感謝している。

その他の歌手も皆実力あるソリストで、このヴィヴァルディ公演は大成功。堪能できた。
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by didoregina | 2016-09-25 21:15 | カウンターテナー | Comments(0)

ユトレヒト古楽祭での目玉CTと初登場CT

毎年8月下旬から9月初旬にかけての10日間に渡ってユトレヒト市中の教会やコンサート・
ホールで繰り広げられる古楽祭の2016年のテーマはズバリ、ヴェネツィアだった。
(余談だが数年前のローマに続き、3年後のテーマはナポリであるから、今から期待大!)

連日朝から真夜中過ぎまで行われる、全部で100以上のコンサートの中から今年私が選んだ
のは、フィリップ・ジャルスキーのコンサート、ステファン・テミングのリコーダー・コン
サート、そしてラルペジャータのカヴァッリ・コンサートだ。

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ジャルスキーは、今年前半、ご家族に不幸があったり喉の故障が比較的長引き、各地での
コンサートがキャンセルもしくは延期になった。今回のユトレヒトでのコンサートは、
復帰後2度目に当たるはずだ。
プログラムは、チェスティ、カヴァッリ、ロッシ、モンテヴェルディ、ステッファーニ等の
ヴェネツィアのオペラ黎明期に活躍した作曲家による曲が並び、なんとも今年の古楽祭テー
マにバッチリ合う選曲となっている。
(曲目およびラジオ録音は以下のリンクから見・聴くことができる)
http://www.radio4.nl/zomeravondconcert/uitzending/409670/zomeravondconcert

久しぶりに聴くPJの声は、いつも通り、会場を満たすほどの声量で、歌唱にぶれがなく安定
している。彼の歌唱は丁寧な発音と発声、正確な音程という基本中の基本がしっかりしてい
てるので、安心して聴くことができるのだ。
そして今回特に圧倒されたのは、表現力が増していること。昨シーズンは新作やヘンデルの
オペラ出演の機会が多かった彼だから、その経験から幅広い表現力を身に付けたのだろう。
ルネッサンスからバロックへの過渡期的なアルカイックな曲調や、イタリア古謡的な泥臭さ
が混じるこれらの曲を、ストレートに歌いながらどこかフランス的洗練を加えて、しかも
しみじみと味わい深く歌い、本当に上手いなあ、と唸らされた。
彼の声にこれらのイタリアの曲が意外なほど合い、芳醇そのもののコンサートだった。
CTとしての人気は多分オランダでは彼が一番だし、彼の声が現代CTの理想像として指標化
されていると思え、それにふさわしい実力を備えていることはその晩のコンサートで誰の耳
にも明らかであった。

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左から、オルリンスキ君、ヌリアちゃん、カペツート、ブリデリ嬢。

さて、今年のユトレヒト古楽祭のもう一つの目玉はラルペジャータのコンサートである。
彼らの人気は凄まじく、例年チケットを取るのが難しいため諦めるのだが、今年は友の会
会員である友人に頼んでなんとか平土間正面後方の席をゲットした。

L’Arpeggiata o.l.v. Christina Pluhar @ TivoliVredenburg, Utrecht 2016年8月30日
Nuria Rial [sopraan]
Giuseppina Bridelli [mezzosopraan]
Vincenzo Capezzuto [contratenor]
Jakub Józef Orliński [contratenor]

カヴァッリの歌(異なるオペラのアリア)の数々を組み合わせて、ソプラノのヌリア・リ
アルを中心にメゾとCT2人がそれぞれソロやデュエットで歌うという形式である。
(こちらも曲目および音源は以下のリンクから)
http://www.radio4.nl/zomeravondconcert/uitzending/435027/zomeravondconcert

私的目玉はヌリアちゃんの生の声を聴くという悲願達成だったのだが、それと同時に割と
直前に得た意外な情報にも興味津々でコンサートに臨んだ。CTのオルリンスキ君が出演
するというのだ。

隔年9月にオランダのスヘルトヘン・ボス(デン・ボス)で国際声楽コンクールが開催され
る。今年がその年に当たり、春に本選出場歌手の名前と声種が発表された。その中にCTが
入っていたので注目していた。ポーランド人の若手CTでヤコブ・ヨゼフ・オルリフスキと
いう名前である。早速ググると、彼はディドナートのマスタークラスでの歌唱で伸びやか
で素直な声を聴かせているのが耳を惹いた。(そして、また彼はブレイクダンスのグループ
の一員としても活躍していることを知った。)
コンクール応援に行く気満々だったのだが、なんと夏前に始まったコンクール会場の改修
工事でホールにアスベストが見つかり、コンクール開催が不可となり来年に延びてしまっ
た。
残念に思っていた矢先であったが、オルリフスキ君は、ラルッペジャータの公演ソリストの
一人としてユトレヒトに来るということを知ったのだ。

私的注目度はより高まった。
生で聴くオルリフスキ君は、温かみのある素直なきれいな声の持ち主で、発声に無理が
感じられないのが耳に心地よい。オランダ・デビューとなった彼のパートは少なかったが、
将来有望と太鼓判を押すにふさわしいと感じられた。現在、彼はNYのジュリアード音楽院
で学ぶ学生である。来年の声楽コンクールでの再会が楽しみだ。
(アンコールで、彼は得意のブレークダンスを披露し会場を沸かせた。ラルペジャータの
コンサートではなんでもありだが、これは誰も予想外だったと思う。この日の聴衆の中で、
もしかして彼がブレークダンス踊るんじゃないかと密かに期待していたのは、多分私一人
ではなかったろうか。)

このコンサートの模様は全て録画されているので、ご覧になっていただきたい。
https://youtu.be/lI_OloqQ6CQ

そして、私がもうひとつ密かに心待ちにしているのは、当たり役のトロメオの封印宣言を
したデュモーの後釜として、あのマクヴィカー演出の『ジュリオ・チェーザレ』のトロメオ
役をオルリンスキ君に演じ歌ってもらうことである。あのプロでは、トロメオ役歌手の
運動神経・身体能力が抜群でないとこなせないからである。
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by didoregina | 2016-09-19 18:20 | カウンターテナー | Comments(2)

Orlando, もしくは防人の歌


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Händel - Orlando, HWV 31 @ Conertgebouw, Amsterdam 2016年3月7日
The English Concert
Harry Bicket - harpsichord/conductor
Carolyn Sampson - Dorinda
Erin Morley - Angelica
Iestyn Davies - Orlando
Sasha Cooke - Medoro
Kyle Ketelsen - Zoroastro

オルランドというのは、ヘンデルのオペラの主人公の中でも特異さでは際立っている。
心変わりしたアンジェリカ姫をひたすら一方通行の片恋で慕った挙句の物狂いの様子は
ほとんどストーカーになる一歩手前だが、生まれや位の貴賤は関係なく人間ならだれでも
経験しうる人生の苦みがにじみ出ている。
恋する相手につれなくされた哀しみが狂気に変容・凝固した姿が、オルランドでは文字通り
”痛い”ほど晒される。観客はそこに己を投影し、痛みを共感するのである。

さて、イエスティン君オルランドはいかに?そして、オペラ『オルランド』全体としての出来
映えは?

アムステルダム公演に先駆けて、ウィーン、バーミンガム、ロンドンと時間をかけてツアー
しているのだが、一週間前のバービカンでの公演評には5つ星もいくつか出て、各紙こぞって
絶賛していた。こういう時、私の場合かえって眉唾で臨んでしまうのが常だ。なにしろ、
イギリス人指揮者と古楽アンサンブルによる演奏にイギリス人歌手2人(イエスティン君と
サンプソン)それにアメリカ人3人のキャストであるから、ほとんどアングロサクソンで固めたと
言ってよい陣容だから、英国人の好みにハマるだろうことは容易に想像がつく。

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蓋を開けて見ると、歌手陣には若手が揃い、しかも英語を母国語とする人たちという共通点
のみならず、歌唱様式も非常に似通っている。すなわち、一人だけ特出したり様式上異質
だったり、個性の強い歌手の集まりのため音楽表現が各人バラバラで寄せ集め感が漂うと
いうことがまずない。歌手同士そしてオケとも調和が取れ、全体としてのまとまりが抜群である
ため、コンサート形式でありながらしっかりオペラ鑑賞したという満足感を聴衆に与えたことは
特筆すべきだろう。
また、アムステルダム公演はツアーの後半でもあり、それまでの舞台での実地練習も経て、
各人もこなれ、コンディションは最高ということもよくわかるのだった。

このプロダクションでは、非常に狭い舞台という制約があるのに、歌手たちは少々の演技も
行っていた。
それから、ストーリーの流れをぶち壊すようなレチやアリアの大幅な省略もなかった。すなわち、
コンサート形式でのオペラ上演がしばしば陥る歌謡ショーのような形式にならずにすんだ。
そして、舞台上にはオランダ語字幕も出ていた。アムステルダム公演は一回こっきりなのに、
これはかなり上質なサービスだと言えよう。印刷されたリブレットや対訳を読みながら舞台も見る
というのは難しいことなのだ。

演技といえば、イエスティン君は上目づかいで額に青筋を立てたり、暗い狂気の色を目に
浮かべたり、はたまたうなだれたり放心して椅子や階段に座ったり、とエネルギッシュで
迫真の演技を見せ、オルランドになりきっていた。情熱の発散のしようがない片恋と実のない
任務という状況下で鬱屈した若者の姿を熱演し、拍手喝采であった。(他の歌手には歌って
いる時の表情以外では演技と言えるほどの演技はなかった。)

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ドリンダ役のキャロリン・サンプソンとアンジェリカ役のエリン・モーリー

お姫様と羊飼いという対照的な役ではあるが、2人のソプラノはどちらもナイーブでイノセントな
娘らしい清楚な品のよさが要求される点では共通している。魔女や悪女ではないのである。
ドリンダ役のサンプソンには、バッハやモーツアルトのミサ曲やカンタータよりも、ヘンデルの
オラトリオやオペラの方がずっと合っていると思う。明るさのある清澄な声質はとても上品で、
クライマックスでは余裕ある声量を響かせながら格調高さを失わない。大げさでない表情の
演技も悪くない。来季は、オランダ各地のホールにやたらと登場する彼女である。様々な面を
見せてくれるだろうから楽しみである。
また、アンジェリカ役のエリン・モーリーは初めて聴いたのだが、サンプソンと堂々と張り合える
実力で、しっかりとした土台の上に乗った安定した歌唱で驚かせてくれた。アングロサクソン系
歌手らしいストレートな癖のない声が、ヘンデルのお姫様役にぴったりである。

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ゾロアストロ役のカイル・ケテルセンとメドーロ役のサシャ・クック

メドーロ役には女声というのが伝統的配役で、このサシャ・クックという歌手も初めて聴いたの
だが、ルックスに似合わず実に堂々とした太い声のパワフルな歌唱である。
この3人の女声で歌われる三重唱は親和力抜群。彼女達のモーツアルトなど聴いてみたいな
と思わせる。

カイル・ケテルセンの歌声を生で聴くのを楽しみにしていた。溌剌とした若々しさのある好みの
声である。よくありがちな、太ったバスの歌手が体格に頼んで底太な声をビンビン響かせる
ようなのは下品で苦手だが、その正反対でほっとした。ノーブルな軽い味があるから、彼も
モーツアルトで聴いてみたい。

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何といっても、オペラ『オルランド』はオルランド一人で持つ、と言ってもいいほど物語の軸
の中心となる。
騎士オルランドの物語は、やるせなく悲しい。シャルルマーニュの時代に辺境警備をしていた
高貴な騎士の憤懣と無念の錯綜する思いに、律令制時代の日本で丁度同じ頃、九州での
警備任務を課せられた東国の防人の哀しさが私の中で二重写しになり、苛烈な状況下での
過酷なくびきの下に置かれた彼らに同情を禁じ得ない。

Fammi Conbattere、騎士として先走りと空回りの決意の歌は勇ましく、前半のハイライトだ。
手に汗握りつつ、イエスティン君のこの歌を聴いた。最初から最後までテクニック的に破たん
なく、緊張感も途切れず、力強い喉を惜しみなく使いアジリタも決めたので、まずはほっとした。
コンセルトヘボウの客は、総じてレベルが高いと思うのだが、前半はアリアごとの拍手などなく、
音楽の流れやストーリーを分断することなく緊張感が続いた。任務にも恋にも生真面目なあまり、
逃げ場のない袋小路に追いつめられたオルランドの心がピンと張った糸のようになっていく、
張り詰めた緊張感が前半はそうして客席との期待とともに高まっていった。

私にとってのハイライトは、後半のCielo! Se tu il contentiだった。絶望と怒りに心が支配
され、張り裂ける胸の痛みかれ救われるには死しかないという思い、狂気への兆しが見え隠れ
する絶唱である。ここでは高音から低音までの幅が広いのと高音で駆け抜けるアジリタ、
そして低音への跳躍もあるから気が抜けない。一か所だけ、コンテンティの低い音が上手く
聞えなかったのが残念だったが、それ以外は、強弱のメリハリ、声の明暗の変化などめくる
めく疾風のような歌唱を聴かせてくれた。連続発射装置の付いた機関銃のような正確さで
アジリタを飛ばすのだった。
声域的に比較的低めのオルランド役というのは、現在のイエスティン君の男性らしい歌声と
声域にぴったりだと確信できた。特に今シーズンは体調も絶好調、喉には今までにない艶と
深みが増してきている。
自身に咎はないのに誠実すぎることが罪であるかのように報われず、同情を惹くアンチ・ヒー
ローという役どころも甘い坊ちゃん的風貌の彼、にうってつけだ。

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後半から、客席にもオペラを楽しむ余裕が出たようで、アリアごとの拍手が多くなっていった。
このオペラ全体での頂点は、オルランド狂乱の場である。
上着を脱いで、(もともと下に着ているシャツには襟がなく胸ぐりが割と大きく取られている)
シャツの裾を出してしかも一番下のボタンを外し、野営のやつれと自棄自暴になった様を表し、
細かい点までけっこう凝った演技ぶりである。
狂と躁が交錯して、ころころと変わるオルランドの心を映し出すVaghe Pupilleは、調もテンポ
も一定しないかのように変化し、どこかモダンなところのあるのアリアだ。狂気と正気を行ったり
来たりで、ダカーポも破調で変化激しい。ああ、終わってくれるな、もっと繰り返してほしい、
と叶わぬ望みを願いつつ聴いていたのだった。

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コンサート形式のバロック・オペラ上演は、下手をすると歌合戦と化して、オペラとしてトータル
に楽しむことができず、隔靴掻痒というか鑑賞の充実感に欠けることがえてして多いものだが、
今回の『オルランド』は、全体のバランスがとてもよく取れていた。指揮のビケットは出すぎず、
イングリッシュ・コンサートの演奏も、イギリスの古楽オケにありがちな優等生的でまったりして
つまらないということはなく、適度に引き締まって、過剰な分はないが、上品な抑制が利いた
ものだった。特にコンミスがピッシリと演奏を引っ張っているのが印象に残った。
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by didoregina | 2016-03-09 22:29 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

VERYFAIRY もしくはセミオペラの勝利

地元の音大(在学生及び卒業生)と演劇学校のコラボによる、セミオペラVERYFAIRYは
パーセルの『妖精の女王』翻案舞台として画期的に素晴らしい出来だった。

c0188818_18404958.jpgTekst: William Shakespeare |
Muziek: Henry Purcell |
Vertaling: Johan Boonen |
Regie: Aram Adriaanse | Regie-assistentie: Amanda Dekker |
Muzikale leiding: The Continuo Company onder leiding van
Arjen Verhage en Jenny Thomas |
Spel: Alex Hendrickx, Bart Bijnens, Sofie Porro, Willemien Slot |
Zang: Mami Kamezaki, Sandrine Mairesse, Florence Minon,
Krisztián Egyed, Raoul Reimersdal |
Begeleidend ensemble: The Continuo Company onder leiding van
Arjen Verhage en Jenny Thomas en studenten Conservatorium
Maastricht |
Toneelbeeld: Rebecca Downs |
Kostuums: Frances Loch |
Coaching zang: Claron McFadden, zangdocenten Conservatorium
en Toneelacademie |

VERYFAIRY 2016年2月25日@Toneelacademie Maastricht

舞台は一面に15センチくらいの長さの黒いひも状の繊維が厚く敷き詰められ、左奥に
器楽演奏家(チェンバロ、テオルボ、ハープの通奏低音、リコーダー3名とヴァイオリン4名)
が陣取っている。正面奥に映写用に使われるようなスクリーン状の幕が下がっている他、
大道具は天井からかなり下の方に下げられたPL電灯が4、5個のみ。そのうちの一つは
舞台で座れるほどの高さに降りていて、すなわちベンチやブランコとして使用。

序曲の場面では、男女のペア4,5組が半円の形に立って微笑み見つめあいながら、一人
ずつ移動しては次つぎと異なるカップルを形成していく。展開されるストーリーをここで示唆し
ている。

そのうち白い服の男女4人が芝居の登場人物で、青い服の男女5人が歌手であることが
後でわかるのだった。すなわち、白い服の男女は人間で、青い服の男女は妖精である。

シェイクスピアの『真夏の夜の夢』に基づいてパーセルが作ったセミオペラ『妖精の女王』は
それまでに2回、生で鑑賞しているのだが、いずれもこのジャンルの上演の難しさが痛ましい
ほど実感できるのであった。
そのうちの一つはいかにも苦労してセミオペラという形式に則りましたという感じで、役者が
語る台詞(ほとんど朗読)とダンス、歌手が歌う歌と器楽演奏とが、分離したまま全く
有機的に結合されていない演出で、咀嚼不足感が免れないものであった。
次に鑑賞したのは、コンセルトヘボウでのコンサート形式で、ヨハネット・ゾマーがメインのソリ
ストである以外は合唱団員がソロ・パートを歌うというもので、それもまた台詞が省かれている
分、そしてゾマー以外の歌手に華がない分、中途半端な出来であった。

しかるに、今回は学生がメインである故、歌は少々迫力不足であるものの、演劇学生による
芝居の熱演がそれを補って余りある、見応えのある舞台になっているのだった。
今回初めて、このセミオペラのよさがわかり、心から楽しめた。
パーセルらしが凝縮された音楽が、夢と現、魔界と人間界、森と町、男女という様々な対極を
きらびやかに映し出す。リサイタルなどで歌われることが多い珠玉のようなそれらの歌の一つ
一つがストーリー展開に繋がりセミオペラの全体を成すと、その良さがより一層しみじみと味わえ
るのだ。今までにない満足感を得ることができた。

それはなんといっても、舞台上を飛び回り、転げまわり、もつれあい、怒鳴り合う、2組のカッ
プル、ハーミアとライサンダー、ヘレナとディミートリアス役4人の役者の演技の迫力に負う
ところが多いのだが、演奏される音楽も歌も演技と隔離せず、しっかり寄り添うようにできて
いる演出も素晴らしい。
歌手も演技に加わるし、役者も歌う。人間と妖精との違いが説明がなくとも白と青の衣装と
いう見かけでハッキリと区別されているのがポイントである。妖精達には女王や王という威厳
はなく、(ティターニアとオベロンのケンカは省かれて、人間カップルのドタバタだけにストー
リーは集中)悪戯っ子達の集まりのようなシンプルさもいい効果を生んでいる。
(ダブルいざこざというシェイクスピアらしい楽しさが省かれてるのは遺憾ではあるが、若さに
焦点を当てるというコンセプトが理解できる)

セミオペラ成功のカギと言うのは、あれもこれもと様々な要素を入れ込まずに、一点集中
(今回は人間カップル2組のごたこたの芝居)することで、歌や器楽演奏など、他の要素が
かえって生きてくるし聴きごたえあるという、一見逆説的ながら素晴らしく効果的ですっきり
する答えがここに示されたのだった。

10月にアカデミー・オブ・エインシェント・ミュージックがイエスティン・ディヴィスを含むソリストで
パーセル『妖精の女王』をセミ・ステージ形式で上演(多分ツアーで)するのだが、どういう
セミオペラになるのか、楽しみだ。
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by didoregina | 2016-02-27 19:47 | オペラ実演 | Comments(0)

Ariodante @ DNO  サラ様『アリオダンテ』は「小間使いの日記」風

サラ・コノリーが題名役、ポリネッソ役にソニア・プリーナ、そしてダリンダ役がサンドリーヌ・
ピオーというトリプルSが揃い踏みの期待の舞台『アリオダンテ』@DNO千秋楽公演を鑑賞
した。このプロダクションは、エクサンプロヴァンス音楽祭との共同制作で、かの地では2年前
のフェスティヴァルで上演され賛否両論かしましかった。全編がYTにアップされているが、
わたしは敢えてアムステルダムでの実演鑑賞までサラ様の歌う場面を除いては見ないように
して、ほぼ白紙の状態で臨んだ。

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2016年2月3日 De Nationale Opera & Ballet in Amsterdam
Muzikale leiding Andrea Marcon
Regie Richard Jones
Decor en kostuums Ultz
Licht Mimi Jordan Sherin
Choreografie Lucy Burge
Regie poppenspel Finn Caldwell
Ontwerp poppen Nick Barnes en Finn Caldwell
Orkest Concerto Köln
Koor van De Nationale Opera i.s.m. jonge zangers in het kader van De Nationale
Opera «talent»
Instudering Ching-Lien Wu

Re di Scozia Luca Tittoto
Ariodante Sarah Connolly
Ginevra Anett Fritsch
Lurcanio Andrew Tortise
Polinesso Sonia Prina
Dalinda Sandrine Piau
Odoardo Christopher Diffey
Poppenspelers Sam Clark, Kate Colebrook, Louise Kempton, Shaun McKee

舞台は、いかにもリチャード・ジョーンズ好みの例のあれ。と言うだけではピンとこないという
向きのために補足すると、質素な内装の家の天井・屋根と客席に向いた正面の壁一面を取り
払った造りで、下手から玄関、キッチン、ダイニングルーム、ジネーブラの部屋と一列に続き、
その中でホームドラマが演じられるという仕掛けである。
原作ではスコットランド王家の権力争いと愛憎が交錯するドラマだが、時代設定はインテリアや
衣装から察するに前世期後半あたりで、王家は寒村の人々の支持と忠心を受ける有力者の家系
もしくは因習に縛られた素封家に置き換えられていて、違和感はない。
登場人物には高貴な家柄らしき人はいず、アリオダンテは漁師、ポリネッソは牧師、ダリンダは
王女に仕える侍女ではなく、小間使いという趣。

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スコットランド辺境の寒風吹きすさぶ小さな漁村では、牧師の持つ権力・影響力には想像を絶
するものがあることは徐々に明らかにされるのだが、序曲の間、牧師ポリネッソが説教を行い、
聴こえないその言葉が字幕に出てくるという点にもまず強調されている。
そして、神の威光で人々を目くらましにして自らの欲望のおもむくまま、悪事を働くのである。
そのポリネッソ役のソニア・プリーナの演技の上手さ。憎まれ役ながら、役得とも言えるのだが
この村を裏から支配しているのは、村長(王)ではなく、因習・妄信を利用したポリネッソなのだ
ということを体現している。
彼女は小柄ながら、ヘアメイクと衣装と態度とドスの利いた低音の独特の声で、嫌な男ポリネッ
ソを堂々と好演。ただ、今回は、どうも声があまり飛ばず、難しい低音域でのアジリタの切れが
イマイチだったのだけが、残念だった。

そのポリネッソに横恋慕されるイノセントそのもののジネーブラ役は、アネット・フリッチュ。彼女の
実演は初めて聴くのだが、特に秀でた個性はないものの無難にこの役を務めた。牧師に凌辱され
無実の罪を着せられ、精神的に不安定になり、だれからも理解されずに墜ちて行くという、哀れを
極めるこのジネーブラは若い女性の存在がいかに簡単に悪漢の餌食となりうるかという弱者その
ものの存在を示すのだが、最後のシーンでは、弄ばれるだけだった弱い女が自らの意志を持って
家を出る強い決意の表れという風にも受け取られる。

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ジネーブラと相思相愛のアリオダンテは、若いためか人生経験が足りず、ちょっとした諫言を信じて
ジネーブラから去り、絶望のあまり自ら海に飛び込む。最初から最後まで一貫して弱々しい男という
難しい設定で、それをサラ様はどう演じて歌うのか、これがまず第一の見どころ・聴きどころである。
この辺りが予想以上に説得力あるドラマになっている演出の力、ジョーンズの目の付け所にまず
脱帽した。北欧映画のようにリアリスティックかつシリアスな芝居構成になっていて、それを粘っこ
いまでにスローテンポの音楽でこれでもかと悲劇性を上塗りしていくのである。
だから、アリオダンテの絶望の歌Scherza Infidaは、なんと13分にも及ぶ。前奏からしてもう
ヴァイオリンの演奏もタメを効かせた演歌調。これ以上スローにしたら歌えないのではないか、と
危ぶむほどのテンポをマルコンは破綻させずに最後まで持っていくのだった。演出に合致した演奏
とテンポであるが、マニエリスティックになるぎりぎりの線だ。
サラ様は、顔面蒼白でしかも呆然自失という態で、しかし歌い方は比較的淡々としていた。今まで
サラ様の歌うこのアリアは実演を2回聴いているのだが、今回のは非常に異質というか異常性を
前面にだしたものだった。
あまりに悠揚迫らずくどいほど粘液質の演奏であったためか、途中でフライング拍手が、多分若い
観客から起きてしまったほど。しかし、緊張感はそのまま二度の休憩を経ても続いたのだった。

このシリアスなホームドラマの最初から最後まで舞台にほぼ出ずっぱなしなのが、ダリンダである。
サンドリーヌ・ピオーのあっさりした存在感ある演技と、それに反して情熱ほとばしる歌唱とが全編
を引き締める。「あなたがジネーブラ役ではないのが残念」と丁度一年前『アルチーナ』に主演
した時、サイン会でピオーに言ったのだが、「いえ、歌は比較的少ないけど、重要な役で大変
なのよ」とか何とかの返事だったように思う。
小間使いの屈折した心理、クルクルとネズミのように健気に働き、主に尽くさなければならない
立場をわきまえてはいるものの、愛と人並みの幸せを得たいという儚い望みと裏腹の、主人に対
するジェラシーと意地悪な気持ちが抑えてはいても出てくる。そういう人物設定のダリンダ=ピオー
が、このプロダクションでは光る。

人形劇を挿入して、アリオダンテとジネーブラの未来(夢と現実)を予言し表現するという手法も
絶品。
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ありえねえ、と切って捨てられるような展開や場面がなく、悲劇が淡々と北海の荒い波のように
押し寄せ緊張感のあるドラマなのだが、最後にポリネッソが倒され悪事を告白、正義は勝つという
展開になった時はそれまでの流れに比較してご都合主義に感じられたのか、客席から笑いが出た。

Dopo Notteは通常、暗い夜の闇が去ったという歓喜のアリアなのだが、このプロダクションでは
手放しで喜べないエンディングになっているため、サラ様の歌にも感情はごくごく抑えられていた。
この歌でば~っと一気にカタルシスという具合には行かないのが残念だが、さすがサラ様、微妙
な状況と心情を、絶妙に歌っている。コンサート形式であったら、ここで一気に最高潮に登りつめ
るのだがなあ、とファンとしてはほんのちょっぴり心残りだが、それを望んではいけないのであった。

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by didoregina | 2016-02-06 20:13 | オペラ実演 | Comments(0)

Dunedin Consort & Iestyn Davies @ Bruges Bach, sin & forgiveness

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23 January 2016 @ Concertgebouw Brugge

Johann Christoph Bach (1642-1703)
Ach daß ich wassers gnug hätte, motet

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Brandenburgs Concerto nr. 6, BWV1051

Widerstehe doch der Sünde, BWV54

- pauze-

Dieterich Buxtehude (ca.1637-1707)
Muß der Tod denn auch entbinden, Klag-Lied, BuxWV76/2

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Vioolconcerto in a, BWV1041

Vergnügte Ruh, beliebte Seelenlust, BWV170

Dunedin Consort: ensemble
Iestyn Davies: countertenor
Cecilia Bernardini: viool
John Butt: klavecimbel & leiding


バッハ・アカデミー・ブルージュ2016というミニ・フェステヴァルで、イエスティン・デイヴィスが
バッハ(親子)とブクステフーデを歌うコンサートである。これは何があっても聞き逃すことは
許されない。しかしながら、ブルージュというのは遠い。日帰りは不可能だ。それで一泊
旅行を兼ねて聴きに行った。

彼のレパートリーとしては、現代作曲家によるカウンターテナーのための曲やオペラ、パー
セル、ダウランド等のイギリス人作曲家によるリュート・ソング、ヘンデルのオペラとオラトリオ、
そしてバッハの宗教曲があり、そのいずれも魅力的なのだが彼の歌うバッハをこよなく愛する。
そして意外にも、受難曲やオラトリオはたまたミサ曲などを除いては、バッハのソロCDは出し
ていない。そしてリサイタルでバッハを歌うことはあまりないから生で聴くチャンスも少ないのだ。
(1昨年、ウィグモア・ホールで今回と似たプログラムのコンサートを聴いているが、昨年5月
のバッハ・コンサートは病気のためオックスフォードもロンドンも直前に降板した。)

と言うわけで、いかに私がこのコンサートを待ち望んでいたのかがお分かりいただけようと思う。
そして実際、コンサートで彼の歌声を聴いてみて、古楽のメッカともいえるベルギーでのバッハ・
ミニ・フェステヴァルでバッハを歌うことに、イエスティン君自身がかなり力を入れて臨んだという
ことがよくわかった。

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まず、最初のヨハン・クリスチャン・バッハ作曲のAch daß ich wassers gnug hätteから
渾身の歌声である。この曲はラメントすなわち嘆きの歌であり、胸の中に埋火のように燻る
塗炭の苦しみを甘い悲哀の吐息と共に吐き出す、という表現を期待したのだが、なんと、
今回は甘さを排して実に力強い歌唱なのに驚いた。一昨年のウィグモアで聴いたときとは異な
るアプローチである。言うなれば、辛苦の闇を突き抜けた後の己の姿を客観的に突き放して
眺めているかのようで、甘いメロディーを歌いつつ、悲しみの世界に酔っていないのである。

ドゥネディン・コンソートによる器楽演奏ブランデンブルク協奏曲第六番は、特にアダージョの
部分がよく歌って聴かせる演奏である。

父バッハ作曲のWiderstehe doch der Sündeをイエスティン君が歌うのは何度か聴いている。
今回は甘さを全く排除した男性的な直球型歌唱でドーンと来た。自信に満ち溢れた堂々たる
態度と声である。イギリス以外で歌う時には、緊張で顔面蒼白・表情がこわばっていることが
多いように見受けられるのだが、それは遠征試合に出場しているわけだから当然である。
他流試合に挑む侍みたいな気迫が漲っている。

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ブルージュのホール、コンセルトヘボウは90年代に建ったと思しい、古都には不釣り合いな
ほどモダンで大きなしかし赤レンガを縦のアクセントにした外観の美しい建物である。
そして、ほどよい大きさのホール内部の音響も悪くない。驚いたのは、そのサーヴィスのよさ。
4日間に渡るバッハ・アカデミー・ブルージュ2016のプログラム・ブックは小型ながら無料で、
全曲目の説明も載っているし、別紙に原語と対訳歌詞が付いてくるし、しかもステージ上には
字幕も出るのだった。
特にレチタティーボ部分の訳を字幕で読みながら聴くことができるのはとてもありがたい。

ブクステフーデの嘆きの歌をイエスティン君の歌唱で聴くのは初めてだと思う。
典雅な彩のこの曲は、しかし哀しみの淵に沈む自らを叱咤するような厳しい内容の歌詞を持ち、
やはり男性的なことこの上ない。力強い男声で歌われるとぴったりである。
今回、イエスティン君はどの曲でもメッサ・デ・ヴォーチェを多用している。そして、高音で終わ
るフレーズはピアニッシモにしたり、表現の仕方がサラ様の歌唱を思わせる部分があった。
それでいて、聴かせる部分では声を遠くまで飛ばす。カウンターテナーには珍しく豊かな声量を
誇りホール全体に響かせることも得意な彼であるから、低音も高音も自由自在にフォルテに
しても、全く無理を感じさせない。

このコンサートでのハイライトは、最後のVergnügte Ruh, beliebte Seelenlustだ。
アリア3部とレチタティーボ2部が交互に組み合わさり、華やかな高音を効かせた美しいオルガ
ン伴奏とで盛り上がる。歌とオルガンとの丁々発止とした掛け合いが実に楽しい。
彼のレチには弁士のような熱と勢いがこもり、まるで教会で説教を聴いている気分になる。
牧師のごとき、はたまたバッハの受難曲の福音史家のような粛々とした威厳に満ちているのだ。
めくるめくような音楽の波が、力強く押し寄せては引いていく。最後まで安定して、テクニック
には全く不満の残らない歌唱だった。

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一週間後に、日本での初のソロ・コンサートを武蔵野、名古屋、鵠沼で行うイエスティン君。
相棒トマス・ダンフォードの伴奏でしみじみとしたリュート・ソングを歌うプログラムは、パワフル
なバッハとは対照的で、彼の魅力の別の一面を見せ聴かせることになるだろう。
日本ツアーに同行できないのは悔しいが、コンサートの成功を祈ってやまない。
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by didoregina | 2016-01-27 03:21 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

ハーグの隠れた宝石箱 Galerij Prins Willem V

デン・ハーグのマウリッツハイス美術館は日本人にもお馴染だが、そこからほど遠からぬ
場所にひっそりと隠れた宝石箱のような小さな美術館があることは、あまり知られていない。
わたしも、実は今回ここでの展覧会に招待されるまではその存在を寡聞にして知らなかった。
マウリッツハイスの弟分というか分館のような美術館でウィレム5世のギャラリーという。

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Galerij Prins Willem V (ウィレム5世のギャラリー)の外観

マウリッツハイス美術館から、オランダの国会Het Binnenhofを通り抜け道路を渡った向かい
にあり、1774年にオラニエ公ウィレム5世が収集した美術品展示のために造ったギャラリーで、
美術品の公開目的という意味合いにおいてオランダで最初の美術館と言える。

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Binnenhof にあるオランダ国会議事堂 Ridderzaal (騎士の館)

この美術館の存在を知ったきっかけは、ここで10月1日から11月29日まで展示されている
ベラスケス作『ドン・ディエゴ・デ・アセードの肖像』のプレス・オープニング内覧会に
美術ブロガーとして招待されたからだ。
日本では展覧会開催前にブロガーを招待しての内覧会というのがしばしば行われるようだが、
マウリッツハイス美術館がSNSでブロガーを公募したのは初めての試みだそう。推薦制で
あったが自薦応募した。国内外のプレスや在オランダ・スペイン大使などの招待客に混じり、
3人のブロガーが招待された。私が選ばれたのは、多分に日本人ブロガーであるという理由が
大きいと思う。なにしろ、日本人のフェルメール好きという事実はマウリッツハイス美術館
関係者にはよく知られており、国別来館者数では日本人がダントツだし、日本でのフェルメ
メール関連展覧会の集客数は他を引き離す圧倒的なレベルである。

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ベラスケス作『ドン・ディエゴ・デ・アセードの肖像』(1638/40)とマウリッツハイス
美術館長エミリー・ゴーデンカー女史。

美術館としては非常に小さな建物の2階広間、いわゆるギャラリーがまさにギャラリーに
なっていて、その奥に特別展示されているのが、プラド美術館所蔵のベラスケス作『ドン・
ディエゴ・デ・アセードの肖像』だ。

この絵の前に立っての第一印象は、描かれた人物の頭に比して体のプロポーションの不可思
議さで、よくよく覗き込むと彼は小人であることがようやくわかる。
スペインの宮廷には当時、小人が沢山雇われていたことは、有名な『ラス・メニーナス』で
見てもわかるが、小人たちの職種といえば、道化というのがほとんどお約束だった。しかし、
このディエゴ・デ・アセードは分厚い本を開き、足元にはスタンプが置かれていることから
明らかなように、フェリポ4世の宮廷で公的文書に印を押すという重要な事務職を担っていた。
顔つきには小人らしさが見られないが、服装は小人のお約束である黒の織り出し格子。頭には
帽子を斜めに被り、事務職らしさが表されている。髭を蓄えた威厳のある顔つきには自信が
満ち、存在感も強い。
しっかりと自己を主張する顔つきを丁寧に描いているに対して、背景の山やテーブルの筆使い
はちょっとかすれたような雑さや、ささっとしたスピードが感じられ、静と動、黒と白、光と
影の対比がくっきりとして、躍動感すらある。
肩の周りを強調するような線や、背景の筆の汚れをぬぐった跡などが世紀を経て顕わになり、
見れば見るほど発見のある絵で飽きない。
じっくりと一枚の絵に付き合うという体験がここではできる。

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しかし、この美術館の神髄は何といってもギャラリー1室にぎっしりと展示された絵の数で
あろう。ネーデルランドの画家を中心に150点の作品が縦長の部屋の四方の壁にぎっしりと
ほとんど隙間なく天井まで展示されているのだ。

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窓の外、向いはオランダ国会。

この部屋に案内されてまず、口をあんぐりと開けて「うわあ」と思わず声を発したことを
美術館広報担当者や学芸員の方たち(少数の招待客と同じくらいの人数が配置されていて、
ほとんどマンツーマンのサービスで絵や美術館の説明をしてくれ、どんな質問にも応えて
くれるのが素晴らしい)に言うと、わが意を得たりと「その反応を期待してるんです」との
こと。いかにもバロックそのものという過剰さが売りとでもいうべき展示は、その当時の
ギャラリーを描いた絵などから見知ってはいたが、実際に150枚もの絵に取り囲まれた空
間に身を置いてみると、迫力は圧倒的だ。
その中にはルーベンスの絵もあり、やはり目を惹く。

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イケズそうな表情のこのお二方。

マウリッツハイス訪問したら、ぜひともこの小さな隠れた宝石箱のようなこの美術館も
続けて訪問して、新たな発見・体験をしてもらいたい。
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by didoregina | 2015-10-02 22:16 | 美術 | Comments(2)

マレーナ様『セルセ』をヴェルサイユ宮殿劇場で鑑賞

憧れのヴェルサイユ宮殿劇場で、マレーナ・エルンマン主演のヘンデル『セルセ』の
千秋楽を鑑賞した。
更新を怠っていたこのブログであるが、この遠征は久しぶりに特筆に値する、というより、
ほとんど歴史的記録として残さねばならぬという使命感を煽るプロダクションなのだ。

c0188818_21264387.jpg@ Royal Opera of Versailles
2015年6月7日
Malena Ernman, Xerxès
Bengt Krantz, Elviro
David DQ Lee, Arsamene
Kerstin Avemo, Atalanta
Hanna Husahr, Romilda
Ivonne Fuchs, Amastre
Jakob Zethner, Ariodate
Lars Rudolfsson, direction

Sara Larsson Fryxell, choreography

Ensemble Matheus

Jean-Christophe Spinosi, conductor




このプロダクションは昨年9月から3か月近く、ストックホルムの特設劇場で、マレーナ様の
イニシアティブによって公的補助金に全く頼らず、30回以上もの回数をこなすことによって
チケット売上収益のみでの上演を行ったという点で、まず画期的である。
オペラというものはとにかく金食い虫であるから、通常、国立・公立の劇場ならば公の補助金、
企業および個人のスポンサー篤志によってそのコストの大部分が賄われている。
例えば、オランダの国立歌劇場であるDNOの場合、オペラ一晩の上演にかかる費用平均は、
チケット代金売上の4倍であるそうだ。つまり、例えば85ユーロの席のチケットであれば
実際には4倍の値段が必要な元手がかかっているのだが、公的補助金のおかげでチケット料金
は抑えられているのだ。
逆に言えば、各地の夏のオペラ・フェスティヴァルでのチケット料金が高いのも頷ける。公的
補助金の割合が低いためである。
それを、物価の高いストックホルムでありながらさほど高くない料金設定での上演に漕ぎ着
けることができたのは、地元スウェーデンでのマレーナ様人気と手腕のおかげである。お

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そのプロダクションが、ストックホルムとほとんど同じキャストで(アルサメーネ役のCTは
デヴィッド・ハンセンではなく、今回はデヴィッド・DQ・リー)ヴェルサイユで上演された。

しかも、ヴェルサイユ宮殿劇場は、歴史的なバロック劇場であるから、2重の意味で私は
興奮していた。ここでヘンデルのオペラを鑑賞することは私の夢の一つであったのだ。
しかしまた、実現してみれば、夢はまた幻想でもあったことがわかった。
この劇場は宮殿の中にあり、王のために作られ鑑賞するのも身内みたいな貴族ばかりだった
ろうから、非常に親密な雰囲気でこじんまりとしていて、びっくりするほど小さい。
バロックの劇場らしい姿を再現したロンドンのグローブ座の中にあるサム・ウォナマー・
プレイハウスのこじんまりした規模にも驚いたが、こちらはしかも古めかしさとある種の
安っぽさも漂っているのだった。それは、劇場の内装に如実に現れていて、椅子は升席の
ような木のベンチに布が貼ってあり、壁は一面大理石模様を描いた木張りなのだ。
当時の劇場って、そんなものだったのね。。。。
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さて、マレーナ様主演でスピノジ指揮による『セルセ』は4年前にウィーンで鑑賞している。
そのときもマレーナ様のはまり役だと思ったものだし、スピノジとはよく共演しているし
今回の『セルセ』はもう40回目になるほどだから、オケとも息がぴったりと合い危なげな
箇所などあろうはずもない。こちらもゆったりと鑑賞気分だった。

このプロダクションのとったコスト対策として、もうひとつ特記すべきなのは、合唱団を
採用していないことである。セルセの護衛としてコミカルかつアクロバティックな動作の
ダンサーが4人、舞台によく登場するのだが、彼らがまず合唱も担当。しかし、大がかりな
合唱の必要なシーンでは、なんとアンサンブル・マテウスのオケ団員たちが楽器を演奏しな
がら合唱も担当していたのには度肝を抜かれた。もちろん、指揮のスピノジも一緒になって
歌っていた。
なるほど、これはなかなか便利であるし、バロック・オケを雇う費用がないという理由で
バロック・オペラ上演をばっさりと切ってしまった某劇場もこれは真似てもいいのではない
だろうか。
小さな舞台上に合唱団が乗ると見た目がますます狭苦しくなることから、演出上、合唱団を
舞台に乗せないこともあるから、オケ団員に歌わせたら、費用対策上もよろしい。

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舞台の作りはシンプルで、波打ったような丘のような木の床に大道具としては木が一本立って
いるのみ。波打った床での演技は結構大変そうだが、視覚的に平面的でないという長所のみ
ならず、丘の上から、真ん中の低くなった丘の下からという具合に上手・下手がそれぞれ3通り
できるので、登場・退場の仕方に変化が出せる。

衣装は、コミカルさを強調したヴォードヴィル調というか煌びやかなウェスタン風の歌手
と『スター・トレック』もしくは『ブレード・ランナー』の登場人物を彷彿とさせる髪型・
メイク・衣装のダンサー4人組の対比も、遠めにもパッと見てわかりやすい。
歌手はいずれも大仰な表情と動作の演技なのだが、臭さがない。さすがのセンスと上演回数
を重ねた結果でもあろう。
特に演技も上手いなあ、と唸らされたのは、もちろんマレーナ様のほか、アルサメーネ役の
リー君とアタランタ役のケルスティン・アヴェモちゃんである。特に、アヴェモちゃんの
エキセントリックな表情と演技は堂に入ったもので素晴らしい。彼女は、嫌味や癖のない歌唱
で、アタランタ役としては今までの中で一番だ。
逆に、ロミルダ役とアマストレ役は、通常は得する役回りなのに、非常に舞台印象が薄いのは、
歌唱もごく普通レベルなのに加え、舞台プレゼンスに訴えるものが足りないせいだ。
舞台プレゼンスでは、マレーナ様と張り合えるほどだったのが、CTのリー君である。
彼はメゾに近い澄んだ美しく伸びのある声かつ声量もテクニックも余裕があり、押し出しの
強い、稀に見る逸材である。彼を生で聴くのは『スザンナ』でのダニエル役、『ポッペア』
でのオットーネ役以来3度目だが、どの役も自分のものにしていて、音程に不安定なところも
もちろんないし、アジリタもよく回って素晴らしい歌手だ。

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終演後、楽屋口で私服のリー君と。

マレーナ様は、千秋楽での疲れも感じさせず、最初の「オンブラ・マイ・フ」から出し惜しみ
なく、余裕のフル・パワーで歌ってくれた。
(後で、リー君に聞いたところによると、歌手の皆さんは全員、風邪をお互いに移しあって、
喉や体力のコンディションは万全ではなかったそうだが、それは客には気どらせなかった。)
バカ殿役をやらせたら、マレーナ様の右に出るものはいないであろう。ウィーンでのプロダク
ションよりも、思い通りに演技もできたのだろう、コミカル・パワーも炸裂していた。
後半にアクロバティックなテクニックを要求するアリアが続くのだが、フラメンコ風振付
と共に難なく歌っていた。

スピノジと言えば、私が見た舞台ではいつもヴァイオリンその他のソロ伴奏で歌手と掛け合う
場面がいつもあったのだが、今回もロミルダのアリアでは、ヴァイオリンを手に持ち丁々発止
の掛け合いで客席を沸かせた。


大団円の合唱をアンコールではサーヴィスしてくれ、長い長い上演の有終の美を飾る千秋楽と
なったのだった。

(おまけとして、出演者全員が私と同じホテルに偶然泊まっていた。しかも、マレーナ様は、
隣の部屋だった。3時からのマチネ公演のため、1時ごろ着物に着替えていた私の隣室から
マレーナ様の発声練習が聞こえてきて、ドキドキしたものだ。翌日の朝食では、スピノジと
おしゃべりができた。)
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by didoregina | 2015-06-12 22:51 | オペラ実演 | Comments(4)

Ricercar Consort による初期バロック歌曲コンサート

わが合唱団の本拠地というか練習会場である16世紀のチャペルでのリチェルカール・
コンソートによる初期バロック歌曲中心のコンサートに行った。

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Ricercar Consort @ Cellebroederskapel, 10 April 2015
Philippe Pierlo (Director & Viola de Gamba)
Céline Scheen (Soprano)
Giovanna Pessi (Harp)

Diego Ortiz (1510 - 1570)
Recerdadas (basgamba & harp)

Luzzasco Luzzaschi (1545 - 1607)
Aura soave (soprano & harp)

Giovanni Giralamo Kapsberger (1580 - 1651)
Toccata ll arpeggiata (harp)

Stefano Landi (1587 - 1639)
Augellin (soprano & harp)

Giulio Caccini (1551 - 1618)
Torna, deh torna (soprano, basgamba & harp)

Bartolomeo Selma y Salaverde (1595 - 1638)
Susann passegiata (basgamba & harp)

Giulio Caccini (1551 - 1618)
Amarilli
Non ha il Chiel (soprano, basgamba & harp)

-pauze-

Giovanni Felice Sances (1600 - 1679)
Cantada a voce sola spra il Passacaglie (soprano, basgamba & harp)

Sonetto Passegiato: Fiume cháll onde
Arietta: Traditorella che credi (soprano, basgamba & harp)

Luigi Rossi (1597 - 1653)
Passacaille del Seigr. Luigi (harp)

Giovanni Felice Sances (1600 - 1679)
Fuggi pur tu
Sopra la Ciaccona (soprano, basgamba & harp)

-encore-
Claudio Monteverdi
Si Dolce e'l Tormento

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このチャペルには昨年1月から隔週一回合唱の練習で来ているが、ここでプロの古楽演奏家に
よるコンサートを聴くのはずいぶん久しぶりだ。
座席は自由席なので、教会でのコンサートの鉄則「とにかく前の方に座るべし」を守るため
早めに行き、二列目中央を確保した。
会場の入りは6割程度だろうか、寂しいものである。
しかし、演奏家の皆さんは、ご機嫌よろしくにこやか。
歌手のセリーヌ・シェーンのソロを生で聴くのは初めてだが、写真での印象と異なり、黒い
ロングドレスに金髪ロングのすらりとした実に私好みの北ヨーロッパ系の美人である。まるで
映画『ロード・オブ・ザ・リング』でのケイト・ブランシェットみたいでドキドキしてしまう。

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まずは、ガンバとハープによるオルティスの『リチェルカール』で腕慣らし、耳慣らし。
ピエルロのガンバは、気負いとか感情入れ込みなどには無縁の実にあっさりとした演奏で、
そこから流れだす音色は澄んでしかも何とも言われぬ深みがあり、実に洒落た味わいである。
豪快な波のようなうねりはなく、流れに体を任すと自然にたゆたう気分になり心地よい。

しかし、歌曲の最初の2曲では、こちらの耳が慣れないせいなのか、感情を込め過ぎるためか
ソプラノがどうも張り上げ気味に聞こえ、もう少し音量を絞ってもらいたいなあと思うことが
しばしばだった。
このチャペルはとても小さいし響きが良すぎるので、リハでその点を見極めるべきなのだ。

曲目が進むにしたがって、音量調節がうまくいったかような感じになり、休憩前に歌われた
カッチーニの3曲はシェーンの個性にもぴったり合い、満足であった。彼女の声は、教会系
ソプラノとは異なり中音域に独特の土臭さがあるためこういうバロック初期の歌にはとても
適しているのだが、私の好みからすると、そこをあまり押し出さないで抑えた方がもっと美
しく聞こえると思う。
歌う姿はラファエル前派の美女を彷彿とさせ、ハントやウォーターハウス描く『シャロット
の姫君』そっくりである。

↓は、シェーンの歌うカッチーニ Torna, deh torna


休憩後の最初の曲で、ピエルロさんが最初の曲の楽譜を探すのに手間取って、笑いを誘う。
これで会場の雰囲気もほころんだのと、曲目も明るい色調の民謡っぽいものが多くなり、
全体の空気が軽くなった感じだ。浮き立つとまではいかないが。

ハープというのは、特に古楽演奏では艶やかさがなくごつごつとした素朴さも相まって、
とても男性的な楽器だと思う。指ではじくという豪快さがあるため、弓を使う楽器の伸び
やかで流麗な優しさと聴き比べるとそれが顕著で、ガンバとハープとの組み合わせは互いを
補っていいものだなあ、と思わされる。

図らずも、マルコ・ビーズリーでおなじみの歌が多いプログラムであったが、シェーンの
声質にはモンテヴェルディがぴったりだから彼女の歌う『ポッペア』など聴いてみたいものだ
と、コンサート中ずっと思っていた。すると、それを察してくれたかのような絶妙さで、
アンコールは「クラウディオ・モンテヴェルディのシ・ドルチェ・エル・トルメント』と
ピエルロが言ったときには膝を打ち、思わず「やった」と声がでたほどだ。
↓の動画はビーズリーによる歌。

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by didoregina | 2015-04-11 19:05 | コンサート | Comments(6)

England's Orpheus, or the festive finale of a year with.....Iestyn Davies

December the 5th is St. Nicholas’ Eve. In several parts of Europe, particularly
in the Netherlands and Belgium, it’s more important than Christmas, especially
for children who try to behave well to receive fancy presents from the Good Saint.
On that very evening, Iestyn Davies (countertenor) and Elizabeth Kenny (lutenist)
would give an intimate lute song concert at Shoreditch Church (St. Leonard’s) in London. Early music lovers might hardly imagine any better treat than this.
So I flew away from the warmth and cosiness of festive event in Holland to attend
the concert to celebrate the finale of an extraordinarily musically fruitful year.

c0188818_2045061.jpgEngland's Orpheus
5 December 2014, Shoreditch Church (St. Leonard's)
Iestyn Davies (countertenor), Elizabeth Kenny (lute)

Purcell: Music for a While,
Sweeter than Roses,
A Song Tune (lute solo),
RIgadoon (lute solo),
'Tis Nature's Voice.

Dowland: Come Again,
Flow My Tears,
Semper Dowland, Semper Dolens (lute solo),
Now, O Now I Needs Must Part

[interval]

Dowland: In Darkness Let Me Dwell,
King of Denmark's Galliard (lute solo),
Can She Excuse My Wrongs?,
Sorrow Stay

Handel: O Lord Whose Mercies Numberless,
Non può mia musa,
Può te, Orfeo, con dolce suono, Dunque maggio d'Orfeo,
Ogn'un canti e all'Armonia

Robert de Visée: Prelude and Chaconne (theorbo solo)

Purcell: By Beauteous Softness,
If Music Be The Food Of Love,
An Evening Hymn

Encores:
Handel: Cor Ingrato from Rinaldo
Thomas Morley: Will You Buy A Fine Dog?

I have a kind of tendency to avoid concerts held at churches, as I’m rather
critical and sceptical about the acoustics in churches in general; in most cases
the choir sounds too solemn to understand what they are singing because of
echoes and reverberations. In order to prevent that kind of disappointment,
you have to take a seat as close as possible to the musicians, where you can
hear the sounds directly. So my friends and I started standing in front of the
church door 30 minutes before it opened, and could successfully get the best
seats on the front row.
Another threat to a church concert is rather low temperature inside; in winter
you might regret, if you don’t dress like going out to watch a football game.
I remember a Bach concert at Our Lady’s Church in Maastricht a few years ago;
the audience jumped up soon after the last tune had faded (it took some time
before all became quiet, as the reverberation time of that church was extremely
long), clapped shortly and rushed outside, instead of giving a usual standing
ovation. Our patience reached nearly the limit, and it was too cold to behave
politely. I still wonder how musicians and their instruments survived in such
extreme circumstances…..

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(photo courtesy of Peraperaopera)

The fully packed Shoreditch Church looks quite cosy with candle lights here and
there on the stage. There are even some seats set on the stage just surrounding
the artists like a shield or a wall, which, in my view, would be aimed to create
better acoustics.

The opening number of the concert is Music for a while. During last 12 months I attended 9 concerts and 3 operas in which Iestyn was involved and this is my
5th time to hear his singing this song live. Music for a while is obviously and
absolutely my favourite song from Purcell, and this time it is accompanied with
the lute. This combination results in plain beauty. I am so touched by the music
played by two artists who look totally devoted to entertain us in such a sincere way. This is the best Music for a while rendition ever, bearing a touch of loneliness,
despair and hope. I first try to keep myself calm but soon surrender and let my
eyes filled with tears. Later Iestyn sings Flow My Tears suitably with full essence
of melancholy.

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(photo courtesy of Peraperaopera)

The second part after the interval starts with melancholic Dowland’s In Darkness
Let Me Dwell. It is impossible not to be blown away, by hearing England’s living
Orpheus singing this song. But he sings it without unnecessary pretension; yes,
which you can call the art of melancholy. I am particularly fond of the way he ends
the song suddenly with no display of sentiment, which is so effective, sensible and stylish.

Lutes and theorbo require tuning often, so Iestyn and Lizzy talk meanwhile about instruments, composers, their first collaboration some 20 years ago and so on.
(One of the CD booklets I brought to be signed is coincidentally the recording for
which they worked together when Iestyn was 13 years old. I asked them to sign
on it at the post-concert signing session. This is Iestyn’s autograph, mocking as if
a 13-year-old boy wrote it.)

c0188818_21112060.jpg


Lizzy plays some solo lute pieces, which also sound intimate and unpretentious.
Robert de Visee’s works are not familiar to me, but they recall me a same sort of
delight as Dutch art of 17th century. Perhaps it’s because of the composer’s name;
Vise is the nearest Begian town just across the border from my place. Might his
family have come from Vise, or he himself have been born there?

Handel is honourably nominated as an English Orpheus in this concert. I don’t
disagree, though he is totally different from the two former composers. I’m also
a Handelian and I always appreciate Iestyn’s performing roles in Handel’s operas
and oratorios, so it is more than welcome that Handel repertoire is included in
tonight’s programme. Iestyn sings Non puo mia musa, which, to my surprise, seamlessly matches the rest of the programme, even though it’s sung in Italian
with more vivid colours and lighter ornamentation than relatively monochrome
Dowland and Purcell songs.

c0188818_21175681.jpg


Purcell’s Evening Hymn is a perfect song to finish a lute song concert; I never call
this song a tearjerker, but this time I can’t help my lacrimal gland loosing. What a blessing.
There are two encore pieces: Handel’s Cor Igrato from Rinaldo, and Thomas Morly’s
Will you buy a fine dog? The contrast is huge:one is serious and the other is funny, which shows his versatility in wide repertoire. After attending this memorable, comprehensive and exquisite concert, I can’t help feeling like listening to Iestyn's performing on an opera stage soon again.
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by didoregina | 2014-12-09 21:38 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


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プロフィール

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別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
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音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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