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怒涛のカウンターテナー・ルネッサンス・イヤーを振り返る

「今年はカウンターテナー・ルネッサンス」宣言を行ったのは、今年2月8日の記事だった。
しかし正確に言うと、丁度一年前の12月17日が、わたしにとってのカウンターテナー・
ルネッサンス・イヤー元旦であったのだ。
すなわち、ケルンでヴィンチ作曲『アルタセルセ』を鑑賞した日である。http://didoregina.exblog.jp/19021085/

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その日から、めくるめくセンセーションと驚愕と出会いに満ちた一年が始まった。
その怒涛の一年を振り返ってみたい。

この『アルタセルセ』のCD録音および、ヨーロッパ各地での舞台形式およびコンサート形式
上演は、現在ヨーロッパで進行中のCT革命のマイルストーンとして21世紀音楽史上に残る
画期的出来事だった。
比較的マイナーなバロックオペラの全曲録音・上演であることに加えて出演歌手は男性のみ、
そして現在注目すべき若手実力派カウンターテナー5人が出演したのだった。フィリップ・
ジャルスキー、マックス・エマニュエル・チェンチッチ、フランコ・ファジョーリ、ヴァラール・バルナ=
サバドゥス、ユーリ・ミネンコ。
(同様の先例としては、男性歌手のみ出演しかも若手カウンターテナーが9人登場して、
クリスティー指揮、ラザール演出で、ランディの『聖アレッシオ』がすでに2007年にカーン、
パリなどで上演されているが、わたしは未体験)

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ケルンでの『アルタセルセ』公演は、当初の予定とは変わって、コンサート形式での上演と
なった。舞台形式でないことを残念に思ったのだが、実際に鑑賞してみるとコンサート形式だと
歌唱に集中できるからそれはそれで悪くないのだった。

カウンターテナーの声と歌唱は、録音を聴いただけでの判断は禁物だ。
生の舞台で見て聴いて、ようやく個性が発見できたりよさを納得できたり欠点もわかるものだ。
その際、CTが1人だけ登場するオペラよりも複数登場のオペラの方が、比較対象が多くなって
面白さの度合いはずっと高まる。
また、舞台上ではCT同士の間で、ある種のライバル意識も働くため、単独の場合よりもずっと
素晴らしい歌唱を披露するということが往々にして起こる。
個々のCTの個性がぶつかり合って炸裂するのを眼にし耳にする醍醐味!
彼ら若手CTは、いずれ劣らぬ実力を誇り、つい数年前までは考えられないほどの多様性を
見せる。技術の進化した、現在のヨーロッパにおける最新CTの姿がこのプロダクションでは
まとめて堪能できるのである。


TV放映された『アルタセルセ』舞台の全編ヴィデオ。


              キッチュで安っぽくケレンミ溢れる演出でバロックオペラの本質抽出。



そして、2月には、ヘアハイム演出によるヘンデルの『セルセ』をデュッセルドルフで鑑賞した。
http://didoregina.exblog.jp/19232452/



2011年にウィーンで、マレーナ・エルンマン主演、スピノジ指揮、エイドリアン・ノーブル演出の
『セルセ』を鑑賞しているので、デュッセルドルフでのヘアハイム演出のタイトルロールをCTの
ヴァラール・バルナ=サバドゥスが歌うことに興味津々だった。
マレーナ様とサバドゥス君の声はよく似ていると思う。彼の声、特に高音は、表面を覆う膜が
引き伸ばされて薄くぴんと張った感じで、ストレートに響く美しいメゾそのもので耳に心地よい。
そして、核に男性的な野太さを感じさせるのだが、全体のテクスチュアにマレーナ様の声と
共通する部分が多い。肺活量が多そうなのは、男性であるCTの長所か。
マレーナ様のズボン役は、実際に舞台鑑賞すると驚愕するくらい、姿かたちも態度も演技も
男性そのものになりきり、他のメゾ歌手の追随を全く許さない。
セルセ役をCTが歌うことは稀なのだが、サバドゥスの自然な高音がそれを可能にし、
若さと舞台映えするルックスも相まって、マレーナ様セルセと拮抗する出来栄えだった。
ヘアハイム演出のスラップスティックそのものの舞台、Xerxes=Sex Rexという設定では
CTの方が無理がなく、彼は正に適役。
弟アルサメーネ役がやはり若いCTのテリー・ウェイで、サバドゥスとはいいコンビであった。


サバドゥスは、夏のエクサンプロヴァンス音楽祭でも、カヴァッリ作『エレナ』のメネラオ役に
抜擢された。爽やかな歌唱が印象的で、将来有望株No.1であることを再確認した。
(TV放映のみの鑑賞だったが)

TV放映された『エレナ』の全編。





7月には、アムステルダムのDNOでブリテンの『ヴェニスに死す』を鑑賞した。
http://didoregina.exblog.jp/20490829/

この作品に登場するCTは1人で、アポロ役のティム・ミード。生の彼の声を聴くのは初めてだ(と思う)。
しかし、このオペラはブリテン作曲ゆえかほぼテノールの独り舞台という趣で、CTの歌唱および登場
部分は予想以上に少ないため、ミードの歌唱はノーブルでストレートでいかにも英国系CTらしい
なあ、という程度の言うもがなの感想しか持たなかった。
初めて鑑賞するこの作品そのものにも演出にもとてもハマったのに、CTにはさほど特別な感慨を
抱かなかったのは、歌手のせいなのか、それとも、あまりに濃いヨーロッパ大陸(および南米)の
CTに耳や感覚が慣れてしまって、淡白な英国人CTの歌唱があっさりしすぎで物足りなく感じたの
かは、定かではない。

演出のウォーナー女史のインタビュー入りトレイラー。スカラ座公演でのCTはイエスティン・デイヴィス。






9月には、アムステルダムのコンセルトヘボウで、コンサート形式のヘンデル『アレッサンドロ』。
http://didoregina.exblog.jp/20785631/

これも『アルタセルセ』同様、今を時めくパルナッソス・アート・プロダクションズによる製作だ。
ラング氏主宰のこの事務所は、近年、若く優秀なCTを集結させて、比較的マイナーなバロック・
オペラの全曲録音やその舞台化などに意欲的に取り組んでおり、CTルネッサンスもこの事務所
抜きにしては考えられない。ヨーロッパのCT界最先端を牽引しているのである。

こちらは、一年前に録音されたCDプロモーション用トレーラー




出演のCTは、マックス・エマニュエル・チェンチッチ、シャビエル・サバタ、ワシリー・コロショフ。
個人的な好みではあるが、主役で花形歌手であるチェンチッチの成熟しきった声と歌唱よりも、
サバタの温かみを感じさせる豊かな低音からリリカルな明るさのある高音まの幅の広さ、そして
会場全体に届くプロジェクションに感嘆させられた。やはり、CTの歌唱は生で聴いてナンボ、
そして複数のCTが同じ舞台に立つことで個性の比較が容易にできて楽しさ倍増だということを
再確認したのだった。



特にCTが重要な役を演じたわけでははないが、バルセロナで鑑賞した『アグリッピーナ』にも
オットーネ役でディヴィッド・ダニエルズが出演していた。
http://didoregina.exblog.jp/21059013/



この動画をご覧いただくと、CTの新旧の違いが一目瞭然であろう。
ダニエルズ氏は、アングロサクソン系CT旧種の代表格と言える。ファルセットのようにしか聞えず
(「女の腐ったような声」と形容した人もいる)、変化に乏しい歌唱で、パワー不足の感が否めない。
一昔前のCTのイメージそのものである。
ただし、氏の名誉のために付け加えると、リセウでの実演で接した彼の歌唱は、この動画ほどは
酷くなかった。会場の音響が良かったせいだろうか、豪華キャストの中で彼一人が足を引っ張るの
ではないかと恐れていたほどではなく、ホッとしたのであった。



バルセロナ遠征から戻って間もなく、わたしにとってのカウンターテナー・ルネッサンス・イヤーに
急展開が起こった。
イエスティン・デイヴィスとの出会いである。
ヨーロッパのCT達とは全く異なる進化を遂げた、イギリスのCTを再発見することになったのだ。
(パーセル3曲とブリテンの『カンティクルズ』コンサートの英文記事を書いた。)
http://didoregina.exblog.jp/21023113/

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バロック・オペラおよびCTを熱く語る、(在欧)日本人とヨーロッパ人から成るコミュニティーに日夜
浸っていると、イギリスやアメリカでのCT動向に疎くなる。CT先進圏の真っただ中にいるものと
思い込んでしまうからだ。
そして、もともとヨーロッパ大陸と、英米というアングロサクソン国とではCTのキャラクターも大きく
異なっているのだ。
ヨーロッパでは、バロック・オペラには欠かせない存在だったカストラートの再来を思わせるような
装飾や色彩感に溢れた、ベルカント様式を感じさせる歌唱を、男性ならではのパワーで聞かせる
実力を持つ頼もしい新CT種が百花繚乱のごとく咲き誇っている。
それに対して英米のCTは一般的に、聖歌隊出身であるためか清廉で上品だが、色気の足りない
歌唱が主流のように思われる。
これら両者をいっしょくたに語ることはできない。CTと言えども、ほとんど異なるカテゴリーに属して
いるからだ。
その違いを、友人の言葉を引用しつつ例えると、「ヨーロッパのCTは金銀使った彩色写本の趣で、
英米のCTは石に彫ったローマ字体のようだ」
前者は、直射日光を避けた修道院の図書館で見ることができる写本の彩色が施されて装飾で
飾られた文字のどこか隠微な匂いのする人工的な美しさで、後者は、楷書体のようにストレート
かつシンプルだが外光の下で映える健康的で端正な美しさである。

そして、いつの間にか、イエスティン・デイヴィスは、ヨーロッパのCTとはまた別の方向ではあるが、
新種CTらしい進化を遂げていたのだ。


彼を意識して聴いたのは、2011年のウィーンでの『狂えるオルランド』でルッジェーロ役を歌った時
だった。http://didoregina.exblog.jp/17015440/

その衝撃は忘れられない。いわゆる教会系のケレンミのないストレートさで勝負の歌唱なのに
しっかりと男性的かつパワフル、安定したプロジェクションで声はびんびんと飛んでくる。
ボーイッシュな澄んだ高音から中音域・低音まで滑らかに繋がり、アジリタも気持ちよく、かつ、
歌心に深みを感じさせるのだった。これぞ進化したCTの理想の声と歌唱ではないかと思った。
なんとなくお行儀のよすぎるようなイメージだった彼と、ヴィヴァルディ(およびスピノジ指揮)との
相性の良さも意外だった。

2006年録音のヴィヴァルディ『グリゼルダ』から、イエスティン・デイヴィスの歌うコッラードのアリア
Alle minacce di fiera belva



しかし、彼の場合、その後出演したオペラ・レパートリーに現代ものが多かったことと、活躍の場が
イギリス、アメリカ、もしくは南ヨーロッパであることが多かったので、実演に遭遇する機会がなんと
2年間なかったのである。その間、彼は、メトロポリタン歌劇場のブリテンのオペラ『真夏の夜の夢』で
主役を張るくらいに成長していた。

ブリテン作曲『カンティクルズ』のヴィデオ・リンクを張るので、ご視聴いただきたい。
http://www.theguardian.com/music/video/2013/nov/20/britten-centenary-the-canticles-video

ティペット、ブリテン、アデスによる編曲によってかなり現代的な味付けとなり、わたしの舌には
馴染みがないほど変貌していたパーセルの3曲とカンティクルズ2曲を彼が歌うのを聴いて、
ボーイッシュという形容を使うのはためらわれるほど大人っぽい深みのある声で、高音にも
男性らしさが混じっているし、熟成された中低音の美しさに新たな衝撃を受けたわたしは、
コンセルトヘボウに続いて、二年間の空隙を埋めたいという念に駆られ、ブリュッセルのモネ
劇場に同じプログラムを聴きに行ったのであった。

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年の終わりに近づいてから思わぬ新発見に巡り合うことのできた2013年は、わたしにとってまさに
センセーショナルなCTルネッサンスの一年だったのだ。
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by didoregina | 2013-12-19 16:32 | カウンターテナー | Comments(18)

An evening with..... Iestyn Davies!

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It's rather irregular for me to write a concert review in English on my blog.
But I'm trying now, because;
1. My notebook crashed and impossible to use Japanese fonts,
2. There are thousands of fans of Iestyn Davies and maybe the artist himself,
waiting for my review.

How come?
Because I am the lucky winner of Iesyn's offer to attend his concert in
Amsterdam celebrating Benjamin Britten's centenary birthday.
The programme comprises the songs composed by Purcell, Schurbert and
Britten.

"Wie jarig is, trakteert"
In Holland, it's very common that one provides a treat on his/her birthday to
his/her colleagues, classmates and teachers.
22nd of November is Benjamin Britten's birthday: he was born exactly one
hundred years ago.
On behalf of Britten (?), Iestyn provided a treat, which was a pair of concert
tickets! And I was the first person who reacted to his offer. It was almost like
reflection, and took me only a fraction of a second to respond.


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It says "Everything sounds more beautiful in the Concertgebouw". I agree 100%


Five Canticles van Britten met tenor Mark Padmore @ the Concertgebouw
di 26 november 20:15 - 22:05
Musici
Iestyn Davies (countertenor)
Mark Padmore (tenor)
Marcus Farnsworth (bariton)
Julius Drake (piano)
Jasper de Waal (hoorn)
Lavinia Meijer (harp)


Programma
Purcell - Music For a While (uit 'Oedipus, King of Thebes'), Z. 583/2 (arr. M. Tippett /
W. Bergmann)
Purcell - Sweeter than Roses (uit 'Pausanias, the Betrayer of his Country'), Z. 585/1 (arr. B. Britten)
Purcell - Full Fathom Five (uit 'The Tempest'), Z. 631/6 (arr. T. Adès)
Schubert - Der Schiffer, D 536
Schubert - Auf der Donau, D 553
Schubert - Nachtstück, D 672
Schubert - Auf dem Strom, D 943
Britten - Canticle I, op. 40 'My Beloved Is Mine And I Am His'
Britten - Canticle II, op. 51 'Abraham and Isaac'
Britten - Canticle V ‘The Death of Saint Narcissus’, op. 89
Britten - Canticle IV ‘The Journey of the Magi’, op. 86
Britten - Canticle III, op. 55 'Still Falls the Rain'

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James McAvoy? No, it's our Iestyn!

The concert started with Henry Purcell's (1659 - 1695) Music for a While, which
is one of my favourite English songs and that's why my blog has the same title.
Coincident? No, I'd rather like to believe in so-called meaningful coincidence,
according to Carl Gustav Jung's definition of synchronicity.
Accompanied on the modern piano by Julius Drake, this version of Music for a
While sounds quite unfamiliar to me. Is it because of modern tuning pitch and
arrangement?
This one does not sound melancholic, nor has a sort of "healing effect" as one
might expect.
Usually I can't stop my tears running, when I listen to this song sung live.
But this version gives me totally different impression; sort of muscular strength
and optimism overwhelm despair and hope.
It's not only because of modern instrument and arrangement, but also Iestyn's
voice and the way he sings, I guess. I like his fully balanced and "mannish" voice,
which is rather unique for a countertenor. I was just astonished by the combination
of his rendition and this modern arrangement. It's a kind of revelation.

The following two Purcell songs were also modern-arranged by Britten and Adès
(the latter especially for Iestyn?). I think I need some time to digest them,
or have to listen repeatedly to appreciate them. Even to my conservative Purcell-
oriented ears, Iestyn's voice, mellow and powerful at the same time, was a
gorgeous treat, though.

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Iestyn and Marc

The next group of songs in the first part of the concert programme were Schubert's sung by Marcus Farnsworth and Marc Padmore, accompanied by Hornist Jasper de
Waal. The both singers sang convincingly with full mighty voices. But I'm puzzled
why Schubert songs are included in the programme....

The second part after interval was the main programme: Benjamin Britten's
5 Canticles.
I listened to Canticles just a few days before the concert for the first time.
That was the video featuring the same pianist and singers except Marc Padmore
(Ian Bostridge), an ideal reference material.
Listening to the Canticles live is of course much more impressive.
They are sung in a way like a chamber opera: dramatic, expressive and poetic.
But the Kleine zaal (Small hall) of the Concertgebouw is too small for the great
singers' voices. Thrilling and emotional climax scenes sound little too loud and
not pure enough because of the resounding acoustics of the round shaped hall
and the dome roof. The Kleine zaal has a nice intimate atmosphere, but these
singers should deserve much bigger hall with better acoustic quality like the
Grote zaal of the Concertgebouw.
Marc Padmore impresses the audience utterly with his Evangelist-like convincing
way of singing. No wonder that all the Canticles CDs are sold out after concert.

One of the strongest points of Iestyn, which distinguishes him from many other countertenors, is his voice projection. Its range is wide and far, so you can hear
him clealy at any corner of big halls and operahouses.
And his voice stability is incredible, so you can listen care-free, which means
a pure delight to enjoy music.
Yes, I really enjoyed the evening!
Thank you Iestyn, thank you Benjamin!.

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by didoregina | 2013-11-29 17:16 | イエスティン・デイヴィス | Comments(8)

バルセロナ遠征記その1 エディタ・グルベローヴァのリサイタル

3年越しの念願だったバルセロナ遠征から帰って来た。
主目的は、リセウ歌劇場でのヘンデル作曲のオペラ『アグリッピーナ』鑑賞だ。

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                        リセウ歌劇場

遠征とは言ってもヨーロッパ内であるから、飛行機に乗っている時間はせいぜい2時間くらい。
目的の演目を一回だけ鑑賞して1泊で帰って来るというのも可能である。
だが、出来る限りもう一つ別のコンサートやオペラはたまたバレエなどの鑑賞も組み込んで、
2泊はしたい。安い航空券を探したとはいえ往復100ユーロは下らないから、観光もしたい。
ありがたいことに、オペラの初日と2回目の公演との間に丁度お誂え向けの演目が見つかった。
エディタ・グルベローヴァのリサイタルである。

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リセウ歌劇場は、観光客と観光客の金目のものを鵜の目鷹の目で狙っているスリやかっぱらいや
観光客をカモにしようと虎視眈々のレストランやカフェで溢れる、雑駁なランブラスの真ん中あたりに
位置する。
一瞬たりとも気を抜いたら身ぐるみはがされそうな、生き馬の目を抜くようなランブラスから、歌劇場
の中に一歩足を踏み入れると、ゴージャスで洗練された別世界が広がる。文字通り、世間の俗塵
からは隔絶され眩いばかりの劇場は、天上の御殿に等しい。

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                     正面大階段前で。

遠征前、数週間前から、リセウには何を着て行こうかと悩んだ。
着物で行くことはお決まりであるが、劇場の豪華さはどの程度のもので、それに見合った格の着物と
コーディネートすなわちどれだけ派手にしたらいいのか、その匙加減に頭を悩ましたのである。
陽光溢れるスペインの豊かな都市、いやカタロニアの首都であるバルセロナの歌劇場という
ロケーションと、シーズン開幕演目および女王グルベ様のリサイタルに相応しい着物として選んだのは
お茶を習っていた10代の頃に初釜や特別なお茶会のために作ってもらった派手な小紋である。
35年以上前に多分1度か2度だけ袖を通したことのある着物であるが、手入れに抜かりはないから、
今でも十分着用可能である。
問題は、日本での常識である。つまり、50代の女性が10代の時の着物を着ることは、日本だったら、
世間が許してくれない。非難ごうごう、白眼視され、爪はじきの憂き目にあうことは必至であろう。

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     舞台上手寄り、横から見る位置のバルコン2階席に座った。

実際には、日本の常識は世界の非常識、という言葉があるがまさにその通りで、コンサートにご一緒
した現地のブログ友Aさんもびっくりするほど、派手な着物のおかげで歌劇場の大勢の観客から賞賛の
言葉やまなざし、そしてジェスチャーをいただいたのだ。つまり、選んだ着物は大正解だったのだ。

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        見知らぬ人からツーショット頼まれたり。。。


さて、肝心のグルベ様のリサイタル内容である。
前半のプログラムはシューベルトのリート。
これが、ちょっと痛かった。どうも、彼女のお年を召してもとてもキュートな容貌と声には、シューベルトの
悲壮で孤独の影の漂うキャラクターは相いれない。何を歌っても舌足らずな印象に聞こえるのだ。
そして、かなり危うい音程や、苦しい高音、艶が足りなくてパサついたような喉という、高齢の女性
であるからいたしかたない現在のグルベ様のコンディションが顕わになってしまう。
それを痛々しいと感じる人は、このコンサートには来ないのが望ましい。
その日の聴衆は心の暖かい人か往年の彼女を知るファンばかりのようで、登場した途端のブラーヴァ
から始まって、いつまでも鳴りやまぬ暖かい拍手その他に表される、熱狂の渦となったのだった。

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                      熱烈な拍手に笑顔で応えるグルベ様

前半は8曲だけで、30分もかからなかった。
後半のラフマニノフとリヒャルト・シュトラウスになってから、喉が温まったというか、潤いが少し出て
来たようだ。
いかにも正統的ドイツ・リートという端正でごまかしのききにくい曲目から、少しだけオペラチックな
ドラマ性で聴かせる曲に曲目が移ったということもいい方に作用したのだろう。歌唱から痛ましさは
減った。やはり、彼女はオペラ歌手なのだ。
そして、そのまま、第三部ともいうべき、熱狂のアンコールに突入するのだった。
これこそが、このリサイタルの白眉であった。すなわち、お得意のコロラチューラ・アリアを次から
次へと披露する。前半のシューベルトに比べて、アンコールは40分以上あった。5曲目くらいを聴き
終えてから、次の約束があるから出てきてしまったが、拍手とブラヴォーの掛け声は止まないのだった。

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                     アンコールは留まるところを知らない。

はがき大の様々な色のチラシのような紙ふぶきが天井桟敷から降ってくる。
舞台横に近いわたしの席にも5枚は降ってきた。それらは、グルベ様の写真をコピーしたもので、
熱烈なファンが降らせているのだろう。
また、反対側の舞台寄りの席には、大きな横断幕のような垂れ幕が。

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引退公演の趣であるコンサートのため、花束もどんどん舞台に投げられ、感極まったグルベ様は
またアンコール曲を歌う、という按配である。
女王の貫録というより、クィーンマザーのように愛らしい雰囲気で、ファンには笑顔で応えるのだ。
熱狂的ファンと歌手が作り出す親密な雰囲気に包まれた会場は、ほんわかとした空気が充満して
見知らぬ人同士も言葉ではなく、笑顔でお互いの満足感を示し合うのだった。
得難い体験ともいえるコンサートではあった。

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        カラフルなチラシ状の紙吹雪と花束で埋まった舞台。

外は酷い土砂降りで肌寒かったが、バルセロナの人たちの心優しさが胸に沁みる晩であった。
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by didoregina | 2013-11-21 22:01 | コンサート | Comments(20)

マルコ・ビーズリーによる真夜中の物語 Il Racconto di Mezzanotte

マルコ・ビーズリーのあの特徴ある声が大好きだ。テノールでは彼ほど気に入った歌手が他に
思い浮かばないほど。
ようやく、その彼のリサイタルに行くことができた。オランダ・ベルギー各地12か所で行われた
真夜中の物語ツアーの千秋楽だった。

c0188818_1944970.jpgMarco Beasley
Il Racconto di Mezzanotte
2013年10月27日 @Studentenkapel Eindhoven

Severino Corneti (1530 - 1582)
Pigliate l'alma mia (uit: Canzonette alla napolitana, Antwerpen 1563)

Anoniem
Le sette galere (traditioneel lied uit Corsica)
Pizzica tarantata (traditionele dans uit Apulië)
Nycholay sollempnia (uit: Ms. Cividale, cod. LVI, begin 14de eeuw)
Kyrie cunctipotens (gregoriaanse trope, op tekst van Roccu Mambrini)
Deus ti salvet Maria (traditioneel lied uit Sardinie)

Guillaume Dufay (1397 - 1474)
Vergine bella (uit: Ms. GB-Ob, Canonici misc. 213)

pauze

Anoniem
Eufrosina (uit: Fillius Getronis; Livre e Jeux de Fleury, Orléans MS 201)

Marco Beasley
Il Centurione, forse (scheldirade naar een traditioneel lied uit Apulië)

N. Acquaviva / T. Casalonga
Lamentu a Ghjesu (op tekst van Roccu Mambrini)

Anoniem
Magnificat (gregoriaanse paraphrase)

Severino Corneti (1530 - 1582)
Signora mia (uit:Canzonette alla napolitana, Antwerpen 1563)

Marco Beasley
Tu dormi (naar een frottola van B. Tromboncino, 1470 - 1535)

Anoniem
Jesce Sole! (smeekbede op Napolitaans kinderrijmpje)

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コンサート会場は比較的こじんまりした教会で、とにかく開場と同時に入場して一列目の席を
確保したのが幸いして、目の前1メートルほどの距離で彼の語りと歌を聴くことができた。
たいがい自由席である教会でのコンサートでは、場所選びが重要である。音響がいったいどう
なっているかは(残響の長さと反響の仕方など)、実際に聴くまでわからないから、なるべく
前の方に座って、直接の音をじかに聴くのが安心である。また、特にステージを設置しないことが
ほとんどだから、遠いとよく見えなくてイライラするし、柱の陰になったりする席もある。

プログラムは、中世からルネッサンスのイタリアおよびフランドルの伝統音楽(民謡)および教会
音楽なので、会場が教会というのはいかにもふさわしい。
ステージ代わりに、歌手の立ち位置辺りの床には、一面に電池式の豆電球のロウソクが置かれて、
ニセの炎がまたたいている。夜の雰囲気演出のためである。
真夜中の物語と題しているが、この日のコンサートはマチネであった。

そして、これらの曲を全くのソロで伴奏もなくアカペラで歌いつつ、合間には英語で曲の説明をしたり、
真夜中の物語をイタリア語で朗読するという具合で、大変に内容の濃い独り舞台であった。
こういう形式で、パワー全開のコンサートを行い、しかも客席が至近であるから、大変な集中力を要
すると思うのだが、歌唱には力んだところがなく、滑らかで耳に心地よい。
ストーリーテラーでもある彼の面目躍如だ。

歌われたイタリア民謡はほとんんど南部のものであるから、彼独特の粘りのある歌い声によく合い、
伸びもよく、重くならない歌唱と相まって、思い出したのは、この夏、エオリア諸島で食べた美味しい
ピザの台である。
かみごたえがあるのになんとも言われぬ軽みと味わいもあり、病みつきになってしまう。それが、彼の
魅力である。



教会なので、出演者の楽屋はキッチンで、一つしかないトイレも客と共用。公演前にビーズリーと
すれ違ったのだが、彼がとても小柄であることにびっくりした。オランダ人と比べてはもちろんのこと、
わたしよりも小さいのだ。
ずんぐりむっくりした体型だが、姿勢はとてもよく、発止と見張る目線が力強い。さすがのオーラが
漂う。

コンサート・ツアーの前後には、ラジオやTVにも出演して、インタビューのみならずスタジオでも
アカペラの歌唱を披露してくれていた。すごいバイタリティーだ。



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by didoregina | 2013-11-01 12:01 | コンサート | Comments(2)

クリスティアン・ベザイデンホウトのフォルテピアノ・リサイタル@宗次ホール

丁度里帰り中に、名古屋の宗次ホールでクリスのフォルテピアノを聴くことができた。
ブログ友のgさん、nさん、Vさんとご一緒した。

クリスティアン・ベザイデンホウト フォルテピアノ・リサイタル
2013年10月19日@宗次ホール 名古屋

モーツァルト:
ソナタ 第4番 変ホ長調 K.282
アダージョ ヘ長調 K.Anh.206a
キラキラ星変奏曲 (フランスの歌「ああ、お母さんに聞いて」による12の変奏曲 ハ長調 K.265)
ロンド イ短調 K.511
ソナタ 第11番 イ長調「トルコ行進曲つき」K.331

アンコール
ソナタ第16番 K.545 第二楽章アンダンテ

[当日の使用楽器]
フォルテピアノ  Anton WALTER(1800年頃)のモデル
[製作者]
PAUL McNULTY(チェコ) 2002年作  Unequal temperament,  A-430

まず、宗次ホールの300席ほどのこじんまりした雰囲気がいい。
ただし、普通の雑居ビルに入っているため場所が分かりにくいのが難。
近くにとったホテルのフロント嬢に電話で場所を訊いても埒が明かず、覚悟を決めて地下鉄駅から
歩きだした。出口の階段を昇ろうとしたその時、後ろから「レイネさん?」と声を掛けられた。
ランデブー相手のgalahadさんとそこでばったり会えたおかげで、コンサート会場に辿りつけた。

カレー屋さんのオーナーが始めたというこのホール、こういう風な、耳を澄まして聴くようなか細い
音量の楽器のリサイタルとか室内楽にはぴったりの、すがすがしくモダンで親密な空間である。
比較的マイナーな楽器でのコンサートなので、あまり大きなホールだと空席が目立って哀しいこと
になるが、このくらいの席数がぴったりだ。満員御礼ではなかったが、一階席はかなり埋まっていて
一安心。

私達の席は、前から2列目中央より左寄りで、鍵盤が見える位置だ。
フォルテピアノのコンサートの場合、席はいくら前の方でも前すぎるということはないのである。

フォルテピアノを普段あまり聴きつけていないと、モダンピアノとの格差に耳が慣れるまで違和感を
覚えるものである。それは、フォルテピアノ・コンサートの最初の曲を聴いたときいつも感じるのだが、
今回も何とも言えない耳へのおさまりの悪さというか微妙なモヤモヤ感があって、しかしそれは割と
すぐに収まった。最初のソナタの第一楽章の途中までも続かなかったのが幸いである。
絶対音感は持っていないから、楽器のピッチの違いから感じる気持ち悪さというのとは違うと思うが、
モールアルトの音楽の音は結構こうあるべきという思惑が脳にあるのだろうか。脳内音楽と実際の音
とのズレが奇妙な感じでまとわりつくのが、わたしの場合通例である。

K282 は、4月のハッセルトでのクリスのリサイタルでも第一曲目であった。そして、あれっと思うほど
伸縮性のある音と、多彩な色を感じさせるほとんどロマン派的な解釈に驚いたのは今回も同様。
フォルテピアノらしからぬ伸びやかな音と軽やかで自然そのものの演奏とで、内田光子さんの弾く
モーツアルトに近いものを感じさせるほど。
クリスの演奏テクニックと解釈が2年間でかなり進化したと思ったのだが、その方向性もよくわかった。
むきにならずに、無理なく、そして恣意的にはならず堅実にモーツアルトの音楽に取り組んだ結果が
血肉になっているという趣で、わたしが理想と思う音楽にほとんど一致する。

アダージョでは、ロマン派っぽさがもっと前面に押し出されている。それなのに、突拍子もないようには
感じさせず、ごく自然で押しつけがましさが全くないのがクリスの持ち味といえる。
キラキラ星変奏曲も、クリスの個性がきらきらと溢れ出して楽しいことこの上ない。
モーツアルトの音楽に対する真摯さと誠実さとが膜となって表面を覆い、全体が確固とした形を成し、
その形は曲調の変化に応じて千変万化してはいるが、覆いがしっかりと保たれているので、感情の
中身が破れてこぼれ出すということはないのだ。
一言で言えば、エキセントリックとは程遠く、気持ちのいい安心感に浸れる演奏である。

休憩後は、わたしの好きなロンドK.511である。
この曲を数年前に再び練習していた時、丁度ラジオから流れてきた彼の演奏にはっとして耳を
澄ましたことがある。それは、自然ではあってもテンポにどことなくく恣意性が感じられたのだが、
耳に残って離れず、自分の解釈とは異なるのに真似したくなって困ったものである。
今回、生でその演奏を聴いて、またもびっくり。この曲こそ、モーツアルトのピアノ曲の中でもロマン
チックな激情を感じさせる代表格なのに、重苦しさや甘ったるさがなくて、その軽快な演奏は、まるで
ショパンのワルツを弾いているようなノリのよさである。
フォルテピアノで弾くモーツアルトがショパンの曲に近く感じさせるとは。またしてもクリスの進化には
端倪すべからざるものがある。

アンコール曲も含めて、ピアノのお稽古風プログラムであるのは、日本ツアー向けなのだろうか。
晦渋なところがなくてわかりやすいのがよろしい。いかにもピアノを習っていそうな小さな子たちも
目についた。

終演後、フォルテピアノ所有者、梅岡俊彦氏による楽器説明があって、観客も舞台に上がって真近に
見る機会を与える配慮が素晴らしい。楽器の構造を実際に見て、皆、ほお~っと感心することしきり。
その間、フォアイエではクリスのサイン会があったのに、観客のほとんどは舞台上の楽器に見入って
いたので、サインを求める人はほとんどいなくてガランとしている。ちょっとかわいそうであった。

ヨーロッパでのコンサートに着物で行くのに、今回は日本なのに洋服であることを弁解すると、「カジュ
アルですね」と言われた。「あなたはいつも黒のシャツだし、今回の曲目もカジュアルよね」と返すと、
「いや、ジャケット着用のこともありますよ」とのこと。
お約束のツーショット。
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by didoregina | 2013-10-27 10:25 | コンサート | Comments(6)

サラ・コノリーのリサイタル@Jurriaanse Zaal ロッテルダム

コンセルトヘボウでのヘンデル『アレッサンドロ』のマチネ・コンサートと同じ日の夜、ロッテルダムで
サラ・コノリーのリサイタルがあった。
多目的ホールであるデ・ドゥルンは、ロッテルダム中央駅から徒歩2,3分だし、アムステルダムと
ロッテルダム間は電車の便がよく、最速だと40分弱で結んでいるから、余裕で行けた。
今回は、デ・ドゥルンの小(中?)ホールである。

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21 september 2013
Jurriaanse Zaal

Sarah Connolly - mezzosopraan en Julius Drake - piano

Schumann - Widmung; Die Lotosblume; Hochländisches Wiegenlied
Schumann - Frauenliebe und -leben
Howells - Come sing and dance; King David
Gurney - By a Bierside; Sleep
Britten - O Waly, Waly; Corpus Christi Carol
Bennett - A History of the Thé Dansant

ステージが下のほうにあって、客席がひな壇になっているホールだが、会場は満席ではないのが
少々残念だ。私の席は3列目中央右寄りで、歌手が目の前の位置だ。冷風が感じられ妙に寒い。

颯爽と登場したサラ様のステージ衣装には目を瞠らされた。なんて素敵なデザインと色!
明度の高い薄いグレーの柔らかなシルクのシンプルなロングドレスなのだが、右肩から同生地で
幅広の布が斜めにショールのように掛かり、ウエストの左側で留められ、プリーツともドレープとも
とれるひだが下に流れる。そのショール状の布は、前後ともドレスと同様にフルレングスである。
まるで、ギリシャの女神像!
柔らかくクラシカルなデザインのドレスとは対照的に、銀色のネックレスはモダンな正方形を組み
合わせたモチーフが鎖骨に沿うようになっていて、こちらも素敵なデザインである。
ヘアスタイルは、短めのボブに不規則なカールを付けて自然に後ろに流した感じで、お似合いだ。
数年前までは、サラ様のステージ衣装というと「イケアの壁紙か包装紙のモチーフか」と言われ、
デザインも格好悪くて、体の欠点まるわかりという不可解なものが多かったのだが、少なくとも
オランダで3回見たサラ様のステージ衣装はどれも素晴らしかった。近年はスタイリストを付けたの
だろうかか。

プログラム前半は、ドイツ語のシューマンの歌曲である。
ロマン派らしい熱情を秘めた暗いラブソングの一種なのだが、サラ様はあまり感情をこめすぎず、
発音もさらりと歌うので、独り言ちもしくは内面に向けた感情の吐露という具合で、あっさりした
歌唱が心地よい。
ピアノ伴奏も、サラ様の歌唱同様あっさりとしていて、どちらかがリードするとか寄り添わせるという
のではなく、自然に歌とピアノが溶け合って一つの音楽を形成している。
そのコンビの絶妙さ具合は、ピアニッシモに顕著に表れる。
サラ様の歌でいつもうっとりさせられるのは、凛としたピアニッシモの美しさなのだが、ドレイクの
ピアノもピアニッシモを大切にしていて、最後は消え入るようにため息のように終わることが多く、
とても美しい。
そして、観客の拍手のタイミングも絶妙なのだ。ペダルで延ばされてほとんど聞こえなくなっている
ピアノの最後の最後の音が消えるまで待って、その後で心から温かい拍手を贈る。
こうなると、歌手、ピアニスト、聴衆が三位一体となってアトモスフェアを作り出しているような趣で、
空間は緻密な音楽の結晶で満たされて、とても密度が高くなっているのだった。

後半は、あまりなじみのないイギリス人作曲家による英語の歌曲である。期待は一層高まる。
それは聴衆のほとんどにも同様だったとみえて、聴衆全体が耳を傾けて聴いていることは、身じろぎ
もほとんどなく、咳や物音などが聞こえてこないことからも察せられた。息を呑んで聴いて、最後には
ピアノの呼吸と同じく吐息をつくという風情なのである。
20世紀初頭から戦後にかけて作られ、ルネッサンス風の歌、ポピュラーっぽい現代クラシック歌曲、
ジャズそのものという曲もある。
サラ様によって歌われる英語の美しさといったら!
↓に音源を貼るので、何はともあれ、聴いていただきたい。

Sleep  作曲 Ivor Gurney (1890-1937)  作詞 John Fletcher (1579-1625)



そういう風に上質かつ親密な雰囲気のリサイタルとなり、贈られる拍手は暖かく、アンコールには
3曲も歌ってくれた。
ドレイク曰く「このように皆様から温かい拍手をいただき、こちらとしてもアンコールに応えないわけには
まいりません」
アンコールの一曲は、James FentonのI'm in Paris with you




終了後、トイレ脇の通路に若い子たちに囲まれたサラ様とドレイクがいた。
開演前にトイレに入った時、サラ様の発声練習が隣から聴こえてきたので、楽屋が隣接しているの
だな、と思ったとおりである。
サインを求める子たちは、ロッテルダムの音大生で声楽専攻とのこと。
サラ様はきさくに「今日のリサイタルの曲目の中で、今までに練習したことがある曲はあった?」とか
訊いている。
わたしも仲間に入ってサインをいただき、「今晩はロッテルダム泊だと思いますが、明日はバルセロナ
に行かれます?」と尋ねた。サラ様が答えるに「明日はボストンなのよ」とのこと。

トイレから戻ると、今度は中高年ファンに囲まれていた。またもや仲間入りし、サラ様のドレスを褒める。
ドレイクが「そうそう、このドレス、今日が初めてだよね」と言う。
サラ様は、「ここのホールはエアコンが効きすぎて、ちょっと辛いわ。喉もそうだけど、髪も風で揺れるし、
触ると乾燥してる感じ。それは先シーズンの『アリオダンテ』の時にも思ったのよ」と言うので、
「『アリオダンテ』は大ホールでしたでしょ?」と訊くと、
「どちらのホールも同じくらい乾燥してて、寒いのよ」とのこと。
「それでは、肩の開いたドレスは禁物ですね」と突っ込むと、
ドレイクが「そうだね、何かで肩を覆った方がいいかも」という具合で、和気あいあいというか、二人とも
とても気さくなのだった。
11月にはバルセロナ遠征(サラ様タイトルロールの『アグリッピーナ』鑑賞のため)するので、再会を
楽しみにしております、とアピールしておいた。
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by didoregina | 2013-10-03 14:31 | コンサート | Comments(14)

カピラ・フラメンカとヘルメス・アンサンブル 『エレミアの哀歌』

Aleph
Capilla Flamenca & HERMESensemble
2013年9月20日22時 @ Martinuskerk

Daan Janssens Incipits (オランダ初演)
Pierre de la Rue Lamentaties
Alexander Agricola Lamentaties
Josquin Desprez Victimae paschali

Dirk Snellings, bassus
Lieven Termont, baritonans
Tore Denys, tenor
Steve Dugardin, altus


毎年9月中旬の週末3日間に開催されるプチ音楽祭Musica Sacra Maastrichtの今年のプロ
グラムはなかなかそそられるラインナップで、おお、行きたい!と思うコンサートが4つあった。
すなわち、タリス・スコラーズによるビクトリア『哀歌』、カピラ・フラメンカによるド・ラ・リューその他、
ジェズアルド・コンソートによるジェズアルド、コンセルト・ソアベ(マリア・クリスティナ・キーア)に
よる『マグダラのマリアの改悛』という、『エレミアの哀歌』をテーマにした、ポリフォニー声楽の
白眉ともいえる錚々たる面々によるコンサートが目白押しだったのだ。
結局、そのうち行くことができたのは、カピラ・フラメンカのコンサートだけであったが、これがまた
期待を大きく上回る素晴らしさであった。

そのコンサートは開始時間が夜の10時である。(同じ日のタリス・スコラーズによるコンサート開始
時間は夜6時と微妙な時間帯なのにチケットはソールドアウト。ネームバリューの強みか)
晩課のための『エレミアの哀歌』を聴くのにふさわしい時間帯である。
会場は、マルティヌス教会で、大きすぎず残響の具合もポリフォニー向けでどんぴしゃだ。

プログラムは、15世紀~16世紀にピエール・ド・ラ・リューとアレクサンデル・アグリコラが作曲した
ポリフォニー声楽曲『哀歌』夜課の曲間に、現代作曲家ダーン・ヤンセンスの2013年新作で
今回がオランダ初演となる器楽曲Incipitが挿入され、最後はジョスカン・デプレの声楽曲で〆ると
いうもの。フランドルの精華が圧縮されたかのようなコンサートだ。

マルティヌス教会は、19世紀半ばにピエール・カイパース設計によって建てられたネオ・ゴシックの
教会で、家から自転車で15分と近い。
開演の30分近く前に着いたら、席は半分以上埋まっていた。夜遅いコンサートにしては、かなりの
盛況と言えよう。このフェスティヴァル全体における低い値段設定も功を奏しているだろう。なにしろ、
たったの8ユーロである。(しかも、プロモーションでそこから10%割引してもらった)
そして、夜10時にはほぼ満員になった。

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                  西正面入り口の上部にあるオルガン

普段は普通に教会として使われているカトリックの教会だから、木の椅子が東にある祭壇を向いて
並んでいる。正面を向いて座っていると、突然背後からえもえいぬハーモニーの男声4声による
ア・カペラのポリフォニーが響いてきた。ふわ~り、と一瞬にして天の高みに昇る心持になった。
歌手4人が、2階のオルガンの前に立って歌っているのだった。降り注ぐ音のシャワーともいうべき
効果。
カピラ・フラメンカによって歌われる完璧なバランスの美しさが、心を癒し浄化してくれる。
そして、また『哀歌』であるのに、人の世の苦しみとは無縁のごとき聖なる響きである。
眼福という言葉があるように、これはまさしく「耳福」と言うべき。

  
正面祭壇前には、フルート、クラリネット、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ、打楽器からなる
器楽演奏家が並んでいて、中世やルネッサンス音楽とさほど乖離していない現代器楽曲を、声楽
曲の合間に奏でる。それらも、耳に優しくほ~っと体に浸み込むような滋しみに溢れていて、心身の
リラックス効果は満点だ。
ヤンセンスもフランダースの作曲家であり、ポリフォニーの伝統をそのまま現代に生かしたような
音楽が、500年という時の差を感じさせない。現代音楽というと、伝統を壊すのを信条とするかの
ようにヒステリックだったり無調だったりで、とんがっているのが多く耳に優しくないのがほとんどだ。
しかし、彼の音楽はもっぱら静謐さを重んじ、聴衆に挑まず、心地よいアプローチである。

一週間を終えるのにこれほどふさわしい癒しは他にないだろう。音楽による心身への贅沢なマッサ
ージである。

カピラ・フラメンカのプロモーション・ヴィデオを下に貼っておくので、疲れを癒したい方はぜひどうぞ
お試しあれ。


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by didoregina | 2013-09-24 09:20 | コンサート | Comments(2)

Lilith シーズン開幕前夜祭

ヘーレンでは、毎年シーズン開催前一週間にわたって、Cultura Novaと称したイヴェントが
劇場や広場や野外で行われる。ミニ・フェスティヴァルの趣で、コンサート、芝居、音楽劇、ダンス
など試験的かつ意欲的な出し物が多い。
今年見に行ったのは、Lilithという現代ものオペラというか(ほぼ)一人舞台の音楽劇である。

c0188818_16331222.jpgLilith
2013年8月31日@ Theater Heerlen

Muziektheater Transparant

Claron MacFadden (live)

Jeroen Willems (film)

Dimitar Bodurov (piano)

この作品とプロダクションは、昨年、アムステルダムのホランド・フェスティヴァルで初演された。













興味を惹かれたのは、まず、リリスという元祖悪女をテーマにした現代音楽劇であるということと、
企画および主演がソプラノのクラロン・マクファデンであるという点である。

リリスというのは、アダムと同時に神が土塊から創った女性で、アダムの最初の伴侶である。
しかし、男性であるアダムとの同権と文字通りの女性上位を主張するも叶わず、平等と自由を
求めて堕天使ルシファーとともに出奔。諸悪の根源を生み出した悪女とされる。
残されたアダムの肋骨から、神はイヴ(エヴァ)を作り出して伴侶にさせた。

そういう独立志向の強いイメージかつ悪女の原点ともいえるリリスであるから、つれなき美女を好んだ
ロセッティの絵に描かれたり、フェミニズムの旗頭に祭り上げられている。

そして、この作品を企画したのが、数年前のホランド・フェスティヴァルで世界初演されたザウダム
のオペラ『楽園追放のアダム』でイヴを歌い演じたクラロン・マクファデンである、というのが面白い。
そのオペラでのイヴは、自我に目覚め、意識の進んだ強い女性、というか悪女に近いイメージの
女性だった。
つまり、マクファデンは、リリスのイメージもある程度投影されていたザウダムのイヴにインスピレー
ションを得て、しかしそのイヴには飽き足らず、リリスを主人公としてまた一歩先に進んだ音楽劇を
プロデュースしたくなったのではないか、とわたしは想像するのである。

もう一つ、この音楽劇へのわたしの関心が高まったのは、ヴィデオを用いてライブとフィルムが同時
進行するという方式のこの音楽劇のスクリーン上で演じる俳優イェルン・ウィレムスが昨年末に急逝
したという事実と、亡くなってから知ることになったのだが、彼は世界でも一流の舞台俳優だったと
いうことによる。
一体どうやって、生の歌手とスクリーン上の俳優が同じ舞台で音楽劇を作り出すのか、という興味で
ワクワクして臨んだのはもちろんのことである。

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ヘーレン市民会館での『リリス』の舞台および客席は、舞台の奥に造られていて、観客も同じ平面
上(舞台)に座る。だから、歌手との物理的距離は非常に近い。
舞台設定はホテルのバー「パラディ」ということになっていて、別れたアダムとイヴがそこで再会して、
それぞれの視点から別れた理由やその後の生活などを怨念を込めて語る、という内容である。

マクファデンの歌は、ピアノ伴奏とコンピューターからアウトプットされる音楽、そしてスクリーンから
語りかけたり歌ったりするウィレムスに合わせる形になる。
それらは、独白であったり、相手を責めたりする丁々発止のスリリングな掛け合いなのだが、
絶妙なタイミングでぴったりと合い、ずれも齟齬もなく進むのであった。

こういう風に、ヴィデオと生の器楽演奏および歌とコンピュータ出力の音楽との融合した形態の
音楽劇というと、近年、ミシェル・ファン・デル・アーによるオペラ作品とプロダクションを思わせる。
彼の作品『アフター・ライフ』と『サンクン・ガーデン』は、ともに数年前と今年のホランド・フェスティ
ヴァルで初演された音楽劇で、それらにクラレン・マクファデンが出演しているのも偶然ではない
だろう。

今回のプロダクションの演出で、おお、なるほどそういう方法があったか、と思わず膝を打ったのは、
生身のリリスとスクリーン上のアダムがベッド・インする場面である。
ベッドの上に横たわるアダムを上から映しているが、スクリーンは垂直なので、アダムの横にリリスが
立つと、二人が同じベッドに横たわっているように見えるのだ。だから、二人で同じベッドに横たわる
場面は観客から見るとインタラクティブ性に全く問題ない。
しかし、問題は、リリスとアダムが上下に重なる場合である。アダムにのしかかられて、嫌がるリリス
というシーンだ。それがシーツをうまく使うことによって、見事に解決されているのだった。
リリスがシーツを自分の上に広げて垂直に垂らして、そこにアダムを映写すると、生身の人間と
スクリーン上の人物とのベッドシーンになるのだ。言われてみれば、コロンブスの卵的ではあるが、
オリジナリティがありかつ成功している。




クラロンさんの声は、基本的に正統的オペラのリリコなのだが、ポップス風にもっと軽く歌ったり、
ジャジーかつドスを効かせたり、千変万化。現代音楽だから、音が取りにくそうなメロディーが
多いが、ほぼ独り舞台でも実力を発揮していた。
観客を見据えるようにスクリーン上から語りかけるウィレムスの求心力が凄い。眼力も台詞の
言い回しもストレートに迫り、生に引けを取らないインパクトがあるが、オペラ歌手と伍して歌う
のに感服した。
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by didoregina | 2013-09-07 11:03 | オペラ実演 | Comments(2)

9月21日は、すごい!コンサートx2とチッチのバースデー

コンセルトヘボウのオランイン・チケットのバラ売りが昨日から開始された。
日中はサイトも混んでるだろうからと避けて、夜中にアクセスしようとしたがつながらない。
そして今朝アクセスして、何はともあれ、9月21日の《アレッサンドロ》コンサート形式の
チケットを買おうとすると、なんと、平土間前方はほとんど売り切れ!正面バルコンも!おお、
なんというサプライズ!
なるべく前の方で見たい・聴きたいから、舞台ほとんどかぶりつきの3列目の席をしぶしぶ取る。
(コンセルトヘボウのステージは異常に高いので、5列目以降でないと音が頭上を通り過ぎる
感じになるし、3列目だと見上げることになる)

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          CDと同じく、ロッサーネ役はユリアちゃん!

コンヘボの発表したキャストは以下の通り。

Armonia Atenea
George Petrou - dirigent
Max Emanuel Cencic - countertenor
Julia Lezhneva - sopraan
Laura Aikin - sopraan
Xavier Sabata - countertenor
Pavel Kudinov - bas
Juan Sancho - tenor
Vasily Khoroshev - countertenor
 

あれ、アドリアーナちゃんも出演するのかと思ってたのに。。。

そして、今晩6月2日には、ステージ形式の《アレッサンドロ》@ヴェルサイユが、MezzoでTV中継
される!(うちのTVプロバイダーがMezzoをリストから外したので見れないが、どなたかが必ずや
Youtubeに投稿してくれると信じて待つ。)


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              9月21日は、マックス・エマニュエル・チェンチッチのバースデイ!


アムステルダムの《アレッサンドロ》はマチネ公演である。
同日夜には、ロッテルダムのコンサート・ホール、デ・ドゥルン(ロッテルダム・フィルの本拠地)にて
サラ・コノリーのリサイタルがある。距離的・時間的に連荘可能である。
こちらもチケットをゲット。まだまだ席は選び放題だが、やはり3列目中央を確保した。
デ・ドゥルンによると以下のプログラム。

Howells - Come sing and dance; King David
Gurney - By a Bierside; Sleep
Britten - O Waly, Waly; How sweet the answer; Corpus Christi Carol; Early one morning
Bennett - A History of the Thé Dansant

Sarah Connolly - mezzosopraan en Julius Drake - piano

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        ゴージャスなサラ様

これで、私にとって重要な来シーズン開幕のダブル・コンサートのチケットが無事ゲットできたので、
ウィンドウズ8のカレンダーに記入しようと9月のページを開くと、なんと21日はチェンチッチの誕生日!
と書いてある。
多分FBと連動して自動的に記入されたと思われるが、なんというサーヴィス。そしてなんという奇遇。

コンセルトヘボウのマチネ・コンサートの後は、多分サイン会が開かれるだろうから、チッチへのバース
デイ・プレゼントは何がいいかな、と今から考えてわくわくしている。
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by didoregina | 2013-06-02 12:28 | コンサート | Comments(9)

アネッテ・ダッシュの歌曲リサイタルでウィーン前夜祭

アネッテ・ダッシュの歌曲リサイタルを、ドイツのケンペンにある元教会(現在は音楽ホール)で
聴いたのはウィーン遠征前夜のことである。
2,3年前から地方文化振興のイニシアティブをとる篤志家によって、元フランシスコ会修道院付属
教会を会場にしてなかなか結構な内容と演奏家によるコンサートが開かれている。

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            会場は元修道院付属教会

去年8月に現在はアート展覧会場になっているこの修道院を訪れた際、今シーズンのプログラム
の中にダッシュのリサイタルを発見してチケットを取った。しかし、8ヶ月も前のことなので、歌手の
名前以外はすっかり忘れていた。なんとなく古典派の曲のリサイタルのような気がしていたのだが、
当日のプログラムを見てびっくり。なんと、全てウィーンの作曲家達による世紀末から20世紀初頭の
歌曲である。

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            ケンペンの紋章(三日月、星を、十字架)で
            形どった天使のプレート

この教会は修道院付属のこじんまりした礼拝堂といった趣の建物で、天井もあまり高くない身廊だけ
のシンプルな長方形。室内楽や歌曲のリサイタルにピッタリのサイズだ。厚く塗られた漆喰のためか、
床に敷かれた厚みのある絨毯のおかげか、残響がほとんどなく音響的に悪くない。

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            祭壇手前の天井から下がるシャンデリアの
            ろうそくは本物!

本物のろうそくが点るシャンデリアが中央と祭壇寄りに2つ吊り下がっていて、雰囲気も抜群だ。

プログラムは、前半がマーラーの『子供の不思議な角笛』、後半がツェムリンスキー、シェーンベ
ルク、コルンゴルトという、わたし好みのウィーンの作曲家達の作品で、しかもウィーン遠征前夜に
それを聴くことができるとはまさにお誂え向け。

アネッテ・ダッシュの歌のピアノ伴奏を務めるのは、ヘルムート・ドイチェに代わって妹のカトリン・ダッ
シュだ。

Annette Dasch (soprano) & Katrin Dasch (pf) 2013年4月23日@Paterskirch, Kempen

Mahler
From Des Knaben Wunderhorn:
Rheinlegendchen
Trost im Unglück
Zu Straßburg auf der Schanz
Lied des Verfolgten im Turm
Wo die schönen Trompeten blasen
Urlicht
Wer hat dies Liedlein erdacht
Ich ging mit Lust
Verlorne Müh
Scheiden und Meiden

(Pauze)

Zemlinsky
Altdeutsches Minnelied
Das bucklichte Männlein
Entbietung
Meeraugen

Schoenberg
Wie Georg von Frundsberg von sich selber sang
Warnung
Mädchenlied
Der Wanderer

Korngold
Schneeglöckchen
Die Sperlinge
Was Du mir bist?
Mit Dir zu schweigen
Welt ist stille eingeschlafen


最初の短い曲が終わると数人が始めた拍手に釣られてか、大半の人が拍手する。やれやれ。
2曲目の後も同様。この調子で9曲全部拍手で中断されたら困ったなあと思ったら、アネッテが
マイクを手にして語りだした。
マーラーが曲を付けた詩の内容についてであるが、それぞれが有機的に結合しているから拍手は
前半の曲全部が終わるまで控えてくれるようにとのお願いも忘れないのがさすがだ。

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          伴奏のカトリンと歌手のアネッテ姉妹

『子供の不思議な角笛』は、アリス・クート、サラ・コノリー、アンネ・ソフィー・フォン・オッターで
聴きなれているので、アネッテのソプラノで歌われると微妙な違和感を覚える。
彼女の声は全体的にまろやかだが、モーツアルトもワーグナーも歌ってしまう懐の深さがあるし
重量感があっていかにもオペラ歌手の喉らしい。低音も中高音もしっかりとした土台の上に立ってる
安定感があるのだが、『子供の不思議な角笛』にソプラノのヴォリュームを生かせる高音域部分が
あまりないため、なんだか聞かせどころに乏しい曲に聴こえてしまうのだった。前半は、だからベール
をすっぽり被ったまま歌ってるようで、膜が出来ている感じで、こちらの耳にびんびんと響いてこない
のが少々残念だった。

後半になると、ようやくソプラノの喉を十分に披露する高音部分が多くなり、メゾ向きでイマイチ
彼女の魅力が発揮できなかった前半の隔靴掻痒感が消えた。
光沢があってつやつやした高音に迫力が加わり、世紀末から20世紀初めのウィーンを彩った音の
煌きが宙を舞う。

各作曲家の曲の合間には、マイクを手に持って詳しい説明もしながら、ピアノ独奏による水増しなど
なく、かなり沢山の曲を次々と暗譜で歌う体力・知力に、さすがオペラ歌手、と感嘆した。
ワーグナーやモーツアルトなどスタミナを要するオペラに比したら、出ずっぱりとはいえ歌曲リサイタル
など屁の河童なのだろう。
また、実に知的なアプローチで歌われる高踏派的なツェムリンスキーの曲も諧謔的なところのある
シェーンベルクの曲もよかったが、ハイライトは、ちょっと映画音楽的要素も感じさせるコルンゴルトの
曲であった。目くるめくようにドラマチックに歌い聞かせてくれ、オペラ歌手の面目躍如である。

念願のアネッテ・ダッシュの生の声を存分に近くで聴くことが出来たうれしさと、ウィーンのご当地
作曲家でまとめた願ってもないプログラムでの幸先のよさに満足し、翌日からのウィーン遠征前夜
祭を祝ったのだった。

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          休憩中に飲んだのは、フランシスコ会修道院ビールではなく、
          辛口のリースリング。コンサートのケータリングで出るワインは
          大概まずくて飲み干すのに一苦労するが、ここのは非常に秀逸。
          地元のワイン屋の直接販売でレベルが高い。グラスもリーデル!
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by didoregina | 2013-04-29 17:05 | コンサート | Comments(8)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


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プロフィール

名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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