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『インドの女王』クレンツィス指揮ムジカエテルナ@ケルン

実は怒涛のロンドン遠征前日に、ルール・トリエンナーレのDie Fremdenを鑑賞して
いる。昨年からトリエンナーレの芸術監督になっているヨハン・シモンズの脚本・演出
作品である。マールという町の元炭鉱の石炭加工工場が会場で、なかなか面白い体験が
できたのだが、その感想は滞っているCT関連記事全てを書き終わってからにしたい。
ロンドン2日間遠征(ロッシーニの『セラミラーデ』とイエスティン君コンサート)の
翌日、ケルンのフィルハーモニーに『インドの女王』を聴きに行った。

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2016年9月7日@Kölner Philharmonie

Johanna Winkel Sopran (Doña Isabel)
Paula Murrihy Sopran (Teculihuatzin)
Ray Chenez Countertenor (Hunahpú)
Jarrett Ott Tenor (Don Pedro de Alvarado)
Thomas Cooley Tenor (Don Pedrarias Dávila)
Christophe Dumaux Countertenor (Ixbalanqué)
Willard White Bariton (Sacerdote Maya)
Maritxell Carrero Schauspielerin
MusicAeterna Choir
MusicAeterna Orchestra
Teodor Currentzis Dirigent

Henry Purcell
The Indian Queen Z 630 (1695)
Semi-Opera in einem Prolog und fünf Akten. Akt 5 (Masque) von Daniel Purcell.
Libretto von John Dryden und Robert Howard
In einer neuen Fassung von Peter Sellars mit vertonten Texten von John Dryden,
Katherine Philips, George Herbert u.a. und Sprechtexten von Rosario Aguilar

パーセルのセミオペラにオリジナルの台詞を加えてピーター・セラーズが翻案・演出した
舞台は、マドリッドで数年前に初演された時ストリーミングを鑑賞した。
インドとは新大陸アメリカのことであり、スペインによって征服された「インド」の女王
の一代記が台詞で語られる。スペイン訛りの英語の語りが最初から最後までメインで
それに音楽が付随しているという感じで、セミオペラの伝統に倣ってか歌はもうほとんど
添物程度であるのと、台詞・オーケストラによる音楽・歌・踊りのような演技のそれぞれが
有機的に結合しているとは言いがたく、パーセル・ファンとしてはストリーミングを見て
かなり不満が残った。

それをまた、なんでケルンまで聴きに行ったのはなぜかというと、クリストフ・デュモーが
出演することと、フィルハーモニーが会場だからあの妙な演技や踊りはないだろうから、
クレさん指揮のムジカエテルナによる音楽が楽しめるだろうという理由である。

しかし、やはり、あのセリフはうざかった。マイクロフォンを通してずっと生で語られる
ため、音楽の流れがぶちぶちとちぎれてしまい、台詞の存在価値が全く見受けられない。
ムジカエテルナにしか出せない、あの極上ピアニッシモにため息をつき、古楽オケにして
は人数編成がやたらと多いのに、クレさん指揮でびしっと統制が取れて、強弱の幅が極端に
広い独特の音楽世界にもっともっと浸りたかった。
オーケストラによる音楽は甘美で、典雅で、クレさんとムジカエテルナの白眉と言える。

クレさんの好みであろう配置でソロ歌手は主にオケの後ろに立って歌う。時たま前面に出て
歌うこともあったが、数えるほどである。
そして、デュモー選手のソロ部分がとにかく少なすぎたのにがっかり。CTパートはもう一人
のCTレイ君が歌う部分が多く、それがまた難がありすぎて隔靴掻痒。

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この晩のハイライトは、デュモー選手の歌ったMusic for a whileである。
最前列中央に座った私の目の前で、選手が奇妙な踊りをしながら、しかし力強く芯がしっか
りした発声と、びしっと締まってよく通る声で歌われると、歓喜の頂点に達する。
この歌にはもともと思い入れがあるのだが、彼の男性的な歌唱によるドロップ、ドロップ、
ドロップで涙がこぼれそうになるのだった。これが、そして選手の声で聴きたかったのだ。

その日は9月だというのに猛暑で30度近くなり、そのためか会場は冷房が効きすぎ、寒くて
寒くていたたまれなくなり、頭の中ではずっと、コールド・ソングが鳴り響いていた。
冷房装置でそういう効果を出すとは意外である。脳内だけでなく、デュモー選手が実際に
歌ってくれたらよかったのに、と不満が残った。

しかし、終演後の出待ちで選手に会え、知りたかったことを質問して、それに選手は全部
答えてくれるというメイン・イヴェントがあった。ケルンまで行った甲斐があるというもの
である。
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by didoregina | 2016-09-23 23:13 | カウンターテナー | Comments(6)

 プロムス・コンサートでイエスティン君のレパートリー拡大

9月5日のカドガン・ホールでのプロムス・コンサートにイエスティン・デイヴィスが
出演すると知ったのは、3月頃だったと思う。プロムスに参戦したことはないのでチケッ
トの取り方等を、事情に詳しい方から教えていただいていたのだが、一般チケット売り
出し当日に参戦し忘れるという失策を演じた。そして、ほぼ発売開始と同時に売り切れ
となった。
当日券が必ず出るから並べばいい、それとも当日が近づけばリターンが出てくるに違い
ないと思いおっとり構えていた。
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ところが有難いことに1か月前にザルツブルクで会ったイエスティン君から、家族用の
招待券を一枚貰えることになった。奥様(その時はまだ婚約者)はお仕事のためコンサ
ートには行けないから余ってる、という理由で。もう一枚はお父様の分で、だから彼の
お父様の隣の席で聴くという光栄を担うことになったのだった。

しかし、当日チケットの受け取りに少々行き違いが生じ、ハラハラさせられた。
イエスティン君の名前でお取り置き、ということだったのが、多分エージェントが気を
利かせてお父様の名前でチケット2枚入りの封筒を取り置いていたため、うろ覚えのお父
様のお顔を開演前でごった返すホールで探すことに。お父様は封筒を開けて、あ、2枚
入ってるとさぞびっくりされたことだろう。双方で会場をウロウロすることになった。
しかし、やはり日本人を見つける方が楽なようで、向こうから探しに来てくださり、
目出度く座席に着くことができた。

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このコンサートは、BBCプロムスのランチコンサートの一環で、ラジオ放送された。
オンデマンドでまだ聴くことが可能なので、ぜひ。
http://www.bbc.co.uk/programmes/b07sxdfp

Purcell (arr. Britten): Sound the trumpet; Lost is my quiet; Music for a while;
If music be the food of love; No, resistance is but vain; Celemene, pray tell me
Mendelssohn: Ich wollt' meine Lieb' ergösse sich; Scheidend; Neue Liebe; Sonntagsmorgen; Das Ährenfeld; Lied aus 'Ruy Blas'
Quilter: It was a lover and his lass; Music, when soft voices die; Drink to me
only with thine eyes; Love's philosophy; Love calls through the summer night

Carolyn Sampson (soprano)
Iestyn Davies (countertenor)
Joseph Middleton (piano)

2016年9月5日@Cadogan Hall

当初、作曲家以外の情報がなかったので、どういう曲目構成のコンサートになるのか当日
まで分からなかった。
ブリテンのアレンジしたパーセルの曲は、イエスティン君のリサイタルでは定番であるか
ら、Music for a whileなどは何度も生で聴いている。しかし、今回は、カロリン・サンプ
ソンとの共演なので、曲目は彼女とのデュエットやそれぞれのソロになっている。
最初の2曲はデュエットで、その後交互にソロを歌い、またデュエットそして掛け合いと
いう構成だった。
歌唱スタイルが似ている二人の歌うパーセルの曲のデュエットは悪くない。しかし、毎曲
ごとに聴衆から拍手が出て、コンサートの流れが滞るのが少々難であった。

Music for a whileは、拙ブログの名前にしているほど好きな曲である。しかし、モダン・
ピアノ伴奏のブリテンによるアレンジはそれほど好きではない、というのが本音である。
しかるに、今回のジョゼフ・ミドルトンによるピアノ伴奏は、今までの誰の伴奏よりも
色彩感とリズム感が卓越していて、情熱と洒脱さに溢れ、いつも聴きなれた曲があっと
驚くほど新鮮に響くのだった。ブリテンのアレンジで内に籠った暗さのはけ口が見えない
ようなイメージが今までは付き纏ったのが、曇りがなく軽快で若々しく明るい曲になって
いて、特に「ドロップ、ドロップ、ドロップ」のピアノと歌唱の掛け合い部分では、まさに
目から鱗がぽろぽろと落ちていくような気分になった。
このピアニストの音には天性の澄んだ明るさがあり、歌手へ寄り添う部分と自分の音楽性
を自由奔放に発揮するバランス感覚にも優れ、こういう伴奏者はなかなか得難い。

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メンデルスゾーンの歌曲をイエスティン君が歌うのを聴くのは初めてである。
バッハやシューマンなどで彼のドイツ語のディクションがなかなかいいことは知っていた。
しかし、カウンターテナーがドイツ語のリートを歌うというコンサートはなかなか珍しい。
そこはかとない憂いをしみじみと聴かせるという点で、メンデルスゾーンの歌曲もパーセル
やダウランドとも比肩しうるということを知ったのはこのコンサートのおかげである。
デュエットも、サンプソンとイエスティン君の声がきれいに溶け合い、新境地の発見だ。
さすがに元合唱団出身だけあって、アンサンブルでの声を合わせることの加減をよくよく
耳で熟知している彼の面目躍如とも言えよう。

また、ロジャー・クィルターという作曲家の名前も曲も聴くのも今回が初めてだった。
今回の5曲は、シェイクスピア、シェリー、ベン・ジョンソン、ベネットの詩に1905年
から1940年の間に曲を付けたもの。エリザベス朝時代のメランコリーとは少々異なるが
やはりどことなく陰影の濃さが感じられるのは、2つの大戦の影に脅かされた時代のせい
だろうか。ノスタルジックな曲調と、真摯な歌唱スタイルが上手く融合して胸に迫る。

1時間のランチ・コンサートでありながら、ソロとデュエットを交え、英語とドイツ語の
しかもレアな曲を集めて、中身の濃さは他になかなかないほどの充実度であった。
こうして、イエスティン君のレパートリーとCTの声の可能性が広がったと実感できたの
だった。
このコンサートで歌った曲を今週レコーディングしているようで、新譜発売が楽しみだ。
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by didoregina | 2016-09-20 19:30 | イエスティン・デイヴィス | Comments(0)

ユトレヒト古楽祭での目玉CTと初登場CT

毎年8月下旬から9月初旬にかけての10日間に渡ってユトレヒト市中の教会やコンサート・
ホールで繰り広げられる古楽祭の2016年のテーマはズバリ、ヴェネツィアだった。
(余談だが数年前のローマに続き、3年後のテーマはナポリであるから、今から期待大!)

連日朝から真夜中過ぎまで行われる、全部で100以上のコンサートの中から今年私が選んだ
のは、フィリップ・ジャルスキーのコンサート、ステファン・テミングのリコーダー・コン
サート、そしてラルペジャータのカヴァッリ・コンサートだ。

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ジャルスキーは、今年前半、ご家族に不幸があったり喉の故障が比較的長引き、各地での
コンサートがキャンセルもしくは延期になった。今回のユトレヒトでのコンサートは、
復帰後2度目に当たるはずだ。
プログラムは、チェスティ、カヴァッリ、ロッシ、モンテヴェルディ、ステッファーニ等の
ヴェネツィアのオペラ黎明期に活躍した作曲家による曲が並び、なんとも今年の古楽祭テー
マにバッチリ合う選曲となっている。
(曲目およびラジオ録音は以下のリンクから見・聴くことができる)
http://www.radio4.nl/zomeravondconcert/uitzending/409670/zomeravondconcert

久しぶりに聴くPJの声は、いつも通り、会場を満たすほどの声量で、歌唱にぶれがなく安定
している。彼の歌唱は丁寧な発音と発声、正確な音程という基本中の基本がしっかりしてい
てるので、安心して聴くことができるのだ。
そして今回特に圧倒されたのは、表現力が増していること。昨シーズンは新作やヘンデルの
オペラ出演の機会が多かった彼だから、その経験から幅広い表現力を身に付けたのだろう。
ルネッサンスからバロックへの過渡期的なアルカイックな曲調や、イタリア古謡的な泥臭さ
が混じるこれらの曲を、ストレートに歌いながらどこかフランス的洗練を加えて、しかも
しみじみと味わい深く歌い、本当に上手いなあ、と唸らされた。
彼の声にこれらのイタリアの曲が意外なほど合い、芳醇そのもののコンサートだった。
CTとしての人気は多分オランダでは彼が一番だし、彼の声が現代CTの理想像として指標化
されていると思え、それにふさわしい実力を備えていることはその晩のコンサートで誰の耳
にも明らかであった。

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左から、オルリンスキ君、ヌリアちゃん、カペツート、ブリデリ嬢。

さて、今年のユトレヒト古楽祭のもう一つの目玉はラルペジャータのコンサートである。
彼らの人気は凄まじく、例年チケットを取るのが難しいため諦めるのだが、今年は友の会
会員である友人に頼んでなんとか平土間正面後方の席をゲットした。

L’Arpeggiata o.l.v. Christina Pluhar @ TivoliVredenburg, Utrecht 2016年8月30日
Nuria Rial [sopraan]
Giuseppina Bridelli [mezzosopraan]
Vincenzo Capezzuto [contratenor]
Jakub Józef Orliński [contratenor]

カヴァッリの歌(異なるオペラのアリア)の数々を組み合わせて、ソプラノのヌリア・リ
アルを中心にメゾとCT2人がそれぞれソロやデュエットで歌うという形式である。
(こちらも曲目および音源は以下のリンクから)
http://www.radio4.nl/zomeravondconcert/uitzending/435027/zomeravondconcert

私的目玉はヌリアちゃんの生の声を聴くという悲願達成だったのだが、それと同時に割と
直前に得た意外な情報にも興味津々でコンサートに臨んだ。CTのオルリンスキ君が出演
するというのだ。

隔年9月にオランダのスヘルトヘン・ボス(デン・ボス)で国際声楽コンクールが開催され
る。今年がその年に当たり、春に本選出場歌手の名前と声種が発表された。その中にCTが
入っていたので注目していた。ポーランド人の若手CTでヤコブ・ヨゼフ・オルリフスキと
いう名前である。早速ググると、彼はディドナートのマスタークラスでの歌唱で伸びやか
で素直な声を聴かせているのが耳を惹いた。(そして、また彼はブレイクダンスのグループ
の一員としても活躍していることを知った。)
コンクール応援に行く気満々だったのだが、なんと夏前に始まったコンクール会場の改修
工事でホールにアスベストが見つかり、コンクール開催が不可となり来年に延びてしまっ
た。
残念に思っていた矢先であったが、オルリフスキ君は、ラルッペジャータの公演ソリストの
一人としてユトレヒトに来るということを知ったのだ。

私的注目度はより高まった。
生で聴くオルリフスキ君は、温かみのある素直なきれいな声の持ち主で、発声に無理が
感じられないのが耳に心地よい。オランダ・デビューとなった彼のパートは少なかったが、
将来有望と太鼓判を押すにふさわしいと感じられた。現在、彼はNYのジュリアード音楽院
で学ぶ学生である。来年の声楽コンクールでの再会が楽しみだ。
(アンコールで、彼は得意のブレークダンスを披露し会場を沸かせた。ラルペジャータの
コンサートではなんでもありだが、これは誰も予想外だったと思う。この日の聴衆の中で、
もしかして彼がブレークダンス踊るんじゃないかと密かに期待していたのは、多分私一人
ではなかったろうか。)

このコンサートの模様は全て録画されているので、ご覧になっていただきたい。
https://youtu.be/lI_OloqQ6CQ

そして、私がもうひとつ密かに心待ちにしているのは、当たり役のトロメオの封印宣言を
したデュモーの後釜として、あのマクヴィカー演出の『ジュリオ・チェーザレ』のトロメオ
役をオルリンスキ君に演じ歌ってもらうことである。あのプロでは、トロメオ役歌手の
運動神経・身体能力が抜群でないとこなせないからである。
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by didoregina | 2016-09-19 18:20 | カウンターテナー | Comments(2)

クリスティアン・ベザイデンホウトとアンネ・ソフィー・フォン・オッターのコンサート

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Ludwig van Beethoven Meilied opus 52 nr 4 (1805)
Sehnsucht WoO 146 (Die stille Nacht) (1816)
In questa tomba oscura (1807)
Aus Goethe’s Faust op. 75 nr. 3: Es war einmal ein König (1792/1809)

Wolfgang Amadeus Mozart Rondo in a KV511 (piano solo)(1787)

Franz Schubert Adagio in G D178 (piano solo)(1815)

Joseph Haydn Cantate Arianna a Naxos (1789)

Pauze

Adolf Fredrik Lindblad Der schlummernde Amor
Svanvits sång
En sommardag

Franz Schubert Der Winterabend D938 (1828)

Wofgang Amadeus Mozart Allemande from Suite in C KV 399 (piano solo)

Ludwig van Beethoven Rondo in C op. 51 nr. 1 (piano solo)(1796/97)

Franz Schubert Die junge Nonne D828 (1825)
Dass sie hier gewesen D775 (1823), An Silvia D891 (1826),
Der Musensohn D764 (1822)


先月は、我が町の我が合唱団の本拠地であるチャペルでクリスのコンサートがあった
というのに、その晩はロッテルダムのムジカ・エテルナのコンサートに行ってしまった。
今回は、クリスのフォルテピアノ伴奏でフォン・オッターが様々な歌曲やカンタータを歌うと
いう、なかなかめったに聴けないプログラムである。当然ながら、チケットは早くから
売り切れであった。

コンサート前にクリスによるフォルテピアノに関するプレ・トークがあるというお知らせが来た
ので、開演1時間前に会場に入るつもりだった。エイントホーフェンなら車でも電車でも1時間。
ホールは駅から徒歩5分なので電車で行くほうが安上がりと、早めに家を出たのだが。。。
駅に着いたらOVカード(スイカみたいなプリペイ・カードでオランダ全国の公共交通機関
共通)を忘れて来たことに気付いた。私のは平日朝9時以降と週末は一日中40%オフ
になる記名式アボネ・カードなので、これがないと痛い。主人に電話し持ってきてもらうが、
電車を一つ逃してしまった。
当初の予定より20分ほど遅れてホールに到着、トークはすでに始まっていたが、2階バル
コンにそっと入れてもらえた。

クリスは、なかなか素敵な私服にトレンディな横長の大き目のプラスチック・フレームの眼鏡、
カットしたばかりの新しい髪形で、舞台に立ってモーツアルトやロマン派の鍵盤曲をフォルテ
ピアノで演奏する意義(多分)というテーマで話している最中であった。
しかしながら、私が入ってから1,2分経つとトークは終わり、質疑応答になってしまった。
つまりトークのほとんどの部分を聴き逃したことになる。トークと質疑応答で印象に残っている
のは、「古楽の盛んなこの辺りではフォルテピアノ演奏というものが当たり前のように普及して
いるので聴衆にシリアスに受け止められ演奏会もしやすい。まだまだフォルテピアノ未開発の
ところに行くと、まるで見世物みたいなノリで聴きに来られる。」と、「シリアスに」という
単語を2回使って、普及活動に奮闘する彼の別の姿を垣間見せてくれたこと。
なるほど、そういえば、3年前の名古屋でのクリスのフォルテピアノ演奏会終演後、聴衆は
舞台に上がらせてもらえ、フォルテピアノを間近に(多分初めて)見る機会を与えられ、
調律師だったか楽器の持ち主だったかに色々説明を受け、楽器を取り囲んだ皆さんは興奮
気味だった。
まるで、種子島への鉄砲伝来、みたいなノリ。聴衆の大部分はフォルテピアノという珍しい
楽器に遭遇できたことで浮きたち、そのため、フォアイエでのご本人のサイン会は閑古鳥という、
ちょっと哀しい状況が展開したことを思い出した。まさしくあの時、フォルテピアノの存在自体が
見世物であった。。。。

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さて、コンサートが始まるとクリスのフォルテピアノ伴奏とフォン・オッターの歌唱との相性は
いかに、というのがまず一番の関心事だった。
私の座席は、小ホール右側バルコンの最前列で舞台に近く、舞台を斜め上から見る位置で、
フォルテピアノ演奏を聴くにも、歌手や演奏者の顔の表情を見るにもよい席だった。
このホールはこじんまりとして、余分な残響が全くなくドライに近いがニュートラルな音響で、
今回のようなコンサート(歌曲リサイタル)にはぴったり。
使用されたフォルテピアノに関する説明もプレトークではあったのだろうが、遅れたため
聞き逃した。
プログラムおよび楽器デザインから察するに、1800年から1830年代のウィーン製ではない
かと思われる。多分オランダのコレクターの持ち物で、今までにもこの楽器による演奏を何度か
聴いたことがあるはずだ。

この晩のフォルテピアノの音色は、歌手に寄り添う伴奏としての絶妙なニュアンスと色合いが
いつもより明白であった。ペダルを使って強弱の幅が広く出せるようで、特に力をふっと抜いた
弱音でのさりげなく美しい音がため息のように聴こえるのだった。それは、クリスの表現力の
またしても進化と呼ぶべきものか、伴奏者として歌手に息を合わせるためのテクニックゆえ
なのか。
フォン・オッターの歌唱も、肩の力を抜いたような、いささかも力を込めすぎず、自然な美しい
発音と発声で聴く者の心をほっこりさせる。ベートーベンの歌曲は今まであまり聴く機会が
なかったが、いかにもドイツ語らしい脚韻がリズミカルなのだが大仰でなく典雅。
前半最後の曲、ハイドンのカンタータ『ナクソス島のアリアンナ』が白眉で、イタリア語でかき
口説くように歌われる嘆きの歌が耳に懐かしい。オペラチックかつドラマチックな盛り上げ方も
大人の余裕と言うか、抑制が効いていて上品なのだった。また、彼女が出演するオペラを
生で聴きたい。(多分、この夏実現するはず。)

歌の合間に4曲ピアノソロが入るのだが、いずれも珠玉というべき小品で、クリスのフォルテ
ピアノ演奏では、こういう曲を聴くのがバリバリと弾くソナタよりもずっと楽しみなのだ。
自分もピアノで習ったことがある、難易度的にはそれほど高くない曲ばかりだが、彼によって
弾かれると、子供っぽさがまるでなく、流麗でいて可憐、しかも仰々しいロマンシズムに走り
すぎず、なるほど、これこそ究極の中庸の美だ、と目から鱗がポロポロ落ちるのだった。
そして、彼のように弾いてみたいという思いに駆られるのだ。
(今回、歌の伴奏の時だけでなく、ソロでも全部楽譜を見ながら弾いていた。クリスが暗譜で
なく演奏するのを見るのは初めてではなかろうか。また、顔芸も以前ほど大仰ではなくなって
いるように思えた。)

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この二人の相性は抜群、しかもフォン・オッターの声とフォルテピアノとの相性も抜群ということが
しみじみと感じられるコンサートだった。
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by didoregina | 2016-02-14 19:04 | コンサート | Comments(0)

Dunedin Consort & Iestyn Davies @ Bruges Bach, sin & forgiveness

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23 January 2016 @ Concertgebouw Brugge

Johann Christoph Bach (1642-1703)
Ach daß ich wassers gnug hätte, motet

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Brandenburgs Concerto nr. 6, BWV1051

Widerstehe doch der Sünde, BWV54

- pauze-

Dieterich Buxtehude (ca.1637-1707)
Muß der Tod denn auch entbinden, Klag-Lied, BuxWV76/2

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Vioolconcerto in a, BWV1041

Vergnügte Ruh, beliebte Seelenlust, BWV170

Dunedin Consort: ensemble
Iestyn Davies: countertenor
Cecilia Bernardini: viool
John Butt: klavecimbel & leiding


バッハ・アカデミー・ブルージュ2016というミニ・フェステヴァルで、イエスティン・デイヴィスが
バッハ(親子)とブクステフーデを歌うコンサートである。これは何があっても聞き逃すことは
許されない。しかしながら、ブルージュというのは遠い。日帰りは不可能だ。それで一泊
旅行を兼ねて聴きに行った。

彼のレパートリーとしては、現代作曲家によるカウンターテナーのための曲やオペラ、パー
セル、ダウランド等のイギリス人作曲家によるリュート・ソング、ヘンデルのオペラとオラトリオ、
そしてバッハの宗教曲があり、そのいずれも魅力的なのだが彼の歌うバッハをこよなく愛する。
そして意外にも、受難曲やオラトリオはたまたミサ曲などを除いては、バッハのソロCDは出し
ていない。そしてリサイタルでバッハを歌うことはあまりないから生で聴くチャンスも少ないのだ。
(1昨年、ウィグモア・ホールで今回と似たプログラムのコンサートを聴いているが、昨年5月
のバッハ・コンサートは病気のためオックスフォードもロンドンも直前に降板した。)

と言うわけで、いかに私がこのコンサートを待ち望んでいたのかがお分かりいただけようと思う。
そして実際、コンサートで彼の歌声を聴いてみて、古楽のメッカともいえるベルギーでのバッハ・
ミニ・フェステヴァルでバッハを歌うことに、イエスティン君自身がかなり力を入れて臨んだという
ことがよくわかった。

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まず、最初のヨハン・クリスチャン・バッハ作曲のAch daß ich wassers gnug hätteから
渾身の歌声である。この曲はラメントすなわち嘆きの歌であり、胸の中に埋火のように燻る
塗炭の苦しみを甘い悲哀の吐息と共に吐き出す、という表現を期待したのだが、なんと、
今回は甘さを排して実に力強い歌唱なのに驚いた。一昨年のウィグモアで聴いたときとは異な
るアプローチである。言うなれば、辛苦の闇を突き抜けた後の己の姿を客観的に突き放して
眺めているかのようで、甘いメロディーを歌いつつ、悲しみの世界に酔っていないのである。

ドゥネディン・コンソートによる器楽演奏ブランデンブルク協奏曲第六番は、特にアダージョの
部分がよく歌って聴かせる演奏である。

父バッハ作曲のWiderstehe doch der Sündeをイエスティン君が歌うのは何度か聴いている。
今回は甘さを全く排除した男性的な直球型歌唱でドーンと来た。自信に満ち溢れた堂々たる
態度と声である。イギリス以外で歌う時には、緊張で顔面蒼白・表情がこわばっていることが
多いように見受けられるのだが、それは遠征試合に出場しているわけだから当然である。
他流試合に挑む侍みたいな気迫が漲っている。

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ブルージュのホール、コンセルトヘボウは90年代に建ったと思しい、古都には不釣り合いな
ほどモダンで大きなしかし赤レンガを縦のアクセントにした外観の美しい建物である。
そして、ほどよい大きさのホール内部の音響も悪くない。驚いたのは、そのサーヴィスのよさ。
4日間に渡るバッハ・アカデミー・ブルージュ2016のプログラム・ブックは小型ながら無料で、
全曲目の説明も載っているし、別紙に原語と対訳歌詞が付いてくるし、しかもステージ上には
字幕も出るのだった。
特にレチタティーボ部分の訳を字幕で読みながら聴くことができるのはとてもありがたい。

ブクステフーデの嘆きの歌をイエスティン君の歌唱で聴くのは初めてだと思う。
典雅な彩のこの曲は、しかし哀しみの淵に沈む自らを叱咤するような厳しい内容の歌詞を持ち、
やはり男性的なことこの上ない。力強い男声で歌われるとぴったりである。
今回、イエスティン君はどの曲でもメッサ・デ・ヴォーチェを多用している。そして、高音で終わ
るフレーズはピアニッシモにしたり、表現の仕方がサラ様の歌唱を思わせる部分があった。
それでいて、聴かせる部分では声を遠くまで飛ばす。カウンターテナーには珍しく豊かな声量を
誇りホール全体に響かせることも得意な彼であるから、低音も高音も自由自在にフォルテに
しても、全く無理を感じさせない。

このコンサートでのハイライトは、最後のVergnügte Ruh, beliebte Seelenlustだ。
アリア3部とレチタティーボ2部が交互に組み合わさり、華やかな高音を効かせた美しいオルガ
ン伴奏とで盛り上がる。歌とオルガンとの丁々発止とした掛け合いが実に楽しい。
彼のレチには弁士のような熱と勢いがこもり、まるで教会で説教を聴いている気分になる。
牧師のごとき、はたまたバッハの受難曲の福音史家のような粛々とした威厳に満ちているのだ。
めくるめくような音楽の波が、力強く押し寄せては引いていく。最後まで安定して、テクニック
には全く不満の残らない歌唱だった。

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一週間後に、日本での初のソロ・コンサートを武蔵野、名古屋、鵠沼で行うイエスティン君。
相棒トマス・ダンフォードの伴奏でしみじみとしたリュート・ソングを歌うプログラムは、パワフル
なバッハとは対照的で、彼の魅力の別の一面を見せ聴かせることになるだろう。
日本ツアーに同行できないのは悔しいが、コンサートの成功を祈ってやまない。
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by didoregina | 2016-01-27 03:21 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

Partenope @ Carre

この記事は本来ならばカテゴリー「オペラ・コンサート形式」に含まれるべきなのだが、
あえて、「カウンターテナー」に入れることにした。花形キャストであるフィリップ・ジャル
スキーのご家族に不幸があって、全公演出演をキャンセルすることになったといういわく
つきであるにも関わらず。
ツアー開始直前にPJのお父様の訃報が入り、その後の動向が心配になった。
結局、PJの代役としてヴェテラン・カウンターテナーのローレンス・ザッゾが全公演を歌う
ことになり、ファンの落胆と動転は大きかった。わたしもかなり暗い気持ちになり、ほとんど
気が進まなかった。
新譜CDでPJが歌うアルサーチェの声が耳の底にこびりついていて、彼以外は到底考
えられず、別の歌手によって歌われたら生理的拒否反応が起きそうな予感に慄いたのだ。
(カレ劇場正面に掲げられたポスターにも当然PJが大きく出ていた。)

c0188818_1873971.jpgPartenope (G.F. Händel)
17 januari 2016
Koninklijk Theater Carré, Amsterdam
Dirigent: Maxim Emelyanychev
Solisten: Karina Gauvin (Partenope),
Lawrence Zazzo (Arsace),
John Mark Ainsley (Emilio),
Emöke Barath (Armindo),
Kate Albrich (Rosmira),
Victor Sicard (Ormonte)












カレ劇場というのは、アムステルダム歌劇場(通称ストーペラ)から地下鉄で一駅先にあり、
アムステル川に面した19世紀の(新)古典主義様式の建物で、通常ここでは芝居やミュージ
カルはたまたサーカスなどが上演されていて、(コンサート形式)オペラ上演はほとんど行わ
れない。
この建物に入るのは初めてではなく、数年前、国家的イヴェントに招待された時、ここが
控え室として使われたため、内部の様子は知っていた。しかるに、コンサートやオペラを
ここで聴いたことはないので、音響的には一抹の不安を胸に抱いていた。
客席は平土間面積が広く、(半)円形に近い緩やかな雛壇のようなバルコンが数層取り囲む
造り。コンサート形式での上演のため、舞台後方は黒い幕で覆って面積を小さくしていた。
音響はデッドであるが、横幅のあるホールにしては隅の方でも全然問題なく聴こえたと友人は
言うし、こういうコンサート形式のバロックオペラの会場としては悪くないのではないかと思う。
コンセルトヘボウ以外に、ここにもっともっとバロックオペラを持ってきてもらいたい。

閉口したのは、椅子が2席ずつくっついていてしかもガタピシしていることで、隣に座ったフラ
ンス語話者巨漢オヤジがやたらと体を動かすたび、並んだ私の椅子も連動して不快な振動が
伝わるのである。(そいつもその連れの奥さんと思しき女性も相当非常識な輩で、割と後に
なって着席したのに同じ列の隣人への挨拶もなければ、終始落ち着きなく体を動かし、
奥さんは一幕目の最中なぜか外に出て行った。同じ列の人たちを立たせて。)
そのオヤジは、音楽に合わせて体を動かすのみならず、軽快なリズムのロスミラのアリアで
足拍子を始めてしまったのだ。し~っと手で押さえる仕草をするもそいつには通じず、私の
椅子もまた別隣の椅子も不快にギシギシと動き出し船酔い寸前。いくらなんでも無礼すぎると
頭にきて、「お願いですから、止めてくださいませんか?」と慇懃無礼に英語で言うまで
椅子は気持ち悪くグラグラ揺れ続け、音楽に専念できなかったのである。(ホールで傍若
無人に振る舞う輩ほどピシャリと叱ってたしなめると、青菜に塩のごとくしゅんと縮こまるのも
不思議だ。普段あまりに横柄で態度がでかいため非常識を注意する人が少なく、そういう
経験に乏しいのだろうか。)

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さて、肝心の音楽である。古楽オケのイル・ポモ・ドーロを、昨年末付けで指揮者のリッカルド・
ミナシが脱退していたというびっくりニュースが入ったのは年が明けてからで、CDは彼の
指揮で録音されていたのに、ツアーでは急遽、マキシム・エメリャニコフにバトンが渡された。
前回の『タメルラーノ』でも同様で、録音指揮ミナシ、実演指揮マキシム君というパターンが
続いた。
こういう場合、楽団員も歌手もCD録音のため練習を重ねているし、指揮者が急に代わっても
どうということなく上手くいくものなのだろうか。私には、前回も今回もマキシム君の指揮は
どうもなんだか空回りしているように見えた。彼の若さと情熱あふれる指揮と指示に楽団員は
さほど反応しないで演奏しているように思えるのである。齟齬とまでは言うまいが、熱が伝わ
らない感じだ。今後彼らの関係はどうなっていくのか、次回CD録音とツアーが待たれる。

歌手はCD録音時とは、パルテノーペ、アルミンド、エミリオ役以外は変わってしまった。
しかし、誰一人として質的に落ちるという印象は全く与えず、役柄になりきって堂々と歌って
いるので安堵し、満足した。
パルテノーペ役のカリーナ・ゴーヴァンはいかにも女王然とした貫録で、最初から最後までパワー
全開、満々たる声量を出し惜しみせず圧倒的。彼女の場合、ガタイが大きいから声も大きい
という単純な図式だけが当てはまるのではなく、しっかり歌心を掴んでの情緒の表現が巧み
である。
気高い女王でも隠せない女の性の哀しみとでもいうものをしみじみと歌ってほろりとさせる。
血の通った肉体の心情を歌に込めるのである。技術的にも軽々とトリルのころがせ方がまろ
やかな声質と相まって心地よく耳に響く。

もう一人のソプラノ、エメケ・バラートは、ゴーヴァンとは好対照である。すなわち、ルックス
的には細身で、映画『ブレード・ランナー』のレイチェル風のエキセントリックなキュートさの
あるズボン役。
声はといえば、少しメタリックな芯のある硬質さと若々しさを兼ね備え、以前聴いたときより
格段に上手くなっているのと声の変化しているのに驚いた。バロック系ソプラノでは他にちょっと
似た人が思い浮かばないタイプの少し男性的な張りのある声質である。今後ますますの活躍を
期待したい。

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エメちゃんと同じくCD録音時からのオリジナル・キャストであるジョン・マーク・エインズリーは、
私服で眼鏡掛けて歌うと特に年寄りっぽく見えるのだが、明るく気品のあるテノールの声には
外見とは裏腹に若々しい張りがある。テノールは大体悪役を演じなければならないヘンデルの
オペラでは、全体の格調を高めるめにかえって品格ある声と歌唱は欠かせないが、なかなか
いい人材は得難いのも事実である。エインズリーの天性の声の魅力がこの役によく生かされて
いた。

メゾもバリトンも録音とは別のキャストになったが、ケイト・アルドリッチもヴィクター・シカードも
堂に入ったもので、無理のないきれいな低音の魅力で全体を〆てくれた。

なんと言っても今回のツアーの最功労者は、カウンターテナーのローレンス・ザッゾである。
ポスターにもなっている花形PJの急きょ代役というプレッシャーは多分あったに違いなく、口は
真一文字に結び、まるで敵を迎え撃つ侍みたいに隙のない目つきで舞台に登場した。
最初の一声は、あのPJの甘く澄んだ声とはもちろん異なるし、聴く側も心構えができていたが、
やはり予想した通り違和感が大きかった。しかし、ザッゾにはザッゾの個性があるし、それは
それでなかなかいいものだ、という思いに段々変わり、ノーブルで男性的な声の魅力にいつの
間にか囚われて行った。アメリカ人なので、アングロサクソン系・教会系の直球型歌唱かと思い
きや、オペラチックな表現力に富み、ふくよかさと軽さの同居した声はすがすがしく、しかも余裕
とも言うべきテクニックをそこかしこに散りばめて、思わず聴きほれてしまう。

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ヴェテランらしく余裕のある歌唱は技術的に綻びを全く見せず、尻上りに声にも艶が出てきて、
また、この役を舞台で歌うのはその週が初めてとは思わせないほど、役になりきり、表情
のみならず演技も体当たりで、PJの代役などとは言わせないほどの威力を発揮していった
のである。
「PJが出ないんじゃ、行く気がしないわ」などと罰当たりなことを言っていたわたしでも、
ザッゾの実力を目の当たりにして、「ごめんなさい」と心から詫びを入れる気持ちになった。
それどころか、この公演の危機を救った救世主、いや思わぬ付加価値を付けてくれた、という
感謝の思いを強くした。

近年とみに若手カウンターテナーが活躍しているなか、声の賞味期限が短いというのが通説
になっている世界で、1970年生まれのザッゾがいまだ衰えも見せずに聴衆の息を呑ませると
いうのは実に有難いことだ。ブームに巻き込まれなかったせいで、売れっ子として仕事に
追われて喉を痛めるという落とし穴に陥らずにに済んだということもあろう。何はともあれ、
オペラ舞台にぴったりの声量と演技力を持ち、そして体や顔の造作が大きくて歌舞伎役者の
ように舞台映えするザッゾを見直し、これから応援していこうと心に決めたのだった。

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by didoregina | 2016-01-21 20:56 | カウンターテナー | Comments(4)

MusicAeternaのコンサート@ロッテルダム

2016年最初のコンサートは、自分が出演の所属合唱団恒例ニューイヤーコンサートだった。
聴衆として行った最初のコンサートは、わが合唱団が練習場として用いニューイヤーコンサート
も行なったセレブルダースカペルでのクリス(すなわちクリスティアン・ベザイデンホウト!)の
フォルテピアノによるベートーベン・プログラムではなく、同日わざわざロッテルダムまで出かけ
たテオドール・クレンツィス指揮ムジカ・エテルナ(ソリストはパトリシア・コパチンスカヤ)である。
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2016年1月13日@De Doelen

Biber - Battalia a 10 (‘Sonata di marche’)
Mozart - Symfonie nr.25
Mozart - Vioolconcert nr.5
Beethoven - Symfonie nr.5

MusicAeterna, Perm o.l.v. Teodor Currentzis - dirigent
m.m.v. Patricia Kopatchinskaja viool
Anthony Romaniuk clavecimbel

このコンサートは「バロック、その前後」というシリーズ・アボの一環であり、コンサート前の
レクチャーは、コンバッティメント(コンバッティメント・アムステルダム改め)のメンバー5人に
よる生演奏とチェンバロ奏者ピーター・ディルクセンによる解説という、内容も盛り沢山で素晴
らしい「前座」付きなのだった。すなわち、バロック最盛期からギャラントそして古典派への
流れを、バッハとその息子達および同時代の作曲家達(ビーバー、ゴルトベルク、C.Ph.E.
バッハ、テレマン、ブレシャネッロ、W.Fr.バッハ)の作品を生演奏で聴かせ対比しつつ論じ
るというもので、大変豪華かつ実に有意義な時間を堪能した。

さて、本日のメインイヴェントであるムジカ・エテルナのコンサートに関して、一つ重大な問題が
実は存在していて、私を悩ませたのであるが、その問題とは、一体、終演時間は何時になる
のだということである。コンサートホールからは「終演後、指揮者とソリストのサイン会があり
ます」というとても重要なお知らせが届いたが、終演時間は謎のままであった。
なにしろ、上記のプログラムは見ての通り「バロック、古典派、ロマン派」と盛り沢山であり、
クレンツィス指揮の演奏を一度でも聴いたことがある人ならわかっていただけると思うが、伸縮
自在・奇奇怪怪の演奏になることは必至なので、終演時間がまるきり読めないのだ。しかるに、
ロッテルダムからマーストリヒト方面への最終電車は22時48分発である。いざとなったら、
ベートーベンの『運命』はパスしようという気持ちで臨んだのだった。

まず、ムジカ・エテルナというロシアの古楽団体の生演奏を聴くのは今回が初めてである。
昨夏のルール・トリエンナーレでの『ラインの黄金』および11月のドルトムントでのダ・ポンテ
三部作の実演を聴き逃したのは痛恨の極みである。いずれもギリシャ旅行および日本里帰りと
重なったため。
モーツァルトでの編成では10、8、6くらいに見えたから、古楽オケとしてはかなり大きい部類に
入る。(舞台に近い席だったのと、チェロ、コントラバス奏者以外は全員立っての演奏だったため、
正確な人数がよくわからなかった)
当日変更になった演奏の順番は、ビーバー、モーツァルト、ベートーベンという時代を追っての
順当なものだった。しかるに、室内楽的小編成のビーバーの『バッタリア』では、クレンツィスの
指揮なしでコンマスがオケメンを纏めて楽しく自由闊達な演奏を繰り広げ、その晩のコンサートの
序章とした。
しかし、途中でなぜかソプラノのような声が舞台下手控えの間から聴こえ、わたしは訝しんだの
だが、そこからジブシー・ダンサーのような小グループが踊りながら舞台後方に出てきて、手拍子・
足拍子で賑やかに上手に通り抜けて行くという、ちょっとラルペッジャータのコンサートを思わせる
ような次第になった。
その後、モーツァルトの交響曲とヴァイオリン協奏曲になって、そのジプシー軍団の謎が解けた。
指揮者とソリストを含む、小編成のビーバーには参加していなかったミュージシャンたちが歌い
踊っていたのだった。

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クレンツィス(略してクレさん)の指揮の実演は、5,6年前にケルンで見ている。これは、
「見る」という表現をどうしても使いたくなるほど視覚的サプライズに満ちたものであった。
ピチピチのピタパンにアンクルブーツで踊り跳ね、耳の下で切り揃えたワンレンの髪を揺さぶり
ながらの大熱演の指揮であったのだ。(彼の髪形はそれ以後様々に変化していて、衣装も
ゴシックだったりするが)今回多分ロッテルダム初登場だろうから、そのケルンの時とほぼ同じ
なりとアクションの彼を初めて見る聴衆は、最初唖然、その後は隣の人と顔を見合わせるという
反応を一様に示した。
なにしろ、指揮台は置いてなく、直径二メートルの半円の空間が指揮者のために空けてあり、
そこで舞台として(そこだけでなく、後方のホルンに指示を出すときには、ホルン奏者に近寄って
行った)ワルツのごとく踊ったりフェンシングのトゥシェのごとく突っ込んだり行進のごとく足音高く
拍子を取ったり、自由自在のダンスに近い動きの指揮姿なのである。(足音で拍子を取るために、
靴は編み上げのアンクル・ブーツで、靴紐は赤。)
私の座席はケルンでもロッテルダムでも3列目中央で指揮者の至近かつ真後ろ。今回、私の前
の列には楽器を習っていると思しい中高生が5人座っていたのだが、目を丸くしていた。
そして、クレンツィスは聴衆の目を剥かせるのみならず、耳も体も驚かす演奏を展開するのだった。

音の強弱の幅が尋常ではないほど広い。弱音に強いピリオド楽器の特性をよくよく生かして、
聴衆の耳をそばだたせるようなデリケートなピアニッシモで高速演奏を繰り広げるかと思えば、
大編成の長所を生かして一気呵成に爆音へと昇り詰める。そしてリズムと言えば、もう楽譜には
小節の区切りがないかのよう。テンポの伸び縮みの仕方が、はたしてこれで許されるのかという
程なのはCD等で聴いて先刻承知であるが、それでも実演に接すると、これがモーツァルトの
Vコン5番?これがベートーベンの『運命』?と疑問符が頭を横切るのはいたし方あるまい。

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クレさんの手足の一部と化しているかのようなムジカ・エテルナの楽員たちが繰り広げの自由
闊達な演奏はまあ合点が行く。テンポやリズムがハチャメチャなのによくまあ破たんなく器楽
アンサンブルがまとまっているものだと感心するほどだが、クレさんの的確な指示に従えばいい
のだろう。
しかるに、ソリストというのは別物だから、クレサンと音楽的傾向・趣味を同じくしていないと辛
かろう。ケルメス姐、マレーナ様、プロハスカちゃんなど、いかにもいかにも癖の強いエキセン
トリックな歌手となら馬が合うのはわかる。
今回のソリスト、コパチンスカヤ嬢を聴くのは初めてであったが、彼女こそクレさんの追及する
方向と音楽的にも同じくする貴重なヴァイオリニストであることがわかった。
黒の半袖Tシャツに赤のグラデーションのフワフワのオーガンジーのスカートを押さえるため木の
枝を格子に編んだような硬い枠のようなものを上から着けている。そして裸足。
彼女とオケ、チェンバロ奏者および指揮者との遣り取りはまるでモダンジャズの奏者のような
あ・うんの呼吸のような間が感じられ、特にカデンツァはジャズのインプロビゼーションそのもの。
観客への媚びは全く見せず、いっそすがすがしいほどふてぶてしさすら感じさせる演奏はあっぱれ、
堂に入ったもので、自分の求める音楽世界を作り出しているのに感心した。
そういう自由な音が際限なく入るし、テンポは凹凸のある鏡に映ってデフォルメされたイメージ
さながらグロテスクなほど伸び縮みするし、船酔いしそうなルバートになったかと思うと、ジェット
コースターのように急下降したり、まあ忙しいことこの上ない。眠気に襲われることは絶対にないし、
思索にふけることも許されない。聴く者は退屈になったり自分だけの世界に閉じこもることも拒否
されるのだ。

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休憩後、10時ジャストに『運命』の演奏が始まった。指揮者は舞台後方下手からさっと現れ
るや、風のように素早い歩きを止めることなくそのまま演奏に突入。急・緩・急・急だから、
速い演奏なら33分くらい、でもクレさんの緩はどれほどゆっくりになるかわからないから、もしか
して40分近い演奏になるやもしれぬ。時間が読めないのが心配であったが、ホールから駅ホーム
まで歩いて8分見ておけばいいからギリギリ終電には間に合うだろう、と肝を据えた。
出だしのテンポが疾風の如くだったので、途中でこっそり時計を見たらアンダンテ終了も10時
15分。そのままイケイケ~と祈るのも不要なほど、緊張と高速は途切れず、ベトベンらしい
ねちっこくしつこい最後のテーマの繰り返しもするすると通り抜け、大団円が終了し、拍手とスタ
オベが始まった時間は、30分を切っていた。
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by didoregina | 2016-01-16 02:37 | コンサート | Comments(0)

セミ・ステージ形式の『フィガロの結婚』@コンセルトヘボウ

モーツァルトのダ・ポンテ三部作オペラを好みの順から並べると、『フィガロの結婚』は
『コジ・ファン・トゥッテ』に次いで二番手だ。
コンセルトヘボウを会場としてのオペラの場合、コンサート形式が通常であるが、今回はセミ・
ステージ形式だった。
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Mozart - Le nozze di Figaro, KV 492
2015年10月14日@Concertgebouw
Orkest van de Achttiende Eeuw
Cappella Amsterdam
Kenneth Montgomery (dirigent)
Jeroen Lopes Cardozo (regisseur)
Kelebogile Besong (sopraan)
Ilse Eerens (sopraan, Susanna)
Roberta Alexander (sopraan, Marcellina)
Amaryllis Dieltiens (sopraan, Barbarina)
Rosanne van Sandwijk (mezzosopraan, Cherubino)
Fabio Trümpy (tenor, Don Basilio)
Henk Neven (bariton, Il Conte d'Almaviva)
André Morsch (bariton, Figaro)
Hubert Claessens (bas, Antonio)

今回と同じく18世紀オーケストラとカペラ・アムステルダム、主にオランダ人とベルギー
人キャストによる『コジ』セミ・ステージ形式を鑑賞したのは、丁度2年前、ロッテルダム
のデ・ドゥルンであった。翌日朝の便で日本に里帰りする前夜だったため、なんだか慌ただ
しく、その後2週間ほぼオフ・ラインでもあり、その鑑賞記は書いていない。憶えている
のは中途半端なお寒い演出という印象のみ。実力派の若手で揃えた歌手陣は悪くはなかった
のだが。(当時フランス・ブリュッヘンは存命だったが、オランダではもう長いこと指揮は
していなかった)

今回の『フィガロ』も同じような出演陣だし、似たような演出になるんだろうな、と、さほど
期待を抱かずに臨んだ。
まず、びっくりしたのはコンセルトヘボウの比較的せせこましいステージ上に演技スペース
を確保するため、前から3列の客席が取り外され、ステージが拡張されていたこと。
これは初めての経験だ。それで、私の席は6列目なのだが、実際のところ3列目になった。
(ここのステージは異常に高く、1.5メートルはある。前から3列目までは絶対に座りたくない。
ステージを真下から見上げる形になり、首が痛くなるのみならず、音が頭上を通り抜ける感じ
で最悪。)
だから通常は、4列目からが視覚的・音響的に許容範囲ギリギリである。普通のホールでの
かぶりつき席がここでの5列目という感じなので、理想的な6列目ほぼ中央を確保するため
アボ発売開始と共に速攻で選んだ席なのだ。

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二つ目の嬉しいサプライズは、会場の飛び切りいい音響のせいもあり、2年前にロッテルダム
で鑑賞した『コジ』とは全く異なり、生き生きしたいかにもモーツァルトらしい楽しいオペラ
のコンサートになったことだ。
18世紀オケの演奏にはそつがなく、全体的に典雅ながら、控えめな色合いがところどころに
添えられ申し分ない。指揮のケネス・モンゴメリーは白髪のため高齢に見えるがなかなか闊達
な指揮で、手堅いオケからノーブルな音を引き出している。
しかし、なんといっても今回の『フィガロ』成功の鍵は、歌手陣の実力に負うところが大きい。

オランダ人バリトンのヘンク・ネーフェンは、DNOやモネには割とよく出ているが、今まで
脇役でしか聴いたことがなかった。それが、今回は伯爵役である。まだ若くどちらかというと
甘いルックスの彼だし、今回はフィガロ役なのだと思っていた。ところが、いつの間にか声に
もルックスにも渋さが加わり、黒の衣装が似合うシックでエレガントな立ち姿も相まって、
若きハンサムな伯爵の役どころにぴったいの堂々たる歌手に成長していたのだ。今まで密かに
彼を応援していた私としては、 万感胸に迫るものがあった。

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もう一人、成長が著しく感じられたのは、スザンナ役のベルギー人ソプラノ、イルゼ・エー
レンスだ。前回の『コジ』でのデスピーナも悪くはなかったが、エレガントさもあり可憐な
彼女の声とキャラがイマイチ役に合っていないという印象を持ったのだが、今回のスザンナ
は、うってつけ。彼女の清潔感漂うルックスもよく通る澄んだ声も、邪心がなく賢いスザンナ
の役にドンピシャはまる。また少し成長したら、彼女の伯爵夫人役も聴いてみたい。

伯爵夫人役は、寡聞にして今まで名前も知らなかった黒人歌手である。出だしはどうも声に
伸びもツヤもなくざらざらした歌唱だったのでちょっとがっかりしたのだが、彼女のレチの
ディクションの美しさには惚れ惚れした。しかし幕を追うごとにだんだんと喉も温まってきて
歌唱にベルベットのような張りが出てきてほっとしたのだが、他のソプラノと比べるとハス
キーな声なのでさほど私好みとはいえない。しかし、Dove sono i bei momenti にはさすが
にぐっときた。
スザンナと伯爵夫人とのデュエットになると、エーレンスの声の素直な伸びやかさと品のある
声がよく通るのと比べ、彼女はちょっと弱い印象だった。

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さて、今回のキャストにはロバータ・アレクサンダーがマルチェリーナ役でクレジットされて
いたのも個人的には楽しみであった。彼女を生で聴いたのは、もう、かれこれ20年近く前だ。
今年の夏前にロッテルダムのオペラ・デイに出演するはずだったがキャンセルしていたし、
後進の指導に専念しているようで生舞台にはずいぶん長いこと立っていないのではないだろう
か。(去年、デン・ボッスでの国際歌唱コンクールで見かけた。予選の審査員だったらしい。)
かわいいおばあちゃんという風情で、辺りをはらうような威厳と存在感があり、とうに盛りを
過ぎているが声にかわいらしさが残っているのが印象的だった。

二人の黒人ソプラノ歌手が舞台に立ち、また片方が伯爵夫人役となると、どうしても思い出す
人物がいる。先月のロンドン遠征で訪れたケンウッド・ハウスで彼女の肖像画を見て、あっと
叫んだ。彼女はダイドー・ベルという名で、黒人奴隷女性と白人貴族のハーフながら、18世紀
のイギリスで上流婦人として育てられ、ハムステッド・ヒースに残る貴族の館であるケンウッド
ハウスに住んでいたという。
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彼女の数奇な人生に関する本を読んでいる最中だから、丁度同じ時代に作曲された『フィガロ』
での伯爵夫人役が黒人歌手であることが偶然ではない符号のように思われ、二重に楽しめた。
(ダイドー・ベルの映画が夏頃公開されたのだが、迂闊にも見逃したのが悔やまれる。しかし、
本の内容の半分は、当時の奴隷貿易および解放運動に割かれている。)

モーツァルトの音楽を聴く楽しさは、有名なアリアや器楽演奏部分でもお馴染のメロディーが
満載で、しかも所属する合唱団のレパにもいくつか入っているのでついつい一緒に歌いだして
しまいたくなるような、サロン的親密感もある。
貴族の館を舞台にしたこのオペラは、ドアや木枠、植木鉢などを上手に配置し動かしたりしな
がら、適度な演技も交え、衣装もそれなりのセミ・ステージの演出がうるさくなく、音楽を損
ねることなく、今回は大成功だったと言える。(ケルビーノが逃げる場面では、たぶんそうする
だろうなと思った通り、高い舞台から飛び降りた。)

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若手歌手が多いおかげで舞台に華やかな躍動感があるのみならず、皆、実力派揃いであるため、
観客も余裕をもって楽しめたのだった。そしてもしかしたら『フィガロ』がダ・ポンテ三部作
の中で一番好きなオペラかもしれない、と思ったことだった。
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by didoregina | 2015-10-17 00:23 | オペラ コンサート形式 | Comments(4)

3 x Bach, 3 x Magnificat in Antwerp

ジョナサン・コーエン率いるArcangeloとソリストによる、バッハ父子3人3種の『マニ
フィカト』コンサート@アントワープのレポ。
3x17、3x Bach, 3x Magnificat @deSingel 2015年9月24日

Magnificat a 4 in C, E22 Johann Christian Bach
Magnificat in D, BWV243 Johann Sebastian Bach
Magnificat in D, Wq215 (H772) Carl Philipp Emanuel Bach

この組み合わせのコンサートはありそうでいてなかなかないので興味を持ち、目をつけていた。
バッハ・マニア向けかもしれない。とにかく、チケット発売日を心待ちにして最前列中央席を
ゲットした。

bass Thomas Bauer
tenor Thomas Walker
soprano Olivia Vermeulen , Joélle Harvey
countertenor Iestyn Davies
musical director Jonathan Cohen
music performance Koor & Orkest Arcangelo

演目以外にもソリストも気になる。贔屓歌手は言わずもがな、メゾ・ソプラノのオリヴィア・
ファームーレンちゃんは前々から一度生の声を聴いてみたい歌手だったのだ。

演奏順は、1760年ヨハン・クリスチャン・バッハ作曲、1733年ヨハン・ゼバスチャン作曲、
休憩後に1749年カール・フィリップ・エマヌエル作曲作品であった。

最初の曲は、3作品の中では一番時代的に新しく、またとても短い。1750年の父バッハの死を
一応バロック期終焉の年とするならば、それから10年後に作曲されたこの『マニフィカト』
には、すでにギャラントを経て古典派への移行が端的に感じられる。
特にわたしの耳を今回の演奏で欹てたのはソプラノ歌手ジョエル・ハーヴェイによる歌唱で、
微妙なうねりのようなヴィヴラートがかなり入っており、お、と思わされた。トランペットの
響きが最初から祝祭的なイメージを醸し出し、それに続くソプラノの声の明るい色あいかつ
いかにもギャラントという雰囲気のオペラチックな歌唱と相まって、バロックとは一味異なる
曲であることを否応なく示す。(そして、その後の大バッハでは、いかにもバッハらしい歌い
方で明瞭に対比を示していた。)
期待のオリヴィアちゃんのいかにもメゾらしいまろやかな声にも最初の一声から魅せられた。

あっという間に終わり序曲のような味わいの後に続く二曲目は、時代を遡って、大バッハ
作品だ。1723年に最初に作曲された最初の『マニフィカト』BWV243aを10年後に改訂
したBWV243が当夜の演奏曲である。
この曲は、なんとコンチェルト・コペンハーゲンにイエスティン君がソリストとして参加した
コンサートを6年前にエイントホーフェンで聴いている、ということを数年後に知ったという
いわくつき。その時のブログ記事を読み返すと、ソリストには印象に残る歌手がいなかったと
バッサリと切り捨てていて名前すら書いていない。それがイエスティン君の歌を生で聴いた
初めてのコンサートであったのに、知らないとはなんとも恐ろしや。というわけで、罪滅ぼし
の意味合いも込めて、今回改めてじっくり聴くつもりであった。
アルトのソリストが歌うのはたった3曲であるが、その中でソロで聴かせてくれるEsurientes
implevit bonisが白眉であろう。最初のソプラノ・アリアEt exsultavit spiritus meusと
呼応するかのような曲調のこの曲は、シンプルな木管の助奏と相まって、樹間から光差し込む
森の小路を小鳥のさえずりを道連れに歩くかのような清澄さと清々しい空気が感じられる。
思わず、大きく息を吸い込み、歌を胸いっぱいに取り込みたくなる。イエスティン君らしい
丁寧な発音で一言一言明瞭に説き聴かすかのように歌われると、その清浄効果は倍加する。

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休憩後は、また、時代が下り、長男カール・フィリップ・エマヌエル作曲の『マニフィカ
ト』。ダイナミックな華々しさ溢れるこの曲を最後に持ってくるのはプログラム構成上、
当然のことといえる。
しかし、なんとアルトが歌うのは2曲のみ。しかもそのうちイエスティン君が歌ったのは
ソロ1曲だけだから、彼君目当てで行くとかなりコスパが悪いかもしれないが、わたしには
オリヴィアちゃんという別の楽しみもあったのだ。Deposuit potentes de sedeは彼女と
テノール歌手とのデュエット。
オランダ人らしくすらりと長身で、今回はディーヴァ風なパープルの後ろにスリットが長く
入ったボディコン・ドレス姿の彼女は、聴衆の目も耳も逸らさない華がある。また、その
スタイルのよさから、ズボン役はさぞかし映えるだろうなと思わせる。声は、私の好みの
タイプのメゾで強いて言うならば、マレーナ様に近い感じ。若手で実力もルックスも兼ね
備えている彼女の今後には期待できる。ぜひオペラ舞台で見て・聴いてみたい。

この『マニフィカト』は、なんだかヘンデルのオラトリオを聴いているような気になる。
メロディーにもどこかところどころ聞き覚えのあるような、懐かしさがこみあげてくるので
あった。
ここでのアルト・ソロSuscepit Israel puerum suumは、私的にはこのコンサートのハイ
ライト。バスもテノールもソプラノも、ドラマチックで迫力ある歌唱を聞かせはくれたが、
切々と胸に響くのは耳になじんだイエスティン君の声だ。彼が歌うバッハをヘンデルのオペ
ラやオラトリオと同じかそれ以上に好きだと、改めて思った。
この3人のバッハによる3つの『マニフィカト』は、来月ロンドンとタトベリーでのコン
サートの後、CDレコーディングされるそうだ。合唱団もオケも、こうして何回かコンサート
を重ねて音楽が練られていくだろうからCD発売も楽しみだ。

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by didoregina | 2015-09-29 19:35 | イエスティン・デイヴィス | Comments(4)

佐藤俊介さんのロマン派・モダン・コンサート

2年前からオランダバッハ協会のコンサートマスターである佐藤俊介さんが、オランダ
南部丘陵地帯にあるウィッテムのヘラルドゥス修道院図書館で、ロマン派から20世紀の
レパートリーのコンサートを行うことを知ったのは、1か月前である。

c0188818_18283134.jpg


たまたま、私がコレクションしている画家の展覧会が同会場であって、そこで毎年9月に
開催されるKunstdagen Wittem(ウィッテム文化の日々)というコンサート・イヴェント
のブロシャーを貰ってきた。このコンサート・イヴェントでは数年前、エマ・カークビー・
リサイタルを聴いたことがある。今年の演目中、Shuann Chai & Shunske Satoによる
ロマン派プログラムというのに目を剥いた。佐藤さんがバロックとモダンの両刀使いとは
聞いていたが、モダン・プロでの彼の生演奏を聴く機会はオランダでは少ない。これは
聞き逃せないと、早速、チケットを予約した。
(余談だが、このコンサートの数日前に、同日同時に行われるユトレヒト古楽祭のファイ
ナル・コンサートのペア・チケットが今年も当選した。Gli Angeli Geneveによるタリス
のポリフォニーである。出演歌手メンツがはっきりしないが、もしやハナちゃんが出演
するのでは、と心が大いに動いたのだが、初心貫徹して、佐藤さんのコンサートを選び、
ユトレヒトには友人夫妻に代わりに行っていただいた。果たして、ハナちゃんが歌ったの
だった。。。。)

c0188818_18363110.jpgShuann Chai & Shunske Sato
@Kloosterbibliotheek Wittem
2015年9月6日

Johannes Brahms
4 Hungarian Dances (arr. J. Joachim)

Johannes Brahms
Sonata no.2 in A, op.100

[interval]

Frederic Chopin
Barcarolle in F-sharp minor, op.60

Henryk Winiawski
Polonaise brilliante no 2 in A, op.21

Maurice Ravel
Sonata in G for violin and piano


まず、コンサートの前に主催者が今回使用されるピアノについて説明。
ちょっと時代がかった荘重たる外見のこのスタインウェイ・コンサート・ピアノは、
なんと1873年にニューヨークで製造されたもので、アンティック・ピアノの現地コレク
ターが新しく修復したものという。会場であるウィッテムの修道院図書館も1880年建造
なので同時代インテリア的にぴったりと嵌まる。(まさか、それが理由でこのピアノを
選んだのではないだろうな。。。)
そしてまた、今回のプログラムにも時代的には合致する楽器である。(そういう凝った理由
であることを望むのだが。。。)

そして、出演者の簡単な紹介(コンサートに至るいきさつ)の後、ピアニストのショーンさん
(アメリカ人)が少々文法的に怪しいが愛嬌のあるオランダ語で演奏演目の説明をしてくれた。
2年前にショーンさんはここでフォルテ・ピアノのリサイタル(当然古楽)を行い、半年前
主催者に、興味深いレパートリーがあるから、パートナーのヴァイオリニストとコンサート
をしたいと売り込んだそうである。ヴァイオリニスト佐藤さんは、彼女のご主人なのである。
(二人とも外見は全くの東洋人だが、アメリカ育ち。)

c0188818_19513951.jpg

photo courtesy of Kunstdagen Wittem

まず、最初のブラームスのハンガリア舞曲(ホアヒム編曲版)から、佐藤さんは素晴らしい
冴えのある音色で聴衆の耳目を欹てた。
彼の演奏は、ヴァイオリンのソリストのステレオタイプ的なもの(自己中心的な立ち姿とか
大仰なジェスチャーとか、深刻ぶったり酔ったような表情になりがちで、ヴィブラートを
ビリビリ響かせたり、ヴィルチュオーゾらしさを下品なほど強調する)からは大きく外れて
いた。まず、服装も地味なグレーのごく普通のスーツであり、当日は眼鏡のせいもあって
なんだか新卒サラリーマンみたいなそっけない外見だが、彼の手元から流れてくる音楽は、
なんの衒いもない分ストレートに耳と心に届き、清冽。
大げさでないボーイングも指の運びも正確を期し、冷静かつ楽々と演奏しているように
目には写るが、重音やピッチカートなどが交差し次々と様々なテクニックが登場し、それを
いかにも軽々と弾き、そこから紡ぎだされる音色は緻密で目くるめくような多様性がある。
先日のコンサートでのバロック・リコーダー奏者テミングがど派手なアクションと超絶テク
ニックとで聴衆を魔法にかけたのとは丁度正反対のアプローチだが、結果的には、驚異的な
演奏で聴衆の度肝を抜いた点では同様。)
佐藤さんの全くケレンミのない演奏からは、大人の世界の穢れにまみれていないかのような
清潔感が漂い、それがいかにも古楽の人らしい安心感を与える。古楽オケのコンマスとして
身に付いた態度なのかどうかは不明だが、古楽っぽいストレートな演奏様式をロマン派レパ
ートリーにも適応して誠実な音作りなので、いかにもこの人の音楽には心を許せるという気
にさせるのである。

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photo courtesy of Kunstdagen Wittem


さて、休憩後は、まずショパンのピアノ・ソロ『バルカローレ』から。
比較的小規模な会場でのコンサートに相応しいインティメイトな選曲であるが、今日の
ピアノとの相性はいかに。
この1873年NY製スタインウェイは、重たそうな脚からも想像できるように、現代のスタ
インウェイとは全く音色も響きも異なるものであった。どちらかというとベーゼンドルファー
に近い重厚な感じの音で、鈴を転がすような音色の軽さが特徴のスタインウェイらしさが
全くない。
昔のエラールみたいな音色なのかもと期待したのだが、それとも異なり、だからショパンの
曲にはマッチしない。また、この木の内装の図書館の音響は悪くはないのだが、どうも情感に
乏しい演奏のためか、鈍重な音色のピアノそのもののためか、訴えかけてくるものがほとんど
なく印象に残らなかったのが残念だ。

ウィニヤスキーとくれば、ヴァイオリンのテクニック披露しまくりというイメージだが、
佐藤さんは相変わらず淡々と涼しい顔で軽々と、演奏している。さすがに、この後の拍手は
熱を帯びていた。
そして、最後はラヴェル。ジャジーなモダンな感覚が特徴のこの曲は、しかし、ラヴェル
らしい洒脱さも持ち味なのだが、いかんせん音色が重く切れ味のあまりよくないピアノの
せいか、四角四面になって遊びというか軽みが少々足りないのだけが物足りなかった。

しかし、今回、佐藤さんのモダン・ヴァイオリン演奏をこういう親密な雰囲気の会場で
聴くことができ、また佐藤さんが確固たる印象を聴衆に残したのはうれしかった。
(来月、オランダバッハ協会のコンサートで、彼はバッハのソナタを我がチャペルで演奏
してくれるので、今回のモダンとバロックとの聴き比べができるのがまた楽しみだ。)

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by didoregina | 2015-09-08 20:18 | コンサート | Comments(6)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


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オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
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音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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