「ほっ」と。キャンペーン

MusicAeternaのコンサート@ロッテルダム

2016年最初のコンサートは、自分が出演の所属合唱団恒例ニューイヤーコンサートだった。
聴衆として行った最初のコンサートは、わが合唱団が練習場として用いニューイヤーコンサート
も行なったセレブルダースカペルでのクリス(すなわちクリスティアン・ベザイデンホウト!)の
フォルテピアノによるベートーベン・プログラムではなく、同日わざわざロッテルダムまで出かけ
たテオドール・クレンツィス指揮ムジカ・エテルナ(ソリストはパトリシア・コパチンスカヤ)である。
c0188818_0482644.jpg

2016年1月13日@De Doelen

Biber - Battalia a 10 (‘Sonata di marche’)
Mozart - Symfonie nr.25
Mozart - Vioolconcert nr.5
Beethoven - Symfonie nr.5

MusicAeterna, Perm o.l.v. Teodor Currentzis - dirigent
m.m.v. Patricia Kopatchinskaja viool
Anthony Romaniuk clavecimbel

このコンサートは「バロック、その前後」というシリーズ・アボの一環であり、コンサート前の
レクチャーは、コンバッティメント(コンバッティメント・アムステルダム改め)のメンバー5人に
よる生演奏とチェンバロ奏者ピーター・ディルクセンによる解説という、内容も盛り沢山で素晴
らしい「前座」付きなのだった。すなわち、バロック最盛期からギャラントそして古典派への
流れを、バッハとその息子達および同時代の作曲家達(ビーバー、ゴルトベルク、C.Ph.E.
バッハ、テレマン、ブレシャネッロ、W.Fr.バッハ)の作品を生演奏で聴かせ対比しつつ論じ
るというもので、大変豪華かつ実に有意義な時間を堪能した。

さて、本日のメインイヴェントであるムジカ・エテルナのコンサートに関して、一つ重大な問題が
実は存在していて、私を悩ませたのであるが、その問題とは、一体、終演時間は何時になる
のだということである。コンサートホールからは「終演後、指揮者とソリストのサイン会があり
ます」というとても重要なお知らせが届いたが、終演時間は謎のままであった。
なにしろ、上記のプログラムは見ての通り「バロック、古典派、ロマン派」と盛り沢山であり、
クレンツィス指揮の演奏を一度でも聴いたことがある人ならわかっていただけると思うが、伸縮
自在・奇奇怪怪の演奏になることは必至なので、終演時間がまるきり読めないのだ。しかるに、
ロッテルダムからマーストリヒト方面への最終電車は22時48分発である。いざとなったら、
ベートーベンの『運命』はパスしようという気持ちで臨んだのだった。

まず、ムジカ・エテルナというロシアの古楽団体の生演奏を聴くのは今回が初めてである。
昨夏のルール・トリエンナーレでの『ラインの黄金』および11月のドルトムントでのダ・ポンテ
三部作の実演を聴き逃したのは痛恨の極みである。いずれもギリシャ旅行および日本里帰りと
重なったため。
モーツァルトでの編成では10、8、6くらいに見えたから、古楽オケとしてはかなり大きい部類に
入る。(舞台に近い席だったのと、チェロ、コントラバス奏者以外は全員立っての演奏だったため、
正確な人数がよくわからなかった)
当日変更になった演奏の順番は、ビーバー、モーツァルト、ベートーベンという時代を追っての
順当なものだった。しかるに、室内楽的小編成のビーバーの『バッタリア』では、クレンツィスの
指揮なしでコンマスがオケメンを纏めて楽しく自由闊達な演奏を繰り広げ、その晩のコンサートの
序章とした。
しかし、途中でなぜかソプラノのような声が舞台下手控えの間から聴こえ、わたしは訝しんだの
だが、そこからジブシー・ダンサーのような小グループが踊りながら舞台後方に出てきて、手拍子・
足拍子で賑やかに上手に通り抜けて行くという、ちょっとラルペッジャータのコンサートを思わせる
ような次第になった。
その後、モーツァルトの交響曲とヴァイオリン協奏曲になって、そのジプシー軍団の謎が解けた。
指揮者とソリストを含む、小編成のビーバーには参加していなかったミュージシャンたちが歌い
踊っていたのだった。

c0188818_137241.jpg


クレンツィス(略してクレさん)の指揮の実演は、5,6年前にケルンで見ている。これは、
「見る」という表現をどうしても使いたくなるほど視覚的サプライズに満ちたものであった。
ピチピチのピタパンにアンクルブーツで踊り跳ね、耳の下で切り揃えたワンレンの髪を揺さぶり
ながらの大熱演の指揮であったのだ。(彼の髪形はそれ以後様々に変化していて、衣装も
ゴシックだったりするが)今回多分ロッテルダム初登場だろうから、そのケルンの時とほぼ同じ
なりとアクションの彼を初めて見る聴衆は、最初唖然、その後は隣の人と顔を見合わせるという
反応を一様に示した。
なにしろ、指揮台は置いてなく、直径二メートルの半円の空間が指揮者のために空けてあり、
そこで舞台として(そこだけでなく、後方のホルンに指示を出すときには、ホルン奏者に近寄って
行った)ワルツのごとく踊ったりフェンシングのトゥシェのごとく突っ込んだり行進のごとく足音高く
拍子を取ったり、自由自在のダンスに近い動きの指揮姿なのである。(足音で拍子を取るために、
靴は編み上げのアンクル・ブーツで、靴紐は赤。)
私の座席はケルンでもロッテルダムでも3列目中央で指揮者の至近かつ真後ろ。今回、私の前
の列には楽器を習っていると思しい中高生が5人座っていたのだが、目を丸くしていた。
そして、クレンツィスは聴衆の目を剥かせるのみならず、耳も体も驚かす演奏を展開するのだった。

音の強弱の幅が尋常ではないほど広い。弱音に強いピリオド楽器の特性をよくよく生かして、
聴衆の耳をそばだたせるようなデリケートなピアニッシモで高速演奏を繰り広げるかと思えば、
大編成の長所を生かして一気呵成に爆音へと昇り詰める。そしてリズムと言えば、もう楽譜には
小節の区切りがないかのよう。テンポの伸び縮みの仕方が、はたしてこれで許されるのかという
程なのはCD等で聴いて先刻承知であるが、それでも実演に接すると、これがモーツァルトの
Vコン5番?これがベートーベンの『運命』?と疑問符が頭を横切るのはいたし方あるまい。

c0188818_1561289.jpg


クレさんの手足の一部と化しているかのようなムジカ・エテルナの楽員たちが繰り広げの自由
闊達な演奏はまあ合点が行く。テンポやリズムがハチャメチャなのによくまあ破たんなく器楽
アンサンブルがまとまっているものだと感心するほどだが、クレさんの的確な指示に従えばいい
のだろう。
しかるに、ソリストというのは別物だから、クレサンと音楽的傾向・趣味を同じくしていないと辛
かろう。ケルメス姐、マレーナ様、プロハスカちゃんなど、いかにもいかにも癖の強いエキセン
トリックな歌手となら馬が合うのはわかる。
今回のソリスト、コパチンスカヤ嬢を聴くのは初めてであったが、彼女こそクレさんの追及する
方向と音楽的にも同じくする貴重なヴァイオリニストであることがわかった。
黒の半袖Tシャツに赤のグラデーションのフワフワのオーガンジーのスカートを押さえるため木の
枝を格子に編んだような硬い枠のようなものを上から着けている。そして裸足。
彼女とオケ、チェンバロ奏者および指揮者との遣り取りはまるでモダンジャズの奏者のような
あ・うんの呼吸のような間が感じられ、特にカデンツァはジャズのインプロビゼーションそのもの。
観客への媚びは全く見せず、いっそすがすがしいほどふてぶてしさすら感じさせる演奏はあっぱれ、
堂に入ったもので、自分の求める音楽世界を作り出しているのに感心した。
そういう自由な音が際限なく入るし、テンポは凹凸のある鏡に映ってデフォルメされたイメージ
さながらグロテスクなほど伸び縮みするし、船酔いしそうなルバートになったかと思うと、ジェット
コースターのように急下降したり、まあ忙しいことこの上ない。眠気に襲われることは絶対にないし、
思索にふけることも許されない。聴く者は退屈になったり自分だけの世界に閉じこもることも拒否
されるのだ。

c0188818_220392.jpg


休憩後、10時ジャストに『運命』の演奏が始まった。指揮者は舞台後方下手からさっと現れ
るや、風のように素早い歩きを止めることなくそのまま演奏に突入。急・緩・急・急だから、
速い演奏なら33分くらい、でもクレさんの緩はどれほどゆっくりになるかわからないから、もしか
して40分近い演奏になるやもしれぬ。時間が読めないのが心配であったが、ホールから駅ホーム
まで歩いて8分見ておけばいいからギリギリ終電には間に合うだろう、と肝を据えた。
出だしのテンポが疾風の如くだったので、途中でこっそり時計を見たらアンダンテ終了も10時
15分。そのままイケイケ~と祈るのも不要なほど、緊張と高速は途切れず、ベトベンらしい
ねちっこくしつこい最後のテーマの繰り返しもするすると通り抜け、大団円が終了し、拍手とスタ
オベが始まった時間は、30分を切っていた。
[PR]
# by didoregina | 2016-01-16 02:37 | コンサート | Comments(0)

Sarah Morris のAstros hawk展@M-Museum Leuven

車を買い換えた。愛車MINIも新年を迎えると12年目に突入する。10年過ぎたあたりから色々
故障が多くなって修理費用がかさむのと、14年間乗り尽した主人の車も昨年末とうとうお釈迦に
なったので、二人の車をこの際一台にしようというわけで MINI Cooper Countrymanに。
キーを受け取って早速、ちょっとだけ遠出というか足慣らしのためルーヴァンまでドライブ。
月曜も開館の美術館はアムステルダム以外にはあまりないのだが、比較的近場のルーヴァンの
ミュージアムMが開いていて、サラ・モリスの展覧会が開かれていることを知り、出かけてみた。

c0188818_1835435.jpg

Sarah Morris Astros hawk (18.10.15 - 20.03.16)

ルーヴァンのMは、マーストリヒトのボネファンテン美術館と同じような地方都市の美術館で、
常設展示には中世のキリスト教関連作品が多いことや、コンテンポラリー・アートを中心にした
企画展が気を吐いている点に共通点がある。数年に一回、とても力が入って(金がかかって)
面白い展覧会が開催されるという点でも似ている。(地方の美術館ではその回数が限度。)
前回、Mに行ったのは、かれこれ数年前のソル・ルウィット展である。アーティストのコンセプト
に則って、白く塗った壁に直接描かれたウォール・ペインティングの数々はこの美術館の空間を
十分に活用した、非常に素晴らしいものだった。

c0188818_1851553.jpg

Rockhopper [Origami]

今回のサラ・モリス展に展示されている作品も、幾何学的に整然と緻密に描かれた線と色の
きっちりとした塗り方など、ソル・ルウィットの作品と共通するものがある。
c0188818_1845097.jpg


ゆったりと広い部屋の壁、基本的に一つの面に一作品の展示。

つるりとした質感の平面に、折り紙の折線をモティーフにしたり、生物や自然現象を幾何学模様
に置き換えた作品は、色遣いがポストモダン的に優しく、大きさはすっぱりと大きく小気味よい。
丁度、小学校低学年または幼稚園児と思えるグループが引率されて訪問していたが、子供たち
にもアピールしやすいものだろうと思える。
c0188818_185069.jpg


絵画作品以外にも、モリスの監督した映画作品が4室で上映されている。そのうちのRioという
映画の美しさには目が惹きつけられ感嘆し、なかなか腰が上げられなかった。
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの、町や海岸やカフェや工場や地下鉄の中の風景とそこに生活
する人々の様子を、次々とあまり脈絡のないスライドショーのように繋げたドキュメンタリー映画
なのだが、一つ一つのコマ、カット、色、人物の顔などが、ため息がでるほど魅力的なのだ。
町を主人公としたどのショットもパーフェクトな美しさで、スティールにしたら素敵なポスターに
なるだろう。
このドキュメンタリー映画を見ると、彼女の素敵な感性、有り余る才能を表現するメディアとして
映像が最もフィットしたものであることは明らかだ。

しかし、もっと大きな驚きは、展覧会場の最上階にあるのだった。
c0188818_1972298.jpg

Maqta [Abu Dhabi]

ルーヴァンの町並みを見下ろし、遠くに教会の塔や大学図書館などの歴史的建造物が壁に
開いた窓から一望できる3階のこの部屋では、ソル・ルウィット展でも同様だったが、それを
借景にした作品が展覧会のためだけに制作されている。Mの空間を最良・最適に使った作品で、
その空間に身を置くと贅沢さに目が眩むような体験ができる。

c0188818_19144684.jpg


財力にあかして金という富の誇示という目的があからさまで、醜悪この上ない現代建築を
集めたようなアブ・ダビのオフィスと無機的な石油精製工場群をイメージしたポップな壁画と、
中世からの美しい町並みが残るルーヴァンの屋根の景色とのコントラストは、しかし、対比と
して面白いだけでなく、すっかりモリス作品の中に取り込まれ違和感がない。小気味よいとは
このことである。
[PR]
# by didoregina | 2015-12-08 19:21 | 美術 | Comments(0)

CERAMIX @ Bonnefanten Museum

マーストリヒトのボネファンテン美術館では、5、6年に一度、企画も質も申し分なく興味深い
展覧会が開催される。(地方の美術館としては、財政的にその頻度での実現が限界らしい。)
2015年10月16日から2016年1月31日まで開催中のCERAMIXは、企画・展示方法・内容の
いずれをとっても、今までにないほどの意気込みが漲った素晴らしいものだ。(2年前に館長が
変わって以来、特に新感覚と息吹が感じられる。)

c0188818_17251051.jpg

「ロダンからシュッテまで」と副題の付けられた今回の展覧会は、セーブルの国立陶器博物館
およびパリのメゾン・ルージュとの共同企画というのがミソで、オペラならばさしずめ複数の
歌劇場の費用折半によるコープロのようなもので、専門分野に強い博物館の実力やコネ、その
道のエクスパートによるキュレーションの実力が束になったおかげで実現できた。
20世紀および21世紀の作家110人の作品計250点が世界中の美・博物館や個人コレクションから
集められ、来年はセーブルとパリでも巡回展示される。

c0188818_17295697.jpg

まずは、ロダン作の『バルザック』の頭が目に飛び込む。用いる素材がブロンズではなく陶器
であるから、物理的力強さに欠けるのではという恐れは、ここで吹っ飛ぶ。焼き物につきもの
壊れやすいという弱点から来る脆さの印象は皆無である。モデルと作り手双方のパワーが相乗
している結果と言える。

最初の方の展示は、ピカソ、レジェ、マティスといった、20世紀初期の作家(画家)による作品
で、アプローチに古臭さが感じられるのは、水差しや花瓶や入れ物という実用にも重きが傾い
ているためだろうか。あっと驚くような意匠も少ない。所謂、画家が絵を描く合間の手慰みに
土を捻ってみました、という域からあまり出ていない。

それが、次々と別の展示室に入るたび、コンセプト別に集められた現代作品が現れ、思わず
にやりと笑みが漏れたり、感嘆のため息をついたり、新発見にも暇がなく、楽しくなってくる。
創作物が自由に息をついているような、伸びやかさが出てくるからだ。

c0188818_17442037.jpg

Chiaro di luna (Moonlight) 1932-32, Arturo Martini (1889 - 1947)

この『月光』というかなり大きな作品(等身大に近い)の、バルコニーから身を乗り出して月の
光を浴びている恍惚の乙女たちを観ていると、ドビュッシーの『月の光』が聞こえてくるよう。

c0188818_18292642.jpg


今回の展覧会での目玉の一つは、ジェシカ・ハリソンによるパロディ心一杯の女性像たちだ。
c0188818_180361.jpg


展覧会の告知やポスターにも使われているPainted Ladyやその他のリャードロ風フィギュリン
の実際に見るとびっくりするほど小さな磁器人物は、よく見るとデコルテ部分に船乗りが好む
刺青を施していたり、切り口も生々しい断頭の頭を自分で持っていたり、すまし顔でポーズを
取りながら一筋縄ではいかない女性像たちなのだ。

c0188818_1875993.jpg

Predictive Dream XLIII (2013), Katsuyo Aoki (1972 -)

女性ならではの繊細な指先と驚異的なディテール感覚から作り出されたのだろうなと、思わず
勘違いしてしまいそうなほど、女性作家の緻密な作品に目が釘付けになった。
鬼とも竜の頭とも見えるこの作品は、均衡のとれたシンメトリーと波立つカールの細かさとで
なる美の結晶だ。

また別の気に入った作品も女性作家によるもので、セルビア出身の彼女は日本で焼き物の勉強
をしたという。こちらは額に入れた絵画のような一見平面的な作品だが、ひび割れのような
細部の線を構成するのが手で綯ったひも状の粘土から作り出されていることが近づいて見ると
わかり、驚嘆する。
c0188818_1818484.jpg

Analysis and inplementation of the global game plan (2012), Ljubica Jocic-Knezevic (1973 - )


そういった細密な作品と対応するように、展示室の床や壁を大胆に使ったインスタレーション
作品もある。
壊れた破片のような形を繰り返し作り、それが全体を構成してさわやかな風が吹き渡るような
印象になっている。

c0188818_1826714.jpg

壁に掛けられているのは、It's the Wind (1985), Piet Stockmans (1940 - )


陶磁器と言うと実用の美、というものを想像しがちである私の狭い知識と古い感覚に
ガツンと鉄槌が下されたような、小気味よい快感を得る展覧会である。
[PR]
# by didoregina | 2015-10-30 18:30 | 美術 | Comments(2)

ゴッホ美術館のムンクとファン・ゴッホ展 Munch: Van Gogh

アムステルダムのファン・ゴッホ美術館で9月25日から来年の1月17日まで開催中の展覧会
Munch:Van Goghは、期待を大幅に上回る素晴らしいものだ。
c0188818_18545214.jpg


何が凄いかというと、両者による同じテーマおよびモチーフでしかも年代的にかなり近く
美術史的価値もほぼ同等の作品を並べて見せるという理想的展示方法を実現できたこと。
頭の中・想像の世界で美術愛好家がヴァーチャルに楽しんでいる方法だが、実際の美術展を
その方式で行うのは大変なことだ。世界中から観光客が訪れ、オランダ観光のメッカである
ファン・ゴッホ美術館でしか企画・実現は不可能であろうと思われる、質の高い作品が目白
押しで充実した内容だ。
美術愛好家の夢がここでひとつ叶えられた。

ファン・ゴッホよりムンクは10歳年下だが、早熟かつ早くから画家として認められていた
ムンクなので、ゴッホとほぼ同じ時期にパリに滞在していたり、19世紀末のフランス人画家
や印象派の影響を受けていたりして、作品に共通点は驚くほど多い。
そういう観点で集めたものばかりなのだから当然ではあるが、それでも実際に並べられ展示
されているのを見ると、思わず感嘆のため息がもれる。
c0188818_1912325.jpg

The Yellow House, Vincent van Gogh, 1888 (Van Gogh Museum)
Red Virginia Creeper, Edvard Munch, 1898 - 1900 (Munch Museum, Oslo)

ゴッホ美術館は普段でも写真撮影には厳しいが、特別展だから写真撮影厳禁なので、図版は
購入したカタログから。ショップで販売している特別展カタログは、英語版とフランス語版
二種から選べる。オランダ語版がないことから、世界各国からの観光客をいかにターゲット
としているかがうかがえる。

c0188818_1925509.jpg

Starry Night over the Rhone, Vincet van Gogh, 1888 (Musee d'Orsay, Paris)
Starry Night, Edvard Munch, 1922 - 24 (Munch Museum, Oslo)

クレラー・ミュラー美術館を始めオランダ国内はもちろん、パリのオルレー、オスロのムンク
美術館、ベルゲンの国立美術館などから厳選された作品が並び、質のみならず量的にも充実。
ムンクと言えば、誰もが思い浮かべる『叫び』や『マドンナ』『吸血鬼』『嫉妬』『接吻』
『病気の子』なども、今回の展示には欠けていないのである。

ゴッホの絵は、何度も見ていてお馴染なので、特にムンクの絵をじっくりと鑑賞した。
才気走った若きムンクの自画像。(もう少し年を取ってからの自画像は、ファン・ゴッホのと
並べられている。)
c0188818_19342641.jpg

19才の自画像 Edvard Munch, 1882 (Munch Museum, Oslo)
23才の自画像 Edvard Munch, 1886 (National Museum of Art, Archtecture and Design, Oslo)

また、パリで当時の先端を行くフランス人画家、ゴーギャン、スーラ、ピサロ、モネ、マネ、
カイユボット、ロートレックなどの作品と、彼らの作品及び画家との交流から影響を受けた
だろうと思われるゴッホとムンクの作品が、似たテーマを選んで並べられているのも圧巻だ。

ムンクの風景の切り取り方、室内の構図や窓の外の風景などに見られる、文字通り斜に構えた
感じが、私にはとても印象に残った。
正面からでなく部屋の角からの画家の視線で、対角線上の隅に立つ人物を鑑賞者も見ることに
なり、その先にあるカーテンの隙間から覗く窓の外の風景に目が吸い込まれる。都会のメラン
コリーの味わいがほのかに見え隠れし、効果的である。

c0188818_19464180.jpg

Night in Saint-Cloud, Edvard Munch, 1890 (National Museum of Art, Architecture
and Design, Oslo)

とにかく、量的・質的に、今年年頭にアムステルダム国立美術館で開催された『後期レン
ブラント展』に匹敵するほどの内容だと思う。
ようやく、新しいエントランス・ホールが、3つの美術館とコンセルトヘボウが面するミュー
ジアム広場側に完成し、今までのように歩道に長い列が並ぶようなカオスは緩和されたが、
ゴッホ美術館は普段でもアムス有数のアトラクションであるだけに列は長い。事前に時間枠の
Eチケットをオンラインでゲットすることを勧める。追加料金なしで日時指定でき、それに
通常の入場前売り券もしくはミュージアム・カードを持っていれば、待ち時間なしで直接
入れる。

c0188818_1956936.jpg


新たに増築されたエントランス・ホールは広々。特別展は別棟。ショップも充実。
[PR]
# by didoregina | 2015-10-21 19:58 | 美術 | Comments(6)

セミ・ステージ形式の『フィガロの結婚』@コンセルトヘボウ

モーツァルトのダ・ポンテ三部作オペラを好みの順から並べると、『フィガロの結婚』は
『コジ・ファン・トゥッテ』に次いで二番手だ。
コンセルトヘボウを会場としてのオペラの場合、コンサート形式が通常であるが、今回はセミ・
ステージ形式だった。
c0188818_22401545.jpg
Mozart - Le nozze di Figaro, KV 492
2015年10月14日@Concertgebouw
Orkest van de Achttiende Eeuw
Cappella Amsterdam
Kenneth Montgomery (dirigent)
Jeroen Lopes Cardozo (regisseur)
Kelebogile Besong (sopraan)
Ilse Eerens (sopraan, Susanna)
Roberta Alexander (sopraan, Marcellina)
Amaryllis Dieltiens (sopraan, Barbarina)
Rosanne van Sandwijk (mezzosopraan, Cherubino)
Fabio Trümpy (tenor, Don Basilio)
Henk Neven (bariton, Il Conte d'Almaviva)
André Morsch (bariton, Figaro)
Hubert Claessens (bas, Antonio)

今回と同じく18世紀オーケストラとカペラ・アムステルダム、主にオランダ人とベルギー
人キャストによる『コジ』セミ・ステージ形式を鑑賞したのは、丁度2年前、ロッテルダム
のデ・ドゥルンであった。翌日朝の便で日本に里帰りする前夜だったため、なんだか慌ただ
しく、その後2週間ほぼオフ・ラインでもあり、その鑑賞記は書いていない。憶えている
のは中途半端なお寒い演出という印象のみ。実力派の若手で揃えた歌手陣は悪くはなかった
のだが。(当時フランス・ブリュッヘンは存命だったが、オランダではもう長いこと指揮は
していなかった)

今回の『フィガロ』も同じような出演陣だし、似たような演出になるんだろうな、と、さほど
期待を抱かずに臨んだ。
まず、びっくりしたのはコンセルトヘボウの比較的せせこましいステージ上に演技スペース
を確保するため、前から3列の客席が取り外され、ステージが拡張されていたこと。
これは初めての経験だ。それで、私の席は6列目なのだが、実際のところ3列目になった。
(ここのステージは異常に高く、1.5メートルはある。前から3列目までは絶対に座りたくない。
ステージを真下から見上げる形になり、首が痛くなるのみならず、音が頭上を通り抜ける感じ
で最悪。)
だから通常は、4列目からが視覚的・音響的に許容範囲ギリギリである。普通のホールでの
かぶりつき席がここでの5列目という感じなので、理想的な6列目ほぼ中央を確保するため
アボ発売開始と共に速攻で選んだ席なのだ。

c0188818_22571010.jpg


二つ目の嬉しいサプライズは、会場の飛び切りいい音響のせいもあり、2年前にロッテルダム
で鑑賞した『コジ』とは全く異なり、生き生きしたいかにもモーツァルトらしい楽しいオペラ
のコンサートになったことだ。
18世紀オケの演奏にはそつがなく、全体的に典雅ながら、控えめな色合いがところどころに
添えられ申し分ない。指揮のケネス・モンゴメリーは白髪のため高齢に見えるがなかなか闊達
な指揮で、手堅いオケからノーブルな音を引き出している。
しかし、なんといっても今回の『フィガロ』成功の鍵は、歌手陣の実力に負うところが大きい。

オランダ人バリトンのヘンク・ネーフェンは、DNOやモネには割とよく出ているが、今まで
脇役でしか聴いたことがなかった。それが、今回は伯爵役である。まだ若くどちらかというと
甘いルックスの彼だし、今回はフィガロ役なのだと思っていた。ところが、いつの間にか声に
もルックスにも渋さが加わり、黒の衣装が似合うシックでエレガントな立ち姿も相まって、
若きハンサムな伯爵の役どころにぴったいの堂々たる歌手に成長していたのだ。今まで密かに
彼を応援していた私としては、 万感胸に迫るものがあった。

c0188818_23123746.jpg


もう一人、成長が著しく感じられたのは、スザンナ役のベルギー人ソプラノ、イルゼ・エー
レンスだ。前回の『コジ』でのデスピーナも悪くはなかったが、エレガントさもあり可憐な
彼女の声とキャラがイマイチ役に合っていないという印象を持ったのだが、今回のスザンナ
は、うってつけ。彼女の清潔感漂うルックスもよく通る澄んだ声も、邪心がなく賢いスザンナ
の役にドンピシャはまる。また少し成長したら、彼女の伯爵夫人役も聴いてみたい。

伯爵夫人役は、寡聞にして今まで名前も知らなかった黒人歌手である。出だしはどうも声に
伸びもツヤもなくざらざらした歌唱だったのでちょっとがっかりしたのだが、彼女のレチの
ディクションの美しさには惚れ惚れした。しかし幕を追うごとにだんだんと喉も温まってきて
歌唱にベルベットのような張りが出てきてほっとしたのだが、他のソプラノと比べるとハス
キーな声なのでさほど私好みとはいえない。しかし、Dove sono i bei momenti にはさすが
にぐっときた。
スザンナと伯爵夫人とのデュエットになると、エーレンスの声の素直な伸びやかさと品のある
声がよく通るのと比べ、彼女はちょっと弱い印象だった。

c0188818_23575667.jpg


さて、今回のキャストにはロバータ・アレクサンダーがマルチェリーナ役でクレジットされて
いたのも個人的には楽しみであった。彼女を生で聴いたのは、もう、かれこれ20年近く前だ。
今年の夏前にロッテルダムのオペラ・デイに出演するはずだったがキャンセルしていたし、
後進の指導に専念しているようで生舞台にはずいぶん長いこと立っていないのではないだろう
か。(去年、デン・ボッスでの国際歌唱コンクールで見かけた。予選の審査員だったらしい。)
かわいいおばあちゃんという風情で、辺りをはらうような威厳と存在感があり、とうに盛りを
過ぎているが声にかわいらしさが残っているのが印象的だった。

二人の黒人ソプラノ歌手が舞台に立ち、また片方が伯爵夫人役となると、どうしても思い出す
人物がいる。先月のロンドン遠征で訪れたケンウッド・ハウスで彼女の肖像画を見て、あっと
叫んだ。彼女はダイドー・ベルという名で、黒人奴隷女性と白人貴族のハーフながら、18世紀
のイギリスで上流婦人として育てられ、ハムステッド・ヒースに残る貴族の館であるケンウッド
ハウスに住んでいたという。
c0188818_05409.jpg


彼女の数奇な人生に関する本を読んでいる最中だから、丁度同じ時代に作曲された『フィガロ』
での伯爵夫人役が黒人歌手であることが偶然ではない符号のように思われ、二重に楽しめた。
(ダイドー・ベルの映画が夏頃公開されたのだが、迂闊にも見逃したのが悔やまれる。しかし、
本の内容の半分は、当時の奴隷貿易および解放運動に割かれている。)

モーツァルトの音楽を聴く楽しさは、有名なアリアや器楽演奏部分でもお馴染のメロディーが
満載で、しかも所属する合唱団のレパにもいくつか入っているのでついつい一緒に歌いだして
しまいたくなるような、サロン的親密感もある。
貴族の館を舞台にしたこのオペラは、ドアや木枠、植木鉢などを上手に配置し動かしたりしな
がら、適度な演技も交え、衣装もそれなりのセミ・ステージの演出がうるさくなく、音楽を損
ねることなく、今回は大成功だったと言える。(ケルビーノが逃げる場面では、たぶんそうする
だろうなと思った通り、高い舞台から飛び降りた。)

c0188818_0215132.jpg


若手歌手が多いおかげで舞台に華やかな躍動感があるのみならず、皆、実力派揃いであるため、
観客も余裕をもって楽しめたのだった。そしてもしかしたら『フィガロ』がダ・ポンテ三部作
の中で一番好きなオペラかもしれない、と思ったことだった。
[PR]
# by didoregina | 2015-10-17 00:23 | オペラ コンサート形式 | Comments(4)

ハーグの隠れた宝石箱 Galerij Prins Willem V

デン・ハーグのマウリッツハイス美術館は日本人にもお馴染だが、そこからほど遠からぬ
場所にひっそりと隠れた宝石箱のような小さな美術館があることは、あまり知られていない。
わたしも、実は今回ここでの展覧会に招待されるまではその存在を寡聞にして知らなかった。
マウリッツハイスの弟分というか分館のような美術館でウィレム5世のギャラリーという。

c0188818_2115034.jpg

Galerij Prins Willem V (ウィレム5世のギャラリー)の外観

マウリッツハイス美術館から、オランダの国会Het Binnenhofを通り抜け道路を渡った向かい
にあり、1774年にオラニエ公ウィレム5世が収集した美術品展示のために造ったギャラリーで、
美術品の公開目的という意味合いにおいてオランダで最初の美術館と言える。

c0188818_2192539.jpg

Binnenhof にあるオランダ国会議事堂 Ridderzaal (騎士の館)

この美術館の存在を知ったきっかけは、ここで10月1日から11月29日まで展示されている
ベラスケス作『ドン・ディエゴ・デ・アセードの肖像』のプレス・オープニング内覧会に
美術ブロガーとして招待されたからだ。
日本では展覧会開催前にブロガーを招待しての内覧会というのがしばしば行われるようだが、
マウリッツハイス美術館がSNSでブロガーを公募したのは初めての試みだそう。推薦制で
あったが自薦応募した。国内外のプレスや在オランダ・スペイン大使などの招待客に混じり、
3人のブロガーが招待された。私が選ばれたのは、多分に日本人ブロガーであるという理由が
大きいと思う。なにしろ、日本人のフェルメール好きという事実はマウリッツハイス美術館
関係者にはよく知られており、国別来館者数では日本人がダントツだし、日本でのフェルメ
メール関連展覧会の集客数は他を引き離す圧倒的なレベルである。

c0188818_21255279.jpg

ベラスケス作『ドン・ディエゴ・デ・アセードの肖像』(1638/40)とマウリッツハイス
美術館長エミリー・ゴーデンカー女史。

美術館としては非常に小さな建物の2階広間、いわゆるギャラリーがまさにギャラリーに
なっていて、その奥に特別展示されているのが、プラド美術館所蔵のベラスケス作『ドン・
ディエゴ・デ・アセードの肖像』だ。

この絵の前に立っての第一印象は、描かれた人物の頭に比して体のプロポーションの不可思
議さで、よくよく覗き込むと彼は小人であることがようやくわかる。
スペインの宮廷には当時、小人が沢山雇われていたことは、有名な『ラス・メニーナス』で
見てもわかるが、小人たちの職種といえば、道化というのがほとんどお約束だった。しかし、
このディエゴ・デ・アセードは分厚い本を開き、足元にはスタンプが置かれていることから
明らかなように、フェリポ4世の宮廷で公的文書に印を押すという重要な事務職を担っていた。
顔つきには小人らしさが見られないが、服装は小人のお約束である黒の織り出し格子。頭には
帽子を斜めに被り、事務職らしさが表されている。髭を蓄えた威厳のある顔つきには自信が
満ち、存在感も強い。
しっかりと自己を主張する顔つきを丁寧に描いているに対して、背景の山やテーブルの筆使い
はちょっとかすれたような雑さや、ささっとしたスピードが感じられ、静と動、黒と白、光と
影の対比がくっきりとして、躍動感すらある。
肩の周りを強調するような線や、背景の筆の汚れをぬぐった跡などが世紀を経て顕わになり、
見れば見るほど発見のある絵で飽きない。
じっくりと一枚の絵に付き合うという体験がここではできる。

c0188818_21573523.jpg


しかし、この美術館の神髄は何といってもギャラリー1室にぎっしりと展示された絵の数で
あろう。ネーデルランドの画家を中心に150点の作品が縦長の部屋の四方の壁にぎっしりと
ほとんど隙間なく天井まで展示されているのだ。

c0188818_22141932.jpg

窓の外、向いはオランダ国会。

この部屋に案内されてまず、口をあんぐりと開けて「うわあ」と思わず声を発したことを
美術館広報担当者や学芸員の方たち(少数の招待客と同じくらいの人数が配置されていて、
ほとんどマンツーマンのサービスで絵や美術館の説明をしてくれ、どんな質問にも応えて
くれるのが素晴らしい)に言うと、わが意を得たりと「その反応を期待してるんです」との
こと。いかにもバロックそのものという過剰さが売りとでもいうべき展示は、その当時の
ギャラリーを描いた絵などから見知ってはいたが、実際に150枚もの絵に取り囲まれた空
間に身を置いてみると、迫力は圧倒的だ。
その中にはルーベンスの絵もあり、やはり目を惹く。

c0188818_2210117.jpg

c0188818_22105316.jpg

イケズそうな表情のこのお二方。

マウリッツハイス訪問したら、ぜひともこの小さな隠れた宝石箱のようなこの美術館も
続けて訪問して、新たな発見・体験をしてもらいたい。
[PR]
# by didoregina | 2015-10-02 22:16 | 美術 | Comments(2)

3 x Bach, 3 x Magnificat in Antwerp

ジョナサン・コーエン率いるArcangeloとソリストによる、バッハ父子3人3種の『マニ
フィカト』コンサート@アントワープのレポ。
3x17、3x Bach, 3x Magnificat @deSingel 2015年9月24日

Magnificat a 4 in C, E22 Johann Christian Bach
Magnificat in D, BWV243 Johann Sebastian Bach
Magnificat in D, Wq215 (H772) Carl Philipp Emanuel Bach

この組み合わせのコンサートはありそうでいてなかなかないので興味を持ち、目をつけていた。
バッハ・マニア向けかもしれない。とにかく、チケット発売日を心待ちにして最前列中央席を
ゲットした。

bass Thomas Bauer
tenor Thomas Walker
soprano Olivia Vermeulen , Joélle Harvey
countertenor Iestyn Davies
musical director Jonathan Cohen
music performance Koor & Orkest Arcangelo

演目以外にもソリストも気になる。贔屓歌手は言わずもがな、メゾ・ソプラノのオリヴィア・
ファームーレンちゃんは前々から一度生の声を聴いてみたい歌手だったのだ。

演奏順は、1760年ヨハン・クリスチャン・バッハ作曲、1733年ヨハン・ゼバスチャン作曲、
休憩後に1749年カール・フィリップ・エマヌエル作曲作品であった。

最初の曲は、3作品の中では一番時代的に新しく、またとても短い。1750年の父バッハの死を
一応バロック期終焉の年とするならば、それから10年後に作曲されたこの『マニフィカト』
には、すでにギャラントを経て古典派への移行が端的に感じられる。
特にわたしの耳を今回の演奏で欹てたのはソプラノ歌手ジョエル・ハーヴェイによる歌唱で、
微妙なうねりのようなヴィヴラートがかなり入っており、お、と思わされた。トランペットの
響きが最初から祝祭的なイメージを醸し出し、それに続くソプラノの声の明るい色あいかつ
いかにもギャラントという雰囲気のオペラチックな歌唱と相まって、バロックとは一味異なる
曲であることを否応なく示す。(そして、その後の大バッハでは、いかにもバッハらしい歌い
方で明瞭に対比を示していた。)
期待のオリヴィアちゃんのいかにもメゾらしいまろやかな声にも最初の一声から魅せられた。

あっという間に終わり序曲のような味わいの後に続く二曲目は、時代を遡って、大バッハ
作品だ。1723年に最初に作曲された最初の『マニフィカト』BWV243aを10年後に改訂
したBWV243が当夜の演奏曲である。
この曲は、なんとコンチェルト・コペンハーゲンにイエスティン君がソリストとして参加した
コンサートを6年前にエイントホーフェンで聴いている、ということを数年後に知ったという
いわくつき。その時のブログ記事を読み返すと、ソリストには印象に残る歌手がいなかったと
バッサリと切り捨てていて名前すら書いていない。それがイエスティン君の歌を生で聴いた
初めてのコンサートであったのに、知らないとはなんとも恐ろしや。というわけで、罪滅ぼし
の意味合いも込めて、今回改めてじっくり聴くつもりであった。
アルトのソリストが歌うのはたった3曲であるが、その中でソロで聴かせてくれるEsurientes
implevit bonisが白眉であろう。最初のソプラノ・アリアEt exsultavit spiritus meusと
呼応するかのような曲調のこの曲は、シンプルな木管の助奏と相まって、樹間から光差し込む
森の小路を小鳥のさえずりを道連れに歩くかのような清澄さと清々しい空気が感じられる。
思わず、大きく息を吸い込み、歌を胸いっぱいに取り込みたくなる。イエスティン君らしい
丁寧な発音で一言一言明瞭に説き聴かすかのように歌われると、その清浄効果は倍加する。

c0188818_19273819.jpg


休憩後は、また、時代が下り、長男カール・フィリップ・エマヌエル作曲の『マニフィカ
ト』。ダイナミックな華々しさ溢れるこの曲を最後に持ってくるのはプログラム構成上、
当然のことといえる。
しかし、なんとアルトが歌うのは2曲のみ。しかもそのうちイエスティン君が歌ったのは
ソロ1曲だけだから、彼君目当てで行くとかなりコスパが悪いかもしれないが、わたしには
オリヴィアちゃんという別の楽しみもあったのだ。Deposuit potentes de sedeは彼女と
テノール歌手とのデュエット。
オランダ人らしくすらりと長身で、今回はディーヴァ風なパープルの後ろにスリットが長く
入ったボディコン・ドレス姿の彼女は、聴衆の目も耳も逸らさない華がある。また、その
スタイルのよさから、ズボン役はさぞかし映えるだろうなと思わせる。声は、私の好みの
タイプのメゾで強いて言うならば、マレーナ様に近い感じ。若手で実力もルックスも兼ね
備えている彼女の今後には期待できる。ぜひオペラ舞台で見て・聴いてみたい。

この『マニフィカト』は、なんだかヘンデルのオラトリオを聴いているような気になる。
メロディーにもどこかところどころ聞き覚えのあるような、懐かしさがこみあげてくるので
あった。
ここでのアルト・ソロSuscepit Israel puerum suumは、私的にはこのコンサートのハイ
ライト。バスもテノールもソプラノも、ドラマチックで迫力ある歌唱を聞かせはくれたが、
切々と胸に響くのは耳になじんだイエスティン君の声だ。彼が歌うバッハをヘンデルのオペ
ラやオラトリオと同じかそれ以上に好きだと、改めて思った。
この3人のバッハによる3つの『マニフィカト』は、来月ロンドンとタトベリーでのコン
サートの後、CDレコーディングされるそうだ。合唱団もオケも、こうして何回かコンサート
を重ねて音楽が練られていくだろうからCD発売も楽しみだ。

c0188818_19303054.jpg

[PR]
# by didoregina | 2015-09-29 19:35 | イエスティン・デイヴィス | Comments(4)

Bakkhai ベン・ウィショー主演の『バッコスの信女たち』

ロンドンのアルメイダ劇場でエウリピデス作、アン・カーソン版のBakkhai、即ち
『バッコスの信女たち』を鑑賞した。
c0188818_18275695.jpgBakkhai by Euripides @ Almeida Theatre
2015年9月15日

Bertie Carvel
Amiera Darwish
Aruhan Galieva
Eugenia Georgieva
Kaisa Hammarlund
Kevin Harvey
Helen Hobson
Hazel Holder
Melanie La Barrie
Elinor Lawless
Catherine May
Belinda Sykes
Ben Whishaw

Version Anne Carson
Direction James Macdonald
Design Antony McDonald
Composition Orlando Gough
Light Peter Mumford
Sound Paul Arditti
Choreography Jonathan Burrows
and Gillie Kleiman
Musical Direction
Lindy Tennent-Brown
Casting Anne McNulty CDG
Assistant Direction Jessica Edwards
Costume Supervision Ilona Karas

ロンドンの劇場でギリシア悲劇を鑑賞するのは、昨年11月のオールドヴィック座での
クリスティン・スコット=トマス主演の『エレクトラ』に次いで二度目だ。
今回のアルメイダ劇場は、劇場がひしめくウェストエンドからは離れたキングズクロス駅
北に位置しているのだが、その辺り、近年急速に開発が進んだようで、なかなかトレンディ
な繁華街になっているのに驚いた。
そして平日の公演であるが満席の盛況で、観客層はクラシックコンサートやオペラに比べ
非常に若いのも驚きである。ベン・ウィショー効果もあろうが、頼もしいことである。
(ロンドンの劇場での驚きはまだほかにもあって、コンサートホールや歌劇場と大きく異なる
のは写真撮影厳禁というのがかなり徹底していて、係員が目を光らせ、始まる前の舞台や客席
での撮影もカメラを取り出しただけで注意される。しかし、会場への飲み物持ち込みは当たり
前のようで、売店で売っているビールやソフトドリンク片手に皆さん観劇するのだ。)

c0188818_18432649.jpg


ベン・ウィショーは、イギリスの若手俳優の中では一番の贔屓で、表情での巧みな演技・
感情表現力が抜群で、ハリウッド映画に出るアメリカ人俳優などとは一線を画している。
英国の映画俳優には多いのだが、きちんと演劇学校で訓練を受けているから、映画出演の
かたわら舞台に立つのも安心して鑑賞できる実力を持つ。
彼がバッコス役を舞台で演じると知ったのは、開幕したばかりの7月下旬で、新聞評を
たまたま読み、これは!と急いで予約サイトに飛んだのだが、チケット購入しようと色々
記入しているうちにどんどん席が埋まっていき、希望の日時はなかなか取れないのだった。
彼の生舞台を一度見てみたいと長いこと思っていたので、贔屓のコンサートを振って、ベン・
ウィショーの方を選んだ。ギリシャ悲劇、しかもエウリピデスの『バッコスの信女たち』と
きては、バッコスの信女を自任している私としては見逃すわけにはいかない。

c0188818_191714.png

さて、アン・カーソンによる新訳英語版のこの作品では、人間の姿で地上に降り立った
バッコス=ベンの朗々たるセリフ回しにまず安堵した。劇場は小規模で奥行きもあまりない
から大声で発声する必要はないが、聞き取りやすいゆったりとしたテンポというのがいかに
もギリシア悲劇の基礎を弁えていて、うれしくなった。現代的な衣装と現代英語であっても、
大時代的な発声・発音で古典の美しさを損ねない。
(素人芝居のギリシア悲劇を鑑賞すると、セリフがやたらと速くて、悲劇に浸れないことが
しばしばなのだ)

スリムでしなやかな体から発せられるとは思えないほど堂々とした声で、しかし、彼の得意
なある種狡そうな表情と、両性的なシナを作る所作とが、見事に現代のバッコスを体現して
いるのに思わず快哉を叫びたくなった。なるほど、こういうスーパースター的なバッコスに
女たちが我を忘れて熱狂するのは非常に納得できる。

c0188818_19205234.png


バッコスの信女たち、即ちギリシャ悲劇に欠かせないコロスたちだが、セリフの半分以上が
現代的に作曲された歌になっていて踊りもあるし、ちょっとミュージカル風演出で悪くない。
コロスの斉唱のようなセリフを聴くと、ああ、ギリシャ悲劇だなあ、という感慨をもつもの
だが、バッコスの信女たちである彼女らならば踊り歌うのが本領なのだから、ア・カペラで
歌わせるというのはギリシア劇の本来の姿に適ったものとも言える。

バッコスの信女たち=コロスは全員女性で、それ以外の登場人物は男優3人が演じ、入れ
替わり立ち代わりに衣装とメイクを変えて出てくる。その早変わりの妙。
ベンはバッコス、テーバイの盲目の老人、そして使者の役であった。それぞれ全く異なる
キャラクターであるため、声色も変えている。セクシーかつ狡賢く、人間を試すバッコス、
人間の老人そして若者それぞれの役柄を熱演したのだが、使者の役だけはおどおどと顔を
下に向け袖で顔を覆ったりしてセリフを言うので、聞き取りにくいのが残念であった。
しかし、彼の魅力の一つである、頼りなくイノセントで思わず抱きしめたくなるキャラは
ここに発揮されていた。

c0188818_19511944.jpg


新興宗教の教祖さながらのバッコスを捕らえるも、信女たちを取り締まるためには虎穴に入
らずんば虎児を得ずとバッコスからそそのかされ、女装して信女たちの狂騒の集いを覗きに
行ったテーバイの王ペンテウス(カドモスの孫でアガウエの子)だが、その母アガウエは狂乱
の果て真実を見る目を失い、わが子をライオンと思い込み狩りの獲物として仕留め八つ裂き
にして首を杖に刺して凱旋する幕が、悲劇の絶頂だ。
そのペンテウスとアガウエの両方の役を女装して演じる男優Bertie Carvelがなかなか上手い。
陶酔と覚醒そして悔悟が怒涛のように続けて押し寄せるさまを演じて圧巻。


中学二年の時『アンティゴネ』を舞台で見たのがギリシア悲劇との出会いで、それ以来、
蜷川幸雄演出『王女メディア』などの芝居や文学やオペラなど様々な形で身近にあるのだが、
こうして久しぶりに生舞台で役者によって演じられるのを鑑賞するのは、純粋に楽しい。
これからのロンドン遠征には観劇も加えようと決めたのだった。
[PR]
# by didoregina | 2015-09-23 19:58 | 演劇 | Comments(6)

佐藤俊介さんのロマン派・モダン・コンサート

2年前からオランダバッハ協会のコンサートマスターである佐藤俊介さんが、オランダ
南部丘陵地帯にあるウィッテムのヘラルドゥス修道院図書館で、ロマン派から20世紀の
レパートリーのコンサートを行うことを知ったのは、1か月前である。

c0188818_18283134.jpg


たまたま、私がコレクションしている画家の展覧会が同会場であって、そこで毎年9月に
開催されるKunstdagen Wittem(ウィッテム文化の日々)というコンサート・イヴェント
のブロシャーを貰ってきた。このコンサート・イヴェントでは数年前、エマ・カークビー・
リサイタルを聴いたことがある。今年の演目中、Shuann Chai & Shunske Satoによる
ロマン派プログラムというのに目を剥いた。佐藤さんがバロックとモダンの両刀使いとは
聞いていたが、モダン・プロでの彼の生演奏を聴く機会はオランダでは少ない。これは
聞き逃せないと、早速、チケットを予約した。
(余談だが、このコンサートの数日前に、同日同時に行われるユトレヒト古楽祭のファイ
ナル・コンサートのペア・チケットが今年も当選した。Gli Angeli Geneveによるタリス
のポリフォニーである。出演歌手メンツがはっきりしないが、もしやハナちゃんが出演
するのでは、と心が大いに動いたのだが、初心貫徹して、佐藤さんのコンサートを選び、
ユトレヒトには友人夫妻に代わりに行っていただいた。果たして、ハナちゃんが歌ったの
だった。。。。)

c0188818_18363110.jpgShuann Chai & Shunske Sato
@Kloosterbibliotheek Wittem
2015年9月6日

Johannes Brahms
4 Hungarian Dances (arr. J. Joachim)

Johannes Brahms
Sonata no.2 in A, op.100

[interval]

Frederic Chopin
Barcarolle in F-sharp minor, op.60

Henryk Winiawski
Polonaise brilliante no 2 in A, op.21

Maurice Ravel
Sonata in G for violin and piano


まず、コンサートの前に主催者が今回使用されるピアノについて説明。
ちょっと時代がかった荘重たる外見のこのスタインウェイ・コンサート・ピアノは、
なんと1873年にニューヨークで製造されたもので、アンティック・ピアノの現地コレク
ターが新しく修復したものという。会場であるウィッテムの修道院図書館も1880年建造
なので同時代インテリア的にぴったりと嵌まる。(まさか、それが理由でこのピアノを
選んだのではないだろうな。。。)
そしてまた、今回のプログラムにも時代的には合致する楽器である。(そういう凝った理由
であることを望むのだが。。。)

そして、出演者の簡単な紹介(コンサートに至るいきさつ)の後、ピアニストのショーンさん
(アメリカ人)が少々文法的に怪しいが愛嬌のあるオランダ語で演奏演目の説明をしてくれた。
2年前にショーンさんはここでフォルテ・ピアノのリサイタル(当然古楽)を行い、半年前
主催者に、興味深いレパートリーがあるから、パートナーのヴァイオリニストとコンサート
をしたいと売り込んだそうである。ヴァイオリニスト佐藤さんは、彼女のご主人なのである。
(二人とも外見は全くの東洋人だが、アメリカ育ち。)

c0188818_19513951.jpg

photo courtesy of Kunstdagen Wittem

まず、最初のブラームスのハンガリア舞曲(ホアヒム編曲版)から、佐藤さんは素晴らしい
冴えのある音色で聴衆の耳目を欹てた。
彼の演奏は、ヴァイオリンのソリストのステレオタイプ的なもの(自己中心的な立ち姿とか
大仰なジェスチャーとか、深刻ぶったり酔ったような表情になりがちで、ヴィブラートを
ビリビリ響かせたり、ヴィルチュオーゾらしさを下品なほど強調する)からは大きく外れて
いた。まず、服装も地味なグレーのごく普通のスーツであり、当日は眼鏡のせいもあって
なんだか新卒サラリーマンみたいなそっけない外見だが、彼の手元から流れてくる音楽は、
なんの衒いもない分ストレートに耳と心に届き、清冽。
大げさでないボーイングも指の運びも正確を期し、冷静かつ楽々と演奏しているように
目には写るが、重音やピッチカートなどが交差し次々と様々なテクニックが登場し、それを
いかにも軽々と弾き、そこから紡ぎだされる音色は緻密で目くるめくような多様性がある。
先日のコンサートでのバロック・リコーダー奏者テミングがど派手なアクションと超絶テク
ニックとで聴衆を魔法にかけたのとは丁度正反対のアプローチだが、結果的には、驚異的な
演奏で聴衆の度肝を抜いた点では同様。)
佐藤さんの全くケレンミのない演奏からは、大人の世界の穢れにまみれていないかのような
清潔感が漂い、それがいかにも古楽の人らしい安心感を与える。古楽オケのコンマスとして
身に付いた態度なのかどうかは不明だが、古楽っぽいストレートな演奏様式をロマン派レパ
ートリーにも適応して誠実な音作りなので、いかにもこの人の音楽には心を許せるという気
にさせるのである。

c0188818_19535271.jpg

photo courtesy of Kunstdagen Wittem


さて、休憩後は、まずショパンのピアノ・ソロ『バルカローレ』から。
比較的小規模な会場でのコンサートに相応しいインティメイトな選曲であるが、今日の
ピアノとの相性はいかに。
この1873年NY製スタインウェイは、重たそうな脚からも想像できるように、現代のスタ
インウェイとは全く音色も響きも異なるものであった。どちらかというとベーゼンドルファー
に近い重厚な感じの音で、鈴を転がすような音色の軽さが特徴のスタインウェイらしさが
全くない。
昔のエラールみたいな音色なのかもと期待したのだが、それとも異なり、だからショパンの
曲にはマッチしない。また、この木の内装の図書館の音響は悪くはないのだが、どうも情感に
乏しい演奏のためか、鈍重な音色のピアノそのもののためか、訴えかけてくるものがほとんど
なく印象に残らなかったのが残念だ。

ウィニヤスキーとくれば、ヴァイオリンのテクニック披露しまくりというイメージだが、
佐藤さんは相変わらず淡々と涼しい顔で軽々と、演奏している。さすがに、この後の拍手は
熱を帯びていた。
そして、最後はラヴェル。ジャジーなモダンな感覚が特徴のこの曲は、しかし、ラヴェル
らしい洒脱さも持ち味なのだが、いかんせん音色が重く切れ味のあまりよくないピアノの
せいか、四角四面になって遊びというか軽みが少々足りないのだけが物足りなかった。

しかし、今回、佐藤さんのモダン・ヴァイオリン演奏をこういう親密な雰囲気の会場で
聴くことができ、また佐藤さんが確固たる印象を聴衆に残したのはうれしかった。
(来月、オランダバッハ協会のコンサートで、彼はバッハのソナタを我がチャペルで演奏
してくれるので、今回のモダンとバロックとの聴き比べができるのがまた楽しみだ。)

c0188818_20172255.jpg

[PR]
# by didoregina | 2015-09-08 20:18 | コンサート | Comments(6)

Orpheus Britannicus ドロテー・ミールズとシュテファン・テミングのコンサート@ユトレヒト古楽祭

今シーズンのコンサート始めは、ユトレヒト古楽祭のOrpheus Britannicusと銘打った
コンサートで、ソプラノのドロテー・ミールズとバロック・リコーダーのシュテファン・
テミングの共演であった。

c0188818_1845462.jpgDorothee Mields, Stefen Temmingh
@Geertekerk,
2015年9月3日

Anoniem
A tune in je mad lover (instrumental)

Henry Purcell (1659 - 1695)
'Tis women makes us love. A catch

Johan Christoph Pepush (1667 - 1752)
Corydon, Recittivo, Aria Vivace, Recitativo, Aria Allegro

Henry Purcell
A slow air by je late Mr. Purcell (instrumental)
The plaint: O let me weep (from The Fairy Queen)
Ye gentle spirits of the air (from The Fairy Queen)

Arcangelo Corelli (1653 - 1713)
Sonate no.10 in F "as played by Mr. Babell" (instrumental)
Preludio:Adagio, Allemanda:Allegro, Sarabanda:Largo, Giga:Allegro,
Gavotta:Allegro

Henry Purcell
Celia hath a Thousand charmes (from The Rival Sister)
Celia hath a Thousand chames by he late Mr. Purcell (instrumental)

Tradidional
John come kiss me now


ユトレヒト古楽祭のコンサート・チケットの人気演目は、一般発売時にはもういい席は
ほとんど残っていないというのが毎年通例である。おととしも去年も今年も、オープニ
ング・コンサートやラルッペッジャータのコンサートはそれで諦めた。
England, my Englandと題した今年は、大御所ヘンデル以外のイギリス古楽を縦横に
集めたちょっと捻りの効いたプログラミングで、中でもかなりレアで今回を逃したら今後
おそらく生で聴く機会はあるまいと思われるジョン・エクルズ作曲『セメレ』に絞ることに
した。平土間5列目というまあまあの席がなんとか取れた。
『セメレ』と同じ日のこのOrpheus Britannicusコンサートも、行こうかという気になっ
た時にはもう悲しくなるような席しか残っていなかったのだが、当日何気なくサイトを眺
めたら、5列目ほぼ中央の席が3つ並んで出てきている。天の啓示かと喜び、即ゲット。

c0188818_18215541.jpg


















会場である教会のGeertekerkには、6月27日にユトレヒト室内音楽祭でのジャニーヌ・
ヤンセン他によるハイドン『十字架上の七つの言葉』コンサートを聴き行ったのだが、
2か月後に来てみると、夏休みに突貫工事を行ったと思しく、地下に新しいトイレが出来
ている。まだ漆喰は乾いていないし、階段も仮設だし、ペンキもこれから、という段階
だが、新しいトイレ個室が4つも完成しているのには驚いた。その機能性と清潔度も
ギリシャから戻ったばかりの私に感涙をもたらすに十分のすばらしさ。(冗談ではなく。
ギリシャのトイレの悲しさは、経験のある人にはわかってもらえるだろう)

今回のコンサートは、ドロテー・ミールズが目当てであったが、サイトやブロシャーを
見ると、バロック・リコーダーのテミングの写真が大きく、しかも「フランス・ブリュッ
ヘンの再来」とかの賞賛文字が躍る。
ふ~ん、という態度で、会場の多くの人たちも臨んだと思う。ブリュッヘンのお膝元の
オランダであるから眉唾にしくはないし、何しろ彼は今回がオランダデビューなのだから、
知名度は低い。

しかしである、チェンバロ、テオルボ、ソプラノ・リコーダーによる最初の器楽曲の
一小節を聴くや聴衆は膝を乗り出し、どちらかというとパパゲーノ的イメージ風貌の
テミングの派手なアクションの一挙一動に目を注ぎ、まるでハーメルンの笛吹男に踊らされ
そのあとに続く子供たちのようなたわいなさで、一曲目から彼の吹くリコーダーの音色の
マジックに乗せられてしまったのである。
千変万化の音色は、まるで魔笛。その魔力や凄まじく、唖然となったあと、こりゃすごい、
と我に返った。

c0188818_18435367.jpg

テミングがコンサートで使用した各種リコーダー。

それからミールズの歌との掛け合いになると、これがまた驚き。彼がリードする形で歌の
伴奏ではなく、助奏には違いないのだが、今まで私が抱いていたオブリガートの概念を全く
覆すような演奏なのだった。
歌に適した音域・音色のリコーダーをとっかえひっかえ選び使用しているため、非常に
人間の声に近いものとなり、まるで二人の歌手のデュエットを聴いているような感じを
覚えさせる。人間の歌声には多彩な色が付けられるのだが、それと対等の音色を彼は
リコーダーから引き出すのだった。
歌手の歌声と伍すリコーダーの競演とはなんとも楽しいものである。

そして、リコーダーが活躍のコレッリのソナタとなるともう超絶テクニックの連続技で
聴衆の度肝を抜き、またそれがいかにも軽々と演奏されているため、会場は拍手万雷。

ミールズ目当てで来た聴衆が多そうだが、皆なんとも愉快なリコーダーの魔術に罹って
大満足である。
そして、ミールズももちろん、清楚で可憐な歌声でイギリスの古楽歌曲らしい雰囲気を
盛り上げた。

丁度一か月前、ロンドンのグローブ座サム・ワナメイカー・プライハウスで、アナ・
プロハスカとアルカンジェロによるラクリマと題したイギリスとイタリアの古楽歌曲を
中心としたコンサート(パーセル、ダウランド、カヴァッリ、ストロッツィ、メルーラ)に
行ったのだが、今回のと聴き比べると、ソプラノ両者それぞれの個性が選曲にも歌唱
スタイルにも発揮されていたことがよくわかる。
プロハスカちゃんのは、メランコリックなイギリスものもイタリア・バロックの場合特に
その野趣性というか荒々しさを強調した、ちょっといがらっぽさをのあるような喉での
歌唱がよかったが、ミールズはそこまで汚れ役をしないタイプであろう、ふくよかで自制
心のある歌唱という印象。

c0188818_19145134.jpg


アンコールは『グリーン・スリーブス』で、ここでもリコーダーが大活躍。
(ちなにみ先月のプロハスカちゃんのアンコールは『スカボロ・フェア』で、蓮っ葉な感じ
の歌唱が彼女らしかった。)
『グリーン・スリーブス』は、ミールズの大人の女性らしい誠意を込めた丁寧な歌唱で、
リコーダーがそれに呼応しつれなき相手への思いをかき口説く。
この曲に合わせてミールズはグリーンのドレスを着ていたんだ、と今にして思う。
[PR]
# by didoregina | 2015-09-06 19:23 | コンサート | Comments(0)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


by didoregina

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

プロフィール

名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


最新のコメント

Vermeerさま、多分..
by レイネ at 01:38
トマスのソロ・コンサート..
by Vemeer at 01:25
Vermeerさま、この..
by レイネ at 20:56
詳細なレポート、楽しく拝..
by Vermeer at 18:02
ロンドンの椿姫さま、それ..
by レイネ at 17:03
大満足のマスタークラスで..
by ロンドンの椿姫 at 23:41
鍵コメさま、ヴェロニカ・..
by didoregina at 18:57
Mevrouwさま、北海..
by レイネ at 18:46
レイネ様も怒涛の更新で、..
by Mevrouw at 23:33
Mevrouwさま、サー..
by レイネ at 22:10
Mevrouwさま、夏の..
by レイネ at 22:05
新作オペラに挑むのは本当..
by Mevrouw at 20:56
クロアチア~ベネチアを自..
by Mevrouw at 20:27
Mevrouwさま、ご高..
by レイネ at 20:19
ようやく一息つける日なの..
by Mevrouw at 19:57
Mevrouwさま、癒し..
by レイネ at 16:49
このところネットからも音..
by Mevrouw at 16:37
斑猫さま、もうすでにパリ..
by レイネ at 16:57
ロンドンの椿姫さま、まさ..
by レイネ at 16:54
こんにちは CT研究会..
by 斑猫 at 00:16

以前の記事

2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月

タグ

最新のトラックバック

究極の愛を描いたワーグナ..
from dezire_photo &..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
倉冨亮太さんの繊細な美し..
from dezire_photo &..
ダイナミックで刺激的な多..
from dezire_photo &..
贅沢と快楽に生きる娼婦な..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..

カテゴリ

全体
バロック
映画
オペラ実演
オペラ映像
オペラ コンサート形式
着物
セイリング
コンサート
美術
帽子
マレーナ・エルンマン
イエスティン・デイヴィス
クイーン
CD
20世紀の音楽
旅行
料理
彫金
ビール醸造所
ベルギー・ビール
ハイ・ティー
サイクリング
ダンス
ハイキング
バッグ
教会建築
カウンターテナー
演劇
未分類

検索

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

音楽
映画

画像一覧