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2013年のベスト映画

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暮れも押し詰まると、一年を振り返って、様々なベスト10を出してみたくなるのが人情である。

いつの間にやら、リュミエール来場者およびスタッフの選ぶ2013年ベスト映画が決定していた。

1. LA GRANDE BELLEZZA - Paolo Sorrentino (152p, 20 stemmen)

LA VIE D'ADÈLE - Abdellatif Kechiche (152p, 20 stemmen)

3. THE ACT OF KILLING - Joshua Oppenheimer (140p, 17 stemmen)

4. SPRING BREAKERS - Harmony Korine (68p, 13 stemmen)

5. TABU - Miguel Gomes (68p, 9 stemmen)

6. BORGMAN - Alex van Warmerdam (66p, 12 stemmen)

7. GRAVITY - Alfonso Cuarón (57p, 11 stemmen)

8. THE MASTER - Paul Thomas Anderson (47p, 7 stemmen)

OH BOY - Jan Ole Gerster (47p, 7 stemmen)

10. BOVEN IS HET STIL - Nanouk Leopold (41p, 8 stemmen)

点数の出し方は、各人が選んだベスト10の第一位を10点、第二位を9点という風に割り振って
合計し採点したものだ。(pが合計点数、stemmenは投票者数)

第一位は、わたしの推すLa Vie d'Adéle(邦題『アデル、ブルーは熱い色』)と、NRC新聞上で
批評家たちが選んだナンバーワンのLa Grande Belezzaとが同点である。
前者がベスト映画に選ばれているのが、リュミエール観客の面目躍如だ。こういう映画を好む
人たちが多いマーストリヒトに住むことの幸いを感じる瞬間である。

2013年にオランダで封切られた新作映画のうち、わたしが見たのは、Volkskrant紙サイトの
映画リストを参照すると、以下の25作である。(アルファベット順。)

Alceste a bicyclette

Blancanieves

Camille Claudel 1915

Eat Sleep Die

L'Écume des jours

Elle s'en va

Great Expectations

The Great Gatsby

I, Anna

Kid

Like Father, Like Son (Shosite chichi ni naru)

Like Someone in Love

Lincoln

Lore

Meteora

Night Train to Lisbon

The Patience Stone

Le Passé

La Religieuse

Shokuzai

Stoker

Tabú

Thérese Desqueyroux

La Vie d'Adéle

Zero Dark Thirty

そのうちブログ記事にしたのは、わずかに14作、ほとんど半分だけという事実にびっくり。
書くほどでないという内容の映画は皆無で、どちらかというと、すでに話題になっているから敢えて
わたしがわざわざ書く必要が感じられなかった、もしくは、ヴァカンス、里帰り、遠征、その他のことに
忙しすぎて書く時間がなかった、というだけである。
そして、上記新作以外の映画もTVやDVDなどで見ているわけだから、どうしてもブログ記事に
できる量は限られてしまうのだ。しかし、それに関しては反省すべき点もある。来年は、もっと
しっかり時間管理をしてなるべく沢山記事にしたいと思う。つまり、自分自身のためのアーカイブと
いう意味で、後に知りたいと思っても記録に残しておかないと忘却の彼方に霞んで、後悔する
可能性が大きいからだ。
こういうものは、文字にして記録しないと、記憶からも去ってしまいやすいものである。

さて、前置きが長くなったが、わたしの2013年ベスト映画は以下の通り。

1.La Vie d'Adéle
2.Blancanieves
3.Tabú
4、Lore
5.Night Train to Lisbon
6.Le Passé
7.Zero Dark Thirty
8.Eat Sleep Die
9.Elle s'en va
10.Like Father, Like Son (Soshite chichi ni naru)

例年のごとく、実質的に意味のある順位は1,2位のみで、残りはベストテンにするため無理やり
選んだようなもので、順番はどう入れ替えても構わない程度の僅差である。
新作映画で見た作品やブログ記事にしたものは、フランス映画がダントツに多いのだが、ベスト
テンにして並べてみると、フランス、スペイン、ポルトガル、ドイツ、スイス、イギリス、アメリカ、
スウェーデン、日本となんとも公正に各国作品を網羅したかのような結果になったのは、我ながら
不思議だ。
ある種の、映画祭審査員的配慮のようなバランス感覚が働くのだろうか?

元旦には、リュミエール観客およびNRC評論家が2013年ベストに選んだ La Grande Belezza
を家族そろって見に行こうと思う。
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by didoregina | 2013-12-31 15:52 | 映画 | Comments(0)

怒涛のカウンターテナー・ルネッサンス・イヤーを振り返る

「今年はカウンターテナー・ルネッサンス」宣言を行ったのは、今年2月8日の記事だった。
しかし正確に言うと、丁度一年前の12月17日が、わたしにとってのカウンターテナー・
ルネッサンス・イヤー元旦であったのだ。
すなわち、ケルンでヴィンチ作曲『アルタセルセ』を鑑賞した日である。http://didoregina.exblog.jp/19021085/

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その日から、めくるめくセンセーションと驚愕と出会いに満ちた一年が始まった。
その怒涛の一年を振り返ってみたい。

この『アルタセルセ』のCD録音および、ヨーロッパ各地での舞台形式およびコンサート形式
上演は、現在ヨーロッパで進行中のCT革命のマイルストーンとして21世紀音楽史上に残る
画期的出来事だった。
比較的マイナーなバロックオペラの全曲録音・上演であることに加えて出演歌手は男性のみ、
そして現在注目すべき若手実力派カウンターテナー5人が出演したのだった。フィリップ・
ジャルスキー、マックス・エマニュエル・チェンチッチ、フランコ・ファジョーリ、ヴァラール・バルナ=
サバドゥス、ユーリ・ミネンコ。
(同様の先例としては、男性歌手のみ出演しかも若手カウンターテナーが9人登場して、
クリスティー指揮、ラザール演出で、ランディの『聖アレッシオ』がすでに2007年にカーン、
パリなどで上演されているが、わたしは未体験)

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ケルンでの『アルタセルセ』公演は、当初の予定とは変わって、コンサート形式での上演と
なった。舞台形式でないことを残念に思ったのだが、実際に鑑賞してみるとコンサート形式だと
歌唱に集中できるからそれはそれで悪くないのだった。

カウンターテナーの声と歌唱は、録音を聴いただけでの判断は禁物だ。
生の舞台で見て聴いて、ようやく個性が発見できたりよさを納得できたり欠点もわかるものだ。
その際、CTが1人だけ登場するオペラよりも複数登場のオペラの方が、比較対象が多くなって
面白さの度合いはずっと高まる。
また、舞台上ではCT同士の間で、ある種のライバル意識も働くため、単独の場合よりもずっと
素晴らしい歌唱を披露するということが往々にして起こる。
個々のCTの個性がぶつかり合って炸裂するのを眼にし耳にする醍醐味!
彼ら若手CTは、いずれ劣らぬ実力を誇り、つい数年前までは考えられないほどの多様性を
見せる。技術の進化した、現在のヨーロッパにおける最新CTの姿がこのプロダクションでは
まとめて堪能できるのである。


TV放映された『アルタセルセ』舞台の全編ヴィデオ。


              キッチュで安っぽくケレンミ溢れる演出でバロックオペラの本質抽出。



そして、2月には、ヘアハイム演出によるヘンデルの『セルセ』をデュッセルドルフで鑑賞した。
http://didoregina.exblog.jp/19232452/



2011年にウィーンで、マレーナ・エルンマン主演、スピノジ指揮、エイドリアン・ノーブル演出の
『セルセ』を鑑賞しているので、デュッセルドルフでのヘアハイム演出のタイトルロールをCTの
ヴァラール・バルナ=サバドゥスが歌うことに興味津々だった。
マレーナ様とサバドゥス君の声はよく似ていると思う。彼の声、特に高音は、表面を覆う膜が
引き伸ばされて薄くぴんと張った感じで、ストレートに響く美しいメゾそのもので耳に心地よい。
そして、核に男性的な野太さを感じさせるのだが、全体のテクスチュアにマレーナ様の声と
共通する部分が多い。肺活量が多そうなのは、男性であるCTの長所か。
マレーナ様のズボン役は、実際に舞台鑑賞すると驚愕するくらい、姿かたちも態度も演技も
男性そのものになりきり、他のメゾ歌手の追随を全く許さない。
セルセ役をCTが歌うことは稀なのだが、サバドゥスの自然な高音がそれを可能にし、
若さと舞台映えするルックスも相まって、マレーナ様セルセと拮抗する出来栄えだった。
ヘアハイム演出のスラップスティックそのものの舞台、Xerxes=Sex Rexという設定では
CTの方が無理がなく、彼は正に適役。
弟アルサメーネ役がやはり若いCTのテリー・ウェイで、サバドゥスとはいいコンビであった。


サバドゥスは、夏のエクサンプロヴァンス音楽祭でも、カヴァッリ作『エレナ』のメネラオ役に
抜擢された。爽やかな歌唱が印象的で、将来有望株No.1であることを再確認した。
(TV放映のみの鑑賞だったが)

TV放映された『エレナ』の全編。





7月には、アムステルダムのDNOでブリテンの『ヴェニスに死す』を鑑賞した。
http://didoregina.exblog.jp/20490829/

この作品に登場するCTは1人で、アポロ役のティム・ミード。生の彼の声を聴くのは初めてだ(と思う)。
しかし、このオペラはブリテン作曲ゆえかほぼテノールの独り舞台という趣で、CTの歌唱および登場
部分は予想以上に少ないため、ミードの歌唱はノーブルでストレートでいかにも英国系CTらしい
なあ、という程度の言うもがなの感想しか持たなかった。
初めて鑑賞するこの作品そのものにも演出にもとてもハマったのに、CTにはさほど特別な感慨を
抱かなかったのは、歌手のせいなのか、それとも、あまりに濃いヨーロッパ大陸(および南米)の
CTに耳や感覚が慣れてしまって、淡白な英国人CTの歌唱があっさりしすぎで物足りなく感じたの
かは、定かではない。

演出のウォーナー女史のインタビュー入りトレイラー。スカラ座公演でのCTはイエスティン・デイヴィス。






9月には、アムステルダムのコンセルトヘボウで、コンサート形式のヘンデル『アレッサンドロ』。
http://didoregina.exblog.jp/20785631/

これも『アルタセルセ』同様、今を時めくパルナッソス・アート・プロダクションズによる製作だ。
ラング氏主宰のこの事務所は、近年、若く優秀なCTを集結させて、比較的マイナーなバロック・
オペラの全曲録音やその舞台化などに意欲的に取り組んでおり、CTルネッサンスもこの事務所
抜きにしては考えられない。ヨーロッパのCT界最先端を牽引しているのである。

こちらは、一年前に録音されたCDプロモーション用トレーラー




出演のCTは、マックス・エマニュエル・チェンチッチ、シャビエル・サバタ、ワシリー・コロショフ。
個人的な好みではあるが、主役で花形歌手であるチェンチッチの成熟しきった声と歌唱よりも、
サバタの温かみを感じさせる豊かな低音からリリカルな明るさのある高音まの幅の広さ、そして
会場全体に届くプロジェクションに感嘆させられた。やはり、CTの歌唱は生で聴いてナンボ、
そして複数のCTが同じ舞台に立つことで個性の比較が容易にできて楽しさ倍増だということを
再確認したのだった。



特にCTが重要な役を演じたわけでははないが、バルセロナで鑑賞した『アグリッピーナ』にも
オットーネ役でディヴィッド・ダニエルズが出演していた。
http://didoregina.exblog.jp/21059013/



この動画をご覧いただくと、CTの新旧の違いが一目瞭然であろう。
ダニエルズ氏は、アングロサクソン系CT旧種の代表格と言える。ファルセットのようにしか聞えず
(「女の腐ったような声」と形容した人もいる)、変化に乏しい歌唱で、パワー不足の感が否めない。
一昔前のCTのイメージそのものである。
ただし、氏の名誉のために付け加えると、リセウでの実演で接した彼の歌唱は、この動画ほどは
酷くなかった。会場の音響が良かったせいだろうか、豪華キャストの中で彼一人が足を引っ張るの
ではないかと恐れていたほどではなく、ホッとしたのであった。



バルセロナ遠征から戻って間もなく、わたしにとってのカウンターテナー・ルネッサンス・イヤーに
急展開が起こった。
イエスティン・デイヴィスとの出会いである。
ヨーロッパのCT達とは全く異なる進化を遂げた、イギリスのCTを再発見することになったのだ。
(パーセル3曲とブリテンの『カンティクルズ』コンサートの英文記事を書いた。)
http://didoregina.exblog.jp/21023113/

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バロック・オペラおよびCTを熱く語る、(在欧)日本人とヨーロッパ人から成るコミュニティーに日夜
浸っていると、イギリスやアメリカでのCT動向に疎くなる。CT先進圏の真っただ中にいるものと
思い込んでしまうからだ。
そして、もともとヨーロッパ大陸と、英米というアングロサクソン国とではCTのキャラクターも大きく
異なっているのだ。
ヨーロッパでは、バロック・オペラには欠かせない存在だったカストラートの再来を思わせるような
装飾や色彩感に溢れた、ベルカント様式を感じさせる歌唱を、男性ならではのパワーで聞かせる
実力を持つ頼もしい新CT種が百花繚乱のごとく咲き誇っている。
それに対して英米のCTは一般的に、聖歌隊出身であるためか清廉で上品だが、色気の足りない
歌唱が主流のように思われる。
これら両者をいっしょくたに語ることはできない。CTと言えども、ほとんど異なるカテゴリーに属して
いるからだ。
その違いを、友人の言葉を引用しつつ例えると、「ヨーロッパのCTは金銀使った彩色写本の趣で、
英米のCTは石に彫ったローマ字体のようだ」
前者は、直射日光を避けた修道院の図書館で見ることができる写本の彩色が施されて装飾で
飾られた文字のどこか隠微な匂いのする人工的な美しさで、後者は、楷書体のようにストレート
かつシンプルだが外光の下で映える健康的で端正な美しさである。

そして、いつの間にか、イエスティン・デイヴィスは、ヨーロッパのCTとはまた別の方向ではあるが、
新種CTらしい進化を遂げていたのだ。


彼を意識して聴いたのは、2011年のウィーンでの『狂えるオルランド』でルッジェーロ役を歌った時
だった。http://didoregina.exblog.jp/17015440/

その衝撃は忘れられない。いわゆる教会系のケレンミのないストレートさで勝負の歌唱なのに
しっかりと男性的かつパワフル、安定したプロジェクションで声はびんびんと飛んでくる。
ボーイッシュな澄んだ高音から中音域・低音まで滑らかに繋がり、アジリタも気持ちよく、かつ、
歌心に深みを感じさせるのだった。これぞ進化したCTの理想の声と歌唱ではないかと思った。
なんとなくお行儀のよすぎるようなイメージだった彼と、ヴィヴァルディ(およびスピノジ指揮)との
相性の良さも意外だった。

2006年録音のヴィヴァルディ『グリゼルダ』から、イエスティン・デイヴィスの歌うコッラードのアリア
Alle minacce di fiera belva



しかし、彼の場合、その後出演したオペラ・レパートリーに現代ものが多かったことと、活躍の場が
イギリス、アメリカ、もしくは南ヨーロッパであることが多かったので、実演に遭遇する機会がなんと
2年間なかったのである。その間、彼は、メトロポリタン歌劇場のブリテンのオペラ『真夏の夜の夢』で
主役を張るくらいに成長していた。

ブリテン作曲『カンティクルズ』のヴィデオ・リンクを張るので、ご視聴いただきたい。
http://www.theguardian.com/music/video/2013/nov/20/britten-centenary-the-canticles-video

ティペット、ブリテン、アデスによる編曲によってかなり現代的な味付けとなり、わたしの舌には
馴染みがないほど変貌していたパーセルの3曲とカンティクルズ2曲を彼が歌うのを聴いて、
ボーイッシュという形容を使うのはためらわれるほど大人っぽい深みのある声で、高音にも
男性らしさが混じっているし、熟成された中低音の美しさに新たな衝撃を受けたわたしは、
コンセルトヘボウに続いて、二年間の空隙を埋めたいという念に駆られ、ブリュッセルのモネ
劇場に同じプログラムを聴きに行ったのであった。

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年の終わりに近づいてから思わぬ新発見に巡り合うことのできた2013年は、わたしにとってまさに
センセーショナルなCTルネッサンスの一年だったのだ。
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by didoregina | 2013-12-19 16:32 | カウンターテナー | Comments(18)

スカラ座シーズン開幕の『椿姫』

スカラ座のシーズン開幕演目は、毎年イタリアはもちろんヨーロッパの他の国でもTV中継・
放映される。
つまり、国家的(汎ヨーロッパ的)・文化的に非常に重要なイヴェントなのである。
だから通常は、開幕前から様々な話題で盛り上がるものである。しかしなぜか、今年は事前
にブログやFBなど、わたしの周りでは全く話題にならなかった。だから、当日新聞のTV欄を
見て、「お、今晩がそうなんだ。夕ご飯後に皆で観よう」と思った程度で、サイトなどにも
全くチェックを入れず、ほとんど白紙状態でTVの前に座った。
「椿姫」は、ヴェルディー・イヤーの最後を飾る、しかもスカラ座のシーズン開幕演目に
まことにふさわしい演目だなあ、とプロセッコを飲みつつ、うきうきしながら。

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TV放送では、最初の国歌演奏のあたりは見逃して、丁度序曲が始まるところから見始めた。
ダムラウのヴィオレッタが、一人姿見の前に立っている。
無声映画時代のハリウッド女優風の金髪に赤い椿の花を挿し、薄手の青いロングドレス姿で
パウダーをはたき、眉墨を塗る。いかにもレトロチックな小道具とけだるげな仕草と佇まい
である。


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しかし、そのヴィオレッタのドレスのクレープのようなドレープも、シフォンの袖も、実に
容赦なく中年太り体型を顕わにしてしまう素材とデザインなのに唖然としてしまった。
ミラノはモードの中心地、しかも椿姫のドレスがこんなのでいいのか?
ダムラウは「こんなにデブに見えるドレス着たくない!」と駄々をこねなかったのであろう
か?
ここらあたりから、もしかしてこの演出は通常の規格に収まらないものなのかも、と思えて
きた。
しかし、まだその段階では、「ダムラウは産後の肥立ちが良すぎて、ミラノの服飾パターン
技術をもってしても隠せないほど、ブクブクの体型になってしまったのかしら」と怪しんで
もいた。

序曲の緩の部分は、悲劇性を否が応でも強調した寂寞に震えるような美しい音楽である。
それに呼応するように、演出でも、盛時のヴィオレッタに忍び寄る凋落の予兆が最初から
暗示される。
音楽と演出に齟齬はないのだが、なんだか妙な肌触りというか、微妙な感覚を覚えるのだった。

一転して音楽が明るく変わり、緩から急へと転回する。三々五々登場するパーティーの客たち
は、70年代風の服装や髪形の人が多い。
すなわち、時代設定は多分70年代か80年代で、「偽レトロ」の冒頭での無声映画風ヴィオ
レッタとアンニーナは、一種の「コスプレ」をしていたのだとわかるのである。
「偽レトロ」と「コスプレ」は、この演出のキーワードである、と気づいたのは観終わって
後のことではあったのだが。

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アルフレードは、遊び慣れないボンボンであることを強調するため、イケてない髪形に鼠色の
スーツ、ノータイという格好である。とてもオーソドックスで問題ない。
と思いきや、パーティの最中、ヴィオレッタとアルフレードはほとんど眼差しを交わさない
のでまたもあれっという違和感。
ヴィオレッタは徹底的に「年増の浮かれ女」を自ら演出・演技していて、アルフレードに対
しては若造というより子供と見なしているようで、おちゃらけて接するので、またまたあれれ?
と疑問符が浮かぶ。
二人だけになっても、ヴィオレッタとアルフレードは視線も合わせず、もちろん「物理的な
触れ合い」など皆無である。
年増女のプライドと矜持で、若造アルフレードに接するヴィオレッタって、往年の女優気取り
なのだろうか?それで、引退した往年のハリウッド大スター(実はその娘によるボディーダブ
ル)と彼女を崇拝する若い男との悲恋を描いた『フェードラ』という映画を思い出したの
だった。
親子ほども年の違う若い男との恋愛が本物になることを恐れているのか、感情を隠して、
冗談めかした態度で徹底して接するヴィオレッタ。
赤い椿を渡して「愛想づかし」のそぶりというか、大女優気取りで、追っかけファンみたいな
アルフレードを退却させるのだった。
「不思議だわ」とアンニーナと二人だけになってから歌うヴィオレッタ。真剣な恋に落ちる
なんてあんたにはありえないよ、とでも言い合うかのように、二人の年増女のガールズトーク
になっている。
結局、第一幕では、ヴィオレッタとアルフレードは、手さえ握らず視線も交えず、互いへの
愛情の吐露という演技や場面は皆無なのであった。
ううううう~む、なんとも微妙な演出、腑に落ちないと思いつつ、しかし、そのなんとも
不思議な面白さに、わたしは引き込まれていったのだった。

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第二幕第一場の舞台は、ヴィオレッタとアルフレードが郊外に借りた愛の巣だ。
この舞台装置がまた、びみょ~なのだ。なんだか、中欧・東欧に見かけそうな田舎っぽい
インテリアで、ダサさを誇張するため家具や小道具が実物よりも1.5倍くらい大きく作られ
ている。手がかかっているといえば言えよう。
そして、人物の格好も田舎っぽいのだが、ヴィオレッタはパリの高級アパルトマンにいる
ときよりも随分と若々しい。かつらも派手なメークもしていないのに、かえって可愛らしく
みえる。
アルフレードは、キッチンのテーブルでパンをこねたり、バイ生地を伸ばしたりとまめまめ
しい主夫ぶりである。ベチャワは、そういう動作をしながら歌うのだ。ファンにしてみたら
どういう心持だろう。

パパ・ジェルモン登場。
いかにも冷たく、身勝手で傲岸なタイプとして描かれているのが新鮮と言えば新鮮である。
娘と息子の幸せを願うばかりに、ヴィオレッタには息子と手を切ってもらおうと迫る高飛車な
態度も悪者然として恥じることない。
最初は、そんな理不尽な別れ話など到底納得できません、と健気で強気な態度だったヴィオ
レッタもパパ・ジェルモンの高圧的態度に、ついには折れる。義理と人情には勝てないのだ。
お互い苦しみを分かち合おうというのではなく、抱擁もパパは嫌々ながらする、と言う感じだ。

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    アルフレードが帰ってくる。窓の外から中の様子をうかがう陰湿なパパの姿も見える。

ヴィオレッタが去った隙に、「プロヴァンスの海と陸」を歌いながら息子を諭そうとするパパ
と、イラついてパイ皮をこねたり野菜をぶった切ったりする(あぶないよ、指切るよ、と思っ
てるうちにやっぱり血が出た)アルフレードの態度に直情型な性格がよくわかる。うろたえて、
戸棚の中を探したり落着きのないアルフレードである。
ヴィオレッタが去ったと知り、茫然自失ののち、妙にマッチョぶると言うか虚勢をはる父と息子
なのであった。この父にしてこの息子あり、という印象を与えるための演技がこれでもかという
ほど強調されている。


第二場、フローラ邸宅でのパーティだ。
招待客は変な人たちばかりというのはお約束であるが、そこで繰り広げられる場面はエロでも
グロでもない。ブラックタイ姿で現れたアルフレードに人々の好奇の視線が集中する。皆から、
同情や慰めの言葉をかけてもらうアルフレードの居心地はよくない。まるで、彼という存在
そのものがパーティの一番の見どころみたいな具合である。実際、マタドールの歌の最中にも
ダンスやその他の人々による余興があるのではなく、人々の注目の的になっているのはアル
フレードなのである。
このあたりの演出は、焦点の定まりという点で傑出していると思う。すなわち、シンプルに
整理された舞台上の人々の演技で、彼らの全視線がアルフレードに向けられて、彼がその場の
中心人物であることが観客にも一目瞭然なのである。客席と舞台上の視線の対象が一致して
いるというのは、視線が分散しないから集中度が高いし舞台全体の密度も高まり、非常に
効果的だと思うのだ。

そこに現れたヴィオレッタは、ダムラウの顔立ちからも金髪のカーリーヘアのかつらや服装
からも、ベット・ミドラーを思わせる。ここでも、映画女優風に自らを演出しているヴィオ
レッタのちょっとコスプレがかったヴァーチャル好きな病的性格がうかがえるのだ。

どのみちパパには頭が上がらないアルフレードだから、罵倒したり札びらで頬をぶったりして
貶めたヴィオレッタにかえって慰められる有様である。情けない男の典型だ。カーリーヘアの
かつらをとってアルフレードの手を握るヴィオレッタ。しかし、この時も二人は視線を交わさ
ないのだ。嫌々ながら握手して別れるのだった。

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第三幕は、瀕死のヴィオレッタの殺風景なアパルトマンなのだが、このヴィオレッタはなか
なか死にそうにない感じである。落ちぶれて、治る見込みのない病気なのに、今までのどの
場面よりも美しく見えるほどだ。
往診に来る医者は棒立ちで、病人とは距離を置いたまま同情もなにも示さない冷た~い態度。
やっぱり今回の『椿姫』に登場する男たちは一様にヘンなのだ。
第三幕では、ダムラウの歌唱の冴えがより一層際立つ。ますます死にそうになく、迫力満点
である。
「過ぎし日よ、さようなら」も、辞世の歌ではなく、今まで生きた証よ輝けとばかり、満身の
力が込められている。病気とか衰えを感じさせないから、まるで、歌手の引退公演のような
具合である。
だから、しばし拍手は鳴りやまなかった。

外から聞えてくるカーニヴァルの音楽で起き上がるヴィオレッタはますます元気いっぱいだ。
そこへ、へんな花束と菓子箱を持ってアルフレードが登場する。いかにも気が進まない病人
見舞いに来たかのように、お仕着せっぽく、気が利かない、愛情の感じられないプレゼント
である。
再会の喜びを歌いつつ、やはり二人は近づかない。病気が移るのを恐れているのか、アル
フレード?
デュエットの最中も、別のことをしている二人である。
病人の肩を抱いたり、膝をなでたりとか、慰めの態度をとったら?と見ている方は思うだろう。
とにかく、気まずい雰囲気のままの二人なのであった。
写真箱から若いころの自分の写真を出して、死んだ私をこれ見て思い出して、とアルフレー
ドになんだかヴィオレッタ本人とは思えない人の写真を渡すのだが、なぜか後ずさりするアル
フレードなのだった。
アンニーナが気を利かせて、男たちを部屋から退却させる。

気分が晴れた、病気が治るかも、と明るいヴィオレッタは、まだまだ死にそうにない。しかし、
あっけなく一瞬で事切れたヴィオレッタの部屋の戸口に引けてる男たち三人を、完全に最後に
は追い出すアンニーナなのであった。そこで幕切れ。

当然、演出に対しては激しいブーイングの嵐であった。
音程が不安定で、決まることがなかった歌唱のベチャワもブーであるが、これには変人アル
フレードという今回の役割も減点対象に入っているだろう。厳しい評価であるが致し方あるまい。

ようやく見終わってから、演出はチェルニャーコフなのだと知った。知って納得、思わず膝を
打った。
私的には、この演出はかなり楽しめたのだった。

なぜかというと、ヴィオレッタの性格・態度に、コスプレで演出した自分と本当の自分自身
との見分けがつかなくなった女の哀しみがあふれ出ていて、同情を誘ったこともある。
かつらと化粧という虚飾を取り外して素のままの自分を捧げたアルフレードは、どうしよう
もない男であることが最後によくわかった。
虚勢を張って生きた女の一生に目を見はらされたのだった。

Direction
Conductor   Daniele Gatti
Staging e sets   Dmitri Tcherniakov
Costumes   Elena Zaytseva
Lights   Gleb Filschtinsky


CAST
Violetta Valery   Diana Damrau
Flora Bervoix   Giuseppina Piunti
Annina   Mara Zampieri
Alfredo Germont   Piotr Beczala
Giorgio Germont   Željko Lučić
Gastone   Antonio Corianò   
Barone Doupho   Roberto Accurso
Marchese d'Obigny   Andrea Porta
Dottor Grenvil   Andrea Mastroni
Giuseppe   Nicola Pamio
Domestico di Flora   Ernesto Petti
Commissionario   Ernesto Panariello
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by didoregina | 2013-12-13 17:42 | オペラ映像 | Comments(38)

リセウでの『アグリッピーナ』に着物で  バルセロナ遠征記その5

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             バルセロナど真ん中のランブラス、そのまたど真ん中に建つリセウ歌劇場


世紀のオペラ・プロダクションを見るための遠征であるから、着物コーデは吟味に吟味を重ねた。
グルベ様リサイタル同様、『アグリッピーナ』鑑賞にも10代の時、お茶会用に誂えてもらった派手な
小紋で行くことにした。多分、手持ちの着物の中で一番華やかで若々しい色柄である。

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    慶長小袖風の柄行と色がゴージャスな歌劇場にはぴったり。
             

雑駁なランブラスからは想像もつかないくらい、リセウ歌劇場の中はエレガントでゴージャスな
雰囲気だから、いくらドレスアップしても浮きすぎるという心配はいらない。
着飾って来てくれてありがとうと、かえって、周りの人からも劇場からも感謝されるくらいである。


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                        フォアイエの天井


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             着物の地色が臙脂がかった赤や金なので、帯も格が合うように
             グリーンからパープルにグラデーションになって金粉も散らして
             ある綴りの袋帯。帯揚げと帯締めは紫。


劇場関係者や観劇に来ている人達にも予想以上に喜んでいただけたのは副産物であって、
主目的は、マレーナ様である。
着物を着て出待ちをしていれば、楽屋口から出てきたとたんに目につくので、向こうからすぐに
ハグしてくれるのだ。「また、会えてうれしいわ」と。

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              ゴージャス着物のわたしと、ランブラス仕様の格好のマレーナ様。
              すごくミスマッチだが、なんのその。「次はいつ会えるの?」と
              スターご本人から言われる至福!Cloud 9のわたし。


そのあと、ダニエルちゃんもやってきた。
彼女は、聞くところによると着物萌えタイプであるらしい。
とても愛想がよく、「どちらから?」とか「まあ、いつかウィーンにもいらしてたのね」とか、なかなか
離れない。
そこへ、ようやく最後にサラ様が楽屋口から登場。
しかし、なぜか立ち並ぶファンを避けるかのように、そそくさと夜の闇に消えて行きそうになった。
これは、まずい、とダニエルちゃんを振り切って、サラ様を追いかける。
ようやく後ろ姿に向かって、「素晴らしい舞台をありがとうございました」と声をかけることができ、
ちょっと振り向いてもらえた。ほとんど立ち止まらず、とてもお急ぎのご様子で、ツーショットなど
頼める雰囲気ではないのだった。

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                出待ち写真やツーショットは無理だったサラ様の
                アグリッピーナのカーテンコール写真。
                
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by didoregina | 2013-12-08 11:35 | 着物 | Comments(19)

『アグリッピーナ』@リセウは、エンタメ・バロックオペラ決定版!  バルセロナ遠征記 その4

c0188818_20281651.jpgConductor Harry Bicket
Stage direction David McVicar
Scenography and Costumes John Macfarlane
Lighting Paule Constable
Choreography Andrew George
Co-production Théâtre Royal de la Monnaie (Brussels) / Théâtre des Champs Elysees (Paris)
Jory Vinikour, clave
Symphony Orchestra of the Gran Teatre del Liceu

Agrippina Sarah Connolly
Nerone Malena Ernman
Poppea Danielle De Niese
Claudio Franz-Josef Selig
Ottone David Daniels
Pallante Henry Waddington
Narciso Dominique Visse
Lesbo Enric Martínez-Castignani

2013年11月18日@Liceu

リセウ歌劇場の今シーズン、ほとんど全演目がよそからの借り物か共同プロなのだという。
新作、新演出などのオリジナリティ追及派、冒険推進派からしたら、節操のない態度と思えるかも
しれないが、財政緊縮を余儀なくされている歌劇場にとって、こういう開き直った態度をとることも
一理ある。
なにより、すでにどこかの劇場で上演済みの安全パイ、しかも一流のキャストを持ってくるのだから、
集客もしやすいだろうし、成功は約束されたも同然である。

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今年の新シーズン開幕演目は、10年前にモネ劇場とシャンゼリゼ劇場の共同プロとしてブリュッセル
とパリで上演されて以来、バロックオペラ・ファン、ヘンデルオペラ愛好家にとって伝説と化している
マクヴィカー演出による『アグリッピーナ』だった。

マクヴィカーのヘンデル・オペラ演出では、グラインドボーンで上演された『ジュリオ・チェーザレ』も
伝説化しているが、そちらは全幕映像化されているし、昨年METでも再演されたし、安定した人気を
誇っている。
マクヴィカー版『ジュリオ・チェーザレ』は、ミュージカルと見まごうばかりダンスシーンの多い、しかし、
無理な読み替えがないシンプルな舞台のため、純粋にヘンデルの美しい音楽が楽しめる優れた
エンタメになっていて、その点は『アグリッピーナ』も同様である。だから、この2プロダクションは、
まるで2部作として見ることができるほど、似ているのである。

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モネでの初演でネローネだったマレーナ様と、ENOでの英語版でタイトルロールだった
     サラ様が共演!まさに私のために夢を実現してくれたとしか思えない、いいとこどりキャスト!


マレーナ様とサラ様は、わたしが一番好きなメゾ・ソプラノの両雄(!)であり、追っかけの対象で
あるから、単独では何度か生に接している。しかし、その二人そがろって同じ舞台に立つことは
今までなかった。
今回の『アグリッピーナ』は、だから、それだけでも世紀のプロダクションなのだ。
その二人の親子役は、どうだったであろうか。
舞台上の二人は、全く齟齬を感じさせず、奸智に長けた母親と彼女に対して屈折した感情を持つ
息子という役柄を、本当に説得力を持って演じていた。
しかし実際は、もしかしたらライバル歌手同士の火花も散っていたのではなかろうか、とわたしは
推測するのである。特に、マレーナ様ネローネに対する拍手喝采は凄まじく、人気の軍配は彼女の
方に挙がったのではないかと思われるから、主役を張ったサラ様の心理やいかに、と心配になるの
であった。逆にいえば、主役でないマレーナ様の方がずっと精神的には楽だし、はまり役でもある
ネローネを思いっきりのびのびと演じられ、余裕で溢れ出るエネルギーを歌唱にも回すことができた
のだと思う。


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              カーテンコールで、サラ様とマレーナ様が手を取り合って。


リセウ歌劇場の専属オケの演奏はしょぼくてイマイチかも、という声も事前に聞いていた。
しかし、ビケット指揮によるオケは非常にバランスよくまとまった演奏を披露してくれた。
どのセクションも、ちょっとこれは、と思うような点が見当たらず、通奏低音がよく響いてリードしている
から、モダンオケなのに古楽らしさが香っていたし、なにより音楽としての全体をまとめるためにあえて
歌手の伴奏に徹する、という態度を前面に出しているのがよかったのである。
ビシバシと歯切れよく、小気味いいドライブ感とか、エッジが立ってかっこいいという演奏とは全く
言えないが、主張と言うものが感じられずまったりして生気に乏しくてなんだかつまらない、という英国の
古楽オケと指揮者によくありがちな演奏とも別物であった。
これは、指揮者のバランス感覚が優れているためだと思う。そして、リセウ歌劇場の音響が、意外にも
バロックオペラに適しているのだった。ドライではなく、響きすぎもせず、稀に見るほど気持ちいい音響
環境なのだ。

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                  舞台上の字幕は、な、なんとカタロニア語のみ!

前日のグルベ様リサイタルですでに驚いたのだが、リセウ歌劇場の舞台上字幕は、バルセロナの
公用語であるカタロニア語のみである。
スペインからの独立気運の盛んなこの地方は、スペイン全体の経済(工業)を背負って立つという
自負があるが、火の車であるスペイン経済の重みが肩にずっしりとのしかかっているという苛立ちも
隠せない。
そのことは、町に一歩足を踏み入れると建物からずらりと下がるカタロニアの旗で一目瞭然だし、
学校教育の場でもスペイン語を用いずにカタロニア語だけなのだ。
だから、町中では、スペイン語とカタロニア語の二か国語表示や放送になっている場合もあるが、
カタロニア語がなんといっても主流である。なんとも凄い郷土愛と誇り。
ただし、平土間の座席に付いている字幕は、数国語から選べるようだった。(舞台と手元の字幕を
同時に見ることは不可能なので、利用しなかったが)

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                      幕間に舞台とオケピットを背景に。


オペラ演出に話を戻そう。
マクヴィカーは、当然ながら設定を現代に移しているが、舞台となっている国などが特定・
推察ができるわけではない。どこか小国の元首のお家騒動でもいいし、オーナー一家が株主や
取締役を占める企業のお話としても観ることができる。
ワンマン社長もしくは元首であるクラウディオ、経営や権力の座世襲に口をはさむ辣腕の妻と、
色情狂のバカ息子、それにもう一組ポッペアとオットーネが絡むコメディーである。
権力闘争が軸にはなっているが、暗殺が絡んだりする暗いお話ではない。そういえば、バロック
オペラには珍しく、この作品中に死人は出ないのだ。
だから、一人突出して怨みを持った人物が登場する、ということがないため、全体のトーンが明るく、
楽しいのだ。エンタメとして料理しやすい理由であろう。


女同士、悪巧み知恵比べのアグリッピーナとポッペア

マクヴィカーの演出で感心したのは、舞台上の焦点の定まりである。
上掲の動画をよくご覧いただきたい。歌のないレチタティーヴォの場面なのに、いい意味での
緊張感が途切れなく続き、神経が万遍なく舞台上に行き届いていることがお分かりいただける
だろうか。
無駄に大勢の人物を舞台に乗せず、主要人物以外は最小限にして、話の筋と音楽に焦点を当てる。
その場面で焦点を当てるべき人物には、舞台上の他の人物の関心も集まっているから、焦点が
ぼけない。インパクトが強い。
映画映像の主役に焦点を当てるのと同様の仕方でオーソドックスな方法ながら、最近のオペラ演出
ではあまり見かけないパターンである。
こうすることによって、観客の視線も一か所に集中しそのまま耳も歌手の歌に集中するので、会場
全体に一体感が生まれるのである。どうして、こういう正攻法なアプローチが最近のオペラ演出では
避けられる傾向になっているのか合点がいかないほど、これは効果的なのだ。
あれもこれもと欲張って、なんでも詰め込んだ過剰演出が、観客にとっては有難迷惑なサーヴィスで
ある、と、はっきりわからせてくれた。
マクヴィカーによる『アグリッピーナ』は、観客にとって、音楽と舞台を同時に楽しめる気持ちのいい
演出である。
その代り、舞台上の歌手へのスポットの当たり具合が半端ではないから、一点集中に耐えられる
演技力と歌唱力の両方が必要であることは言うまでもない。

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結論。このマクヴィカー版『アグリッピーナ』は、究極のエンタメとして、近年まれにみるほど
優れたプロダクションになっていた。
シンプル・イズ・ベスト。シンプルなものほど素材で勝負しないといけないし、誤魔かしがきかない。
舞台造形もシンプルだから、このプロダクションは他の劇場へのレンタルに適している。しかし、
演技力と歌唱力の優れた素材である歌手が揃わないと、これほどまでの効果は生まれなかったに
違いないのだ。
空前絶後の今回のプロダクションを見逃した人たちのために、全編が正式に映像化されることを
切に望む。
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by didoregina | 2013-12-07 15:41 | オペラ実演 | Comments(2)

マレーナ様のネローネ@リセウ   バルセロナ遠征記その3

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  初演から10年後のマレーナ様ネローネ


マレーナ・エルンマン・ファンクラブの皆さま、長らくお待たせしました!
すでに『アグリッピーナ』千秋楽も終わった今、ようやくレポートを書く気分になってきました。
と、申しますのも、今回、リセウでの『アグリッピーナ』再演は、今年最大のメインイヴェント、
3年越しの念願、いや、マレーナ様を知った最初の日から今までずっと待ち続けていた、わたしに
とってほとんど人生のゴールの一つに近いほど重みのあるものだったのです。
そして、期待を予想以上に上回る素晴らしいプロダクションに圧倒され、また、マレーナ様渾身の
パフォーマンスは一世一代と言ってもよく、まさに伝説再生の現実離れしたパーフェクトな舞台に
立ち合って、こちらの身も心も彼岸に渡ってしまったような状態になっていたのです。
その興奮が一過性ではない証拠に、雲の上を歩いている感覚は2週間たっても続いているのです。
夢とうつつの境界線を彷徨う私に、レポを書くなど不可能なことだったのです。
(そのわりに、イエスティン・デイヴィスのコンサート・レポはすぐに書いたじゃないか、というツッコミ
もありますが、義理人情も絡んでいましたゆえ、お許しのほどを)

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まず、このヘンデルのオペラ作品自体の完成度の高さが、今回の大成功の礎であることに疑いの
余地はありません。
音楽は、聴きごたえのある歌唱部分とレチタティーヴォ、器楽演奏の分量配分がこの上なく
バランスよく、ダ・カーポが長すぎて聞き飽きるようなアリアは一つもなく、序曲から最後の大団円
のコーラスまで、一瞬ともダレだり飽きたりする瞬間がありません。
この作品で、ヘンデルの作曲家としての天才ぶりをまさに確認することになりました。
また、音楽だけでなく、この作品にはストーリー的にも荒唐無稽すぎる部分がなく、古代から変わ
らぬ人間の欲や愛憎、親子の情などが、誰にでも納得できるようなユニヴァーサルな要素が
散りばめられているのです。

しかし、素材がいくら極上でも、料理人の包丁さばきや味付けによって出来は全く異なるものになる
というのが、オペラと料理との共通項ともいえましょう
名人による美しく盛られた料理を舌に載せる瞬間のスリリングさ、そして、美味をじっくりと味わう
幸福の体験とオペラ舞台鑑賞とはかなり性質が近いもので、五感と体全体に興奮を与えてくれます。
多くの皆様と同様、団子より花ですから、オペラで味わう至福追及のためには遠征をも厭いません。
歌手の喉は旬の素材に近いもので、時期の一致を見れば聴くチャンスを逃してはなりませんが、
オペラ舞台の場合、演出家という料理人の任務が非常に重要だと思うので、つまらなそうな演出
だったら、最初から食指が動かないものです。
今回のマスターシェフは、デイヴィッド・マクヴィカーでした。

↓の序曲の動画は10年前の初演時のものですが、オケと指揮者とキャストが多少異なるものの、
今回も演出上、全く同じなので参考のために貼ります。



シンプルな舞台装置と現代衣装で、隅々まで神経の行き届いたスタイリッシュな演出ということがよく
わかるかと思います。10年経つまでもなく劣化が激しく見るに堪えないようになってしまう演出も
昨今は多いものですが、これは、今でも全く古びて見えません。

また、序曲部分のだんまり演技で状況設定の説明をしっかり行うという、ある種の演出にはお約束
になっている手法ですが、その方法がシンプルなのに明瞭なことこの上なく、ごちゃごちゃしていず、
説明しすぎでもなく、ほとんど理想的な序曲の演出だと思えます。
ロムルス・レムスが狼の乳を飲んでいる幕の前に座って、多分ローマ帝国歴代皇帝に関する本を
読んでいる人の後ろに、歴史上お馴染みの名前の彫られた石棺に座って登場する主要人物たち。
欲望と陰謀渦巻く、退廃のローマ皇帝一家の相関図が一目瞭然です。
まさに、見事に整理された冒頭場面演出のお手本と言えましょう。


10年前の初演以来すでに伝説化している演出とプロダクションですから、アクロバティックに
マレーナ様が歌い、踊り、演じる動画などは、すでに何度も見聞きされているかと思います。
たとえば、第一幕最初のネローネのアリア Col saggio tuo consiglio 


               この胸キュン音楽にぴったりの可愛い男の子ネローネ役のマレーナ様

シンプルで美しく機能的な舞台装置と背景、現代的な衣装に、演技力ではぴか一のマレーナ様の
表情と身振り態度で、10代終わり頃の若い男の子の心の微細な揺れが歌唱にも表現されて、
観客の胸に迫るのです。
10年経っても、上の動画とほぼ同様の動きで、マレーナ様の美少年ぶりには衰えが見られません
でした。『セルセ』役以来トレードマーク化したちょっとエロチックな動作が今回は結構沢山の場面に
散りばめられているのが多少の変化もしくは進化ですが、思春期から抜け出せないままの色情狂の
ネローネ、しかもADHDが入っているという役どころを絶妙に演じているのでした。

今回の舞台でマレーナ様のズボン役を生で初めて観た人は、きっと一様に、彼女の男性役なりきり
ぶりに驚愕しただろうことは、想像に難くありません。マレーナ様セルセでびっくりした人は、今回また
数歩前進した役者ぶりに、思わず惚れ直したことでしょう。

マレーナ様は、特に主役を張る場合、前半は喉をセーブするためかなり声量を抑えることが
多いのですが、今回はタイトルロールではないということで気の張りが少なくて済んだのでしょうか、
最初からエンジンがかかって、しっかりと声を響かせてくれたのが、まずうれしい驚きでした。
出だしの歌からこうだと、他の歌手も乗せられるのか皆パワー全開になるものです。


また、今回の再演に当たって、マクヴィカー本人がバルセロナでビシバシと稽古をつけたことは、
全ての場面で、歌手や役者やダンサーの動きがびしっと決まっていることからもよくわかります。
誰一人緊張が解かれたり、ダレたりした場面が一瞬たりともないのです。
たとえば、今回ポッペア役だったダニエル・ド・ニースが最初に歌う場面をご覧ください。



ダニエルちゃんは、相変わらずダンスで鍛えた筋肉としなやかな体、派手な作りの顔の表情も豊か
で演技派なのですが、ポッペアのスタイリスト役のオネエタイプのダンサーの演技も光ってます。
ダニエルちゃんの歌唱が、このプロダクションのキャスト中では心配の種の一つだったのですが、
リセウの音響のためか、指揮者のバランス感覚がすぐれているせいか、1人だけ妙に力んだような
不快な声で歌ったりしていないのが、うれしいサプライズでした。ダニエルちゃんの生舞台には、
何度も接しているのですが、今回ほど不快指数が非常に低いのは初めてでした。


アグリッピーナのタイトルロールを歌ったサラ様の調子も絶好調だったと思います。
迫力ある年増の悪女役が最近多いサラ様ですが、アグリッピーナでもその真骨頂発揮です。



自分の息子ネロを次期皇帝の座に据えようと思った矢先、死んだはずのクラウディオ帝が生きて
もどってきたため、そして若く美しいポッペアとの確執もあり、様々な奸計を巡らすアグリッピーナ=
マキャベリズムの申し子のような存在にサラ様もなりきり、胸がすくような悪女ぶりを披露して
くれました。
女性役の歌手は皆、10センチはあろうかというピンヒールを履いて、階段を上り下りしたり、踊ったり
するので、見ていてハラハラするほど。

踊りと言えば、ダニエルちゃんよりももっと格が上なのは、やはりマレーナ様です。
ポッペアを追っかけまわす色情狂でADHDのネローネという役柄上、片時もじっとしている場面が
ないどころか、アリアでも様々なダンスや動きをしながら歌うという、マクヴィカーの演技要求に
応えられるオペラ歌手はマレーナ様以外ありえません。
ムーンウォークその他のダンスはもちろんのこと、アリア Quando invita la donna l'amante
では、腕立て伏せ、腹筋運動やピラティスのバランスポーズをとったままで歌うのです。これには、
もう観客はびっくりで、やんやの喝采と万雷の拍手でした。
よく出回っている、ネローネがコカインを吸引しながららりって歌うCome nube che fuggedalも
凄い迫力ですが、その前のアリアのでの動きはもっともっとすさまじいのでした。

長くなってきましたので、この辺でいったん中断して、カーテンコールやツーショットの写真は、
また別記事として投稿したいと思います。
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by didoregina | 2013-12-04 14:12 | マレーナ・エルンマン | Comments(8)

舳先をキクラデスへ向けて

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師走の声を聞いたらすぐに、来年のセイリングの予定を立てなければならない。
ヨットのチャーター会社各社からも即、来年のさまざまな情報やオファーが来るし、
1月になれば同僚や同業者間で話し合って年間のヴァカンス日程を調整・決定する
必要があるからだ。

今日来た案内の中に、新しいフロティッラ・ルートを見つけた。
それが日程と海域の面で、こちらの願いにドンぴしゃと嵌るのだ。
エーゲ海のキクラデス諸島を2週間フロティッラでセイリングするというもの。
プランも日程も唯一無二で、このチャンスを逃したら、ベアボート(個人でチャーターした船一隻)
でのセイリングしかできない。

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       キクラデス諸島は、ギリシア神話の世界のど真ん中

この海域ルートでのフロテッィラ(個人でチャーターしたヨット同士で船団を組むこと)が今まで
実現されず、来年がほとんど初めてというのには訳がある。
なにしろ、エーゲ海のど真ん中にあるため、沿岸航行はできない。つまり、背後に守ってくれる
大地がない、一つ一つが離れた島々の間の海を、潮と波と風に翻弄されながらのダイ・ハード・
セイリングになることは必至である。子供向けでは全くない。
島と島の間の距離が大きいから、風が強すぎて出航できない、もしくは遠くまで行き過ぎて
予定通りの帰港ができなくなるということも往々にして起こる。
時間に制約のない長期セイリングならまだしも、1週間や2週間では、なかなか回ることが
不可能な海域なのである。

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              今年の夏イタリアでチャーターした不良ヨットの証拠写真

そういう強風波浪海域で一日の航海距離と時間が長いと予想されるから、ヨットはよ~く吟味
してチャーターしなければならない。
それが、結構難しいのである。ヨットの不備や不良は航海中にだんだんと明るみに出るものだし、
曰く言葉にはしがたいような使い勝手の悪さとか、そのヨット個体との相性の悪さは非常に
微妙なもので、実際にセイリングしてみないとわからないものである。

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            日よけビミニが小さすぎて、コックピットの大部分が太陽に焦がされ、
            熱くて暑くて、居住性が最悪だったヨット。今となっては、笑い話だが。


この数年、念仏のように唱えつつ実現できないでいるのが、北海セイリング・ノルマンディー上陸
作戦である。6月初旬の北海はなかなかに厳しく、風向き、風の強さ、満干潮の時間と港の位置
など全ての条件が合わないと、オランダのゼーランドから出航しても2週間で戻ってはこれない。
それを来年はキクラデスの2週間フロティッラに振替えようというのが、わたしの見つけたプラン
なのだが、はたして、ほかの3人の賛同が得られるだろうか?
わくわく、ドキドキ。実際のセイリングは苦行に近いものもあったりするし、こうして計画を練ってい
るときが一番楽しいものである。

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by didoregina | 2013-12-03 16:56 | セイリング | Comments(2)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


by didoregina

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名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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