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ヘンデルの『アレッサンドロ』@コンセルトヘボウ

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Händel - Alessandro
2013年9月21日@コンセルトヘボウ

Armonia Atenea
George Petrou (dirigent)
Max Emanuel Cencic (countertenor (Alessandro))
Julia Lezhneva (sopraan (Rossane))
Laura Aikin (sopraan (Lisaura))
Xavier Sabata (countertenor (Tassile))
Pavel Kudinov (bas (Clito))
Juan Sancho (tenor (Leonato))
Vasily Khoroshev (countertenor (Cleone))


この日のコンサートはオランダ・ラジオ4からライブ放送された。以下のリンクから、コンサート前(!)
の指揮者ペトロウのインタビュー、別のCDのディドナートによるリザウラのアリア、音楽評論家に
よる解説などの後、30分あたりからオペラ・コンサート全編を聴くことができる。
http://ntrzaterdagmatinee.radio4.nl/uitzending/201268/21-09-2013.html

新録音のこのCDは、昨冬に発売され、今年、アテネ、フランクフルト、ヴェルサイユ各地で舞台
形式で上演され、その後、アムステルダム、ウィーンなどでコンサート形式で公演が行われている。
CD録音メンバーと今回の出演歌手は、2役を除いて同じである。(CDではリザウラ役はカリーナ・
ゴーヴァン、クリト役はインスン・シム)

出演歌手では、マックス・エマヌエル・チェンチッチとシャヴィエ・サバタのCT両雄に加えて、新星
メゾ・ソプラノのユリア・レジネヴァに大きな期待を向けていた。
今年初めに買ったCDは私にしては聴きこんだ方だし、コンサート前日にはヴェルサイユ宮殿劇場
での舞台動画も見て泥縄式学習も行った。また、当日は、主役アレッサンドロ役のチェンチッチの
誕生日であることは、ファンには周知の事実であり、期待はいやがうえにも高まったのだった。

ただし、私の座席の位置は酷かった。サブスクリプションや土曜マチネ・チクルス発売はかなり前
から始まっていたので、一般チケットばら売り発売日には、全くろくな席が残っていなかったのだ。
3列目の右寄り座席4で、音響的には非常に不利であることは、最初から予測済みである。
コンセルトヘボウの舞台は異常に高く、しかも客席に張り出してるので、前5列までは下から見上げる
ことになり、音は頭上を通り過ぎていくのだ。7から9列目くらいが、視覚的にもかぶりつきに近くて
好きな位置なのだが。。。。

そして、今回の座席は視覚的にも隔靴掻痒であった。
主役級の3人(アレッサンドロ、ロッサーネ、リゾウラ)はほとんどいつも下手側に立って歌うので、
指揮者に隠れて姿が見えない。いきおい、左斜め上に首を曲げた姿勢で鑑賞せざるを得なくなり、
体が疲れる。
チェンチッチは、たまに上手側から登場することもあり、楽屋ドアから出てきて目の前の階段を駆け
上るので、ステージ衣装やヘアスタイルのディテールをガン見することはできた。
そしてまた、男性歌手3人はいつでもこちら側から登場して上手位置に立つので、サバタはよく観察
できた。

器楽演奏は、ピリオド楽器を用いた(とCDジャケットにわざわざ明記するのも今時珍しい)ギリシャの
古楽アンサンブルであるアルモニア・アテネで、指揮はCD同様ジョージ・ペトロウ。
CDと(そしてまたラジオ放送とも)大きく印象が異なるのは、その古楽アンサンブルの演奏であった。
CDのクレジットを見ると第一および第二ヴァイオリンは6人ずつで、ヴィオラは3人、チェロ4人、
コントラバス2人、チェンバロ2台、テオルボ、それにリコーダー2名、オーボエ2名、バスーン1名、
ホルン2名、トランペット2名、ティンパニ1名となっている。

しかし、今回のコンサートでは高音弦楽器の人数が大幅に削られているように思われた。(私の座席
側からだと人数がはっきりわからないが、半分くらいの印象)
上手側には(通奏)低音弦楽器奏者が座り、中央に置かれたチェンバロも含めて、通奏の音は
ビンビンとよく響いてくるのだが、ヴァイオリンの音が薄っすらとしか聞こえない。
座席の位置のせいもあろうが、弦楽器の人数不足のためか控えめすぎる演奏のせいか、オケ全体が
貧血気味みたいでエネルギーに非常に乏しい印象だ。元気もないし、自信もないような演奏だ。

古楽が盛んなオランダやベルギーでは、コンセルトヘボウをはじめとして各地のコンサートホール、
そして教会で、錚々たる演奏家による様々な古楽オケの演奏会がしょっちゅうあり、生演奏を聴く
機会が多い聴衆の耳は肥えている。
はっきり言ってしまうが、ギリシャは音楽後進国であることが、今回これほどあからさまに露呈される
とは思わなかった。古楽の演奏レベルとしては、アングロサクソン系のドライブ感や個性に乏しい、
ぬるま湯のようにまったりしているような古楽オケよりももっと初心者的な感じ。コンセルトヘボウの
舞台で演奏する水準とは思えない、というのが正直なところだ。
歌手のレヴェルとの落差が激しく、指揮者もリードが下手だし(出だしを間違えたり)、歌唱が盛り上
がって、アクロバティックなアジリタを滑らかに歌う歌手にオケが付いていけてないということもあった。
『アレッサンドロ』は古代ギリシャの大王とはいえ、なぜ、ギリシャの古楽オケがCD録音や演奏ツアー
に参加しているのか、大きな疑問であった。しかし、このレビューを書くためにCDジャケット裏をふと
見ると、名を連ねるスポンサーの欄に、オナシス基金というのを見つけた。「2011年から2013年の
オーケストラの大スポンサー」と明記されている。なるほど!

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         『アレッサンドロ』でコンセルトヘボウ・デビューのユリアちゃんの独擅場


しょぼいオケに対して、歌手は皆堂々としたもので、安定した歌唱を披露して、コンサート全体の
レヴェルをぐんと引き上げてくれた。
女性陣二人は、ヘンデルの時代の大歌手ファウスティーナ・ボルドーニ(ロッサーネ役)と
フランチェスカ・クッツォーニ(リザウラ)もかくや、と思わせる実力。もともと、この二人(特にロッ
サーネ)のアリアには、拍手喝采や大向こう受けを狙ったテクニックを見せつけることができる
美しい曲が多く、得な役回りではある。

特に、今回がコンセルトヘボウ・デビューになるユリアちゃんの歌唱は、いかにも清々しく気持ちよく、
安定したテクニックと声量も十分あり、聴衆は皆安心して身を任せることができる快感に浸った。
休憩前の第一部では、ロシアっぽい花の刺繍のある可愛いドレスで、(Mevさん目撃談によれば)
日によく焼けたデコルテの背中を見せて、若々しさ初々しさとキュートさをアピール。後半の衣装は
オペラ・ピンク。
年齢やルックスに似合わないほど落ち着きすら感じさせる歌唱とテクニックには誰がも唖然とするの
だった。アジリタはまるでコマドリかナイチンゲールのような滑らかさで、心地よい。
この日、一番拍手やブラーヴァの掛け声を受けたのは彼女だ。

CDでのリザウラ役はゴーヴァンで、彼女は来月からのDNOオペラ『アルミーデ』主演なので、アムスに
滞在しているはずだから、もしかして1日だけコンサートに出演しないかな、と淡い期待を抱いていた。
もしくは、舞台公演で同役だったアドリアーナ・クチェロヴァちゃん登場だったら可愛い子ちゃんコンビ
が実現したのだが、ローラ・エイキンもさすがの貫録と歌唱で文句のつけようがない。エイキンの方が
ちょっと年増っぽいから役に無理がないし、ユリアちゃんの可憐さが際立った。

二人のCTは、外見も声質上も対照的でよい組み合わせだ。
チェンチッチは、小柄でまろやかな少し暗めの声の持ち主である。声量はあまりない方だが、
スターとしての存在感と、感情を込めたしみじみした歌唱で座長らしい貫録を感じさせる。
最初は抑え気味な歌唱でパワー温存、コンサート進行とともに少しずつパワーアップしていき、
ここぞという場面では聴かせクライマックスに持っていくというコントロールの仕方と、実力を
心得たテクニックである。もちろん全部暗譜で、芝居も交えて歌う。
益荒男ではなく優男という設定のアレッサンドロに、チェンチッチのキャラクターは抜群にマッチ。
お洒落な彼は、スリム・フィットのスモーキングにブラック・タイ、エナメルの靴。ソックスは赤!

それに対するサバタは、最近シェイプアップしてスリムになったがいかつい外見の大男なので
ルックスに似つかない優しい声に聴衆はどよめいた。声量はしっかりあって明るく伸びも響きもいい
声の持ち主だ。特に生で聴くと、その実力に唸らされる。(譜面台をチラ見しながら歌っていたが。)
いかにもインドの王様らしい、ちょっとコミカルな役どころが似合う。
舞台衣装は、シングル・ブレストの黒のスーツにシルバーのシャツとタイで、他の男性歌手とは異なり
個性的なのが彼らしい。

この二人のCTがまた共演する『タメルラーノ』の録音はこの夏終了した。来年から各地でコンサート
が行われるので、非常に楽しみにしている。


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               鯖田さんのために作った帽子をプレゼント。

若さと清々しさ溢れる『アレッサンドロ』コンサート終了後には、パルナッソス・プロダクション恒例の
サイン会があった。
鯖田さんは先月、チッチは当日がバースデイだったので、プレゼントを持参してサイン会に臨んだ。

まず、ユリアちゃんに素晴らしい歌唱へのお礼。舞台を下りて真近で見る彼女は、あどけない笑顔で
本当にちっちゃくて、話しかけながら先ほどの歌唱を思い出して涙が出そうになった。

コンセルトヘボウでのマチネ・コンサートの後は、ロッテルダムに移動して夜はサラ・コノリーの
リサイタルに行くため電車の移動が長い日だし、プレゼントその他の持ち物も多かったので、着物は
無理だった。ドイツからの追っかけ友達と3人で写真を撮りあったりしてサイン会終了片付けの最後
まで粘った。私のカメラは壊れてしまったので写真はないが、特に鯖田さんには、手作りプレゼントを
とても喜んでもらえ、楽しかった。
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by didoregina | 2013-09-29 13:50 | オペラ コンサート形式 | Comments(4)

カピラ・フラメンカとヘルメス・アンサンブル 『エレミアの哀歌』

Aleph
Capilla Flamenca & HERMESensemble
2013年9月20日22時 @ Martinuskerk

Daan Janssens Incipits (オランダ初演)
Pierre de la Rue Lamentaties
Alexander Agricola Lamentaties
Josquin Desprez Victimae paschali

Dirk Snellings, bassus
Lieven Termont, baritonans
Tore Denys, tenor
Steve Dugardin, altus


毎年9月中旬の週末3日間に開催されるプチ音楽祭Musica Sacra Maastrichtの今年のプロ
グラムはなかなかそそられるラインナップで、おお、行きたい!と思うコンサートが4つあった。
すなわち、タリス・スコラーズによるビクトリア『哀歌』、カピラ・フラメンカによるド・ラ・リューその他、
ジェズアルド・コンソートによるジェズアルド、コンセルト・ソアベ(マリア・クリスティナ・キーア)に
よる『マグダラのマリアの改悛』という、『エレミアの哀歌』をテーマにした、ポリフォニー声楽の
白眉ともいえる錚々たる面々によるコンサートが目白押しだったのだ。
結局、そのうち行くことができたのは、カピラ・フラメンカのコンサートだけであったが、これがまた
期待を大きく上回る素晴らしさであった。

そのコンサートは開始時間が夜の10時である。(同じ日のタリス・スコラーズによるコンサート開始
時間は夜6時と微妙な時間帯なのにチケットはソールドアウト。ネームバリューの強みか)
晩課のための『エレミアの哀歌』を聴くのにふさわしい時間帯である。
会場は、マルティヌス教会で、大きすぎず残響の具合もポリフォニー向けでどんぴしゃだ。

プログラムは、15世紀~16世紀にピエール・ド・ラ・リューとアレクサンデル・アグリコラが作曲した
ポリフォニー声楽曲『哀歌』夜課の曲間に、現代作曲家ダーン・ヤンセンスの2013年新作で
今回がオランダ初演となる器楽曲Incipitが挿入され、最後はジョスカン・デプレの声楽曲で〆ると
いうもの。フランドルの精華が圧縮されたかのようなコンサートだ。

マルティヌス教会は、19世紀半ばにピエール・カイパース設計によって建てられたネオ・ゴシックの
教会で、家から自転車で15分と近い。
開演の30分近く前に着いたら、席は半分以上埋まっていた。夜遅いコンサートにしては、かなりの
盛況と言えよう。このフェスティヴァル全体における低い値段設定も功を奏しているだろう。なにしろ、
たったの8ユーロである。(しかも、プロモーションでそこから10%割引してもらった)
そして、夜10時にはほぼ満員になった。

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                  西正面入り口の上部にあるオルガン

普段は普通に教会として使われているカトリックの教会だから、木の椅子が東にある祭壇を向いて
並んでいる。正面を向いて座っていると、突然背後からえもえいぬハーモニーの男声4声による
ア・カペラのポリフォニーが響いてきた。ふわ~り、と一瞬にして天の高みに昇る心持になった。
歌手4人が、2階のオルガンの前に立って歌っているのだった。降り注ぐ音のシャワーともいうべき
効果。
カピラ・フラメンカによって歌われる完璧なバランスの美しさが、心を癒し浄化してくれる。
そして、また『哀歌』であるのに、人の世の苦しみとは無縁のごとき聖なる響きである。
眼福という言葉があるように、これはまさしく「耳福」と言うべき。

  
正面祭壇前には、フルート、クラリネット、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ、打楽器からなる
器楽演奏家が並んでいて、中世やルネッサンス音楽とさほど乖離していない現代器楽曲を、声楽
曲の合間に奏でる。それらも、耳に優しくほ~っと体に浸み込むような滋しみに溢れていて、心身の
リラックス効果は満点だ。
ヤンセンスもフランダースの作曲家であり、ポリフォニーの伝統をそのまま現代に生かしたような
音楽が、500年という時の差を感じさせない。現代音楽というと、伝統を壊すのを信条とするかの
ようにヒステリックだったり無調だったりで、とんがっているのが多く耳に優しくないのがほとんどだ。
しかし、彼の音楽はもっぱら静謐さを重んじ、聴衆に挑まず、心地よいアプローチである。

一週間を終えるのにこれほどふさわしい癒しは他にないだろう。音楽による心身への贅沢なマッサ
ージである。

カピラ・フラメンカのプロモーション・ヴィデオを下に貼っておくので、疲れを癒したい方はぜひどうぞ
お試しあれ。


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by didoregina | 2013-09-24 09:20 | コンサート | Comments(2)

『さまよえるオランダ人』ライブ音楽演奏と映像映写

ヤニク・ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィルハーモニック・オーケストラによるコンサート
形式のワーグナー『さまよえるオランダ人』を鑑賞した。

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Wagner - Der fliegende Holländer

Rotterdams Philharmonisch Orkest
o.l.v. Yannick Nézet-Séguin
Franz-Josef Selig Daland
Emma Vetter Senta
Frank van Aken Erik
Agnes Zwierko Mary
Torsten Hofmann Steuermann
Evgeny Nikitin Holländer
Koor van De Nederlandse Opera
Shaun Gladwell video art

2013年9月15日@De Doelen




毎年9月にロッテルダムで開催される「ゲルギエフ・ファスティヴァル」との共同制作であること、
ヤニクがヨーロッパで初めてワーグナーのオペラ全曲版を指揮すること(出身地であるモントリ
オールでは、8月11日に『ローエングリン』でワグナー・オペラ・デビューを果たした)、RPhOは
ロッテルダムに引き続き、パリとドルトムントでも『オランダ人』演奏するなどの理由もあり、
本拠地ロッテルダムのフランチャイズ・ホールのデ・ドゥルンでは、今シーズンかなり力を入れて
いた演目のようである。
アムステルダムからネーデルランド・オペラ合唱団を呼んで(現在、DNOでは『ジークフリート』
上演中なので合唱団は暇らしい)、ソリストには、オランダ人にエフゲニー・ニキーチン、エリックに
フランク・ファン・アーケン(自国オランダでワグナー・オペラを歌うのは初めて)と歌手キャストにも
力が入っている。
そして、コンサート形式であるが、舞台後方上部のコーラス席前に映画館並のサイズのスクリーン
が設置され、そこにヴィデオ・アートが映写されたのだった。

ヴィデオ・アートが映写されることを知った当初は、なんだか得したような気分というか、訳もなく
期待が高まった。

演奏の始まる前に、当のヴィデオ・アーティスト、ショーン・グラッドウェルが舞台に上がった。
そして、なんとも不可思議な「お詫び」とも「弁解」とも取れるような説明を始めた。

自分はサーファーであり、かつ尊敬するワーグナーの海を舞台にしたこのオペラは大好きな
作品なので、今回、ヴィデオ・アート作成の依頼を受けここに上映の機会を与えられたことは、
うれしく光栄であると同時に畏敬の念も抱いた。
上映されるヴィデオは、サーファーの目から見た海の心象風景で抽象的・象徴的なイメージを
重視した内容であり、劇の進行とは必ずしも一致しないので、スクリーンの下部にはオランダ語
字幕が映ると思うが、ヴィデオより実際の舞台上の歌手の方に注目してもらいたい。そちらで
歌われる内容と演奏とが、オペラのメインであるので。

というようなお言葉であった。
どういう意図を持って、ヴィデオ・アーティスト自身が、プレミエ上演前にこういう発言をするのか。
聴衆は狐につままれたような気分になったと思う。
そして、実際に演奏が始まると、もやもやした割り切れないような気分が落胆に変化した。

わたしの座ったバルコン正面の丁度目の高さ、舞台背景一面がスクリーンに覆われている。
字幕の位置は、オペラ舞台のようにかなり上にあるのではなく、丁度映画の字幕のようにスク
リーンの下のほうである。だから、字幕を見ようとすると、スクリーン上の映像はいやでも目に
入る。

実際の生演奏と映像とは、ギャップがありすぎた。

このヴィデオ・アートは、映画のようでもありアンビエント映像のようでもあり、中途半場なイメージ
に留まってはいたが、一応オペラ内容とパラレルになった配役とストーリーがあるようだった。
しかし、サーファーの目から見た海がほとんどの映像は、非常に抽象的で、ゆったりしすぎた展開が
まるでニュー・エイジ的というか妙な催眠効果があるのだった。
波の揺れや、海中に立ったり砂浜で遊ぶ人物たちの動きはゆったりと緩慢で、演奏される音楽とは
全くシンクロしていない。
それどころか、音楽は荒々しい海のイメージを掻き立てるのに映像はのんびりとして、海をぼう~と
眺めていたり、砂浜で追っかけっこや竹馬に乗ったり、髭をそったり、火を焚いたりで、ほとんど
意味不明である。
少数ながら、その心象風景の意味するところや象徴的メッセージをくみ取れた人もいたようだが。
壮大な19世紀的ロマン溢れるワーグナーのオペラに、かなり現代的かつスタイリッシュなのだが
妙にしんとして音のない世界のようなモノクロの映像イメージとは全くそぐわなかった。

ヴィデオ・アートというのは、現代アートの様々なジャンルの中でも、評価するのが難しい部類に
属すると思う。
ヴィデオ・アート黎明期であった80年代初頭に、ベルリンでヴィデオ・アート展覧会みたいなのを
体験したが、その件をオランダの大学の美術史の先生に話すと、頭を振って「ベルリンまで行って
そんなものを見たのか」と呆れられたことを思い出す。当時はまだまだマイナーなアートであり、
伝統的美術史の世界では正当な評価は得られていなかった。
日本での方が、ナム・ジュン・パイクとかのヴィデオ・アーティストがすでに70年代終わり頃には
名前も売れていたし、現代アートとしてある程度のファン層があったのではなかろうか。
現在ではどうかというと、う~ん、どうなんだろう、としか言えないようなニッチ存在なのではないか。
だから、その他の芸術部門とのコラボでなんとか飯を食ってくしかないのだろうか、とも勘ぐる。

今までにも、オーケストラのコンサートのバックにヴィデオが映写されたのを見たことは何回か
ある。それは、ベルリオーズの『幻想交響曲』やラフマニノフの『死の島』やムソルグスキーの
『展覧会の絵』、ラヴェルの『子供と魔法』などで、まあ、ヴィデオとのコラボにもさほど違和感を
覚えない類の音楽であった。
また、それらの場合、音楽の喚起するイメージを増幅する手段として映像が使うという目的が
はっきりしていて、ヴィデオ・アートとしての完成度は低いが、その分独自性・メッセージ性が少なく
あるいはかなり控えめであったので、音楽の邪魔にはならなかった。

昨今、オペラ演出の一部に映像を用いるのは、さほど珍しいことではない。
もしくは、現代新作オペラの場合、ミシェル・ファン・デル・アーの一連の作品のようにヴィデオ・
アートと一体化している例もある。先月鑑賞した『リリス』など好例で、しかもヴィデオ上の演技と
生演奏の音楽が上手く融合していて、あっと驚いた。

これらの場合、ヴィデオは、演出もしくは作品の一部であるから、生で演奏される音楽と乖離して
いないし、邪魔もしない。上手くシンクロしているのはもちろんのことである。

すでに作ってある映像と生演奏とをシンクロさせる場合、テクニカル上の問題が大きいだろう。
録音した音楽なら、細かく速度を計ったりして映像のタイミングを合わせることはできるが、生の
場合、しかもワーグナーのオペラ一作全部のタイミングが、映像にぴったり合うように演奏できる
わけがない。もし映像の方にオケの演奏を合わせたりしたら、それでは無声映画の伴奏みたいに
なってしまって本末転倒である。
かように、オーケストラ音楽、しかも具体的ストーリー進行のあるオペラと、映像映写とは、
かなり相性の悪い相手同士とは言える。

それでも、あえて、ロッテルダム・フィルは、ヴィデオ・アーティストに作品を依頼した。
ある意味、快挙というか文化的英断というか、無謀というべきか。
鑑賞直後はブーとしか思えなかったのだが、ヴィデオ・アートとオペラ演奏とのコラボというものに
関して考えさせるところが多々あることに気づいた。じわじわと効いてきたというのが、意外である。
だからこそ、今回挑戦したヴィデオ・アーティストには、事前にお断りする逃げの姿勢など取らずに、
堂々たる態度でコンセプトを説明してもらいたかった。よっぽど、自信がなかったのか。自らの作品を
卑下してるような態度が男らしくなく、それが非常に残念である。
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by didoregina | 2013-09-19 10:40 | オペラ コンサート形式 | Comments(10)

シチリアは目の前、しかし、、、    チレント海岸とエオリア諸島をセイリング  その8

エオリア諸島は、シチリア島の北東にあるから、ヴルカノ島を出航するとすぐにシチリアの
影がうっすらと見えてくる。

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               南の地平線全てを覆うほど、やっぱりシチリアは大きな島だ。


小さなフロティッラの利点は、スケジュールの融通が利くことだ。
当初の案では、ストロンボリ島に戻って火山ハイキングという予定だったのだが、あの暑い最中の
登山は誰も興味を示さない。それよりも、南に舵を取ってシチリアに向かおうということになったのだ。

しかし、シチリアにはどこにも停泊せず、北海岸をセイリングして東に舵を取って、イタリア本土の
シッラという町を目指す。

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                舵の後ろにあるベンチが、2週間の間ずっと定位置。


シチリア島の北岸にはわざわざ泊まるに値するようなめぼしい町がない、というのが理由である。

しかし、なかなか魅力的な砂浜が見えてきた。
ここに投錨して、休憩することにした。

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白い砂の山が浜を形成し海に落ちている。だから、海の色も淡く透明になっていて、うっとり。

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他のヨットとくっついて投錨すると、錨が絡まったりして、あとで解くのが大変になるから、
ちょっと離れた位置にした。ロープでヨット同士をつなぎ合わせたりするのも面倒だ。
とにかく、早く海に飛び込みたい。
この辺は、アフリカ大陸に近いため、アフリカから吹いてくるシロッコという風が妙に生暖かく
太陽はじりじりと肌を焦がすから、海水で体を冷やしたい思いに駆られるのだ。

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                  ヨットから、海に飛び込む。

砂浜が近いので、泳いで岸に向かおうとすると、水流計を見ていた主人がヨットからあまり離れて
泳がないよう、注意を喚起した。
沖に向かう潮流が非常に速く、なんと6ノット近いのだ。

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                  ロープに結んだ浮き輪があっという間に沖に流される。

入り組んだ入江だったら、波も潮の流れもほとんどないから、ヨットの周りを何周も泳いだり、
岸まで往復したりもするのだが、この速い流れでは、泳いで岸にたどり着くことは不可能だ。

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                  シチリア島を目前にしながら、上陸は叶わなかった。


ひとしきり泳いだ後、錨を揚げて出発。メッシナ海峡のすぐ北から本土に渡る。

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                 左が本土、右がシチリア島の間にあるメッシナ海峡は狭い。
                 フェリーや貨物船がひっきりなしに通っているが、橋を
                 架けるのもさほど困難ではなさそうなほど短い距離だ。


このメッシナ海峡には、ギリシア神話時代から、カリブディスと呼ばれる渦潮があった。
そして、また、元ニンフだが、魔女キルケの嫉妬によって怪物に変えられてしまったスキュラ(頭
からは3列の歯をむく犬6匹の頭が伸び、足は12本そして魚のしっぽを持つ)がいて、前門の虎
後門の狼ともいうべき脅威を形成していた。ホメロスの『オディッセイア』にも登場する。

現在、鳴門のような渦潮はもう見られない。しかし、これから向かう町シッラ(Scilla)は、
スキュラ(Scylla)と何らかの関係があるらしい。

エオリア諸島の名前も、風の神アイオロスからきている。
エオリア島で歓待を受け、この神から風を吹かせる袋をもらったオディッセウス一行だが、故郷を
目前にしながら、開けるべき袋を間違えて、エオリアに吹き飛ばされてしまった。

だから、エオリア諸島と言えば風、というイメージが強かったのだが、今回、強風には遭わなかった。
それどころか風が弱くて帆走があまりできず、エンジンを使った機走が結構多かった。

しかし、アイオロスやメッシナ海峡の二つの脅威にさらされずにすんで本土を目前にしながら、
私たちのヨットに思いがけないトラブルが発生した。

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港に入る前、ヨットは帆を下ろさなくてはならない。港湾内の帆走は禁止されているからだ。
入口ぎりぎりまで張っていたジブ・セイルをファーリング(巻いて下ろす)しようとするも、ロープが
びくとも動かない。
船首まで行ってジブの付け根辺りを見ると、そこにある滑車にロープが絡まっていて団子状態で、
解しようがないほど固まってしまっている。

フロティッラ・リーダーに無線でアドヴァイスを乞うと、ジブ・セールを巻くのは諦めて上から下に
文字通り下すより仕方がないだろうとのこと。
ゆっくりとだましだまし、ジブを下していると急にある時点で一遍に下に落ちてきた。
リーダーに後で見てもらうと、ジブ・セイルの頂点を留めていたハープ状の金具が緩んでいたため
ジブが急に落下したらしく、その金具自体がもう海に落ちてしまったようで見当たらない。
これで、今後、ジブを張ったセイリングは不可能になった。
しかし、下したジブが風を孕んで海に落ちたら大変なので、丁寧に巻いていった。

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           ジブ・セイルを外してきれいに巻いて甲板に置いた。


ぐったり疲れたが、シッラの湾内にあるアンカー・ブイに係留して、係留料金に含まれている、陸への
ボート・サーヴィスを使ってシッラの町に上陸した。


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               このサーヴィスはとてもいい。夜中にも電話したら即
               ボートが埠頭まで来てくれて、ヨットまで送ってもらえた。


シッラには、スキュラが変容したのではないかと言われる岩が聳えて、メッシナ海峡に睨みを
きかせている。恨みがましく海を見つめているようでもある。

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                スキュラはこの岩山?それとも別の岩?

港の突端にある岩山に登って、メッシナ海峡を眺めた。

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                丁度、メッシナ海峡に夕日が沈むところだった!
                先ほどの苦労を癒してくれるような夕映えの美しさ。
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by didoregina | 2013-09-14 14:38 | セイリング | Comments(4)

Le passé  終わってしまったこと、過ぎ去ったことの積み重ね

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Le passé

監督:Asghar Farhadi
出演:Bérénice Bejo,
Tahar Rahim,
Ali Mosaffa

2013年 フランス







『別離』 A Separation (未見)で、話題をさらったイラン人監督による新作は、結構鳴り物入り
だったし、興味を惹く俳優(『予言者』のタハール・ラヒムと『アーティスト』のベレニス・ベジョ)が
出演するので、公開されてすぐに見に行った。(すでに1か月前になる)

非常に面白く、うまく出来た映画で、唸らされた。
まず、タイトルのフランス語は、「過去」という意味であるが、観る前になんとなく想像したのは、
終わってしまったこと、過去としてすっぱり区切りをつける、という意味での前向きでさらりとした
意味合いだと思っていた。しかし、この映画で示されたのは、全く正反対の意味での「過去」で
あった。

フランスに生きるのが辛くなって故国イランに1人で戻ってしまっていたイラン人の夫アーマッドが、
フランス人の妻マリーからの正式離婚手続きの要請で、パリにやってくる。
マリーはパリ郊外の一軒家に、別の元夫との間に生まれた二人の娘と、新しい恋人サミルとその
息子と一緒に住んでいる。新しい生活を築くため、アーマッドとの関係に終止符を打ちたいのと、
難しい年頃の長女への説得を温厚なアーマッドに押し付けようという魂胆もある。
ところで、アルジェリア人であるサミルも、実はまだ正式に妻とは離婚できていない。
自殺未遂を起こした彼のフランス人妻は、植物人間になって病院で寝たきりである。離婚しようにも
できないし、サミルとマリーとの不倫関係を知って絶望したのが原因の自殺かもしれないのだ。
そして、思春期の長女は、そのこともあって、サミルとの同居がいやで情緒不安定になっている。
サミルの息子は息子で、親の関心を買いたいためか、なかなかいうことを聞かない。

まあ、問題が山積みの家族である。下世話なTVドラマのようなシチュエーションである。ここまで
複雑なのは稀かもしれないが、結構、ヨーロッパには実際にありそうなマルチ・カルチュラルな人間
関係の世界でもある。

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               俳優たちは、子役も含めて皆上手い!


イラン人の夫もアルジェリア人の同棲相手も優しく温厚な性格で話し方も穏やかなのに、フランス人
のマリーと長女が、ややこしい関係と状況に混乱気味でヒステリックな態度を取るのが、いかにも
いかにも、とうなずけて説得力ある。
ちょっと頼りなげな風情がかわいいラヒムはいつもの通りだが、、『アーティスト』では表情豊かで
チャーミングだったベジョが、体当り演技で複雑な女の心理を表現している。(今年のカンヌ映画祭
でベスト女優賞を取っている)


雨と曇りのシーンが多くやたらと湿気が多そうに見える画面と、べちゃべちゃどろどろしている地面が
登場人物のにっちもさっちもいかない状況をそのまま示しているのだが、観光地も華やかな場所も
一切登場しない場末のパリとその郊外の雰囲気も、多国籍人間模様の舞台としてぴったりである。

そして、ストーリー進行がまた上手い。
登場人物一人一人の「過去」(そんなに昔のことではない)が、次々と明かされていき、予想外の展開
となっていく。「過去」は、簡単に捨て去ることができない過ちとしての「過去」であり、終止符を打ちよう
にも打てない。

隠されていた「過去」が暴かれるプロセスが、ハネケの『隠された記憶』を思わせ、インパクトがある。
ハネケの映画との大きな違いは、登場人物が皆ほとんど「移民の外国人」で、(プチ)ブルジョワの
世界のように、見かけを取り繕う必要がなくストレートである、という点である。フランスのもう一つの
側面を形成しているリアリティともいえる。

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最後まで驚きの連続で、フランス映画にはお約束のオープン・エンディングであるのだが、ハネケ
映画のように観終わってから暗い気持にはならない。
「過去」に束縛され、身動きが取れないような状況でも、希望を捨てずに生きていくしかないのだ。
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by didoregina | 2013-09-10 12:47 | 映画 | Comments(2)

ヴルカノ島の海水温泉と泥風呂  チレント海岸とエオリア諸島をセイリング その7

それぞれ個性あるエオリア諸島のうち、5番目に行ったヴルカノ島が一番楽しかった。
この島には温泉が湧いているからだ。

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      硫黄で黄色くなってる丘の向こうが海水温泉


非常に庶民的な観光地という感じで、他のエオリア諸島やシチリア島からのフェリーがひっきり
なしに発着している。やはり、イタリア人も温泉が目当てでやってくるのだ。

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                     フェリーで溢れる桟橋

小さなヨット・ハーバーというか、シーズン中だけ営業しているヨットやモーター・ボート用桟橋に
着くと、すでに腐った卵のような硫化水素の匂いが漂う。両側にある火山から煙が上っているし、
山肌は硫黄で黄色くなっている。

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             久しぶりに入り江ではなく、電気と水道設備のある桟橋に舫った。


気温は35度以上で、水温もそのくらいの暑さだが、やはりこの島に来たからには温泉である。
歩いて、海中から湧き出る海水温泉まで出かけた。

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                     ガスが出ていて、鼻が曲がるくらい臭い。


目指す温泉は、溶岩が冷え固まってできたような海岸の、海中からブクブクと泡が湧いている
場所である。天然のジャグジーだと思えばよい。浅い海に寝そべって、海底から湧くバブルを
体に感じるのは、なかなかに気分がよい。

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             右手岩場の辺りが海水温泉。 赤い船は給水船。
             普通の水が少ないこの島では、桟橋の水道も使える時間は短い。


この島のもう一つの名物は泥風呂である。ここまで来たからには、泥風呂も体験したい。

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             海水温泉のすぐ隣に、柵で囲まれた泥風呂がある。
             入場料2ユーロ、シャワー使用料1ユーロの計3ユーロは安い。

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             真ん中に泥の池があり、そこからもブクブクと泡が立っている。
             それが火傷するほど熱い場所もある。池の底の泥を掬っては
             体に塗り付け、乾かすというのが、ここでの作法だ。


面白い経験になったし、心なしか日焼けして傷んだ肌がすべすべになったような気もする。
しかし、とにかく臭い。これだけ匂いが強いということは、有毒ガスの量も相当なものだろう。
あまり長時間、泥風呂に入るのは危険だ。長くても30分くらいにするのがいいと思う。
ともあれ、温泉好きの日本人にとっては、満足度の高い島である。ぜひともお勧めしたい。

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            温泉と泥風呂を堪能した後、スーパーで水や食料を買ってヨットに戻る。


ああ、いい湯だった。これに味をしめ、ヨーロッパ各地やイタリアのほかの温泉巡りをしたくなった。
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by didoregina | 2013-09-08 21:01 | セイリング | Comments(0)

Lilith シーズン開幕前夜祭

ヘーレンでは、毎年シーズン開催前一週間にわたって、Cultura Novaと称したイヴェントが
劇場や広場や野外で行われる。ミニ・フェスティヴァルの趣で、コンサート、芝居、音楽劇、ダンス
など試験的かつ意欲的な出し物が多い。
今年見に行ったのは、Lilithという現代ものオペラというか(ほぼ)一人舞台の音楽劇である。

c0188818_16331222.jpgLilith
2013年8月31日@ Theater Heerlen

Muziektheater Transparant

Claron MacFadden (live)

Jeroen Willems (film)

Dimitar Bodurov (piano)

この作品とプロダクションは、昨年、アムステルダムのホランド・フェスティヴァルで初演された。













興味を惹かれたのは、まず、リリスという元祖悪女をテーマにした現代音楽劇であるということと、
企画および主演がソプラノのクラロン・マクファデンであるという点である。

リリスというのは、アダムと同時に神が土塊から創った女性で、アダムの最初の伴侶である。
しかし、男性であるアダムとの同権と文字通りの女性上位を主張するも叶わず、平等と自由を
求めて堕天使ルシファーとともに出奔。諸悪の根源を生み出した悪女とされる。
残されたアダムの肋骨から、神はイヴ(エヴァ)を作り出して伴侶にさせた。

そういう独立志向の強いイメージかつ悪女の原点ともいえるリリスであるから、つれなき美女を好んだ
ロセッティの絵に描かれたり、フェミニズムの旗頭に祭り上げられている。

そして、この作品を企画したのが、数年前のホランド・フェスティヴァルで世界初演されたザウダム
のオペラ『楽園追放のアダム』でイヴを歌い演じたクラロン・マクファデンである、というのが面白い。
そのオペラでのイヴは、自我に目覚め、意識の進んだ強い女性、というか悪女に近いイメージの
女性だった。
つまり、マクファデンは、リリスのイメージもある程度投影されていたザウダムのイヴにインスピレー
ションを得て、しかしそのイヴには飽き足らず、リリスを主人公としてまた一歩先に進んだ音楽劇を
プロデュースしたくなったのではないか、とわたしは想像するのである。

もう一つ、この音楽劇へのわたしの関心が高まったのは、ヴィデオを用いてライブとフィルムが同時
進行するという方式のこの音楽劇のスクリーン上で演じる俳優イェルン・ウィレムスが昨年末に急逝
したという事実と、亡くなってから知ることになったのだが、彼は世界でも一流の舞台俳優だったと
いうことによる。
一体どうやって、生の歌手とスクリーン上の俳優が同じ舞台で音楽劇を作り出すのか、という興味で
ワクワクして臨んだのはもちろんのことである。

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ヘーレン市民会館での『リリス』の舞台および客席は、舞台の奥に造られていて、観客も同じ平面
上(舞台)に座る。だから、歌手との物理的距離は非常に近い。
舞台設定はホテルのバー「パラディ」ということになっていて、別れたアダムとイヴがそこで再会して、
それぞれの視点から別れた理由やその後の生活などを怨念を込めて語る、という内容である。

マクファデンの歌は、ピアノ伴奏とコンピューターからアウトプットされる音楽、そしてスクリーンから
語りかけたり歌ったりするウィレムスに合わせる形になる。
それらは、独白であったり、相手を責めたりする丁々発止のスリリングな掛け合いなのだが、
絶妙なタイミングでぴったりと合い、ずれも齟齬もなく進むのであった。

こういう風に、ヴィデオと生の器楽演奏および歌とコンピュータ出力の音楽との融合した形態の
音楽劇というと、近年、ミシェル・ファン・デル・アーによるオペラ作品とプロダクションを思わせる。
彼の作品『アフター・ライフ』と『サンクン・ガーデン』は、ともに数年前と今年のホランド・フェスティ
ヴァルで初演された音楽劇で、それらにクラレン・マクファデンが出演しているのも偶然ではない
だろう。

今回のプロダクションの演出で、おお、なるほどそういう方法があったか、と思わず膝を打ったのは、
生身のリリスとスクリーン上のアダムがベッド・インする場面である。
ベッドの上に横たわるアダムを上から映しているが、スクリーンは垂直なので、アダムの横にリリスが
立つと、二人が同じベッドに横たわっているように見えるのだ。だから、二人で同じベッドに横たわる
場面は観客から見るとインタラクティブ性に全く問題ない。
しかし、問題は、リリスとアダムが上下に重なる場合である。アダムにのしかかられて、嫌がるリリス
というシーンだ。それがシーツをうまく使うことによって、見事に解決されているのだった。
リリスがシーツを自分の上に広げて垂直に垂らして、そこにアダムを映写すると、生身の人間と
スクリーン上の人物とのベッドシーンになるのだ。言われてみれば、コロンブスの卵的ではあるが、
オリジナリティがありかつ成功している。




クラロンさんの声は、基本的に正統的オペラのリリコなのだが、ポップス風にもっと軽く歌ったり、
ジャジーかつドスを効かせたり、千変万化。現代音楽だから、音が取りにくそうなメロディーが
多いが、ほぼ独り舞台でも実力を発揮していた。
観客を見据えるようにスクリーン上から語りかけるウィレムスの求心力が凄い。眼力も台詞の
言い回しもストレートに迫り、生に引けを取らないインパクトがあるが、オペラ歌手と伍して歌う
のに感服した。
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by didoregina | 2013-09-07 11:03 | オペラ実演 | Comments(2)

リパリ島とパナレア島   チレント海岸とエオリア諸島をセイリング  その6

エオリア諸島の7つの島のうち、一番北にあるストロンボリ島、サリーナ島と続いて、その次に
向かったのは、リパリ島だ。この島は人口が一番多く、観光や漁業だけでなく文化の香りもする。

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          使徒バルトロメオの遺骸が祀られている大聖堂と修道院のある岬


町も賑やかだし、広い敷地の修道院のある岬は丘のようになっていて、ギリシア時代の遺跡も
あったりする。海や火山などの自然以外にも見どころがある島である。

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                  修道院の裏庭からの海の眺め


そして、ここは紛れもなくシチリア島文化圏であることは、食べ物からもわかった。
たとえば、ジェラテリアでグラニータを頼むと、ブリオッシュにつけて食べるように薦められる。

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                     キウイのグラニータ

今回のヴァカンスでは、レモン、スイカ、ピーチ、キウイ、コーヒーなどのグラニータを色々な場所で
試した。あまりの暑さと日本の夏みたいな湿度に、ジェラートよりももっと冷たいグラニータの方に
食指が動くのだった。
その中でも、この島で食べたピスタチオのグラニータは絶品だった。
グラニータというと、フルーツで作った氷をかいたカキ氷みたいなものでキンキンと冷たい舌触りが
夏にはうれしいという程度の認識しかなかったのだが、ここのはもっともっと濃厚な味でクリーミーな
舌触りとこってりした喉越しなのに、冷や冷やで気持ちよく美味しい。ケースも、手作りジェラート屋で
見かけるようなステンレスの蓋つきで、グラニータというよりシャーベットに近い感じ。
ピスタチオのアイスクリームとも全く異なり、日本の宇治金時氷を思わせる味だった。


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     セイリング中は、ビミニの下のベンチが定位置。
                  窮屈だがそこしか日陰がないから、仲良く一並び。


その次に行った島は、小さなパナレア島。 ストロンボリからリパリに向かう途中見た側には人家が
なく無人島かと思ったほどだ。

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                 パナレア島に近づくと、大きなヨットや豪華なクルーザーが目につく。


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   パナレア島の静かな入り江に投錨した。


入江では、村の浜辺に近い場所は結構混んでいるのだが、私たちが選んだ山の下の小さな浜に
近い場所は静かで、とても気に入った。
近くにはほかに係留しているヨットがあまりないため、入江を独占しているような気分になり、崖下の
小さな浜辺目指して泳いでいった。

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                  腕にビリっと電気が走った。クラゲに刺されたのだ。

水は澄んで、風景も美しいのに、 ここにはクラゲが結構目につく。
クロアチアでは膝にウニが刺さったことがある。小さな岩が海中から出て浅くなっている場所で、
泳いでいる最中は見えないのだ。刺さった何10本というウニの棘はなかなか抜けず往生した。
クラゲに刺された痛みは、ピリッとくるイラクサみたいな感じだが、海水が加わるとひりひりする。
皮膚が真っ黒になるくらいバルサミコ酢をぶっかけてから、虫刺されクリームを塗ったが腕には
15センチくらいのミミズ腫れが浮き出た。

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                翌朝、漁船が入り江に来た。ペスカ~フレスカ~と
                叫びながら、投錨しているヨットの間をめぐる。

見ていると、結構イタリア人のヨットは、漁船の魚屋を呼び止めている。
近くまで来ては、釣れた魚を見せて、その場で捌いている。内臓やアラは血とともに海に捨てる。

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                  売りに来た漁船から魚を直接買うヨット。

結局、静かな入り江に満足して一晩明かし、この島には上陸しなかったのだが、島に上がった
フロティッラ仲間によると、びっくりするほど洗練された村で、このヴァカンスで初めて高級ブランド品
の店が並んでるのを見たそうだ。
なるほど、豪華クルーザーや大きなヨットが沢山停泊しているのは、そういう訳だったのだ。金持ちが
沢山訪れる島ということで納得がいったのだった。
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by didoregina | 2013-09-01 22:30 | セイリング | Comments(2)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


by didoregina

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プロフィール

名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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