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 プロムス・コンサートでイエスティン君のレパートリー拡大

9月5日のカドガン・ホールでのプロムス・コンサートにイエスティン・デイヴィスが
出演すると知ったのは、3月頃だったと思う。プロムスに参戦したことはないのでチケッ
トの取り方等を、事情に詳しい方から教えていただいていたのだが、一般チケット売り
出し当日に参戦し忘れるという失策を演じた。そして、ほぼ発売開始と同時に売り切れ
となった。
当日券が必ず出るから並べばいい、それとも当日が近づけばリターンが出てくるに違い
ないと思いおっとり構えていた。
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ところが有難いことに1か月前にザルツブルクで会ったイエスティン君から、家族用の
招待券を一枚貰えることになった。奥様(その時はまだ婚約者)はお仕事のためコンサ
ートには行けないから余ってる、という理由で。もう一枚はお父様の分で、だから彼の
お父様の隣の席で聴くという光栄を担うことになったのだった。

しかし、当日チケットの受け取りに少々行き違いが生じ、ハラハラさせられた。
イエスティン君の名前でお取り置き、ということだったのが、多分エージェントが気を
利かせてお父様の名前でチケット2枚入りの封筒を取り置いていたため、うろ覚えのお父
様のお顔を開演前でごった返すホールで探すことに。お父様は封筒を開けて、あ、2枚
入ってるとさぞびっくりされたことだろう。双方で会場をウロウロすることになった。
しかし、やはり日本人を見つける方が楽なようで、向こうから探しに来てくださり、
目出度く座席に着くことができた。

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このコンサートは、BBCプロムスのランチコンサートの一環で、ラジオ放送された。
オンデマンドでまだ聴くことが可能なので、ぜひ。
http://www.bbc.co.uk/programmes/b07sxdfp

Purcell (arr. Britten): Sound the trumpet; Lost is my quiet; Music for a while;
If music be the food of love; No, resistance is but vain; Celemene, pray tell me
Mendelssohn: Ich wollt' meine Lieb' ergösse sich; Scheidend; Neue Liebe; Sonntagsmorgen; Das Ährenfeld; Lied aus 'Ruy Blas'
Quilter: It was a lover and his lass; Music, when soft voices die; Drink to me
only with thine eyes; Love's philosophy; Love calls through the summer night

Carolyn Sampson (soprano)
Iestyn Davies (countertenor)
Joseph Middleton (piano)

2016年9月5日@Cadogan Hall

当初、作曲家以外の情報がなかったので、どういう曲目構成のコンサートになるのか当日
まで分からなかった。
ブリテンのアレンジしたパーセルの曲は、イエスティン君のリサイタルでは定番であるか
ら、Music for a whileなどは何度も生で聴いている。しかし、今回は、カロリン・サンプ
ソンとの共演なので、曲目は彼女とのデュエットやそれぞれのソロになっている。
最初の2曲はデュエットで、その後交互にソロを歌い、またデュエットそして掛け合いと
いう構成だった。
歌唱スタイルが似ている二人の歌うパーセルの曲のデュエットは悪くない。しかし、毎曲
ごとに聴衆から拍手が出て、コンサートの流れが滞るのが少々難であった。

Music for a whileは、拙ブログの名前にしているほど好きな曲である。しかし、モダン・
ピアノ伴奏のブリテンによるアレンジはそれほど好きではない、というのが本音である。
しかるに、今回のジョゼフ・ミドルトンによるピアノ伴奏は、今までの誰の伴奏よりも
色彩感とリズム感が卓越していて、情熱と洒脱さに溢れ、いつも聴きなれた曲があっと
驚くほど新鮮に響くのだった。ブリテンのアレンジで内に籠った暗さのはけ口が見えない
ようなイメージが今までは付き纏ったのが、曇りがなく軽快で若々しく明るい曲になって
いて、特に「ドロップ、ドロップ、ドロップ」のピアノと歌唱の掛け合い部分では、まさに
目から鱗がぽろぽろと落ちていくような気分になった。
このピアニストの音には天性の澄んだ明るさがあり、歌手へ寄り添う部分と自分の音楽性
を自由奔放に発揮するバランス感覚にも優れ、こういう伴奏者はなかなか得難い。

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メンデルスゾーンの歌曲をイエスティン君が歌うのを聴くのは初めてである。
バッハやシューマンなどで彼のドイツ語のディクションがなかなかいいことは知っていた。
しかし、カウンターテナーがドイツ語のリートを歌うというコンサートはなかなか珍しい。
そこはかとない憂いをしみじみと聴かせるという点で、メンデルスゾーンの歌曲もパーセル
やダウランドとも比肩しうるということを知ったのはこのコンサートのおかげである。
デュエットも、サンプソンとイエスティン君の声がきれいに溶け合い、新境地の発見だ。
さすがに元合唱団出身だけあって、アンサンブルでの声を合わせることの加減をよくよく
耳で熟知している彼の面目躍如とも言えよう。

また、ロジャー・クィルターという作曲家の名前も曲も聴くのも今回が初めてだった。
今回の5曲は、シェイクスピア、シェリー、ベン・ジョンソン、ベネットの詩に1905年
から1940年の間に曲を付けたもの。エリザベス朝時代のメランコリーとは少々異なるが
やはりどことなく陰影の濃さが感じられるのは、2つの大戦の影に脅かされた時代のせい
だろうか。ノスタルジックな曲調と、真摯な歌唱スタイルが上手く融合して胸に迫る。

1時間のランチ・コンサートでありながら、ソロとデュエットを交え、英語とドイツ語の
しかもレアな曲を集めて、中身の濃さは他になかなかないほどの充実度であった。
こうして、イエスティン君のレパートリーとCTの声の可能性が広がったと実感できたの
だった。
このコンサートで歌った曲を今週レコーディングしているようで、新譜発売が楽しみだ。
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by didoregina | 2016-09-20 19:30 | イエスティン・デイヴィス | Comments(0)

Orlando, もしくは防人の歌


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Händel - Orlando, HWV 31 @ Conertgebouw, Amsterdam 2016年3月7日
The English Concert
Harry Bicket - harpsichord/conductor
Carolyn Sampson - Dorinda
Erin Morley - Angelica
Iestyn Davies - Orlando
Sasha Cooke - Medoro
Kyle Ketelsen - Zoroastro

オルランドというのは、ヘンデルのオペラの主人公の中でも特異さでは際立っている。
心変わりしたアンジェリカ姫をひたすら一方通行の片恋で慕った挙句の物狂いの様子は
ほとんどストーカーになる一歩手前だが、生まれや位の貴賤は関係なく人間ならだれでも
経験しうる人生の苦みがにじみ出ている。
恋する相手につれなくされた哀しみが狂気に変容・凝固した姿が、オルランドでは文字通り
”痛い”ほど晒される。観客はそこに己を投影し、痛みを共感するのである。

さて、イエスティン君オルランドはいかに?そして、オペラ『オルランド』全体としての出来
映えは?

アムステルダム公演に先駆けて、ウィーン、バーミンガム、ロンドンと時間をかけてツアー
しているのだが、一週間前のバービカンでの公演評には5つ星もいくつか出て、各紙こぞって
絶賛していた。こういう時、私の場合かえって眉唾で臨んでしまうのが常だ。なにしろ、
イギリス人指揮者と古楽アンサンブルによる演奏にイギリス人歌手2人(イエスティン君と
サンプソン)それにアメリカ人3人のキャストであるから、ほとんどアングロサクソンで固めたと
言ってよい陣容だから、英国人の好みにハマるだろうことは容易に想像がつく。

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蓋を開けて見ると、歌手陣には若手が揃い、しかも英語を母国語とする人たちという共通点
のみならず、歌唱様式も非常に似通っている。すなわち、一人だけ特出したり様式上異質
だったり、個性の強い歌手の集まりのため音楽表現が各人バラバラで寄せ集め感が漂うと
いうことがまずない。歌手同士そしてオケとも調和が取れ、全体としてのまとまりが抜群である
ため、コンサート形式でありながらしっかりオペラ鑑賞したという満足感を聴衆に与えたことは
特筆すべきだろう。
また、アムステルダム公演はツアーの後半でもあり、それまでの舞台での実地練習も経て、
各人もこなれ、コンディションは最高ということもよくわかるのだった。

このプロダクションでは、非常に狭い舞台という制約があるのに、歌手たちは少々の演技も
行っていた。
それから、ストーリーの流れをぶち壊すようなレチやアリアの大幅な省略もなかった。すなわち、
コンサート形式でのオペラ上演がしばしば陥る歌謡ショーのような形式にならずにすんだ。
そして、舞台上にはオランダ語字幕も出ていた。アムステルダム公演は一回こっきりなのに、
これはかなり上質なサービスだと言えよう。印刷されたリブレットや対訳を読みながら舞台も見る
というのは難しいことなのだ。

演技といえば、イエスティン君は上目づかいで額に青筋を立てたり、暗い狂気の色を目に
浮かべたり、はたまたうなだれたり放心して椅子や階段に座ったり、とエネルギッシュで
迫真の演技を見せ、オルランドになりきっていた。情熱の発散のしようがない片恋と実のない
任務という状況下で鬱屈した若者の姿を熱演し、拍手喝采であった。(他の歌手には歌って
いる時の表情以外では演技と言えるほどの演技はなかった。)

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ドリンダ役のキャロリン・サンプソンとアンジェリカ役のエリン・モーリー

お姫様と羊飼いという対照的な役ではあるが、2人のソプラノはどちらもナイーブでイノセントな
娘らしい清楚な品のよさが要求される点では共通している。魔女や悪女ではないのである。
ドリンダ役のサンプソンには、バッハやモーツアルトのミサ曲やカンタータよりも、ヘンデルの
オラトリオやオペラの方がずっと合っていると思う。明るさのある清澄な声質はとても上品で、
クライマックスでは余裕ある声量を響かせながら格調高さを失わない。大げさでない表情の
演技も悪くない。来季は、オランダ各地のホールにやたらと登場する彼女である。様々な面を
見せてくれるだろうから楽しみである。
また、アンジェリカ役のエリン・モーリーは初めて聴いたのだが、サンプソンと堂々と張り合える
実力で、しっかりとした土台の上に乗った安定した歌唱で驚かせてくれた。アングロサクソン系
歌手らしいストレートな癖のない声が、ヘンデルのお姫様役にぴったりである。

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ゾロアストロ役のカイル・ケテルセンとメドーロ役のサシャ・クック

メドーロ役には女声というのが伝統的配役で、このサシャ・クックという歌手も初めて聴いたの
だが、ルックスに似合わず実に堂々とした太い声のパワフルな歌唱である。
この3人の女声で歌われる三重唱は親和力抜群。彼女達のモーツアルトなど聴いてみたいな
と思わせる。

カイル・ケテルセンの歌声を生で聴くのを楽しみにしていた。溌剌とした若々しさのある好みの
声である。よくありがちな、太ったバスの歌手が体格に頼んで底太な声をビンビン響かせる
ようなのは下品で苦手だが、その正反対でほっとした。ノーブルな軽い味があるから、彼も
モーツアルトで聴いてみたい。

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何といっても、オペラ『オルランド』はオルランド一人で持つ、と言ってもいいほど物語の軸
の中心となる。
騎士オルランドの物語は、やるせなく悲しい。シャルルマーニュの時代に辺境警備をしていた
高貴な騎士の憤懣と無念の錯綜する思いに、律令制時代の日本で丁度同じ頃、九州での
警備任務を課せられた東国の防人の哀しさが私の中で二重写しになり、苛烈な状況下での
過酷なくびきの下に置かれた彼らに同情を禁じ得ない。

Fammi Conbattere、騎士として先走りと空回りの決意の歌は勇ましく、前半のハイライトだ。
手に汗握りつつ、イエスティン君のこの歌を聴いた。最初から最後までテクニック的に破たん
なく、緊張感も途切れず、力強い喉を惜しみなく使いアジリタも決めたので、まずはほっとした。
コンセルトヘボウの客は、総じてレベルが高いと思うのだが、前半はアリアごとの拍手などなく、
音楽の流れやストーリーを分断することなく緊張感が続いた。任務にも恋にも生真面目なあまり、
逃げ場のない袋小路に追いつめられたオルランドの心がピンと張った糸のようになっていく、
張り詰めた緊張感が前半はそうして客席との期待とともに高まっていった。

私にとってのハイライトは、後半のCielo! Se tu il contentiだった。絶望と怒りに心が支配
され、張り裂ける胸の痛みかれ救われるには死しかないという思い、狂気への兆しが見え隠れ
する絶唱である。ここでは高音から低音までの幅が広いのと高音で駆け抜けるアジリタ、
そして低音への跳躍もあるから気が抜けない。一か所だけ、コンテンティの低い音が上手く
聞えなかったのが残念だったが、それ以外は、強弱のメリハリ、声の明暗の変化などめくる
めく疾風のような歌唱を聴かせてくれた。連続発射装置の付いた機関銃のような正確さで
アジリタを飛ばすのだった。
声域的に比較的低めのオルランド役というのは、現在のイエスティン君の男性らしい歌声と
声域にぴったりだと確信できた。特に今シーズンは体調も絶好調、喉には今までにない艶と
深みが増してきている。
自身に咎はないのに誠実すぎることが罪であるかのように報われず、同情を惹くアンチ・ヒー
ローという役どころも甘い坊ちゃん的風貌の彼、にうってつけだ。

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後半から、客席にもオペラを楽しむ余裕が出たようで、アリアごとの拍手が多くなっていった。
このオペラ全体での頂点は、オルランド狂乱の場である。
上着を脱いで、(もともと下に着ているシャツには襟がなく胸ぐりが割と大きく取られている)
シャツの裾を出してしかも一番下のボタンを外し、野営のやつれと自棄自暴になった様を表し、
細かい点までけっこう凝った演技ぶりである。
狂と躁が交錯して、ころころと変わるオルランドの心を映し出すVaghe Pupilleは、調もテンポ
も一定しないかのように変化し、どこかモダンなところのあるのアリアだ。狂気と正気を行ったり
来たりで、ダカーポも破調で変化激しい。ああ、終わってくれるな、もっと繰り返してほしい、
と叶わぬ望みを願いつつ聴いていたのだった。

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コンサート形式のバロック・オペラ上演は、下手をすると歌合戦と化して、オペラとしてトータル
に楽しむことができず、隔靴掻痒というか鑑賞の充実感に欠けることがえてして多いものだが、
今回の『オルランド』は、全体のバランスがとてもよく取れていた。指揮のビケットは出すぎず、
イングリッシュ・コンサートの演奏も、イギリスの古楽オケにありがちな優等生的でまったりして
つまらないということはなく、適度に引き締まって、過剰な分はないが、上品な抑制が利いた
ものだった。特にコンミスがピッシリと演奏を引っ張っているのが印象に残った。
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by didoregina | 2016-03-09 22:29 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

Dunedin Consort & Iestyn Davies @ Bruges Bach, sin & forgiveness

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23 January 2016 @ Concertgebouw Brugge

Johann Christoph Bach (1642-1703)
Ach daß ich wassers gnug hätte, motet

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Brandenburgs Concerto nr. 6, BWV1051

Widerstehe doch der Sünde, BWV54

- pauze-

Dieterich Buxtehude (ca.1637-1707)
Muß der Tod denn auch entbinden, Klag-Lied, BuxWV76/2

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Vioolconcerto in a, BWV1041

Vergnügte Ruh, beliebte Seelenlust, BWV170

Dunedin Consort: ensemble
Iestyn Davies: countertenor
Cecilia Bernardini: viool
John Butt: klavecimbel & leiding


バッハ・アカデミー・ブルージュ2016というミニ・フェステヴァルで、イエスティン・デイヴィスが
バッハ(親子)とブクステフーデを歌うコンサートである。これは何があっても聞き逃すことは
許されない。しかしながら、ブルージュというのは遠い。日帰りは不可能だ。それで一泊
旅行を兼ねて聴きに行った。

彼のレパートリーとしては、現代作曲家によるカウンターテナーのための曲やオペラ、パー
セル、ダウランド等のイギリス人作曲家によるリュート・ソング、ヘンデルのオペラとオラトリオ、
そしてバッハの宗教曲があり、そのいずれも魅力的なのだが彼の歌うバッハをこよなく愛する。
そして意外にも、受難曲やオラトリオはたまたミサ曲などを除いては、バッハのソロCDは出し
ていない。そしてリサイタルでバッハを歌うことはあまりないから生で聴くチャンスも少ないのだ。
(1昨年、ウィグモア・ホールで今回と似たプログラムのコンサートを聴いているが、昨年5月
のバッハ・コンサートは病気のためオックスフォードもロンドンも直前に降板した。)

と言うわけで、いかに私がこのコンサートを待ち望んでいたのかがお分かりいただけようと思う。
そして実際、コンサートで彼の歌声を聴いてみて、古楽のメッカともいえるベルギーでのバッハ・
ミニ・フェステヴァルでバッハを歌うことに、イエスティン君自身がかなり力を入れて臨んだという
ことがよくわかった。

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まず、最初のヨハン・クリスチャン・バッハ作曲のAch daß ich wassers gnug hätteから
渾身の歌声である。この曲はラメントすなわち嘆きの歌であり、胸の中に埋火のように燻る
塗炭の苦しみを甘い悲哀の吐息と共に吐き出す、という表現を期待したのだが、なんと、
今回は甘さを排して実に力強い歌唱なのに驚いた。一昨年のウィグモアで聴いたときとは異な
るアプローチである。言うなれば、辛苦の闇を突き抜けた後の己の姿を客観的に突き放して
眺めているかのようで、甘いメロディーを歌いつつ、悲しみの世界に酔っていないのである。

ドゥネディン・コンソートによる器楽演奏ブランデンブルク協奏曲第六番は、特にアダージョの
部分がよく歌って聴かせる演奏である。

父バッハ作曲のWiderstehe doch der Sündeをイエスティン君が歌うのは何度か聴いている。
今回は甘さを全く排除した男性的な直球型歌唱でドーンと来た。自信に満ち溢れた堂々たる
態度と声である。イギリス以外で歌う時には、緊張で顔面蒼白・表情がこわばっていることが
多いように見受けられるのだが、それは遠征試合に出場しているわけだから当然である。
他流試合に挑む侍みたいな気迫が漲っている。

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ブルージュのホール、コンセルトヘボウは90年代に建ったと思しい、古都には不釣り合いな
ほどモダンで大きなしかし赤レンガを縦のアクセントにした外観の美しい建物である。
そして、ほどよい大きさのホール内部の音響も悪くない。驚いたのは、そのサーヴィスのよさ。
4日間に渡るバッハ・アカデミー・ブルージュ2016のプログラム・ブックは小型ながら無料で、
全曲目の説明も載っているし、別紙に原語と対訳歌詞が付いてくるし、しかもステージ上には
字幕も出るのだった。
特にレチタティーボ部分の訳を字幕で読みながら聴くことができるのはとてもありがたい。

ブクステフーデの嘆きの歌をイエスティン君の歌唱で聴くのは初めてだと思う。
典雅な彩のこの曲は、しかし哀しみの淵に沈む自らを叱咤するような厳しい内容の歌詞を持ち、
やはり男性的なことこの上ない。力強い男声で歌われるとぴったりである。
今回、イエスティン君はどの曲でもメッサ・デ・ヴォーチェを多用している。そして、高音で終わ
るフレーズはピアニッシモにしたり、表現の仕方がサラ様の歌唱を思わせる部分があった。
それでいて、聴かせる部分では声を遠くまで飛ばす。カウンターテナーには珍しく豊かな声量を
誇りホール全体に響かせることも得意な彼であるから、低音も高音も自由自在にフォルテに
しても、全く無理を感じさせない。

このコンサートでのハイライトは、最後のVergnügte Ruh, beliebte Seelenlustだ。
アリア3部とレチタティーボ2部が交互に組み合わさり、華やかな高音を効かせた美しいオルガ
ン伴奏とで盛り上がる。歌とオルガンとの丁々発止とした掛け合いが実に楽しい。
彼のレチには弁士のような熱と勢いがこもり、まるで教会で説教を聴いている気分になる。
牧師のごとき、はたまたバッハの受難曲の福音史家のような粛々とした威厳に満ちているのだ。
めくるめくような音楽の波が、力強く押し寄せては引いていく。最後まで安定して、テクニック
には全く不満の残らない歌唱だった。

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一週間後に、日本での初のソロ・コンサートを武蔵野、名古屋、鵠沼で行うイエスティン君。
相棒トマス・ダンフォードの伴奏でしみじみとしたリュート・ソングを歌うプログラムは、パワフル
なバッハとは対照的で、彼の魅力の別の一面を見せ聴かせることになるだろう。
日本ツアーに同行できないのは悔しいが、コンサートの成功を祈ってやまない。
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by didoregina | 2016-01-27 03:21 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

3 x Bach, 3 x Magnificat in Antwerp

ジョナサン・コーエン率いるArcangeloとソリストによる、バッハ父子3人3種の『マニ
フィカト』コンサート@アントワープのレポ。
3x17、3x Bach, 3x Magnificat @deSingel 2015年9月24日

Magnificat a 4 in C, E22 Johann Christian Bach
Magnificat in D, BWV243 Johann Sebastian Bach
Magnificat in D, Wq215 (H772) Carl Philipp Emanuel Bach

この組み合わせのコンサートはありそうでいてなかなかないので興味を持ち、目をつけていた。
バッハ・マニア向けかもしれない。とにかく、チケット発売日を心待ちにして最前列中央席を
ゲットした。

bass Thomas Bauer
tenor Thomas Walker
soprano Olivia Vermeulen , Joélle Harvey
countertenor Iestyn Davies
musical director Jonathan Cohen
music performance Koor & Orkest Arcangelo

演目以外にもソリストも気になる。贔屓歌手は言わずもがな、メゾ・ソプラノのオリヴィア・
ファームーレンちゃんは前々から一度生の声を聴いてみたい歌手だったのだ。

演奏順は、1760年ヨハン・クリスチャン・バッハ作曲、1733年ヨハン・ゼバスチャン作曲、
休憩後に1749年カール・フィリップ・エマヌエル作曲作品であった。

最初の曲は、3作品の中では一番時代的に新しく、またとても短い。1750年の父バッハの死を
一応バロック期終焉の年とするならば、それから10年後に作曲されたこの『マニフィカト』
には、すでにギャラントを経て古典派への移行が端的に感じられる。
特にわたしの耳を今回の演奏で欹てたのはソプラノ歌手ジョエル・ハーヴェイによる歌唱で、
微妙なうねりのようなヴィヴラートがかなり入っており、お、と思わされた。トランペットの
響きが最初から祝祭的なイメージを醸し出し、それに続くソプラノの声の明るい色あいかつ
いかにもギャラントという雰囲気のオペラチックな歌唱と相まって、バロックとは一味異なる
曲であることを否応なく示す。(そして、その後の大バッハでは、いかにもバッハらしい歌い
方で明瞭に対比を示していた。)
期待のオリヴィアちゃんのいかにもメゾらしいまろやかな声にも最初の一声から魅せられた。

あっという間に終わり序曲のような味わいの後に続く二曲目は、時代を遡って、大バッハ
作品だ。1723年に最初に作曲された最初の『マニフィカト』BWV243aを10年後に改訂
したBWV243が当夜の演奏曲である。
この曲は、なんとコンチェルト・コペンハーゲンにイエスティン君がソリストとして参加した
コンサートを6年前にエイントホーフェンで聴いている、ということを数年後に知ったという
いわくつき。その時のブログ記事を読み返すと、ソリストには印象に残る歌手がいなかったと
バッサリと切り捨てていて名前すら書いていない。それがイエスティン君の歌を生で聴いた
初めてのコンサートであったのに、知らないとはなんとも恐ろしや。というわけで、罪滅ぼし
の意味合いも込めて、今回改めてじっくり聴くつもりであった。
アルトのソリストが歌うのはたった3曲であるが、その中でソロで聴かせてくれるEsurientes
implevit bonisが白眉であろう。最初のソプラノ・アリアEt exsultavit spiritus meusと
呼応するかのような曲調のこの曲は、シンプルな木管の助奏と相まって、樹間から光差し込む
森の小路を小鳥のさえずりを道連れに歩くかのような清澄さと清々しい空気が感じられる。
思わず、大きく息を吸い込み、歌を胸いっぱいに取り込みたくなる。イエスティン君らしい
丁寧な発音で一言一言明瞭に説き聴かすかのように歌われると、その清浄効果は倍加する。

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休憩後は、また、時代が下り、長男カール・フィリップ・エマヌエル作曲の『マニフィカ
ト』。ダイナミックな華々しさ溢れるこの曲を最後に持ってくるのはプログラム構成上、
当然のことといえる。
しかし、なんとアルトが歌うのは2曲のみ。しかもそのうちイエスティン君が歌ったのは
ソロ1曲だけだから、彼君目当てで行くとかなりコスパが悪いかもしれないが、わたしには
オリヴィアちゃんという別の楽しみもあったのだ。Deposuit potentes de sedeは彼女と
テノール歌手とのデュエット。
オランダ人らしくすらりと長身で、今回はディーヴァ風なパープルの後ろにスリットが長く
入ったボディコン・ドレス姿の彼女は、聴衆の目も耳も逸らさない華がある。また、その
スタイルのよさから、ズボン役はさぞかし映えるだろうなと思わせる。声は、私の好みの
タイプのメゾで強いて言うならば、マレーナ様に近い感じ。若手で実力もルックスも兼ね
備えている彼女の今後には期待できる。ぜひオペラ舞台で見て・聴いてみたい。

この『マニフィカト』は、なんだかヘンデルのオラトリオを聴いているような気になる。
メロディーにもどこかところどころ聞き覚えのあるような、懐かしさがこみあげてくるので
あった。
ここでのアルト・ソロSuscepit Israel puerum suumは、私的にはこのコンサートのハイ
ライト。バスもテノールもソプラノも、ドラマチックで迫力ある歌唱を聞かせはくれたが、
切々と胸に響くのは耳になじんだイエスティン君の声だ。彼が歌うバッハをヘンデルのオペ
ラやオラトリオと同じかそれ以上に好きだと、改めて思った。
この3人のバッハによる3つの『マニフィカト』は、来月ロンドンとタトベリーでのコン
サートの後、CDレコーディングされるそうだ。合唱団もオケも、こうして何回かコンサート
を重ねて音楽が練られていくだろうからCD発売も楽しみだ。

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by didoregina | 2015-09-29 19:35 | イエスティン・デイヴィス | Comments(4)

Nico Muhly's "Sentences" reviewed

After the world premire at the Barbican 2 weeks ago, I attended the concert
again in Cologne to "review" Nico Muhrly's "Sentences".
One can hardly make a fair judgement of a new piece after listening to it only
once. I needed to ruminate and resume it before making the final verdict.

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Iestyn Davies Countertenor
Lawrence Power Viola
Britten Sinfonia
Nico Muhly Dirigent

Antonio Vivaldi
Stabat Mater f-Moll RV 621
für Alt und Streicher

Benjamin Britten
Lachrymae. Reflections on a song of John Dowland op. 48a (1976)
für Viola und Streicher

Igor Strawinsky
Concerto en Ré (1946)
für Streichorchester

Nico Muhly
Sentences (2015)


The concert programme at the Kölner Philharmonie was slightly different from
that at the Barbican: instead of Dowland's If my complaints could passions move,
it started with Vivaldi's Stabat Mater and ended before the interval with Stravinsky's Concerto.
I think this programme is a logical choice to make ultimate use of this particular
hall in Cologne, which is rather huge but the acoustics are marvellous, nearly the
most perfect for not only symphonic music but also vocal recitals.

From the very beginning of the note, Iestyn Davies' voice sounded smoother and
brighter than ever. He sang as if he was telling us the story of Holy Mother
convincingly with deep emotion but with some kind of coolness like an evangelist.
He must have been one of the eyewitnesses of the Crucifixion.

Britten's Lachrymae was chosen for the both concerts at the Barbican and in Cologne.
Although it has the subtitle "Reflections on a song of John Dowland", it went very
well without preceding Dowland's song. Lawrence Power was a powerful viola soloist
and together with the other strings it formed an excellent ensemble: graceful and
colourful performance.

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During the interval, Iestyn Davies came on the stage to prepare some equipment
for the next piece; he set and tested the microphone and the sound looping machine
carefully, but this time he seemed less nervous than 2 weeks ago.

Yes, I knew how the music of Sentences would sound and what it went about.
A sort of monologue opera about the life of Alan Turing, the father of computer,
who decoded the Enigma Code during the WW II. Earlier this year, I watched The Imitation Game, a suspense film based on historical facts and a fiction about him.
I enjoyed this very thrilling film and of course Cumberbatch was playing the role of Cumberbatchy person brilliantly.

Nico Muhrly's piece consists of 7 parts which all made out of kind of poems, narrated
by Turing telling his fragmented memories. The memories are such personal things
that they never tell the objective truth. The libretto by Adam Gopnik’s sounds to me
like a sad attempt to recall of visions lost in dreams and nightmares.
The music composed by Muhly, on the other hand, sounds easier to listen: no ugly dissonance nor unnecessary and irritating combination of chords, but clear-cut
lines.
Nico composed this piece for the voice type countertenor, especially for Iestyn.
That's so obvious that Nico knows the best part of Iestyn's voice range and how
it sounds most beautifully in some vowels. An ideal piece for Iestyn, and Iestyn
should be an ideal singer for Nico.

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It was a magical experience to hear this piece again in Cologe; it soudend like a
totally different one from that I had heard 2 weeks ago. Thanks to remarkable
acoustics of this hall, this time music was much more phenomenal.
The low string section sounded sublimely and the high notes of celesta played by
Nico himself sounded more crystal-like and sharp. Here in this hall every single
sound of instruments is as if almost visible and touchable.
This percetion and the resonance of estyn's voice aroused me blisfull feeling.
What a triumphant achieved by two boys, Nico and Iestyn!
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by didoregina | 2015-06-23 20:33 | イエスティン・デイヴィス | Comments(0)

Farinelli and the King or how I learned to stop worrying and love the castrato

2015年最初のハイライトは、グローブ座のサム・ワナメイカー・プレイハウスでの新作芝居
Farinelli and the Kingにイエスティン君がファリネッリ役で出演ということで、期待とある
種の胸騒ぎを覚えつつ、2月12日を心待ちにしていた。
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Farinelli and the King by Claire van Kampen @ Sam Wanamaker Playhouse
2015年2月12日
Directed by John Dove
Designed by Jonathan Fensom
Musical Director/Harpsichord: Robert Howarth

Sam Crane:Farinelli
Huss Garbiya: Doctor Jose Cervi
Melody Grove: Isabella Farnese
Colin Hurley: Metastasio
Mark Rylance:Philippe V
Edward Peel: De la Cuadra
Iestyn Davies: Castrato

新作であるし、私たちが行ったのは二日目公演なので、ほとんどまだ評も出ていないから、
ほぼ白紙状態で臨んだと言える。事前に知っていたことといえば、年末にイエスティン君が
ラジオ局と組んでファンとのインタラクティブ・インタビューを行った際訊き出したのだが、
ファリネッリ役は役者と歌手の2人が舞台に立ち、イエスティン君は歌のみの担当で、台詞は
ないだろうということ。
う~む、ファリネッリが2人か一体どういう芝居になるんだろう、どういう歌をどの場面で
歌うんだろう、そして、歌手ファリネッリ役のイエスティン君の立ち位置はどこだろう、
普段ならなにがなんでも最前列中央の座席を取るのだが、劇場内部の構造がよくわからない
まま取った座席からの眺めはどうなんだろう、と疑問と期待とが交差する毎日であった。

さて、当日は早めに劇場に行った。付近のカフェか劇場カフェで軽く食事でもしようという
わけである。出待ちのための楽屋出口下見という意味もあるのだが、それらしきドアは全く
見つからない。着物にコートとマントの重ね着をしていたが外は寒い。中に入って、切符
売り場の辺りに立って同行者とおしゃべりなどしていた。すると、なんとそこに楽屋入り前
私服のイエスティン君が現れたのである。よく見かけるグレーのセーター姿にピンときた。
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以前ここに来たことのあるロンドンの椿姫さんによると、この劇場は内部写真撮影厳禁で
その厳しさは徹底しているということなので、カーテンコール写真は撮れないだろうし、
楽屋口もわからないから出待ちもできないし、と思っていた矢先だったので、これ幸いと
パパラッチさながらに取り囲んでパチパチとイエスティン君の写真を撮らせてもらった。
(私服姿でもあり、他の人たちはイエスティン君には全く気づいていないようで、私たち
以外に彼の写真を撮る人はいないのであった。それとも、この劇場に来る人たちの大半は
CTとかオペラとかバロックとかにはあまり縁がないのかもしれない。)

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昨年建ったばかりのサム・ワナメイカー・プレイハウスの見取り図。
左下部分がこじんまりとした劇場で、それ以外の空間に、切符売り場(右)、
カフェ(左上)、階段などが見える。

劇場内部の写真撮影が不可ならば、撮れるところで撮っておかねばと、フォアイエで着物姿の
記念写真撮影もした。

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昨年1月にこけら落としをしたばかりの新しい劇場だが、外観はイギリス版北方ルネッサンス
のジャコビアン風の端正かつシンプルな煉瓦造りなのに対して、劇場内装は木材に黒と金の
彩色が施されてかなりバロックっぽい趣味の豪華さで、しかも照明は天井から下がるシャン
デリアもステージ壁も舞台床も本物の蝋燭のみという凝りようである。だから、内部はほの暗く、
いかにも時代劇を見るのに似つかわしい雰囲気で気分は嫌が応にも盛り上がる。
丁度、四国高松にある、江戸時代の芝居小屋を模して造られた金丸座のような具合で、その
時代の空気が味わえるこの空間に、芝居好きならば一度は身を置いて劇場体験すべきだ。

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トイレのある場所は2階奥で、一番上の写真にあるハーフティンバーのエリザベス一世時代の
チューダー風建物のグローブ座に壁を接して繋がっているようだ。

さて、ようやく開演時間が迫ってからドアが開き、客は座席に着くことが許される。
1階バルコニー右側の席で、びっくりするほど小さな芝居小屋ながら、柱が邪魔になる席も
あるので、値段は隣り合わせの席同士でもかなり幅のある設定になっている。私の席は45
ポンドだったと思うが、クッション付きベンチ席で余裕があり視界も悪くなかった。

ロンドンの歌劇場と芝居の劇場との違いで一番大きいのは、後者内部での写真撮影絶対禁止と
いう方針の徹底度だ。開演前に客席の様子を写すのすらきつく咎められるということは、
11月の遠征時に鑑賞したオールド・ヴィック座での『エレクトラ』で重々承知している。
狭い劇場に比して案内人の数が多いのと、客席数も少ないため係員一人ひとりが目を光らせて
いて、見つかれば遠くからでも叱責注意されるという現場を目撃しているから、カメラを取り
出すのさえ恐ろしくてできない。
そして、もう一つの驚きは、これもオールド・ヴィック座で経験すみなのだが、客席への
飲み物持ちこみが当たり前であることだ。皆、プラスチックのコップに入った水やビールや
ソフトドリンクを手にしている。(ラウンドハウスからのオペラ『オルフェオ』ライブ・スト
リーミング中継で映された客席でもリラックスして飲み物片手の人が目についたので、ロン
ドンの芝居小屋では当然のことであるらしい。)

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舞台奥の部屋や壁などはこの芝居のために作られたデコールではなく常設で、中央奥から
役者が舞台に登場する。舞台を客席から隔てるカーテンはない。また、芝居は舞台上だけで
なく平土間の客席通路や舞台の階上でも行われる。器楽演奏は、教会のパイプオルガンある
いは合唱団席さながらの舞台奥の階上にあるギャラリーが定位置である。

今回、イエスティン君の歌が目的で来ている客は少数派であるらしいことは、歌劇場やコン
サート・ホールとの客層が違うことから察せられた。そして、観客の目的は何よりも、今
飛ぶ鳥を落とす勢いの俳優、マーク・ライランス演じるスペイン王フェリペ役を見るためと
いうことは紛れもない事実だと実感した。それは、彼の一挙一動に会場の目が注がれ、意外
にも喜劇的要素の多い芝居なので、彼のセリフごとに笑いが起こる、という塩梅である
ことから知ったのである。なるほど、開演前に会ったイエスティン君が言っていた
「すっごくファニーで楽しく笑える芝居だから。」というのは、このことなのかと悟った。
ファリネッリと王様という芝居は喜劇とは最大の予想外であった。

それと同様に予想外で驚かされたのは、ファリネッリとスペイン王そしてイザベラ王妃との
三角関係が後半では重要な話の運びになっていることだった。
前半では主に、鬱で自分の世界に閉じこもり国政に興味を無くしている王の周りで起こる
悲喜劇と、そんな王をなんとか救いたいがために、音楽の力で病気や神経が和らげられるの
ないかと思い、ロンドンの劇場情勢に詳しいイザベラ王妃がファリネッリをスペインに招聘
し、王様専属歌手にしようとする、かなり状況説明的な筋で進んだ。

ウィーンのメタスタージオを仲介人にして人気絶頂のファリエッリをなんとかスペインまで
来てもらうことに成功。王の枕もとで歌う、Alto Gioveが前半のハイライトであろう。
ファリネッリといえば誰もがこの曲を思い浮かべるし、ポルポラ作曲で彼の音楽書法および
カストラートの喉やテクニックを聴かせる技巧など全てが凝縮したこの歌は、最近では若手
CTたちも何人かレパートリーとしている。
この歌なしではこの芝居もあり得ないだろうと思っていたが、イエスティン君がこの歌を
歌うのを聴くのは初めてなので、どんな具合なのか、しかし彼の得意とする唱法とはかなり
異なるテクニック、メッサ・デ・ヴォーチェやヴィヴラートなどのケレンミを必要とするから
なあ、と不安半分・期待半分であった。やはりと言うべきか、かなりあっさりと正攻法聖歌
隊的で、艶めかさや哀愁や甘美からはほど遠いものであった。しかるに例えるならば、夜空に
きっかりと輝く星の清澄さ、森の木立の間から地面に差し込む月光のごとくひたすらと清々
しいのである。
もしも超絶技巧を駆使した唱法でこの歌を歌われたら、王は興奮、ますます目が冴えてし
まって眠るどころではなくなるから、子守歌のような歌唱は本来の目的に適っているとも
言えよう。

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後半は、心の平安を取り戻した王と王妃とファリネッリとの楽しい田舎生活、そして王妃と
ファリネッリとの不倫が軸になる。
森の中の狩の場面では、景気づけのため勇ましいVenti Tribuniをファリネッリが歌う。
このアリアは、ヘンデルの『リナルド』での白眉であり、昨年グラインドボーンで題名役を
歌い演じたイエスティン君の十八番である。男っぽいこの歌は、だから、二重の意味で
テクニックも含めてばっちりと決まる。
だが、しかし、ここでまたいくつか疑問が湧く。
まず、この選曲は脚本家(作曲家としての方が有名なクレア・ファン・カンペンが初めて
脚本を書いた)によるものなのか、イエスティン君からのアドヴァイスなのか。
そして、イエスティン君が歌手ファリネッリとして舞台に登場するのはほぼ歌う時のみで
あるが、もう一人のファリネッリ役俳優とイエスティン君とはルックスがよく似ている。
歌が始まると2人のファリネッリが舞台上で入れ替わる時もあるし、2人がそのまま一緒に
いる場合もある。わざわざ、そっくりさんを選んだのだろうか。
そしてまた、イエスティン君はオペラ舞台経験も多く演技力もあるのだから、わざわざ
ファリネッリ役を2人にする必要はあったのだろうか。

第一の疑問に加えるに、後半の二番目のアリアにCara Sposaが使われたのは、王妃とファ
リネッリとの不倫の愛という場面にはぴったりであるが、逆に考えると、もしかしたらこの
歌を使いたいために不倫という設定を作ったのかもしれない。そんな疑問も湧くほど、
この歌もイエスティン君にお誂え向けの十八番で聴かせる歌なのだ。

第三の疑問にも加えると、オペラ歌手だから舞台で歌以外の台詞を覚えたりしゃべるのは
さほど苦になるとも思えないのだが、地の声がかなり低いイエスティン君の場合、しゃべる
のとファルセットの歌唱とを交互にというのは喉には負担になるからだろうか。
かなりの回数出演の舞台だから、出ずっぱりというのは重労働かもしれないが、イエスティ
ン君の演技や異なる表情をもっともっと見たかった。というのは、歌手ファリネッリとして
登場する彼は、人気と地位に恵まれた華やかな人生を象徴しているとは思えないほど沈痛な
表情で歌うことが多かったからだ。

王のもとを去るファリネッリが歌うのは、『私を泣かせてください』で、これとともに幕。
この曲は、『リナルド』では本来ソプラノが歌うのだが、今まで一度たりともソプラノが
歌うこの曲を聴いて満足したことがない。かなりスローテンポなのは己の境遇の辛さを切々
とかきくだき、悲劇のヒロインである自分に酔っているようなのが常道で、かえって聴く方は
白けてしまうことが多いのだ。それに対して、女々しいところの少ないメゾやCTが歌うと
この曲はいい曲だなあ、と思うことが多い。
イエスティン君がこの曲を歌うのを聴くのは今回が初めてだったが、『ファリネッリと王』
のラストでストレートに全くてらいなく歌われたこの曲がしみじみと心に響き、これほど
イエスティン君向けの曲だとは、と新たな発見に目を瞠らされたのだった。
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by didoregina | 2015-02-26 22:11 | イエスティン・デイヴィス | Comments(8)

England's Orpheus, or the festive finale of a year with.....Iestyn Davies

December the 5th is St. Nicholas’ Eve. In several parts of Europe, particularly
in the Netherlands and Belgium, it’s more important than Christmas, especially
for children who try to behave well to receive fancy presents from the Good Saint.
On that very evening, Iestyn Davies (countertenor) and Elizabeth Kenny (lutenist)
would give an intimate lute song concert at Shoreditch Church (St. Leonard’s) in London. Early music lovers might hardly imagine any better treat than this.
So I flew away from the warmth and cosiness of festive event in Holland to attend
the concert to celebrate the finale of an extraordinarily musically fruitful year.

c0188818_2045061.jpgEngland's Orpheus
5 December 2014, Shoreditch Church (St. Leonard's)
Iestyn Davies (countertenor), Elizabeth Kenny (lute)

Purcell: Music for a While,
Sweeter than Roses,
A Song Tune (lute solo),
RIgadoon (lute solo),
'Tis Nature's Voice.

Dowland: Come Again,
Flow My Tears,
Semper Dowland, Semper Dolens (lute solo),
Now, O Now I Needs Must Part

[interval]

Dowland: In Darkness Let Me Dwell,
King of Denmark's Galliard (lute solo),
Can She Excuse My Wrongs?,
Sorrow Stay

Handel: O Lord Whose Mercies Numberless,
Non può mia musa,
Può te, Orfeo, con dolce suono, Dunque maggio d'Orfeo,
Ogn'un canti e all'Armonia

Robert de Visée: Prelude and Chaconne (theorbo solo)

Purcell: By Beauteous Softness,
If Music Be The Food Of Love,
An Evening Hymn

Encores:
Handel: Cor Ingrato from Rinaldo
Thomas Morley: Will You Buy A Fine Dog?

I have a kind of tendency to avoid concerts held at churches, as I’m rather
critical and sceptical about the acoustics in churches in general; in most cases
the choir sounds too solemn to understand what they are singing because of
echoes and reverberations. In order to prevent that kind of disappointment,
you have to take a seat as close as possible to the musicians, where you can
hear the sounds directly. So my friends and I started standing in front of the
church door 30 minutes before it opened, and could successfully get the best
seats on the front row.
Another threat to a church concert is rather low temperature inside; in winter
you might regret, if you don’t dress like going out to watch a football game.
I remember a Bach concert at Our Lady’s Church in Maastricht a few years ago;
the audience jumped up soon after the last tune had faded (it took some time
before all became quiet, as the reverberation time of that church was extremely
long), clapped shortly and rushed outside, instead of giving a usual standing
ovation. Our patience reached nearly the limit, and it was too cold to behave
politely. I still wonder how musicians and their instruments survived in such
extreme circumstances…..

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(photo courtesy of Peraperaopera)

The fully packed Shoreditch Church looks quite cosy with candle lights here and
there on the stage. There are even some seats set on the stage just surrounding
the artists like a shield or a wall, which, in my view, would be aimed to create
better acoustics.

The opening number of the concert is Music for a while. During last 12 months I attended 9 concerts and 3 operas in which Iestyn was involved and this is my
5th time to hear his singing this song live. Music for a while is obviously and
absolutely my favourite song from Purcell, and this time it is accompanied with
the lute. This combination results in plain beauty. I am so touched by the music
played by two artists who look totally devoted to entertain us in such a sincere way. This is the best Music for a while rendition ever, bearing a touch of loneliness,
despair and hope. I first try to keep myself calm but soon surrender and let my
eyes filled with tears. Later Iestyn sings Flow My Tears suitably with full essence
of melancholy.

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(photo courtesy of Peraperaopera)

The second part after the interval starts with melancholic Dowland’s In Darkness
Let Me Dwell. It is impossible not to be blown away, by hearing England’s living
Orpheus singing this song. But he sings it without unnecessary pretension; yes,
which you can call the art of melancholy. I am particularly fond of the way he ends
the song suddenly with no display of sentiment, which is so effective, sensible and stylish.

Lutes and theorbo require tuning often, so Iestyn and Lizzy talk meanwhile about instruments, composers, their first collaboration some 20 years ago and so on.
(One of the CD booklets I brought to be signed is coincidentally the recording for
which they worked together when Iestyn was 13 years old. I asked them to sign
on it at the post-concert signing session. This is Iestyn’s autograph, mocking as if
a 13-year-old boy wrote it.)

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Lizzy plays some solo lute pieces, which also sound intimate and unpretentious.
Robert de Visee’s works are not familiar to me, but they recall me a same sort of
delight as Dutch art of 17th century. Perhaps it’s because of the composer’s name;
Vise is the nearest Begian town just across the border from my place. Might his
family have come from Vise, or he himself have been born there?

Handel is honourably nominated as an English Orpheus in this concert. I don’t
disagree, though he is totally different from the two former composers. I’m also
a Handelian and I always appreciate Iestyn’s performing roles in Handel’s operas
and oratorios, so it is more than welcome that Handel repertoire is included in
tonight’s programme. Iestyn sings Non puo mia musa, which, to my surprise, seamlessly matches the rest of the programme, even though it’s sung in Italian
with more vivid colours and lighter ornamentation than relatively monochrome
Dowland and Purcell songs.

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Purcell’s Evening Hymn is a perfect song to finish a lute song concert; I never call
this song a tearjerker, but this time I can’t help my lacrimal gland loosing. What a blessing.
There are two encore pieces: Handel’s Cor Igrato from Rinaldo, and Thomas Morly’s
Will you buy a fine dog? The contrast is huge:one is serious and the other is funny, which shows his versatility in wide repertoire. After attending this memorable, comprehensive and exquisite concert, I can’t help feeling like listening to Iestyn's performing on an opera stage soon again.
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by didoregina | 2014-12-09 21:38 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

イエスティン君『リナルド』を鑑賞するためにグラインドボーンへ!

待ちに待ったイエスティン・デイヴィス主演の『リナルド』@グラインドボーンだ。

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3年前のグラインドボーン本家版初演の主演はメゾ・ソプラノだったため、さほど実演鑑賞
したいという気にはならなかったが、そのあとのツアーには、当時最も応援していたカウンター
テナーのクリストフ・デュモーがリナルド役に抜擢されたため、かなり本気で、行くべきか、
と悩んだものである。しかし当時、次男が高校の最終学年の、日本で言えば受験追い込みの
重要な時期であったため、オペラ鑑賞のためイギリス遠征など親として憚られたのであった。
無事に大学に入学した子供たちが親元を離れた今、ようやく大手を振って遠征ができるように
なった。そして、今年の主演は、現在最も贔屓にしているCTのイエスティン君である。3年間
待った甲斐があったというか、まるでわたしのために取っておいてくれたかのようにお誂え向
で、とにかく気合が入ったのも当然である。

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長年憧れていたグラインドボーン、しかも応援している歌手の檜舞台を観に行くからには、
座席ももちろん特等席に座りたい。チケット・ゲット方法を色々研究したが、結果として
上手い具合に最前列中央の席が取れた。一般発売前にテレグラフ紙購読者向け優先発売コード
というのを目ざとく見つけたロンドンの椿姫さんが参戦。すでにグラインドボーン友の会会員
向けには発売された後なのだが、なぜかぽつんと最前列中央の2席が残っていたのである。
しかも、比較的安い。指揮者が邪魔で舞台が見えにくいとか何か裏があるんだろうか。

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グラインドボーンには、ロンドンの椿姫さんと日本からのVさんと3人で電車で出かけた。
グラインドボーン付近の町か村のB&Bに泊まってタクシーで行くという案も当初あったが、
お勧めB&Bが満室だったのと、ロンドンから日帰り可能だから不便な田舎に宿泊するより
かえって楽、という椿姫さんのご意見に従ったのだ。
ヴィクトリア駅発イーストボーンなどイギリス南部の海岸行きの電車をルイスという町で
降りると、グラインドボーン・フェスティヴァル会場行きのシャトルバスが待っていた。
『リナルド』の開演時間は通常より早く午後5時なので、電車は1時47分ヴィクトリア発に
乗るようにとのフェスティヴァルからの指定である。主催者がチャーターしたバスには着物を
着ていたためか、優先的に誘導してくれすぐに乗れた。ダブルデッカーが狭い町の坂道を
上ったりするから、ちょっと怖い。

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バスが駐車場に着くと、そこから広い芝生の庭に直結している。囲いとか門みたいなものは
見えない。そして、皆、それぞれ好きな場所にピクニック道具を広げるのだ。
バスも電車も、皆さまが持ち込んだかさばるピクニック一式で大変な具合だ。
その辺の公園にピクニックに行くのではなく、天下のグラインドボーンであるから、道具も
凝っている。F&Mとかブランドもののレベルの付いた立派なバスケットはマストアイテム。
草地に直接座る人たちもいるが、ロングドレスの人たちはもちろん椅子とテーブル。だから、
テーブルクロスやキャンドルも必要アイテムだ。食器やカトラリー、グラスに至るまで、
プラスチックとか紙製などもってのほか。ブラックタイと釣り合いの取れないような安っぽい
ものが見当たらないのは当然である。

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開演前の1時間半くらいの時間、ピクニックを楽しむのがいい。そのあとの2度目の幕間も
食事やピクニックのため1時間半あるが、外での食事はもう暗くて寒いから楽しめないだろう。
着物で電車に乗って大荷物を運ぶのはみっともないのでピクニックの準備をしてこなかった
私たちは、敷地内を散策して開演前の前座さながらのエンタメとして皆さまの目を楽しませる
ことに専念(?)した。

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しゃなりしゃなりと練り歩きつつも、レストランや楽屋口のチェックは忘れなかった。
食事時間は短いし、最前列中央の席というのは非常に外に出るのに時間がかかるからだ。
どういう手筈でレストランに入るか、バスの時間に遅れないようどういうルートを通って
楽屋口まで行くか、外に出られた早い者から行ってご贔屓が出てきたら待っていてもらう
ように頼むとか、事前準備を怠ってはならない。
楽屋口に近づくと、発声練習するCTらしき声が建物の窓から聞こえてきた。窓の奥に人影が
見えたので椿姫さんが手を振ったら振り返してくれたのは、たぶんアントニー君であろう。

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敷地内にはご当主ご一家が住む。というより、敷地内にオペラハウスを建ててしまったという
方が正しいかもしれない。こちらは、本館マナーハウスに直結したサロンのオルガンルーム。
17世紀オランダ製のパイプオルガンの他、壁にはオランダ黄金時代の絵画が沢山飾られている。

さて、開演時間が近づくが、オペラハウスのホールにはなかなか入れてくれない。至近のドア
の前に立って開場を待つ。待つ人は少なく、皆のんびりしたものである。そしてそこで初めて
チケット・コントロールがある。つまり、そこまでは誰でも入ろうと思えば入れるのだ。
オペラを見ないで、ゴージャスな雰囲気とのどかなカントリーサイドの景色を楽しむだけに
ピクニックすることも可能なのだ。
とにかく、お客は悠揚迫らずのんびりゆったり過ごせる。運営側はそういうリッチな気分に
浸ってもらうための努力を惜しまず、すべてがスムーズに事が運ぶのだった。ドアやトイレの
数も多く、並んだりする必要はどこにもない。お見事、脱帽である。

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会場に入り、最前列中央の席に座ると、すぐ後ろの席にやはり着物をお召しになった若い女性
が。彼女の方から気が付いてくれたのだが、なんと数年前、東京の芸大での『アリオダンテ』
公演鑑賞をブログ仲間とご一緒したあとのオフ会に友人の友人として参加した方なのだった。
なんという奇遇!ヘンデル大好き仲間同志、開演前や幕間に大いに盛り上がったのだった。

オケピットはかなり深めだが、指揮者が立つとどうだろうか。舞台の邪魔になるだろうか。

長くなったので、その先は続き記事にしたい。
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by didoregina | 2014-08-27 16:50 | イエスティン・デイヴィス | Comments(6)

Iestyn Davies Recital: Evensong - English Cathedral Organists in Song

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2014年6月15日@ウィグモア・ホール
Evensong - English Cathedral Organists in song

Iestyn Davies (countertenot)
Malcolm Martineau (piano)

Michael Howard: The painted rose
Purcell: Full Fathom Five (realised by Thomas Adès)
William Croft: A Hymn on Divine Musick (realised by Britten)
William Byrd: Ye sacred muses
Jeremiah Clarke: A Divine Hymn (realised by Britten)
Herbert Howells: Goddess of night; The little boy lost; When the dew is falling;
King David

Intervval

Charles Villers Stanford: La Belle Dame sans merci
Cyril Bradley Rootham: Everyone sang; Idyll; A supplication
Francis Jackson: From a railway carriage
Philip Moore: Summer night; Cradle song
Francis Jackson: Tree at my window
Thomas Dunhill: The Cloths of Heaven
Henry Walford Davies: I love the jocund dance
Ivor Gurney: The Apple Orchard
Ivor Novello: Fly home little heart

Encore
Henry Purcell: An Evening Hymn; Music for a while

イエステイン・デイヴィスがロンドンで行うコンサートではフランチャイズ化している
というか定番会場であるウィグモア・ホールには、今回初めて入った。
ホールのサイズ、ステージの造り、イスの並べ方その他内装など、コンセルトヘボウの
小ホールにとても似ている、という印象だ。(コンヘボの小ホールの方がもう少し寸詰
まりで横に広いが)室内楽コンサートや声楽リサイタルにはぴったりの規模である。
音響の感じも似ていて、小さなホールなのでちょっと響きすぎるきらいがある。
ともあれ、インティームな雰囲気は悪くなく、いかにもクラシック好きそうな客層
(イケてない服装や高齢の年齢層)もコンヘボと激似。

すべてを聴かせます!という先月のケルンでのリサイタル曲目とはまた打って変わって、
今回はイギリスの聖堂付属オルガニストによって作曲された16世紀から21世紀までの聖歌・
讃美歌などが中心のオリジナリティあふれる選曲の意欲的なプログラムである。(終演後、
ピアニストに訊いたところ、曲目選定はイエステイン君)

バードやパーセルそしてハウウェルを除くと、今まで名前を聞いたことがない作曲家ばか
りである。

パーセル作曲(アデス編曲)のFull fathom fiveを、イエスティン君のコンサートで聴く
のは4回目である。土臭い男性的なイメージの曲であり、しかも音域があまりCT向けでは
ないように思えて最初のうちはこの曲を聴くのが苦手であった。
しかし、何度も生で聴くうちに、英国的かつ控えめなこの曲のよさが少しわかるように
なったのか、それともパワーを抑えてリラックした優しさの感じられる歌唱と、それに
寄り添うピアノの親密さに感服したこともあり、そんなに悪い曲じゃないんじゃないか、
と思えるようになった。

教会付属オルガニスト作曲であっても、聖書を題材にした抹香臭い曲ばかりというわけ
ではないのがこのプログラムのミソで、シェイクスピアやブレイク、キーツ、テニソン、
イェイツそしてフロストなどの詩に付けられた曲は、テーマも様々である。

後半は非常にロマンチックな詩に作曲されたものが多い。休憩後最初の曲は、キーツの
「つれなき美女」なので、身を乗り出して聴いた。ところが、意外にもかなりあっさりと
いかにも20世紀的初頭の作風で、19世紀的ロマンチシズムの情感はほとんど感じられない
曲なのであった。う~む、この詩はやっぱり朗読を聴く方が好きだ。




それに対して、21世紀になってムーアが19世紀のテニソンの詩と17世紀のワッツの詩に
曲を付けたSummer NightとCradle Songは優しさにあふれるメロディーで気に入った。
特に、子守唄はイエスティン君の慈愛に満ちた歌唱とも相まって、じんわりと心の琴線に
触れるのであった。

わたしにとっては、ジャクソンがフロストの詩に付けた曲Tree at my windowが今回の
リサイタルの白眉であった。イエスティン君によって歌われる英語の歌詞は、毎度ながら
明瞭かつ丁寧な発音で美しく、ホールの隅々にまで届く歌唱には余裕もうかがえる。
前回も感じたのだが、イギリスで歌うときにはいい意味でリラックスしたものが感じられ、
こちらも緊張を強いられることなく楽しめるのだ。

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アンコール1曲目は、まさに今回のプログラムにはこれ以上ふさわしい曲はありえないと
思われるパーセルの「夕べの賛歌」。
イエスティン君によってしみじみと歌われると、涙がこぼれそうになるほど美しい。

そして、アンコール2曲目は、まさかの Music for a while. 
この曲は、コンサートの〆、アンコールにやっぱりふさわしい。
これで希望がまた一つ叶った。あとは、イエスティン君の歌うChe faroが聴けたら、もう
思い残すことはないだろう。


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by didoregina | 2014-06-23 15:34 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)

イエスティン・デイヴィスのリサイタル@ケルン

昨年末から各地で様々な演目・曲目で聴いているイエスティン・デイヴィスだが、
このリサイタルはまさに集大成、ほとんど全て聴かせます!という内容だった。

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2014年5月17日 @ Kölner Philharmonie

Iestyn Davies Countertenor
Malcolm Martineau Klavier

Henry Purcell / Walter Bergmann / Michael Tippett
"Music For A While" (1692)
aus der Musik zum Schauspiel "Oedipus, King of Thebes" Z 583 von John Dryden und Nathaniel Lee. Gesetzt für Singstimme und Klavier

Henry Purcell / Benjamin Britten
"Sweeter than Roses" Z 585/1
aus "Pausanias, the Betrayer of his Country" Z 585. Bearbeitung für Singstimme und Klavier

Henry Purcell / Benjamin Britten
"Lord, what is man?" (A Divine Hymn) Z 192 (1693)
für Singstimme und Klavier (1947)



John Dowland
"In darkness let me dwell"
für Singstimme und Klavier

Thomas Adès
Darknesse Visible (1992)
für Klavier

Henry Purcell / Thomas Adès
"Full Fathom Five"
für Singstimme und Klavier. Text von William Shakespeare

Michael Tippett
Songs for Ariel (1962)
für Singstimme und Klavier. Texte von William Shakespeare

Franz Schubert
Der Tod und das Mädchen op. 7,3 D 531 (1817)
für Singstimme und Klavier. Text von Matthias Claudius

Johannes Brahms
Alte Liebe op. 72,1. Text von Karl Candidus
aus: Fünf Gesänge op. 72 (1876–77)

Johannes Brahms
Unüberwindlich op. 72,5. Text von Johann Wolfgang von Goethe
aus: Fünf Gesänge op. 72 (1876–77)

Pause

Johann Sebastian Bach / Benjamin Britten
Five Spiritual Songs
für hohe Stimme und Klavier (1969/1971)

Nico Muhly
Four Traditional Songs (2011)
für Singstimme und Klavier

Benjamin Britten
The Salley Gardens
aus: Folk Song Arrangements. Vol. I British Isles (1941–42)

Benjamin Britten
"There's none to soothe"
aus: Folk Song Arrangements. Vol. III British Isles (1945–46)

Benjamin Britten
Oliver Cromwell
aus: Folk Song Arrangements. Vol. I British Isles (1941–42)


まず最初の3曲は、パーセル作曲だがピアノ伴奏と声楽用にティペットやブリテンらが
現代風にアレンジしたもので、Music for a while とSweeter than roses は昨年11月と
12月にも聴いている。
拙ブログ名もそう名付けているほど愛着のある、Music for a while で始まるコンサート
には弱い。
これは通常のパーセル作曲のヴァージョンでチェンバロ伴奏などで歌われると、内省的な
歌詞と陰と陽が巧みに絡み合う曲調とによって、悲痛の中に希望の灯がまたたくようで、
胸に痛みと喜びを交互に感じる。
しみじみと心に沁みる余韻を残すから、どちらかというとアンコール向けの曲ではないか
とも思える。
だがティペット編曲になると、男性的な力強さのあるイエスティン君の歌声とピアノ伴奏
とも相まって、この曲のイメージが切々とした心情の吐露とは全く別のものなるのである。
聴く者に勇気を与える方法のアプローチが異なるとでも言おうか、物思いに沈む者を現実に
引き戻して最後には突き放すようなそっけなさがあって、まるで「風たちぬ、いざ、生きめ
やも」という思いにさせる。自分の力で、上を向いて生きろと肩を押されるような気分に
なるのである。

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今回のピアニスト、マルティノーによる伴奏は、音量が非常に控えめで歌唱の邪魔をせず、
主張しすぎたりリードを取ることもなく、いい具合に寄り沿っていて、好感度大であった。

ダウランドの In darkness let me dwellといえば、メランコリーの真骨頂だ。
2月3月4月に立て続けにリリースされたイエスティン君のCDの中でも、リュートのトマス・
ダンフォードと組んでのダウランドのリュート・ソング集 The Art of Melancholyは白眉
である。
今回はモダンピアノ伴奏だったのだが、リュートに劣らないほどデリケートで切々とした
ピアノ演奏とイエスティン君のシンとした暗さをたたえた歌唱がとても自然にマッチして
いた。途切れたように終わるエンディングが見事で、メランコリックでありながら、
じめじめしたところがなく、さわやかである。

アデス作曲のピアノ曲 Darknesse Visibleもはかなげな美しさを湛えたいい曲であった。

今回のリサイタルにはピアノ曲による水増しがほとんどなく、ソロ・リサイタルだから
ほぼ出ずっぱりで次から次まで様々な曲を歌うわけで、歌手にとっては大変だろう。
特にびっくりし興味を惹いたのは、プログラムにシューベルトとブラームスの歌曲が入って
いることだ。

イエスティン君は歌詞の内容を非常に重要視し、明瞭な発音を心がけているのが、毎度
印象に残る。曖昧さを嫌うのであろう。言葉の持つ重みや意味を直に聴衆に伝えたいという
使命感のようなものさえ感じさせる真摯な態度が表れているのである。
それは英語のみならずドイツ語の歌詞の発音にも当てはまり、同行したドイツ人の友人、
語学および哲学教師もイエスティン君の歌唱の発音の明瞭なことと美しさには感心していて、
意見の一致を見た。

会場はケルンのフィルハーモニー・ホールで、舞台が中央下方にあるヴィンヤード型だ。
カウンターテナーによるリサイタルには客席数が多すぎるきらいがあるが、音響的に何の
問題もなかった。ピアノ伴奏は控えめなのに弱音まで聴きとれるし、イエスティン君は声の
飛ばし方がうまいので、大ホールや大きな歌劇場でも全く不安を感じさせない。安心して
聴くことができるのである。

後半は、バッハや古謡を現代作曲家がアレンジした歌曲である。
特に印象に残っているのは、ニコ・マーリーが編曲したFor Traditional Songsだ。
スコットランドやヨークシャー地方などの古謡を現代的にアレンジしたもので、歌の
導入はいつもア・カペラで、そのあとからピアノ伴奏がそっと寄り沿う。フィリップ・
グラスを思わせるようなミニマルな美しさのある曲たちである。
物語を紡ぎだすような書法で作られた曲であり、歌詞自体にもヴィジュアルなストーリーが
はっきりあることと明瞭な発音の歌唱のため、耳から入ってくる音楽が頭の中で可視化され
るような気分になる。まるで映画を見ているような具合で、荒涼とした風景が眼前に現れる
のだった。
ニコが古謡をイエスティン君のために、彼の声が一番美しく聞こえる音域に編曲したものと
思しく、彼の透徹した高音の美しさを再発見させられた。

持ち駒を全て包み隠さず見せたかのような意欲的な内容のコンサートで、イエスティン君
の魅力が存分に発揮されていた。

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by didoregina | 2014-05-20 17:26 | イエスティン・デイヴィス | Comments(2)


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