カテゴリ:教会建築( 5 )

陽気に誘われ、マーストリヒト名所巡り

木曜金曜は、気温がぐんと上がり青空も広がった。春さん、ちょっと気が早いのでは、と
心配になるほどだったが、陽気に誘われて散歩に出た。
カメラ片手に、公園や城壁その近くの教会など、マーストリヒトの名所巡りと相成った。


c0188818_5275397.jpg

      17世紀、スペイン側に通じて城門の鍵を渡したという罪で打ち首に
      なったフランシスコ会修道院のフィンク神父の名が付いた見張り塔
      「フィンク神父の塔」(右手)と後方に元フランシスコ会修道院教会。
      その手前左手は、フェリー姉妹会修道院。


c0188818_5314368.jpg

      フィンク神父ほか5名の首がさらされた城壁の「五人の首」。
      城壁の端に座ったり公園の池の周りには日光浴の人たち。


c0188818_534648.jpg

      城壁の上に登ってみたら、下から見えた子達が座っていた。
      大砲は、170年前のベルギー独立戦争で使われたもの。


c0188818_5374993.jpg

      城壁の内側は旧市街で、木々の向こうに教会が林立している。


c0188818_5394511.jpg

            聖母マリア教会裏の角に建つ1786年の市警備棟。
            今はイタリアン・アイスクリーム屋になっている。
            天候に恵まれて商売繁盛で、客は長蛇の列。


c0188818_5431677.jpg

            マース川にかかる橋を渡った反対側の本店なら
            観光客が少ないだろうと思ったが、こちらも満員。


c0188818_545834.jpg

         同じ通りにある家の屋根に登って、ビール片手に日光浴してる若い子達。
[PR]
by didoregina | 2012-03-17 21:55 | 教会建築 | Comments(2)

リンブルフ古文書館は、元フランシスコ会修道院とその教会

別の用途に利用されている元教会の建物という記事が、シリーズ化しつつある。
それほど、マーストリヒトには、フランス革命で没収・解散させられた修道院の元教会が多く
残っているのである。
マーストリヒトのフランシスコ会修道院もまた、歴史の波に翻弄され数奇な運命を辿った。
この修道院の敷地は市内2箇所にあり、第一と第二の教会が残っているのも不思議だ。
今回は、第一の方を見ていきたい。
現在の国立リンブルフ地方古文書館(HCL)である。

c0188818_2235527.jpg

            後期ゴシックの教会正面ファサード。
            堅く閉ざされた扉の向こう側、教会内部は閲覧室。

c0188818_2255071.jpg

            教会右手の修道院側が古文書館の入り口。

c0188818_2285644.jpg

        中庭から眺めた修道院の回廊(左)と教会(右)およびガラス張りの
        90年代に作られた新しい回廊。


フランシスコ会修道院がマーストリヒトに設立されたのは1234年のことだ。覚えやすい年号である。
(世界史が大好きで世界史クラブにも所属していたことがある高校時代には、4桁までの数字、
すなわち年号を覚えるのは全く難しいと思わなかった。好きこそものの上手なれ、の一種か)

1300年ごろに教会の礎石が置かれ建設が始まったが、内陣完成を見たのは15世紀になってから。
しかし、1485年頃には既に荒廃して廃墟の様相を呈していたという。(宗教改革以前のことで
ある。理由を知りたい。HCLのサイトの記述がそうなっていたのだが、要出典だ)

そして、1579年、アルバ公指揮下のスペイン軍にマーストリヒトは攻略され、修道院の再建が
始まった。(スペインはカトリックに対する庇護は厚かった)

c0188818_2371776.jpg

       修道院の西棟は、マースランド・ルネッサンス様式。
 
c0188818_2343064.jpg

       中庭を取り囲む修道院の建物のうち南棟は荒廃が激しく、
       1990年代に新しく建て直された。

だが、1632年、フレデリック・ヘンドリック総督率いるオランダ軍(プロテスタント)が市を奪回した
ことによって、修道院の命運も尽きるのであった。
あろうことか、1638年に、フランシスコ会のフィンク神父他5人が、スペインに通じてオランダ軍を
転覆させようとした(もしくは市の城門の鍵を渡した)という罪で処刑された。(実は冤罪だった
らしい)
断頭された5人の首が城壁の上にさらされた。さらし首になった場所は現在でも「5人の首」という
名前で残っている。
翌年、フランシスコ会の修道士は全員、マーストリヒトから追放された。

c0188818_2385145.jpg

            第一の中庭の向こうに見えるゴシックの教会部分。

無住となった修道院の建物は、1640~1680年までプロテスタント教会が経営する孤児院、
1685~1798年まで軍病院、その後1917年までは兵舎として使用されることになる。
1917年に、別の場所に大きな兵舎が建てられたことにより、修道院は、また別の用途に使用され
るようになった。炭酸工場、芸術家のアトリエ、目の不自由な人や結核患者のための社会福祉の
仕事場などだ。

c0188818_2393998.jpg

        中庭を巡る建物はそれぞれ建築年代が異なる。古い部分が残っている
        建物も大掛かりに修復されたり、新たに建てられたりした部分も、うまく
        調和している。
        アーチの向こうに見える第二の中庭の地下は、古文書庫。地下3階建て
        地下10メートルの書庫の本棚の全長は25,3Km。そのうち、23Kmが
        すでに本で埋まっている。自動昇降装置付き、温度・湿度が調節された
        適切な環境下で古文書が保管されている。

修道院付属の教会は、1867年までは武器庫、その後1876年までは兵士のための体育館および
宿舎として使用された。
しかし、天井と屋根が劣化していたため、そういう目的に使用するのは不適格とされ、1880年に
バロックの丸屋根は撤去され、元のゴシックの天井と屋根に修復された。
1881年から、教会の一部は古文書館として再利用されるようになった。

c0188818_2317187.jpg

         教会内部は、現在、古文書の閲覧室。

1939年に修道院の建物および教会を国立古文書館に利用すべく修築が始まり1941年完成。
その後、1991年~1996年の再修築を経て、現在の姿になった。

c0188818_2319990.jpg

          新しい回廊は教会外壁から離れた位置に作られてブリッジで
          結ばれている。ガラス張りで採光もいい回廊と教会との隙間
          部分は、礎石やモザイクの床が見えるようになっている。
          モダンとゴシックが隣り合わせ。


今回は、受付の人に写真撮影の了解をもらってから撮った。
実は、この建物の歴史を調べているうちに興味深い新発見もあったので、そちらをメインにして
訪問したのだ。
ここの古文書から、最近、マーストリヒト出身のMarcus Teller (1682 - 1727)が作曲した
楽譜(1726)が見つかった。バロック時代の作曲家だが、地元ですらほとんど知られていない。
新発見の合唱、ソロ歌唱、器楽合奏、通奏低音から成る9 Motetta brevia pro temporeは、
Hans Leenders指揮 合唱Studium Chorale 器楽演奏Ensemble Agimont および
ソリストによって昨年録音されCDになった。
それを手にとって見たかったのだ。


[PR]
by didoregina | 2012-03-12 15:44 | 教会建築 | Comments(0)

リュミエールは、カプチン修道会の元教会

あまりに日常的に使用しているため、その建物が元教会だったことにかえって気がつかない
ことすらある。その一つの例が、現在映画館リュミエールになっている、カプチン修道会の
教会だ。普段そこに行くために通る道路側からは、元の教会の姿が目に入りにくいせいもある。

c0188818_16295033.jpg

              道路に面した側には新しいファサードが付けられていて
              元教会とはなかなかわからない。

c0188818_16322042.jpg

        脇の路地を入って、柵越しに敷地を覗いてみた。


c0188818_16343717.jpg

            路地の奥に、元の教会正面ファサードが残っている。
            1615年建造の、ひっそりとした小さな建物。
            今は使われていないドアの上のニッチにマリア像が。

カプチン修道会は、アッシジの聖フランチェスコが設立した小さき兄弟会の分派である。
フランチェスコの死後、修道会の会則や戒律に関して様々な解釈がとられるようになり、
元の志とは離れていくことに不満を覚える人も多くなり、内部情勢は磐石とはいえない
状態になっていった。
1525年にマデオ・ダ・バシオをはじめとするモンテ・ファルコの修道院の一派が分離独立した。
彼らは、フランチェスコの清貧の教えにのっとった生活を行い、髭をはやし、頭巾(カプチン)
を被った。教皇クレメンス7世の認可によって1528年にカプチン会が成立した。
1574年に、教皇グレゴリウス13世が、イタリアに限定しない世界中での活動を承認。
マーストリヒトのカプチン会は、1610年に設立された。

当時既にマーストリヒトには修道院がひしめいていたので、市当局は、新しい修道会が進出
することを当初は歓迎しなかったのだが、カプチン会は、主にペスト患者などの病人の看護
活動を行う病院も設立したので、社会への寄与が認められた。

1796年に、フランス革命の影響により修道院財産は没収され会は解散させられた。それ以後は、
マーストリヒトの他の修道院と同じ運命を辿ることになる。
かなり広い敷地の修道院の建物は、軍の兵舎および武器庫として使用されることになった。

その後、平和な時代になると、修道院の建物は中学・高校の校舎として使われるようになった。
また、1839年には、敷地の一部は地元のユダヤ人に移譲され、シナゴーグが建てられた。
元の病院や学校はなくなったが、今でもシナゴーグは教会のすぐ脇に並んで建っている。

リュミエールは、25年前には教会の一部だけを使用していたのだが、2004年に隣接する建物
および建て増し部分も加えて6部屋のミニ・シアターを持つようになった。

c0188818_1784383.jpg

         リュミエールの正面玄関側(右手)

c0188818_1795791.jpg

         建て増しされた部分は、切符売り場およびカフェになっている。


外の写真を撮っていたら、平日昼間は閉まっている映画館のカフェに人がいるのが見えた。
ドアが開いているので中に入って写真を撮ってしまった。すると、館長らしき人から不審が
られて、許可を取って写真を撮っているのか、何の目的で、と誰何されてしまった。
「古い教会がこのように映画館として利用されていることは素晴らしいと思うので、写真を
撮らせてもらいました。許可を取ろうにも、誰も人がいないようだったので。失礼しました」と、
答えつつ、不審な者ではないことを強調し、雰囲気を険悪にしないようにおしゃべりを続けた。

「2年後に別の場所に移転する計画と伺いました。今の雰囲気が素敵だから、残念です」と
言うと、館長らしき人の答えるには、
「なにしろ手狭になってきて、これ以上増築は許されないし、移転するしかない」とのこと。
意外や、映画人口は減るどころか、ここリュミエールは連夜盛況なのだ。映画が活況なのは
喜ばしいことだ。

「2月に全館デジタル化されて、大きな映写機などの機器が外に出されているのを、先週目撃
しました。あれだけ大きな機械がなくなった分、映写室のスペースが出来て、座席数を増やせる
のではないですか?」
「いやいや、デジタル映写機器は、昔の映写機よりももっと大きくて場所をとるんだよ。座席を
増やすなんて無理」

ここで上映される映画は、質量ともに非常に充実していると褒めて、毎週水曜日にしか来れない
から、供給の方が多すぎてついていけず、上手に計画を立てないと見逃す映画がある、と話を
続けていくと、わたしを見る目が、不審な輩から映画オタクという印象に変わったようでほっと
した。

R「ところで、上映する映画を決めるのはどなたなんですか?買い付ける方は」
館長「映画は買い付けるのではなく配給会社から借りる。当館のプログラム専門の人が決める」
R「例えば、『ブリューゲルの動く絵』という映画、先週からオランダ各地のアートハウス6
箇所で上映されてるんですが、なんでリュミエールでしていないのか、いつか上映されるのか、
知りたいです」
館長「わからん。初めて聞く題名だ」
R「昨年のロッテルダム映画祭で話題になった、ブリューゲルの絵を大勢のエキストラなどを
使って映像で再現した今までにないタイプの映画らしいですよ。スペインの圧制や戦争などの
時代の歴史を背景にした絵巻で、ルトガー・ハウアーがブリューゲル役です」
館長「じゃ、オランダ映画?」
R「いいえ、ポーランドの映画らしくて、出演者はマイケル・ヨークやシャーロット・ランプ
リングなどの世界的な有名な俳優なんですよ」
館長「ふ~ん、それじゃあ、きっと当館にもいずれ来るよ」

愛すべきミニ・シアターはなくなるわけではなく、大きな場所に移転するのは栄転ともいえる
から、未来に向かって邁進するリュミエールに拍手を送ろう。
移転先も元家具・建材工場だから、きっとマーストリヒトらしい創意工夫に溢れて、インダス
トリアルな空間を素晴らしいインテリアの映画館に変身させるに違いない、と期待を寄せている。
[PR]
by didoregina | 2012-03-10 17:59 | 教会建築 | Comments(6)

教会の建物が別の用途・目的に活用されるとき

マーストリヒトでは、教会が別の用途に使用されている例は数多く、美しい本屋に生まれ変わった
ドミニコ会修道院の元教会はほんの一例である。

c0188818_18163416.jpg

        教会に隣接する元修道院の敷地は、現在、ショッピングモール。
        右手のカフェになっている古い部分と、左手の新建築部分が
        自然に融合して美しく調和している。


前回の記事ではさらりと書いただけだが、実は最も重要な転機点について今回は触れたい。

宗教改革や聖像破壊やスペイン軍やフランス軍の占領やフランス革命という荒波を潜り抜け、
驚異的にも生き延びてきたその教会が、教会としての機能を最終的に失ったのは、そういう
外部からの圧力のせいではなかった。

フランス革命による修道院解散後も、付属教会の建物自体は教区教会として使われることに
よって命脈を保っていたのに、1805年になってから突然、教会としての機能に終止符を打たざるを
得なくなった。

それはなぜか。

簡単に言うと、マーストリヒトには教会の数が多すぎたからだ。
ドミニコ会教会は、町の中心フレイトホフ広場から数10メートルの場所に位置する。
そのフレイトホフ広場にはオランダ最古の聖セルファース教会(カトリック)と聖ヤン教会
(プロテスタント)が並んで建っている。
その教区は聖セルファース教会に統合されることになった。

顧客の減った商店が閉店に追い込まれる、または同種の商店との競合に敗れるというのにも似た
資本主義経済の原則は、教会にも当てはまる。
フランス革命までは修道士のための教会だったのが、いきなりいなくなった修道士の替わりに一般
信徒を集めるといっても無理があったのだろう。
もしくは、教区教会にしては建物の規模が微妙で、逆に信徒を収容しきれないという理由だったの
かもしれない。
ともあれ、すぐ近くにある聖セルファース教会と競合したら勝ち目はない。

人はいなくなっても建物は残された。
修道院自体、教会よりも敷地面積は広く、様々な建物があった。そちらの建物は、当初カトリックで
その後市立の中学・高校として使われることになった。

教会の建物はどうすべきか。

オランダでは、由緒ある古い建物は勝手に取り壊して更地にすることは許されない。
重要文化財級であればなおさらだ。
それでは、その建物の生きる道は?
過去の遺物の観光教会に徹するか、別の用途を見出して活用するかのいずれかだろう。
いずれにせよ、教会の建物を風化させないように維持するためには莫大な費用がかかるものである。

後者の結論に行き着いた時代を考えてもらいたい。19世紀初頭である。教会が観光だけで生き
残れる時代ではありえないことは、小学生でもわかるはずだ。

そういうわけで、カトリック教会であろうとも、プロテスタンティズムの精神とはシャム双生児のように
分け離すのが難しいように思われている資本主義の原理を避けて通ることはできなかったのである。

ほぼ同様の理由から、修道院付属だった教会や教区教会は次々と経営難に陥り、似たような経過を
辿って、別の用途に用いられている。

c0188818_1819539.jpg

            教会の内陣が、本屋の中のカフェになっている。
            マーストリヒトでコーヒー豆や紅茶を昔から扱う店が
            近年、カフェとしても進出。いつも賑わっている。


オランダでは市町村自治体ごとに美観を決定する委員会があり、建築基準に厳しい睨みをきかせている。
マーストリヒトは、特に厳しいので有名である。
古い建物の有効活用には細心の注意が注がれ、勝手に手を加えることは許されない。

例えば、やはり元修道院で現在ホテルになっている建物でも、内壁には手をつけてはいけない、
というお達しのため、客室のインテリアは、壁に全く何も触れないような配置になっている。
ベッドやデスクや箪笥やランプはもちろん、バスタブ、洗面台、シャワーも、壁から離れた位置に
設置されているのである。
その修道院付属教会も、古い壁画や天井画には手を加えずに、素晴らしくトレンディーで機能的な
デザインのレストランになっている。

c0188818_18245493.jpg

            本棚の裏側と教会の内壁には10センチくらいの隙間が。
            古い建物の壁には触らない工夫の一つだが、
            地震の多い日本では、多分許されない設計では?

建築やインテリア・デザイン的見地からも、それらの教会の有効活用はとても興味深いものだ。
今後も、そういう元教会で現在は別の用途に用いられている例を検証していきたい。
[PR]
by didoregina | 2012-03-03 09:26 | 教会建築 | Comments(2)

本屋に生まれ変わった教会

マーストリヒトには、以前は教会だった建物が現在様々な別の用途に用いられている例が多い。
有名なところでは、ガーディアン紙その他で世界一美しい本屋として取り上げられた、元ドミニコ会
修道院の教会がある。

c0188818_18131633.jpg


2006年に、ゴシックの教会の外観と内部インテリアを最大に生かした形で、本屋に生まれ変わった。

c0188818_1855284.jpg

             正面入り口には、銅で囲まれた新しいドアが。
             オランダには珍しい自動ドア。

この教会は、ヨーロッパの激動の歴史に翻弄され、流転の運命を辿ってきた。

c0188818_18102047.jpg


まず、1260年代の終わりにドミニコ会修道院の教会として建て始められたが、その後、数世紀に
わたって建て増しや改築が行われたのは、どこの国の教会にもよくあることである。
(言うまでもないが、ドミニコ会はカトリックである。)
16世紀末の宗教改革によって、オランダにあったカトリックの修道院の多くは潰れたのだが、デン・
ボッスとマーストリヒトのドミニコ会修道院は生き残った。しかし、ここも1566年の津波のような聖像
破壊から逃れることはできなかった。
大きな打撃を受けたのは1577年のことである。(プロテスタントの)オランダ連邦軍(総督派)の
ドイツ人傭兵たち(!)によって、修道院は略奪、放火・破壊された。修道士2名が死亡し、残りは
市外追放された。
しかし、1579年、マーストリヒトがパルマ公指揮下の(カトリックの)スペイン軍に占領されると
修道士たちは戻ってきた。
一時は荒廃した修道院の建物も1620年代以降、市当局および有力者達の援助によって、徐々に
居住可能になっていった。
修道院は再び活気を取り戻すようになり、教会も美しく修復された。
ところが、1794年にフランス軍による爆撃の被害を受ける。1796年、フランスに占領されたマース
トリヒトの修道院の全てはフランス革命の余波で没収・解散させられた。その多くは武器庫その他、
軍用に使用されることになった。
しかし、悪運強いこのドミニコ会修道院の教会は、教区教会として生きのびることが許された。
だが、それも束の間、フランス軍が去ったのち、1805年から1899年まではの倉庫となった。
20世紀に入ると教会の改築が行われ、市立オーケストラの練習場や展覧会会場などの文化目的
のために使用されるようになった。1924年には電気が通り、1926年にはセントラルヒーティングも
入れられた。カーニヴァル時期にはその会場にもなった。
1970年~78年にかけては、市の文書・図書館の保管庫や郵便局としても使用された。
1980年代には市の管理する自転車置き場になった。
1990年代から再び展覧会会場として使われていたが、2006年に本屋に生まれ変わった。

とまあ、この教会の歴史を辿ると、高校の世界史の復習のような具合になる。

世界史が苦手だった人のために蛇足ながら付け加えると、プロテスタントによる聖像破壊を受けた、
という被害者的記述が核心をついていることからもわかってもらえるとは思うが、マーストリヒトはカト
リックの町である。(大雑把に言うと、オランダを南北に分断する大河の北側がプロテスタント地域で、
南側はカトリックのまま残った。神道が日本の国教でないのと同様にカルヴァン派はオランダの国教
ではない。カルヴァン派が16世紀以降のオランダ独立の起爆剤の役割を果たし、その後の黄金時代を
築く重要な役割も担ったという観点からすれば、そのDNAが現在のオランダ人のメンタリティーに
残っているとも言えるが。それは、まあ大和魂という言葉と似た程度のものだ。人口比率では、
カトリックとプロテスタントはほぼ同数。)

現在この元教会の建物は本来とは別の用途に使われているのだが、それは今に限ったことではなく、
いつの時代にも、権勢を誇る支配者に都合よく使われてきたのだということもわかる。
現役の教会として使われ続けることを、歴史がそれを許さなかったとでも言おうか。

c0188818_1875559.jpg

             中から入り口方向を見る。年月を経て摩滅した
             墓石もそのまま残っている。


書店となっている現在の姿だけを見て、神の家であるべき教会に対する冒涜だ、と思う人がもしかしたら
いるかもしれなが、そういう人は歴史の上っ面というか表層しか見ることができないのだろう。
最終的に本屋として美しく生まれ変わることが出来たのは、教会にとっても市民にとっても観光客に
とっても幸いなことであると私は思う。
[PR]
by didoregina | 2012-03-03 01:23 | 教会建築 | Comments(4)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


by didoregina

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

プロフィール

名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


最新のコメント

Vermeerさま、多分..
by レイネ at 01:38
トマスのソロ・コンサート..
by Vemeer at 01:25
Vermeerさま、この..
by レイネ at 20:56
詳細なレポート、楽しく拝..
by Vermeer at 18:02
ロンドンの椿姫さま、それ..
by レイネ at 17:03
大満足のマスタークラスで..
by ロンドンの椿姫 at 23:41
鍵コメさま、ヴェロニカ・..
by didoregina at 18:57
Mevrouwさま、北海..
by レイネ at 18:46
レイネ様も怒涛の更新で、..
by Mevrouw at 23:33
Mevrouwさま、サー..
by レイネ at 22:10
Mevrouwさま、夏の..
by レイネ at 22:05
新作オペラに挑むのは本当..
by Mevrouw at 20:56
クロアチア~ベネチアを自..
by Mevrouw at 20:27
Mevrouwさま、ご高..
by レイネ at 20:19
ようやく一息つける日なの..
by Mevrouw at 19:57
Mevrouwさま、癒し..
by レイネ at 16:49
このところネットからも音..
by Mevrouw at 16:37
斑猫さま、もうすでにパリ..
by レイネ at 16:57
ロンドンの椿姫さま、まさ..
by レイネ at 16:54
こんにちは CT研究会..
by 斑猫 at 00:16

以前の記事

2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月

タグ

最新のトラックバック

究極の愛を描いたワーグナ..
from dezire_photo &..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
倉冨亮太さんの繊細な美し..
from dezire_photo &..
ダイナミックで刺激的な多..
from dezire_photo &..
贅沢と快楽に生きる娼婦な..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..

カテゴリ

全体
バロック
映画
オペラ実演
オペラ映像
オペラ コンサート形式
着物
セイリング
コンサート
美術
帽子
マレーナ・エルンマン
イエスティン・デイヴィス
クイーン
CD
20世紀の音楽
旅行
料理
彫金
ビール醸造所
ベルギー・ビール
ハイ・ティー
サイクリング
ダンス
ハイキング
バッグ
教会建築
カウンターテナー
演劇
未分類

検索

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

音楽
映画

画像一覧