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カテゴリ:オペラ映像( 54 )

モネ劇場の『オルフェオとエウリディーチェ』オンライン・ストリーミング

モネ劇場の今季最後の演目だったグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』が、
いつものようにモネのサイトからオンライン・ストリーミングで視聴可。(7月29日まで)
http://www.lamonnaie.be/en/mymm/media/2075/Orph%c3%a9e%20et%20Eurydice/

モネ劇場と今年五月のWiener Festwochenとのコープロで、ウィーンでは1762年のウィーン
版(イタリア語)が上演され、オルフェオ役はCTのベジュン・メータが歌った。
モネの方は、1859年のベルリオーズ版(フランス語)で、オルフェオ役はメゾのステファニー・
ドゥストラックだ。

c0188818_20313977.jpg photo © Bernd Uhlig
Orphée et Eurydice
Christoph W. Gluck / Hector Berlioz
Music direction ¦ Hervé Niquet
Staging, set design, lighting & costumes ¦ Romeo Castellucci
Artistic collaboration ¦ Silvia Costa
Dramaturgy ¦ Christian Longchamp
Piersandra Di Matteo
Video / Camera ¦ Vincent Pinckaers
Chorus direction ¦ Martino Faggiani
Youth chorus direction ¦ Benoît Giaux

Orphée ¦ Stéphanie d'Oustrac
Eurydice ¦ Sabine Devieilhe
Els
Amour ¦ Michèle Bréant (18, 20, 22 & 24 June)
Fanny Dupont (17, 25, 27 & 29 June, 01 & 02 July)

Orchestra & chorus ¦ La Monnaie Symphony Orchestra & Chorus
Ombre Joyeuse ¦ Choeur de jeunes de la Monnaie, La Choraline


今年はグルック・イヤーなので、特に『オルフェオとエウリディーチェ』は豊作だ。各地で
上演されているし、TVやオンラインで視聴の機会が多いのはうれしい。
その中でも、カステルッチ演出のこのプロダクションは、わたしの周辺では話題の的だった。

なぜかというと、カステルッチ(そしてモネ)は大胆にも、黄泉の国に行ってしまったエウリ
ディーチェの状況を実際にロックド・イン・シンドロームで寝たきりの患者に置き換え、
その患者(ブリュッセルの場合は、エルス)の映像を舞台に投影しつつ、オペラ・ライブ放送を
その患者に送信するという、一種のインタラクティブ上演方法を採ったからだ。
キャストには、だからエルスの名前も出ているし、ストリーミングをご覧になれば分かる通り、
エルスのためのエルスの物語、という設定になっているのだ。

そのコンセプトがモネのサイトで詳しく発表され、患者本人と家族および医療担当者、
医療倫理審議委員会やロックド・イン・シンドローム患者支援団体等と綿密に打ち合わせ、
関係者すべての了承やサポートを取り付けたということを知ったのだが、見るまでは私にも
友人たちの間にも疑問は残った。
センセーションを煽るような思い付きが出発点ではないのか、本当に家族や患者本人は納得
して出演OKしたのか、様々な方面の利害や思惑が複雑に絡み合って個人のプライヴァシーが
無視されているのではないか、等々である。

5月にウィーン版を鑑賞した友は「打ちのめされて、一週間たっても頭から離れない。とにかく
見るべし」とのメッセージを寄せてくれて、私の興味を限りなく助長したのだった。

モネの舞台は、救急車のサイレンの音とともに始まり、オルフェオ役のドゥストラックが登場。
スクリーン前に設置された椅子に客席を正面に見るよう座る。
おもむろに序曲が始まると、スクリーンにはElsの文字が投影される。ドゥストラックの前に
マイクが立てられ、オーディオ機器の電源が入る。そして、スクリーン上に英語で書かれた
エルスの状況・病状説明および演出コンセプトが簡潔な文章で出てくる。
合唱が始まるが、合唱団は全く舞台上に姿を見せずに声だけの出演。(合唱団のこういう使い
方はモネではよくある)

第一幕は、結局すべて、エルスの物語が語られる文字を追い読むことになり、音楽や歌は
どちらかというとバックグラウンドという趣だ。スクリーン上には、彼女の出生から始まり
生い立ちやダニエルとの結婚までの道のり、家族関係などが淡々と書かれていく。
映像はなく、文字オンリーだ。

一年半前に突然エルスを襲ったロックド・イン・シンドロームというのは、映画『潜水服は
蝶の夢を見る』でも知られているように、脳幹障害のため全身の筋肉が麻痺し、患者は覚醒
していて意識やすべての感覚は正常なのに、眼球および瞼しか動かせないという状態だ。
だから、Yes, Noを瞬きで表すこととアルファベット表を用いることでコミュニケーションは
可能である。
カステルッチの演出では、そういう患者の状況がエウリディーチェに近いことが示唆される。

第一幕では、思いつめたような表情のオルフェオが、誠心誠意を込めてエウリディーチェ=
エルスに語り掛けるがごとく歌う。
少年の姿の愛の神アモールがオルフェオに同情し、あの世に行ってしまったエウリディーチェ
に会わせ、連れ帰ることができるよう仕組む。しかし、こちらに戻るまでは彼女を見てはいけ
ないという禁忌を課して。アモールの歌は、説き聞かせるがごとくで、理性を強調したような
態度だ。
だから、オルフェオの感情も高揚するまでには至らず、第一幕最後のブラヴーラ・アリアも
歓喜の高まりとは程遠い、ごくごく抑えた表現なのだった。

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そのまま続く第二幕は、車や徒歩でのエルスのいるリハビリ病院へのダニエル=オルフェオの
道のりが、ぼやけた映像でスクリーンに投影される。
黄泉の国の亡者達をなだめるためのハープの音楽やそれに合わせて歌うオルフェオもとても
シリアスで、しかしここにきてようやく悲嘆の感情を抑えずに心情を吐露する。
エルスの夫ダニエルは、毎日140キロ離れたエルスの病院へ通っているのだ。

草地や牧草地や木々の映像に「精霊の踊り」やフルート演奏がかぶり、楽園の合唱。
悲しみのない天国、という合唱にドゥストラック(オルフェオ)は少しだけ笑みを見せる。
ベルギーらしい北方ルネッサンスの館であるリハビリ病院の内部には、病棟や科や医師の
名前の表示が見える。
ここで椅子からようやく立ちあがったドゥストラックは、エウリディーチェとの再会への
期待に胸がいっぱいになり感極まったかのような歓喜の表情を見せる。
「なんと澄んだ空」と。
フォーカスをぼかしたままのカメラは廊下を突き進み、エルスの横たわる病室に入る。
「望みは叶えられた!」

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病室のエルスが投影されたスクリーンの後ろにエウリディーチェ役の歌手が立っている。
手を伸ばし合うオルフェオとエウリディーチェ。しかし、手は届かず、視線を交わすことも
禁じられたままだ。
「一刻も早くここから逃げよう」と言うオルフェオに「なんて冷たい態度なの。一目私を
見て」とかき口説くエウリディーチェ。

スクリーン上には、病室の壁に貼られた絵や写真が映され、9時8分を示す時計も。ライブで
エルスに音楽を送信しているという設定だからだ。
見かけはあくまでもドキュメンタリー風だが、これはオペラ・プロダクションなのだから
物語でありフィクションである。
しかし、現実との違いは曖昧なまま残されている、という手法だ。

オルフェオのジレンマと、二人の気持ちのすれ違いが、エルスとダニエルの境遇に重なり、
哀れを誘う。
スクリーン上のエルスはピントが合った大写しになる。瞼や眼球や物言いたげに口元が動いて
いる。
エウリディーチェのなじる言葉を無視できずに振り返るオルフェオと、消えていくエウリディ
ーチェ。そこで舞台は暗転し、暗闇の中でドゥストラックは「エウリディーチェを失って」
を歌う。オルフェオの後悔と塗炭の苦しみ。このオペラのハイライトである。

電灯を持ったアモールが現れて、沈むオルフェを慰め、愛の力でエウリディーチェは生き
返った、と伝える。
池の水から新生!という感じでエウリディーチェが出てくるのだが、オルフェオに手を差し
伸べつつも、月明かりの森を背景にニンフのように全裸のエウリディーチェはまた池に沈ん
でいくのだった。
オルフェオはずっと正面を向いたままである。
合唱団は歓喜と祝福の歌を歌うが、病室のエルスに変化はなく、オルフェオは立ち尽くした
まま目をかっと見開き、また閉じる。
音楽が終わり、ヘッドフォンを外されるエルスと、ダニエルらしき人の手。
目元と口元は動いているが、静寂のままエンド。
遠ざかる病室。そして幕。
拍手はなく、クレジット・タイトルのみがスクリーンに流れる。

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音楽の力・治癒作用を期待しての、実際の患者起用という側面もあったのだが、ライブで
この音楽を聴いていたエルスに奇跡は起らなかった。

エルスとダニエルのラブ・ストーリーとなっていて、限りなくノン・フィクションに近い
この『オルフェオとエウリディーチェ』プロダクションは、観る者を声を発することも
できないほど深い思いに沈ませる。冷酷な現実に打ちのめされて、哀しみを共有するのみ。
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by didoregina | 2014-07-14 15:31 | オペラ映像 | Comments(14)

スカラ座シーズン開幕の『椿姫』

スカラ座のシーズン開幕演目は、毎年イタリアはもちろんヨーロッパの他の国でもTV中継・
放映される。
つまり、国家的(汎ヨーロッパ的)・文化的に非常に重要なイヴェントなのである。
だから通常は、開幕前から様々な話題で盛り上がるものである。しかしなぜか、今年は事前
にブログやFBなど、わたしの周りでは全く話題にならなかった。だから、当日新聞のTV欄を
見て、「お、今晩がそうなんだ。夕ご飯後に皆で観よう」と思った程度で、サイトなどにも
全くチェックを入れず、ほとんど白紙状態でTVの前に座った。
「椿姫」は、ヴェルディー・イヤーの最後を飾る、しかもスカラ座のシーズン開幕演目に
まことにふさわしい演目だなあ、とプロセッコを飲みつつ、うきうきしながら。

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TV放送では、最初の国歌演奏のあたりは見逃して、丁度序曲が始まるところから見始めた。
ダムラウのヴィオレッタが、一人姿見の前に立っている。
無声映画時代のハリウッド女優風の金髪に赤い椿の花を挿し、薄手の青いロングドレス姿で
パウダーをはたき、眉墨を塗る。いかにもレトロチックな小道具とけだるげな仕草と佇まい
である。


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しかし、そのヴィオレッタのドレスのクレープのようなドレープも、シフォンの袖も、実に
容赦なく中年太り体型を顕わにしてしまう素材とデザインなのに唖然としてしまった。
ミラノはモードの中心地、しかも椿姫のドレスがこんなのでいいのか?
ダムラウは「こんなにデブに見えるドレス着たくない!」と駄々をこねなかったのであろう
か?
ここらあたりから、もしかしてこの演出は通常の規格に収まらないものなのかも、と思えて
きた。
しかし、まだその段階では、「ダムラウは産後の肥立ちが良すぎて、ミラノの服飾パターン
技術をもってしても隠せないほど、ブクブクの体型になってしまったのかしら」と怪しんで
もいた。

序曲の緩の部分は、悲劇性を否が応でも強調した寂寞に震えるような美しい音楽である。
それに呼応するように、演出でも、盛時のヴィオレッタに忍び寄る凋落の予兆が最初から
暗示される。
音楽と演出に齟齬はないのだが、なんだか妙な肌触りというか、微妙な感覚を覚えるのだった。

一転して音楽が明るく変わり、緩から急へと転回する。三々五々登場するパーティーの客たち
は、70年代風の服装や髪形の人が多い。
すなわち、時代設定は多分70年代か80年代で、「偽レトロ」の冒頭での無声映画風ヴィオ
レッタとアンニーナは、一種の「コスプレ」をしていたのだとわかるのである。
「偽レトロ」と「コスプレ」は、この演出のキーワードである、と気づいたのは観終わって
後のことではあったのだが。

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アルフレードは、遊び慣れないボンボンであることを強調するため、イケてない髪形に鼠色の
スーツ、ノータイという格好である。とてもオーソドックスで問題ない。
と思いきや、パーティの最中、ヴィオレッタとアルフレードはほとんど眼差しを交わさない
のでまたもあれっという違和感。
ヴィオレッタは徹底的に「年増の浮かれ女」を自ら演出・演技していて、アルフレードに対
しては若造というより子供と見なしているようで、おちゃらけて接するので、またまたあれれ?
と疑問符が浮かぶ。
二人だけになっても、ヴィオレッタとアルフレードは視線も合わせず、もちろん「物理的な
触れ合い」など皆無である。
年増女のプライドと矜持で、若造アルフレードに接するヴィオレッタって、往年の女優気取り
なのだろうか?それで、引退した往年のハリウッド大スター(実はその娘によるボディーダブ
ル)と彼女を崇拝する若い男との悲恋を描いた『フェードラ』という映画を思い出したの
だった。
親子ほども年の違う若い男との恋愛が本物になることを恐れているのか、感情を隠して、
冗談めかした態度で徹底して接するヴィオレッタ。
赤い椿を渡して「愛想づかし」のそぶりというか、大女優気取りで、追っかけファンみたいな
アルフレードを退却させるのだった。
「不思議だわ」とアンニーナと二人だけになってから歌うヴィオレッタ。真剣な恋に落ちる
なんてあんたにはありえないよ、とでも言い合うかのように、二人の年増女のガールズトーク
になっている。
結局、第一幕では、ヴィオレッタとアルフレードは、手さえ握らず視線も交えず、互いへの
愛情の吐露という演技や場面は皆無なのであった。
ううううう~む、なんとも微妙な演出、腑に落ちないと思いつつ、しかし、そのなんとも
不思議な面白さに、わたしは引き込まれていったのだった。

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第二幕第一場の舞台は、ヴィオレッタとアルフレードが郊外に借りた愛の巣だ。
この舞台装置がまた、びみょ~なのだ。なんだか、中欧・東欧に見かけそうな田舎っぽい
インテリアで、ダサさを誇張するため家具や小道具が実物よりも1.5倍くらい大きく作られ
ている。手がかかっているといえば言えよう。
そして、人物の格好も田舎っぽいのだが、ヴィオレッタはパリの高級アパルトマンにいる
ときよりも随分と若々しい。かつらも派手なメークもしていないのに、かえって可愛らしく
みえる。
アルフレードは、キッチンのテーブルでパンをこねたり、バイ生地を伸ばしたりとまめまめ
しい主夫ぶりである。ベチャワは、そういう動作をしながら歌うのだ。ファンにしてみたら
どういう心持だろう。

パパ・ジェルモン登場。
いかにも冷たく、身勝手で傲岸なタイプとして描かれているのが新鮮と言えば新鮮である。
娘と息子の幸せを願うばかりに、ヴィオレッタには息子と手を切ってもらおうと迫る高飛車な
態度も悪者然として恥じることない。
最初は、そんな理不尽な別れ話など到底納得できません、と健気で強気な態度だったヴィオ
レッタもパパ・ジェルモンの高圧的態度に、ついには折れる。義理と人情には勝てないのだ。
お互い苦しみを分かち合おうというのではなく、抱擁もパパは嫌々ながらする、と言う感じだ。

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    アルフレードが帰ってくる。窓の外から中の様子をうかがう陰湿なパパの姿も見える。

ヴィオレッタが去った隙に、「プロヴァンスの海と陸」を歌いながら息子を諭そうとするパパ
と、イラついてパイ皮をこねたり野菜をぶった切ったりする(あぶないよ、指切るよ、と思っ
てるうちにやっぱり血が出た)アルフレードの態度に直情型な性格がよくわかる。うろたえて、
戸棚の中を探したり落着きのないアルフレードである。
ヴィオレッタが去ったと知り、茫然自失ののち、妙にマッチョぶると言うか虚勢をはる父と息子
なのであった。この父にしてこの息子あり、という印象を与えるための演技がこれでもかという
ほど強調されている。


第二場、フローラ邸宅でのパーティだ。
招待客は変な人たちばかりというのはお約束であるが、そこで繰り広げられる場面はエロでも
グロでもない。ブラックタイ姿で現れたアルフレードに人々の好奇の視線が集中する。皆から、
同情や慰めの言葉をかけてもらうアルフレードの居心地はよくない。まるで、彼という存在
そのものがパーティの一番の見どころみたいな具合である。実際、マタドールの歌の最中にも
ダンスやその他の人々による余興があるのではなく、人々の注目の的になっているのはアル
フレードなのである。
このあたりの演出は、焦点の定まりという点で傑出していると思う。すなわち、シンプルに
整理された舞台上の人々の演技で、彼らの全視線がアルフレードに向けられて、彼がその場の
中心人物であることが観客にも一目瞭然なのである。客席と舞台上の視線の対象が一致して
いるというのは、視線が分散しないから集中度が高いし舞台全体の密度も高まり、非常に
効果的だと思うのだ。

そこに現れたヴィオレッタは、ダムラウの顔立ちからも金髪のカーリーヘアのかつらや服装
からも、ベット・ミドラーを思わせる。ここでも、映画女優風に自らを演出しているヴィオ
レッタのちょっとコスプレがかったヴァーチャル好きな病的性格がうかがえるのだ。

どのみちパパには頭が上がらないアルフレードだから、罵倒したり札びらで頬をぶったりして
貶めたヴィオレッタにかえって慰められる有様である。情けない男の典型だ。カーリーヘアの
かつらをとってアルフレードの手を握るヴィオレッタ。しかし、この時も二人は視線を交わさ
ないのだ。嫌々ながら握手して別れるのだった。

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第三幕は、瀕死のヴィオレッタの殺風景なアパルトマンなのだが、このヴィオレッタはなか
なか死にそうにない感じである。落ちぶれて、治る見込みのない病気なのに、今までのどの
場面よりも美しく見えるほどだ。
往診に来る医者は棒立ちで、病人とは距離を置いたまま同情もなにも示さない冷た~い態度。
やっぱり今回の『椿姫』に登場する男たちは一様にヘンなのだ。
第三幕では、ダムラウの歌唱の冴えがより一層際立つ。ますます死にそうになく、迫力満点
である。
「過ぎし日よ、さようなら」も、辞世の歌ではなく、今まで生きた証よ輝けとばかり、満身の
力が込められている。病気とか衰えを感じさせないから、まるで、歌手の引退公演のような
具合である。
だから、しばし拍手は鳴りやまなかった。

外から聞えてくるカーニヴァルの音楽で起き上がるヴィオレッタはますます元気いっぱいだ。
そこへ、へんな花束と菓子箱を持ってアルフレードが登場する。いかにも気が進まない病人
見舞いに来たかのように、お仕着せっぽく、気が利かない、愛情の感じられないプレゼント
である。
再会の喜びを歌いつつ、やはり二人は近づかない。病気が移るのを恐れているのか、アル
フレード?
デュエットの最中も、別のことをしている二人である。
病人の肩を抱いたり、膝をなでたりとか、慰めの態度をとったら?と見ている方は思うだろう。
とにかく、気まずい雰囲気のままの二人なのであった。
写真箱から若いころの自分の写真を出して、死んだ私をこれ見て思い出して、とアルフレー
ドになんだかヴィオレッタ本人とは思えない人の写真を渡すのだが、なぜか後ずさりするアル
フレードなのだった。
アンニーナが気を利かせて、男たちを部屋から退却させる。

気分が晴れた、病気が治るかも、と明るいヴィオレッタは、まだまだ死にそうにない。しかし、
あっけなく一瞬で事切れたヴィオレッタの部屋の戸口に引けてる男たち三人を、完全に最後に
は追い出すアンニーナなのであった。そこで幕切れ。

当然、演出に対しては激しいブーイングの嵐であった。
音程が不安定で、決まることがなかった歌唱のベチャワもブーであるが、これには変人アル
フレードという今回の役割も減点対象に入っているだろう。厳しい評価であるが致し方あるまい。

ようやく見終わってから、演出はチェルニャーコフなのだと知った。知って納得、思わず膝を
打った。
私的には、この演出はかなり楽しめたのだった。

なぜかというと、ヴィオレッタの性格・態度に、コスプレで演出した自分と本当の自分自身
との見分けがつかなくなった女の哀しみがあふれ出ていて、同情を誘ったこともある。
かつらと化粧という虚飾を取り外して素のままの自分を捧げたアルフレードは、どうしよう
もない男であることが最後によくわかった。
虚勢を張って生きた女の一生に目を見はらされたのだった。

Direction
Conductor   Daniele Gatti
Staging e sets   Dmitri Tcherniakov
Costumes   Elena Zaytseva
Lights   Gleb Filschtinsky


CAST
Violetta Valery   Diana Damrau
Flora Bervoix   Giuseppina Piunti
Annina   Mara Zampieri
Alfredo Germont   Piotr Beczala
Giorgio Germont   Željko Lučić
Gastone   Antonio Corianò   
Barone Doupho   Roberto Accurso
Marchese d'Obigny   Andrea Porta
Dottor Grenvil   Andrea Mastroni
Giuseppe   Nicola Pamio
Domestico di Flora   Ernesto Petti
Commissionario   Ernesto Panariello
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by didoregina | 2013-12-13 17:42 | オペラ映像 | Comments(38)

ザルツブルクの『ドン・カルロ』の衣装デザイン

ザルツブルク音楽祭の『ドン・カルロ』をArteによるTV中継で観た。
休憩も含めて5時間以上の超長尺ヴァージョンだったので、肝心なところでウツラウツラ
してしまい、オペラをしっかり鑑賞したとは言えないので、視覚的に印象に残ったコス
チュームに関して書き留めたい。

舞台装置・デコールが非常に簡素で重厚さに欠け、デザイン的にもイマイチ練りとひねりが
足りないのは少々残念だったが、衣装デザインは素晴らしく練られて、歴史的スタイルを
換骨奪胎しながら、舞台映えもして機能的になっている点を評価したい。
衣装デザイン担当は、Annamaria Heinreich。

以下、ザルツブルク音楽祭サイトの写真と、デザイン・モデルにしたであろう肖像画とを
見比べてみよう。


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© Monika Rittershaus

まず、フォンテーヌブローの場での衣装には、かなりがっかりさせられた。
毛皮の付いた外套を羽織ったこの二人の写真だけ見たら、ドン・カルロとエリザベッタだとは
到底思えない。ロシアかどこか東欧風の色使いのドレスに毛皮である。しかも、ダサいと
しか言いようのない帽子。エリザベッタはフランス王の息女で、母親はメディチ家出身である。
当時最新のモードを着こなして当然のプリンセスなのに、田舎っぽすぎる。

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    エリザベート・ド・ヴァロワ(1560年) Antonis Mor画 Varez Fisa Collection

スペイン王に嫁いだフランス王女ともなれば、↑のような豪奢さを見せつけて当然。
もしかしたら、オペラの衣装デザイン担当のハインライヒ女史は、この絵からインスピレー
ションを得て、舞台用に簡素化したのかとも思われるのだが、色づかいが安っぽい。


また、ドン・カルロの舞台衣装として定番化しているのが、提灯ブルマーとびらびらフリルの
襟元だが、今回の衣装デザインでは、そのどちらも採用されなかった。衣装デザイナーの画期
的決断とも言えよう。

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      ドン・カルロス(1557~1559年頃) Sanchez Coello画 プラド美術館

この絵に描かれたドン・カルロスは、エリザベート・ド・ヴァロワとフェリペ2世が結婚した
頃で少年の趣が残る。 だから、提灯ブルマーも似合っている。
しかし、舞台上では動きにくく暑いという欠点があるため、今回の舞台衣装に提灯ブルマーは
採用されなかった。
そして同時に、フリルの襟元も不採用。これも、機能性重視のためだろうか。それとも、
スリムなズボンとブーツというスタイルに合わせてのデザイン上のマッチングのためか。

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© Monika Rittershaus

フリルなしで、普通のワイシャツみたいな打ち合わせのブラウスを下に着ているのが、やはり
デザイン的にイマイチ好みではなかったのだが、舞台が暑いのか、熱演・熱唱のため暑くなる
のか、それともファン・サーヴィスのためか、ブラウスの襟元を開けて胸元近くまで見せる
ことが結構多いカウフマンであった。

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   © Monika Rittershaus      現代的で動きやすそうな衣装

                         
また、彼のキュートなクルクル巻き毛の魅力を生かすためか、羽根飾りや宝石の付いた帽子も
なし。

ところが、ハンプソン演じるロドリーゴは肖像画のドン・カルロスそっくりな素敵な帽子を
被っていて、それがまたよく似合うのだった。

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  © Monika Rittershaus           ロドリーゴの帽子が素敵!


この写真のフェリポの衣装は、フェリペ2世の肖像画そっくりである。間違い探ししても
違いが見つけにくいほど、考証がしっかりしている。帽子や上着の質感、首から下げた
金羊毛騎士団のメダルに至るまで、下の絵から抜き出てきたかのよう。

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       フェリペ2世(1565年) Sofonisba Anguissola画 プラド美術館収蔵

この肖像画を描いたソフォニスバ・アングィッソラというイタリア人女流画家は、スペイン
宮廷ではエリザベート王妃の女官として仕えかつ王妃に絵を教えていた人だという。
彼女の描いたエリザベートの肖像画も美しい。

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    エリザベート・ド・ヴァロワ(1561~1565年ごろ) Sofonisba Anguissola画
            プラド美術館

この絵の黒いローブに縦に入っている刺繍模様が、オペラの舞台衣装デザインに取り入れら
れている。

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                               © Monika Rittershaus

黒地に白の刺繍模様が、ここではローブ全体のモチーフになっている。
アニア・ハルテロスは、すらりと長身で顔立ちも細面でノーブルで、全体的に王妃にふさわ
しい気品が漂うから、どんなドレスでも似合う。デザイナーにとって理想的というかデザイン
のし甲斐・着せ甲斐のある歌手だろう。

今回のドン・カルロ掟破りとしては、エボリ公女のアイ・パッチなし、というのもある。
アイ・パッチ、びらびらレースの襟、提灯ブルマーなどは、アイコン化していると同時にクリ
シェと化してもいるから、それらを排してオリジナリティを出しているのは好ましいが、
わたしの好みとしては、エボリのアイ・パッチは捨てがたい。

その代り、と言ってはなんだが、ヴェールが上手く使われていた。エボリとエリザベッタの
ヴェールのみならず、ムーア風テーマの音楽に乗って、中庭で女官たちがアラビア風ヴェー
ルを顔に巻くシーンは美しい。

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                              © Monika Rittershaus

スペインの宮廷では、黒のドレスが当時のモードだったから、皆、黒いドレス姿なのだ。
襟が詰まっていず胸元が開きすぎという感じだが、ドレスのウエストはV字カットの切り替え
があり、考証が生かされているデザイン。

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       エリザベート・ド・ヴァロワ(1605年) Juan Pantoja dela Cruz画
                プラド美術館

上の肖像画が描かれた時点では、エリザベート王妃は亡くなっているから、多分1565年にアングィッソラ
が描いた肖像画をもとにした絵であろうと推測されるもの。
ドレス自体は黒で比較的シンプルだが、宝石類を使った飾りがさすが王妃の貫禄である。
当時のスペイン王ともなれば世界一の資産家・長者であり、その王妃のお召し物であるのだから、
贅沢で高価かつゴージャスなのは当然だし、誇示して威光を見せつけている。

最期に、悲劇の王子ドン・カルロスの肖像画を掲げたい。
王妃エリザベートと義理の息子ドン・カルロスは、奇しくも同じ年の1568年に亡くなっている。
昨年末、プラドやエル・エスコリアルで見たドン・カルロスの肖像画には、金羊毛騎士団の
メダルをつけたものが見あたらず不憫に思ったのだが、神聖ローマ皇帝マキシミリアン2世の
命によってウィーンに届けられたドン・カルロスの肖像画には、ハプスブルクの家系らしく
金羊毛メダルが描かれている。

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スペイン王子ドン・カルロス(1564年頃) Alfonso Sanchez Coello画
                ウィーン美術史美術館
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by didoregina | 2013-08-21 12:12 | オペラ映像 | Comments(5)

ハネケ演出の『コジ・ファン・トゥッテ』@マドリッド王立歌劇場

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                モネ劇場で稽古をつけるハネケ












W.A. Mozart: Cosi fan tutte
ORCHESTRA: Orchestra & Choir of the Teatro Real in Madrid
CONDUCTOR: Sylvain Cambreling
PERFORMERS:
Anett Fritsch, Fiordiligi;
Paola Gardina, Dorabella;
Juan Francisco Gatell, Ferrando;
Andreas Wolf, Guglielmo;
Kerstin Avemo, Despina;
William Shimell, Don Alfonso

Artistic Staff:
Michael Haneke, stage director;
Andrés Máspero, chorus master;
Christoph Kanter, set designer;
Urs Schonebaum, lighting


マドリッド王立歌劇場とブリュッセルのモネ劇場との2013年新作共同プロで、マドリッドでは
2月、ブリュッセルでは5,6月に上演された。
映画監督のミヒャエル・ハネケによる演出ということで、個人的にはモネで今シーズン1番
興味のある演目だった。しかし、前年のハネケ作品映画『アムール』のカンヌ映画祭パルム
ドール受賞やアカデミー賞効果のためか、モネ劇場のチケット争奪は熱戦となり、初っ端から
脱落したのだった。
モネならば、実演を見逃してもオンライン・ストリーミングがあるから、と諦めた。
ところが、マドリッド公演の方が先に、ArteLiveWebで見られるようになったためか、モネ
からのストリーミングはどうやらなくなってしまった。
だから、以下のレビューはマドリッドの映像を鑑賞した感想である。(写真は全てモネ)

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         フィオルディリージとドラベッラ姉妹とドン・アルフォンソ

序曲が始まり幕が上がると、広いサロンの庭を臨むバルコニーでのパーティー・シーンである。
パーティーに集う人々は、ロココそのものの服装と現代のパーティー・ドレスとが入り混じっ
ている。
それが丁度半々くらいの割合で、互いに違和感なく、挨拶や会話を交わしたりしている。
招待客が現代の服装で、給仕がロココの格好をしているのかと思えばそういうわけでもない
ようだ。
不思議な光景といえばいえるが、誰も不審に思う人は舞台上にはいない。
不審といえば、一番不審なのが、ドン・アルフォンソとデスピーナである。
ロコロの格好で、招待客とキスの挨拶を交わしたりして、まるでパーティーの主催者気取り。

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          ケルスティン・アヴェモのデスピーナの服装にびっくり。

広間の壁には、描きかけのワトーらしき絵のコピーが掛かっている。『シテール島への旅立ち』
か『音楽の集い』のようである。
そして、デスピーナの姿はワトーの描くピエロ(ジル)とまったく同じなのだ。

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       ジルは宮廷の道化で、貴婦人たちをからかったり辛辣なジョークで皆を煙に巻く。

これらの舞台および衣装デザインによって、このプロダクションの基調トーンは明らかだ。
一言でいうと、メランコリックな恋の戯れということになろう。ワトーの絵からヴェルレーヌの
詩、そしてドビュッシーの音楽に繋がる『雅なる宴』や『喜びの島』の世界である。
そういう印象を観客に最初に視覚的に植え付けて、ドラマはその通りに進行するのだった。

特に惹かれたのは、デスピーナ役のケルスティンちゃんの表情と演技だ。
ピエロの服装ではあるが、ケルスティンちゃんの少年と少女が入り混じったような顔立ちは
いつものように性も年齢も不詳で、天使のように見えないこともない。
彼女の表情および態度には、よくありがちなデスピーナの小悪魔的な要素が全くないのである。
いつでも皆の様子を醒めた外部者の目(すなわち道化からの視点)で見ているようで、彼女と
それ以外の登場人物は物理的には関わりあっていても、精神的には距離を置いて相容れないと
いうような雰囲気を醸し出している。
それが、メランコリーという実体のない雰囲気をそのまま体現していて、秀逸である。
最もそれをわかりやすくしている例を挙げれば、ドン・アルフォンソがデスピーナを慰める
シーンで、デスピーナの取る態度と姿勢が、デューラー描く『メランコリア』そっくりなのだ。
そして、彼女の眼と表情には、哀しみと憐れみとが混じってほの暗い。

彼女とドン・アルフォンソとの関係も不思議だ。
これを一言でいうならば、愛憎の関係である。ドン・アルフォンソはデスピーナをまるでドン・
ファンのような手練手管で口説いて、悪巧みに引き入れる。だから、当初のデスピーナはアル
ファンソに女性の弱みを掴まれて、悪事をいやいや引き受けた。そういう自分の行動に対する
躊躇や嫌悪を表す表情が素晴らしい。
悪戯のつもりで加担したデスピーナだが、思いがけない方向にエスカレートして暴走して収拾
のつかなくなってしまう2組の男女関係には、いたたまれなくなる。

だから、最後はデスピーナがアルフォンソに平手打ちを食らわせる。アルフォンソも、また、
悪戯の仕置きのようにデスピーナの頬を打つのだ。これも愛と憎しみの表現に他ならないのだが。

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             フェランドとグリエルモが軍隊から戻ってきた。

デスピーナとフィオリディリージ・ドラベッラ姉妹との関係も微妙である。
本来デスピーナは女中という設定なので、字幕でも彼女が使うのは敬語であり、姉妹は彼女に
対してチュトワイエで話す。しかし、態度には女中らしさは感じられない。図々しいわけでなく、
ごく自然に重要な位置を占めているという雰囲気で、それがワトーの絵やヴェルレーヌの詩に
描かれるロコロ宮廷の道化に相当する立場であるデスピーナという今回の設定を表している。
微妙な立場なのだ。

姉妹の服装やヘア・メイクは現代そのもので、まるで『セックス&シティー』などTVドラマを
思わせる。ダ・ポンテとモーツアルトのオペラ作品はいずれも現代に時代と場所を移しても
まったく違和感がない。
普遍的な恋愛の姿と人間の位相を描いているからだ。
最後は喜劇として納めようとデスピーナ=道化は腐心するのだが、男女2組の気まずさはどう
しても避けられない。
ラスト・シーンは現代的な終わり方で、もちろん大団円というわけにはいかないのであった。


指揮のせいなのか、演出家の意向によるのかわからないが、音楽はどうも最初から最後まで
テンポがのんびりしすぎで、疾走感には非常に欠ける。それで、舞台転換のない平面的な舞台
と相まって、全体的に平坦な印象になってしまった。はっきり言って、だれてしまうような
ドライブ感のないモーツアルトというのも、近年まれなのではなかろうか。
テノールとソプラノ歌手は、聞かせどころが多いから得な役なのだが、それでも歌唱を聴いて
いて高揚感に欠ける。諄々たるスローのアリアが多いから、歌唱が弱いと退屈で粗が目立つ。
それ以外の歌手は可もなく不可もなくという感じで、演出と演技力でなんとか最後まで見せた。
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by didoregina | 2013-07-05 14:16 | オペラ映像 | Comments(10)

モネ劇場の『椿姫』をオン・デマンドで

ブリュッセルのモネ劇場は、昨シーズンから、全ての演目を千秋楽が終わってから3週間
劇場サイトで全編を全世界に向けて公開、オンライン・ストリーミング配信している。
劇場主導型の無料視聴サーヴィスとしては、画期的である。

2012年12月の公演は『椿姫』で、サイトからのオンライン・ストリーミングは終了したが、
ヴェルディ・イヤーということでTV局のArte が放映した映像が現在ArteLiveWebから
オン・デマンド配信されているので、あと4ヶ月は見ることができる。
配信期間はまだまだ長いから、いずれそのうちに見ようと思って先延ばしにしているうちに
終了して見逃してしまう、ということが結構起こる(わたしの場合)ので、思い立ったが吉日、
即ご覧になることをお勧めする。(リンクを張った。多分、地域に関係なくタダで見られるはず)

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      モネ劇場では毎度おなじみトップレスの女の子達がやはり登場。


この『椿姫』は実演鑑賞しないで、モネ劇場サイトからのオンライン・ストリーミングのサー
ヴィス終了直前、『マノン・レスコー』の実演鑑賞直前に観た。
すると、この二つのプロダクションにはかなりの類似性が見出せて、とても面白かった。
というより、今シーズン最初の演目『ルル』から連綿と続く一貫性が感じられるのだった。

いずれのプロダクションでも、演出に共通するのは、玄人好みというか「初心者お断り」という
スタンスである。こういう演出に慣れていない人には、さぞかしショッキングかつスキャン
ダラスに映ることであろう。しかし、スマートでセンスがよくスタイリッシュであると感じる
とも思う。
Sで始まる形容の羅列にさらに付け加えれば、SMっぽい要素もある。

これら3作は作曲家も演出家も異なるのに、ある意味統一感があるのは、モネ劇場の総監督
ペーター・デ・カールウの美意識がしっかりと反映されているためだろう。
それから、3作とも主人公がいわゆる世間からは後ろ指をさされるタイプの女性であるという
点で共通しているから、典型的ファム・ファタールの3タイプを見ることができる。
そういう女達の悲劇であるから、ラストまで救いのない暗さが付きまとうのは避けようもない。
いずれも舞台装置・背景は黒が基調で、いかにも怪しげな人物たちばかり登場して悪の匂いが
漂う。

La Traviata
Giuseppe Verdi  2012年12月15日収録@モネ劇場

Music direction¦ Ádám Fischer
Director¦ Andrea Breth
Set design¦ Martin Zehetgruber
Costumes¦ Moidele Bickel
Lighting¦ Alexander Koppelmann
Dramaturgy¦ Sergio Morabito
Chorus direction¦ Martino Faggiani

Violetta Valéry¦ Simona Šaturová
Flora Bervoix¦ Salomé Haller
Annina¦ Carole Wilson
Alfredo Germont¦ Sébastien Guèze
Giorgio Germont¦ Scott Hendricks
Gastone¦ Dietmar Kerschbaum
Barone Douphol¦ Till Fechner
Marchese d’Obigny¦J ean-Luc Ballestra
Dottor Grenvil¦ Guillaume Antoine
Giuseppe¦ Gijs Van der Linden
Commissionario¦ Matthew Zadow
Domestico¦ Kris Belligh
Orchestra¦ La Monnaie Symphony Orchestra & Chorus

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       フローラ主催のパーティーは、あらゆる快楽のひたすらの追求に終始。
       左の椅子に座っているのが、キュートなぼんぼんのアルフレード。

ヴィオレッタが苦界の底から苦労の末這い上がったということは、前奏曲の間に舞台の後ろの
方で演じられているシーンが説明している。
高級娼婦としての成功を手に入れたヴィオレッタは物憂げかつ気品ある美しい人に変身した。
パパ・ジェルモンに対しても、風当たりのきつい世間に対しても、そして最期は落ちぶれて
ホームレスとなっても毅然と自らの人生を引き受けているという態度を崩さない。女の鑑だ。

彼女が酸いも甘いも噛み分けた大人の魅力的な女であるのに対して、ぼんぼんで苦労知らず
だったアルフレード役の歌手がアンドレアス・ショルの弟みたいなルックスの可愛いタイプ
でいかにもイノセントなのがいい。
遊び人たちの中で1人だけ場違いな身なりの彼が歌う「乾杯の歌」もおずおずと紙に書かれた
ものを読みながら、というのもリアリティーがあった。
少年っぽさの残る顔立ちで、甘いだけでない歌声には育ちのよさを感じさせる芯のような
ものがある。
全幕を通じて変化の激しい彼の、憧れ、喜び、失望、怒り、後悔、そして悲しみに至る心情の
振幅をしっかり表現できて、この役にここまでぴったりの歌手もなかなかいないだろう。

ヴィオレッタは、ちょっと幼稚なアルフレードに対して大人の女であることを強調した役柄
なので、恋する女のかわいらしさは歌唱にも込めていない。声質があまり華やかではないが
暗すぎもしないし、歓喜の表現でもこれみよがしに高音を強調したりしないので、いかにも
現代的で好感の持てるさらりとした歌い方だ。
パパ・ジェルモンに諭されて身を引く覚悟を決めた際のしおらしさと、苦い運命を受け入れる
決意表明がいじらしく涙を誘う。
あまりに華やかな技巧を聴かせるタイプの歌手だと、後半の打ちひしがれたヴィオレッタに
感情移入ができにくくなるのだが、中庸を取った彼女は最期まで飽きさせずに聴かせた。

アンニーナはヴィオレッタの女中ではなく、娼婦仲間になっている。彼女のキャラクターが
なかなか今回の演出では重要かつ際立っていた。快楽と金銭の奴隷のようだった1幕目の彼女は、ヴィオレッタと運命を共にしていくうちに人間味を取り戻し、3幕目では落ちぶれたヴィオレ
ッタを見捨てずに、文字通り身を張って最期を看取るのである。

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           ホームレスになって息をひきとるヴィオレッタ。

さて、アンドレア・ブレト女史による演出は、モネやドイツのレギーを見慣れてる人にはさほどショッキングではないし、エロ・グロの度合いも女性らしい抑制が効いていてスタイリッシュ
でさえある、とわたしは思ったのだが、なんと、この演出は近年のモネには珍しいほどの物議を
かもしたのであった。
発端は、初日でのブーイングと一部観客へのインタビューに基づいたタブロイド新聞記事らしい。
モネ劇場で演出に対して激しいブーイングが起きるというのも珍しいし、実演を観ずに書いた
としか思えない記事に反応して世間が騒ぎだし、青少年および家族連れ客に対する教育的見解
としてモネが発表した「お断りの手紙」などから発展して議論が展開され、モネのサイトに現在特別ページが開設されているほどである。
英語ページにリンクを張ったので、オン・デマンドでこのプロダクションを鑑賞した後に、
モネおなじみの演出家4人による擁護論などを読んで頂くと、自分の感想と比較できて面白さは
格別かと思う。

ワルリコフスキー演出の『ルル』でもそうだったように、性的にきわどく背徳的で露出度の高い
舞台に今回も子役が出演しているのだが、ペドフィル行為っぽい演技が行われているのと、パーティー場面および最後の幕での生々しい性描写が問題になっているのだ。
コンビチュニー演出の『サロメ』の節操のないエロ・グロに比べたら、この『椿姫』は相当
洗練されていて美しいし、モネで何をいまさら騒ぐのか、という気がするのだが。
問題のペドフィルやパーティー・シーンは、ヴィスコンティ監督映画『地獄へ堕ちた勇者ども』
やリリアーナ・カヴァーニ監督映画『愛の嵐』を思わせ耽美的でもある、とわたしには思えたが、
クリスマス前後の上演だったため家族連れや外国からの観光客が多かったとみえて、華やかで
きらびやかな舞台を期待していたら予想外にきわどいシーンが多かったので、こういう過剰反
応を引き起こしたようだ。
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by didoregina | 2013-01-30 17:25 | オペラ映像 | Comments(8)

The best of European Opera 2012

『2012年ヨーロッパ・オペラの白眉』と題したTV番組が放送された。
先シーズンにヨーロッパ各国のTV局が放送した各地の歌劇場のプロダクションの中から8作品
が選ばれ、シーンのさわりや舞台裏、指揮者や歌手や演出家のインタビューなどを見せて、最新の
ヨーロッパ・オペラ界の動向を紹介するというものだ。

上記タイトル下線にオランダのTV局のリンクを張った。そのページ下のほうに1時間ほどの映像が
貼られている。いつまで視聴可かわからないが、ぜひ、ご覧頂きたい。
というのは、選ばれたプロダクションのラインナップが幅広く、示唆に富むからだ。
最初に、今週プレミエになるDNOの新プロダクション『魔笛』の演出家によるオケ・リハーサルの
様子がCMのように流れるが、実際の番組はそのあとからで、進行役はROHの芸術監督カスパー・
ホルテン。

選ばれた8作品は、以下の通りである。

United Kingdom
Royal Opera House & BBC
Il Trittico
Composer G. Puccini
Libretto G. Adami
Luigi Aleksandr Antonenko
Sour Angelica Ermonela Jaho
Lauretta Ekaterina Siurina
Conducted by Antonio Pappano
Directed by Richard Jones


Spain
Teatro Real Madrid
Iolanta
Composer P.I. Tchaïkovski
Libretto M. Tchaïkovski
King René Dmitry Ulianov
Robert Alexej Markov
Vaudémont Pavel Cernoch
Ibn Hakia Willard White
Alméric Vasily Efimov
Bertrand Pavel Kudinov
Iolanta Ekaterina Scherbachenko
Marta Ekaterina Semenchuk
Brigitta Irina Churilova
Laura Letitia Singleton
Conducted by Teodor Currentzis
Directed by Peter Sellars

Teatro Real Madrid
Persefone
Composer I. Stravinsky
Libretto A. Gide
Eumolpe Paul Groves
Perséphone Dominique Blanc
Dancers
Perséphone Sam Sathya
Déméter Chumvan Sodhachivy
Pluton Khon Chansithyka
Mercure, Démophoon, Triptolème Nam Narim
Conducted by Teodor Currentzis
Directed by Peter Sellars

Latvia
Latvian National Opera
Lucia di Lammermoor
Composer G. Donizetti
Libretto Salvadore Cammarano
Lucia Marina Rebeka
Edgardo di Ravenswood Dmytro Popov
Enrico Aston Viktor Korotich
Raimondo Ilya Bannik
Arturo Bucklaw Dainis Skutelis
Alisa Kristīne Zadovska
Normanno Ansis Tālbergs
Conducted by Christoph Stiller
Directed by Andrejs Žagars

The Netherlands
Nederlandse Opera
Parsifal
Composer R. Wagner
Libretto R. Wagner
Parsifal Christopher Ventris
Kundry Petra Lang
Blumenmädchen Lisette Bolle
Conducted by Ivan Fischer
Directed by Pierre Audi

Sweden
Drottningholm Court Theatre Stockholm
Orlando Paladino
Composer J. Haydn
Libretto Nunziano Porta
Eurilla Ditte H Anderson
Pasquale Daniel Ralphsson
Set design & costumes Stephan Dietrich
Conducted by Mark Tatlow
Directed by Sigrid T`hooft

Umeå opera
Wozzeck
Composer A. Berg
Libretto G. Büchner, A. Berg
Wozzeck Fredrik Zetterström
The Doctor Lars Arvidson
Marie Susanna Levonen
Conducted by Roland Kluttig
Directed by Carina Reich & Bogdan Szyber

Czech Republic
Janacek Opera Brno
Rusalka
Composer A. Dvorak
Libretto J. Kvapil
Rusalka Pavla Vykopalová
Janacek Opera Choir
Conducted by Jaroslav Kyzlink
Directed by Vladimir Morávek

Norway
Den norske Opera
La Bohême
Composer G. Puccini
Libretto G. Giacosa and L. Illica
Rodolfo Diego Torre
Mimi Marita Solberg
The Norwegian National Opera Orchestra
Conducted by Eivind Gullberg Jensen
Directed by Stefan Herheim

ヨーロッパ各国のTV局から応募されたオペラ・プロダクションの中から選ばれたのだが、ここには
イタリア、ドイツ、フランス、オーストリアはたまたスイスの歌劇場のプロダクションが一つも含まれて
いないというのがミソというか、オペラのメッカと思われる劇場や国よりも、マイナーな北欧および
周辺諸国に偏っているところが面白い。初めてその名を聞く歌劇場もあったりする。
番組の最後に、シャルパンティエのテ・デウムが流れる。これは、ユーロヴィジョンのテーマとして
ヨーロッパに住んでる人にはおなじみのメロディーである。ユーロヴィジョンがこの番組の制作母体と
いうことなんだろう。

集められたプロダクションは素晴らしくヴァラエティーに富んでいて、いかにも現在のヨーロッパの
(文化的)多様性が現れている。これを2012年のヨーロッパ・オペラ界の総括と見ると、
ヨーロッパ文化の中でのオペラ現象学の一面を鋭く切り取っていて、非常に興味深い。
オペラはヨーロッパ共通の文化で、その母体であるヨーロッパ全体がオペラの本場であるという自負
の表明なのだと思う。
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by didoregina | 2012-12-06 17:36 | オペラ映像 | Comments(10)

Stradella@ORW  フランクの超レア・オペラはアクア・アルタのヴェネツィアが舞台

ベルギー東部ワロニー地方の都市リエージュにある王立ワロニー歌劇場は、足かけ3年に及ぶ
改修工事がようやく終わって、9月にリニューアル・オープンした。
その杮(こけら)落とし公演には、ご当地出身の作曲家(しばしばフランス人と思われてしまう)
セザール・フランクのオペラ『ストラデッラ』が上演された。記念的演目であるから、多分今回に
限るのだろうが、いつものように一回きりのライブ・ストリーミングではなく、Arte Live Webから
オン・デマンドでかなり長期に渡って見ることができる。一見以上の価値があることは、保証する。
その理由を説明していきたい。

Stradella by César Franck

Musical direction : Paolo ARRIVABENI
Direction : Jaco VAN DORMAEL *
Orchestration : Luc VAN HOVE
Set : Vincent LEMAIRE
Costumes : Olivier BERIOT *
Lighting : Nicolas OLIVIER *

Chorus master : Marcel SEMINARA
Orchestra and Choruses : Opéra Royal de Wallonie

Leonor : Isabelle KABATU
Stradella : Marc LAHO
Spadoni : Werner Van MECHELEN
The Duke : Philippe ROUILLON
Pietro : Xavier ROUILLON
Michael : Giovanni IOVINO
Beppo : Patrick MIGNON
An Officer : Roger JOAKIM

この作品は、歌劇場のサイトによると、フランクが15歳の時に作曲したもので1837年3月3日に
パリ・オペラ座で初演、とあるが、Arteでのストリーミング映像でも、サイトの同じページにも
「世界初演」が謳われている。
一体これはどうしたことか。
様々な情報を付き合わせると、どうやら『ストラデッラ』は歌の部分しか楽譜が残っていなくて、今回
Luc Van Hoveによってオーケストラ・パートが作曲されて上演された模様。それで、世界初演と
銘打っているのだろう。そしてまた、パリで初演と言っても、きちんとオーケストレーションのなされた
オペラとしての上演ではなかったらしい。

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まず、今回の舞台演出は、オペラ演出は初めてらしいJaco Van Dormaelという人なのだが、
それが、舞台装置を含めて、「えっ、これがリエージュ?まるでモネみたい」と思えるほど、革新
的なのである。
とにかく、百聞は一見に如かずである。悪いことは言わない、映像を観ていただきたい。
ネタをばらすのがもったいないから、冒頭の序曲シーンだけでも、まずご覧になっていただきたい。
百年一日の如きオーソドックスな演出および舞台装置で、とにかくコンサバなお年寄りをヘンに刺激
しないことを心がけていたとしか思えないリエージュの歌劇場が、とうとうここまで来たか!という
衝撃的かつ耽美的シーンで舞台が始まる。(他の劇場なら、特筆すべきことでもないのだが)


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        アクア・アルタのヴェネツィアのごとき光景

ステージ一面が水である。それが場面によって、桟橋のような、板を渡した橋のようなものが水面
すれすれに頭を覗かせたりする。まるで、アクア・アルタに見舞われたヴェネツィアそのものである。
そう、この作品の設定は、元々ヴェネツィアなのである。

あらすじを知らずに、何の字幕もない映像をまず鑑賞してみた。どうやら、女1人に男二人の三角
関係というか、愛し合う男女の間に残忍な貴族が無理やり入り込もうとするお話のようである。
悲劇への道をひた走る愛し合う二人は殺され、現世では結ばれず水の中で一緒になる、ということ
らしい。

あとであらすじを読んでみた。ヒロイン・レオノールはヴェネツィアの10人会の有力者ペーザレ公に
言い寄られ、公の手下によってかどわかされ屋敷に閉じ込められている。レオノールの愛情を得る
ために考えられた策は、人気歌手ストラデッラの歌で冷たい心を解きほぐそうというもの。しかし、
ストラデッラとレオノールは実は相思相愛の仲だった。ストラデッラは、公の策に乗ったふりをして
レオノールに歌のレッスンをする。そして、危険を犯してレオノールを逃がそうとする。しかし、
追っ手が迫り、二人の逃亡は地獄への道行きとなった、というストーリーだ。


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              屋敷の中も水浸し。


荒唐無稽ではない単純なストーリーであるが、音楽はなかなかにドラマチックで、まるでヴェルディ。
しかし、残忍な貴族とその手下は、『トスカ』のスカルピアや『リゴレット』のマントヴァ公のような
悪人として名を残し異彩を放つ迫力には欠け、ヒロインも悲劇の主人公なのにタイトルを張るほどの
魅力がない。ストラデッラとはヒロインでなく、カヴァラドッシを思わせる悲劇の主人公の名前なのだ。
その地味さ加減が、なんとなく、『シチリア島の夕べの祈り』を思わせ、ストーリーも音楽も悪くない。

強いて言うなら、音楽がヴェルディ風にドラマチックすぎてほとんどフランクらしく感じられないのが
ちょっと惜しい。アリアやデュエットの場面の構成も、正統的イタリア・オペラ的なものなので、歌詞は
フランス語でも全体の印象がフランス・オペラっぽくない。それは、しかし、フランクのせいではなく、
新たにオーケストレーションを行った作曲家の好みなんだろう。これはこれで、なかなかいいのだが。
そう、ベルギーの新古典イタリア・オペラとして、今後、各地の歌劇場で取り上げられたらいいくらい。

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          カーニヴァルから一転して、葬式のヴェネツィア。


水の上、もしくは文字通り水の中が舞台なのと、舞台後方から下がってくる鏡を多用した装置は、
シンプルでスタイリッシュで効果抜群。
歌手は、コーラスも含めて皆、漁師のような長靴を履いて水に浸かったり、雨合羽で傘を差したり、
雨に濡れたりするシーンが多くて大変だ。
特に、主人公とヒロインは、膝まで水に浸かっての演技と歌である。最後には二人とも水の中で
死ぬという設定だから、びしょぬれどころの騒ぎではない。

ヒロイン・レオノール役のソプラノは、レオンタイン・プライスみたいな古典的な黒人らしい顔立ちで、
涼やかかつ清らかなリリコ・スピント。
主人公ストラデッラ役のテノールは、第一幕では頼りない感じの声で、重要なセレナードなど歌詞
内容が甘いのに声が付いていかなかったが、2幕目以降は、伸びのあるリリックな声が艶を増して、
俄然よくなった。
悪役のバリトン二人は、最初から声がよく出ていて舞台を引っ張っていった。2幕目、3幕目では、
3人の絡みが多くなるのだが、主人公の二人も歌唱にバランスがとれていったので、ひやひやせず
にすんだ。


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       ドッペルガンガーのダンサー二人の使い方が上手い演出。
       シルエットだけだったり、水の下に沈んだり天上に浮かんだり。


殺された愛する二人は水に閉じ込められたまま、最後は天に昇っていく。しかし、鏡と水を用いた
造形表現方法のおかげで、もやもやと幻影のようで、まるでリミニのフランチェスカのように、
天国には行けないでふわふわと漂い続けているよう。死んでから二人が結ばれたのは、天国なのか、
海の中なのか、はっきりわからないその曖昧さがいい。
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by didoregina | 2012-11-08 15:33 | オペラ映像 | Comments(6)

『イポリートとアリシー』@オペラ・ガルニエは正統的HIP

パリのオペラ・ガルニエで6月・7月に上演されたラモーの『イポリートとアリシー』は、ぜひとも
実演鑑賞してバロックの雰囲気を満喫したい!と思わせる正統的HIP(Historically Informed Performance)の舞台だ。
すなわち、アイム女史指揮の古楽オケ、コンセール・ダストレーによる器楽演奏、歌手陣も
バロックを得意とする歌い手で揃え、舞台美術・衣装および装置はバロック時代をかなり正確に
再現するような造形で、歌手の身振りはバロック・ジェスチャーだし、バレエは優美なバロック・ダンス。
ここまで凝ったHIP上演は、めったに拝むことはできまい。

実演鑑賞は叶わなかったが、MezzoでTV放映されたライブがYoutubeにアップされていて、
全編観ることができる。(この人、TV放映されたバロック・オペラの相当数を投稿している。
ありがたいことだが、著作権問題があるだろうからいつまで視聴可かは不明)

Hippolyte et Aricie, by Jean-Phiippe Rameau
Le Concert d'Astrée, Emmanuelle Haïm (conductor)
Ivan Alexandre (stage director)
Antoine Fontaine (sets)
Jean-Daniel Vuillermoz (Costumes)
Hervé Gary (lighting)
Natalie Van Parys (choreography)

Sarah Connolly (Phèdre),
Anne-Catherine Gillet (Aricie),
Andrea Hill (Diane),
Jaël Azzaretti (L'Amour / Une Prêtresse / Une Matelote),
Salomé Haller (Oenone),
Marc Mauillon (Tisiphone),
Aurélia Legay (La Grande Prêtresse de Diane / Une Chasseresse / Une Prêtresse),
Topi Lehtipuu (Hippolyte),
Stéphane Degout (Thésée),
François Lis (Pluton / Jupiter),
Aimery Lefèvre (Arcas / Deuxième Parque),
Manuel Nuñez Camelino (Un Suivant / Mercure),
Jérôme Varnier (Neptune / Troisième Parque)
Live from the Paris Opera, Palais Garnier

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       プロローグは森の中

プロローグの舞台装置および演出から、既に期待が高まる。
森に勢ぞろいした月のニンフ達のコーラスは、バロック・ジェスチャー付きで、舞台前方床の端に
置かれた照明が、ろうそく風の色で下方正面からの光を後方に向かって当てているので、ほの暗い
舞台上の登場人物の目から上が影になり、なんとも独特のバロック風情がかもし出されている。
本物のろうそく使用は、防火上許可が下りなかったのだろうが、この薄暗さはなかなかよろしい。

ゴンドラに乗って天から下るディアーヌの声が最初迫力不足に聴こえたのは、舞台のかなり上方
から歌わされたためだろうか。舞台に降り立つほど下に来ると、聞き取りやすいくらいの声量に
なったように思えた。(そのゴンドラは、プロローグの最後にかなりのスピードで上手方向上方に
斜めに上がって行ったのでびっくり)

ディアーヌと言い争うお茶目なアモールの歌手は、軽くて転がる声とルックスも可憐。
雷鳴と共にジュピターも天下り、けんかを成敗すると、地下の者達はいっせいにかしずくのだった。
ジュピター役はプルート役も兼ねているのだが、歌もルックスも、どうも神としては迫力不足である。
(第二幕のプルートになったら俄然よくなったが)

全幕通じて非常に多いバレエ・シーンだが、バロック・ダンスの軽やかなステップがとても優美で
ドレスとメイクアップともマッチしているから、飽きさせない。
実際、ストーリー進行を途切れさせることなく、自然にバレエ音楽部分が融合しているのは、
ラモーの作曲の力量を示すものだろう。ダンス・シーンと歌の部分が有機的に結合していて、
バレエの合間に歌が入っているかのような流れと趣である。スムーズそのものでほころび部分が
見当たらない。
そういうふうに自然に流れるのは、オーセンティックな鬘やメイクや衣装と、音楽および雰囲気に
マッチしたバロック・ダンス振付とダンサー達のテクニックにも負うところが大きい。これぞおフランス
のエレガンスの最高峰といえよう。


第一幕の舞台は、ディアーヌの神殿。
アリシー役のジルは、ルックスは地味目のお姫様だが、声量がしっかりあるので、優美さの中に
芯の強さを秘めているようでとても好ましい。
低めのテノールで歌うトピ君のイポリートは、狩装束の姿かたちの美しくすらりとしたプリンスで、
凛々しさ抜群。
恋する二人は、しかし、互いに向き合ったり近づくこともなく、客席に向かって正面を向いたまま歌う
のが、バロックらしい。
お互いに見つめあうのは最後の方になってからである。

そこへ典雅かつ荘重なサラ様のフェードルが登場する。重厚な上着とビラビラしたフリル・レース襟の
スペイン風のドレスで悪役であることを強調。男前のチェーザレそのものの顔つきで邪悪な目付きの、
典型的継母という風貌である。
しかし、悪役だからといってわざとらしいドスを効かせたりせず、歌声はあくまで優雅さを失わない。
これぞバロックの真髄。裏に秘めたフェードルの情熱は、サラ様の均整の取れた美しい声で
なくては表現できまい。


c0188818_2128415.jpg

         地獄は上下さかしまの国

第二幕は、アップテンポで快活に始まるが、舞台は地獄である。
地獄の責め苦にあうテゼー王役のドグーは、とにかく歌が上手いし、老け役も上手だ。
鼻に掛かって下によく響く朗々たる美声で、立ち姿もフランス語もほれぼれするほど美しい。

この地獄では、コーラスの顔が上下さかさまのメイクなのが効果抜群。しかも、閻魔大王の家来
みたいな役のメイクと所作が歌舞伎か京劇の悪役風で面白い。


第三幕では、道ならぬ恋心に身を焦がすフェードルのアリアが胸を打つ。
王妃の誇りを捨てて生身の女であることを象徴するかのように、髪飾りと首のフリルの襟を外すと、
歌い方も様式的というよりは、情熱を強調するように変化する。その変身振りを歌唱でも表現できる
ところがサラ様の面目躍如。
激しく息詰まるかのような、フェードルの心情吐露とイポリートとの応酬が続き、ここにはダンスの
入り込む余地はない。
突然のテゼー帰宅に、驚く二人。そこに割って入った女官の機転で、音楽もいきなり明るい
菅楽器演奏にダンス。演出もこのように緩急自在にストーリーと音楽に対応しているのが素晴ら
しい。
自ら責任を引き受けて放浪の旅に発つイポリート。その後は、テゼーの一人舞台である。
相変わらず老け役が上手いドグーだが、いくらメイクで顔に皺や隈をつけても、体型と立ち姿の
若々しさは隠せない。


c0188818_21471689.jpg


第四幕では、ネプチューンの支配する海に放浪するイポリートは、アリシーと再会するも、
死の国へと旅立つ。
そこへ髪を下ろしたフェードルが登場して、自らの罪のため死んだ無実のイポリートを悼む。
その後悔の様子は悲劇の王妃そのもの、もしくは恋狂いの狂女だ。

第五幕では、苦悩するテゼーのところにネプチューンが現れ、イポリートは死んでいないと言う。
噴水の沢山ある庭で1人嘆くアリシー。そこに男女のダンサー達が静々と登場し、皆で天に祈る。
その祈りが通じたかのように天から矢が降ってきて、ディアーヌが降臨。風に乗ってイポリートも
黄泉の国から生還して、ハッピーエンド。

コンセール・ダストレーによるラモーの音楽は、特に低音の通奏がびしばしとよく響き、めりはり
抜群。緊張感と躍動感に溢れている。
HIPというだけでなく、トータル芸術としても完璧な舞台だった。
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by didoregina | 2012-08-03 15:02 | オペラ映像 | Comments(4)

チェルニャコフ演出の『イル・トロヴァトーレ』@モネ劇場(オンライン・ストリーミング)

ドミトリ・チェルニャコフ演出、マルク・ミンコフスキ指揮による『イル・トロヴァトーレ』
@モネ劇場は、先日やはりストリーミング鑑賞したROHの『トロイアの人々』とはまさに
好対照をなす、実に多くのことを考えさせるプロダクションだ。あとまだ2週間半、タダで
モネのサイトから観られる(いつもの仏・蘭語に加えて今回から英語の字幕も!)から
ぜひともお見逃しないよう、心よりお勧めする。


Il Trovatore@モネ劇場 2012年7月15日収録

Muzikale leiding¦Marc Minkowski
Regie¦Dmitri Tcherniakov
Decors¦Dmitri Tcherniakov
Kostuums¦Dmitri Tcherniakov
Elena Zaytseva
Belichting¦Gleb Filshtinsky
Koorleiding¦Martino Faggiani
Il Conte di Luna¦Scott Hendricks
Manrico¦Misha Didyk
Azucena¦Sylvie Brunet-Grupposo
Leonora¦Marina Poplavskaya
Ferrando¦Giovanni Furlanetto
Orkest¦Symfonieorkest en koor van de Munt

まず、やたらと人数の少ない上記クレジットからもわかるとおり、演出・舞台美術・衣装は
チェルニャコフが担当、舞台に登場するソロ歌手は5人だけだ。ヴェルディの作品らしからぬ、
息詰まるような室内劇仕立になっているのだ。
合唱団は、カーテン・コールで姿を見せるのみで、終始舞台裏から歌うという徹底振り。

c0188818_167315.jpg

         事件の数年後に集まった当事者たちが、過去を偲ぶため
         ロール・プレイで当時の状況を再構築するという設定。
         皆やる気がなく、いやいやながら、ロール・プレイを始める。

このように、ブルジョワの屋敷に当事者が一堂に会して、原作とは異なる役柄設定と状況に
置かれるというのは、同じ演出家による2010年のエクサンプロヴァンス音楽祭での『ドン・
ジョヴァンニ』そっくりだ。たまたま1ヶ月ほど前に、その『ドン・ジョ』のTV放映を鑑賞した
ばかりだから、非常によく似た手法と展開とに、ニヤリとしてしまった。世間ではどうやら
あまり評判がよろしくなかったチェルニャコフの『ドン・ジョ』だが、実はわたしはとても気に
入ったのだ。

    ↓ 問題のチェルニャコフ版『ドン・ジョ』の冒頭シーンから序曲

     ブルジョワの屋敷が舞台の室内劇風、しかも最初は無音というのも同じ。
     そして、人物および状況説明のテロップが流れるのも同様。

今回の『イル・トロヴァトーレ』では、『ドン・ジョ』よりも一層室内劇の息苦しさを高めるため、
鍵をかけた密室にして、召使などほかの登場人物もなし。そうなると当然、お互いを暴きあう
凄まじい心理劇の展開となる。秀逸である。

アズチェーナと侍女(というより女主人然としている)役は、メゾ・ソプラノのシルヴィー・ブルネット・
グルッポーゾが担当し、アズチェーナになるときは、ジプシーらしいじゃらじゃらしたアクセサリーを
付ける。侍女(というより女主人)は、淡々としてタバコをふかしながら、気のない態度だ。

ロール・プレイに乗り気でなかったのは皆同様だが、過去を回想するそれぞれの歌が独白調で
あるから、自分本位で主観的な個別ヴァージョンのストーリーを語るという趣きになり、おお、
これは『藪の中』(もしくは映画『羅生門』)みたいな展開になるのか、と思えた。

登場人物の気持ちが高揚して真実に近い物語を語ろうとすると、ロウソクの火を消したり、また
着火したりするから、『百物語』のようでもある。チェルニャコフは、日本文学の造詣も深いの
だろうか。

『ドン・ジョ』では、北欧系の歌手が多かったので、ヴィジュアル的にもまるで伝統的もしくは
比較的新しい北欧映画の様相を呈し、とても楽しめた。これでカメラ・ワークが手ぶれしてたり、
不鮮明だったりしたらドグマっぽくてもっと面白いのにと、と悪乗り感想を覚えたほどだ。
今回のは、もっと先祖がえり(?)して、イプセンの『幽霊』を思わせる重厚さ。


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        心理面のみならず、ルーナ伯(ここでは金持ちの道楽息子に
        ピストルで追い詰められ人質の様相を帯びるマンリーコ、レオノーラ、
        フェランドとアズチェーナ。


ロール・プレイとして始めたのに、他人の語る”真実”によってつぎつぎと暴きだされる驚愕の
過去に追い詰められていった登場人物たちは、次第に本気になって、心の奥を吐露していく。

最初はヘンなマッシュルーム・カットの黒髪の鬘を被ってお澄ましだったレオノーラも、鬘を
捨てて、長い金髪をなびかせると本来の情熱的な女性になる。(えらの張ったポプラフスカヤの
顔にあの鬘は、欠点が丸見えで気の毒だった)
生の声を聴いたことがないので、あまり大きなことは言えないのだが、ポプラちゃんの声は、
情熱的なレオノーラ役にぴったり。5幕目の別れの歌など、後ろ向きで歌わせられたり、
ソファーの上で仰向けになって歌わせられたりしても、一部アジリタが回りきれないところは
あったが、迫真の演技と相まって説得力ある歌唱だった。高音になるとあまり好みではない
色合いになるが、不快とは感じなかった。

中年ロッカーみたいな体型と服装のマンリーコ役のミーシャ・ディディクは、典型的な泣きの
入るテノール声で、軟弱な嘆き節を切々と聞かせる。全く破綻のないテクニックと甘い声が
高音でも安定していて、安心して聴いていられた。(昨年9月にリエージュで聴いたファビオ・
アルミリアートのマンリーコはかわいそうなくらい高音が出なくて、伸びもなかった。)

アズチェーナも、奔放で邪悪なジプシー女から、苦悩しつつ慈愛に溢れた母親に変化していく
のがよくわかる演出のおかげで、毒々しさで印象付けるという歌唱にならず、しみじみと聴か
せるのがめっけものだった。

ねちねちとした嫌なヤツのルーナ伯であるスコット・ヘンドリックスの歌声は、ストリーミングなので
音響的にバランスよくまとめられていて、迫力あるのかどうかはわからなかった。

ただし、モネ劇場の観客は、アムステルダムとは対象的に、いつでもクールを気取っていて、
なかなかブラーヴァの声がかかったりアリアで拍手が起きない。たしかに、この演出では、
アリアごとに拍手、というのは合わないから仕方ないが。

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           悲劇に向かってひた走るラスト。


ミンコフスキ指揮のオケ演奏は、疾走感溢れる軽快さが好ましく、どうしてもズンチャッチャに
なってしまいがちなヴェルディのこの楽譜からここまで若さと清々しさを感じさせる音を出すのに
感心した。終盤では、ドライブ感と緊張感が一層激しさを増し、テンポに歌手が付いていけなく
なってる場面もあったように思えた。

ヴェルディの奇想天外なお話を、全くスペクタクル要素なしの密室の室内心理劇に変容・昇華
させてしまったチェルニャコフの演出には、心から拍手を送りたい気持ちになった。
カーテン・コールで無理やり登場させられた演出家は、なぜか居心地悪そうな面持ちで、すぐに
引っ込んでしまったのを、ミンコさんが再び舞台に引っ張り出したりしてた。
(ところで、ポプラちゃんがカーテン・コールにいなかったのは、なぜ?)

観客を選ぶ演出であることはたしかで、モネの面目躍如だ。この演出では、観光客や保守的な
観客の多い大都市では受けないだろうから、上演も覚束ない。
今シーズン、モネでは、全演目を千秋楽のあと3週間ストリーミングしてくれたので、全部オン
ラインで観ることができたのだが、ひとつとしてハズレはなかった。タダでオンライン鑑賞できる
のをいいことに、実演は3作しか鑑賞しなかったのが悔やまれる。来シーズンは、モネ劇場に
通いたい。
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by didoregina | 2012-07-11 10:53 | オペラ映像 | Comments(14)

ROHの『トロイアの人びと』をオンライン・ストリーミングで

ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)でまだ上演中なのに、7月5日の舞台が
全編TheSpaceというサイトからタダでストリーミング配信されている。なんとも有り難い。
いつまで見られるのかわからないので、早速7月7日と8日に前後2部に分けて鑑賞した。

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            ヘビーメタルのトロイの木馬。

Les Troyens @ Royal Opera House Covent Garden 2012年7月5日

Director David McVicar
Set designs Es Devlin
Costume designs Moritz Junge
Lighting design Wolfgang Göbbel
Choreography Andrew George
Conductor Antonio Pappano

Soldier: Daniel Grice
Cassandra: Anna Caterina Antonacci
Coroebus: Fabio Capitanucci
Panthus: Ashley Holland
Helenus: Ji Hyun Kim
Ascanius: Barbara Senator
Hecuba: Pamela Helen Stephen
Priam: Robert Lloyd
Polyxena: Jenna Sloan
Andromache: Sophia McGregor
Astyanax: Sebastian Wright
Aeneas: Bryan Hymel
Ghost of Hector: Jihoon Kim
Greek Captain: Lukas Jakobski
Dido: Eva-Maria Westbroek
Anna: Hanna Hipp
Iopas: Ji-Min Park
Narbal: Brindley Sherratt
Voice Of Mercury: Daniel Grice
Hylas: Ed Lyon

キャストは当初、アエネアスにヨナス・カウフマンの予定だったが、早々に降板してしまって、
ルックスも声もカウフマンとは対照的なブライアン・ヒメル(ハイメル)に変更になった。
ヒメルは、3年前にアムステルダムでもアエネアスを歌っているから、順当だろう。
そして、ディドにエファ=マリア・ウエストブルック、カッサンドラにアンナ・カテリーナ・アントナッチ
という配役には、興味津々だった。

というのは、贔屓にしているウエストブルックは前回アムスではカッサンドラ役だったのと、
アントナッチのイメージとしてはディドの方が合っていそうな気がしていたので、ちょっと意外に
思ったのだ。

お話は、ヴェルギリウスの『アエネイス』をベルリオーズがほぼそっくりオペラに翻案したもの
だから、ごくおなじみの内容である。すなわち、トロイ戦争でのトロイの陥落(カッサンドラの予言、
トロイの木馬、トロイアの女性たちの悲運)と、落ち延びた勇者アエネアスが漂着したカルタゴで
女王ディドと恋に落ちるも、神々から託された使命(イタリア建国)のため、ディドを捨てる、と
いう本流のストーリーがストレートに物語られている。
トロイ戦争に基づいた戯曲やオペラは、古今に数え切れないほど書かれたが、たいていの場合は、
ホメロスの『オディッセイア』もしくは『イーリアス』、はたまたヴェルギリウスの『アエネイス』
の長いエピックから一部の人物を取り上げて、ドラマとしてクローズアップしている。そうでないと、
いたずらに冗長かつ散漫になってしまうだろう。

このオペラも5時間半と長い。しかし、前半(トロイの陥落)と後半(アエネアスとディドの
悲恋)とを一挙に上演することで、様々な面でドラマ性が対比されて緊張感も続くのだ。
演奏する側にとっては、大変な重労働であろうが。

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          鈍色(にびいろ)の光を放ち、堅固そうなトロイの城塞

トロイの民衆と兵士たちは、十年に及ぶ戦いに疲弊しているが、ギリシア軍が急に消えてしまった
ので、浮かれている。予知能力のあるカッサンドラには不吉な未来が見えるが、彼女の予言を聞
き入れる者は誰もいない。ギリシア軍の姦計に乗って、木馬を城門内に入れてしまう。

カッサンドラはほとんど狂女という役どころである。アントナッチは、不安と怯えを古典的ギリシア
悲劇女優そのものの苦渋の表情で訴え、呪詛のごとき歌とでカッサンドラの存在の虚しさを表現
している。
もっと若い歌手の方が、アポロンに愛されたカッサンドラのナイーブな悲劇性が出そうな気もするが、
中年のアントナッチのくっきりした顔と声には、また別の悲哀がにじみ出ていて悪くない。誰からも
まともに扱われないというのは、大いなる哀しみである。
アントナッチには、どちらかというとグラマラスでゴージャスな役の方が似合いそうなので、
えっ、カッサンドラ役?ディドの間違いじゃない?とキャスト発表の時には思ったのだが、カッサンドラ
役も嵌っていた。エキセントリックな狂女ではなく、予知能力を得て生まれてしまった苦悩する女を
演じ上げ、知的ですらあり、よかった。

トロイの人々の服装は19世紀風で、カイゼル髭のプリアモス王とか、シシー風ドレスのアンドロマケ
とか、兵士にしろプロイセンかオーストリアっぽい。
それはそれで整頓されたような統一性があり、ストーリーに入り込みやすく、展開もわかりやすい。
演出全体に、とにかく、奇をてらったところが全くない。見ていて安心できるのだった。


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          後半の舞台はカルタゴ。黄土色のカスバのように垂直の
          迷路のような城塞都市と、マスタープランの模型。

前半と後半の舞台を、色ではっきりと対比させているのも、わかりやすい。
暗い色と鉄が多用されたトロイのデコールは、戦争のメタファーとして直裁的である。
それに対して、後半は、いかにもアフリカらしい土のイメージだ。民族衣装っぽい服装も異郷である
こととエキゾチックさを強調している。

美しい女王ディドの元で繁栄を誇る新興国カルタゴ。近隣国王からの求婚にかこつけた侵略という
不安材料もないことはない。そこへ漂着してきたトロイの兵士達は、女王ディドから歓待を受ける。
自身も国を追われ落ち延びて海を渡った経験から、海の恐ろしさを身にしみているからだ。

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           美しいディド役のウエストブルック

特に第4幕は、甘美な音楽に終始し、ディドとアエネアスの愛が歌われる。
夜の洞窟の場面では、最初床に置かれていた円形のマスタープランが垂直に吊り下げられ、
まるで月のよう。舞台はミッドナイトブルーになり、スパルタクスのような古典的バレエの振付の
ダンス・シーン。
グランド・オペラには欠かせないバレエ(ダンス)だが、現代人にはどうしても冗長に感じられる
場面でもある。振付があまりにも古典的なのと、音楽的にも必然性があまりないためだ。
4幕最後のディドとアエネアスのデュエットは耽美的でひとつのクライマックスなのに、ストリー
ミングではブツ切れで終わったのが、非常に残念である。余韻も何も残されなかったのだから。

第五幕は、音楽は甘い余韻に包まれたまま始まるが、水面のように揺らめく舞台と海底に沈んだ
ように見える市街とが、不吉な前兆の可視化だ。
アエネアスは、亡霊たちに「イタリアへ」と使命を忘れないよう諭される。カルタゴを去る間際の
アエネアスのアリアは、甘い恋愛感情と苦しみの相克を表現している。
ヒメルの声は、いかにも色男らしい、とくに高音が鼻にかかった甘い声質で、役柄には合っている
のだが、どうも、ルックスがそれに伴わないのが残念だ。(アエネアスはヴィーナスの息子なの
だから。。。)
毅然とした男らしさを感じさせるカウフマンの声と顔だったら、このアエネアスのイメージは全然
異なったものになったろう。

哀願するも、去っていくアエネアスと神々に対するディドの呪いの言葉。情熱と理性の間を
行き来するディドである。
誇りを傷つけられたディドに残された道は、自らを犠牲に捧げる死だ。そのディドの辞世の歌は
その前の呪詛とは打って変わって、諦めに彩られ、心静か・穏やかそのもので、高貴さが漂う。
女神のような神々しさすら感じさせるウエストブルックの堂々たるディドには、愛される者の可愛らし
さと、捨てられる女の哀しみと、女手一つで王国を築き上げた女王のプライドとが体現されていて、
胸を打つ。ブラーヴァ!
DNOプロダクションのカッサンドラ役もはまっていたが、華やかなルックスと十分な声量とで、
ディド役にもウエストブルックの新境地が開拓され、大成功だ。
ストリーミングでは、実際の生の声とは比べようもないから、歌に関してはあまりコメントできない。
実演を鑑賞された方々のご感想を聞くのが楽しみだ。

エピローグでは、前半に登場したヘビーメタルの木馬が、ハンニバルの像の形になって登場。
カルタゴの人々はイタリアを未来永劫にわたって呪う。イタリアを痛い目に遭わす希望の勇者が
ハンニバルなのだが、ちょっとこれは言わずもがというか屋上屋を重ねる演出で、美的とは言い
がたい。

マクヴィカーは、とにかくわかりやすさを心がけた演出なのはいいが、ここまで説明過剰になって
しまうと白ける。観客のイマジネーションを飛翔させたり考えさせる余地も残すべきだ。
このプロダクションは、このあと、ウィーン、ミラノ、サン・フランシスコでも上演されるというから、
観光客向けにわかりやすい演出にするのは重要なんだろうが。

パッパーノ指揮のオケ演奏には長丁場でもダレた所が感じられなかった。大将には、ご苦労様と
ねぎらいたい。
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by didoregina | 2012-07-09 15:05 | オペラ映像 | Comments(10)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


by didoregina

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性別:女性
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ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


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