À Perdre la Raison

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監督: Joachim Lafosse
Tahar Rahim (Mounir),
Niels Arestrup (André Pinget),
Émilie Dequenne (Murielle),
Stéphane Bissot (Françoise), e.a.

ベルギー  2012年










気鋭のベルギー人映画監督ヨアキム・ラフォセーの新作は、2007年にベルギーで実際に起きた、
母による4人の子殺し事件を題材にしたフィクションだ。とはいっても、メディア報道から裁判
そして心理セラピーに基づき、監督自身が丹念に時間をかけて検証してからフィクションとして
作り上げたものであるから、かなり事実に近いのではないかと観客は思うし、実際、当事者に
確かめないとわかりようもない細かい描写も含まれていて、内容はなかなかに微妙だ。

9月14日の劇場公開初日に、監督自身がマーストリヒトのリュミエールまで来るし、上映後に
インタビューもあるというから、ストックホルム遠征前夜だというのに興味津々で出かけた。
今年のカンヌ映画祭にも出品され「ある視点」主演女優賞も受賞したが、どちらかというと
地味な映画だ。Made in Europeという映画推奨会主催の上映で、初日の初回は無料でしかも
フリー・ドリンク付きだった。

予告編を観たときは、なんだかややこしいストーリーの家族ドラマのような印象で、人物の
相関関係がよくわからなかった。実際に見ると、登場人物の家族関係は複雑怪奇で、こういう
のが本当にありえるんだろうか、と思えるほど。

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ミュリエルはモロッコ出身のムニールと結婚し、次々と4人の女の子に恵まれる。しかし、
ムニールの養父である医師アンドレと彼らは結婚後も同じ家でずっと暮らすのだ。アンドレの
経済的庇護の下で。アンドレは、ムニールの姉(モロッコ在住)と書類上の結婚をしていて、
彼ら一家に金銭的なサポートをしている。だから、ムニールは、子供のときからアンドレに
引き取られ、ベルギーで育ったのだ。
モロッコに残されたムニールの弟もなんとかヨーロッパに居住できるようにと、アンドレは、
やはり書類上の結婚のお膳立てをする。相手は、ミュリエルの姉で出戻りの年増女だ。

最初はラブラブで幸せ一杯だったミュリエルとムニールだが、次第に関係はギクシャクして行き、
特にミュリエルは閉塞状況に置かれたように感じて、心理的に追い詰められていく。
子供が次々と生まれてアパートが手狭になったら、アンドレは彼らのために郊外に新しい家を
買い、自分は法律上は間借り人としてそこに住む。気前のいい、面倒見のいい男ではあるが、
じっとりとした陰があって、どこか威圧的な存在感が不気味である。

ムニールは、財力・権力を兼ね備えた理想的な父親像をアンドレに見出しすが、ミュリエルは、
アンドレが不気味で理解不能な人物に写りだし、複雑な環境での生活に精神が不安定になって
いく。
そして自分の生んだ子供達が怖くなるのである。そういう心理を男達は理解できない。
とうとう、出口の見えない行き詰まりの果てに、わが子を次々と殺してしまう。
映画には、ミュリエルの母親が登場せず、ムニールのモロッコ人の母親をミュリエルは思慕し、
モロッコの自然を母なる大地のように懐かしむのが象徴的である。


実際の事件に基づいているので、最初から結末がわかっているから、冒頭シーンは事件後の病院
である。
自殺を図って死ねなかったミュリエルが看護士に向かって「子供達はモロッコに埋葬するように、
父親に頼んで」と請い、その直後の葬式シーンで慰めあうムニールとアンドレの寒々とした画面
に流れるのは、マリア・クリスティナ・キーアーの歌うカルダラのPer Il Mar del Pianto Mio



この映画ではカルダラ以外に、ロカテリ、ハイドン、アレッサンドロ・スカルラッティの音楽が
流れる。
いずれも、哀しみを凝縮したようなバロックの音楽である。
上映後の監督インタビューによると、「シューベルトやシューマン、はたまたショパンの音楽を
聴くと体の中心にずしりと重みや温かみを感じるので、この映画には不適です。それに対して
バロック音楽は、肉体に直接働きかけるのではなく、背後から降り注ぐようにして精神に効いて
くるかのようなスピリチュアルな体感を覚えます。だから、そういう理由でバロック音楽を選ん
だのです」とのこと。


    チェチリア・バルトリの歌うA.スカルラッティのCaldo Sangue


この事件がニュースとしてベルギーを賑わした後、どうしても映画化したくなった監督は裁判を
傍聴し、4年に及ぶ心理セラピーに制作費の大半をつぎ込んだと言う。
ちょと歪んだ家族の生活と心理的に追い詰められるミュリエルの様子を淡々と描いていて、流血
の惨事シーンを見せるという悪趣味なこともなく、事件に至る理由もはっきりとはわからない
作りだ。
「主要人物に比較的有名な俳優を使ったのは、これがドキュメンタリーではなく芝居であり、
彼らの演技によってフィクションであることがすぐわかるようにしたかったからです」と、
フィクションであることを強調する監督であった。しかし、単純にフィクションだとも思えない
微妙な線が透けて見える。


ミュリエル役のエミリー・ドゥケンヌの、輝くような笑顔から病的なこわばった表情への変化が
上手い。この人、La fille du RERという映画でも、ちょっと似たような役を演じていたっけ。
アンドレ役のニルス・アレストリュプとムニール役のタハル・ラヒムは、共にジャック・オー
ディアールのUn Prophete『預言者』での演技が印象的で、ラフォセー監督のお眼鏡にかなった
そうだ。
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by didoregina | 2012-09-24 16:20 | 映画 | Comments(4)
Commented by 守屋 at 2012-09-25 14:32 x
おはようございます。おそらく、イギリスでは上映されそうもない映画のように思います。制作費の大半を心理セラピィに費やしたとのことですが、それは監督自身がこの映画の制作過程で自身がセラピィを受けたということでしょうか?どのタイプのセラピィだったのか興味あります。
Commented by レイネ at 2012-09-25 16:42 x
守屋さま、若い監督なので、この事件にのめり込みすぎ、製作過程で個人的に心理セラピーが必要になったらしいです。でも、映画では主人公とセラピストとの会話やセラピーが重要な鍵になってるので、細かい点を取材して確認したかったのかも(守秘義務があるだろうから、ワイロとか?)とわたしは思ってます。
もしも、イギリスでも上映されたら、お勧めです!
Commented by さわやか革命 at 2012-09-27 06:27 x
なるほど、これは面白そうですね~。
是非見てみたいもんですが、日本で公開されるかどうかはかなり難しいかも……。ミニシアターはどんどん減っているし。
「三大映画祭週間」あたりでやってくれればいいんですがね。
Commented by レイネ at 2012-09-27 15:14 x
さわやか革命さま、ベルギー映画はダルデンヌ兄弟だけで持つのではないっ!と強調するためか、この映画はアカデミー賞外国映画部門のベルギー代表に決まりました。

>「三大映画祭週間」あたりでやってくれればいいんですがね。
やはりこの夏カンヌの「ある視点」で同じく主演女優賞を取ったカナダの超若手監督によるLaurence Anywaysと並べてね。比較すると後者のインパクトが強かった。


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


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