『ドン・パスクワーレ』@映画館でMETのHD初体験

映画館でのオペラHD上映を初めて観賞した。料金が高いので今まで敬遠していた吝嗇な私が
初体験するに至った経緯は以下のとおり。

主人の叔母Aから、先週の水曜日、5時過ぎに帰宅すると電話があった。
「市立図書館の会員は、今週の日曜日、映画館でMETのHDオペラをタダで観賞できるって
知ってる?主人が昨日チケットを貰いに行った時、会員証の期限が切れてるんだけど、と白状したら、
大丈夫、大丈夫と言われ、会員証もほとんど見なかったって。あなたも観に行きたい?」
「えっ、それ、どういうこと?わたしは図書館の会員じゃないんだけど。」
「それなら、友達の会員証を借りてくるから、こちらに向かってちょうだい。映画館は5時半から
オープンだから、いっしょに行きましょう。」
「でも、会員証には写真とか、個人情報が入ったチップはないの?スキャンしたりしないの?」
「何、色々心配してるの?写真はないし、チップのスキャンもしなかったし、ID提示も求められ
なかった。まだ今ならチケットがあると思うから、急いで。」

果たして、映画館窓口では、図書館の会員証には一瞥をくれただけで、映画のチケットを二枚出して
くれた。指定した座席は7列目の端の方だ。座席の半分以上は埋まっている。
どうやら、10月から始まるMETライブ・ビューイング新シーズンに向けてのPRのために、オペラに
興味を持ちそうなグループにターゲットを絞って、(図書館会員だったらカルチャー好きだろう、と)
タダでアンコール上映、という大盤振る舞いに出たようだった。
通常のメトHD上映の料金は、ドリンク込みで25ユーロから30ユーロだ。
気に入ったら、今後は料金を払って見るだろう。

当日、午後5時からの上演には、余裕を持って出かけた。さすがにタダのドリンクは出なかった。
客席は6割くらいの入りだ。全席さばけたのに、夏がぶり返したような陽気のせいで、太陽を謳歌する
方を選んで、暗い映画館まで足を運ぶのを止めた人たちが多いらしい。タダだと、こういう輩が多いの
が怪しからん、主催者に失礼だ、と主人は憤りを隠せない。
支配人の挨拶によると、大体、いつもこのくらいの入りだという。市立図書館とのコラボでこれからも
こういうカルチャー企画(会員は割引料金にしたり)の予定らしい。

c0188818_16565498.jpgDon Pasquale
Music by Gaetano Donizetti
Text by Giovanni Ruffini

Metropolitan Opera House, November 2010

John Del Carlo, Don Pasquale
Anna Netrebko, Norina
Matthew Polenzani, Enesto
Mariusz Kwiecien, Dr. Malatesta
Bernard Fitch, Notary

James Levine, Conductor
Chorus and Orchestra of the Metropolitan Opera House

Otto Schenk, Production
Rolf Langenfass, Set and Costume Designer
Duane Schuler, Lighting Designer

とにかく、映画館でのオペラ鑑賞は初体験なので、以下、素人感想を述べたい。

映画館の座席は、大柄で体格のいいオランダ人に合わせて、幅も足回りもゆったりしている。
快適さの点では、モネ劇場などの古い歌劇場は足元にも及ばない。しかも、飲み物や食べ物の
持ち込みも可だ。リラックスできる。

字幕は、通常の歌劇場のように舞台上方ではなく、映画なので画面下方だから、読みやすい。
METのライブ映像だから、英語字幕だ。幕間のインタビューには、字幕はつかない。

指揮者のレヴァインがよろよろと登場し、指揮台の椅子に座る。映画館だから客席からの拍手は
おきない。序曲の最中は、凝った演出があるわけでなく、指揮者やオケを普通に映すだけ。

素敵な歌唱のアリアや幕の終わりには拍手をしたくなったが、誰もしないので控えた。もっと
自然に拍手が起きたりして盛り上がってもいいのに。

舞台セット・美術は、背景の書き割りや家具調度に至るまで、恐ろしく写実的だ。まるでTVの
時代劇という感じ。19世紀半ばの作曲・初演の時代に合わせた考証だ。ここまで時代がかった
リアルなセットは、アムステルダムやブリュッセルではめったに見られない。(アムス歌劇場で
2006年に観賞した『道化師』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』は、これに近かったが。)

場や幕ごとに、舞台裏からセット・舞台装置を動かして変換させるところを見せてくれる。これが、
なんともうれしいオマケというかアトラクションだ。これを見たら、オペラ上演には恐ろしくお金が
かかるものだ、と誰でも実感できるだろう。

c0188818_17321768.jpg


ナマの舞台と映像との違いは、ヴィジュアル面では、カメラ・アングルが様々な角度から歌手を
大写しにするので、細かい表情が判ることだ。カメラ・ワークは、特に凝っているわけではなく、
舞台演出や舞台セットと同じく、ごくごくフツーで、TVのホーム・ドラマに近いオーソドックスさ。
自然で、見ていて疲れないし、安心できる。そのかわり、特にご贔屓の歌手でも出演しない限り、
表情が大写しにされてもさほどの感動はない。

オットー・シェンクの演出コンセプトは、リアリズムとノスタルジーに徹することだったのだろう。
黴臭さが漂い、埃の色が見えるような感じさえするほど徹底したリアルな舞台は、それはそれで
パーフェクトだと思う。セットが中途半端ではないから、安っぽくないのがいい。
そして、演技も自然な動きで音楽やストーリーに沿っていて、歌うときのポーズにしても無理がない。
ドタバタ喜劇を下品にしないで、嫌味のない笑いをとるという節度が全体に感じられる。
エキサイティングな演出ではないが、ほどほどの美学を貫くのは実は大変で、細心の注意が配ら
れた一種の職人芸だ。
古色蒼然として、読み替えなしだが、オーソドックスさも完璧にすれば、それは一つの規範になる。

ただし、歌手が揃っていることが、この演出で成功を収めるための必要条件だ。

ネトレプコは、悲劇でも喜劇でも何でもこなせる実力の持ち主だし、彼女の魅力でこのプロダクション
が引き締まった。やはり、美しい主役女性歌手というのは、表情が大写しになる映像では重要だ。
この人の歌声というのは、いつでも最初のうちは耳なじみが悪いというか、独特の暗い色合いの声を
さほど心地よく感じないのだが、舞台が進むうちに、暗闇に目が慣れるように耳も慣れてくるのか、
輪郭がはっきりして明暗のニュアンスが聴き取れるようになって、よさが判ってくる。不思議だ。
自信に溢れた歌唱が、コケットで自信たっぷりのノリーナにぴったりなのは、さすが。

デル・カルロによる小汚い爺役も、ぴったり。悲哀をあまり感じさせないのは、立派な体格とある種の
鷹揚さを思わせる声のせいか。
古今東西を問わず、年寄りが若い子に現を抜かす、というのは笑いの種になる。しかし、実際に
このオペラを鑑賞している人たちの平均年齢はドン・パスクワーレに近いのではないだろうか。
どういう気持ちで、この老人イジメのようなオペラを見ているのだろう、と思う。若い者達に散々利用
されても、最後には許すという鷹揚な老人だからこそ、悲劇にならず、後味も悪くないのだが、その
エンディングに老人の観客は納得できるのだろうか。

マラテスタ役のクヴィーチェンとエルネスト役のポレンツァーニも、適役だと思う。
悪知恵の働く頭の切れそうなマラテスタと、ちょっと愚鈍だが憎めないエルネストというデコボコ・コンビ
には、対照的な体格と声の歌手が必要だし、ルックスにはシンパシーを誘う要素も重要だ。もしも、
フローレスがエルネスト役だったら、歌声は能天気でも、姿かたちがかっこよすぎるから、逆に、
老人イジメというストーリーが陰湿な性格を帯びてしまうのではないかと思う。
ポレンツァーニによるネモリーノ役を聴きたい、観てみたい。

というわけで、映画館でのオペラ鑑賞はなかなかに楽しかったが、これからも観に行くかどうかは
わからない。舞台がよく見えるのはうれしいが、歌唱や音楽の点では、ナマに如くはないからだ。
エンタメとして見るならいいのだが、わたしがナマのオペラ舞台に求めるものとは、基本的に違う、
ということがわかった。
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by didoregina | 2011-09-28 11:35 | オペラ映像 | Comments(0)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


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