『ばらの騎士』元帥夫人の心情演出

理想の大人の女性である元帥夫人の心情を表すのに、ヘタな演出は不要である。
ホフマンスタールの歌詞にもシュトラウスの音楽にも、それははっきりと表現されている。
しかし、それをある程度補足もしくは強調する演技もまた好ましい。

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DNOの『ばらの騎士』は、ヴィリー・デッカーのコンセプトに基づいて、ブリギット・ファス
ベンダーが演出を完遂したものだ。2004年に第一幕の演出を終えた時点で病気のため演出続行
不可になったデッカーの志を継いで、第二幕と第三幕はファスベンダーが完成させた。
ファスベンダーは、その昔、オクタヴィアン役で名を馳せた元メゾ・ソプラノ歌手だから、後任
として適材である。しかも、花形歌手としての現役を退いているから、時の流れの残酷さを知り、
大人の女性の悲哀にも実感が込められるだろう。

第一幕の終わりに元帥夫人が歌う「時というものは結局のところ」に込められた老いに対する
抵抗(夜になると時計を止めてみるの)と諦観(時は音もなく流れている)がストレートな
言葉で表現され、砂時計の砂がはらはらと無常に落ちて行く様が目に浮かぶ。

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デッカーは、だから、実際に第一幕では、夫人を取り巻く時間を止めてしまった。男爵や
公証人や雑多な商人や使用人の欲望が渦巻く部屋で、髪を整えさせている間に歌手が歌うの
だが、その歌の間は、全ての人物の動きが静止するのだ。そして、夫人は鏡に見入りながら、
歌を聴く。
夫人の思い通りに時は止まったが、その後すぐに人物は再び動き出す。そして髪結いに向かって
夫人は言うのだ。「今日のわたしは老けているように見えるわ、この髪型では」

第三幕の幕開けは唐突だった。間奏曲とともに開いた幕の内側の舞台上では、雑多な登場人物が
凍りついたように瞬間の動きを止めたポーズでいた。夫人の願いどおり、時は再び静止したの
だった。


夫人は、第一幕後半では、ほとんどいつも鏡の中の自分に見入っている。その鏡は曇っていて、
映される姿はぼんやりとしているから、見えるのは夫人の頭を離れない時の流れの無常という
観念である。もしくは現実ではない理想の姿、それとも肉体から遊離した魂かもしれない。

デッカーの構築した舞台装置は、貴族階級の没落を象徴するかのように斜めになった壁だけと
いうシンプルさだ。その傾斜が幕を追うごとに急になり、壁は低くなっていく。貴族の館らしい
華麗な内装は全くない。置かれているのはベッドと、椅子と、鏡だけだ。
ファスベンダーは、鏡をキー・ワードにして、第二幕と第三幕の舞台演出を続けた。

第二幕冒頭では、小間使いが鏡を磨いている。しかし、曇りは取れない。

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第三幕でも、鏡は重要な位置を占めている。元帥夫人が赴くところには、必ず等身大の鏡が置い
てあるのである。夫人の独白の相手は、鏡の中の自分なのだ。
最後に夫人は大人の女性の矜持を保ちつつ、青春に決定的に別れを告げるべく、オクタヴィア
ンを捨ててゾフィーに譲る。
そして、夫人がオクタヴィアンとゾフィーの二人を残して去った後、鏡は舞台を左から右まで
横切ってしっかりと片付けられたことからも、その象徴性は明らかだった。


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ダブル・キャストになったオクタヴィアン役を千秋楽に演じた、ミシェル・ブリートのサイン
会が終演後にあった。
南アフリカ出身で、現在はドイツを中心に活躍中だ。名前の綴りはオランダ系で、オランダ語
読みならブレートという姓だ。英語を母国語とするがオランダ語も話せる、と本人が言っていた。

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      お約束のツーショット。「『ばらの騎士』はとても美しい
      音楽のわかりやすく、万人向けのオペラ」と話す声も凛々しい。
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by didoregina | 2011-05-31 19:16 | オペラ実演 | Comments(8)
Commented by galahad at 2011-06-01 21:48 x
装置はシンプルだけど、衣装が素敵な舞台ですね。
アンネ・シュバーネヴィルムスは、以前ゼンパーオパーの来日公演で元帥夫人を歌っていました(代役で入ったような記憶があるのですが)。 すごく綺麗でしっとりとした元帥夫人で、とても好評でした。 
この公演ではさらに磨きがかかっていたんでしょうか。 オクタヴィアンもかわいい系でいい感じです。 コジェナーが降板してもいい結果になりましたね。
Commented by レイネ at 2011-06-01 23:42 x
galahadさま、『ばらの騎士』は音楽的内容がゴージャスで豊かな作品なので、ステージ造形はシンプルなのがバランス上いいと思います。衣装もロココなんですが、けばけばしさを抑えたデザインです。
そうそう、シュバーネヴィルムスは、日本でも元帥婦人を歌ってるんだそうですね。皆様のルネ様の声が、わたしはイマイチ好みではないのですが、シュバ様(長いので略)の声は耳さわりがよかったです。雰囲気もぴったりで。
コジェナー降板は、やっぱり痛かったです。心の傷になりそう。まあ、ブリートがよかったのでなんとか収まりましたが。
Commented by Mev at 2011-06-02 00:48 x
オクタヴィアンとのツーショット、うらやましい。なんかほんとベルばらの世界っぽいですよね。

元帥夫人はまだ30歳くらいだと思うんですけど、それで老けたとか言ってるんだなあ。 そうか、もう女は30で終わるんだ~。(ちょっとがっかり) この人は性格がよくて六条の御息所みたいにならなくてケナゲ。そこが、このオペラが女性ファンに愛されるもうひとつの理由かなとか思います。
ザウド版がテレビで放映されるとの情報ありがとうございますっ!
Commented by レイネ at 2011-06-02 04:32 x
Mevさま、ブリートのオクタヴィアンはちょっとフェルゼン伯っぽい雰囲気も感じさせ、まさに『ベルばら』の世界だなあ、と思いました。
『ばらの騎士』が作曲されたのは丁度100年前の1911年なのね。当時なら30歳はまだ若いのではないかと思うけど、設定されてるロココの時代は30過ぎたら女としては終わりだったのでしょう。そう、元帥夫人は性格が毅然としてさっぱりしている大人だから、女性にもウケル。
オペラ・ザウドのはDNOの翌日TVで見ました。元帥夫人とオクタヴィアンはマルで、ゾフィーがちょっとこどもっぽすぎ。オックスはどうしようもないオヤジをかなりベタに演じてたけど歌は上手かった。でも、全体的には、ちょっと眠くなりました。。。
Commented by アルチーナ at 2011-06-02 11:23 x
「曇った鏡」と「傾いた壁」ですか・・良さそうな演出ですね。
最近?歌手のそばにダンサーが張り付いて、表現するというのも多いですが、鏡1枚で象徴する、というのはダンサーを張り付かせるよりも素敵なアイデアですね。

本当にオペラって演出もそうですし、演奏や歌手によっても違う側面を見せてくれるので面白いですよね。

先日私は新国で「ばらの騎士」見てきたところですが、
そちらのジョナサン・ミラー演出も良かったのですが、
その時はどちらかというとハヴラタのオックス男爵がよくて、まさにRシュトラウスが当初このオペラのタイトルを「オックス男爵」にしようと思った、という事がちょっとだけ分かるようなオックス男爵で、今迄あまり「ばらの騎士」の良さの分からなかった私も面白いオペラだな・・・と思えるようになりました(恥)。

もうすぐsarahoctavianさまも「ばらの騎士」をご覧になるようで・・そちらのレビューも楽しみです♪

Commented by レイネ at 2011-06-02 18:06 x
アルチーナさま、すっきりシンプルな舞台装置「傾いた壁」と選りすぐりの道具「曇った鏡」のみを使用して、貴族社会の没落と時のうつろい(老い)という象徴性を持たせる、というのは大成功だと思いました。なにより、インテリアがごちゃごちゃしてないから、音楽に集中できる!
ドッペルガンガーみたいなダンサーは邪魔でうっとうしいので、そういう演出は嫌いです。今回は、「砂時計」というキーワードも音楽にはあり、ありありと脳裏に浮かんだんですが、実際に時計などは使わないのがよかった。でも、ポスターをよく見ると、砂で出来たばらの花がさらさらと崩れて砂時計のように下に落ちてるデザイン!(前記事参照のこと)

今回のオックス男爵は影が薄かったので、それこそベタすぎてオペレッタっぽくならないのがよかったです。翌日観たオペラ・ザウドの演出では、男爵の役割がかなり強調されてました。

わたしも50越してようやくこのオペラのよさがわかってきました。当時の30歳が今の50歳ってこと?
Commented by straycat at 2011-06-04 00:37 x
中々よく考えられた演出のようですね。
>貴族階級の没落を象徴するかのように斜めになった壁、その傾斜が幕を追うごとに急になり
これって、新国立の(悪名高い?)フィガロの演出にちょっと似ていなくもないです・笑
新国立のフィガロは舞台全体が白い箱みたいになっていて、それが最後は崩れるという形です。衣装も白と黒だけ、視覚的にはちょっと物足りなかったですけれど。
でもこちらはシンプルな中にも優雅さが残っていて、何よりもこちらはオーケストレイションがモーツアルトの時代とは比べ物にならないくらい豊かなので、それでバランスがとれているのかもしれませんね。(どちらが優れているというのではなく)
私は元帥夫人は落日のヨーロッパそのものを象徴しているような気もして、そこもこのオペラの気に入っている点です。老舗の凋落というか・・。なのでフレミングの元帥夫人のコメント、成る程と頷いてしまいました。老舗の人間でなきゃ出せない味もありますよね。
Commented by レイネ at 2011-06-04 01:10 x
straycatさま、フォーカスが定まりしかもしっかりと決まっていて、とてもいい演出でした。歌手やその他大勢の演技も上手かったし。
この舞台の壁は箱のような構造にはなってないのと、アムスの歌劇場の舞台がやたら広いのとで、ドイツのレギー系演出にありがちな密室性や閉塞感・重苦しさはなく、すっきりとした開放感がありました。最後に崩れたりしないし、象徴性もほのかに匂わせる程度で全然邪魔になっていないので。
そうそう、音楽で舞台の密度を高める、というのがぴったりの舞台装置と演出でした。

元帥夫人は、本当に魅力的な女性ですよね。シュトラウスが作曲したのは100年前で20世紀初頭ですが、まだまだ世紀末の退廃が漂ってますから、ヨーロッパの落日はこのオペラの重要なテーマの一つですよね。


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


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