Bach Dag バッハ・デイのコンサート動画
1月28日と29日は、バッハ・デイと称して、それぞれユトレヒトとアムステルダムで朝から晩まで
バッハのコンサートが行われたようだ。
ユトレヒトでは3つの教会で、クイケン・クワルテットによる『音楽の捧げもの』や、ヴォーカル
コンソート・ベルリンによるバッハのモテットなどの演奏会が催された。
アムステルダムのMuziekgebouw aan 't IJ(アイ湾に面した音楽ホール)で行われたコンサート
の模様をAVRO放送局がユーチューブにアップしたのを見ることができる。
こちらは、Musica ad Rhenumによるフルート・ソナタと、ダニエル・ロイス指揮のヴォーカル
コンソート・ベルリンによるバッハとシュッツだ。
ヴォーカルコンソート・ベルリンのコンサートは、先週木曜日にマーストリヒトの聖ヤン教会でも
同じプログラムで行われた。ただ、チケット代金28ユーロというのが微妙に高い気がして、多分
安売りオファーが来るだろうから、そしたら行こう、と思っていたのだが、残念ながら来なかった。
だから、アムステルダムでのコンサートの様子がアップされているのを見つけて、しめしめ、と
思った。
↓ ダニエル・ロイス指揮ヴォーカルコンソート・ベルリンによるバッハ『主に向かいて新しき歌を
歌え』BWV 225 Singet dem Herrn ein neues lied
AVROは、この他にバッハのモテットでは、BWV229『来たれ、イエスよ、来たれ』
BWV227『イエス、わが喜び』、BWV226『御霊は我らの弱きを助けたもう』と、
シュッツの『カンツォーネ・サクレ』より『ああ、悲しきかな主よ』と『汝は何の罪を犯せしか』
をアップしている。
また、めっけモノとしては、ジェド・ウェンツ率いるムジカ・アド・レーヌムによるバッハのフルート・
ソナタBWV1030,1033,1035がアップされている。ウェンツによるフラウト・トラヴェルソと
チェンバロのミヒャエル・ボルグステーデとチェロのヨブ・テル・ハールの丁々発止の演奏が見られ
楽しい。
↓ ムジカ・アド・レーヌムによるバッハのフルート・ソナタ BWV1035
バロック・フルート演奏のみならず、バロック・オペラの指揮にも活躍する
ウェンツは、2010年にライデン大学に歴史的ジェスチャーの論文を提出して
博士号を取得した。
バッハのコンサートが行われたようだ。
ユトレヒトでは3つの教会で、クイケン・クワルテットによる『音楽の捧げもの』や、ヴォーカル
コンソート・ベルリンによるバッハのモテットなどの演奏会が催された。
アムステルダムのMuziekgebouw aan 't IJ(アイ湾に面した音楽ホール)で行われたコンサート
の模様をAVRO放送局がユーチューブにアップしたのを見ることができる。
こちらは、Musica ad Rhenumによるフルート・ソナタと、ダニエル・ロイス指揮のヴォーカル
コンソート・ベルリンによるバッハとシュッツだ。
ヴォーカルコンソート・ベルリンのコンサートは、先週木曜日にマーストリヒトの聖ヤン教会でも
同じプログラムで行われた。ただ、チケット代金28ユーロというのが微妙に高い気がして、多分
安売りオファーが来るだろうから、そしたら行こう、と思っていたのだが、残念ながら来なかった。
だから、アムステルダムでのコンサートの様子がアップされているのを見つけて、しめしめ、と
思った。
↓ ダニエル・ロイス指揮ヴォーカルコンソート・ベルリンによるバッハ『主に向かいて新しき歌を
歌え』BWV 225 Singet dem Herrn ein neues lied
AVROは、この他にバッハのモテットでは、BWV229『来たれ、イエスよ、来たれ』
BWV227『イエス、わが喜び』、BWV226『御霊は我らの弱きを助けたもう』と、
シュッツの『カンツォーネ・サクレ』より『ああ、悲しきかな主よ』と『汝は何の罪を犯せしか』
をアップしている。
また、めっけモノとしては、ジェド・ウェンツ率いるムジカ・アド・レーヌムによるバッハのフルート・
ソナタBWV1030,1033,1035がアップされている。ウェンツによるフラウト・トラヴェルソと
チェンバロのミヒャエル・ボルグステーデとチェロのヨブ・テル・ハールの丁々発止の演奏が見られ
楽しい。
↓ ムジカ・アド・レーヌムによるバッハのフルート・ソナタ BWV1035
バロック・フルート演奏のみならず、バロック・オペラの指揮にも活躍する
ウェンツは、2010年にライデン大学に歴史的ジェスチャーの論文を提出して
博士号を取得した。
朗読コンサートは、ピアニストと作家のコラボ
作家のAnna Enquistと、ピアニスト Ivo Janssenによる朗読コンサートがあった。
ピアノ演奏の合間に、詩や小説・戯曲を作者自身が朗読する。
この二人は、すでに10年もこういう形式の朗読コンサート活動を行っているという。
アナ・エンクィスト自身も音大でピアノを専攻し、アムステルダムのスウェーリンク音楽院で教えて
いたという作家で、また心理学も学んだアナリストでもある。
ピアニストのイーヴォ・ヤンセンは、1年半前にファルケンブルクの野外コンサート(雨のため
洞窟に会場が変更された)で、カント・オスティナートを演奏したのを聴いた。
昨年のマーストリヒトでのムジカ・サクラでは、ヒンデミットのピアノ曲を演奏した。

De Uittocht Concertlezing met Anna Enquist en Ivo Janssen
Leos Janacek: On an overgrown path
Anna Enquist: Mendel Bronstein
Robert Schumann: Papillon op. 2
Anna Enquist: De Tussentijd, Nieuws van nergens

一般的知名度は、作家のエンクィストの方が上だろう。だから、会場は市立図書館の入っている
Centre Céramique一階の展覧会や小規模コンサートなどが行われる多目的スペースだった。
センターの予想通り、日曜朝11時から始まるというのに会場は大盛況・満席である。
予約しておいてよかった、と友人のNともども胸をなでおろした。
12ユーロ50セントの入場料には休憩中のコーヒーまたは紅茶込みで、2時間の朗読コンサート
だからコスト・パフォーマンスも高そうだ。
どうやら、会場には、作家目当ての文学好きの聴衆が多いように思えた。
わたしは、彼女にも多少興味はあったが、プログラムにヤナーチェクのピアノ曲集『草陰の小径
にて』があることを知ってこの朗読コンサートに行く気になったのだ。
ヤナーチェクは大好きな作曲家だし、このピアノ曲集は去年の夏前に練習したから、ヤンセンの
生演奏を聴いてみたかった。
前半は、12の小品のピアノ演奏の合間に、エンクィストが『マンデル・ブロンシュタイン』という
モノローグ・ドラマを朗読する。
マンデル・ブロンシュタインという風変わりなユダヤ人テイラーが、ロッテルダムからニューヨークへ、
そしてまたロッテルダムに戻ってくるという船旅のドラマが、作家自身によって、歯切れのよいリズム
と的確な感情を込めた独白として朗読される。
その内容と、ヤナーチェクのピアノ曲の曲調とが絶妙にマッチしている。まるで、この曲集を元に
書かれたかのようだ。
『草陰の小径』より4曲。「フリーデクの聖母マリア」
「彼女らは燕のようにしゃべりたてた」「言葉もなく」「おやすみ」
ヤナーチェクの『草陰の小径にて』には、ひたひたと押し寄せる戦争の足音への怯えと、作曲家
の亡くなった娘への哀惜の念が切々と込められ、叙情と不安が入り混じった心理的ドラマの要素が
ある。
いかにも東欧の作曲家らしい独特の淡白さで描かれた自然風景は、日本人であるわたしをとても
懐かしい気分にさせて、心に染み入る。
そして、軍靴と戦車に蹂躙されるチェコの未来を予測させるような、息苦しさと、束の間の幸せとを
表現したメロディーも交互に現れる。
残念なことに、朗読との音響バランスをとるためにか、ピアノの下にマイクロフォンが設置され、
演奏は音量が増強されているので、ピアノ自体から聴こえるはずのデリケートな音色が消えて、
この曲集のはかなげな暗さ、不安を掻き立てるような感覚が足りなくなっていた。
休憩中のコーヒーか紅茶には、クッキーが付く。それは、この辺りではカフェでもどこでも一般的だ。
しかし、先週のデン・ハーグでのボストリッジ博士リサイタルでは、飲み物はタダだったが、クッキー
は付かなかった。そんなところにも、南部と北部の違いがはっきり出ている。

そして、休憩中には、本とCDが販売され、サイン会も行われた。いずれも飛ぶような売れ行きで
かなりの売り上げになったと思われる。
本とCDは別々になっているものも、今回の朗読コンサートと同じ内容でピアノと朗読が収められた
ものもある。
後半のプログラムは、苦手なシューマンと、やはり詩心の足りないわたしには入りこみにくい詩の
朗読だった。
まあ、ヤナーチェク目当てで行ったのだから、前半のパフォーマンスだけでもよかったのだ。
この二人の朗読コンサートは、3月にヘーレンでもまたある。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』と
それに霊感を得たエンクィストのContrapunt (対位法)という小説の組み合わせだ。
今回の朗読コンサートがなかなかよかったので、行ってみようか、という気になっている。
何がよかったかというと、音楽的素養があり朗読も上手い作家自身が、的確な間を取りながら
読み聞かせてくれるというのは、それ自体が上質なパフォーマンスで、リラックスできる。
ピアノだけのリサイタルだと、演奏する方も聴く側も、お互い歯を食いしばるような感じになって
しんどい。
こういうコラボによって文学好きと音楽好きの2種の聴衆を集めることができ、双方の垣根を低く
することになり、新たなファン獲得に繋がり商業的にも成功するという点で、上手い事を考えた
ものだな、と思う。
わがピアノの師匠も、こういうのを企画してみたらいいのではないかと思った。
ピアノ演奏の合間に、詩や小説・戯曲を作者自身が朗読する。
この二人は、すでに10年もこういう形式の朗読コンサート活動を行っているという。
アナ・エンクィスト自身も音大でピアノを専攻し、アムステルダムのスウェーリンク音楽院で教えて
いたという作家で、また心理学も学んだアナリストでもある。
ピアニストのイーヴォ・ヤンセンは、1年半前にファルケンブルクの野外コンサート(雨のため
洞窟に会場が変更された)で、カント・オスティナートを演奏したのを聴いた。
昨年のマーストリヒトでのムジカ・サクラでは、ヒンデミットのピアノ曲を演奏した。

De Uittocht Concertlezing met Anna Enquist en Ivo Janssen
Leos Janacek: On an overgrown path
Anna Enquist: Mendel Bronstein
Robert Schumann: Papillon op. 2
Anna Enquist: De Tussentijd, Nieuws van nergens

一般的知名度は、作家のエンクィストの方が上だろう。だから、会場は市立図書館の入っている
Centre Céramique一階の展覧会や小規模コンサートなどが行われる多目的スペースだった。
センターの予想通り、日曜朝11時から始まるというのに会場は大盛況・満席である。
予約しておいてよかった、と友人のNともども胸をなでおろした。
12ユーロ50セントの入場料には休憩中のコーヒーまたは紅茶込みで、2時間の朗読コンサート
だからコスト・パフォーマンスも高そうだ。
どうやら、会場には、作家目当ての文学好きの聴衆が多いように思えた。
わたしは、彼女にも多少興味はあったが、プログラムにヤナーチェクのピアノ曲集『草陰の小径
にて』があることを知ってこの朗読コンサートに行く気になったのだ。
ヤナーチェクは大好きな作曲家だし、このピアノ曲集は去年の夏前に練習したから、ヤンセンの
生演奏を聴いてみたかった。
前半は、12の小品のピアノ演奏の合間に、エンクィストが『マンデル・ブロンシュタイン』という
モノローグ・ドラマを朗読する。
マンデル・ブロンシュタインという風変わりなユダヤ人テイラーが、ロッテルダムからニューヨークへ、
そしてまたロッテルダムに戻ってくるという船旅のドラマが、作家自身によって、歯切れのよいリズム
と的確な感情を込めた独白として朗読される。
その内容と、ヤナーチェクのピアノ曲の曲調とが絶妙にマッチしている。まるで、この曲集を元に
書かれたかのようだ。
『草陰の小径』より4曲。「フリーデクの聖母マリア」
「彼女らは燕のようにしゃべりたてた」「言葉もなく」「おやすみ」
ヤナーチェクの『草陰の小径にて』には、ひたひたと押し寄せる戦争の足音への怯えと、作曲家
の亡くなった娘への哀惜の念が切々と込められ、叙情と不安が入り混じった心理的ドラマの要素が
ある。
いかにも東欧の作曲家らしい独特の淡白さで描かれた自然風景は、日本人であるわたしをとても
懐かしい気分にさせて、心に染み入る。
そして、軍靴と戦車に蹂躙されるチェコの未来を予測させるような、息苦しさと、束の間の幸せとを
表現したメロディーも交互に現れる。
残念なことに、朗読との音響バランスをとるためにか、ピアノの下にマイクロフォンが設置され、
演奏は音量が増強されているので、ピアノ自体から聴こえるはずのデリケートな音色が消えて、
この曲集のはかなげな暗さ、不安を掻き立てるような感覚が足りなくなっていた。
休憩中のコーヒーか紅茶には、クッキーが付く。それは、この辺りではカフェでもどこでも一般的だ。
しかし、先週のデン・ハーグでのボストリッジ博士リサイタルでは、飲み物はタダだったが、クッキー
は付かなかった。そんなところにも、南部と北部の違いがはっきり出ている。

そして、休憩中には、本とCDが販売され、サイン会も行われた。いずれも飛ぶような売れ行きで
かなりの売り上げになったと思われる。
本とCDは別々になっているものも、今回の朗読コンサートと同じ内容でピアノと朗読が収められた
ものもある。
後半のプログラムは、苦手なシューマンと、やはり詩心の足りないわたしには入りこみにくい詩の
朗読だった。
まあ、ヤナーチェク目当てで行ったのだから、前半のパフォーマンスだけでもよかったのだ。
この二人の朗読コンサートは、3月にヘーレンでもまたある。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』と
それに霊感を得たエンクィストのContrapunt (対位法)という小説の組み合わせだ。
今回の朗読コンサートがなかなかよかったので、行ってみようか、という気になっている。
何がよかったかというと、音楽的素養があり朗読も上手い作家自身が、的確な間を取りながら
読み聞かせてくれるというのは、それ自体が上質なパフォーマンスで、リラックスできる。
ピアノだけのリサイタルだと、演奏する方も聴く側も、お互い歯を食いしばるような感じになって
しんどい。
こういうコラボによって文学好きと音楽好きの2種の聴衆を集めることができ、双方の垣根を低く
することになり、新たなファン獲得に繋がり商業的にも成功するという点で、上手い事を考えた
ものだな、と思う。
わがピアノの師匠も、こういうのを企画してみたらいいのではないかと思った。
月岡耕漁@ボネファンテン美術館

De schoonheid van stilte
(The Beauty of Silence)
@ Bonnefanten Museun Maastricht
2012年1月17日 - 4月8日
Japanese No and nature Prints by
Tsukioka Kogyo (1869 - 1927)
ポスターにもなっている左の作品は
『能楽百番』より、『敦盛』1924年
マーストリヒトのボネファンテン美術館で
月岡耕漁展が開かれている。
主な展示物は『能楽百番』と『能楽図絵』
からの版画だが、鶉やカワセミ、ネズミなど、
自然を題材に採った作品も少数ながら展示
されている。
ボネファンテン美術館も、今年に入って入場料金を1ユーロ値上げして9ユーロになった。
特別展の特別料金は課さないので、高いけどしかたないか、と思いつつ展覧会の始まった
週の土曜日に即行ったのだが、その日は、なぜか常設展示のある2階が閉鎖されていたので
通常料金の半額で入場できた。
非常にラッキーである。なにしろ、この特別展だけ見るつもりで行ったのだから。
月岡耕漁による能楽を題材にした版画は、マーストリヒトでのオークションにもしばしば出てくるので
ビューイングの際、実物を何枚か手にとって見ている。
繊細な線で描かれて躍動感があり、豪奢な能装束の模様の細かさと色の再現力の素晴らしさ、
そして高貴な静謐感漂う彼のスタイルには魅かれるので、いつか手に入れたいと願っている。
オークションでの人気は高く、いつでもすぐにわたしの設定価格を上回る額になるので、まだ一枚も
ゲットしていないが、心に迫るテーマの作品に巡り合うまでと思って辛抱強く待っている。

『能楽百番』より『石橋』二点。
朱色の背景に、牡丹もしくは芍薬を前面に置き、
白髪と赤毛の二対が鮮やか。

様々な題の能楽の版画が70点近く展示されていて、一つ一つ丁寧に見ていくとかなり
時間がかかる。金泥や雲母、銀を用いて装束の細かい柄をゴージャスに描いているので、
見る角度によってそれらが反射して色が変わって面白いし、髪の毛の一本一本、背景の
雲や月の線一つ一つが恐ろしいほどの緻密さで彫られているのでついじっくり見てしまうためだ。
また、日本語の能のタイトルをローマ字表記にしてあるだけで、オランダ語や英語に訳されて
いないことが多く、作品に関する説明もないため、描かれた人物の役や題名の意味、はたまた
歴史的背景などを、同行した友人達に一つ一つ説明しつつ観賞したので、えらく時間がかかった。
しかし、それは、非常に喜ばれた。そうでないと、他の人びとのように「細かくてきれいだわね」
程度の感想を持つだけで、次から次へとほとんど素通りに近い速度でさっと見ていくことになる。
お互いにあれやこれやの感想を述べたり、テクニックに驚いたりしつつ、ゆったり味わい楽しむ
ことが出来たと思う。

『能楽図絵』より、『朝顔』1902年
文字通り舞台裏が覗けて楽しい作品だ。
このシリーズでは、舞台を様々な角度から描いてあったり
能面や鬘などの小道具や楽器などが取り上げられている。

『能楽百番』より『橋弁慶』1923年
人物の顔や手や足や袴は単純な線だけで出来ているのに、
装束の質感は写実的で模様は恐ろしく細部まで描かれている。
背景の朧月の浮かび上がる様も冷気が立ち上るような地面も
素晴らしく、弁慶の押しの強さと背景の幽玄さの対比が抜群。
展示品には、本物の能面や謡の本などのほか、版画の版木もあり、刷り上った作品と
版木を見比べることが出来るのも面白い。その細かい彫りのテクニックは驚異的である。
髪の毛など後から描いたのだろう、と思っていたのが彫ってあるので友人は驚いていたが、
文字も同様だ。

『能楽百番』より『道成寺』 1925年
展示品は、様々のものをテーマに沿って集めてありヴァラエティーにも富むのだが、ほとんど
何も説明がされていないのでは、宝の持ち腐れも甚だしい。(この特別展は、ライデンの
シーボルトハウスとのコラボで、個人蔵のコレクションを借りたもの)
会場には、図版目録のブックレットが置いてありタダなのはいいが、作品の説明がなく、タイトルと
年号と収集家の名前だけでは、能にさほど興味のない日本人にも日本語のわからない外国人にも
判じ物であろう。
ハード・カヴァーの分厚いカタログ本が70ユーロで売られていて、詳しくはそれを読めということ
らしいが、よっぽどの数寄者しか買わないだろう。わたしも買おうかどうか悩んでいる。
日本文化の粋とも言うべき素晴らしい作品を集めた展覧会なのに、上記の理由から人には勧めに
くい。展覧会としてはあまりに不備な点が多いのが、非常に残念だ。
The Girl with the Dragon Tattoo 『ドラゴン・タトゥーの女』
原作となったミリオン・セラーの『ミレニアム・シリーズ』は、読んだことがない。
スウェーデンで映画化されたものはTV放映を一部観ただけなので、不気味かつおどろ
おどろしいショッキング・シーンだけ印象に残ったが、全体のストーリーは知らなかった。
スウェーデン版映画の方は、一般的ヒットというよりはカルト人気を博していた。
それがハリウッドでリメーク映画化され、ダニエル・クレイグが主演ということを知り、絶対に
観たい、と思っていた。NRC新聞でも、こちらのハリウッド版のほうがスウェーデン版よりも
ずっと出来がいいと好評である。
試験中で午後は授業がない次男といっしょに出かけた。ハリウッド版映画だから、いつも行く
リュミエールではなく、シネコンでのロードショーだ。
めったに行かないのでつい最近まで知らなかったが、パテという大型チェーン・シネコンでは、
平日午後と週末午前の部は、5ユーロ50セントで最新映画が観られるのだ。
木曜午後2時半からの上映だったので、席はがらがら。観客数は最初7人、途中退場2名という
ありさまである。

監督:David Fincher
2011年 アメリカ・スウェーデン・イギリス・ドイツ
ミカエル:Daniel Craig
リスベット:Rooney Mara
ヘンリック:Christopher Plummer
マルティン:Stellan Skarsgård
ディルク:Steven Berkoff
エリカ: Robin Wright Penn
ビュルマン:Yorick van Wageningen
アニータ:Joely Richardson
セシリア:Geraldine James
まず、オープニング・テーマ曲からしてかっこいい。なんと、レッド・ツェッペリンの『移民の歌』
をカレン・Oという女性歌手が歌っているのだ。ノリのよさでは、ロバート・プラントに勝るとも劣ら
ないから、こちらはリズムに合わせて思わず頭を振ってしまうのだった。。。
そのオープニング映像も白黒で非常にアーティーである。とてもスタイリッシュなので、本編への
期待がいや増しになる。
トレイラーのバックにもカレン・Oの歌う『移民の歌』が流れている。
ビートやメロディーのかっこよさもさることながら、北欧の人々を題材に
している歌詞内容も、女性がパワフルに歌っていることも、まるで
この映画のために誂えたかのようで、ドンぴしゃりと嵌っている。
ストーリーの核心にはあまり触れないでおくが、ダニエル・クレイグ扮する敏腕ジャーナリストの
ミカエルに、60年代の失踪(殺人?)事件調査の依頼が、スウェーデン産業界の重鎮から来る。
その一家の面々は、皆暗い秘密を隠していそうで、大金持ちなのでどいつもこいつも傲慢でイヤな
タイプばかり。
舞台となる屋敷はスウェーデン北部の個人所有の島にあり、携帯電話も通じないし、冬は雪に
閉ざされる。その島の一角の家を与えられ、ミカエルが探偵よろしく調査を行うのだが、舞台および
人物設定が、『八墓村』とか『犬神家の一族』みたいな感じである。

ポーズが007になってるが、ジャーナリストのミカエル。
もう1人の主人公と言えるタイトル・ロール、ルーニー・マーラ扮するリスベットはゴシック・パンクの
ハッカーである。
マーラの体当たりの役作りが素晴らしい。彼女自身はNYの名門の令嬢であるらしいが、リスベット
役のために大変身して、痛々しい過去の経験によって精神的に不安定な女を演じるのだが、説得力
抜群。

まるでコンピュータ・ゲームから抜け出したようにスリムで
ゴシック・メイクもパンク・ファッションもキマってる。
リスベットの暗すぎる過去と現在の法的・経済的不利を知る立場を悪用して彼女を弄ぶ、とんでも
ない野郎のビュルマン役は、オランダ人俳優が演じている。かなり情けない役どころである。

リスベットにエレベーターでかちあったビュルマン。
ミカエルのアシスタントに雇われたリスベットは天才的能力を発揮することになる。水を得た魚の如く
痛快なシーンが多くなる。新時代の理想のヒロイン像の確立だ。

リスベットにとって、ミカエルは初めて「友達」と思える相手。
リスベットがミカエルのアシスタントになる際、「女性を次々に殺した殺人鬼を探す」という言葉に
反応したので、「女性の敵」がキーワードで、復讐が彼女のエネルギーの源というか生きる
原動力となっているらしいことがわかる。
普段からやることはぶっ飛んでいて、自分の敵には情け容赦ないリスベットだが、心は脆く、傷つき
やすい少女のようだ。そういう風情を感じさせるマーラの演技力と役作り、もしくは監督のリスベットに
対する視点に好感が持てる。
また、マーラの英語のスウェーデン訛が本格的っぽいので、北欧の女優かと思っていたら、生粋の
アメリカ人であるのに驚いた。ダニエル・クレイグよりも外国語センスがありそうだ。

企業のアーカイブにも正式にアクセスできるリスベット。
『裏切りのサーカス』でもそうだが、デジタル化されていない古いファイルである膨大な量の情報
を集めたアーカイブや図書館が舞台になると、物理的な圧迫感が視覚化され、緊張感が増す。
デジタル時代にあって、こういうシーンが映画にはまだよく登場するというのは、一見逆説的だが、
情報をマッスとして見せないと迫力が足りない、ということかもしれない。

依頼人の当主ヘンリック役は、マックス・フォン・シドウだと
ずっと思って見ていた。そっくりだ。
ブルジョワ一家の秘密を暴くようなストーリーが、スウェーデンやデンマークの北欧映画には多い
ように思う。古くはベルイマン、比較的新しいものではトマス・ヴィンターベアのFesten(邦題
『セレブレーション』)がそうだし、グロテスクに近い暴力シーンも北欧映画には付き物だ。
この映画にもサディスティックなシーンが結構沢山出てくるが、コンピュータ・ゲームのようにクールな
映像で体温があまり感じられないせいか、それほどグロではない。マーラの白く細い肢体の美しさに
救われている、と言うべきか。
なお、ダニエル・クレイグは冴えない探偵みたいな役だが、脱ぐシーンが登場するのは彼の宿命か
お約束か。
クレイグは、拙ブログにもタグを設定してあるほど好きな俳優であるが、今回は、マーラの勝ち。
でも、クレイグ出演の映画でハズレというのは、今まで観たことがない。(ハズレそうなのは観ない)
スウェーデンで映画化されたものはTV放映を一部観ただけなので、不気味かつおどろ
おどろしいショッキング・シーンだけ印象に残ったが、全体のストーリーは知らなかった。
スウェーデン版映画の方は、一般的ヒットというよりはカルト人気を博していた。
それがハリウッドでリメーク映画化され、ダニエル・クレイグが主演ということを知り、絶対に
観たい、と思っていた。NRC新聞でも、こちらのハリウッド版のほうがスウェーデン版よりも
ずっと出来がいいと好評である。
試験中で午後は授業がない次男といっしょに出かけた。ハリウッド版映画だから、いつも行く
リュミエールではなく、シネコンでのロードショーだ。
めったに行かないのでつい最近まで知らなかったが、パテという大型チェーン・シネコンでは、
平日午後と週末午前の部は、5ユーロ50セントで最新映画が観られるのだ。
木曜午後2時半からの上映だったので、席はがらがら。観客数は最初7人、途中退場2名という
ありさまである。

監督:David Fincher
2011年 アメリカ・スウェーデン・イギリス・ドイツ
ミカエル:Daniel Craig
リスベット:Rooney Mara
ヘンリック:Christopher Plummer
マルティン:Stellan Skarsgård
ディルク:Steven Berkoff
エリカ: Robin Wright Penn
ビュルマン:Yorick van Wageningen
アニータ:Joely Richardson
セシリア:Geraldine James
まず、オープニング・テーマ曲からしてかっこいい。なんと、レッド・ツェッペリンの『移民の歌』
をカレン・Oという女性歌手が歌っているのだ。ノリのよさでは、ロバート・プラントに勝るとも劣ら
ないから、こちらはリズムに合わせて思わず頭を振ってしまうのだった。。。
そのオープニング映像も白黒で非常にアーティーである。とてもスタイリッシュなので、本編への
期待がいや増しになる。
トレイラーのバックにもカレン・Oの歌う『移民の歌』が流れている。
ビートやメロディーのかっこよさもさることながら、北欧の人々を題材に
している歌詞内容も、女性がパワフルに歌っていることも、まるで
この映画のために誂えたかのようで、ドンぴしゃりと嵌っている。
ストーリーの核心にはあまり触れないでおくが、ダニエル・クレイグ扮する敏腕ジャーナリストの
ミカエルに、60年代の失踪(殺人?)事件調査の依頼が、スウェーデン産業界の重鎮から来る。
その一家の面々は、皆暗い秘密を隠していそうで、大金持ちなのでどいつもこいつも傲慢でイヤな
タイプばかり。
舞台となる屋敷はスウェーデン北部の個人所有の島にあり、携帯電話も通じないし、冬は雪に
閉ざされる。その島の一角の家を与えられ、ミカエルが探偵よろしく調査を行うのだが、舞台および
人物設定が、『八墓村』とか『犬神家の一族』みたいな感じである。

ポーズが007になってるが、ジャーナリストのミカエル。
もう1人の主人公と言えるタイトル・ロール、ルーニー・マーラ扮するリスベットはゴシック・パンクの
ハッカーである。
マーラの体当たりの役作りが素晴らしい。彼女自身はNYの名門の令嬢であるらしいが、リスベット
役のために大変身して、痛々しい過去の経験によって精神的に不安定な女を演じるのだが、説得力
抜群。

まるでコンピュータ・ゲームから抜け出したようにスリムで
ゴシック・メイクもパンク・ファッションもキマってる。
リスベットの暗すぎる過去と現在の法的・経済的不利を知る立場を悪用して彼女を弄ぶ、とんでも
ない野郎のビュルマン役は、オランダ人俳優が演じている。かなり情けない役どころである。

リスベットにエレベーターでかちあったビュルマン。
ミカエルのアシスタントに雇われたリスベットは天才的能力を発揮することになる。水を得た魚の如く
痛快なシーンが多くなる。新時代の理想のヒロイン像の確立だ。

リスベットにとって、ミカエルは初めて「友達」と思える相手。
リスベットがミカエルのアシスタントになる際、「女性を次々に殺した殺人鬼を探す」という言葉に
反応したので、「女性の敵」がキーワードで、復讐が彼女のエネルギーの源というか生きる
原動力となっているらしいことがわかる。
普段からやることはぶっ飛んでいて、自分の敵には情け容赦ないリスベットだが、心は脆く、傷つき
やすい少女のようだ。そういう風情を感じさせるマーラの演技力と役作り、もしくは監督のリスベットに
対する視点に好感が持てる。
また、マーラの英語のスウェーデン訛が本格的っぽいので、北欧の女優かと思っていたら、生粋の
アメリカ人であるのに驚いた。ダニエル・クレイグよりも外国語センスがありそうだ。

企業のアーカイブにも正式にアクセスできるリスベット。
『裏切りのサーカス』でもそうだが、デジタル化されていない古いファイルである膨大な量の情報
を集めたアーカイブや図書館が舞台になると、物理的な圧迫感が視覚化され、緊張感が増す。
デジタル時代にあって、こういうシーンが映画にはまだよく登場するというのは、一見逆説的だが、
情報をマッスとして見せないと迫力が足りない、ということかもしれない。

依頼人の当主ヘンリック役は、マックス・フォン・シドウだと
ずっと思って見ていた。そっくりだ。
ブルジョワ一家の秘密を暴くようなストーリーが、スウェーデンやデンマークの北欧映画には多い
ように思う。古くはベルイマン、比較的新しいものではトマス・ヴィンターベアのFesten(邦題
『セレブレーション』)がそうだし、グロテスクに近い暴力シーンも北欧映画には付き物だ。
この映画にもサディスティックなシーンが結構沢山出てくるが、コンピュータ・ゲームのようにクールな
映像で体温があまり感じられないせいか、それほどグロではない。マーラの白く細い肢体の美しさに
救われている、と言うべきか。
なお、ダニエル・クレイグは冴えない探偵みたいな役だが、脱ぐシーンが登場するのは彼の宿命か
お約束か。
クレイグは、拙ブログにもタグを設定してあるほど好きな俳優であるが、今回は、マーラの勝ち。
でも、クレイグ出演の映画でハズレというのは、今まで観たことがない。(ハズレそうなのは観ない)
2012年新作バッグ
帽子の師匠Pは、昨年6月から街中にアトリエを構えて以来、設備投資にも余念がない。
特に、バッグ作りの道具・材料を次々に買い揃えている。
最強の新兵器は、皮革縫製の業務用ミシンである。また、皮を薄く延ばす機械や、油圧式
穴あけ器なども導入した。
そして、バッグ作りのノウハウのあるIがアシスタントとしてアトリエに通いだしてから、バッグ
作りの腕前は一挙に上がり、仕上がりも格段に進歩した。
おかげで、生徒も安心して皮のバッグ作りに手を出すことができるようになった。
そして、わたしの最新バッグも目出度く、ほぼ思い通りに出来上がった。

タテ28センチ、ヨコ30センチ、ヒモの長さ61センチ、
外側がパープルで反対側がグレーの柔らかいカーフ。
ピンクとグレーの半月形の蓋がアクセント。

蓋は飾りで、裏側はカラフルな縞模様の縮緬の布。

ファスナーを開けて中を覗くと、別の裏地。
財布と携帯用のポケットを付けた。

グレーの内側から蓋を縫い付け、ファスナーを隠すように
して半月が外側に出る。
デザインはマチなしのホーボー・タイプで、柔らかい皮なので、肩にかけると体に馴染む。
当初は、底も半月形にして丸みを持たせるつもりだったが、正方形に近いトートっぽい形に変更。
蓋の裏布の縞柄が少しだけ見えて、ちょっとポール・スミス風でもある。
難を探せば、ファスナーがなぜか白なのと、蓋の位置がちょっと後ろにずれたが、かなり
満足度の高い仕上がりだ。皆からも好評である。
ちなみに、材料費は合計32ユーロ50セントと比較的安いが、時間と手間が結構かかっているし、
レッスン代金を加えると、市販品と同じくらいの値段になる勘定だ。でも、皮などの素材も色も
自分好みのものを選んだし、デザインはオリジナルだし、ホビーなんだから納得の値段とも言える。
このバッグの出来を見て、次回はバッグ作りをしたいと言う生徒が続出。
わたしも味をしめたので、次は、春夏向きのピンクベージュのバッグを作ろうと思っている。
皮のバッグや木型から成型する本格的な帽子作りは、道具と材料と先生が揃わないとなかなか
出来ないホビーである。だから、ブティックの店員なども含めて実物を見た人は、手作りと知ると
皆一様に驚く。わたしだって、こういうものが手作りできるとは数年前までは考えてもみなかった
くらいなのだから。
特に、バッグ作りの道具・材料を次々に買い揃えている。
最強の新兵器は、皮革縫製の業務用ミシンである。また、皮を薄く延ばす機械や、油圧式
穴あけ器なども導入した。
そして、バッグ作りのノウハウのあるIがアシスタントとしてアトリエに通いだしてから、バッグ
作りの腕前は一挙に上がり、仕上がりも格段に進歩した。
おかげで、生徒も安心して皮のバッグ作りに手を出すことができるようになった。
そして、わたしの最新バッグも目出度く、ほぼ思い通りに出来上がった。

タテ28センチ、ヨコ30センチ、ヒモの長さ61センチ、
外側がパープルで反対側がグレーの柔らかいカーフ。
ピンクとグレーの半月形の蓋がアクセント。

蓋は飾りで、裏側はカラフルな縞模様の縮緬の布。

ファスナーを開けて中を覗くと、別の裏地。
財布と携帯用のポケットを付けた。

グレーの内側から蓋を縫い付け、ファスナーを隠すように
して半月が外側に出る。
デザインはマチなしのホーボー・タイプで、柔らかい皮なので、肩にかけると体に馴染む。
当初は、底も半月形にして丸みを持たせるつもりだったが、正方形に近いトートっぽい形に変更。
蓋の裏布の縞柄が少しだけ見えて、ちょっとポール・スミス風でもある。
難を探せば、ファスナーがなぜか白なのと、蓋の位置がちょっと後ろにずれたが、かなり
満足度の高い仕上がりだ。皆からも好評である。
ちなみに、材料費は合計32ユーロ50セントと比較的安いが、時間と手間が結構かかっているし、
レッスン代金を加えると、市販品と同じくらいの値段になる勘定だ。でも、皮などの素材も色も
自分好みのものを選んだし、デザインはオリジナルだし、ホビーなんだから納得の値段とも言える。
このバッグの出来を見て、次回はバッグ作りをしたいと言う生徒が続出。
わたしも味をしめたので、次は、春夏向きのピンクベージュのバッグを作ろうと思っている。
皮のバッグや木型から成型する本格的な帽子作りは、道具と材料と先生が揃わないとなかなか
出来ないホビーである。だから、ブティックの店員なども含めて実物を見た人は、手作りと知ると
皆一様に驚く。わたしだって、こういうものが手作りできるとは数年前までは考えてもみなかった
くらいなのだから。
イアン・ボストリッジのリサイタル@デン・ハーグの新教会
デン・ハーグまでイアン・ボストリッジ博士のシューベルトを聴きに行った。
マーストリヒトから電車で片道3時間弱の距離である。
日曜日にオランダ鉄道(NS)を利用するのは非常にリスキーなので、できるかぎり、なるべく
避けたいところだ。
なぜかというと、毎週末、必ずどこかで保線のため線路が閉鎖されているからだ。
それで、恐ろしいほどの回り道ルートになったり、一部区間はバスを代替運行させたりする。
しかし、アムステルダム、ユトレヒト、デン・ハーグ、ロッテルダムなどの都市は家から遠いので、
日帰りしようとするとマチネ・コンサートを狙わざるを得ない。だから、わたしの乗る電車のルートが
丁度その日保線に当たるかどうか、目的地まで一体何時間かかるのか、運を天に任せるしかない。

会場は、デン・ハーグの新教会
ボストリッジ博士のコンサートに行くのは初めてだ。今までなかなか縁がなかったのは、マチネしか
狙えないという理由に尽きる。だから、今回のマチネ・コンサートへは万難を排してでも行くべきだ。
そして、その価値は十分以上あった。
Ian Bostridge & Julius Drake
2012122@Nieuwe Kerk Den Haag
Franz Schubert (1797 - 1828)
Wehmut
Der Zwerg
Nacht und Traume
Der Musensohn
An die Entfernte
Am Flusse
Willkommen und Abschied
Wandrers Nachtlied II
An die Leier
Am See
Im Haine
Erlkonig
pauze
An den Mond I
Nahe des Geliebten
Nachtgesang
Liebhaber in allen Gestalten
Meerestille
Auf dem See
An Mignon
Erster Verlust
Ganymed
An Schewager Kronos
An den Mond II
この教会へ足を運ぶのは始めてであるから、音響等、色々チェックしたい。

1656年の中央構造式のプロテスタント教会。
1970年代より、教会としての機能はなくなり、
コンサート会場、結婚式場、その他バーティ用に。
右手脇の狭い入り口から入ると、チケットもぎが立っている、そこから階段を下りて行く。
すると、地下がクローク兼フォアイエになっている。階段の途中には、トイレもある。

30分以上前に入場したので、がら空きのフォアイエ。
チケット代金35ユーロにはコンサート前のコーヒー・紅茶込み。
ここまでの印象では、教会とは思えないほどコンサート会場としての機能がしっかりしている。
地下は暖房も効いてるし、人が集まれば熱気がこもる。コートはクロークに預けた。一抹の不安を
感じたのだが、地下は暖かかったのだ。
カーテンの奥に、コンサート・ホールへ続く階段が隠されていて、15分くらい前に開いた。
再び階段を上がって、教会内部へ。座席には全部番号がついているからあわてる必要はない。

階段を登ると、あっと驚く。正面に立派なパイプオルガンと
シャンデリア。そして、壁面・窓・天井には、プレキシ・ガラスと
木のパネルを組み合わせた音響板が吊り下げられている。
教会内部は、500人くらい座れそうで、天井が高く、ひんやりしている。
プロテスタントの教会だから装飾はシンプルだが、建物自体はどっしりと立派な造りである。

天井の木の組み方が美しい。
こういう天井だから、音響をよくするためにパネルで補う必要があるだろう。
壁面のガラスは波打った形態で4層構造になっていて、水平の木板が間に嵌め込まれている。
それらのモダンな形態が、教会のインテリアにマッチしていて美しい。

説教壇の下がステージ。ピアノはスタインウェイ。
後ろにある窓の赤いカーテンの前にも波状プレキシ・
ガラスの音響版が下がっている。
わたしの座席は平土間下手6列目隅で、階段に近い。他に選ぶ余地がなかったからいたしかた
ない。この教会だったら、段差があり高くなっている中央後方がベストだろうか。
ボストリッジ博士とピアニストが登場した。
シューベルト歌曲のプログラムということしか事前に知らされていなかった。直前まで日本で
ツアーを行っていたから、同じ『白鳥の歌』かな、と思っていた。
前半は、1,2,3曲目がフォン・コリン、4,5,6,7,8,12曲目がゲーテ、
9,10,11曲目がフォン・ブルックマン作詞による曲で、日本ツアーとは異なるプログラムだった。
特に前半の曲には、情熱的なメロディーが多いので、博士の熱演にも力がこもる。
CDで聴く博士のシューベルトには、時に鬼気迫るものも感じられるが、実演を目の当たりにすると
なるほど、パッションとはこういうことか、と思えた。シューベルトの生涯には博士自身、並々ならぬ
シンパシーを抱いているようで、胸の思いをありったけ表現して聴衆に訴える。その専念と集中力とが
真摯な態度と相まってこちらに迫って響いてくる。
彼の歌声には、低音の方に魅力がより感じられた。特に10,11曲目では、熱演のあまり喉に疲れ
が出たのか、高音がずいぶん弱くなって、あれっと思ってしまった。
しかし、それは、前半のフィナーレ『魔王』に備えるための前哨戦であったのだ。
1人オペラのようなこの曲を、それぞれの人物になりきって、声も絶好調で歌い終えた。
ところで、博士のパフォーマンスは多動ということで有名らしい。つまり、歌いながら思わず発散
される感情を抑えきれずに舞台で動き回ったり、顔芸も出てしまうというわけだ。
それにはさほどびっくりはしなかったが、前の列にADHDおやぢがいて、そいつの多動が邪魔
だった。配布された歌詞を読んだり舞台に目をやったりと忙しく、大体2秒ごとに頭を動かすのである。
それに耐えられず、曲間に一番隅の座席に移動した。隅だと寒さが身にしみる。コートを預けて
しまったが、次回はショール必携であると学習した。

フォアイエは地下だから、壁には墓石が残っている。
階段に一番近い席だったので、休憩のフォアイエにはほぼ一番乗りだった。休憩中のドリンクも
チケット代金込みである。赤・白ワインやジュースやソフト・ドリンクが盆の上に用意されている。
それでカウンターが混み合わず、いらいらすることなく、休憩時間中に飲み終わることができる。
近年、オランダ各地のコンサート・ホールで行われているサーヴィスであるが、マーストリヒト、
ヘーレン、そしてベルギーではどこでも(多分)このサーヴィスがないから、関係者各位には、
システム導入の検討をしてもらいたいものである。
後半のプログラムは、オール・ゲーテである。そして、前半とは対照的に、静かなメロディーの曲
が多い。しっとりと聴かせる歌である。喉の調子も乗ってきたようで、声に滑らかさが増した。
それでも、切々と訴えかけるというよりは、情感抑えがたく声も大きくなり、怒りに近いような顔付と
動作もついつい出てしまう博士であった。シューベルトの歌曲において、喜びの表現というものは
封印すべし、という金科玉条を持っているのか、とも思えた。
主人は、ボストリッジ博士のドイツ語に感心していた。発音が正確でわかりやすいので、てっきり
ドイツ語ネイティブだと思ったらしい。そして、全部暗譜で歌っていることも凄い、と言っている。
あれだけの歌詞を全部憶えられる頭脳は、只者ではない、と。
そういう技術・頭脳面だけでなく感情面でも、情感溢れる博士の歌唱にはびっくりしていたようだ。
また、例の多動おやぢは、どうも知能的障害がありそうな感じだったのだが、博士の歌に感極ま
って溢れた涙をぬぐったりしていた。
観客はもちろん総立ちになり、ブラヴォーも飛んだ。
アンコール曲は、『鱒』と『月に寄す』第二作。これは、かなりのサーヴィスではないだろうか。
そして、ようやく、博士の顔に笑みがもれたのだった。
全曲歌い終わって、緊張がほぐれたのだろう。ご苦労様、そしてありがとうと労いたくなる熱演と
力唱であった。
会場の音響面では、不足や不具合は感じられなかった。まあ、歌手1人とピアノだけであるから、
器楽合奏や合唱とは比べられないが、多分、モダンな音響パネルを駆使しているから、コンサート
会場としては悪くないのではないかと思える。
マーストリヒトから電車で片道3時間弱の距離である。
日曜日にオランダ鉄道(NS)を利用するのは非常にリスキーなので、できるかぎり、なるべく
避けたいところだ。
なぜかというと、毎週末、必ずどこかで保線のため線路が閉鎖されているからだ。
それで、恐ろしいほどの回り道ルートになったり、一部区間はバスを代替運行させたりする。
しかし、アムステルダム、ユトレヒト、デン・ハーグ、ロッテルダムなどの都市は家から遠いので、
日帰りしようとするとマチネ・コンサートを狙わざるを得ない。だから、わたしの乗る電車のルートが
丁度その日保線に当たるかどうか、目的地まで一体何時間かかるのか、運を天に任せるしかない。

会場は、デン・ハーグの新教会
ボストリッジ博士のコンサートに行くのは初めてだ。今までなかなか縁がなかったのは、マチネしか
狙えないという理由に尽きる。だから、今回のマチネ・コンサートへは万難を排してでも行くべきだ。
そして、その価値は十分以上あった。
Ian Bostridge & Julius Drake2012122@Nieuwe Kerk Den Haag
Franz Schubert (1797 - 1828)
Wehmut
Der Zwerg
Nacht und Traume
Der Musensohn
An die Entfernte
Am Flusse
Willkommen und Abschied
Wandrers Nachtlied II
An die Leier
Am See
Im Haine
Erlkonig
pauze
An den Mond I
Nahe des Geliebten
Nachtgesang
Liebhaber in allen Gestalten
Meerestille
Auf dem See
An Mignon
Erster Verlust
Ganymed
An Schewager Kronos
An den Mond II
この教会へ足を運ぶのは始めてであるから、音響等、色々チェックしたい。

1656年の中央構造式のプロテスタント教会。
1970年代より、教会としての機能はなくなり、
コンサート会場、結婚式場、その他バーティ用に。
右手脇の狭い入り口から入ると、チケットもぎが立っている、そこから階段を下りて行く。
すると、地下がクローク兼フォアイエになっている。階段の途中には、トイレもある。

30分以上前に入場したので、がら空きのフォアイエ。
チケット代金35ユーロにはコンサート前のコーヒー・紅茶込み。
ここまでの印象では、教会とは思えないほどコンサート会場としての機能がしっかりしている。
地下は暖房も効いてるし、人が集まれば熱気がこもる。コートはクロークに預けた。一抹の不安を
感じたのだが、地下は暖かかったのだ。
カーテンの奥に、コンサート・ホールへ続く階段が隠されていて、15分くらい前に開いた。
再び階段を上がって、教会内部へ。座席には全部番号がついているからあわてる必要はない。

階段を登ると、あっと驚く。正面に立派なパイプオルガンと
シャンデリア。そして、壁面・窓・天井には、プレキシ・ガラスと
木のパネルを組み合わせた音響板が吊り下げられている。
教会内部は、500人くらい座れそうで、天井が高く、ひんやりしている。
プロテスタントの教会だから装飾はシンプルだが、建物自体はどっしりと立派な造りである。

天井の木の組み方が美しい。
こういう天井だから、音響をよくするためにパネルで補う必要があるだろう。
壁面のガラスは波打った形態で4層構造になっていて、水平の木板が間に嵌め込まれている。
それらのモダンな形態が、教会のインテリアにマッチしていて美しい。

説教壇の下がステージ。ピアノはスタインウェイ。
後ろにある窓の赤いカーテンの前にも波状プレキシ・
ガラスの音響版が下がっている。
わたしの座席は平土間下手6列目隅で、階段に近い。他に選ぶ余地がなかったからいたしかた
ない。この教会だったら、段差があり高くなっている中央後方がベストだろうか。
ボストリッジ博士とピアニストが登場した。
シューベルト歌曲のプログラムということしか事前に知らされていなかった。直前まで日本で
ツアーを行っていたから、同じ『白鳥の歌』かな、と思っていた。
前半は、1,2,3曲目がフォン・コリン、4,5,6,7,8,12曲目がゲーテ、
9,10,11曲目がフォン・ブルックマン作詞による曲で、日本ツアーとは異なるプログラムだった。
特に前半の曲には、情熱的なメロディーが多いので、博士の熱演にも力がこもる。
CDで聴く博士のシューベルトには、時に鬼気迫るものも感じられるが、実演を目の当たりにすると
なるほど、パッションとはこういうことか、と思えた。シューベルトの生涯には博士自身、並々ならぬ
シンパシーを抱いているようで、胸の思いをありったけ表現して聴衆に訴える。その専念と集中力とが
真摯な態度と相まってこちらに迫って響いてくる。
彼の歌声には、低音の方に魅力がより感じられた。特に10,11曲目では、熱演のあまり喉に疲れ
が出たのか、高音がずいぶん弱くなって、あれっと思ってしまった。
しかし、それは、前半のフィナーレ『魔王』に備えるための前哨戦であったのだ。
1人オペラのようなこの曲を、それぞれの人物になりきって、声も絶好調で歌い終えた。
ところで、博士のパフォーマンスは多動ということで有名らしい。つまり、歌いながら思わず発散
される感情を抑えきれずに舞台で動き回ったり、顔芸も出てしまうというわけだ。
それにはさほどびっくりはしなかったが、前の列にADHDおやぢがいて、そいつの多動が邪魔
だった。配布された歌詞を読んだり舞台に目をやったりと忙しく、大体2秒ごとに頭を動かすのである。
それに耐えられず、曲間に一番隅の座席に移動した。隅だと寒さが身にしみる。コートを預けて
しまったが、次回はショール必携であると学習した。

フォアイエは地下だから、壁には墓石が残っている。
階段に一番近い席だったので、休憩のフォアイエにはほぼ一番乗りだった。休憩中のドリンクも
チケット代金込みである。赤・白ワインやジュースやソフト・ドリンクが盆の上に用意されている。
それでカウンターが混み合わず、いらいらすることなく、休憩時間中に飲み終わることができる。
近年、オランダ各地のコンサート・ホールで行われているサーヴィスであるが、マーストリヒト、
ヘーレン、そしてベルギーではどこでも(多分)このサーヴィスがないから、関係者各位には、
システム導入の検討をしてもらいたいものである。
後半のプログラムは、オール・ゲーテである。そして、前半とは対照的に、静かなメロディーの曲
が多い。しっとりと聴かせる歌である。喉の調子も乗ってきたようで、声に滑らかさが増した。
それでも、切々と訴えかけるというよりは、情感抑えがたく声も大きくなり、怒りに近いような顔付と
動作もついつい出てしまう博士であった。シューベルトの歌曲において、喜びの表現というものは
封印すべし、という金科玉条を持っているのか、とも思えた。
主人は、ボストリッジ博士のドイツ語に感心していた。発音が正確でわかりやすいので、てっきり
ドイツ語ネイティブだと思ったらしい。そして、全部暗譜で歌っていることも凄い、と言っている。
あれだけの歌詞を全部憶えられる頭脳は、只者ではない、と。
そういう技術・頭脳面だけでなく感情面でも、情感溢れる博士の歌唱にはびっくりしていたようだ。
また、例の多動おやぢは、どうも知能的障害がありそうな感じだったのだが、博士の歌に感極ま
って溢れた涙をぬぐったりしていた。
観客はもちろん総立ちになり、ブラヴォーも飛んだ。
アンコール曲は、『鱒』と『月に寄す』第二作。これは、かなりのサーヴィスではないだろうか。
そして、ようやく、博士の顔に笑みがもれたのだった。
全曲歌い終わって、緊張がほぐれたのだろう。ご苦労様、そしてありがとうと労いたくなる熱演と
力唱であった。
会場の音響面では、不足や不具合は感じられなかった。まあ、歌手1人とピアノだけであるから、
器楽合奏や合唱とは比べられないが、多分、モダンな音響パネルを駆使しているから、コンサート
会場としては悪くないのではないかと思える。
Les Bien Aimesは、パスティッチョ映画
Director: Christophe Honoréマドレーヌ(中年以降):Catherine Deneuve,
ヴェラ:Chiara Mastroianni,
マドレーヌ(若き日): Ludivine Sagnier,
ジャロミル(若き日):Radivoje Bukvic
クレマン:Louis Garrel
ジャロミル(中年以降):Milos Forman
ヘンダーソン:Paul Schneider
フランソワ:Michel Delpech
フランス・英国・チェコ
Production year: 2010
カトリーヌ・ドヌーヴとキアラ・マストロヤンニとリュディヴィーヌ・サニエが競演というので観に行った。
あっけらかんと明るいミュージカル風の映画なのだと思っていた。
60年代のパリが、まず最初の舞台だ。
ポップで明るい色調の花のパリである。しかし、バックに流れる音楽は弾みつつも少しだけ憂いを
帯びている。大好きなヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番『内緒の手紙』第4楽章である。

リュディヴィーヌ・サニエ演じる靴屋の店員マドレーヌが、ふとしたきっかけであっけらかんと街娼に
なってしまう様がコミカルに描かれる。美しい靴を手に入れて、それを履いて歩いたことから、
彼女の怒涛のような人生が始まったのだった。
普通の女の子がいとも簡単にそういう商売に手を染めるというのは、その時代のパリの風俗の特徴
なのか。ゴダールの『女と男のいる舗道』を思い出した。
しかしこの映画でのマドレーヌは、ゴダール映画のヒロインのように転落してヒモ同士の抗争で殺
される、ということはなく、客の1人と結婚する。

夫となる客がプラハ出身の医師の卵なので、その後の舞台はプラハに移る。
それで、ヤナーチェクの音楽が使われているのか、と納得した。そして、そういう展開になると
当然ながら、『存在の耐えられない軽さ』を思い出すのである。
ジャルミルというチェコ人の夫は、『存在の耐えられない軽さ』でダニエル・デイ=ルイスが演じて
いた身勝手な医師トマシュに風貌も生活態度もそっくりなのであった。
しかも、舞台背景は「プラハの春」ときているから、もうほとんどパロディーといってもいい。
パロディーといえば、舞台展開の重要シーンでの主人公の心情吐露は、台詞ではなくミュージカル
調に歌われるから、『シェルブールの雨傘』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』をパロっているとも
思える。
ソ連軍の戦車に春を蹂躙されたプラハから逃げ延びたマドレーヌは、パリで娘ヴェラとともに
新たな夫との生活を築く。
この時代のマドレーヌを演じるサニエは、ドヌーヴばりの金髪のロングとメイクのおかげで、なんと、
驚いたことに若い頃のカトリーヌ・ドヌーヴにちょっと似て見えるのだった。天下の美女とファニー・
フェイスが同一人物を演じるのは無理があるのでは、と思っていたのは杞憂であった。
身勝手な元夫は、80年代に入るとパリにも姿をちょくちょく現し、マドレーヌの心を惑わすのだった。
そして、舞台が90年代になると、映画の主人公は娘のヴェラに移行する。
ドヌーヴの本物の娘だが、父親のマストロヤンニ似の個性的な顔立ちで美人というには難ありの
キアラ・マストロヤンニだが、この映画での彼女は美しいな、と初めて思った。

この映画では、その時々の時代のアクチュアルな問題が背景に組み込まれていて、90年代では
同性愛者のミュージシャンに惚れてしまった女の子の苦悩というのがテーマになる。
女を愛せないその男はエイズにも冒されているらしく、この恋愛に発展性は乏しい。しかし、ヴェラは
離れていてもずっと心の中でその男ヘンダーソンを夫として夢見ることで生きている。
そして、その二人は、2001年9月11日にニューヨークで再会することを約束するのだが。。。
もう、ここまでくると、20世紀後半の激動の時代を生き抜く女の一生という趣になって、展開は予断を
全く許さない。すなわち、まるで『オール・アバウト・マイ・マザー』のように、あれよあれよという間に
ストーリーは思いがけない方向に回転していくのだった。その小気味よさには、快感を感じるほど。
この映画をパスティッチョと呼びたくなったのは、上記の様々な映画が元歌として組み込まれている
からだ。
それらは、いずれもわたしの好きな作品であるから、見ていて楽しい。(同行した叔母は、最初の
方で眠ってしまったというが)
しかも、ヤナーチェクの音楽がテーマ曲として使われているのもわたし好みだ。シリアスな場面や
官能的なシーンでは、ちょっとベタだが、弦楽四重奏曲第1番『クロイツェル』が使われている。
カトリーヌ・ドヌーヴ演じる中年以降のマドレーヌは、大女優の貫禄十分で、しかも可愛い。
美しい靴がきっかけで、波乱の人生を歩むことになったマドレーヌは、40年間大事に取っておいた
あの靴を履いて、思い出の残るパリの各地を歩く。そして、最後にその靴を脱いで舗道に置き去り
エンド。
涙を堪えるのに苦心した。隣に座ってた初老の女性は、ハンカチをぐちゃぐちゃにしていた。
ヨーロッパ映画好きの女性には堪らない魅力に満ちた映画で、お勧めだ。
アンドレアス・ショルのTVインタビュー 続き
W 最新CD2枚が発売され、そのうち1枚はバッハで、バッハ・カンタータのコンサートも
予定されてますね。ライナーノーツに書かれてるように、バッハを歌うのは難しいですか?
S バッハは、妥協を知らない作曲家です。同時代のヘンデルなら、歌う人のことを考慮に
入れて作曲しているので、息つぎの箇所があるし、高音もさほど高すぎず、テンポも異常に
速くはない。
しかし、バッハの場合、自身の作曲作法に従って曲を書いているので、妥協を許さず、
歌手に高度な要求をすることになるのです。これが歌えないなら歌わなくて結構、歌えるのは
上手な歌手だけでいい、と言っているかのように。
P 難しいという例を挙げると?
S 例えば、ソロ・カンタータですが、今ちょっと声が出しにくいのですが、歌ってみますね。
と言って、ショルはバッハのカンタータの一部を歌う。会場および司会者から拍手と笑いが起こる。
S テンポがもっと速くなると息つぎが難しくて、精神的にもあせり、空気はどこ?みたいな感じに
陥るんです。だから、バッハを歌うということは、ある種の挑戦です。
W どういうトレーニングをしているんですか?
S ほぼスポーツと同様に毎日のトレーニングを怠りません。
W スポーツ的鍛錬ということですね。沢山息が吸えるように肺活量を増やすとか?
S 歌うときには、体全体を使うので、体の鍛錬です。声は喉だけでなく、お腹も使いますから、
座ったままでは思い通りに声が出せません。立ってるほうが歌いやすいのです。
それと声のトレーニング。最初はゆっくり歌って、徐々に少しずつ速くしていって、速いテンポ
でもコントロールを失わずに歌えるようにしていきます。
丁度、氷の上を車で運転するようなものです。最初はふらふらしますが、ゆっくりと慣らして、
コントロールがきくようにします。でも、速度を速めると扱いがまた難しくなるでしょう。
W 古楽には、流行り廃りがあります。一時期は忘れ去られ、その後再び活気を取り戻したり、
オーセンティックな解釈のピリオド奏法がもてはやされたり。
再び、古楽ブームが去ってしまうのではという不安は?
S いいCTであれば、いつでも注文はあり、仕事にあぶれるということはないはずです。
W CTは、レア商品でしょうか?つまり、数があまり多くないという意味で。
S 今は流行の最中なので若いCTが沢山いるし、バロック・コンサートなどの活躍の場も多い
です。ルネッサンスやバロックなどの古楽が盛んなので、CTの需要も多いのです。
W もし、また流行が去ったら、どうします?音域を下げて、テノール歌手に転向するとか?
S それは不可能です。わたしがバリトン歌手として生き残ることはできないでしょう。
高音の方が、わたしにとって自然な歌声だからです。
H 高い声と低い声では、どちらが楽に出せるんですか?
S 高音の方が無理せず自然に出せます。
W コンサートについて聞かせてください。
S オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタインは、中世の騎士であり作曲家でした。
P 15世紀の作曲家ですね?どんな曲を聞かせてくれるんでしょうか。
W 座ったまま歌うんですか?
S いえ、立って歌います。昨晩はロッテルダムのデ・ドゥルンでコンサートがあり、明晩は
エイントホーフェンで歌います。オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタインの曲は、素朴な
恋愛歌が多いです。
P アムステルダムのコンセルトヘボウでもコンサートの予定があるとか?
S 二月にバーゼル室内管とアムステルダムでバッハ・カンタータのコンサートを行います。
P コンサートは2回ありますよね?
S えっ、そうだっけ?いや、一回だけです。それと、『ヨハネ受難曲』がその後あります。
W ほうほう、『ヨハネ』もね。ところで、この作曲家の顔は、ハイン(ゲスト)の使用後みたいな
感じですね。。。
ショルの正面に座っているゲストはハインというらしい。なるほど、フォン・ヴォルケンシュタインの
片目がつぶれた顔は、ゲストの術後(どんな?)の顔はこうなるだろう、という感じだ。
ショルが立って、ヴォルケンシュタインの歌をア・カペラで歌う。
しかし、こうして文字に起こしてみると、動画の面白みがあまり伝わってこない。。。
内容的にどうこうというのでなく、ショルが話している雰囲気が面白かったのだ、と気がついた。
予定されてますね。ライナーノーツに書かれてるように、バッハを歌うのは難しいですか?
S バッハは、妥協を知らない作曲家です。同時代のヘンデルなら、歌う人のことを考慮に
入れて作曲しているので、息つぎの箇所があるし、高音もさほど高すぎず、テンポも異常に
速くはない。
しかし、バッハの場合、自身の作曲作法に従って曲を書いているので、妥協を許さず、
歌手に高度な要求をすることになるのです。これが歌えないなら歌わなくて結構、歌えるのは
上手な歌手だけでいい、と言っているかのように。
P 難しいという例を挙げると?
S 例えば、ソロ・カンタータですが、今ちょっと声が出しにくいのですが、歌ってみますね。
と言って、ショルはバッハのカンタータの一部を歌う。会場および司会者から拍手と笑いが起こる。
S テンポがもっと速くなると息つぎが難しくて、精神的にもあせり、空気はどこ?みたいな感じに
陥るんです。だから、バッハを歌うということは、ある種の挑戦です。
W どういうトレーニングをしているんですか?
S ほぼスポーツと同様に毎日のトレーニングを怠りません。
W スポーツ的鍛錬ということですね。沢山息が吸えるように肺活量を増やすとか?
S 歌うときには、体全体を使うので、体の鍛錬です。声は喉だけでなく、お腹も使いますから、
座ったままでは思い通りに声が出せません。立ってるほうが歌いやすいのです。
それと声のトレーニング。最初はゆっくり歌って、徐々に少しずつ速くしていって、速いテンポ
でもコントロールを失わずに歌えるようにしていきます。
丁度、氷の上を車で運転するようなものです。最初はふらふらしますが、ゆっくりと慣らして、
コントロールがきくようにします。でも、速度を速めると扱いがまた難しくなるでしょう。
W 古楽には、流行り廃りがあります。一時期は忘れ去られ、その後再び活気を取り戻したり、
オーセンティックな解釈のピリオド奏法がもてはやされたり。
再び、古楽ブームが去ってしまうのではという不安は?
S いいCTであれば、いつでも注文はあり、仕事にあぶれるということはないはずです。
W CTは、レア商品でしょうか?つまり、数があまり多くないという意味で。
S 今は流行の最中なので若いCTが沢山いるし、バロック・コンサートなどの活躍の場も多い
です。ルネッサンスやバロックなどの古楽が盛んなので、CTの需要も多いのです。
W もし、また流行が去ったら、どうします?音域を下げて、テノール歌手に転向するとか?
S それは不可能です。わたしがバリトン歌手として生き残ることはできないでしょう。
高音の方が、わたしにとって自然な歌声だからです。
H 高い声と低い声では、どちらが楽に出せるんですか?
S 高音の方が無理せず自然に出せます。
W コンサートについて聞かせてください。
S オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタインは、中世の騎士であり作曲家でした。
P 15世紀の作曲家ですね?どんな曲を聞かせてくれるんでしょうか。
W 座ったまま歌うんですか?
S いえ、立って歌います。昨晩はロッテルダムのデ・ドゥルンでコンサートがあり、明晩は
エイントホーフェンで歌います。オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタインの曲は、素朴な
恋愛歌が多いです。
P アムステルダムのコンセルトヘボウでもコンサートの予定があるとか?
S 二月にバーゼル室内管とアムステルダムでバッハ・カンタータのコンサートを行います。
P コンサートは2回ありますよね?
S えっ、そうだっけ?いや、一回だけです。それと、『ヨハネ受難曲』がその後あります。
W ほうほう、『ヨハネ』もね。ところで、この作曲家の顔は、ハイン(ゲスト)の使用後みたいな
感じですね。。。
ショルの正面に座っているゲストはハインというらしい。なるほど、フォン・ヴォルケンシュタインの
片目がつぶれた顔は、ゲストの術後(どんな?)の顔はこうなるだろう、という感じだ。
ショルが立って、ヴォルケンシュタインの歌をア・カペラで歌う。
しかし、こうして文字に起こしてみると、動画の面白みがあまり伝わってこない。。。
内容的にどうこうというのでなく、ショルが話している雰囲気が面白かったのだ、と気がついた。
アンドレアス・ショルがオランダのトークショーに出演!
オランダのTVトークショー「パウ&ウィッテマン」は、週日の毎晩夜11時から放送されて
いる人気番組だが、開始時間が遅いのであまり見たことはない。放送時間は夜遅いが、
おちゃらけやゴシップやお色気の要素はほとんどなくて、政治家を呼んで各界のゲストと討論
させたり、その道のエキスパートが文化・社会のホットな話題・事象・現象を解説したりと、
内容的にはまじめでどちらかというとお堅い。だから、この番組にゲストとして出演するという
のは、かなり名誉なことであるし、その発言内容の影響力は大きい。
そのトークショーに、アンドレアス・ショルが1月10日に出演した。丁度、わたしが行ったコン
サートの前日に当たる。
その動画を見て大いに驚いたのは、ショルがインタビューを全てオランダ語で通したこと、
しかも、それが非常に堪能なのである。外国人がしゃべるオランダ語としてはかなりハイレベル
で、文法も発音も語彙もパーフェクトである。
ショルはオランダに在住しているわけではないから、これは、特筆に値する。
まず、オランダ語を母語としてしゃべり読み書きが出来る人口は、全世界的にみても少ない。
オランダとベルギー北部だけに限られる。(インドネシアとかスリナムとか南アフリカとかの
旧植民地にはオランダ語が話せる人もかなりいるだろうが)
そういう弱小言語の宿命で、オランダ語を学習しようという外国人もまた少ない。
だから、オランダ人は外国語が堪能である。外国人がオランダ語をしゃべってくれないのだから、
自分から外国語をしゃべれないと商売にならない、死活問題だからだ。
その結果、オランダ語が堪能な外国人というのは、オランダでは奇特な人と看做される。
オランダ語は、言語学的(文法および語彙)にみると、地理的位置と同じく、英語とドイツ語の
中間に位置する。この3ヶ国語は同じ西ゲルマン語派に属しているから、学ぼうという意欲さえ
あればこれらの言語習得は互いにさほど難しくないはずだが、イギリス人やドイツ人がオランダ語を
学ぼうと積極的になっているという話は聞いたことがない。
大国の特権で、弱小国であるオランダ人のほうが英語やドイツ語を話してくれるからだ。
卑近な例では、マーストリヒト大学の経済学部の学生数は、十年ほど前からドイツ人が過半数を
占めるが、講義や試験は全て英語で行われるため、オランダ語を習おうとするドイツ人は非常に
少ない。マーストリヒトでの日常生活も大学でも、英語およびドイツ語で事足りるからだ。
また、オランダ王室では、現ベアトリクス女王も先代のユリアナ女王も夫君はドイツ人であった。
今は故人であるお二人のオランダ語は流暢だったが、特にユリアナ先女王の夫君故ベルンハルド
殿下のオランダ語には終生ドイツ語訛がつきまとった。
以上の点を踏まえ、わたしの驚きがいかほどであったか、ご理解いただきたい。
ショルのオランダ語能力を讃えたい所以である。
↓にトークショーの動画を貼る。なるべく逐語訳してみた。左の若い方がパウ(P)で右が
ウィッテマン(W)、そして、にこにこと穏やかな話し声のショル(S)
P あなたがオランダ語が話せることを今知ったのですが、いつ、どういうきっかけで?
S 24年ほど前、最初のGFと付き合い始めたのです。ナイメヘンの女の子です。
それが、オランダ語を話すようになったきっかけです。それ以後、オランダ人の音楽家と
共演することも多かったので、機会を逃さず実地練習として彼らとはなるべくオランダ語を
話すようにしてきました。オランダ語を話す人がいたら、彼らと話すようにしたんです。
W オランダ人指揮者とも? その際も、オランダ語を話すんですか?
S はい、フィリップ・ヘレベッヘやトン・コープマンなどのオランダ語を母語とする指揮者と
よく一緒に仕事をする機会がありますが、いつもオランダ語で話すんです。
W このインタビューでも同様ですね。
P さて、カウンターテナーとは、正確にはどういう歌手なんですか?
S カウンターテナー(CT)とは、頭声を使って女声のアルトと同じような、男声としては
高い声域で歌う男性歌手のことです。エスニック音楽でも、ポップスでも、クラシックでも
そんな歌手はいます。
P 目を閉じてその人たちの歌声を聴いたら、男声か女声かの区別がいつでもつきますか?
S 難しいですね。女っぽい声の男性歌手もいますし、そうでない人もいるし、声には個人差が
大きいですから。
P ホルモンが影響しているとか?足りないとか?
S いえ、そういうことはありません。カストラートも現在はいません。バロック時代のヨーロッパ
では、カストラートが流行しました。当時のイタリアでは、高い声を保つために少年を去勢
したんですが、今は幸運にもそういうことはせず、別の方法で喉を訓練して高い声を保つように
します。生理学上の可能性を使って喉を訓練をするわけです。生理学上および解剖学上、
誰でも頭声を出すことことは可能なんです。
ほら、男性が女性の物真似をするときには、頭から抜けるように高い声を出すでしょう?
それを、訓練でフレキシブルに上手く出せるようにするんです。そういう生理学的なことが
わたしが歌うときに喉に同様に起きるわけです。
誰でも歌うことはできますが、誰もがオペラを歌える才能があるわけではありません。
同様に、男性が頭声を出そうとすれば誰でも出せますが、柔軟性のレベルは違いますから、
誰もがコンサートで歌えるという具合にはいきませんね。
P 14歳頃、声変わりが始まって、クラスの男の子は皆声が低くなったでしょう。それがあなた
にはなかったとか、それとも?
S いえ、皆と同じように、声変わりして話し声は低くなりましたよ。
P CT初心者的質問ですが、歌が上手い歌手なら誰でも、高い声をキープして歌うことが
可能ですか?
S いや、思春期に声変わりが始まり、声が低くなっていっても高い声を出して歌うことが出来る
ような訓練を毎日続けないと無理です。声変わりしても声がつぶれないように、喉がフレキシ
ブルな状態であるように訓練し続けることで、ある時安定した高い声が出せるようになるのです。
W いつ頃から歌の訓練を始めたんですか?
S 7歳から少年合唱団で歌い始め、毎週個人レッスンを受けていました。高い声で歌う訓練を
し続けたおかげで15,6歳になっても歌声はつぶれずにソプラノの声が出せたんです。
それで、先生に「あなた、もしかしたら、CTかもしれないわね」と言われました。
その時初めてCTという言葉を知ったんです。
W CTに似た声で歌う人としては、卑近な例ではポップスで高い声で歌う男性歌手がいますが、
ポップスは好きですか?
S はい、聴くだけでなく、自分のスタジオでポップスを演奏したりするんですよ。ピアノやデジタル・
ピアノを弾いて、コンピューターでアレンジしたり、歌ったり、録音したして楽しんでます。
W 録音したものを発売の予定は?
S いやいや、いくつかの作品はリリースしましたが、ちょっとお遊びのつもりですから。
P それでは、ポップス界で、高い声が出せる人が歌うのを聴いてみましょう。
発声が自然かどうか、無理して出しているか、聞いてみて判断してください。
ここで、ビージーズ、ジミー・サマヴィル、ヘラルド・ヨリング、プリンス、クイーンなどのヴィデオ・
クリップを見る。
W 点数は?誰が一番自然にCTらしい声で歌えてると思います?
S 自然に軽々と出してるか無理して歌ってるかどうかという判断は、聴く人によって違うでしょう。
声に圧力をかけて無理して出してるとか、自然だなとか感じるのは、個人的な主観ですから。
多分、ジミー・サマヴィルの歌い方が一番自然かな。
まだまだインタビューは続くのだが、動画を見て聞いて文字起こしをするのは、思ったよりもかなり
疲れる作業なので、残りはまた続きということで。
いる人気番組だが、開始時間が遅いのであまり見たことはない。放送時間は夜遅いが、
おちゃらけやゴシップやお色気の要素はほとんどなくて、政治家を呼んで各界のゲストと討論
させたり、その道のエキスパートが文化・社会のホットな話題・事象・現象を解説したりと、
内容的にはまじめでどちらかというとお堅い。だから、この番組にゲストとして出演するという
のは、かなり名誉なことであるし、その発言内容の影響力は大きい。
そのトークショーに、アンドレアス・ショルが1月10日に出演した。丁度、わたしが行ったコン
サートの前日に当たる。
その動画を見て大いに驚いたのは、ショルがインタビューを全てオランダ語で通したこと、
しかも、それが非常に堪能なのである。外国人がしゃべるオランダ語としてはかなりハイレベル
で、文法も発音も語彙もパーフェクトである。
ショルはオランダに在住しているわけではないから、これは、特筆に値する。
まず、オランダ語を母語としてしゃべり読み書きが出来る人口は、全世界的にみても少ない。
オランダとベルギー北部だけに限られる。(インドネシアとかスリナムとか南アフリカとかの
旧植民地にはオランダ語が話せる人もかなりいるだろうが)
そういう弱小言語の宿命で、オランダ語を学習しようという外国人もまた少ない。
だから、オランダ人は外国語が堪能である。外国人がオランダ語をしゃべってくれないのだから、
自分から外国語をしゃべれないと商売にならない、死活問題だからだ。
その結果、オランダ語が堪能な外国人というのは、オランダでは奇特な人と看做される。
オランダ語は、言語学的(文法および語彙)にみると、地理的位置と同じく、英語とドイツ語の
中間に位置する。この3ヶ国語は同じ西ゲルマン語派に属しているから、学ぼうという意欲さえ
あればこれらの言語習得は互いにさほど難しくないはずだが、イギリス人やドイツ人がオランダ語を
学ぼうと積極的になっているという話は聞いたことがない。
大国の特権で、弱小国であるオランダ人のほうが英語やドイツ語を話してくれるからだ。
卑近な例では、マーストリヒト大学の経済学部の学生数は、十年ほど前からドイツ人が過半数を
占めるが、講義や試験は全て英語で行われるため、オランダ語を習おうとするドイツ人は非常に
少ない。マーストリヒトでの日常生活も大学でも、英語およびドイツ語で事足りるからだ。
また、オランダ王室では、現ベアトリクス女王も先代のユリアナ女王も夫君はドイツ人であった。
今は故人であるお二人のオランダ語は流暢だったが、特にユリアナ先女王の夫君故ベルンハルド
殿下のオランダ語には終生ドイツ語訛がつきまとった。
以上の点を踏まえ、わたしの驚きがいかほどであったか、ご理解いただきたい。
ショルのオランダ語能力を讃えたい所以である。
↓にトークショーの動画を貼る。なるべく逐語訳してみた。左の若い方がパウ(P)で右が
ウィッテマン(W)、そして、にこにこと穏やかな話し声のショル(S)
P あなたがオランダ語が話せることを今知ったのですが、いつ、どういうきっかけで?
S 24年ほど前、最初のGFと付き合い始めたのです。ナイメヘンの女の子です。
それが、オランダ語を話すようになったきっかけです。それ以後、オランダ人の音楽家と
共演することも多かったので、機会を逃さず実地練習として彼らとはなるべくオランダ語を
話すようにしてきました。オランダ語を話す人がいたら、彼らと話すようにしたんです。
W オランダ人指揮者とも? その際も、オランダ語を話すんですか?
S はい、フィリップ・ヘレベッヘやトン・コープマンなどのオランダ語を母語とする指揮者と
よく一緒に仕事をする機会がありますが、いつもオランダ語で話すんです。
W このインタビューでも同様ですね。
P さて、カウンターテナーとは、正確にはどういう歌手なんですか?
S カウンターテナー(CT)とは、頭声を使って女声のアルトと同じような、男声としては
高い声域で歌う男性歌手のことです。エスニック音楽でも、ポップスでも、クラシックでも
そんな歌手はいます。
P 目を閉じてその人たちの歌声を聴いたら、男声か女声かの区別がいつでもつきますか?
S 難しいですね。女っぽい声の男性歌手もいますし、そうでない人もいるし、声には個人差が
大きいですから。
P ホルモンが影響しているとか?足りないとか?
S いえ、そういうことはありません。カストラートも現在はいません。バロック時代のヨーロッパ
では、カストラートが流行しました。当時のイタリアでは、高い声を保つために少年を去勢
したんですが、今は幸運にもそういうことはせず、別の方法で喉を訓練して高い声を保つように
します。生理学上の可能性を使って喉を訓練をするわけです。生理学上および解剖学上、
誰でも頭声を出すことことは可能なんです。
ほら、男性が女性の物真似をするときには、頭から抜けるように高い声を出すでしょう?
それを、訓練でフレキシブルに上手く出せるようにするんです。そういう生理学的なことが
わたしが歌うときに喉に同様に起きるわけです。
誰でも歌うことはできますが、誰もがオペラを歌える才能があるわけではありません。
同様に、男性が頭声を出そうとすれば誰でも出せますが、柔軟性のレベルは違いますから、
誰もがコンサートで歌えるという具合にはいきませんね。
P 14歳頃、声変わりが始まって、クラスの男の子は皆声が低くなったでしょう。それがあなた
にはなかったとか、それとも?
S いえ、皆と同じように、声変わりして話し声は低くなりましたよ。
P CT初心者的質問ですが、歌が上手い歌手なら誰でも、高い声をキープして歌うことが
可能ですか?
S いや、思春期に声変わりが始まり、声が低くなっていっても高い声を出して歌うことが出来る
ような訓練を毎日続けないと無理です。声変わりしても声がつぶれないように、喉がフレキシ
ブルな状態であるように訓練し続けることで、ある時安定した高い声が出せるようになるのです。
W いつ頃から歌の訓練を始めたんですか?
S 7歳から少年合唱団で歌い始め、毎週個人レッスンを受けていました。高い声で歌う訓練を
し続けたおかげで15,6歳になっても歌声はつぶれずにソプラノの声が出せたんです。
それで、先生に「あなた、もしかしたら、CTかもしれないわね」と言われました。
その時初めてCTという言葉を知ったんです。
W CTに似た声で歌う人としては、卑近な例ではポップスで高い声で歌う男性歌手がいますが、
ポップスは好きですか?
S はい、聴くだけでなく、自分のスタジオでポップスを演奏したりするんですよ。ピアノやデジタル・
ピアノを弾いて、コンピューターでアレンジしたり、歌ったり、録音したして楽しんでます。
W 録音したものを発売の予定は?
S いやいや、いくつかの作品はリリースしましたが、ちょっとお遊びのつもりですから。
P それでは、ポップス界で、高い声が出せる人が歌うのを聴いてみましょう。
発声が自然かどうか、無理して出しているか、聞いてみて判断してください。
ここで、ビージーズ、ジミー・サマヴィル、ヘラルド・ヨリング、プリンス、クイーンなどのヴィデオ・
クリップを見る。
W 点数は?誰が一番自然にCTらしい声で歌えてると思います?
S 自然に軽々と出してるか無理して歌ってるかどうかという判断は、聴く人によって違うでしょう。
声に圧力をかけて無理して出してるとか、自然だなとか感じるのは、個人的な主観ですから。
多分、ジミー・サマヴィルの歌い方が一番自然かな。
まだまだインタビューは続くのだが、動画を見て聞いて文字起こしをするのは、思ったよりもかなり
疲れる作業なので、残りはまた続きということで。
アンドレアス・ショルとShield of Harmony
ショル兄の声を生で聴ける!というので期待で胸は膨らんだ。
着物もリキを入れて選んだし、着物が汚れないよう、車の内外を次男にきれいに洗わせ
掃除機もかけてもらった。もしかしたら、コンサート後にサイン会があるかもしれない、と
思って、CDも持参した。
エイントホーフェンのムジックヘボー(ムジックセントルム改め)の大ホールは、満員とは
言えないが、水曜夜の古楽コンサートにしては上々の入りだった。平土間6列目のわたしの
周りにはなぜか空席が目立ったが。
Andreas Scholl & Shield of Harmony Oswald von Wolkenstein
2012年1月11日 @ Muziekgebouw Eindhoven

Andreas Scholl - altus
Shield of Harmony
Miriam Andersén - harp en zang
Margit Übbelacker - dulcimelos
Marc Lewon - vedel en luit
Crawford Young - luit
Reinout Bussemaker - spel
Jos Groenier - regie en tekst
Uri Rapaport - licht en beeld
Joost Gulien - video

公演が始まる前から、舞台上、中央奥に設置されたスクリーンに、
写本がスライドで映し出されている。
いきなり、ア・カペラで、客席後方なのか舞台後方なのかわからない位置から、ショル兄の
スピーカーを通した歌声が響いてきた。それはまるで天使の声が天上から注ぐような効果の
エコーがかかっていて、わたしは落胆し一気に気持ちが萎えた。
生の声じゃない。。。
ショル兄は客席通路を通って上手から舞台に登場した。そして、体型もルックスも正反対だが、
似たような衣装(蝶ネクタイを解いて垂らしたスモーキング姿)の男性が下手から現れ、二人は
舞台上手の同じテーブルに着く。
ショル兄は、左目に黒いアイパッチを付けている。そして、右側頬にはマイクロフォンが。
スクリーン上に投影されているオズワルド・フォン・ヴォルケンシュタインを演じていることを、
アイ・パッチで表現しているのである。(アイパッチはすぐに外し、ショル兄は眼鏡をかけた)

オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタイン(1377-1445)
舞台上のもう1人の男性は、楽器奏者ではなく、俳優であった。そして、彼もフォン・ヴォルケン
シュタインの役を演じるのである。
すなわち、二人のフォン・ヴォルケンシュタインが舞台にいて、1人はオランダ語の台詞(ドイツ語
歌詞の訳なのだが、朗読ではなく、俳優らしい台詞回しでオーバーにしゃべる)を、1人は彼の
作った歌を歌う、というわけだった。
俳優が舞台でマイクを使うのは、まあ、許そう。台詞が聞き取りやすくなる。
しかし、クラシック歌手がコンサート・ホールでマイクを使って歌うというのは、どういうことだ?
大ホールとはいえ、めちゃくちゃ大きいわけではなく、日本だったら中ホールくらいの規模だ。
フランス・ブリュッヘンがここの音響には太鼓判を押しているから、古楽にも向いているはずだ。
俳優がマイクを使ったら、音量のバランスをとるために、歌手もマイクを使わざるを得ない。
だが、俳優を使う理由は?歌われる歌詞をオランダ語の台詞にして説明のようにしゃべり聞かせる、
という意味と効果は薄い。スクリーンが使われているのだから、字幕を出したら問題ないはずだ。
単なる、水増し効果か?
そして、リュートなどの古楽器の前にもマイクが立てられ、スピーカーで音響が増強されていた。
こうなると、もう、クラシックのコンサートの雰囲気ではない。
リュートなどの古楽器は音量が少ないから、大ホールでのコンサートには向いていない。だから、
会場選びからして間違っているのだ。
好意的に見れば、歌唱のミキシング処理は、音響増幅というよりも、微妙なエコーをかけていた
ので、教会で聴くような残響効果を出して中世のイメージにしたかったのかも、という気もする。

4人の器楽奏者(Shield of Harmony)とショル兄。
オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタインという数奇な運命を辿った中世後期の人物が作った
歌を、ショル兄が歌う前に、歌詞内容を俳優がしゃべり聞かせるのだが、粗野な響きのオランダ
語の俳優らしいもったいぶった台詞回しと、ショル兄の天使のような声および雅趣のあるメロディー
との共通点は全くない。
舞台上には、上下左右4箇所にテーブルが設置されているので、歌手と俳優と楽器奏者が、
場面を変えるごとくあちこちに移動する。それは酒場であったり、砂漠であったり、城であったり
天国的などこかであったりする。
なにしろ、ヴォルケンシュタインは、外交官兼吟遊詩人として、ヨーロッパ全土のみならず、
グルジアやモロッコにまで足跡を残している人物なのだから。
そして、歌われる内容も、冒険談から貴婦人への愛やマリア賛歌まで、中世の吟遊詩人らしく
幅広い。
エイントホーフェンのコンサートの隠し撮りがアップされてる。
実際に聴いたときより、この動画のほうがマシに聴こえる。
最初からマイクを通したショルの声にショックを受け、邪魔な俳優にも拒絶反応を起こしてしまい、
最後まであまり楽しめなかった。面白いなと思ったのは、ショル兄がバリトンの声で歌った2曲だ。
しかし、会場は大いに盛り上がり、ブラヴォーが飛び、毎度おなじみスタンディング・オヴェー
ション。
それから、最初のほうで、俳優がしゃべるオランダ語の台詞をショル兄が同時にオランダ語で
ハモったのだが、発音が自然でスムーズで上手い。
その人気とオランダ語の巧みさのなぞが解けたのは、TVトーク・ショーに出演しているショル兄
の動画を見てからだ。
人気番組に登場したおかげで、チケット売れ行きが上がったろうし、コンサート聴衆に受けた
理由も合点がいく。
なんと、12分にわたるTVでのインタビューを、ショル兄は全てオランダ語で通したのだ。それが
またびっくりするほど上手い。オランダに住んでるわけでもないのに、ここまで巧みに操れるとは。
これで好感度は最高に達したろう。
このインタビューはなかなか優れているので、動画とともに内容を訳して次回紹介したいと思う。

白大島のアンサンブルでお正月らしく。

同系色のつなぎ糸の帯に、オレンジ色の帯締め、
珊瑚色の羽織紐、少しトーンが暗めの帯揚げ。
コーディネートも気張って着付けも進んだところで、黒地に雪輪と源氏香の帯を巻きつけてから、
帯枕が見つからない。ありとあらゆる可能性のある引き出しを2度開けて探したが、ない。
前回着物を着たのは、10月のウィーンである。きっと、ホテルに帯枕を置いてきてしまったの
だろう、と諦めて、2部式の付け帯にした。これなら、普通の帯枕ではなく器具でも装着できる。
しかし、その器具の装着感は、「大リーグボール養成ギプス」に近いような違和感を伴う。
使う紐が2つ増えるし、背中はがっちりと固められて苦しい。
コンサートの最中に、肩が凝って二の腕も痛くなってきた。「大リーグボール養成ギプス」効果が
効いている感じだ。すなわち、拷問に近い。
音楽的にも、肉体的にも、苦しくて、幸先のあまりよくない今年のコンサート初めだった。
着物もリキを入れて選んだし、着物が汚れないよう、車の内外を次男にきれいに洗わせ
掃除機もかけてもらった。もしかしたら、コンサート後にサイン会があるかもしれない、と
思って、CDも持参した。
エイントホーフェンのムジックヘボー(ムジックセントルム改め)の大ホールは、満員とは
言えないが、水曜夜の古楽コンサートにしては上々の入りだった。平土間6列目のわたしの
周りにはなぜか空席が目立ったが。
Andreas Scholl & Shield of Harmony Oswald von Wolkenstein
2012年1月11日 @ Muziekgebouw Eindhoven

Andreas Scholl - altus
Shield of Harmony
Miriam Andersén - harp en zang
Margit Übbelacker - dulcimelos
Marc Lewon - vedel en luit
Crawford Young - luit
Reinout Bussemaker - spel
Jos Groenier - regie en tekst
Uri Rapaport - licht en beeld
Joost Gulien - video

公演が始まる前から、舞台上、中央奥に設置されたスクリーンに、
写本がスライドで映し出されている。
いきなり、ア・カペラで、客席後方なのか舞台後方なのかわからない位置から、ショル兄の
スピーカーを通した歌声が響いてきた。それはまるで天使の声が天上から注ぐような効果の
エコーがかかっていて、わたしは落胆し一気に気持ちが萎えた。
生の声じゃない。。。
ショル兄は客席通路を通って上手から舞台に登場した。そして、体型もルックスも正反対だが、
似たような衣装(蝶ネクタイを解いて垂らしたスモーキング姿)の男性が下手から現れ、二人は
舞台上手の同じテーブルに着く。
ショル兄は、左目に黒いアイパッチを付けている。そして、右側頬にはマイクロフォンが。
スクリーン上に投影されているオズワルド・フォン・ヴォルケンシュタインを演じていることを、
アイ・パッチで表現しているのである。(アイパッチはすぐに外し、ショル兄は眼鏡をかけた)

オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタイン(1377-1445)
舞台上のもう1人の男性は、楽器奏者ではなく、俳優であった。そして、彼もフォン・ヴォルケン
シュタインの役を演じるのである。
すなわち、二人のフォン・ヴォルケンシュタインが舞台にいて、1人はオランダ語の台詞(ドイツ語
歌詞の訳なのだが、朗読ではなく、俳優らしい台詞回しでオーバーにしゃべる)を、1人は彼の
作った歌を歌う、というわけだった。
俳優が舞台でマイクを使うのは、まあ、許そう。台詞が聞き取りやすくなる。
しかし、クラシック歌手がコンサート・ホールでマイクを使って歌うというのは、どういうことだ?
大ホールとはいえ、めちゃくちゃ大きいわけではなく、日本だったら中ホールくらいの規模だ。
フランス・ブリュッヘンがここの音響には太鼓判を押しているから、古楽にも向いているはずだ。
俳優がマイクを使ったら、音量のバランスをとるために、歌手もマイクを使わざるを得ない。
だが、俳優を使う理由は?歌われる歌詞をオランダ語の台詞にして説明のようにしゃべり聞かせる、
という意味と効果は薄い。スクリーンが使われているのだから、字幕を出したら問題ないはずだ。
単なる、水増し効果か?
そして、リュートなどの古楽器の前にもマイクが立てられ、スピーカーで音響が増強されていた。
こうなると、もう、クラシックのコンサートの雰囲気ではない。
リュートなどの古楽器は音量が少ないから、大ホールでのコンサートには向いていない。だから、
会場選びからして間違っているのだ。
好意的に見れば、歌唱のミキシング処理は、音響増幅というよりも、微妙なエコーをかけていた
ので、教会で聴くような残響効果を出して中世のイメージにしたかったのかも、という気もする。

4人の器楽奏者(Shield of Harmony)とショル兄。
オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタインという数奇な運命を辿った中世後期の人物が作った
歌を、ショル兄が歌う前に、歌詞内容を俳優がしゃべり聞かせるのだが、粗野な響きのオランダ
語の俳優らしいもったいぶった台詞回しと、ショル兄の天使のような声および雅趣のあるメロディー
との共通点は全くない。
舞台上には、上下左右4箇所にテーブルが設置されているので、歌手と俳優と楽器奏者が、
場面を変えるごとくあちこちに移動する。それは酒場であったり、砂漠であったり、城であったり
天国的などこかであったりする。
なにしろ、ヴォルケンシュタインは、外交官兼吟遊詩人として、ヨーロッパ全土のみならず、
グルジアやモロッコにまで足跡を残している人物なのだから。
そして、歌われる内容も、冒険談から貴婦人への愛やマリア賛歌まで、中世の吟遊詩人らしく
幅広い。
エイントホーフェンのコンサートの隠し撮りがアップされてる。
実際に聴いたときより、この動画のほうがマシに聴こえる。
最初からマイクを通したショルの声にショックを受け、邪魔な俳優にも拒絶反応を起こしてしまい、
最後まであまり楽しめなかった。面白いなと思ったのは、ショル兄がバリトンの声で歌った2曲だ。
しかし、会場は大いに盛り上がり、ブラヴォーが飛び、毎度おなじみスタンディング・オヴェー
ション。
それから、最初のほうで、俳優がしゃべるオランダ語の台詞をショル兄が同時にオランダ語で
ハモったのだが、発音が自然でスムーズで上手い。
その人気とオランダ語の巧みさのなぞが解けたのは、TVトーク・ショーに出演しているショル兄
の動画を見てからだ。
人気番組に登場したおかげで、チケット売れ行きが上がったろうし、コンサート聴衆に受けた
理由も合点がいく。
なんと、12分にわたるTVでのインタビューを、ショル兄は全てオランダ語で通したのだ。それが
またびっくりするほど上手い。オランダに住んでるわけでもないのに、ここまで巧みに操れるとは。
これで好感度は最高に達したろう。
このインタビューはなかなか優れているので、動画とともに内容を訳して次回紹介したいと思う。

白大島のアンサンブルでお正月らしく。

同系色のつなぎ糸の帯に、オレンジ色の帯締め、
珊瑚色の羽織紐、少しトーンが暗めの帯揚げ。
コーディネートも気張って着付けも進んだところで、黒地に雪輪と源氏香の帯を巻きつけてから、
帯枕が見つからない。ありとあらゆる可能性のある引き出しを2度開けて探したが、ない。
前回着物を着たのは、10月のウィーンである。きっと、ホテルに帯枕を置いてきてしまったの
だろう、と諦めて、2部式の付け帯にした。これなら、普通の帯枕ではなく器具でも装着できる。
しかし、その器具の装着感は、「大リーグボール養成ギプス」に近いような違和感を伴う。
使う紐が2つ増えるし、背中はがっちりと固められて苦しい。
コンサートの最中に、肩が凝って二の腕も痛くなってきた。「大リーグボール養成ギプス」効果が
効いている感じだ。すなわち、拷問に近い。
音楽的にも、肉体的にも、苦しくて、幸先のあまりよくない今年のコンサート初めだった。
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コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。
by didoregina
プロフィール
名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem
オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。
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