「エキサイト公式プラチナブロガー」スタート!

ザルツブルク音楽祭の着物 

夏の音楽祭で纏った着物シリーズ、第二弾。
華やかに着飾った人達が集まる夏の音楽祭には何を着ていくか、これは重大テーマだ。
今年は、ザルツブルク音楽祭にデビューした。贔屓CT歌手のイエスティン・デイヴィスと
彼の檜舞台を鑑賞するために遠征した私のダブル・デビューである。

普段のオペラ鑑賞でも、特に贔屓のためのイギリス遠征では、着物選びには手間暇かける。
それが、夏の音楽祭ともなると別格である。イブニングドレス率がグンと高い場所では、
日本女性はやはり着物で勝負に臨むのがよろしい。イブニングドレスの華やかさに負けて
はならじ。
というわけで、選んだのはこの訪問着。

c0188818_18505784.jpg


毎回、遠征が近づくと、FBやツイッターに候補として選んだ着物と帯のコーディネート
写真を何枚かアップして、皆様のご意見を伺うというのが常である。
FB友には外国人が多い。彼らの意見・感想は、日本人が着物に対して持つ常識から離れ、
知識や偏見に囚われていないため、なかなかに面白い。
例えば、日本で着物で歌舞伎鑑賞に行く場合、季節や演目や贔屓に因んだ柄などを選ぶ。
それが外国でオペラ鑑賞の場合であると、そのオペラの初演(18世紀)にプリマ・ドンナ
歌手が着た衣装の色であるとか、遠征先の風景にマッチする色柄、会場の雰囲気などを
基準に彼らは選ぶのである。

今回は、3つの異なる着物とコーデの写真をSNS上にアップし、皆様のご教示を仰いだの
だが、意見百出で、私も悩んでしまった。

c0188818_19102246.jpg

まず、真夏であるから、薄手の夏物の白大島という線で行こうと思った。
抹茶色の帯は、ブログ友のVさんから昨年譲っていただいたもので、上品な唐草の織柄が
着物の模様とぴったり。某T村製で、丁度、宮尾登美子の『錦』を読み終わったばかりな
ので縁を感じた。
ところが、今年のザルツブルクはさほど暑くないようで、夜になると冷えそうだ。
遠征準備中、オランダは冷夏で、透けるような夏物を着ようという気にはなれない。

c0188818_199986.jpg

もう一枚、候補に挙げた袷の訪問着は、薄いグリーンの地に茶の濃淡で森林や山の景色を
ロウケツで描いた、いかにもザルツブルクの風景にマッチしそうな柄行である。ここで
着なかったら、一体いつ着る機会があるだろうか、と思い、これに傾きかけた。

そこへ、イエスティン君からの鶴の一声。「一番上の着物が、舞台セットにぴったり合う
よ」とのこと。
(実はそれより以前に、ザルツブルクとバイロイトには、LCCの荷物重量制限もあること
だし、ロングドレスにしようと思って準備していたのだが、ツイッターで、ザルツブルク
には洋装と着物のどちらがいいかしら、とつぶやいたところ、彼から「着物!」とのリプ
をもらったため、急きょ、着物にすることになったといういわくつき。贔屓の言葉は何よ
り重い。)

c0188818_19322545.jpg

というわけで、決まったのは、桜花の織地紋の白地に銀灰色で撒糊を散らし、黒・金・銀
で木賊を絵羽模様に描いた、すっきりと洋風なデザインと色の着物。
これは、1年以上前、イエスティン君がザルツブルク音楽祭の『皆殺しの天使』に出演す
ると決まった時、この着物で行こう!と選んでおいたものだから、以心伝心というのか、
好みが合うというべきか。舞台セットと衣装はイエスティン君曰く、60年代のブルジョワ
の集いをイメージしたものだから、この着物のレトロな雰囲気がベスト・マッチとのこと。

c0188818_19363765.jpg

千秋楽が終わってほっと寛いだ表情のイエスティン君、グリーンの着物のロンドンの
椿姫さんと。
このあと、出演者と作曲家・指揮者も含む打ち上げ飲み会に参加。イエスティン君と
婚約者とその友達のテーブルで夜更けまでオーストリア・ワインを飲みながら、新作
オペラと遠征の大成功を祝ったのだった。
[PR]
# by didoregina | 2016-08-25 19:49 | 着物 | Trackback | Comments(2)

グラインドボーンでの着物、キーワードは華やかさ

セイリング日記が続いたので、閑話休題。
昨年のグラインドボーンでの着物の写真をブログにアップしていなかった。
丁度約1年前だし、思い出に残すため、また、ヨーロッパの夏の音楽祭での着物推進派
としては、皆様のご参考になればと思い、今更ながらだがご覧いただきたい。

c0188818_1853257.jpg

グラインドボーンのご当主クリスティー家のサロン、オルガン・ルームにて。

遠征の着物選びにはいつも大騒ぎで、気温や降雨予想とにらめっこしつつ、夏物と袷の
何種類かを用意して、最終的には直前に決める。
イングランドの8月の夜ともなるとぐっと涼しくなり、グラインドボーンでは結局2年
連続、夏物ではなく袷の訪問着になった。

c0188818_1913965.jpg

淡い朱鷺色とクリーム色の中間の地色に、金で輪郭を描いたパステルカラーの遠山模様。
同行のロンドンの椿姫さんと、あれこれ事前打ち合わせするのも楽しい。
色柄とも二人で統一感があるコーデになったと思う。

夏の音楽祭、特にドレスコードがロングやタキシードの場合の着物選びのキーワードは、
華やかさ。
開演前や幕間には外の芝生の上をそぞろ歩くから、グリーンに映える色柄選びも重要。

c0188818_1955692.jpg

私のテーマは、山。だから、帯は綴れ織りで富士山を印象画風に織り出したもの。
帯は椿姫さんのもそうだが、金糸が入って暗い会場内で光彩を放つものがいい。

富士山の柄を選んだのは、『サウル』にダビデ役で出演の贔屓歌手イエスティン・
デイヴィスへのご祝儀のつもりである。
彼はその年の春、婚約を発表した。そのお祝いに、伏せると富士山の形になる
お猪口の夫婦セットをプレゼントした。そして、この帯にもお祝いの意味を込めた。
婚約者の方にもそれが分かってくれたようでうれしかった。

c0188818_19133772.jpg

イエスティン君と、帰りのシャトルバスの中で。
[PR]
# by didoregina | 2016-08-24 19:19 | 着物 | Trackback | Comments(2)

Sailing to Venice その3 アドリア海からヴェネツィアに

クロアチアのウマグからヴェネツィアに渡ったのは、プーナットのマリーナ出発から
5日目の木曜日だった。予定通り、7時半に出航。
ウマグから西に向かってアドリア海を横断する航路で、広い海に出ると特に難所はない。
途中、トリエステに向かう商業船航路であるシッピングレインを直角に超えなくてはなら
ない程度。
この日もほとんど1日中凪いでいて、海には波もなく、表面はとろりとして油のような
滑らかさ。ヴェネツィアまでの約50海里のほぼ全航程を機走。距離を稼がないといけない
航程では、風力が少ないとエンジンを使って航行ざるをえないのが残念である。

c0188818_1710253.jpg


午後2時半頃、ヴェネツィアのラグーナに入る。浅瀬が多いため、点々と杭が立っていて
掘り下げた水路を案内してくれるわけだが、やはりナヴィの機械表示に頼る。
遠くからぼうっと霞むヴェネツィアの島々が近づいてくると、長年の憧れがついに実現
することの嬉しさと緊張が刻々と高まる。


予約したマリーナは、本島とリド島の中間に位置するチェルトーザ島にあるのだが、まず
ヨットでどこまで町の中心まで行けるのか試すため、サン・マルコに舳先を進めてみた。
するとなんと、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島を越えて、ジュデッカ島を左に見て、
ほとんどサン・マルコ広場正面までヨットで進入できた。

c0188818_16432338.jpg


観光船や水上バス、モーターボートが行きかうが、ここまで来るヨットは珍しいらしく、
私たちは他の舩に乗った観光客達の格好の被写体で、皆、手を振ってくれる。
我らも、ヨットの上からサン・マルコの写真を撮りまくる。

c0188818_1647305.jpg

サン・マルコのほぼ正面まで来た。その先の大運河は狭くて、水上バスやゴンドラ、モー
ターボートで身動きとるのも大変そう。ここで引き返す。

c0188818_16505044.jpg


チェルトーザ島まで戻り、予約していたマリーナに無線で知らせると、北からそれとも
南からのアプローチですか?と訊かれる。南からと答えると、マリーナ入口までクルーが
ゴムボートで迎えに来てくれた。そこから細長い川のような浅瀬を奥深く進み、ほとんど
最奥の浮橋に案内してくれた。水上バスが発着する島の入り口から歩いて10分近くかかり
そうだ。

c0188818_1658367.jpg

ヨットの近くにはいつもヤギが4匹。ヤギのいるマリーナというのも珍しい。

このチェルトーザ島にはマリーナの他、小さな造船所とレストラン付きホテル一軒以外は
なさそうで、島の大半は公園になっている。
とても静かで、まるでどこか孤島のキャンプ場といった趣。
マリーナに舫っている舩も大半は地元民のレジャー用と思しく、外国からわざわざ来て
係留したりする人は極く少なく、まず、観光客がほとんどいない。人の溢れる喧騒のヴェ
ネツィアからこの島のマリーナに戻ると家に帰ったようにほっとする。しかし、すぐ向か
いはヴェネツィア本島というこの立地。都会からすぐの田舎。すっかり気に行ってしまった。

c0188818_1753866.jpg

マリーナから眺めたヴェネツィアの夕景。
[PR]
# by didoregina | 2016-08-23 17:11 | セイリング | Trackback | Comments(0)

Sailing to Venice その2 ロヴィニ、ウマグを経て海路国境超え

チャーターしたヨットの持ち主登録および航行範囲ライセンス問題に関しては、プーナット
で「イタリアへ行っても大丈夫なように書類は揃ってますよね」と再確認し、「ヴェネツィ
アでもどこでも大丈夫」と太鼓判を押されたので、大船に乗った気分でいた。

c0188818_18343639.jpg

火曜日朝にプーラを出発し、イストリア半島を北上。
アドリア海を横断してヴェネツイアへ渡るのに距離的に最短の港ウマグを目指す。ここの
マリーナも水曜日の停泊を予約確保した。木曜日にはヴェネツィアに着かないといけない
からだ。(なぜかというと、同乗の甥と姪は金曜日のフライトでヴェネツィアからオラン
ダに戻る必要があった。土曜日からシドニーに飛ぶ予定なので.。)

そこまでのイストリア半島では、ロヴィニ、ボレチ、フンタナ、ブルサルなど、ヴェネ
ツィアの影響の濃いイタリア風の綺麗な町がいくつかある。その区間は特に予定を立てず、
泊まる港はその日の風次第という気軽さがあった。
プーラを出て、チトー元大統領の島々を横目に見ながら進む。ロヴィニ手前の小さな島に
錨を下してランチと海水浴を楽しんだ。さて、午後はどこまで行こうか、と思いつつ、
この海域は初めてのゲストに、美しいロヴィニの姿を海上からでも見てもらおうとアプ
ローチ。

c0188818_18433614.jpg

ロヴィニの美しさに思わずウワオと歓声が漏れ、通り過ぎるのがもったいなくなった。
手前のマリーナに急遽無線で「今晩1晩停泊したいのですが、スペースはありますか」
と尋ねると、「有り余るほどですよ」との返事。さぞや混んでるだろうから、きっとここ
には泊まれないだろうと思っていたので、肩透かしというか嬉しさに、即ここに決定。
プーラからはたったの20海里である。

クロアチアが国を挙げてヨット・マリーナ開発に力を入れているのは、地中海沿岸の他
の国と比べて顕著である。立派な設備の整ったマリーナがそこかしこにあり、サーヴィ
スも至れり尽くせり。しかも、大概、美しい港町を眺めるのに最適の立地である。
4年ぶりにクロアチアでセイリングして日々感じたのは、EU加盟後の驚くべき物価上昇で、
外食もお安くないし、マリーナの停泊料金も1泊65~75ユーロになっていて、EU以前を
知る私たちは驚いた。(ヴェネツィアが安く感じられたほど。)

c0188818_18552584.jpg

マリーナからのロヴィニ、夕景

上陸してロヴィニ観光と、お洒落なレストランでの夕食で観光客気分を味わった。

クロアチアのマリーナには係留サポートをしてくれるクルーが常勤していて、ゴムボート
や自転車で桟橋まで誘導して、ムーリング・ラインを引き上げてくれたり、大変結構な
サーヴィスぶりである。
しかるに、ここのマリーナ・クルーにヨットの書類一式の入ったファイルを渡すと、中を
見ながら、「ライセンスは?」と訊く。「ライセンスは全部その中に入ってます」と言う
と、「このヨットはクロアチア籍なのか、ドイツ籍なのか?このライセンスではクロア
チア航行はできない。」と言い出すではないか。
「出発港でも確認したし、昨日プーラに泊まった時にもそんなこと言われなかったし、
書類には不備はないはず。」と反論しても、なぜか頑なな彼である。
ヨットを舫い終えると、彼が書類を持って行ったマリーナ事務所まで自分で赴き、ライセ
ンス等について確認すると「はあ?全く問題ありませんけど。」とのこと。
何ゆえに、サーヴィス・クルーは変な言いがかりをつけたのだろうか?

この疑問は、翌日解けた。
スロヴェニアとの国境に近く、出入国管理事務所のあるウマグ港に舫った際、桟橋の隣の
バースにドイツ人グループのセイリング訓練らしきヨットが入港。教官スキッパーが手慣
れた様子で、係留を手伝ってくれたマリーナ・クルーに冷えた缶ビールを手渡したのだ。
ああ、チップの要らない国に住んでいると、こういうことに気が回らない。
次男曰く「世界中で多分サーヴィス業の人たちへチップを渡す習慣がないのは、日本と
オランダだけだよ」。
これを教訓として、ヴェネツィアではマリーナ・クルーに、さっと冷えたクロアチア
ビールを渡した。そして、それは後で大層な効果をもたらすのであった。

c0188818_1919370.jpg

早朝のロヴィニ。昨日とは反対側だが、どこから見ても美しい。

ロヴィニからウマグまでも25海里ほどである。
ここのマリーナも、心配だったので事前に予約を入れておいた。しかし、それは全く必要
なかったと後で知るのだが、そのくらいこの時期のイストリア半島の港は空いていた。
マリーナに入る直前に無線で入港許可を取る。するとクルーが埠頭に来てくれるのだが、
まず「イタリアから来たのか」と訊かれた。「クロアチアからです」と答えると、「じゃ
あ、入管は必要ない」と言われて、それだけである。
もしも、スロヴェニアもしくはイタリアからこの港に入ったとして、「クロアチアから
来ました」と嘘をついてもわからないのではないか。この辺りから、国境での出入国管理
のルーズさ加減がなんとなくちらつき始めた。
しかし、私たちは正式に国境超えをしたい。だから、マリーナ事務所とは別の出入国管理
事務所および国境警察(港の埠頭にある)までパスポートを持って行って、翌日ヴェネ
ツィアに渡航する旨を伝え、書類に記入、スタンプなど押してもらった。
国境警察は朝5時から開いているとのマリーナ・クルーの話だが、実際事務所に行ってみる
と8時頃から開くとのこと。早く出発するから今日中に書類を提出したいと言うと、それは
OK。だから、出国スタンプの日付は実際とは異なるわけだが、それもOKらしい。
提出したクルーリストは戻ってこなかった。(その時のクルーは、ヴェネツィアで下船
する甥と姪も含む6名である。)

c0188818_1935864.jpg

さよなら、ロヴィニ。名残惜しそうなドリ号クルーたち。

さて、海上での国境越えの話をまとめてしまおう。
着いたヴェネツィアで、入国管理局(もしくは国境警察)に届け出ようと、マリーナ事務
所で所在地を尋ねると、警察は駅の裏辺りにありマリーナとは正反対側。水上バスで45分
かかるという。
マリーナに入管を委託する場合は約100ユーロの手数料をいただきます、とのことなので
自分たちで観光ついでに行ってみた。ちなみに、ヴェネツィアに着いたのは夕刻で、
警察はもう閉まっているから、行ったのは翌日。しかも翌日には甥と姪はオランダに発つ。
空港と方向が同じなので彼らと途中まで一緒に水上バスで警察に向かった。しかし、
今からイタリアを出る彼らの名前もクルーリストに載せて
提出するのはどうだろうか、と思い、かえってややこしくなりそうなので、4人にしてお
いた。イタリアはシェンゲン圏内なので、そこからオランダに行く飛行機に乗る彼らの
パスポート検査はないはずである。
警察に行って、クルーリストとパスポートを提出すると、商業船でないからクルーリスト
は必要ないという。
私のパスポートには、ヴェネツィアへの船による入国スタンプを押してくれた。翌々日
出国予定であるが、やはり早朝出発だし日曜日だから警察は開いていないから、翌日来て
もいい、とのことで、やっぱり日付が実際とは合っていない出国スタンプを翌日押して
もらいに再度でかけた。

片道45分もかけて行ったのだが、どうも誰も全く重要視していないというか、他に申請に
来る人も見かけなかった。
実際には6人でクロアチアから入国したわけだが、自己申告だから、実際のところは誰に
も判定しようがない。警察の開いている時間にしか申請できないので、入国・出国日時も
実際とはそれぞれ1日ずれている。
なんとも、ざるのような状況で水漏れ著しく、海上での国境管理とは難しいものだなあ、
と思ったことである。
それもこれもクロアチアがまだシェンゲンに入れてもらえないからで、それが通った暁に
はこういうばかばかしいビューロクラティックな書類業務もなくなる。
(その後、クロアチアへはノビグラド港から再入国したのだが、そこでも仰々しく書類だ
けは記入させられたが、実際にどうやって管理してるのかは全くなぞである。自己申告制
だからチェックのしようがないと思う。リエカ空港でパスポートチェックされているので、
別のところで再入国申請しなくても全く問題なくクロアチアにいられたはず。)

まあ、これもすべて経験のため、と思って、楽しんでやってみた。(そうでもなければ、
バカバカしい。)シェンゲン圏の早急な拡大を望むものである。
[PR]
# by didoregina | 2016-08-21 20:01 | セイリング | Trackback | Comments(0)

Sailing to Venice その1 クロアチアのクルク島からイストリア半島のプーラ

2016年夏のセイリングは(自分の)ヨットでヴェネツィアに行く!というのが目的で、
中学生時代からの長年の夢がとうとう叶った。
c0188818_16561422.jpg


クロアチア北部クヴァルネル湾にある大きな島クルク島南部のプーナット港からヨットを
チャーターした。今回はフロティッラという船団ではなく、ベアボートといって自分たち
のヨット一隻のみでの2週間のセイリングである。クルーは我が家族4人で、甥と姪が一部
区間メンバーに加わった。
プーナットへはリエカ空港から予約してあったタクシーで40分ほどだ。タクシーの運転手
によると、昨晩までの数日は激しいボラ(クロアチアに特有の北東からの強風)が吹きま
くり、車の運転は危険なため道路や橋は閉鎖。もちろん飛行機の欠航も相次ぎ、今日到着
の私たちは相当ラッキー!ということだ。

目的地がヴェネツィアと決まった昨年末にヨットの出発港とヨットを探し始めた。
ヴェネツィアを含むフロティッラがほとんどないことと、クロアチアでのセイリングは10
回近くしていてほぼ全海岸を知っているのと、主な寄港地であるクヴァルネル湾やイスト
リア半島の港にも停泊経験があるのでベアボートとしたが、あまり不安はなかった。
ヨットはプーナット港のギャラントというチャーター会社の、ババリア37フィート・
クルーザーに決めた。キャビン3部屋で6人は悠々と乗れる。
c0188818_17185478.jpg


12月にヨットを選んで予約、チャーター料金半額を前払いし3月にヴェネツィアのマリーナ
に予約を入れたのだが、そこに思ってもみない落とし穴が待っていた。
ヴェネツィアのマリーナが、ヨットの大きさ、持ち主証明登録その他の詳細を訊いてきた。
今までマリーナに事前予約という経験がないので、そういうものかと思ってクロアチアの
チャーター会社に問合せると、「予約のヨットは2014年建造で、当時クロアチアはEU加
盟していなかったため、その船にはクロアチア海域以外への航行許可証がありません。
従って、ヴェネツィアに行くことは不可能です。」という返事ではないか。これがなんと
4月里帰りの飛行機乗り継ぎ途中で入ったメイルで、青天の霹靂。一気に暗雲が立ち込めた。

ヴェネツィアが目的でヨットをチャーターしたのに行けないとなると、全ての計画を立て
直さなければならない。オランダに戻ってからチャーター会社にその旨連絡、妥協案として
「2015年建造の同型ヨットならEU海域航行も可能です。現在、同じ時期にそのヨットの
予約が入っていますが、交渉次第では交換してくれるかもしれません。その代り250ユーロ
増しになります。」という返事。とにかく、少々高くなってもいいから、拝み倒してでも
交換してくださいと頼んだ。数日後、交換OKとの連絡がきて、胸をほっとなでおろしたの
だった。
しかし、危ないところだった。もしも、ヴェネツィアのマリーナに事前予約を入れてなかっ
たら、このことは現地に着くまで知らず、直前になってクロアチアから出られなくなって
いたのかもしれない。うううむ、納得いかない点は残るものの、問題は一つクリアできた。

納得いかないというのは、クロアチアのEU加盟は2012年であり、EU云々が理由なのであ
れば2014年建造の船でも2015年の船でも変わりはないはずである。
ただし、クロアチアは未だシェンゲン圏には入っておらず、国境ではパスポート・チェック
がある。

c0188818_17462671.jpg

クルク島プーナットから1日目のセイリングは35海里(約55キロメートル)。
ツレス島沿いに南下して、ロシニ島のイロヴィックという細長い入り江のブイに
係留。古城の前で快適。対岸の村には上陸せず自炊し、一晩ヨットで過ごす。

翌日の目的地はイストリア半島南端の都市プーラである。
実はプーナットからのクルーは、主人、私、長男、甥の4人で、次男と姪はユトレヒト大学
の所属クラブ創立何十年祭パーティ出席のため、土曜日出発が叶わず、月曜日にプーラで
合流することになっていた。
つまり、ボラが吹こうが何だろうが、月曜日にはプーラにいないといけないというプレッ
シャーがあった。
プーラには何度か行っているから不安はないものの、市内および近隣に3つのマリーナが
あり、さてそのどこに寄港して2人を乗せるのがよいだろうという問題があった。
一番いいのは町中のマリーナで、目の前がローマ時代の闘技場という絶景。しかし混雑が
予想され、場所が確保できるかどうかわからない。このことを出発前にチャーター会社に
話すと、マリーナに電話予約すれば?とのこと。そうか、そういう手があった。出発港内
ではヨットのWi-Fiもスイスイだったので、プーラ・マリーナにオンライン予約をした。
これで目的港が決まり一安心。
立地は町中だし、合流もしやすい。

この日もあまり風がなく、午後2時間くらい帆走したのみで、朝早く発ったが午前中ずっと
エンジンを使った機走。予約してあるから、マリーナにはあまり早く着く必要はない。午後
5時頃を目安にプーラに向かった。走行距離は45海里(約73キロメートル)だが、ヨットだ
と8~10時間かかる。

c0188818_1816787.jpg


プーラ市内一等地にあるこのマリーナは比較的小規模だから、フロティッラでは寄港しない。
ベアボートのよさだ。11年前に初めてここに舫って、目の前にある闘技場を肴に飲んだワイ
ンの味は忘れられない。
夜9時すぎに、空港からバスで町に着いた次男と姪もヨットに乗り込み、6人でまた自炊の
食事をとった。

c0188818_182196.jpg


今回のヨット、ドリ号は、さすがに昨年建造されたばかりで新しく、なにより中も外も居住
空間が広いく快適なのと、様々な細かい工夫が要所要所にあってうれしい。ヨット・デザイ
ンも日進月歩である。
[PR]
# by didoregina | 2016-08-19 18:25 | セイリング | Trackback | Comments(0)

Orlando, もしくは防人の歌


c0188818_1921446.jpg

Händel - Orlando, HWV 31 @ Conertgebouw, Amsterdam 2016年3月7日
The English Concert
Harry Bicket - harpsichord/conductor
Carolyn Sampson - Dorinda
Erin Morley - Angelica
Iestyn Davies - Orlando
Sasha Cooke - Medoro
Kyle Ketelsen - Zoroastro

オルランドというのは、ヘンデルのオペラの主人公の中でも特異さでは際立っている。
心変わりしたアンジェリカ姫をひたすら一方通行の片恋で慕った挙句の物狂いの様子は
ほとんどストーカーになる一歩手前だが、生まれや位の貴賤は関係なく人間ならだれでも
経験しうる人生の苦みがにじみ出ている。
恋する相手につれなくされた哀しみが狂気に変容・凝固した姿が、オルランドでは文字通り
”痛い”ほど晒される。観客はそこに己を投影し、痛みを共感するのである。

さて、イエスティン君オルランドはいかに?そして、オペラ『オルランド』全体としての出来
映えは?

アムステルダム公演に先駆けて、ウィーン、バーミンガム、ロンドンと時間をかけてツアー
しているのだが、一週間前のバービカンでの公演評には5つ星もいくつか出て、各紙こぞって
絶賛していた。こういう時、私の場合かえって眉唾で臨んでしまうのが常だ。なにしろ、
イギリス人指揮者と古楽アンサンブルによる演奏にイギリス人歌手2人(イエスティン君と
サンプソン)それにアメリカ人3人のキャストであるから、ほとんどアングロサクソンで固めたと
言ってよい陣容だから、英国人の好みにハマるだろうことは容易に想像がつく。

c0188818_205584.jpg

蓋を開けて見ると、歌手陣には若手が揃い、しかも英語を母国語とする人たちという共通点
のみならず、歌唱様式も非常に似通っている。すなわち、一人だけ特出したり様式上異質
だったり、個性の強い歌手の集まりのため音楽表現が各人バラバラで寄せ集め感が漂うと
いうことがまずない。歌手同士そしてオケとも調和が取れ、全体としてのまとまりが抜群である
ため、コンサート形式でありながらしっかりオペラ鑑賞したという満足感を聴衆に与えたことは
特筆すべきだろう。
また、アムステルダム公演はツアーの後半でもあり、それまでの舞台での実地練習も経て、
各人もこなれ、コンディションは最高ということもよくわかるのだった。

このプロダクションでは、非常に狭い舞台という制約があるのに、歌手たちは少々の演技も
行っていた。
それから、ストーリーの流れをぶち壊すようなレチやアリアの大幅な省略もなかった。すなわち、
コンサート形式でのオペラ上演がしばしば陥る歌謡ショーのような形式にならずにすんだ。
そして、舞台上にはオランダ語字幕も出ていた。アムステルダム公演は一回こっきりなのに、
これはかなり上質なサービスだと言えよう。印刷されたリブレットや対訳を読みながら舞台も見る
というのは難しいことなのだ。

演技といえば、イエスティン君は上目づかいで額に青筋を立てたり、暗い狂気の色を目に
浮かべたり、はたまたうなだれたり放心して椅子や階段に座ったり、とエネルギッシュで
迫真の演技を見せ、オルランドになりきっていた。情熱の発散のしようがない片恋と実のない
任務という状況下で鬱屈した若者の姿を熱演し、拍手喝采であった。(他の歌手には歌って
いる時の表情以外では演技と言えるほどの演技はなかった。)

c0188818_2042682.jpg

ドリンダ役のキャロリン・サンプソンとアンジェリカ役のエリン・モーリー

お姫様と羊飼いという対照的な役ではあるが、2人のソプラノはどちらもナイーブでイノセントな
娘らしい清楚な品のよさが要求される点では共通している。魔女や悪女ではないのである。
ドリンダ役のサンプソンには、バッハやモーツアルトのミサ曲やカンタータよりも、ヘンデルの
オラトリオやオペラの方がずっと合っていると思う。明るさのある清澄な声質はとても上品で、
クライマックスでは余裕ある声量を響かせながら格調高さを失わない。大げさでない表情の
演技も悪くない。来季は、オランダ各地のホールにやたらと登場する彼女である。様々な面を
見せてくれるだろうから楽しみである。
また、アンジェリカ役のエリン・モーリーは初めて聴いたのだが、サンプソンと堂々と張り合える
実力で、しっかりとした土台の上に乗った安定した歌唱で驚かせてくれた。アングロサクソン系
歌手らしいストレートな癖のない声が、ヘンデルのお姫様役にぴったりである。

c0188818_20573146.jpg

ゾロアストロ役のカイル・ケテルセンとメドーロ役のサシャ・クック

メドーロ役には女声というのが伝統的配役で、このサシャ・クックという歌手も初めて聴いたの
だが、ルックスに似合わず実に堂々とした太い声のパワフルな歌唱である。
この3人の女声で歌われる三重唱は親和力抜群。彼女達のモーツアルトなど聴いてみたいな
と思わせる。

カイル・ケテルセンの歌声を生で聴くのを楽しみにしていた。溌剌とした若々しさのある好みの
声である。よくありがちな、太ったバスの歌手が体格に頼んで底太な声をビンビン響かせる
ようなのは下品で苦手だが、その正反対でほっとした。ノーブルな軽い味があるから、彼も
モーツアルトで聴いてみたい。

c0188818_2264778.jpg


何といっても、オペラ『オルランド』はオルランド一人で持つ、と言ってもいいほど物語の軸
の中心となる。
騎士オルランドの物語は、やるせなく悲しい。シャルルマーニュの時代に辺境警備をしていた
高貴な騎士の憤懣と無念の錯綜する思いに、律令制時代の日本で丁度同じ頃、九州での
警備任務を課せられた東国の防人の哀しさが私の中で二重写しになり、苛烈な状況下での
過酷なくびきの下に置かれた彼らに同情を禁じ得ない。

Fammi Conbattere、騎士として先走りと空回りの決意の歌は勇ましく、前半のハイライトだ。
手に汗握りつつ、イエスティン君のこの歌を聴いた。最初から最後までテクニック的に破たん
なく、緊張感も途切れず、力強い喉を惜しみなく使いアジリタも決めたので、まずはほっとした。
コンセルトヘボウの客は、総じてレベルが高いと思うのだが、前半はアリアごとの拍手などなく、
音楽の流れやストーリーを分断することなく緊張感が続いた。任務にも恋にも生真面目なあまり、
逃げ場のない袋小路に追いつめられたオルランドの心がピンと張った糸のようになっていく、
張り詰めた緊張感が前半はそうして客席との期待とともに高まっていった。

私にとってのハイライトは、後半のCielo! Se tu il contentiだった。絶望と怒りに心が支配
され、張り裂ける胸の痛みかれ救われるには死しかないという思い、狂気への兆しが見え隠れ
する絶唱である。ここでは高音から低音までの幅が広いのと高音で駆け抜けるアジリタ、
そして低音への跳躍もあるから気が抜けない。一か所だけ、コンテンティの低い音が上手く
聞えなかったのが残念だったが、それ以外は、強弱のメリハリ、声の明暗の変化などめくる
めく疾風のような歌唱を聴かせてくれた。連続発射装置の付いた機関銃のような正確さで
アジリタを飛ばすのだった。
声域的に比較的低めのオルランド役というのは、現在のイエスティン君の男性らしい歌声と
声域にぴったりだと確信できた。特に今シーズンは体調も絶好調、喉には今までにない艶と
深みが増してきている。
自身に咎はないのに誠実すぎることが罪であるかのように報われず、同情を惹くアンチ・ヒー
ローという役どころも甘い坊ちゃん的風貌の彼、にうってつけだ。

c0188818_2214845.jpg


後半から、客席にもオペラを楽しむ余裕が出たようで、アリアごとの拍手が多くなっていった。
このオペラ全体での頂点は、オルランド狂乱の場である。
上着を脱いで、(もともと下に着ているシャツには襟がなく胸ぐりが割と大きく取られている)
シャツの裾を出してしかも一番下のボタンを外し、野営のやつれと自棄自暴になった様を表し、
細かい点までけっこう凝った演技ぶりである。
狂と躁が交錯して、ころころと変わるオルランドの心を映し出すVaghe Pupilleは、調もテンポ
も一定しないかのように変化し、どこかモダンなところのあるのアリアだ。狂気と正気を行ったり
来たりで、ダカーポも破調で変化激しい。ああ、終わってくれるな、もっと繰り返してほしい、
と叶わぬ望みを願いつつ聴いていたのだった。

c0188818_22155385.jpg


コンサート形式のバロック・オペラ上演は、下手をすると歌合戦と化して、オペラとしてトータル
に楽しむことができず、隔靴掻痒というか鑑賞の充実感に欠けることがえてして多いものだが、
今回の『オルランド』は、全体のバランスがとてもよく取れていた。指揮のビケットは出すぎず、
イングリッシュ・コンサートの演奏も、イギリスの古楽オケにありがちな優等生的でまったりして
つまらないということはなく、適度に引き締まって、過剰な分はないが、上品な抑制が利いた
ものだった。特にコンミスがピッシリと演奏を引っ張っているのが印象に残った。
[PR]
# by didoregina | 2016-03-09 22:29 | イエスティン・デイヴィス | Trackback(1) | Comments(2)

Grayson Perry 回顧展 "Hold Your Beliefs Lightly"

ボネファンテン美術館がこのところ大きく気を吐いている。それまでは、面白く見てよかったと
心から満足できる展覧会は、大体4,5年に一度の割でしか遭遇できなかったのが、4年前に
館長が替わってから、ツボを押さえたようなヒット続きである。
今回は、グレイソン・ペリーの回顧展。(2016年2月26日から6月5日まで。)

c0188818_20221024.jpg


実はこの展覧会に行くまでは、彼のことも作品も寡聞にして知らなかった。しかし、オープ
ニングの写真や新聞記事その他を目にして、これは絶対に面白そうだ、とピンときた。
そして、水曜昼からの学芸員によるガイド・ツアーがあるので、急遽参加・鑑賞してみると、
予想を大きく上回る感動に巡り合えたのだった。

まずは、前回の大ヒットCeramix展の続きのような感じの陶器の展示室から。

c0188818_20245336.jpg


元々は陶芸から出発したペリーである。陶土の持つ土臭さと素朴な造形に、絵柄やデザインに
捻りを効かせた彼独特のセンスが発揮されているのだが、それは、男性という性のマッチョさが
具象的に表現されつつ、女装も好きなフェミニンな彼の心の優しさが加味されて独特の美しさが
ある。

女装趣味が嵩じて、セントラル・セント・マーティンズの学生たちにコンペで作ってもらうドレスも
彼のトレードマークだが、それが恐ろしく似合う。
このドレスは真珠やビーズの刺繍が施され手の込んだものだが、よく見ると刺繍の柄が男性器。

c0188818_21132612.jpg


幸福とはいえない複雑な家庭環境で育ったことから、アラン・ミーズルズと名付けたテディベア
を友人とし、作品モチーフのそこここに登場させている。
それはタペストリーの細かい絵柄の中にいくつも潜んでいたり、神格化されたミーズルズを祀る
祭壇のようなものが作品であったり。そして、シュタイフのテディベア博物館を訪問したり。

c0188818_2173557.jpg

作品展示室とは別に2部屋で、彼を紹介するドキュメンタリー・ヴィデオが上映されている。
彼の作品を楽しみ理解するのに非常に役に立つ。というより、何の説明もなしに展示作品だけ
見ても楽しみは半分以下である。

大英博物館での、各地の民族的収集物や考古学的に非常に価値のある作品と並んで、彼の
作品が展示された時のドキュが面白い。それらは恐ろしいほどの対比を見せるのだが、しかし、
全く違和感なく調和している。そして、並べるとどちらが彼の作品でどちらが考古学的遺跡なのか、
わからなくなったりする。その秘密を明かすように彼は言う。I'm not a contemporary artist,
I'm just an artist.

c0188818_2051138.jpg


全室をガイド・ツアーでざっと見た後、Julie's Houseというプロジェクトのヴィデオを見て、彼の
普通の人間に対する優しい視線、女性存在そのものへの共鳴の本質が理解できた。
架空のジュリーという女性の一生の物語をタペストリーと絵で物語にし、彼女のための神殿とも
いえる家をエセックス州の海岸に近い寒村に建てるというプロジェクトである。
自分が育った実際の町や見知った風景をジュリーの住んだ場所と定め、ごく平凡な女性が辿る
少しだけ波風の立った一生というストーリーを美術作品に仕立てるのだが、その家は神殿らしく
外壁や内装のタイルの一つ一つが手作りでとても手の込んだ美しい建物である。

c0188818_2194433.jpg


完成したジュリーの家にエセックス州在住のジュリーと言う名の女性6人ほどを招く。自転車で、
彼女らと架空のジュリーに関わる場所を回り、最後に完成したばかりのジュリーの家に行き
「これは、あなたたちのための家よ」と女装したペリーが言うと、ジュリーたちは感極まる。
ごくごく普通の女性が逞しく生きることへの共感と優しい視線が、その建物の隅々にまで充満して
いるからだ。

c0188818_2161811.jpg

ジュリーの一生の一コマ、スナップショット
[PR]
# by didoregina | 2016-03-03 21:16 | 美術 | Trackback | Comments(0)

VERYFAIRY もしくはセミオペラの勝利

地元の音大(在学生及び卒業生)と演劇学校のコラボによる、セミオペラVERYFAIRYは
パーセルの『妖精の女王』翻案舞台として画期的に素晴らしい出来だった。

c0188818_18404958.jpgTekst: William Shakespeare |
Muziek: Henry Purcell |
Vertaling: Johan Boonen |
Regie: Aram Adriaanse | Regie-assistentie: Amanda Dekker |
Muzikale leiding: The Continuo Company onder leiding van
Arjen Verhage en Jenny Thomas |
Spel: Alex Hendrickx, Bart Bijnens, Sofie Porro, Willemien Slot |
Zang: Mami Kamezaki, Sandrine Mairesse, Florence Minon,
Krisztián Egyed, Raoul Reimersdal |
Begeleidend ensemble: The Continuo Company onder leiding van
Arjen Verhage en Jenny Thomas en studenten Conservatorium
Maastricht |
Toneelbeeld: Rebecca Downs |
Kostuums: Frances Loch |
Coaching zang: Claron McFadden, zangdocenten Conservatorium
en Toneelacademie |

VERYFAIRY 2016年2月25日@Toneelacademie Maastricht

舞台は一面に15センチくらいの長さの黒いひも状の繊維が厚く敷き詰められ、左奥に
器楽演奏家(チェンバロ、テオルボ、ハープの通奏低音、リコーダー3名とヴァイオリン4名)
が陣取っている。正面奥に映写用に使われるようなスクリーン状の幕が下がっている他、
大道具は天井からかなり下の方に下げられたPL電灯が4、5個のみ。そのうちの一つは
舞台で座れるほどの高さに降りていて、すなわちベンチやブランコとして使用。

序曲の場面では、男女のペア4,5組が半円の形に立って微笑み見つめあいながら、一人
ずつ移動しては次つぎと異なるカップルを形成していく。展開されるストーリーをここで示唆し
ている。

そのうち白い服の男女4人が芝居の登場人物で、青い服の男女5人が歌手であることが
後でわかるのだった。すなわち、白い服の男女は人間で、青い服の男女は妖精である。

シェイクスピアの『真夏の夜の夢』に基づいてパーセルが作ったセミオペラ『妖精の女王』は
それまでに2回、生で鑑賞しているのだが、いずれもこのジャンルの上演の難しさが痛ましい
ほど実感できるのであった。
そのうちの一つはいかにも苦労してセミオペラという形式に則りましたという感じで、役者が
語る台詞(ほとんど朗読)とダンス、歌手が歌う歌と器楽演奏とが、分離したまま全く
有機的に結合されていない演出で、咀嚼不足感が免れないものであった。
次に鑑賞したのは、コンセルトヘボウでのコンサート形式で、ヨハネット・ゾマーがメインのソリ
ストである以外は合唱団員がソロ・パートを歌うというもので、それもまた台詞が省かれている
分、そしてゾマー以外の歌手に華がない分、中途半端な出来であった。

しかるに、今回は学生がメインである故、歌は少々迫力不足であるものの、演劇学生による
芝居の熱演がそれを補って余りある、見応えのある舞台になっているのだった。
今回初めて、このセミオペラのよさがわかり、心から楽しめた。
パーセルらしが凝縮された音楽が、夢と現、魔界と人間界、森と町、男女という様々な対極を
きらびやかに映し出す。リサイタルなどで歌われることが多い珠玉のようなそれらの歌の一つ
一つがストーリー展開に繋がりセミオペラの全体を成すと、その良さがより一層しみじみと味わえ
るのだ。今までにない満足感を得ることができた。

それはなんといっても、舞台上を飛び回り、転げまわり、もつれあい、怒鳴り合う、2組のカッ
プル、ハーミアとライサンダー、ヘレナとディミートリアス役4人の役者の演技の迫力に負う
ところが多いのだが、演奏される音楽も歌も演技と隔離せず、しっかり寄り添うようにできて
いる演出も素晴らしい。
歌手も演技に加わるし、役者も歌う。人間と妖精との違いが説明がなくとも白と青の衣装と
いう見かけでハッキリと区別されているのがポイントである。妖精達には女王や王という威厳
はなく、(ティターニアとオベロンのケンカは省かれて、人間カップルのドタバタだけにストー
リーは集中)悪戯っ子達の集まりのようなシンプルさもいい効果を生んでいる。
(ダブルいざこざというシェイクスピアらしい楽しさが省かれてるのは遺憾ではあるが、若さに
焦点を当てるというコンセプトが理解できる)

セミオペラ成功のカギと言うのは、あれもこれもと様々な要素を入れ込まずに、一点集中
(今回は人間カップル2組のごたこたの芝居)することで、歌や器楽演奏など、他の要素が
かえって生きてくるし聴きごたえあるという、一見逆説的ながら素晴らしく効果的ですっきり
する答えがここに示されたのだった。

10月にアカデミー・オブ・エインシェント・ミュージックがイエスティン・ディヴィスを含むソリストで
パーセル『妖精の女王』をセミ・ステージ形式で上演(多分ツアーで)するのだが、どういう
セミオペラになるのか、楽しみだ。
[PR]
# by didoregina | 2016-02-27 19:47 | オペラ実演 | Trackback | Comments(0)

クリスティアン・ベザイデンホウトとアンネ・ソフィー・フォン・オッターのコンサート

c0188818_17563749.jpg

Ludwig van Beethoven Meilied opus 52 nr 4 (1805)
Sehnsucht WoO 146 (Die stille Nacht) (1816)
In questa tomba oscura (1807)
Aus Goethe’s Faust op. 75 nr. 3: Es war einmal ein König (1792/1809)

Wolfgang Amadeus Mozart Rondo in a KV511 (piano solo)(1787)

Franz Schubert Adagio in G D178 (piano solo)(1815)

Joseph Haydn Cantate Arianna a Naxos (1789)

Pauze

Adolf Fredrik Lindblad Der schlummernde Amor
Svanvits sång
En sommardag

Franz Schubert Der Winterabend D938 (1828)

Wofgang Amadeus Mozart Allemande from Suite in C KV 399 (piano solo)

Ludwig van Beethoven Rondo in C op. 51 nr. 1 (piano solo)(1796/97)

Franz Schubert Die junge Nonne D828 (1825)
Dass sie hier gewesen D775 (1823), An Silvia D891 (1826),
Der Musensohn D764 (1822)


先月は、我が町の我が合唱団の本拠地であるチャペルでクリスのコンサートがあった
というのに、その晩はロッテルダムのムジカ・エテルナのコンサートに行ってしまった。
今回は、クリスのフォルテピアノ伴奏でフォン・オッターが様々な歌曲やカンタータを歌うと
いう、なかなかめったに聴けないプログラムである。当然ながら、チケットは早くから
売り切れであった。

コンサート前にクリスによるフォルテピアノに関するプレ・トークがあるというお知らせが来た
ので、開演1時間前に会場に入るつもりだった。エイントホーフェンなら車でも電車でも1時間。
ホールは駅から徒歩5分なので電車で行くほうが安上がりと、早めに家を出たのだが。。。
駅に着いたらOVカード(スイカみたいなプリペイ・カードでオランダ全国の公共交通機関
共通)を忘れて来たことに気付いた。私のは平日朝9時以降と週末は一日中40%オフ
になる記名式アボネ・カードなので、これがないと痛い。主人に電話し持ってきてもらうが、
電車を一つ逃してしまった。
当初の予定より20分ほど遅れてホールに到着、トークはすでに始まっていたが、2階バル
コンにそっと入れてもらえた。

クリスは、なかなか素敵な私服にトレンディな横長の大き目のプラスチック・フレームの眼鏡、
カットしたばかりの新しい髪形で、舞台に立ってモーツアルトやロマン派の鍵盤曲をフォルテ
ピアノで演奏する意義(多分)というテーマで話している最中であった。
しかしながら、私が入ってから1,2分経つとトークは終わり、質疑応答になってしまった。
つまりトークのほとんどの部分を聴き逃したことになる。トークと質疑応答で印象に残っている
のは、「古楽の盛んなこの辺りではフォルテピアノ演奏というものが当たり前のように普及して
いるので聴衆にシリアスに受け止められ演奏会もしやすい。まだまだフォルテピアノ未開発の
ところに行くと、まるで見世物みたいなノリで聴きに来られる。」と、「シリアスに」という
単語を2回使って、普及活動に奮闘する彼の別の姿を垣間見せてくれたこと。
なるほど、そういえば、3年前の名古屋でのクリスのフォルテピアノ演奏会終演後、聴衆は
舞台に上がらせてもらえ、フォルテピアノを間近に(多分初めて)見る機会を与えられ、
調律師だったか楽器の持ち主だったかに色々説明を受け、楽器を取り囲んだ皆さんは興奮
気味だった。
まるで、種子島への鉄砲伝来、みたいなノリ。聴衆の大部分はフォルテピアノという珍しい
楽器に遭遇できたことで浮きたち、そのため、フォアイエでのご本人のサイン会は閑古鳥という、
ちょっと哀しい状況が展開したことを思い出した。まさしくあの時、フォルテピアノの存在自体が
見世物であった。。。。

c0188818_1848083.jpg


さて、コンサートが始まるとクリスのフォルテピアノ伴奏とフォン・オッターの歌唱との相性は
いかに、というのがまず一番の関心事だった。
私の座席は、小ホール右側バルコンの最前列で舞台に近く、舞台を斜め上から見る位置で、
フォルテピアノ演奏を聴くにも、歌手や演奏者の顔の表情を見るにもよい席だった。
このホールはこじんまりとして、余分な残響が全くなくドライに近いがニュートラルな音響で、
今回のようなコンサート(歌曲リサイタル)にはぴったり。
使用されたフォルテピアノに関する説明もプレトークではあったのだろうが、遅れたため
聞き逃した。
プログラムおよび楽器デザインから察するに、1800年から1830年代のウィーン製ではない
かと思われる。多分オランダのコレクターの持ち物で、今までにもこの楽器による演奏を何度か
聴いたことがあるはずだ。

この晩のフォルテピアノの音色は、歌手に寄り添う伴奏としての絶妙なニュアンスと色合いが
いつもより明白であった。ペダルを使って強弱の幅が広く出せるようで、特に力をふっと抜いた
弱音でのさりげなく美しい音がため息のように聴こえるのだった。それは、クリスの表現力の
またしても進化と呼ぶべきものか、伴奏者として歌手に息を合わせるためのテクニックゆえ
なのか。
フォン・オッターの歌唱も、肩の力を抜いたような、いささかも力を込めすぎず、自然な美しい
発音と発声で聴く者の心をほっこりさせる。ベートーベンの歌曲は今まであまり聴く機会が
なかったが、いかにもドイツ語らしい脚韻がリズミカルなのだが大仰でなく典雅。
前半最後の曲、ハイドンのカンタータ『ナクソス島のアリアンナ』が白眉で、イタリア語でかき
口説くように歌われる嘆きの歌が耳に懐かしい。オペラチックかつドラマチックな盛り上げ方も
大人の余裕と言うか、抑制が効いていて上品なのだった。また、彼女が出演するオペラを
生で聴きたい。(多分、この夏実現するはず。)

歌の合間に4曲ピアノソロが入るのだが、いずれも珠玉というべき小品で、クリスのフォルテ
ピアノ演奏では、こういう曲を聴くのがバリバリと弾くソナタよりもずっと楽しみなのだ。
自分もピアノで習ったことがある、難易度的にはそれほど高くない曲ばかりだが、彼によって
弾かれると、子供っぽさがまるでなく、流麗でいて可憐、しかも仰々しいロマンシズムに走り
すぎず、なるほど、これこそ究極の中庸の美だ、と目から鱗がポロポロ落ちるのだった。
そして、彼のように弾いてみたいという思いに駆られるのだ。
(今回、歌の伴奏の時だけでなく、ソロでも全部楽譜を見ながら弾いていた。クリスが暗譜で
なく演奏するのを見るのは初めてではなかろうか。また、顔芸も以前ほど大仰ではなくなって
いるように思えた。)

c0188818_23491227.jpg

この二人の相性は抜群、しかもフォン・オッターの声とフォルテピアノとの相性も抜群ということが
しみじみと感じられるコンサートだった。
[PR]
# by didoregina | 2016-02-14 19:04 | コンサート | Trackback(2) | Comments(0)

Ariodante @ DNO  サラ様『アリオダンテ』は「小間使いの日記」風

サラ・コノリーが題名役、ポリネッソ役にソニア・プリーナ、そしてダリンダ役がサンドリーヌ・
ピオーというトリプルSが揃い踏みの期待の舞台『アリオダンテ』@DNO千秋楽公演を鑑賞
した。このプロダクションは、エクサンプロヴァンス音楽祭との共同制作で、かの地では2年前
のフェスティヴァルで上演され賛否両論かしましかった。全編がYTにアップされているが、
わたしは敢えてアムステルダムでの実演鑑賞までサラ様の歌う場面を除いては見ないように
して、ほぼ白紙の状態で臨んだ。

c0188818_18263582.jpg


2016年2月3日 De Nationale Opera & Ballet in Amsterdam
Muzikale leiding Andrea Marcon
Regie Richard Jones
Decor en kostuums Ultz
Licht Mimi Jordan Sherin
Choreografie Lucy Burge
Regie poppenspel Finn Caldwell
Ontwerp poppen Nick Barnes en Finn Caldwell
Orkest Concerto Köln
Koor van De Nationale Opera i.s.m. jonge zangers in het kader van De Nationale
Opera «talent»
Instudering Ching-Lien Wu

Re di Scozia Luca Tittoto
Ariodante Sarah Connolly
Ginevra Anett Fritsch
Lurcanio Andrew Tortise
Polinesso Sonia Prina
Dalinda Sandrine Piau
Odoardo Christopher Diffey
Poppenspelers Sam Clark, Kate Colebrook, Louise Kempton, Shaun McKee

舞台は、いかにもリチャード・ジョーンズ好みの例のあれ。と言うだけではピンとこないという
向きのために補足すると、質素な内装の家の天井・屋根と客席に向いた正面の壁一面を取り
払った造りで、下手から玄関、キッチン、ダイニングルーム、ジネーブラの部屋と一列に続き、
その中でホームドラマが演じられるという仕掛けである。
原作ではスコットランド王家の権力争いと愛憎が交錯するドラマだが、時代設定はインテリアや
衣装から察するに前世期後半あたりで、王家は寒村の人々の支持と忠心を受ける有力者の家系
もしくは因習に縛られた素封家に置き換えられていて、違和感はない。
登場人物には高貴な家柄らしき人はいず、アリオダンテは漁師、ポリネッソは牧師、ダリンダは
王女に仕える侍女ではなく、小間使いという趣。

c0188818_191486.jpg


スコットランド辺境の寒風吹きすさぶ小さな漁村では、牧師の持つ権力・影響力には想像を絶
するものがあることは徐々に明らかにされるのだが、序曲の間、牧師ポリネッソが説教を行い、
聴こえないその言葉が字幕に出てくるという点にもまず強調されている。
そして、神の威光で人々を目くらましにして自らの欲望のおもむくまま、悪事を働くのである。
そのポリネッソ役のソニア・プリーナの演技の上手さ。憎まれ役ながら、役得とも言えるのだが
この村を裏から支配しているのは、村長(王)ではなく、因習・妄信を利用したポリネッソなのだ
ということを体現している。
彼女は小柄ながら、ヘアメイクと衣装と態度とドスの利いた低音の独特の声で、嫌な男ポリネッ
ソを堂々と好演。ただ、今回は、どうも声があまり飛ばず、難しい低音域でのアジリタの切れが
イマイチだったのだけが、残念だった。

そのポリネッソに横恋慕されるイノセントそのもののジネーブラ役は、アネット・フリッチュ。彼女の
実演は初めて聴くのだが、特に秀でた個性はないものの無難にこの役を務めた。牧師に凌辱され
無実の罪を着せられ、精神的に不安定になり、だれからも理解されずに墜ちて行くという、哀れを
極めるこのジネーブラは若い女性の存在がいかに簡単に悪漢の餌食となりうるかという弱者その
ものの存在を示すのだが、最後のシーンでは、弄ばれるだけだった弱い女が自らの意志を持って
家を出る強い決意の表れという風にも受け取られる。

c0188818_19304219.jpg

ジネーブラと相思相愛のアリオダンテは、若いためか人生経験が足りず、ちょっとした諫言を信じて
ジネーブラから去り、絶望のあまり自ら海に飛び込む。最初から最後まで一貫して弱々しい男という
難しい設定で、それをサラ様はどう演じて歌うのか、これがまず第一の見どころ・聴きどころである。
この辺りが予想以上に説得力あるドラマになっている演出の力、ジョーンズの目の付け所にまず
脱帽した。北欧映画のようにリアリスティックかつシリアスな芝居構成になっていて、それを粘っこ
いまでにスローテンポの音楽でこれでもかと悲劇性を上塗りしていくのである。
だから、アリオダンテの絶望の歌Scherza Infidaは、なんと13分にも及ぶ。前奏からしてもう
ヴァイオリンの演奏もタメを効かせた演歌調。これ以上スローにしたら歌えないのではないか、と
危ぶむほどのテンポをマルコンは破綻させずに最後まで持っていくのだった。演出に合致した演奏
とテンポであるが、マニエリスティックになるぎりぎりの線だ。
サラ様は、顔面蒼白でしかも呆然自失という態で、しかし歌い方は比較的淡々としていた。今まで
サラ様の歌うこのアリアは実演を2回聴いているのだが、今回のは非常に異質というか異常性を
前面にだしたものだった。
あまりに悠揚迫らずくどいほど粘液質の演奏であったためか、途中でフライング拍手が、多分若い
観客から起きてしまったほど。しかし、緊張感はそのまま二度の休憩を経ても続いたのだった。

このシリアスなホームドラマの最初から最後まで舞台にほぼ出ずっぱなしなのが、ダリンダである。
サンドリーヌ・ピオーのあっさりした存在感ある演技と、それに反して情熱ほとばしる歌唱とが全編
を引き締める。「あなたがジネーブラ役ではないのが残念」と丁度一年前『アルチーナ』に主演
した時、サイン会でピオーに言ったのだが、「いえ、歌は比較的少ないけど、重要な役で大変
なのよ」とか何とかの返事だったように思う。
小間使いの屈折した心理、クルクルとネズミのように健気に働き、主に尽くさなければならない
立場をわきまえてはいるものの、愛と人並みの幸せを得たいという儚い望みと裏腹の、主人に対
するジェラシーと意地悪な気持ちが抑えてはいても出てくる。そういう人物設定のダリンダ=ピオー
が、このプロダクションでは光る。

人形劇を挿入して、アリオダンテとジネーブラの未来(夢と現実)を予言し表現するという手法も
絶品。
c0188818_2012362.jpg


ありえねえ、と切って捨てられるような展開や場面がなく、悲劇が淡々と北海の荒い波のように
押し寄せ緊張感のあるドラマなのだが、最後にポリネッソが倒され悪事を告白、正義は勝つという
展開になった時はそれまでの流れに比較してご都合主義に感じられたのか、客席から笑いが出た。

Dopo Notteは通常、暗い夜の闇が去ったという歓喜のアリアなのだが、このプロダクションでは
手放しで喜べないエンディングになっているため、サラ様の歌にも感情はごくごく抑えられていた。
この歌でば~っと一気にカタルシスという具合には行かないのが残念だが、さすがサラ様、微妙
な状況と心情を、絶妙に歌っている。コンサート形式であったら、ここで一気に最高潮に登りつめ
るのだがなあ、とファンとしてはほんのちょっぴり心残りだが、それを望んではいけないのであった。

c0188818_20104266.jpg

[PR]
# by didoregina | 2016-02-06 20:13 | オペラ実演 | Trackback | Comments(0)


コンサート、オペラ、映画、着物、ヴァカンスなど非日常の悦しみをつづります。


by didoregina

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

プロフィール

名前:レイネ
別名: didoregina
性別:女性
モットー:Carpe diem

オランダ在住ですが、国境を越えてベルギー、ドイツのオペラやコンサートにも。
ハレのおでかけには着物、を実践しています。
音楽、美術、映画を源泉に、美の感動を言葉にしていきます。


最新のコメント

ロンドンの椿姫さま、この..
by レイネ at 14:33
初のザルツブルグ音楽祭で..
by ロンドンの椿姫 at 01:48
ロンドンの椿姫さま、今年..
by レイネ at 16:39
一年前の楽しい思い出が蘇..
by ロンドンの椿姫 at 02:21
鍵コメさま、ブログ更新を..
by didoregina at 18:29
Mevさま、急な帰国でし..
by レイネ at 05:18
チケットを買っていたので..
by Mev at 04:32
浪人生さま、ようこそ、お..
by レイネ at 16:55
ベリー公のいとも豪華なる..
by 浪人生 at 20:23
守屋さま、過去記事へのコ..
by レイネ at 04:56
saraiさま、ご無沙汰..
by レイネ at 04:04
5年も遅れてのコメントに..
by 守屋 at 02:42
レイネさん、saraiで..
by sarai at 01:32
Mevさま、いやあ、本当..
by レイネ at 04:41
ザッゾ、思ったよりずっと..
by Mev at 18:22
ロンドンの椿姫さま、なん..
by レイネ at 17:22
ザッゾはロンドンに結構来..
by ロンドンの椿姫 at 10:40
corogokoroさま..
by レイネ at 17:26
もうすぐ冬、夏それぞれ帽..
by corogokoro at 13:13
corogokoroさま..
by レイネ at 22:54

以前の記事

2016年 08月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月

タグ

最新のトラックバック

バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
倉冨亮太さんの繊細な美し..
from dezire_photo &..
ダイナミックで刺激的な多..
from dezire_photo &..
贅沢と快楽に生きる娼婦な..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
さよならアドルフ サスキ..
from 映画・世界史から探る気になる人々

カテゴリ

全体
バロック
映画
オペラ実演
オペラ映像
オペラ コンサート形式
着物
セイリング
コンサート
美術
帽子
マレーナ・エルンマン
イエスティン・デイヴィス
クイーン
CD
20世紀の音楽
旅行
料理
彫金
ビール醸造所
ベルギー・ビール
ハイ・ティー
サイクリング
ダンス
ハイキング
バッグ
教会建築
カウンターテナー
演劇
未分類

検索

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

音楽
映画

画像一覧